「お前は私を厄介ものだと思わぬのか?」義父のその言葉に、私はただ首を振った。兄嫁は消門をどっさり貰い、私たち夫婦には年寄り一人の世話だけが押し付けられた。町中が私を気の毒がり、兄嫁を高慢な嫁と褒めそやした。それでも私は、焦げ飯を分け合い、布団一枚で震えながら、義父の着物を縫い続けた。すると義父は突然、糸を買えと言い、商いの秘訣を教え始めた。そして、兄嫁が私の店を潰そうと企んでいることに気づい…
深川の裏通りに、古びた平屋が一軒あった。屋根板は所々落ち、雨が降れば座敷まで漏ってくるような家だ。そこに、かつては名の知れた商人だった権蔵という老人が一人で暮らしていた。妻は十二年前に病で亡くし、店は十年前、同業者に騙されて一夜にして潰した。今は継ぎだらけの着物をまとい、細々と日を送る身の上だった。 ある朝、長男の安五郎とその嫁のお種が訪ねてきた。お種はうやうやしく頭を下げたが、その目は権蔵の着物を上から下まで舐めるように見ていた。台所を覗き込み、米びつが透けて見えるのを確かめると、唇に薄い笑みが浮かんだ。 「お父様、お暮らしが大変なようですけれど」 「構わぬよ。年寄りの一人暮らしなどこんなものじゃ」 お種は押入れや箪笥の引き出しを探るように目を動かしていた。何かを探しているのは明らかだった。帰り際、安五郎が古い糸巻きを見て「母上が好んでおられたものだ」と言うと、お種の目が一瞬光った。 その日の昼過ぎ、末の息子の九造と嫁のお杉が訪ねてきた。お杉の手には風呂敷包みがあった。 「お父様、私が漬けましたぬか漬けでございます」 「良いのに、お前たちが食べれば良いものを」 「私たちはまた漬ければ良いのです。お父様に召し上がっていただきたくて」 お杉はぬか漬けを皿に移すと、庭に出て野菜に水をやり、権蔵の湯飲みに水を注いだ。縁側の埃を払い、破れた障子に紙を張り、糸が絡まった糸巻きを丁寧に解きほぐして巻き直した。権蔵は黙ってその指の動きを見つめていた。 日が暮れて息子たちが帰った後、権蔵は古い長持ちから帳面を取り出した。最後のページまでめくり、筆を手に取って、そっと置いた。「まだ早い」と呟いて。 数日後、大家の手代がやってきて言った。「屋根板がまた落ちておりましたよ。大雨でも来たら大事になりますぞ」 その夕方、お杉が訪ねてきて屋根を見上げ、言葉を失った。 「まあ、こんなになるまで。お父様、なぜ早くおっしゃってくださらなかったのですか? 私が明日にでも板を手に入れてまいります」 「お前たちの暮らしも楽ではなかろうに」 「お父様のお住まいが先でございます。何を置いても雨をしのげねば」 お杉は近所の機織りの手伝いや賃仕事を請け負い、夜鍋に糸を紡いで少しずつ銭を貯めた。指先にまめをこしらえながら、板を買い、大工の与吉を呼んで屋根を直した。汗を拭いながら笑うお杉の手のひらには、潰れたまめから血が滲んでいた。 与吉は感心して言った。「お杉さんの旦那さんは幸せ者だ。こんな嫁さんはそういるもんじゃない。よその大仕事まで手伝って、自分の親でもない年寄りのためにこれほど尽くすとは」 お杉は顔を赤らめて言った。「お父様は九造の父上でございますもの。私の父上でもございます。それが通りと申しましょう」 数日後、お種が町の女房たちを連れてやってきた。新しくなった屋根を見上げて言った。「立派な屋根になりましたこと。私が大金を工面して大工を頼んだのですよ」 女房たちはお種を褒めそやして帰っていった。権蔵は何も言わなかった。 町には、権蔵のところにまだ財産が残っているという噂が広まった。誰が言い出したのか、消門や古番がしまい込んであるというのだ。お種はそれを聞いて、すぐに権蔵の元を訪ねた。 「お父様、もしやどこかにお残しになったものがございませんか? 私どもにも知らせてくださっても」 「ない」 権蔵の声はきっぱりとしていた。お種は疑いを残したまま帰っていった。 九造にも噂が届いた。お杉は静かに首を振った。「噂は噂ですよ。お父様がお暮らしに困っていらっしゃること、私たちが一番よく知っているじゃありませんか。屋根一つ直すのにあれほどのご苦労をされたのですから。もし本当に財産が残っていたら、あんな屋根を放っておかれるはずがございません」 その夜、権蔵は帳面に書きつけた。安五郎の名の横に「財を問うもの」、九造の名の横に「財を問わぬもの」。 間もなく、権蔵は二人の息子を呼び寄せた。座敷に並べ、しばらく黙って二人の顔を見つめていたが、やがて口を開いた。 「お前たちの父が最後に残したものがある。店が傾いても、これだけは守り通した」 風呂敷を解くと、中から消門と小判がいくつか出てきた。安五郎が息を飲んだ。 「これを安五郎に渡す。本家として家を継いで行きなさい。消門の始末はお前の役目じゃ」 安五郎の目に隠しきれぬ喜びの色が浮かんだ。 「九造、お前は私を引き取っておくれ。何も持たせられずにすまぬな」 「何をおっしゃいます。お父様。喜んでお引き受けいたします」 お杉はその知らせを聞くと、夫の手をそっと握った。「それがどうしたというのです。お父様をお世話するのが私たちの勤めですよ」 町は持ち切りだった。「本家は消番を手に入れて、弟の方は年寄り一人だけ引き受けるんだとさ。全く気の毒な話じゃないか」 お杉は広い方の部屋を権蔵に差し上げ、自分たちは土間の脇の狭い板の間で、布団一枚を分け合って寝た。夜中に権蔵の咳が聞こえれば、湯を沸かして持っていき、夜が明ける前に起き出して飯を炊いた。白い飯は権蔵の元へ。底にこびりついた焦げ飯に水を注いだものが夫婦の食事だった。 「俺たちの飯はこれか? これだけかい?」 「お父様に先にお出しせねばなりませんもの」 九造は黙って俯いた。お杉は笑って言った。「大丈夫ですよ。私たちは若いんですから。焦げ飯だって味噌を添えれば美味しゅうございます」 冬が近づき、深川の掘り割りにも薄氷が張るようになった。九造は大工仕事の合間に、隙間風の入る壁に古い布を詰め、権蔵の部屋だけは日当たりを絶やさぬようにした。お杉は夜鍋の手を休めることはなかった。 ある夜、権蔵が咳込む声で目を覚ました。お杉は慌てて隣の部屋に飛んで行った。 「お父様、大丈夫でございますか?」 「暗いじるでない。ただの年寄りの風邪じゃ」 お杉は湯を沸かし、生姜を刻んで差し出した。権蔵はゆっくりとそれを飲み干し、ため息をついた。 「お前は私を厄介ものだと思わぬのか?」 「何をおっしゃいます? お父様は私どもの大切な父上でございます。厄介などと思うことなど一度もございません」 その夜遅く、権蔵は目を覚ました。隣の板の間からかすかな衣ずれの音がする。そっと襖の隙間から覗いてみると、行灯の淡い明かりの下、お杉が一人で権蔵の着物のほつれを縫っていた。薄い夜着だけを羽織ったその肩は、寒さに小さく震えている。指先にはひび割れが浮かび、針を持つたびに顔をしかめていた。それでも手を止めることなく、一針一針丁寧に糸を通していた。 権蔵は音を立てぬようそっと襖を締め、しばらく闇の中で目を閉じていた。 翌朝、権蔵はお杉の手を取り、ひび割れた指先をじっと見つめて言った。「それはいつからじゃ」 お杉は慌てて手を引っ込め、笑って言った。「何でもございません。ただの水仕事のあれでございますよ」 … Read more