Ich saß völlig still da, als zwölf Hände in die Luft flogen. Meine Schwiegermutter hatte gerade unsere gesamte Großfamilie gebeten, darüber abzustimmen, ob ich dauerhaft aus der Familie…

Ich saß völlig still da, als zwölf Hände in die Luft flogen. Meine Schwiegermutter hatte gerade unsere gesamte Großfamilie gebeten, darüber abzustimmen, ob ich dauerhaft aus der Familie ausgeschlossen werden sollte. Sie alle stimmten mit ja. Ich habe nicht geschrien, ich habe nicht geweint. Ich habe mir nur den großzügigen Speisesaal um uns herum angesehen … Read more

11 September 2026

Mia suocera è entrata in casa nostra con due valigie e ha cominciato a ispezionare le stanze come se fosse sua. Poi ha teso la mano e mi ha chiesto un secondo set di chiavi, davanti a mio marito,…

Il nostro appartamento a Lipsia, nel quartiere di Plagwitz, profumava sempre delle stesse tre cose: vernice fresca, l’arrosto di mia madre e qualcosa di caldo che solo molto più tardi avrei saputo chiamare amore. Non era un regalo con il fiocco. Era il risultato di vent’anni di doppi turni, di vacanze cancellate e di rinunce … Read more

11 September 2026

Mia suocera ha appena annunciato a cena che mia cognata entrerà domani nel mio appartamento, quello che ho ereditato da mia madre, e che nessuno è obbligato a pagarmi. Mio marito ha annuito senza…

Elena tagliava l’insalata con cura, cercando di restare impassibile. Sua suocera, la signora Valentina, parlava da venti minuti di quanto Cristina, la sua adorata figlia, avesse bisogno di una casa. “Il tuo bilocale vuoto adesso serve a mia figlia”, dichiarò appoggiandosi allo schienale. “Entrano domani e nessuno è obbligato a pagarti. Te ne farai una … Read more

11 September 2026

Stála jsem v tom obchodě a poslouchala, jak mi Moris dává ultimátum: buď si ho vezmu, nebo přijde o půdu a děti skončí na ulici. „Dávám ti čas do první sněhové vločky,“ řekl s tím svým samolibým…

Vítr na pláních Montany mluvil vlastní řečí. Nebyla to řeč slov, ale řeč kostí – šeptala o blížící se zimě, křičela samotou v nekonečném sténání suché trávy. Aurélia té řeči rozuměla lépe než kdokoli jiný. Cítila ji v bolavých zádech, když štípala poslední zbytky dřeva, i v tichém kručení v břiše, které se snažila ignorovat. … Read more

11 September 2026

Beim jährlichen Partnerdinner meiner Mutter stand ich als ihre arbeitslose Tochter im Mittelpunkt des Spotts. „Armes Ding, kann nicht mal eingestellt werden“, sagte sie vor allen Partnern, während…

Das jährliche Partnerdinner bei Morrison & Wells Law – die Lieblingsbühne meiner Mutter. Der mit Mahagoni getäfelte Privatraum im Lou Bernardine summte vor Selbstgefälligkeit, als sich die Elite der New Yorker Anwälte versammelte, um ein weiteres Rekordjahr zu feiern. Mama erhob ihr Champagnerglas und verkündete: „Unsere Kanzlei hat Fusionen im Gesamtwert von über 50 Milliarden … Read more

11 September 2026

朝の8時半、病院に着いたら、職員が全員消えていた。ロッカーは空、机の上には退職届が30通。電話の向こうで副院長が笑いながら言った。「院長ごっこは今日で終わりだ。お前に付いていくやつなんていない」。俺は35歳で父の病院を継いだばかりだった。父は4日前に死んだ。誰もいない待合室で、俺は休診の紙を貼ろうと手を伸ばした。その時、廊下の奥から足音がした。白衣を着た看護師が1人、立っていた。目を赤くして…

電話の向こうの声は笑っていた。俺は誰もいない受付の前に立っていた。朝の8時半。いつもならこの時間、受付には3人が並んで座っている。待合室のテレビがついていて、ナースステーションからは申し送りの声が聞こえてくる。廊下の奥では掃除機の音がしている。だが、その音が何ひとつしなかった。テレビは黒いままだった。待合室の蛍光灯もついていない。長椅子の上には、昨日の夕方に誰かが置いたままにした古い雑誌が1冊あるだけだ。受付の中を覗くと、パソコンの電源は落ちていた。机の上には引き継ぎの書類が重ねて置いてある。メモも電話も何もない。ただ紙が重ねてあるだけだった。ロッカー室の扉は開けっぱなしになっていた。中は空だった。ナースシューズもサンダルも上着も残っていない。そこにあったものが一晩で全部なくなっていた。 俺は携帯電話を耳に当てたまま、その静けさの中に立っていた。 「言っておくが、俺は何も悪いことはしていない。みんな自分で決めたんだ。あんたの下では働けないと、自分で決めた。」 声は落ち着いていた。むしろ機嫌が良さそうだった。俺は何か言おうとしたが、口の中が乾いて声にならなかった。窓の外は晴れていた。駐車場には俺の車が1台だけ止まっている。もうすぐ9時になる。9時になれば、いつも通り患者さんが来る。この町で一番古い病院の玄関に、いつも通り人が来てしまう。俺の父はこの病院を40年守った。その父が4日前に死んで、俺が院長になった。それから最初に迎えた朝がこれだった。この誰もいない朝が、俺の人生で一番大事な1日になるとは、この時の俺はまだ思ってもいなかった。 俺の名前は長瀬裕介。35歳。柏木町という小さな町にある長瀬病院の医者だ。専門は内科で、医者になって9年になる。この病院を建てたのは俺の祖父で、40年前に継いだのが俺の父の長瀬高幸だ。町の人はみんな父のことを「院長先生」と呼んだ。俺のことは「若先生」と呼ぶ人が多い。「先生」というのは、要するに院長先生の息子という意味だ。正直に言うと、俺は自分が優秀な医者だと思ったことが一度もない。診断は慎重すぎると言われるし、判断も早くない。人前で話すのは今でも苦手だ。学生の頃から成績が良かった試しがなく、同期が1回で覚えることを、俺は3回やってようやく覚えた。それでも医者になったのは、父の背中を見て育ったからだ。父は町で一番信頼される医者だった。俺はその父の病院で、父の下で働いていた。そして、父の葬儀を終えた翌朝、この病院から職員がいなくなった。 長瀬病院は柏木町の駅から歩いて10分ほどのところにある。3階建ての古い建物で、外壁のタイルは所々色が抜けている。玄関の自動ドアは開くのが少し遅い。待合室の長椅子は木製で、座るときしむ音がする。祖父がこの病院を建てたのは60年以上前だ。当時この町には医者がおらず、風邪を引いても隣町まで出なければならなかった。祖父はそこに小さな診療所を作り、それを少しずつ大きくして病院にした。40年前に父が継いだ時には48床の入院ベッドがあった。父は内科の医者だった。専門というほど専門があったわけではなく、来た患者は大体全部見た。腹が痛いと言われれば見たし、眠れないと言われれば話を聞いた。町の年寄りは、体のことで困ったらとりあえず長瀬病院に行けばいいと思っていた。実際、父はその通りの医者だった。 俺が子供の頃、父はほとんど家にいなかった。夜中に電話が鳴って、そのまま出ていくことがしょっちゅうあった。母は俺が中学2年の時に病気で亡くなったから、それからは父と2人だった。2人と言っても、顔を合わせるのは朝の10分くらいだ。父は俺に医者になれとは一度も言わなかった。ただ、俺が医学部に受かったと報告した時も「おめでとう」とは言わなかった。 「そうか。」 それだけだった。後で思えば、父はその時台所で洗い物をしていて、手を止めなかった。俺はその背中を見ながら、あの人はこういう人だったと思った。父は俺を一度も褒めなかった。医学部に受かった時も、国家試験に通った時も、病院に戻ってきた時もだ。「やった」とも「助かった」とも言われた記憶がない。俺はそれを当たり前のこととして受け入れていた。父は誰にでも優しかった。俺はその外側にいるものだと思っていた。 医者になって3年目に、俺は父の病院に戻ってきた。大学の医局にいた頃は、正直に言えば自分がそれほど劣っているとは思っていなかった。周りより少し遅いくらいだと思っていた。ところが、父の下で働き始めて、それが間違いだったとすぐに分かった。父の診察は早かった。患者が診察室に入ってきて椅子に座るまでの間に、父はもう何かを掴んでいた。顔色でも歩き方でも、俺には分からないものが父には見えていた。 「診察台を見ないで。あんた、先月から膝の薬を飲んでいないだろう。」 と言い当てることもあった。俺にはそれができなかった。だから俺は、父が一目で分かることを時間をかけて調べた。診察が終わっても、俺はすぐに帰らなかった。その日見た患者のカルテをもう一度最初から読み返して、気になったところを書き出す。分からないことがあれば文献を調べる。検査の数字を並べて去年の数字と比べる。そういうことを毎晩やっていた。大体病院を出るのは10時を過ぎた。近所の弁当屋ももう閉まっているから、コンビニでおにぎりを2つ買って家に帰って食べる。それが何年も続いた習慣だった。患者さんの名前と顔と、どの薬をいつから飲んでいるかは、なるべく覚えるようにしていた。これは父に言われたわけではない。俺の場合、その場でパッと判断できない分、事前に頭に入れておかないと診察が回らなかったからだ。要領の悪い人間の苦し紛れのやり方だった。 家族への説明がうまくできなかった日はもっとひどかった。医者の言葉は難しいと言われるのが怖くて、俺は説明の紙を作るようになった。図を描いて矢印を引いて、「これがこうなってこうなります」と順番に並べる。それを何度も作り直した。夜中の2時まで作り直して、翌朝それを渡したら、患者の娘さんに「先生、こんなに書いてくれたんですか」と言われたこともある。父はそういう俺を見て、こう言った。 「お前は天才じゃない。」 俺は黙っていた。 「だから誰よりも感情を見ろ。才能がないなら、人の倍見ろ。」 厳しい言い方だったが、俺はその言葉を守ったというより、それしかできなかった。父はもう1つよく口にしていた言葉がある。 「医者は偉い仕事じゃない。人の不安の横に座る仕事だ。」 これは俺にではなく、看護師や事務の人にもよく言っていた。父は病院の中で偉そうにしたことがなかった。掃除の人にも頭を下げたし、受付の人が謝りにくれば「いや、説明が足りなかったのはこっちだ」と言った。そういう父だったから、職員はみんな父を慕っていた。逆に言えば、息子である俺のことは、みんな父と比べて見ていた。俺は自分の陰口を聞いたことが何度かある。聞くつもりはなくても、病院というのは声の通る建物だ。廊下の角を曲がった向こうの話が、そのまま聞こえてしまうことがある。 「若先生、また残ってるよ。」 若い看護師の声だった。誰かがそれに答えた。 「あの人、院長の息子だからここにいるだけでしょ。」 笑い声が混じった。悪意のある笑い方ではなかった。それが返って辛かった。もう1人、年上の声が言った。 「悪い人じゃないけどね。ただ、院長みたいにはなれないよ。」 そう言われて言い返せる材料が俺にはなかった。手術の腕があるわけでもない。人前で堂々と話せるわけでもない。ただ夜遅くまでカルテを読んでいるだけの医者だ。それは誰かに褒められるようなことではないし、俺自身褒めて欲しいと思ったこともなかった。 一番はっきり口に出していたのは副院長の黒川先生だった。黒川裕二先生は52歳で、父の代からこの病院にいる外科の医者だ。腕は確かだった。手が早くて判断も早い。急な患者が来ても慌てない。父の次に尊敬していた医者は誰かと言われれば、俺は迷わずこの人の名をあげたと思う。ただ、黒川先生は俺のことを医者として数えていなかった。 「長瀬先生、その説明の紙、患者は読まないぞ。」 外来の廊下ですれ違った時にそう言われたことがある。 「そんなものを作る時間があるなら、症例を1つでも多く見ろ。あんたは丁寧なんじゃない。決められないだけだ。」 その言い方はきつかったが、間違ってはいなかった。俺は決められない医者だった。迷って調べて、それから決める。黒川先生はその逆で、決めてから確かめる人だった。医者としてどちらが優れているかと聞かれたら、俺は黒川先生だと答えたと思う。 そんな中で、1人だけ俺に対して態度が変わらない人がいた。看護師の相澤さんだ。相澤美穂さんは32歳。この病院に来て6年になる。派手な人ではない。飲み会にもあまり来ないし、休憩室で誰かの悪口を言っているところを見たこともない。仕事は静かで正確だった。俺が指示を出すと、相澤さんは必ず一度復唱してから動いた。一度、俺が薬の量を間違えて指示したことがある。相澤さんはそれをそのまま実行しなかった。ナースステーションで俺を呼び止めて、「先生、この量で合っていますか」と聞いた。俺は自分の間違いに気づいて青くなった。 「ごめん。俺の指示が間違ってた。ありがとう。」 相澤さんは首を振っただけで何も言わなかった。他の人なら、後で休憩室でその話をしただろうと思う。相澤さんはしなかった。少なくとも俺の耳に入ってきたことは一度もない。俺はその頃、相澤さんのことを真面目な看護師さんだというくらいにしか思っていなかった。今になって思えば、俺はあの頃自分のことしか見ていなかったのだと思う。父に追いつけない自分と、それを見ている周りのこと。その2つで頭がいっぱいで、静かに仕事をしている人が何を見ているかなんて考えたこともなかった。 そして、もう1つ俺が見ていなかったものがある。3年ほど前から、父は病院を少しずつ小さくしていた。最初は48床あった入院ベッドを32床に減らした。その次の年に20床にした。「夜勤の人数が足りないから」というのが父の説明だった。それから2ヶ月前、最後の入院患者さんが退院したのを見届けて、父は病棟そのものを休止した。休止というのは、入院用のベッドを届け出たまましばらく使わないでおくということだ。廃止ではないから、その気になればまた開けられる。ただ、いつまでも休ませておけるものでもない。書類も届出も全部、父が自分で片付けていた。俺は反対しなかったというより、反対する立場になかった。父は院長で、俺は勤めている医者の1人だ。ただ寂しくは思った。ガランとした2階の病室を通るたびに、父を取られたのだなと思っていた。その頃、父は俺にこんなことを聞いた。 「裕介、お前はこの病院をどうしたい?」 俺は答えられなかった。どうしたいも何も、父がいる病院だ。俺が決めることではない。 「父さんが決めてくれれば、俺はそれに従うよ。」 父はしばらく黙っていた。それから、いつものように短く言った。 「そうか。」 あの時父が何を考えていたのか。俺がそれを知るのは、父が死んでからさらに2ヶ月以上経ったある夜のことだ。 父が死んだのは日曜の朝だった。前の日まで普通に外来をやっていた。金曜の夕方に廊下ですれ違った時、父は俺に「来週の水曜は医師会だから外来を頼む」とだけ言った。それが最後にかわした言葉になった。日曜の朝、俺が起きたら父はまだ寝ていた。父は毎朝5時に起きる人だったから、それだけでおかしいと思った。部屋を覗いて声をかけて、返事がなくて、そこからのことはあまりよく覚えていない。覚えているのは自分の手が震えていたことと、救急車を呼ぶまでにやったことを後で何度も思い返したことだ。死因は急性心筋梗塞だった。眠っている間に起きたのだろうと言われた。苦しんだ形跡はなかったとも言われた。それを聞いて少しだけ楽になった自分のことを、俺は今でもうまく整理できていない。68歳だった。 そこからの3日間は、正直に言って記憶が飛び飛びだ。臨時休診の紙を作って玄関に貼った。葬儀社と話をした。親戚に電話をかけた。父の携帯電話に入っていた番号に順番にかけていったら、知らない人からも「あんたが息子さんかね」と言われた。父が見ていた患者さんだった。葬儀には200人以上来た。駐車場が足りなくなって、近くの空地を借りた。杖をついた年寄りが列を作っていた。車椅子で来た人もいた。俺の知らない人ばかりだった。みんな順番に俺のところに来て「院長先生には世話になった」と言い、それから俺の手を握って帰って行った。手を握られるたびに、俺は父の40年の重さを触っているような気がした。 葬儀の最後の方で、俺は受付の脇に立っている相澤さんを見た。制服ではなく黒い服だった。弔問客の列をさばいて、年寄りに椅子を出して、それから会場の一番後ろで手を合わせていた。誰かに頼まれてやっていたわけではないと思う。目があったので俺が頭を下げると、相澤さんも黙って頭を下げ返した。それだけだった。 特別養子縁組の話は、次の日だった。葬儀の挨拶で俺は何を言ったのかよく覚えていない。用意した紙を読んだはずだが、途中で読めなくなった。後から相澤さんに聞いたら、「あそこで先生が黙ったのが良かったですよ」と言われた。 葬儀から戻って家に着いたのが夕方だった。仏壇の前に座って、そこで初めて俺は声を出して泣いた。泣きながら思っていたのは、悲しいということより、これからどうするんだということだった。病院はまだそこにある。患者さんはまだそこにいる。休診の紙をいつまでも張っておくわけにはいかない。長瀬病院は医療法人になっている。医療法人社団長瀬会という名前で、父が理事長を務めていた。理事長が亡くなれば、後任を決めなければならない。その手続きは驚くほどすんなり進んだ。医療法人の臨時の総会で俺が理事に選ばれ、続けて開いた理事会で理事長になった。集まったのは父の親戚と顧問の税理士だけで、反対する人はいなかった。父は生前に書類を整えていた。定款も理事の名簿も、後任についての意思を書いたものも全部揃っていた。日付を見たら、一番新しいものは1年半前のものだった。村井さんがそれを俺の前に並べた。村井克さんは事務で60歳。父の代からこの病院の事務を仕切ってきた人だ。眼鏡をかけた小柄な人で、いつも丁寧な言葉遣いをする。 「院長先生は、こういうことをきちんとされる方でしたので。」 「父は何か言っていましたか?」 「いえ、私は指示された通りに整えただけです。」 村井さんはそう言って、少しだけ目を伏せた。俺はその時、その仕草の意味に気づかなかった。ただ1つだけ引っかかったことがある。書類の束の中に職員名簿の写しが挟まっていた。名前の横に父の字で小さな印がついているものと、ついていないものがあった。俺は何かの手違いだろうと思って、そのまま束に戻した。 「先生、1つだけよろしいですか?」 「はい。」 「これから色々なことが起こると思います。その時に慌てて決めないでください。院長先生はいつもそうされていましたから。」 妙な言い方だと思った。「何が起こるんですか」と聞けばよかった。俺は聞かなかった。父が死んだ直後で頭が回っていなかった。こうして俺は35歳で長瀬病院の院長になった。医者として9年目。この病院に戻って7年目の春だった。継ぐと決めた実感はなかった。ただ、他に誰もいなかった。 職員に挨拶をしたのは、葬儀を終えた日の午後だ。1階の会議室に30人ほどが集まった。言葉は用意していなかった。用意すると、読んでしまうと思ったからだ。結果として、俺はひどい挨拶をした。 「父のようにはできません。それは分かっています。」 … 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11 September 2026

Era solo una sosta forzata in un’officina sperduta, ma appena i nostri sguardi si sono incrociati ho sentito che la mia vita stava per cambiare. Lui era lì per un tagliando, io per un guasto,…

L’ho capito nell’istante in cui i nostri sguardi si sono incrociati. Quell’uomo avrebbe stravolto la mia esistenza, e non c’entrava nulla con la sua moto ammaccata da anni di strade. Ero in difficoltà. La mia non si era ancora fermata del tutto, ma emetteva un rantolo sinistro, come un vecchio motore che sta per esalare … Read more

11 September 2026

「無職」――姉がプロフィールの職業欄を指で弾いて、そう言った。父が持ち帰った縁談の相手は、四十歳で無職。姉は「ありえない」と笑い、母は「事情のある方」と親戚に電話をかけた。そして父は、台所にいた私に言った。「みさ、お前が代わりに行け」私は誰にも聞かれなかった。嫌かどうかも、会いたいかどうかも。ただ「分かった」と答えた。あの時、私はまだ知らなかった。この「無職」の男が、私の人生を変えることにな…

「無職」――ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば。 三つ上の姉の指が、テーブルの上の紙を弾いた。父が持ち帰った縁談のプロフィールだ。職業の欄には、たった二文字だけが書いてある。 無職。 母が髪をかき上げた。「大久保さんもいいお歳をね。こんな話を持ってくるなんて」母が笑い、姉も笑った。父だけが腕を組んで黙っていた。 母は台所で湯飲みを洗っていた。手を止めずに。やがて父が茶を吸った。 「みさ、お前が代わりに行け」 蛇口の音だけが残った。私は相手の顔も知らない。写真はまだテーブルの上にある。 「先方に私から返事をしておく」 返事は父がすると言った。私がするのではないらしい。 「分かった」 姉が鼻で笑った。「分かったじゃない。あんたにはちょうどいいわよ。いい話は全部お姉ちゃんのもの。残ったものが私のところへ来る。それが村瀬の家の順番なんだから」 職業の欄に「無職」とだけ書かれていた意味を、私が知ることになるのは、結婚してからだ。 私は藤崎みさ。介護福祉士という国家資格を持って、特別養護老人ホームで働いている。介護が必要なお年寄りが最後まで暮らす施設だ。介護の仕事に入って九年になる。資格を取ったのは六年前。勤め先は「春が丘園」という七十人が暮らす施設で、家からは自転車で十五分。早番と日勤と遅番と夜勤を回している。手取りは決して多くない。それでも私はこの仕事が好きだ。 この話をしている今の私は三十二歳。これから話すのは二年前。私が三十歳だった秋から始まる出来事だ。 当時の私はまだ村瀬みさだった。村瀬の家は都心から電車で四十分の住宅地にある。古い二階建てで、庭に父が植えた金木犀がある。父は村瀬生吾、食品を卸す会社で営業部長をしている。会社の名前は「丸ひ正司」という。母はかえ、ずっと専業主婦だ。そして姉がいる。村瀬レナ、私の三つ上。この四人が家族だった。 ただ、家族というものが全員に同じ顔を向けるとは限らない。私はそれを子供の頃から知っていた。 例えば進学の時。姉は都内の私立大学へ行った。入学金も授業料も四年分、全て両親が出した。私が三年後に同じことを言うと、母はカレンダーをめくりながら答えた。 「うちにそんな余裕、二人分もないわよ」 その言葉の後、母は姉の卒業旅行の話を続けた。私は奨学金を借りて専門学校へ行った。介護の学科ではない。卒業してから三年はジムの仕事をして、二十三歳で春が丘園に入った。奨学金は毎月一万四千円を九年かけて返した。返し終わったのは二十九歳の時だ。最後の返済を終えた日、母に電話で報告した。母は「あら、そうだったの」と言って、姉の話に戻した。 例えば成人式の日。姉の振り袖は駅前の呉服屋で誂えた。母は三日かけて生地を選び、写真館で家族写真まで撮った。私の番になると、母は近所のレンタルのカタログを持ってきた。「みさは背が高いから何でも似合うでしょう」似合う似合わないの話ではなかった。私は何も言わずにカタログをめくり、一番安い段の中から選んだ。成人式の年に撮った写真は一枚もない。実家の今の壁には、今でも姉の振り袖の写真だけが額に入ってかかっている。母は来客の度にその額を指す。「これが上の子。よく取れているでしょ」 例えば就職が決まった時。両親が親戚を呼んで席を作った。父が私を紹介した。「娘は介護の道に進むそうです」すると母が横から口を出した。「みさは器量が姉ほどじゃないんだから、手に職があった方が安心なのよ」座敷が笑いに包まれた。姉も笑った。おばの松さんだけが笑わずに私を見ていたが、母の声の方が大きかった。私は笑わなかった。誰もそれには気づかなかった。 この三つを、私は今でも順番通りに思い出せる。忘れられないというより、順番が決まっているから覚えているのだと思う。それでも私は実家に金を入れていた。施設に入った二十三の年からだ。ちょうど父の給料が下がった年で、母に頼まれて毎月三万円。それがそのまま続いている。仕送りを始めてから二年目の秋でちょうど七年だった。積み上げればいくらになるのか、私は計算を一度もしたことがなかった。すれば嫌になるのが分かっていたからだ。 姉は働いていないわけではない。駅ビルのアパレルで販売員をしている。ただ家に金を入れたことは一度もない。母はそれが当然だと思っているからだ。「レナは見栄にお金がかかるの。人前に出る仕事なんだから」介護も人前に出る仕事だ。ご家族に頭を下げ、ご本人の名前を呼び、汚れた寝巻きを変える。そう言い返したことはない。 実家へ帰ると、台所は自動的に私の場所になった。母が煮物を作り、私が皿を並べ、私が洗う。姉は座ったままスマートフォンを見ている。「姉も少しは手伝いなさいよ」母が言う。姉は顔を上げない。「みさがやってるからいいじゃん」母はそれ以上言わなかった。だから私も言わなかった。台所に立っている限り、私はこの家で役に立っている。役に立っていれば、何も言われない。 春が丘園には、菅田さんという九十歳の女性がいた。私が入職した年からいる人だ。目はほとんど見えない。耳の方はよく聞こえる。私が廊下を歩くと、足音で分かるらしかった。「みささん、今日は早いのね」その一言のために働いているようなところが、私にはあった。誰かが私の名前を、順番ではなく私のものとして呼ぶ。実家では起きないことだった。 記録はタブレットでつける。私が入った年はまだ紙だったが、四年ほど前に切り替わった。食事の量も排泄も入浴も、全部その画面に打ち込む。起動するたびに画面の隅に小さな会社の名前が出る。毎日見ているのに、私はその名前を読んだことすらなかった。ただの模様のようなものだった。 職場で先輩の土屋さんに、その頃一度だけ実家の話をしたことがある。生活相談員として二十年やっている人だ。入所の相談やご家族との話し合いを一手に引き受けている。土屋さんは湯飲みを両手で包んだまま、しばらく黙っていた。「村瀬さん、あなた家では何て呼ばれてるの?」「みさですけど」「お姉さんは?」「レナちゃんです」土屋さんは何も言わずに湯飲みを置いた。その音だけが、夜の更けた部屋に長く耳に残った。 縁談の話が来る前の年から、姉は結婚相談所に入っていた。「レナにはね、もっといい話が来るのよ」母は誰に聞かれたわけでもなく、そう言うのが癖になっていた。姉は三十三。母の頭の中では、姉が誰と結婚するかは村瀬の家の一大事だった。私が誰と結婚するかは、話題にすらならなかった。父も同じだった。父は年に何度か、酔うとこんなことを言った。「レナにはいい相手を見つけてやらんとな。あれは顔がいいから」そして必ず一拍置いて、こう続けた。「みさはまあ大丈夫だろう」何が大丈夫なのか、父は説明しなかった。私はそれで良かったのだと思う。期待されないというのは、放っておいてもらえるということでもある。そう思っていた。自分の順番が来ないなら、順番を待たされることもない。そう思い込むことで、私はここまでやり過ごしてきたのだと思う。 ところが村瀬の家には、もう一つの順番があった。誰も欲しがらないものが回ってくる順番だ。その順番の先頭に、私はずっと立たされていた。 その秋、父が茶封筒を持って帰ってきた。茶封筒の中身は白い紙が二枚だった。一枚目に写真が貼ってある。二枚目にプロフィール。父はそれを今のテーブルに置き、母を呼んだ。私はたまたま休みで、昼から実家に寄っていただけだった。 「大久保さんからだ。レナにどうかと」 その名前を聞いて、母の背筋が伸びた。大久保さんは丸ひ正司の相談役だ。父の勤め先で、二代前まで社長をやっていた人だと聞いていた。父は年に一度、暮れになると必ず大久保さんの家へ挨拶に行く。母はその日だけ、父のスーツにブラシをかける。 「まあ、大久保さんが自ら」母は写真を手に取った。姉が二階から降りてきて、母の肩越しに覗き込んだ。「へえ。顔はまあまあじゃない」姉の言い方には、試着を見る時の調子があった。「歳前ちょっと上だけど、まあ許容範囲かな」母が二枚目をめくった。そこで母の手が止まった。姉が母の手から紙を抜き取った。そして、あの声が出た。 「無職。ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば」 私は台所にいた。手を止めずに聞いていた。姉はプロフィールを指で弾き、テーブルに投げた。母が拾い上げてもう一度読み、眉の間に線を作った。「本当だわ。職業、無職って。何それ?」「四十で無職って、何かあるってことでしょ?」「病気かしらね」「借金じゃない?」「じゃなきゃ、何か」姉と母は、まだ会ってもいない人の人生を三分で決めた。私はその三分の間、湯飲みを二つ洗った。 その間に母は、一本の電話をかけていた。前の日の夜、母は親戚に触れ回っていたのだ。大久保さんからレナに話が来たと。相談役の紹介なのだから、相手も相当な人だろうと。母の中では、その時点でもう決まっていた。だから母は取り消しの電話をかけた。相手はおばの松さんだった。「ごめんなさいね、お姉さん。あの話、なかったことにして」受話器の向こうで何か聞かれたらしい。母の声が一段低くなった。「それが、ちょっと事情のある方でね。レナにはね」 事情のある方。「無職」の二文字は、母の口の中で三十秒もしないうちにそう変わった。会ってもいない人が、会わないうちにそういう人になった。父だけが黙っていた。腕を組んで、テーブルの一点を見ている。母がその父に向き直った。「大久保さんは、その人の何を知ってるって言うの?」父は答えなかった。代わりにこう言った。「断るのは難しい」母が声を裏返した。「どうしてよ? 無職なのよ」「大久保さんは、その男の父親と長い付き合いだったそうだ」「だからって、うちの娘を」「娘じゃなくてもいい」父の声は低かった。相談役の顔を潰さずに、娘のどちらかを差し出す方法を、父はもう考え終えていた。母が黙った。姉も黙った。二人の視線が同時に台所へ向いた。私は振り返らなかった。水の音が続いていた。 「みさ、お前が代わりに行け」 その後のことは、初めに話した通りだ。私が「分かった」と言うまでに何秒かかったかは覚えていない。ただ、その何秒かの間、誰も私に理由を聞かなかった。嫌かどうかも、会いたいかどうかも、聞かれなかった。 翌日、私は父に一度だけ確かめた。「お父さん、どうして断れないの?」父は新聞を読んだ。「再来年の春で定年だ」「うん」「その後、関連会社で顧問をやらせてもらう話がある。社員として雇われるんじゃない。月にいくらで、週に何日か顔を出して助言をする。そういう契約だ。大久保さんが口を聞いてくださっている」父の声には、後ろめたさが一つも混ざっていなかった。むしろ胸を張っていた。娘の縁談と自分の再就職が同じ天秤に乗っていることを、父は問題だと思っていない。「じゃあ、お姉ちゃんが断ったから私が行くってこと?」「そういう言い方をするな。お前は仕事が忙しいだろう。出会いもないだろう」「うん」「ちょうどいいじゃないか」また「ちょうどいい」だ。この家で私に向けられる言葉は、大体それだった。 数日後、私は夜勤に入った。消灯後は二時間おきの巡視に、寝返りの介助とオムツ交換が重なる。廊下を行ったり来たりしている。考え事ができるのは、その間の数分だけだ。菅田さんの部屋のナースコールが鳴った。私は扉を軽く叩いた。「菅田さん、みさです。お手洗いですか?」菅田さんはベッドの端に腰かけていた。私は足元のスリッパを揃えて、ベッド柵に手を添えた。「うん。いいえ」菅田さんは暗がりで笑った。「眠れなくてね」「私もです」「あら、若い人が」私は水をコップに注いで渡した。菅田さんは両手で持って、ゆっくり飲んだ。「うちの子はね、私の言うこと一度も聞かなかったのよ」菅田さんは急にそう言った。返事に困っていると、菅田さんは続けた。「でも、いい子に育ったの。私の言うことを聞かなかったからね」その時の私は、その言葉が自分にも向けられているとは思わなかった。 一方、母は諦めていなかった。姉の相談所には条件を出してあるのだと、母は私に何度も言った。「年収は八百万以上。持ち家か、将来持てる見込み。長男は避けたい。介護の心配がない家。レナには、そのくらいの人じゃないと釣り合わないの」釣り合い。母はその言葉が好きだった。誰と誰が釣り合うかを決めるのは、いつも母だった。 その頃から、話は私の手の届かないところで進んでいった。会う日は父が決めた。場所も父が決めた。相手の名前を私が知ったのは、日が決まった三日後だ。藤代直さん、三十八歳。着ていく服は母が決めた。姉の部屋から出してきた、前の年の秋物のワンピースだった。「これなら失礼にならないでしょう。あんた、そういうの持ってないんだから」姉が廊下からそれを見て笑った。「お下がりでお見合いって、なんか漫画みたい」私は袖を通してみた。丈が合わなかった。母はそれを見て、「裾を折ればいい」と言った。プロフィールの二枚目は、その間ずっと今のテーブルに置きっぱなしになっていた。誰も片付けなかった。誰も最後まで読み返さなかった。私も読まなかった。読んだところで、断る権利が私にあるわけではないからだ。 前の日の夜、姉が私の部屋を覗いていった。「ねえ、もし気に入られたら、ちゃんと結婚するの?」「知らない」「してあげなよ。お父さんの顔もあるし」姉は、自分が投げたものを私が受け取ることを前提に話していた。投げたことはもう忘れているようだった。今になって思う。あの紙には確かに「無職」と書いてあった。書いてあったのはそれだけだった。会う日も場所も、着ていく服まで、私の意思とは関係なく決まっていた。 待ち合わせは駅前のホテルのラウンジだった。父が同席すると言い張るので、私は断った。断ったのは、この件で私が初めて通した意見だった。「一人で行く。相手も一人なんでしょう」「まあ、そうだが」「じゃあ、一人で行く」父は不服そうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。母は玄関で私の背中を押しながら、最後にこう言った。「余計なことは言わないでね。大久保さんに恥をかかせないように」私は返事をしなかった。 藤代直さんは、約束の十分前にもう座っていた。紺のセーターに、面の割烹着だけだった。時計もしていない。私が名乗ると、その人は立ち上がって丁寧に頭を下げた。「藤代直です。今日はありがとうございます」声が低くて、聞き取りやすかった。介護の現場にいると、聞き取りやすい声かどうかがまず気になる。店員が水を持ってきた。受け取る時、その人は店員の顔を見て礼を言った。当たり前のことのようだが、当たり前にできる人は多くない。 注文を済ませて、しばらく仕事の話をした。私が春が丘園で働いていると言うと、その人は身を乗り出した。「特養ですか? 夜勤は月に何回くらいですか?」「四回か五回です」「十六時間ですか?」「はい」「大変ですね」大変ですね、で終わる人は多い。その人は続きを聞いた。夜勤の休憩がどう取れるか、記録はいつ書くか、看取りの時に家族が来るかどうか。私が言う前に、十六時間という数え方がその人の口から出た。この仕事の外にいる人は、その言い方をしない。聞き返そうとしたら、次の質問が来て、そのままになった。私は気づいたら三十分近く喋っていた。慌てて口を閉じた。「すみません。私ばかり」「面白いです。本当に」それから、その人は少し姿勢を正した。「村瀬さん、失礼を承知で確かめさせてください」「はい」「この話は、元々お姉様に来たものですね」私の喉が詰まった。「大久保さんからは、最初、上のお嬢さんにと伺ってました。それが今日になって、村瀬さんの方のお嬢さんとお会いするに変わっていたので」その人は私を責める調子ではなかった。むしろ、こちらが答えやすいように置いた。私は正直に言った。「姉が断りました。無職と書いてあったので」言ってしまってから、自分の言葉の冷たさに驚いた。謝ろうとした。その前に、その人が言った。「なるほど。それは当然だと思います」当然と言われて、私は顔を上げた。「知らない人の紙一枚に無職と書いてあったら、私でも警戒します」私は言いかけた。でも、その人が引き取った。「ただ、その人はグラスを置いた。身代わりなら、この話はお断りします」私は返す言葉を持たなかった。断られると思っていなかったわけではない。ただ、断る理由がそれだとは思っていなかった。私が黙っていると、その人は続けた。「お父様に言われてこられたのなら、村瀬さんが困ります。私はそういう形で誰かの家に入りたくない。今日はお会いできてよかったです。ここで終わりにしましょう」その人は本当に伝票へ手を伸ばした。そして、手を止めた。藤代さんが私の方へ向き直った。「一つだけ聞いてもいいですか?」私は膝の上で手を揃えた。「みささんご自身は、どうしたいですか?」その人が私を苗字ではなく名前で呼んだのは、そこが初めてだった。ラウンジのざわめきが、その時急に遠くなった。どうしたいか? 三十年生きてきて、その質問を私にした人が、家族の中に一人もいなかった。父も母も姉も、私がどうしたいかを聞かずに、私がどうするかだけを決めてきた。私は答えられなかった。答えを持っていなかったからだ。「すみません。急でしたね」その人はそう言って、伝票を裏返した。「答えは今日じゃなくていいです。もし良かったら、もう一度だけお会いしませんか? 今度は縁談としてではなく、断るとしても、紙一枚で終わるのはお互いもったいないので」私は頷いた。理由はうまく言えなかった。 その日を入れて、私たちは三度あった。二度目は美術館だった。その人は絵の前で長く立ち止まる。私が先に進んでも、急がない。急かしもしない。出口の売店で私が絵葉書を一枚選ぶと、その人はもう一枚同じものを買った。「二枚あると、片方は晴れますから」三度目は商店街だった。魚屋の前でアジの値段を見て、その人は真顔で言った。「今日は高いですね」私が笑うと、その人は本当に困った顔をした。「いや、本当に高いんですよ。先週は三匹で四百円でした」値段を覚えている人だった。母が姉に持たせるブランドの名前を覚えているのとは、覚え方が違った。八百屋で大根を一本買い、その人はそれを紙袋に入れて抱えた。私が持ちますと言うと、断られた。「僕が言い出した買い物なので」料理を作るのだと言った。掃除も自分でやると言った。私が夜勤明けの日に何もできなくなる話をすると、その人は当然のように頷いた。「じゃあ、僕が作った方が早いですね」「悪いです」「悪くないです。時間があるのは僕の方なので」その言い方に、卑屈さがまるでなかった。時間があることを、この人は悪いと思っていない。働いていない理由は聞かなかった。聞けば、聞かれると思ったからだ。私は自分がなぜここに座っているのかを説明できなかった。 腑に落ちないことがまだあった。この人は最初から断られる前提でここへ来ていた。それなのに、なぜ来たのだろう。三度目の帰り、駅の改札の前で私は立ち止まった。「藤代さん」「はい」「私、姉の代わりじゃなく、私が結婚したいです」その人は目を丸くした。それから、笑わずに頷いた。「では、そのつもりでお話を進めます」その日、実家に電話をして、私は結婚しますと伝えた。母は五秒ほど黙ってから、「あら」と言った。 この人は嘘をつかない。ただ、聞かれないことは言わないだけだった。 入籍したのは、翌年の春の終わりだった。式はあげなかった。あげないと決めたのは私だ。直さんは「みささんがしたいなら」と言ってくれたが、私はしたくなかった。理由は簡単だ。あの家の人たちに、私の一番いい日を見せたくなかった。母は電話でこう言った。「式をやらないなら、その分はレナの時に回せるわね」その分が何を指すのかは、聞かなかった。聞くだけ無駄だからだ。写真だけ、駅前の写真館で撮った。白いブラウスに紺のスカート。直さんは初めて会った日と同じ紺のセーターを着てきて、私が笑うと「一番いいやつなんです」と言った。婚姻届を出した日は、私が夜勤明けで、直さんが先に役所へ来て待っていた。窓口の職員が名前の欄を指して、書き直しを一箇所だけ求めた。直さんは黒のボールペンと予備の用紙を一枚持ってきていた。「用意がいいですね」「書き直しになることもあると思ったので」その言い方がおかしくて、私は窓口の前で笑ってしまった。職員が変な顔をした。 … Read more

11 September 2026

「女の子?よりによって女だなんて。なんで女なのよ、この役立たず。」 産まれたばかりの娘を抱いた私に、義両親はそう罵った。夫のかずやはスマホに夢中で、赤ちゃんにも興味がない。それでも私はこの子を守ろうと必死だった。なのに、出産直後の分娩室に現れた夫は、娘の顔も見ずに離婚届を突き出した。「すまん。離婚しよう。お互い今が都合いいよね。」…

「女の子?よりによって女だなんて。なんで女なのよ、この役立たず。」 ようやく授かった命の性別が女の子と分かった瞬間、義両親から浴びせられたのはそんな言葉だった。夫のかずやはそ知らぬ顔でスマホに夢中。赤ちゃんにも興味がないようだ。こんな家庭環境で無事に出産できるのか、不安で仕方なかった。 ところが出産直後の分娩室にかずやが入ってくる。なんだかんだ言っても我が子の誕生の瞬間に駆けつけてくれたらしい。だが酒の匂いをさせた彼は、生まれたばかりの娘の顔を見ようともせず、離婚届を突き出した。 「すまん。離婚しよう。お互い今が都合いいよね。」 心の中にあった悲しみは、冷徹な決意へと変わった。 「OK、本当にいいのかな?」 笑いが込み上げてくる。人生絶好調で浮かれているかずやは私を捨てた。でも私は彼の足首を、密かにけれどがっちりと掴んでいるのだ。寝ているだけの使えない女がどれほど恐ろしいか、たっぷりと思い知らせてやる。 私の名前は西城まゆみ、31歳。1年ほど前、夫のかずやと結婚して、この町で新しい生活を始めたばかりだ。彼との出会いは同業者が集まる親睦会だった。当時の私は仕事の忙しさに追われ、恋愛なんて二の次、三の次。そんな中でかずやは全く目立たない存在だった。 親睦会でかずやの隣には酔っ払った男性がいて、運の悪いことに男性が手にしていたウーロン茶をかずやの胸元にバシャっとかけてしまった。真っ白なシャツに茶色い染みが広がる。会場の空気が一瞬だけ凍りついた。 「あ、すみません。」 平謝りする相手に対し、彼は嫌な顔ひとつせず、手持ちのタオルで自分の胸をトントンと叩く。 「大丈夫ですよ。気にしないでください。本当に全然、大丈夫です。」 困ったように、けれど優しく笑った。なんて穏やかで心の大きい人だろう。派手さはないけれど、この人と一緒にいたらきっと温かな家庭を築ける。そう確信したのが恋の始まりだった。 交際期間を経てゴールインした私たちは、親戚からも「二人ともノンビリした感じで似たもの夫婦だね」と祝福された。結婚して数ヶ月は本当に夢のような日々だった。仕事から帰ればかずやが「お疲れ様」と迎えてくれる。週末には二人で散歩がてら買い物に出かけた。 夕方になり、「お腹も空いてくるねえ。今日は晩御飯を食べて帰ろうよ。何にする?」 「何でもいいよ。まゆみの好きなものにしなよ。」 「じゃあ回転寿司にしよっか。」 「いいね。」 いつだってかずやは優しい。穏やかに微笑む彼と二人で店へ向かおうとしたところ、彼のポケットでスマホが震え出した。取り出したスマホの画面には「お母さん」の文字。私は一瞬でテンションが下がった。 そんな私の変化には気にも止めず、かずやは通話ボタンを押す。 「もしもし、かずや。お父さんといつものレストランに行こうと思うの。5時に予約しておいたから、まゆみちゃんを連れていらっしゃい。」 やっぱりお誘いだ。夕方のこの時間に電話が来た時点で分かっていた。義母のよく通る声がスマホから漏れ聞こえてくる。来るという打診ではない。断られることなど微塵も考えていない。完全なる決定事項だ。 「あ、えっと、今から回転寿司を食べに行こうかって話してて…」 一応かずやは私の顔色を伺っている。でも義母に一蹴された。 「そんなのいいから早く来なさい。最上家の人間が安っぽい回転寿司で夕飯を済ませるなんて関心しないわよ。お母さんは回転寿司なんて行ったことないもの。」 かずやは困ったように、けれどいつも通りの情けない苦笑いを浮かべた。 「あ、うん、分かった。今から行くね。」 電話が切れる。私は隣で呆れを通り越して深いため息をついた。 「お寿司楽しみにしてたんだけど。」 「まあまあ、せっかく予約してくれたんだし、行かないと後が面倒だろ。お母さんもよかれと思って言ってくれてるんだからさ。」 「まあまあ」とかずやは私の不満を封じ込める。連れて行かれたのは、近所でも少し値の張る和風ファミレス。和を貴重とした落ち着いた内装だが、高級和食店ではない。「各種お祝い承ります」という看板が掲げられた、ごく一般的なチェーン店である。 「まゆみちゃん、こっちよ。こっち。」 派手な花柄のチュニックを身にまとった義母が大声で手を振った。私とかずやが席につくなり、メニューも見せてくれずに義母は店員を呼ぶ。 「かずやはいつもの天ぷら御前だよね。あなたは揚げ物が好きでしょ。男はしっかり体力をつけなきゃ。」 「あ、うん。そうだね。」 いつもの天ぷら御前とは、豪華なエビがメインで他に刺身や茶碗蒸し。2480円でこれはだいぶお得だ。そして義母は私をちらりとも見ずに注文を続けた。 「まゆみちゃんはこの鍋焼きうどんでいいわね。この店の名物なんだから。ここのはダシが効いていて美味しいのよ。女性は体が冷えちゃいけないし。これがいいわね。」 「嫌です」という隙すらない。結局私の元に運ばれてきたのは890円の鍋焼きうどん。 「ほら、まゆみちゃんのこうかね。お鍋にぎっしり具材が詰まってる。いいでしょ?これが一番美味しいのよ。この店の名物だからね。」 確かにほうれん草、ネギ、椎茸、卵にかまぼこ、具材は多い。メニュー表の一番最初にデカデカと載っていて、名物であることも美味しいことも知っている。でもこれが一番美味しいのかは不明だ。私は鍋焼きうどんしか食べたことがないので、他と比較のしようがない。かずやの天ぷら御前との価格差、実に3倍であることにモヤモヤする。 うどんをすすっていると、少しおしゃれした人たちが個室の座敷に入っていく姿が目に入った。若い夫婦と両家の祖父母だと思われる。私と年の変わらない女性の腕の中で、ベビー服のロンパースを着た赤ちゃんが眠っていた。 「あらまあ、可愛らしいこと。お食い初めかしらね。」 義父は赤ちゃんにちらりと目をやって鼻を鳴らす。 「服がピンク色だ。女か。」 「ああ、本当。あれは女の子ね。」 しばらくして、その席に立派な鯛が運ばれていった。それを見た義母が身を乗り出して言う。 「まゆみちゃん、あなたも子供を産んだら必ずここでお食い初めをしなさいね。この店はすごいのよ。お食い初めから法事まで何でもできちゃうんだからね。」 「あ、はあ。」 スープの底に沈んだほうれん草を探しながら、私は愛想笑いを浮かべた。ここで母のスイッチが入る。 「そういえば、お隣の佐藤さんのところ、3人目が夏に生まれるんだって。3人とも男の子よ。すごいわ。」 すでに知っている話だった。義母は会うたびに繰り返す。当の本人はまるで初めて話すかのようだ。 「高橋さんのところのお嫁さんも、この前立派な後継を産んだのよ。女の子と来てやっと男の子。高橋さんも安心したでしょうね。」 この前生まれたという立派な後継は、もう一歳になっている。つまり1年間同じ話題なのだ。なんだったら生まれる前から「お腹の子、やっと男の子なんだって」と聞かされていた。後継の男の子どころか、高橋さんの顔も知らない私は、毎回どのような反応をすればいいのか悩む。 「そうなんですね。」 結局、当たり障りなく微笑むしかない。義父とかずやは無口な方だ。沈黙が続くより、おしゃべりな義母が場を盛り上げてくれるのはありがたい。でも一つ避けたい話題もある。孫の催促だ。 … Read more

11 September 2026

「おばさん、うちの母を見なかった?」4歳の子供が震える声でそう尋ねた時、私はすでに3人を自分の手で葬った女だった。夫を、長男を、次男を。一人で穴を掘り、一人で土をかけ、一人で立ち上がった。そんな私が、なぜ見知らぬ子供を背負って山を登っているのか。それは、あの日、麓の別れ道で女が子を探していると聞いた時から始まった。私は何も言わずに山を降りた。でも、そこにはもう誰もいなかった。そして今、私はこ…

「おばさん、うちの母を見なかった?」 4歳の子供が震える声でそう尋ねた時、おすずはすでに3人を自分の手で葬った女だった。夫を埋めた。長男を埋めた。次男を埋めた。1人で穴を掘り、1人で土をかけ、1人で立ち上がった。手を貸してくれる者はもう誰もいなかった。 石の浜が異国の兵に襲われたあの年、死が立つはずだった場所の真ん中で、守護の使いが声を張り上げていた。 「穀物は焼け。井戸は埋めよ。山に入れ。残していけば、奴らがそれを食って、さらに攻めのぼってくるぞ」 同じ言葉を何度も繰り返しても、人々は初め動かなかった。自分の穀物に火を放てと言われて、たやすく手を出せる者などいようか。誰もが互いの顔を見合ったまま立ち尽くしていた。 その時、一人の男が自分の蔵の戸を開いた。稲束を一束、二束と出し、火打ち石を打って火をつけた。炎が屋根に登ると、隣の家もその隣もまた開いた。あちらの家、こちらの家から稲束が引き出され、庭という庭に火の手が立った。穀物の焦げる匂いが甘く漂い、里一帯に広がった。人々はその匂いを嗅ぎながら、煙が空を覆う中を、人の波が山の方へと押し出されていった。そちらしか行く場所がなかったからだ。 その波の中に、4つになる金太がいた。母の裾を両手で握りしめ、引きずられるように歩いていた。人が多すぎて、子供の目には母の足しか見えなかった。母が急に足を止めてしゃがみ込むと、後ろから人々に押されながらも、子供を自分の膝の間に入れてかばった。子供の目の高さに母の顔があった。汗と埃で汚れた顔だったが、子供を見る目だけは他のどの大人とも違っていた。 母が自分の子育ての紐を歯で噛み切った。糸のほつれる音がした。それを子供の手に握らせた。そして子供の子育ての紐も噛み切り、自分の手に握った。 「母さんはお前のことを思っているからね。お前は母さんのことを思っておいで。なくしても、これを見せれば見つけてもらえるから」 子供が布切れを両手で包むように握った。母が立ち上がり、また子供の手を握った。後ろから人々が押し寄せ、反対側から荷を背負った男が二人の間に割り込んできた。握った手が滑った。母が指先で子供の袖口を掴んだが、それも人並みに引き離された。 子供は大人たちの足の間へ押し出され、転んだ。踏まれた。誰も踏んだことに気づかなかった。子供が這って足の隙間を抜け出し、ようやく立ち上がった時、目の前には見知らぬ背中ばかりが並んでいた。 「母さん」 声は人並みに飲まれた。もう一度呼んでも、誰も振り向かなかった。三度目に呼んだ時、声はもう出なかった。喉の奥で固まったまま、子供はただ口を動かした。 子供が握った拳を開いた。布切れが汗で手のひらに張り付いていた。それをまた固く握り、人波が流れていく方へ、大人たちが行く方へ従って歩き始めた。足元の土が硬く、草鞋の底越しに小石が食い込んだ。それでも立ち止まれば、この波に置いていかれることだけは、4歳の体でも分かっていた。 その人波が向かう山の入り口に、一人の女がいた。松の木陰の下に、土を持った小さな塚が三つ並んでいた。おすずが最後の土を手のひらで押し固めていた。爪の下がすっかり黒ずんでいた。三日かかった。一人で掘った。傍らの風呂敷包みには、死んだ三人が着ていた衣だけが入っていた。穀物は一粒もなく、何日も水しか飲んでいなかった。 おすずは墓の前に立った。膝が折れそうになったが、足に力を込めて堪えた。手を合わせなかった。一度膝をつけば、二度と立ち上がれないような気がしたからだ。ここまで運んできた三人の亡きがらを、ここまで一人で葬った女だった。誰かに手伝ってくれと言えば楽だったろうが、そう頼める相手もすでにいなかった。 里を振り返ると、下の道を人の波が流れていた。荷を背負う人、老いた親を背負う人、泣きながら歩く子供。皆、山の方へ向かってきていた。その中に見知った顔は一つもなかった。おすずは背を向けて山道を登り始めた。 日が傾き始めた頃、おすずが山道を登っていると、後ろでしきりに小さな足音がした。振り返ると、子供がいた。群れからはぐれた子供だった。子育ての片方の紐がなくなり、糸だけが残っていた。 おすずが手を振った。「あっちへ行け」 子供は立ち止まったが、おすずが歩き出すとまた足音がした。三度目に振り向いた時、子供が泣いた。 「おばさん、うちの母を見なかった?」 「見なかったよ」 そう言って背を向け、しばらく歩いた。百歩ほど進んだところで、後ろの足音が消えていることに気づいた。おすずは立ち止まったが、振り向かなかった。そのまま数を数えても、やはり足音がなかった。 引き返すと、子供が道端にうずくまり、片方だけの草鞋を脱ごうとしていた。草鞋の底が抜け、足の裏が擦りむけて血が乾いていた。もう片方の手は固く握り締められたままで、それでは脱げず、片手だけでもがいていた。 おすずが傍らにしゃがみ、子供の足を見た。これでは歩けない。かと言って、死体へ戻すこともできなかった。麓はもう奴らの世だったからだ。 おすずは山の上を見上げた。この山の奥に漁師たちが暮らしているという話を聞いたことがあった。どの辺りかは分からなかった。子供をこのまま置いていくことも、ここへ座り込んで共に朽ちることも、おすずにはできなかった。ただ、一人を失う痛みだけは、これ以上増やしたくないという思いだけが、ぼんやりと胸の奥にあった。 おすずが子供の前に背を差し出した。子供が這い上がってきた。首にすがりつくのに、片手は最後まで拳のままで、手首だけが引っかかった。おすずが立ち上がった。軽かった。それだけ食べていないということで、なお良くないことだった。おすずは何も言わずに山を登り続けた。 日が暮れかけた頃、峠を越えるとくぼんだ場所が現れた。掘っ立て小屋が並び、飯を焚く煙が低く立ち込めていた。老人が一人出てきた。虎蔵爺だった。手には縄を巻きつけ、おすずを上から下まで眺め回した。背に負われた子供を見た。荷を見た。 「ここには穀物はないぞ」 おすずは答えなかった。 「聞こえんのか。ここは12人でどんぐりで冬を越すかどうかだ。2人増えれば14人、皆死ぬぞ」 それは理に叶った言葉だった。何もない暮らしに口が2つ増えるということであり、老人はまず自分が守るべき者たちを先に数えていたのだった。 人々が一人、二人と小屋から出てきたが、誰も近づかず、皆、十歩ほど離れて立った。おすずが荷を抱え直した。七蔵が足を引きずりながら出てきて、戸口の柱を掴んで立ち止まった。おばばが手を前掛けで拭った。 おすずが背から子供を下ろすと、子供がおすずの後ろに隠れた。人々が子供を見た。子供の足の裏を見た。紐がなくなった跡を見た。誰も何も言わなかった。七蔵が唾を飲み込み、その音がはっきり聞こえた。おばばが口を開きかけて、虎蔵爺の方を見て閉じた。虎蔵爺が縄を巻いては解き、巻いては解いた。長い沈黙だった。子供だけがその沈黙を知らずに、おすずの裾を触っていた。 おすずが荷を下ろし、結び目を解いた。着物が広げられた。男物の子育てが一つ、女物の着物が一つ、男物の袴が一つ。どれも傷んでいないものばかりだった。新しくはないが、冬に重ね着するには惜しくないものであった。 虎蔵爺が着物を見て、それからおすずを見た。 「人の着物じゃな。誰か死んだのか」 虎蔵爺は言葉を続けられなかった。この着物があれば、冬を越せる人が増えます。穀物より勝ることもあります。裸で冬山を越す者にとって、あの布一枚が命だったからだ。 おすずが付け加えた。「この子の飯は私が稼ぎます。私は手も足も達者ですから」 虎蔵爺はしばらく立っていたが、己の腰袋を解き、どんぐりを一つ取り出して子供の前に置いた。「番から食わせろ」 するとおばばが自分の前掛けからもう一つ掴み出して置いた。七蔵が足を引きずりながら来て置いた。お松が片手で乳飲み子を抱えたまま、もう一つ掴みを置いた。名も知らぬ人々が一人ずつ近づいて置いていった。どんぐりの落ちる音が一つずつした。子供の膝の前に小さな山ができた。 虎蔵爺が背を向けながら、顎で向こうの橋を指した。「あそこの橋に秋小屋がある。先月、人が出ていった」 そう言って去っていった。子供がそれを見て、おすずを見上げ、どんぐりを一つ拾い自分の口へ持っていきかけて止まった。それからおすずの口に先に入れてやった。おすずの舌にどんぐりの苦みが広がった。子供はそれを見届けてから、ようやく自分の分へ手を伸ばした。 夜になった。松明の火が一つ燃えていた。子供が壁際で丸くなって眠っていた。おすずが子供の子育てを膝に置き、破れを縫った。片方の紐の場所に至って手が止まった。糸屑だけが残って開いていた。引き千切られた跡ではない。歯で噛み切られた跡だった。誰かがこの幼い子の前にしゃがみ込んで、自分の歯で紐を噛み切ったのだと知る手つきで、おすずはその場所を指先で撫でた。 おすずは余った布切れを取り出し、その場所に仮縫いにしておいた。糸をきつく結ばなかった。いずれ正式に縫い直すためだった。子供の手を見た。眠っていても拳のままだった。指を差し入れて開かせようとすると、子供が眠りながらもっと強く握った。おすずは手を引き、代わりに子育てをかけてやった。 おすずは縫い物をすることが恐ろしい人だった。縫えば、またいつか解かねばならないと信じていたからだ。それでもしばらくして寝返りを打ち、子供の方を見た。子供は片手を拳にしたまま、母の日もお手のひらに繰り込ませて眠っていた。松明の火が消えた暗闇の中で、おすずは長いことその小さな拳を見つめていた。 どうして行くに近すぎた?おすずは手足が達者だったから、どんぐり拾いにも山鳥にも山へ出た。子供は足の傷が癒えるまで小屋に置かれたが、おすずが戻る頃には戸口に出て座って待っていた。子供は自分の食べ物を先に人へ差し出した。粥を一晩もらえば、おすずの口へ先に一さじ運ぼうとした。痛くても痛くないと言った。4つで言葉は短く、「おばさん」と呼ぶ声だけがはっきりしていた。 夜には片手に布切れを握って眠り、その手はおすずが子育てを縫う時も開かなかった。ある深く眠り込んだ子供の手をそっと開いてみると、汗で張り付いた布切れがあった。おすずはそれをしばらく見つめ、また子供の手の中に戻して指を丸めてやった。子供が眠りながらそれを固く握った。 昼になると子供は庭を歩き回った。おばばが塩のそばに座っていると、子供がその横にしゃがみ込み、おばばの小話を目をぱちくりさせながら聞いた。おばばは自分の分の塩を粥に少し振りかけてやった。塩が貴重な山だったから、それは大きな心遣いだった。 七蔵は足の悪い男で、座ってする仕事ばかりをしていた。ある日、子供を手招きし、その足を膝の上に乗せて長さを測った。何日か座り込んで、大人の草鞋の半分ほどの小さな草鞋を編み上げた。爪先が可愛らしく狭く上がっていた。子供がそれを履いて庭を駆け回ると、乾いた土の上に小さな足跡が刻まれた。人々がその足跡を見て笑った。七蔵が一番喜び、「合うか合わないか」と何度も尋ねた。 虎蔵爺は子供を見て見ぬふりをしていたが、山から戻る途中、拾った山葡萄を子供の前にぽとりと落としてやった。子供がそれをおすずの手に握らせ、おすずが半分に分けて子供の口に入れてやった。ある夕餉には、おばばが自分の粥を子供の前に押しやり、子供がまた押し返して、一さじずつかわるがわる食べる夜もあった。 この山里に悪い者は誰一人いなかった。何もない暮らしの中でも、幼い者一人を飢えさせはしない人々だった。ただ、おすずだけは相変わらず距離を置こうとした。子供が寄り添っても、慰め方を知らなかった。子供が夜に寝つけず寝返りを打っていると、背をさすってやる代わりに、ただ横に座り手を添えることだけをした。 子供が眠りながら泣く夜があった。しゃっくりのように途切れる鳴き声だった。夢うつつに母を呼ぶと、おすずがその声で目を覚まし、子供を揺り起こさずに手を探して握った。子供がその手を握り返した。拳を作った手ではない。もう片方の手だった。日が開けると、子供はあの泣き声が嘘だったかのように出て、「痛くない、悲しくない」と言った。4歳の子がどこで自分の悲しみを隠す術を覚えたのか。おすずはそれを見るたびに黙って顔を背けた。 秋が深まるにつれ、山の一日はそれぞれの持ち場で回っていった。虎蔵爺は夜明けに罠をやり、七蔵は戸口に座って一日中草鞋を編み、おばばは塩の番をしながら小話を行った。おすずはどんぐり拾いに一倍遠くまで出て、人一倍遅く戻った。金太は柄杓で水を運んだ。小川から小屋まで大人の歩幅で二十歩ほどだったが、子供が汲んで戻る頃には半分もこぼれていた。それでも一日に何度も往復した。誰もそうしろと命じた者はいなかった。 夕方には粥が囲まれ、粥が分けられた。汁は一つ。粥は各自のものだった。金太はいつしかおすずの隣に座るようになっていた。誰がそうしろと言ったわけでもなく、子供が自分でその場所を選んで座り続けた結果だった。 … Read more

11 September 2026