「女の子?よりによって女だなんて。なんで女なのよ、この役立たず。」 産まれたばかりの娘を抱いた私に、義両親はそう罵った。夫のかずやはスマホに夢中で、赤ちゃんにも興味がない。それでも私はこの子を守ろうと必死だった。なのに、出産直後の分娩室に現れた夫は、娘の顔も見ずに離婚届を突き出した。「すまん。離婚しよう。お互い今が都合いいよね。」…
「女の子?よりによって女だなんて。なんで女なのよ、この役立たず。」 ようやく授かった命の性別が女の子と分かった瞬間、義両親から浴びせられたのはそんな言葉だった。夫のかずやはそ知らぬ顔でスマホに夢中。赤ちゃんにも興味がないようだ。こんな家庭環境で無事に出産できるのか、不安で仕方なかった。 ところが出産直後の分娩室にかずやが入ってくる。なんだかんだ言っても我が子の誕生の瞬間に駆けつけてくれたらしい。だが酒の匂いをさせた彼は、生まれたばかりの娘の顔を見ようともせず、離婚届を突き出した。 「すまん。離婚しよう。お互い今が都合いいよね。」 心の中にあった悲しみは、冷徹な決意へと変わった。 「OK、本当にいいのかな?」 笑いが込み上げてくる。人生絶好調で浮かれているかずやは私を捨てた。でも私は彼の足首を、密かにけれどがっちりと掴んでいるのだ。寝ているだけの使えない女がどれほど恐ろしいか、たっぷりと思い知らせてやる。 私の名前は西城まゆみ、31歳。1年ほど前、夫のかずやと結婚して、この町で新しい生活を始めたばかりだ。彼との出会いは同業者が集まる親睦会だった。当時の私は仕事の忙しさに追われ、恋愛なんて二の次、三の次。そんな中でかずやは全く目立たない存在だった。 親睦会でかずやの隣には酔っ払った男性がいて、運の悪いことに男性が手にしていたウーロン茶をかずやの胸元にバシャっとかけてしまった。真っ白なシャツに茶色い染みが広がる。会場の空気が一瞬だけ凍りついた。 「あ、すみません。」 平謝りする相手に対し、彼は嫌な顔ひとつせず、手持ちのタオルで自分の胸をトントンと叩く。 「大丈夫ですよ。気にしないでください。本当に全然、大丈夫です。」 困ったように、けれど優しく笑った。なんて穏やかで心の大きい人だろう。派手さはないけれど、この人と一緒にいたらきっと温かな家庭を築ける。そう確信したのが恋の始まりだった。 交際期間を経てゴールインした私たちは、親戚からも「二人ともノンビリした感じで似たもの夫婦だね」と祝福された。結婚して数ヶ月は本当に夢のような日々だった。仕事から帰ればかずやが「お疲れ様」と迎えてくれる。週末には二人で散歩がてら買い物に出かけた。 夕方になり、「お腹も空いてくるねえ。今日は晩御飯を食べて帰ろうよ。何にする?」 「何でもいいよ。まゆみの好きなものにしなよ。」 「じゃあ回転寿司にしよっか。」 「いいね。」 いつだってかずやは優しい。穏やかに微笑む彼と二人で店へ向かおうとしたところ、彼のポケットでスマホが震え出した。取り出したスマホの画面には「お母さん」の文字。私は一瞬でテンションが下がった。 そんな私の変化には気にも止めず、かずやは通話ボタンを押す。 「もしもし、かずや。お父さんといつものレストランに行こうと思うの。5時に予約しておいたから、まゆみちゃんを連れていらっしゃい。」 やっぱりお誘いだ。夕方のこの時間に電話が来た時点で分かっていた。義母のよく通る声がスマホから漏れ聞こえてくる。来るという打診ではない。断られることなど微塵も考えていない。完全なる決定事項だ。 「あ、えっと、今から回転寿司を食べに行こうかって話してて…」 一応かずやは私の顔色を伺っている。でも義母に一蹴された。 「そんなのいいから早く来なさい。最上家の人間が安っぽい回転寿司で夕飯を済ませるなんて関心しないわよ。お母さんは回転寿司なんて行ったことないもの。」 かずやは困ったように、けれどいつも通りの情けない苦笑いを浮かべた。 「あ、うん、分かった。今から行くね。」 電話が切れる。私は隣で呆れを通り越して深いため息をついた。 「お寿司楽しみにしてたんだけど。」 「まあまあ、せっかく予約してくれたんだし、行かないと後が面倒だろ。お母さんもよかれと思って言ってくれてるんだからさ。」 「まあまあ」とかずやは私の不満を封じ込める。連れて行かれたのは、近所でも少し値の張る和風ファミレス。和を貴重とした落ち着いた内装だが、高級和食店ではない。「各種お祝い承ります」という看板が掲げられた、ごく一般的なチェーン店である。 「まゆみちゃん、こっちよ。こっち。」 派手な花柄のチュニックを身にまとった義母が大声で手を振った。私とかずやが席につくなり、メニューも見せてくれずに義母は店員を呼ぶ。 「かずやはいつもの天ぷら御前だよね。あなたは揚げ物が好きでしょ。男はしっかり体力をつけなきゃ。」 「あ、うん。そうだね。」 いつもの天ぷら御前とは、豪華なエビがメインで他に刺身や茶碗蒸し。2480円でこれはだいぶお得だ。そして義母は私をちらりとも見ずに注文を続けた。 「まゆみちゃんはこの鍋焼きうどんでいいわね。この店の名物なんだから。ここのはダシが効いていて美味しいのよ。女性は体が冷えちゃいけないし。これがいいわね。」 「嫌です」という隙すらない。結局私の元に運ばれてきたのは890円の鍋焼きうどん。 「ほら、まゆみちゃんのこうかね。お鍋にぎっしり具材が詰まってる。いいでしょ?これが一番美味しいのよ。この店の名物だからね。」 確かにほうれん草、ネギ、椎茸、卵にかまぼこ、具材は多い。メニュー表の一番最初にデカデカと載っていて、名物であることも美味しいことも知っている。でもこれが一番美味しいのかは不明だ。私は鍋焼きうどんしか食べたことがないので、他と比較のしようがない。かずやの天ぷら御前との価格差、実に3倍であることにモヤモヤする。 うどんをすすっていると、少しおしゃれした人たちが個室の座敷に入っていく姿が目に入った。若い夫婦と両家の祖父母だと思われる。私と年の変わらない女性の腕の中で、ベビー服のロンパースを着た赤ちゃんが眠っていた。 「あらまあ、可愛らしいこと。お食い初めかしらね。」 義父は赤ちゃんにちらりと目をやって鼻を鳴らす。 「服がピンク色だ。女か。」 「ああ、本当。あれは女の子ね。」 しばらくして、その席に立派な鯛が運ばれていった。それを見た義母が身を乗り出して言う。 「まゆみちゃん、あなたも子供を産んだら必ずここでお食い初めをしなさいね。この店はすごいのよ。お食い初めから法事まで何でもできちゃうんだからね。」 「あ、はあ。」 スープの底に沈んだほうれん草を探しながら、私は愛想笑いを浮かべた。ここで母のスイッチが入る。 「そういえば、お隣の佐藤さんのところ、3人目が夏に生まれるんだって。3人とも男の子よ。すごいわ。」 すでに知っている話だった。義母は会うたびに繰り返す。当の本人はまるで初めて話すかのようだ。 「高橋さんのところのお嫁さんも、この前立派な後継を産んだのよ。女の子と来てやっと男の子。高橋さんも安心したでしょうね。」 この前生まれたという立派な後継は、もう一歳になっている。つまり1年間同じ話題なのだ。なんだったら生まれる前から「お腹の子、やっと男の子なんだって」と聞かされていた。後継の男の子どころか、高橋さんの顔も知らない私は、毎回どのような反応をすればいいのか悩む。 「そうなんですね。」 結局、当たり障りなく微笑むしかない。義父とかずやは無口な方だ。沈黙が続くより、おしゃべりな義母が場を盛り上げてくれるのはありがたい。でも一つ避けたい話題もある。孫の催促だ。 … Read more