「あんたはずれ医者を引いたね。」
三つ上の姉が、私の夫の方をちらりと見て笑った。夫は部屋の入り口に立ったままだった。母が三年通っている大学病院の七階の談話室の隅。自動販売機の低い音だけが鳴っていた。
父は紙コップを持ったまま、笑いもせずに言った。
「大学病院じゃなくて町医者か。まあ、お前らしいな」
姉はかがんで私の顔を覗き込んだ。
「ねえ、あの人、ここじゃ何もできないんでしょ? ただの突き添いじゃない」
私は返事ができなかった。膝の上で指を組んだり外したりしていた。夫は何も言わなかった。両手を前で組んだまま、母の病室のドアの方を見ていた。言い返せる言葉がなかったわけではない。ただ、それだけは口にできない理由が私にはあった。
姉はもう一度笑った。
「まあ、あんたにはお似合いかもね」
この笑い声が、ほんの数日後に自分たちの方へ帰ってくることになるなんて。この時の父も姉も、そして私自身もまだ知らなかった。
私の名前は宮下ちひろ。いや、結婚してからは柏木ちひろ。あの時二十九歳だった。見木の山合いにある神号という町で、夫がやっている町立の診療所の受付をしている。
人口は千四百人ほど。信号は二つしかない。冬になると朝一番に雪かきをするのは診療所の前の道だ。そうしないとお年寄りが転ぶからだ。
結婚する前は市内の印刷会社で事務をしていた。伝票を打って、見積もりを作って、電話を取る。目立つ仕事ではなかったけれど、私はその仕事が嫌いではなかった。
家族は父と母と三つ上の姉。父の宮下正幸は六十一歳。地方銀行で支店長まで行って、今はその銀行の関連会社で役員をしている。人を紹介する時、必ず肩書きから言う人だ。
姉の香織は三十二歳。市内のアパレルで店長をしている。華やかで要領が良くて、昔から父のお気に入りだった。そして母のゆみ子は五十八歳。元は幼稚園の先生をしていた。
母は三年前に心臓の病気が見つかって、それからずっと病院と家を行ったり来たりしている。これは、その母が入院している大学病院で、あの笑い声から数日後に起きた一夜の話だ。
その夜のことを、私は多分死ぬまで忘れない。
子供の頃から、私はいつも姉と比べられていた。姉は何をやっても目立った。足は速いし、絵を描けば市内の展覧会に出るし、人前で話すことを怖がらなかった。授業参観の日、教室の後ろで父が一番嬉しそうな顔をするのは、いつも姉の教室の方だった。
私はその反対だった。かけっこは真ん中より後ろ。絵は下手ではなかったけれど、人に見せるのが恥ずかしかった。手を上げるのが苦手で、先生に当てられると声が小さくなった。
父はよく言った。
「お前は姉と違ってパッとしないなあ」
高校生になった頃、父の言い方は少し変わった。
「まあ、女の子だ。こんなんくらいは失敗するなよ」
その言葉を私は成人式の時も、就職が決まった時も、二十五歳の誕生日にも聞いた。父の中では、私の人生の合格点はそこにしかなかったのだと思う。姉も言った。
「あんたは地味なんだから、せめて相手選びくらい頑張りなよ」
そう言われるたびに、私は笑って「うん」と答えた。それを何百回も繰り返して、私はいつの間にか言い返さないことに慣れてしまった。
そんな家の中で、たった一人、母だけが違った。
小学五年生の時、私はマラソン大会で最後から二番目になった。父は何も言わなかった。姉は笑った。私はその夜、布団の中で泣いていた。
母は部屋に来て、私の背中をトントンと叩いた。
「ちひろはね、途中で転んだ子に手を貸したでしょう。お母さん見てたよ」
私は驚いて顔を上げた。誰にも見られていないと思っていた。
「順位はね、紙に書いてあるだけのものなの。でもあなたがしたことは、あの子の中に残るのよ」
私はまた泣いた。今度はさっきと違う泣き方だった。
母は私が生まれるまで幼稚園の先生をしていた。母は私が生まれてから家にいたけれど、一緒に街を歩くと必ず誰かが声をかけてきた。もう大人になった昔の園児が、母の顔を見て「先生」と呼ぶのだ。母はその度に少し考えてから、必ず名前で呼び返した。三十年前の園児の名前を、母は全部覚えていた。
「どうして覚えているの? 」と私が聞いたことがある。母はこう答えた。
「名前じゃないの。顔でもないの。あの子がどんな声で泣いた子だったかを覚えてるの」
私はその答えの意味が、その時は分からなかった。
高校を出て、私は市内の短大に行った。姉は東京の大学に行った。父は姉の入学式に行き、私の入学式には来なかった。「仕事が入っていた」と言われた。母は来た。式が終わって校門の前で写真を撮った。その写真を母は今も財布に入れている。私の写真が家にたくさん残っているのは、行事の度に母だけがカメラを持ってきてくれたからだ。
就職して四年目の時、私は一度だけ父に食ってかかったことがある。親戚の集まりだった。父が姉の話ばかりしていた。姉が東京でどんな会社に入って、どんな人と付き合っていて、どんな店を任されているか。
私はその日、台所でおばと一緒に皿を洗っていた。おばが悪気なく言った。
「ちひろちゃんはいつまで実家から通うの? 」
その一言で、私は座敷に戻って父にこう言った。
「お父さん、私の話はしないの?

」
座敷が静かになった。父は少し考えてから答えた。
「お前の話はまだないだろう」
私はそのまま台所に戻って、残りの皿を洗った。その夜、私が布団に入ってから母が部屋に来た。私は座敷で会ったことを話した。母は「うん」と言って、それ以上何も言わなかった。ただ、部屋を出る前にこう言った。
「ちひろ。お母さんはね、あなたの話をいくらでもできるよ。今夜話してあげようか」
私は「いい」と言って笑った。笑いながら泣いていた。
その母が三年前に倒れた。拡張型心筋症という病気だった。心臓の筋肉が薄く伸びてしまって、うまく血を送り出せなくなる病気だと医者は言った。治る病気ではない。薬で騙し騙し心臓の負担を減らしながら暮らしていく病気だ。
母が通うことになったのは、市内の大学病院だった。心臓を見てくれる県で一番大きな病院だ。最初のうちは二週間入院して、一月家に帰って、また入院してという繰り返しだった。それが去年の夏あたりから、家にいられる日がだんだん短くなった。この一年は、ほとんど病院で暮らしている。
母の病室は七階の東側にあった。四人部屋の窓際のベッドだった。窓からは市街地の屋根と、その向こうに低い山が見える。私は仕事の帰りによって、洗濯物を受け取って、他愛ない話をして帰った。母はその部屋でも人気があった。看護師さんの名前を母は全員覚えていた。夜勤の人と日勤の人の区別も、髪の結び方でついた。新しく入った看護師さんが点滴の針を刺すのに何度も失敗して泣きそうになっていた時、母は自分の腕を差し出したままこう言ったらしい。
「大丈夫。何回でもいいから。私の腕は練習台にしていいの」
隣のベッドには八十歳を過ぎたおばあさんがいた。息子さんが遠くに住んでいて、あまり見舞いに来られない人だった。母はそのおばあさんの話をよく聞いていた。カーテン越しに、何時間でも聞いていた。私が見舞いに行くと、母より先にそのおばあさんが「ちひろちゃん」と呼ぶことがあった。
「あんたのお母さんはね、聞き上手だよ。私はね、五十年前に死んだ夫の話を三回もしたんだよ。それでもちゃんと聞いてくれるんだ」
私はそのおばあさんに頭を下げた。それが母という人だった。
私は毎日は行けなかった。行けない日は電話をかけた。母のいる病室は個室ではなかったから、母はいつも電話室まで歩いていって電話に出た。歩くのが辛くなってからは、看護師さんが車椅子を出してくれるようになった。
「もしもし。ちひろ」
その声を聞くだけで、私は少し体の力が抜けた。父に何か言われた日、姉に笑われた日、夜布団の中で急に将来が怖くなった日、私は母に電話をした。
「今日はどうしたの? 声が疲れてる」
母は最初の一言でいつもそれを言い当てた。私は少しずつ話した。父が私の前で姉の話ばかりすること。姉が結婚した時、父が親族の前で「香織は昔から要領がいいから」と何度も言ったこと。私はその席でずっと料理を取り分けていたこと。
母は途中で口を挟まなかった。全部聞いてから静かに言った。
「ちひろ。あなたは姉さんと比べる必要なんてないの。あなたにはね、人の痛みに気づける優しさがあるの。それはお母さんがあなたの一番好きなところ」
私は電話を耳に当てたまま、廊下の隅にしゃがみ込んで泣いたことが何度もある。病院のベッドにいる人が、外にいる私を支えているのだ。そのことを父も姉も知らなかったと思う。
一つだけ、私が気になっていたことがある。母は談話室から病室に戻る時、いつも大学ノートを一冊脇に抱えていた。表紙が茶色い、どこにでもある薄いノートだ。一度私が見舞いに行った時、母がそれを膝の上で開いていた。私が入っていくと、母は何でもない顔でノートを閉じて、枕元の引き出しにしまった。
「何書いてるの? 」
「日記みたいなもの」
「見せてよ」
「だめ」
母は笑ってそれきりだった。そのノートに何が書かれていたのかを私が知るのは、ずっと先のことになる。
父は見舞いに行く度、母に会社の話をした。誰が出世した? どこの支店が大きい?
そういう話だ。母は「そう」と言って笑っていた。姉は月に一度くらい来て、写真を見せて帰った。旅行の写真や、新しい店の内装の写真だった。母は「綺麗ね」と言った。
母の薬のことは私が知っていた。朝と昼と夜の袋の色も覚えた。母が「今日は足がむくんだ」と言ったら、その意味が分かるようになった。
その春、私は二十八歳になろうとしていた。会社では後輩が二人増えて、教える側になっていた。同期はほとんど結婚して、何人かは子供がいた。別に焦っていたわけではない。ただ日曜の夕方に一人でスーパーの惣菜を買って帰る時、袋の重さが妙に軽く感じることがたまにあった。
その頃に、あの縁談の話が来た。話を持ってきたのは父の古い知り合いだった。父が銀行にいた頃の取引先だった会社の会長で、風間さんという人だ。八十二歳を過ぎて、今はもう半分引退しているけれど、昔から人の縁をつなぐのが趣味のような人だった。
ある日曜日の午後、風間さんが実家に来て、玄関先で父と長いこと話し込んでいた。私はたまたま実家に洗濯物を届けに来ていて、台所でお茶を入れていた。風間さんは座敷に上がると、私の顔を見て嬉しそうに目を細めた。
「ちひろちゃん、なあ、一人だけいい人がおるんだ」
差し出された身上書には、名前と生年月日と経歴が書いてあった。柏木修二、三十九歳、医者。私は少し驚いた。「医者」という文字が自分の人生の隣に並んだことが一度もなかったからだ。
父の顔つきがその時、明らかに変わった。背筋が伸びて、風間さんに向ける声が丁寧になった。
「先生ですか? それはどちらの? 」
風間さんは湯飲みを持ったまま、あっさりと言った。
「神号の診療所だ」
父の背中から、ふっと空気が抜けたのが分かった。
「神号ですか? 」
「うーん。町立のな。医者が一人の、小さいとこだ」
父は身上書をもう一度手に取って、上から下まで読み直した。読み終わってから机の上に置いた。置き方が、さっきより雑だった。
「大学病院にいらしたと書いてありますが」
「そう。前はな。四年前にやめて、神号に移ったんだ」
「やめて?
神号に? 」
その言い方に、意味が全部こもっていた。そこへ姉が来た。姉は仕事帰りに寄ったらしく、コートも脱がずに座敷の入り口に立って、身上書を横から覗き込んだ。そして「待って、町医者? 大学病院にいたのにやめたって。それ、やめたんじゃなくて出されたんじゃないの? 」
風間さんは何も言わなかった。ただ湯飲みを両手で包んだまま、少しの間黙っていた。それから私の方を見て、湯飲みを置いた。
「ちひろちゃん、いっぺん会ってみたらいい。話はそれからだ」
私は「はい」と答えた。断る理由が思いつかなかった。
見合いは、その次の月の日曜だった。場所は市内のホテルのラウンジだった。私は前の日に髪を整えて、当日は姉に借りた薄いベージュ色のワンピースを着た。姉は貸してくれる時、「それ、あんたには少し華やかすぎるかもね」と言った。
風間さんに連れられてラウンジに入ると、窓際の席に男の人が座っていた。先に来ていたらしい。背が高くて肩幅があって、姿勢が真っすぐだった。スーツは紺で、ネクタイは地味な色だった。真新しいけれど、新品ではないことが分かった。
その人は私たちに気づくと立ち上がって、深く頭を下げた。
「柏木です。今日はありがとうございます」
声が低かった。低いけれど、こもっていなかった。握手をするわけでもなく、名刺を出すわけでもなく、その人はただ椅子を引いて、私が座るのを待っていた。
最初の三十分は風間さんが話していた。父の若い頃の話とか、神号の道が最近やっと舗装されたとか、そんな話だ。その人はよく聞いていた。相づちが短くて、でも、いるべきところで必ず入る。やがて風間さんが「ちょっとタバコを」と言って席を立った。当然だ。
二人になると、テーブルの上が急に静かになった。私は何を話せばいいのか分からなくて、コーヒーカップの取っ手を握っていた。その人は私が黙っていることを気にする様子がなかった。窓の外を眺めて、それから私を見た。
「宮下さんは事務のお仕事だと伺いました」
「はい」
「どういうことをされてるんですか?
」
私は少し戸惑った。趣味とか、休みの日は何をしているかとか、そういうことを聞かれるものだと思っていた。私は伝票の話をした。印刷の仕事は、同じ紙でも厚みが違うと値段が変わること。急ぎの注文が入ると工場の段取りを組み直してもらわないといけないこと。それを電話で頼むのが、実は一番難しいこと。
話しているうちに、自分が思ったより長く喋っていることに気づいて、私は口をつぐんだ。
「すみません。つまらない話をして」
そう言うと、その人は少し驚いた顔をした。
「つまらなくないです。段取りを組み直してもらうのが難しいというのは、よく分かります」
こう言って、その人は初めて笑った。私の仕事も半分はそれです、と。私はその笑い方を覚えている。目の周りにしわが寄って、口はあまり開かない笑い方だった。それからその人は自分の町の話をした。神号という町は六十五歳より上の人が半分を超えていること。診療所は町が建てたもので、医者は自分一人、看護師と事務が一人ずついること。その人が患者の話をする時、目の色が変わった。
「うちに九十歳のおばあさんが来るんです。膝が悪くて、杖をついて坂を上がってくる。その坂がうちの前だけ急なんですよ。町に行って、去年やっと手すりをつけてもらいました」
その話をしている時、その人はテーブルの上の紙ナプキンに指で線を書いていた。私は思わず聞いていた。
「そのおばあさんは、その手すりを使ってくださいますか? 」
その人は顔を上げた。そしてゆっくりと言った。
「使ってくれます。この前、手すりを撫でながら『これ、あったかいね』と言われました。日が当たる方につけたんです」
私はなぜだか、その話で胸の奥が少し熱くなった。その時、テーブルの上に置かれていた携帯が短く鳴った。その人は「すみません」と言って席を立ち、ラウンジの外の廊下で話していた。話している時間は一分もなかった。戻ってくると、椅子に座り直した。
「失礼しました。町からでした」
「行かなくて大丈夫ですか? 」
「今日は、代わりの先生に診療所に入ってもらっています。月に一回だけお願いできるんです」
月に一回。つまりそれ以外の日は、この人しかいないということだ。この人には休みの日というものがないのだと、私はその時初めて気がついた。
その人は腕時計をちらりと見た。安い時計だった。ベルトが少し伸びていた。
「何時にお帰りですか? 」
「四時には出ようと思っています。六時前には町に戻れますから」
私は頷いた。外はまだ明るかった。窓の下を、休みの日の家族連れが歩いていた。この人はこれから一時間四十分かけて山へ帰るのだ。そして明日の朝、また八時四十分に診療所を開けるのだ。
その日の帰り、風間さんの車の中で、風間さんは何も聞かなかった。私も何も言わなかった。ただ、実家に着く直前に、風間さんはハンドルを握ったままこう言った。
「あの人はなあ、喋る言葉より、喋らん時間の方が誠実な人だ」
風間さんは私を実家の前で下ろして、そのまま帰っていった。母のいない食卓は、いつもどこか乾いている。姉が仕事帰りに来ていて、父はビールのコップを傾けていた。「会ってきた」と言うと、姉は箸を置いて、おかしくてたまらないという顔で笑った。
「で、どうだったの?
山の中の診療所の先生でしょ? 看板だけのあれじゃないの? 」
「肩書きのない医者は、医者のうちに入らんぞ」
「お見合いって当たりと外れがあるらしいよ。それは外れじゃないの? 」
私は俯いて黙っていた。私はそのまま自分のアパートに帰った。部屋の電気をつけて、コートも脱がずにベッドに座って天井を見ていた。不安だった。田舎の診療所、派手な肩書きもない。十年後、二十年後にどうなっているのかも分からない。父の言うことも、姉の言うことも、全くの的外れというわけではなかった。
私は携帯で「神号」と検索してみた。町のホームページが出てきた。トップの写真は棚田と、その向こうの山だった。人口は一千四百十二人と書いてあった。更新日は三ヶ月前だった。診療所のページは一枚しかなかった。診療時間と電話番号と休診日。それだけだった。写真も、先生の名前も載っていなかった。もう一度調べたけれど、口コミも評判も何一つ出てこなかった。
それでも私は、あの手すりの話を思い出していた。「日が当たる方につけた」といった人の顔を。私は携帯を手に取った。
「もしもし。ちひろ」
母の声は、少し息が上がっていた。談話室まで歩いたのだろう。
「お母さん、ごめんね。夜に」
「いいのよ。どうせ寝られやしないんだから」
私はその日、見合いをしたことを話した。診療所の前の坂に手すりがついた話も、「日が当たる方につけた」のだと聞いたことも話した。
「お母さん、相手は田舎の町医者なんだって。神号っていう町にある町立の診療所。お医者さんはその人一人なの」
母は「へえ」と言った。それだけだった。「お父さんとお姉ちゃんには、はずれだって笑われた」と話してから、私は少し後悔した。母に余計な心配をかけたくなかった。
母はしばらく黙っていた。談話室のテレビの音が、電話の向こうで小さくなっていた。それから母はこう聞いた。
「その人と話している時、あなたは苦しかった?
」
私はその質問を予想していなかった。苦しかったか? 私はその日のことを思い返した。コーヒーカップを握っていた自分。何を話せばいいか分からなかった時間。それをせかされなかったこと。伝票の話をしている間、あの人がずっと私の顔を見ていたこと。
「全然」
なぜか安心した。自分でそう言ってから、私は驚いた。「安心した」という言葉を、私は自分でも思っていなかった。
母は少し笑った。
「じゃあ、きっといい人よ」
「そんな、たった一回会っただけで」
「一回でいいの。肩書きより、あなたが安心できるかどうかの方が大事」
私は電話を握ったまま、しばらく何も言えなかった。母は続けた。
「あなたはね、小さい頃から人といると疲れる子だったの。お母さんはずっとそれを見てた。そのちひろが、安心したっていうのよ。それがどれだけすごいことか、あなたは分かってないでしょう」
私はベッドの端に座ったまま俯いた。
「お母さんは、あなたの選択を信じてる」
たった一言だった。父の反対よりも、姉の笑い声よりも、その一言の方が重かった。私は「うん」と言った。それしか言えなかった。
二回目に会ったのは、翌月の終わりだった。市内の駅裏の古い喫茶店だった。その人が「静かなところがいいので」と言って選んだ店だ。先についていたその人は、窓際の席でコーヒーを前に座っていた。私が近づくと、はっと目を開けた。寝ていたのだ。
「すみません」
「寝てました? 」
「いいえ」
「寝てましたよね」
その人は少し困った顔をして、それから正直に言った。
「昨日の夜、二回出たので」
「救急ですか? 」
「はい。一件目が十一時で、二件目が二時でした」
私はメニューを閉じた。
「あの、寝ててもいいですよ」
「そういうわけには」
「私、本読んでますから」
私はカバンから文庫本を出して、テーブルの上に置いた。その人はしばらく迷っていたけれど、やがて「十分だけ」と言って、腕を組んで目を閉じた。十分で起きるつもりだったらしい。四十分寝ていた。私はその間、本を読んでいた。一ページも進まなかった。眠っている顔は、思ったより疲れていた。目の下にはっきりとくまがあった。
この人は、こんな顔であの町に一人でいるのだ。そう思った時、私は自分がこの見合いを断らないだろうと分かった。その人は四十分後に目を覚まして、時計を見て本気で青くなっていた。
「申し訳ありません。四十分も」
「四十分、よく眠れました?
」
その人は耳まで赤くなっていた。私はその顔を見て、初めて声を出して笑った。
三回目に会った時、私はその人に「お母さんが入院しています」と話した。その人は母の病名を聞いて、少しの間黙った。
「大変な病気です。直すというより、うまく付き合っていく病気です。今の主治医の先生を信じて、続けてください」
余計なことは何も言わなかった。私はその言い方に救われた。今まで母の病名を言うと、大抵の人は「大丈夫だよ」と言った。その「大丈夫」という言葉がずっと苦しかった。
四回目に会った時、その人は初めて自分の話をした。
「私は四年前まで大学病院にいました。今、お母様がかかっている病院です」
私は驚いた。
「救急科でした。運ばれてくる人を最初に見る仕事です」
「どうしてやめられたんですか? 」
その人はしばらく答えなかった。窓の外を見て、それからこう言った。
「そこにいると、届かない場所があると分かったんです。それだけです」
私はそれ以上聞かなかった。聞いてはいけない気がしたというよりも、その人がその話をする時、少しだけ息が浅くなったからだ。その代わり、その人は私に一つだけ頼んだ。
「私が救急にいたことは、町の人にも、ご家族にも言わないでいただけますか? 」
「どうしてですか? 」
「言うと、比べられますから。比べられるのは、町の方です。それに、ご家族から誰かに伝われば、いずれ町にも届きます。神号の診療所は、大学病院の一部ではありません。あの町の診療所です」
「分かりました」
その約束を、私はこの後一年以上守り続けることになる。
五回目に、私は神号へ行った。私が「町を見てみたい」と言ったからだ。その人は少し困った顔をして「何もないですよ」と言った。市内からバスを二本乗り継いで、三時間近くかかった。バスは山を上がっていって、途中から乗客が私一人になった。終点の停留所で降りると、その人が車で待っていた。
町は本当に何もなかった。商店が三件と郵便局と農協の支所と小学校が一つ。小学校の校庭には遊具が三つしかなかった。診療所は坂の上にあった。クリーム色の四角い建物で、正面の壁のペンキが少しはげていた。
その人は坂の途中で車を止めて、手すりを指さした。
「あれです」
見合いの時に聞いた、あの手すりだった。銀色のパイプが坂の右側に沿ってずっと伸びていた。私は車を降りて触ってみた。日が当たっていて、本当に温かかった。診療所の中は静かだった。休診日だった。待合室には木のベンチが三つ並んでいた。その座面が真ん中だけ色が薄くなっていた。人が座り続けた場所だ。壁には町の地図が張ってあった。その時の私は、その地図をただの町内図だと思って、よく見なかった。
「ここ、冬は雪多いんですか?
」
「多いです。一メートル振ります」
「そうですか」
私が黙ると、その人も黙った。しばらくして、その人が口を開いた。
「宮下さん、ここは不便です。私はあなたに来てくださいとは言えません」
私はその言葉を聞いて、なぜか少しだけむっとした。来てくださいとは言えないって。それは、来ないでほしいということですか? その人は驚いた顔をした。そしてしばらく考えてから答えた。
「いいえ、私は来てほしいです。ただ、それを言うのがずるい気がしていました」
「ずるい人だったら、私、多分ここまで来ていません」
帰りのバスの中で、私は町の景色を見ていた。夕方の光が、色づき始めた田んぼに当たっていた。バス停に立っているのは、おじいさんが一人だけだった。私はその景色を怖いと思わなかった。自分でも不思議だった。
秋に、結婚が決まった。父は最後まで賛成しなかった。
「もう一度考えろ。お前は自分がどこに行くのか分かってないんだ。山の中だぞ。お前、あそこで何をして生きていくんだ」
姉は、結婚が決まったと伝えた電話でこう言った。
「ああ、まあいいんじゃない? あんたらしくて。でも言っとくけど、私は本気で言ってるからね。はずれ医者だって」
私はその電話を黙って聞いていた。その電話のことを、私は後で一度だけあの人に話した。「はずれ医者」という言葉まで、そのまま話した。あの人は、「そうですか」とだけ言って、それきり何も聞かなかった。あの人は言い返せなかったのではないと思う。言い返す必要が、もうないのだと思った。
私は電話を切ってから、そのまま病院に寄った。母のベッドの脇に座ると、母は私の手を取って、じっと私の顔を見た。
「ちひろ。顔つきが変わったね」
「どう? 」
「うん。変わった」
母はそう言って笑った。そしてこう続けた。
「お母さんね、結婚式には出られないと思う」
私は母の手を握り返した。
「でも、写真は絶対に見せてね。何回も見るから」
結婚の挨拶に伺う日は、結婚が決まってから三度決めた。三度とも、母の熱で流れた。次の日を決めようとした時、あの人は「無理をさせない方がいい」と言った。式はその年の十月にした。神号の町の古い公民館を借りた。招待したのは、両家の身内と診療所の関係の人たちと風間さんだけだった。父は来た。姉も来た。母は来られなかった。
料理は町の仕出し屋が作ってくれた。診療所に通っている人たちが、勝手に野菜を持ってきた。誰も頼んでいないのに、玄関に大根と白菜が積まれていた。父はその大根を見て、一言だけ言った。
「賑やかでいいな」
姉は写真を何枚か撮って、早めに帰った。その夜、私は母に電話をして、公民館の玄関に積まれた大根の話をした。母は電話の向こうで声を出して笑った。
「いいお式ね」
「お母さん、聞いてたの?
」
神号での暮らしは、私が思っていたのとは全然違った。診療所には医者の住む家がついていた。診療所の裏にある平屋の古い家だ。台所の床が少し傾いていて、冬は窓ガラスが内側から凍った。でも私はその家がすぐ好きになった。
朝六時に起きる。夫はもっと早い。私が起きる頃には、もう診療所の方に明かりがついている。診療所の職員は三人だった。医者は夫だけ。看護師は八島さん。事務の人が一人。その人が私が来たのと入れ違いに、隣の町へ引っ越した。それで私が受付に入ることになった。町の一年契約の職員という身分だ。役場の住民福祉課の大西さんが書類を持って、説明に来てくれた。
「奥さん、正直言うとね、助かるんですよ。うち、募集をかけても来ないもんで」
八島さんは六十二歳。若い頃からずっとこの診療所にいる。前の田村先生の代からだ。初めて挨拶をすると、八島さんは私の顔をじろりと見た。
「あんた、どのくらいいるつもりだね? 」
私は言葉に詰まった。田村先生が閉めた後、若い先生が来たこともある。二人とも、一冬も持たんかった。その後は一年十ヶ月、この町に医者がおらんかった。私はもう慣れた。八島さんはそれだけ言って、白衣の袖を通した。実際、私は自分がどのくらいここにいられるのか分からなかった。
受付の仕事は印刷会社の事務とは何もかも違った。保険証の確認をして、番号を打ち込んで、カルテを出す。ここまではいい。問題はそこから先だった。朝の八時四十分に診療所を開けると、もう玄関の前に人が並んでいる。八時に来ている人もいる。鍵を開けた途端に、待合室のベンチに座って、診察が始まるまでみんなで喋っている。私が受付に座ると、ベンチの三人が一斉に私を見た。
「あんたが先生の奥さんかね」
「どこの人だ? 」
「この人はね、市内から来た子だってよ」
私は「はい」と言って頭を下げるだけで精一杯だった。
診療は九時から始まって、昼の休みが一時間あって、午後は五時までだった。でも五時に終わったことは、私が来てから一度もなかった。五時を過ぎても人が来る。田んぼを片付けてから来る人がいる。バスの本数が少ないので、来られる時間が限られている人がいる。夫は来た人を全部見る。
夜は往診に出た。週に三日か四日、車で出ていく。帰ってくるのが九時を過ぎることもある。そして夜中に電話が鳴る。診療所には夜間の当番というものがない。町に一つしかない診療所だから、当番も何もない。夫の携帯がそのまま夜間の窓口だった。最初の月、私は夜中に三回起こされた。夫はその度に起きて、服を着て、往診鞄を持って出ていった。私は何もできなかった。玄関で見送って、布団に戻って天井を見ていた。
冬になると、それがもっと増えた。十二月のある夜、雪が降っていた。夜の十一時過ぎに電話が鳴って、夫が起きた。私も起きた。電話の相手は瀬尾みさ子さんという人だった。私より一つ上で、七歳の娘さんと二人で暮らしている。町の食品工場で夜勤をしている人だ。その夜、みさ子さんは工場にいた。家には娘の小春が一人でいて、熱を出していた。近所の人が気づいて、工場のみさ子さんに知らせた。みさ子さんはそこからうちへかけてきたのだ。
夫は「行きます」と言って、車のキーを取った。私は思わず言った。
「私も行っていい? 」
夫は少し驚いた顔をして、それから「はい」と言った。車で十五分ほど山を下ったところに、古い借家があった。玄関の明かりがついていた。近所のおばあさんが、小春の背中をさすっていた。小春は布団の上に座って、赤い顔をしていた。
夫は靴を脱いで上がると、鞄を置いて、まず小春の前にしゃがんだ。
「こんばんは。小春ちゃん。いつからしんどい?
」
「今日のお昼ご飯の後」
「どこが一番嫌? 」
「喉」
夫は体温を測って、耳と喉を見てから、胸に聴診器を当てた。それからおばあさんに「お薬手帳はありますか? 薬で発疹が出たことは? 」と聞いた。おばあさんが台所の棚から茶色い手帳を出してきた。夫はそれを一枚ずつめくって確かめてから、鞄から薬を出した。
「大丈夫。これは寝れば治るやつです。明日の朝まだ熱があったら、診療所に来てください」
小春は薬を飲んでから、夫の顔を見上げた。
「先生、明日もいる?
」
夫は頷いた。
「います」
「ずっと? 」
夫はもう一度頷いた。
「ずっといます」
帰りの車の中で、私は窓の外の雪を見ていた。
「あの子、なんであんなこと聞いたんだろう」
夫はハンドルを握ったまま、少し間を置いて答えた。
「あの子がまだ小さい頃、この町には先生がいなかったんです。あの子はそれを、お母さんから何度も聞かされているんです」
私はその時初めて、この町の一年十ヶ月の重さを少しだけ分かった気がした。
年が開けて、私が受付に慣れてきた頃、あの台帳を見つけた。払ってもらっていないお金の台帳だ。診療所の窓口では、患者さんが自分の負担を払う。金額は数百円から数千円だ。その台帳には、払われていない分が書いてあった。日付と名前と金額。私はそれを上から順に数えた。四十件を超えていた。一番古いものは三年前だった。私はその台帳を持って、診察室に行った。昼休みだった。夫は机で書き物をしていた。
「あの、これ、どうしましょう? 」
夫は台帳を受け取って、開いた。開いてすぐに閉じた。中を見なくても、何が書いてあるか分かっているという閉じ方だった。
「私が言ったんです。落ち着いてからでいいですよ、と」
私は少し言葉を選んでから聞いた。
「でも、これ、町のお金ですよね」
夫は私の顔をまっすぐ見た。
「そうです。だからお金を取らないんじゃありません。払えるようになるまで待つんです」
私は黙って聞いていた。
「この町は、お金が入る時期が決まっています。秋の米の代金と、二ヶ月に一度の年金の月です。その時期になると、みんな払いに来ます。五百円ずつでも持ってきます。三年前のあの人は、息子さんが事業をされ、それから連れ合いが手術をされて、今も苦しい。でも去年の秋に、三千円持ってこられました」
夫は台帳を私に返した。
「来なくなる方が、町にとっては損です。来なくなった人は、悪くなってから救急車で運ばれます」
私はその台帳を両手で持ったまま、しばらく立っていた。その日から、私は台帳の書き方を変えた。払われた日を赤で書き足すようにした。五百円でも、二百円でも書いた。赤い数字が増えていくのを見るのが、私はだんだん好きになった。
でも、町の中にはそう思わない人もいた。三月に、役場で診療所の予算の話があった。大西さんが困った顔で書類を持って、診療所に来た。
「先生、来年度の町から出すお金のことなんですが、町議会でまた出まして。町の一般会計から診療所に入れているお金が年々増えている。人口は減っている。だから議員の中には、常勤のお医者さんを置くのをやめて、週に二回、隣の病院から先生に来てもらう形にすればいいという人がいる。その方が安くつくと」
夫はその話を最後まで黙って聞いた。そして静かに言った。
「週に二回だと、その二回の日に具合が悪くなった人しか助かりません」
「そうなんですけどね」
「大西さん、すみませんが、数字を作ります」
その夜、夫は診察室の明かりをつけたまま、遅くまで残っていた。私は湯飲みを持って診察室に入った。夫は机の上に大きな紙を広げていた。神号の地図だった。古い紙の地図だった。町の全部の道と、全部の家が入っている。そしてその家の一つ一つに、鉛筆で数字が書き込んであった。私は覗き込んだ。家の脇に小さく数字が書いてある。九十四、九十八、百五、百十二。
「これ、何? 」
夫は鉛筆を置いた。
「その家から大学病院まで、何分かかるかです」
「全部の家ですか?
」
「はい。私がここに来た年に、全部回りました」
私は地図の上に目を走らせた。町の中心部でも九十分を超えていた。奥に行くほど数字が大きくなる。谷の一番奥の家には百二十と書いてあった。そして、その数字の脇に赤い丸がついている家がいくつかあった。
「この赤いのは? 」
夫は少しの間答えなかった。それからゆっくりと言った。
「冬に道が凍る家です。凍ると、この丸の家はどれも二時間を超えます」
私は地図から目が離せなかった。
夫は地図を丸めながら言った。
「町議会で説明する時、これを使います。医者を減らすと、この数字がそのまま人の命の話になりますから」
私は湯飲みを机に置いて、診察室を出た。廊下は寒かった。私はその時、あることに気がついた。この人は、この町に来た年に、全部の家を回ったのだ。なぜそんなことをしたのか、私はまだ知らなかった。
雪が溶けて、春になった。あの数字を夫が測った理由を私が知るのは、この年の十一月。この人が本当は何者だったのかを知るのは、その数日後の夜だ。
受付に座っていると、みんなが話しかけてくる。最初は「どこの人だ」だったのが、そのうち「奥さん、これ持ってきた」に変わった。葱だったり大根だったり卵だったりした。八島さんは相変わらず私に厳しかった。
「あんた、この町の人は耳が遠いんだよ。もっと大きい声で、もっと短く言いな」
私は言われるたびに直した。直しても、また別のことを言われた。でも五月の連休が開けた頃、八島さんが初めて私を名前で呼んだ。
「ちひろさん、悪いけど、これ先生に渡しといて」
それまで「あんた」だった。私はその時、思ったより嬉しかった。
小春はあの冬の夜から、私に懐いた。小学校が終わると、診療所に寄る。お母さんのみさ子さんが夜勤の日は、六時頃まで待合室のベンチで宿題をしていた。私は受付の中から声をかけた。
「小春ちゃん、宿題はもう終わった? 」
「うそ」
「算数」
小春ちゃんは絵を描くのが好きだった。ある日、画用紙を持ってきて、受付のカウンターに置いた。
「はい」
見ると、白衣の人が書いてあった。頭のところに黒い丸が二つと、大きい丸が一つ。その隣にもう一人、誰かが立っている。
「これ、先生? 」
「うん」
「じゃあ、この子は小春ちゃん?
」
「違う。これ、ちひろさん」
私は少し驚いて、絵をもう一度見た。白衣の人の隣に立っている人は、確かに大人の背丈だった。
「二人でいるから、病院なの」
私はその絵を受付の後ろの壁に貼った。みさ子さんは月に二回くらい診療所に来た。娘さんのこともあれば、自分の体のこともあった。腰を痛めていた。工場で重いものを持つらしい。みさ子さんはいつも窓口でお金を出す時、財布の中を長く見ていた。これは少し前、三月のことだ。みさ子さんが小さい声で、「今日は後でもいいですか」と言ったことがある。私は「はい」と言って、台帳に書いた。その次の月に、みさ子さんは全部持ってきた。
「すみませんでした」
「いいえ」
「あの、私、あそこに書かれるのがずっと嫌だったんです。でも、先生が『書いてください』って言うんです」
「書いてください? 」
「はい。『書いておけば忘れないから。忘れないってことは、待ってるってことだから』って」
私はその言葉を家に帰ってから思い出していた。待つというのは、そういう意味だったのか。
六月には町の集団検診があった。公民館を借りて二日間でやる。町の人の三分の一が来る。レントゲン車と技師の人たちは県から来てもらう。町の方は夫が見る。私と八島さん、保健師さんと、役場の人が二人。それだけで回す。私は受付の机に座って、名簿と問診表を配った。朝の八時前から、玄関の外に行列ができていた。長靴を履いたままの人がいた。自転車で来た人がいた。軽トラックの助手席に、近所の人を乗せてきた人がいた。
昼過ぎに、八島さんが私の隣に座って、お茶を飲みながら言った。
「ちひろさん、去年より人が多いよ」
「そうなんですか? 」
「うん。五十人くらい多い。あの先生が来てからね、毎年増えてる。田村先生の頃は、こんなに来なかった」
私はその名前で手を止めた。
「田村先生って、どんな先生だったんですか? 」
八島さんはしばらく黙っていた。そしてゆっくりと言った。
「いい先生だったよ。四十五年、この町で一人でやってた。私は二十二の頃から、その先生の元にいた。最後の何年かはね、先生も体が悪くてね。それでもやめられんかったんだよ。自分がやめたら、この町から医者がおらんくなるから」
「でも、閉められたんですよね」
「うん。ある日、診察中に倒れたの。これで娘さんが来て、無理やり連れて帰った」
八島さんは湯飲みを両手で持っていた。私はその時思ったよ。ああ、この町は終わるなって。私は返す言葉を持っていなかった。
「私は医者のおらん間、役場に回されとった。救急車、呼んでた。だからね、ちひろさん。私があんたに冷たかったのは、あんたが悪いんじゃないの。そのたびに、この町の人がちょっとずつ諦めるのを見てきたから」
私は何と答えていいか分からなかった。八島さんは湯飲みを置いて立ち上がった。
「まあ、あんたはまだ来て一年も経っとらん。あと八年やったら、認めてやる」
そう言って、八島さんは午後の受付に戻っていった。私はこの時、あと八年ここにいるという言い方を、嫌だと思わなかった。
夏になると、夫の往診が増えた。暑さで体調を崩す人が出るからだ。エアコンを使わない家が多い。もったいないと言って、扇風機だけで過ごすお年寄りがいる。八月のある日、夫が帰ってきたのが夜の十時過ぎだった。私が「遅かったね」と言うと、夫は台所で水を飲みながら答えた。
「谷の一番奥の川本さんのところです。薬が三種類あって、朝と晩で数が違うんです。それがごちゃごちゃになっていて、紙に描いてきました」
「紙に?
」
「はい。朝の分と晩の分を、絵で書いてきました。丸と三角で書くと、分かるんです」
私はその話を母にした。その夜、電話をかけた。十時半を過ぎていたけれど、母は起きていた。
「お母さん、今日ね、夫が夜に患者さんの家まで行ったの。おばあちゃんが薬を飲み間違えないように、丸と三角の絵で説明を書いたんだって」
母は電話の向こうで、嬉しそうな声を出した。
「いい人ね。ちひろ。お母さんね、あなたを大切にしてくれる人で安心した」
私は少し照れて、話をそらした。
「別に、私が大切にされてるわけじゃないよ。おばあちゃんが大切にされてるの」
「同じことよ。人を大切にする人は、あなたのことも大切にするの」
私は電話を持ち替えた。そして少しためらってから、聞いてみた。
「お父さんとお姉ちゃんはね、まだ『町医者だから』って言うの」
母は少しの間黙った。それから口を開いた。
「ちひろ。町医者だからはずれなんじゃないの。町の人に必要とされているなら、それは立派なお医者さんよ」
私はその言葉を、何度も思い出した。
秋になった。この町には九月の終わりに祭りがある。神社の境内に太鼓を出して、みんなで酒を飲むだけの祭りだ。診療所もその日は救護のテントを出す。私と八島さんと夫で、パイプ椅子を並べて座った。ほとんど誰も来なかった。転んだ子供が一人来て、絆創膏を張っただけだった。
その祭りで、私は診療所の外にいる鶴田源蔵さんを初めて見た。七十八歳、町の東の外れで一人で畑をやっている人だ。診療所には月に一回来る。血圧の薬をもらいに来る。でも源蔵さんはいつも様子が違った。窓口では私と普通に話す。八島さんとも話す。診察室に入ると、ほとんど喋らない。夫が「調子はどうですか」と聞くと、「変わらん」と答える。それだけだ。血圧を測って、薬をもらって、五分で出てくる。夫の方も、源蔵さんには多くを聞かなかった。
祭りの日、源蔵さんは境内の隅で缶ビールを持って立っていた。私はテントから出て、挨拶をした。
「鶴田さん、こんばんは」
「おお。奥さん、こんなとこにおって面白いか? 」
「面白いです」
「そうか」
源蔵さんは太鼓の方を見ていた。しばらくして、缶を持ち替えていった。
「うちのばあさんも、この太鼓が好きだった」
私は「そうですか」とだけ言った。源蔵さんはそれ以上何も言わなかった。缶ビールを飲み干して、片手を上げて帰って行った。
テントに戻って、私は夫に聞いた。
「鶴田さんの奥さんって」
夫はパイプ椅子に座ったまま、太鼓の方を見ていた。
「五年前に亡くなられました」
「病気だったんですか? 」
「はい。冬でした」
夫はその後、何も言わなかった。私は夫の横顔を見た。祭りの提灯の明かりが、その顔の半分だけを照らしていた。
十月の第二週に、大きい台風が来た。前の日からテレビはずっとその話をしていた。町の防災無線が朝から三回鳴った。夫は昼のうちに点滴の在庫と酸素ボンベの数を数えていた。私は待合室の窓に養生テープを貼った。八島さんが「そんなもん貼っても、割れるもんは割れるよ」と言いながら、隣でテープを切ってくれた。
夕方から雨が強くなった。七時頃、停電した。診療所の裏には小さい発電機の小屋がある。夫が来た年に、町に交渉して建てたものだ。夫はカッパを着て外に出て、十分ほどで戻ってきた。待合室の非常灯がついて、診察室の明かりが戻った。
「これで朝までは持ちます」
裏の家の方は真っ暗だったので、私たちは診療所の待合室にいることにした。残ったのは私と八島さんと夫の三人。家が近いのに、八島さんは「帰らん」と言って動かなかった。
「こういう夜はね、必ず何かある」
八島さんは四十年でそれを覚えたのだと言った。雨は九時を過ぎて一番強くなった。窓に当たる音が、雨というより砂の音に近かった。十時二十分に防災無線がまた鳴った。町の東側で山が崩れたという放送だった。県道が塞がれて、通れなくなったと。崩れたのは町から市内へ下る方で、鶴田さんの家よりずっと下だった。
私は思わず地図を見た。壁に張ってある、あの地図だ。東側の県道。町から市内へ出る、たった一つの道だ。
「これ、市内に出られないってこと? 」
「そういうことだね。迂回路はないよ。山のヘリはこの風じゃ飛べんよ」
「夜は元々飛ばない決まりです」
夫が地図から目を離さずに言った。夫は地図の前に立って、しばらく見ていた。電話が鳴ったのは、十一時四十分だった。診療所の電話ではなく、夫の携帯だった。夫は二階の廊下で出た。そしてすぐに立ち上がった。
「鶴田さんですね。今どこにいますか?
胸ですか? いつからです? 分かりました。今から行きます。玄関の鍵は開いていますね。動かないで。そのまま横になっていてください。歩かないで」
電話を切ると、夫はもう白衣を脱いでいた。
「八島さん、心電図の準備を。ちひろさん、診察室のベッドを開けてください」
「鶴田さんなの? 」
「はい。胸が痛いと」
私は診察室に走った。八島さんはもう心電図のコードを解いて、電極を並べていた。手が早かった。四十年というのは、こういうことなのだと思った。夫が出ていって、三十分ほどで戻ってきた。隣の家の人が運ぶのを手伝ってくれたのだと、後で聞いた。助手席のシートは倒してあった。源蔵さんはカッパのまま横になっていた。顔が灰色だった。
夫と私で寝かせたまま担架に移した。夫は源蔵さんのカッパを脱がせ、診察室のベッドに寝かせて、心電図の電極を貼った。八島さんが血圧と脈と酸素の値を読み上げた。心電図が出てきた。夫はそれを二秒見て、こう言った。
「心臓の血管が詰まっています。心筋梗塞です」
八島さんが「はい」と言って、点滴の準備を始めた。夫はベッドの脇に立って、源蔵さんの顔を覗き込んで言った。
「鶴田さん、今から聞くことに正直に答えてください。血をサラサラにする薬は飲んでいませんか?
」
「飲んどらん」
「最近、頭を打ったことは? 」
「ない」
「大きい手術はこの三ヶ月でしていませんか? 」
「しとらん」
「頭の血管をやったことは? 」
「ない」
夫は寝かせたままレントゲンを一枚取って、源蔵さんの両方の腕の血圧を測った。
「解離している様子はありません」
何が解離していないのか、その時の私には分からなかった。後で聞いたら、胸の太い血管が裂ける病気があって、それだけは先に外しておかないといけないのだと言われた。
夫は電話の方へ行って、受話器を取った。消防に電話をしていた。県道が塞がっているので、救急車が市内に出られない。開通の見込みを聞いていた。夫の声は全く上がらなかった。
「四時間ですか?
分かりました。こちらで待ちます」
その後、夫はもう一本かけた。母がかかっているのと同じ、市内の大学病院だった。名前と胸の痛みと心電図のことを短く伝えて、これから薬を使うことと、道が開き次第そちらへ運ぶことを言っていた。返事はすぐに来た。電話を切ると、夫はもう一度ベッドの脇に戻った。
「鶴田さん、道が開くまで四時間かかります。このままにはできません。ここで詰まっているものを溶かす薬を使います」
源蔵さんは天井を見たまま、何も言わなかった。夫は続けた。
「危ない薬です。血が止まりにくくなります。でも使わなければ、心臓の筋肉が死んでいきます。使わせてください」
私はその薬を知っていた。夫がこの町に来た年に、町に頼んで置いてもらったものだ。五年の間、一度も使わずに、期限が来るたびに入れ替えてきた薬だった。源蔵さんはしばらく黙っていた。それから目だけを動かして夫を見た。そして低い声で言った。
「あんた、うちのばあさんの時も、そう言ったか」
診察室が静かになった。雨の音だけが窓の外で鳴っていた。夫は目をそらさなかった。
「言えませんでした。間に合わなかったので」
私はその二言の意味が分からなかった。ただ、聞いてはいけないことを聞いた気がして、何も言えなかった。源蔵さんは夫の言葉を聞いて、何度か頷いた。そして腕を出した。
「やってくれ」
夫は「はい」と言った。八島さんが点滴を管理して、夫がずっと源蔵さんの横にいた。心電図の機械の音がずっとなっていた。私は何もできなかった。タオルを出して、湯を沸かした。それぐらいだ。
夫はその夜の間、ほとんど源蔵さんのそばを離れなかった。血圧を測って、心電図の波形を見て、点滴の落ちる速さを変えて、また血圧を測る。それを何度も繰り返していた。その間、夫はずっと源蔵さんに話しかけていた。
「鶴田さん、今何時か分かりますか? 」
「一時か」
「午前零時四十分です。道が開いたら、すぐに運びます」
「先生、わし、大根がなあ」
「大根は逃げません」
源蔵さんが少し笑った。私はその間、何度も消防に電話をかけた。私が「まだですか」と聞くたびに、向こうは「土砂をどけています」と言った。同じ返事が何度も続いた。そのうち「もう少しです」と言われた。八島さんが私の背中に手を置いた。
「ちひろさん、座りな。あんたが倒れたら、こっちの手が減る」
私は椅子に座った。座ってから、自分の膝が小刻みに揺れているのが分かった。
午前一時を過ぎた頃、機械の音が急に速くなった。源蔵さんの手から力が抜けた。私は立ち上がっていた。夫の声が飛んだ。
「八島さん」
「はい」
夫はもう電気ショックのパッドを源蔵さんの胸に張っていた。離れて、短い音がした。源蔵さんの体が跳ねた。機械の音がゆっくりになった。夫は源蔵さんの首に指を当てた。そしてこう言った。
「戻りました」
私はその時、床に座り込んでいた。立とうとしても、膝に力が入らなかった。夫は私の方を見なかった。源蔵さんの手を握って、耳元でこう言っていた。
「鶴田さん、まだいてください」
その声は大きくなかった。でも、はっきりと聞こえた。
午前四時前に、県道が開通した。救急車が来て、源蔵さんを乗せた。夫も一緒に乗った。私は診療所の玄関で見送った。赤い光が雨の中を下っていって、山の影に消えた。八島さんが私の隣に立っていた。
「ちひろさん、あんた震えてるよ」
私は自分の手を見た。本当に震えていた。八島さんはそれを見て、ぽつりと言った。
「あの先生はね。若い先生が二人続けて行って、それから一年十ヶ月後に来たんだよ。来た日にね、あの人、いきなり車で出て行ったの。診察も何もしないで。何日も朝から晩まで。八島さん、それって何ですか。聞いたけど、教えてくれんかった」
私は待合室の壁の地図を思い出していた。数字の書き込まれた、あの地図を。
朝の八時前に、夫から電話があった。源蔵さんは市内の病院でカテーテルの治療を受けて、命に別状はないということだった。私は電話を切ってから、待合室のベンチに座って、しばらく動けなかった。窓の外は、嘘のように晴れていた。
その日の昼過ぎ、夫が帰ってきた。一睡もしていない顔だった。私が「お帰りなさい」と言うと、夫は「ただいま」と言って、そのまま診察室の椅子に座って書類を書き始めた。
「休まないの? 後で向こうの先生に経過を書いて送らないといけないので」
私は湯飲みを机に置いた。その時、夫の携帯が鳴った。夫は電話に出て、「はい、柏木です」と名乗った。相手は病院の人らしかった。夫が名乗った瞬間に、電話の向こうが黙ったのが分かった。夫の返事がそこで一度途切れたからだ。それからは、夫が口を開くたびに、次の言葉までの間が長くなった。向こうが何かを言いたがっているらしかった。夫はそれを「はい」と短く受けるだけだった。夫は淡々と、源蔵さんの薬の名前と経過を伝えて、「よろしくお願いします」と言って切った。
「今の人、知り合い? 」
「いいえ。受付の、研修中くらいの人でした」
私はそれ以上聞かなかった。あの人がその病院を出たのは、もう五年も前のはずだ。それなのに、なぜ?
答えは出なかった。私はまた受付の名簿に戻った。
台風から三週間が経った。十一月の初めだった。母の主治医から父に連絡が入った。母の心臓の力が、また一段落ちたという話だった。今までの飲み薬では血圧が保てなくなってきたので、点滴の薬を始めると。その点滴は二十四時間ずっと入れ続けなければならないものだった。腕の細い血管では持たないので、首元から太い管を入れることになった。私はその説明を、父からの電話で聞いた。
「土曜に説明があるから来い」
「うん」
「香織も来るのか? 」
「行けたら行くと思う」
「まあ、来ても意味はないがな」
電話はそれで切れた。土曜日、私たちは市内へ行った。その日も午前中は診療がある。夫はそれを終えてから車を出した。病院に着いたのは三時過ぎだった。七階の談話室に、父と姉が先に来ていた。母はベッドで眠っていた。首元に白いテープで止められた管が入っている。管は点滴のスタンドにつながり、小さいポンプが静かに音を立てていた。私はその管を見て、少しの間立ち止まった。母が前より痩せたのが、頬の形で分かった。
主治医の話は、廊下の奥の小さい部屋で聞いた。長い説明ではなかった。今の状態と点滴の薬のことと、これからどうなっていくかということ。医者は言葉を選んで、慎重に喋っていた。夫はその説明の間、一言も口を挟まなかった。ずっと俯いて聞いていた。説明が終わって医者が出ていくと、父が背もたれに寄りかかって、大きく息を吐いた。そして夫の方を見た。
「柏木さん、あんた、専門は何だったかな? 」
「今は町の医者です」
「そうじゃない。専門だよ」
「内科も外科も、来た人を見るだけですので」
「ああ、なんでも屋か。今は風邪とか血圧か」
姉がその横で笑った。
「柏木さん、こんな大病院に来ると、田舎のお医者さんは肩身が狭いんじゃないですか? 大学病院の先生とは、そもそも格が違うもんね」
私はテーブルの下で拳を握った。夫は顔色を変えなかった。膝の上に手を置いたまま、静かに答えた。
「お母様の容態が落ち着くことが一番です」
それだけだった。父はその返事に、少し押されたような顔をして、それ以上は何も言わなかった。
帰りの車の中で、私はずっと窓の外を見ていた。山に入る頃には、もう暗くなっていた。ヘッドライトが道の両側の杉を切り取っていた。
「ごめんね」
夫は「何がですか?
」と言った。この人は誰に対しても敬語を崩さなかった。崩れるのは、小さい子に話しかける時と、私と二人きりの時だけだった。
「うちの父と姉が」
「気にしていません。私が気にする」
私は自分の声が震えているのが分かった。
「あの人たち、あなたのこと何も知らないのに」
しばらく車の音だけが続いた。やがて夫が言った。
「私のことは気にしなくていいです。あの場で言い返してお父さんとお姉さんが不機嫌になったら、困るのはお母様です。お母様が少しでも安心して眠れることの方が大事です」
私は俯いた。この人はいつもそうだった。自分のことはいつも後回しだった。その優しさが、母が悪くなってから、私には少し辛くなっていた。
十一月の半ばに、母の状態がまた落ちた。点滴の量が増えて、母はベッドから起きられなくなった。車椅子にも移れないので個室に移り、電話はベッドの上でするようになった。母の声は前より細くなっていた。
「もしもし。ちひろ」
「うん」
「ごめんね。声出にくくて」
「いいよ。ゆっくりで」
母はそれでも、私に「そっちはどう」と聞いた。私は診療所の話をした。八島さんに怒られたこと。小春が絵をくれたこと。源蔵さんが退院して、また薬を取りに来たこと。母は大抵「うん」と言うだけだった。でも、話終わると必ずこう言った。
「ちひろ。いい声してる」
私はその時は「うん」と答えただけだった。その月、私は何度も市内へ行った。神号から市内までは車で片道一時間四十分。夫は診療のない土曜の午後と日曜に、その道を往復して私を運んでくれた。出かける前には必ず、隣の病院に電話をした。急な連絡だけは回してもらえるように頼んでから、車を出した。それでも夫は、山を降りる間中、携帯を膝の上に置いたままだった。
病院に着くと、夫は大抵ロビーで待った。あの説明の日のように、夫が七階まで上がる時も、使うのは正面玄関のすぐ横にあるエレベーターだけだった。一階の奥に救急の入り口があると私が知ったのは、随分後になってからだ。
「一緒に来ればいいのに」
「お母様が、ちゃんと座って話せる日に会いたいと」
「うん。この前、そう言ってた」
「では、その日まで待ちます」
私は七階まで一人で上がった。母は日に寄って、喋れる日と喋れない日があった。声が出ない日は、私が喋った。診療所のことや天気のことを話した。母は目だけを動かして聞いていた。三十分いて、帰る。エレベーターで一階まで降りると、夫はロビーの隅の椅子に座っていた。膝の上で手帳を広げて、何か書いていることが多かった。
「お待たせ」
「どうでした? 」
「今日はあんまり」
「そうですか」
夫はそれ以上は聞かなかった。ただ、駐車場までの道で私の歩く速さに合わせて歩いた。帰りの車の中で、私は眠ってしまった。山道に入る辺りで目が覚めた。窓の外は真っ暗で、対向車のライトがたまに流れていくだけだった。私はその景色を見ながら、いつも同じことを考えていた。一時間四十分。母のところまで一時間四十分。夫が数えていたのと同じ数字が、今、私自身の生活の中にあった。
神号に着くと、大抵六時を回っていた。診療所の留守番電話が点滅していることがあった。夫はコートも脱がずにそれを再生した。聞き終わると、また車のキーを持って出ていく日もあった。私は玄関で見送りながら、心のどこかでこう思うようになっていた。この人は、私の母のところへもこうやって走ってくれるだろうか。そう思ってしまう自分が嫌だった。
十一月十八日のことだった。母の顔を見に、私は夫の車で市内へ行った。母は眠っていた。私たちは病室を出て、七階の談話室に行った。自動販売機の前に父と姉が立っていて、父は紙コップを持っていた。私は隅の椅子に座った。そこで、姉のあの言葉を聞いた。
「あんた、はずれ医者を引いたね」
姉が笑い終わっても、夫は何も言わなかった。両手を前で組んだまま、母の病室のドアの方を見ていた。私は膝の上で組んだ指に、力が入っていくのが分かった。
「お姉ちゃん、何? 」
「冗談で言ってるんじゃないよ。お母さんに何かあった時、あの人に何ができるの? 」
私は何も返せなかった。返せる言葉がなかったのではない。あの人が救急にいたことは、誰にも言わないと約束していた。
その翌日から、電話が来た。「話がある。病院じゃなくていい。家に来い」と。私は市内へ行った。夫は診療所に残った。その日は往診の約束が二件入っていたからだ。実家の座敷で、父と姉が待っていた。父は湯飲みを両手で持って、しばらく黙っていた。それから静かに言った。
「ちひろ。母さんは多分、長くない」
私は何も言えなかった。
「主治医の言い方でな、分かる。俺も長く仕事をしてきた」
姉が隣で目頭を抑えていた。父は続けた。
「お前、市内に戻ってこい」
私は顔を上げた。
「神号から二時間近くかかるんだろう。母さんに何かあった時、間に合わん。アパートは俺が借りてやる。仕事も探せばある。柏木さんだって、それなら仕方ないと言うだろう」
私は父の言っている意味が、途中まで分からなかった。分かった時、体が冷たくなった。
「離婚しろって言ってるの?
」
父は答えなかった。答えないということが、答えだった。姉が口を開いた。
「ちひろ。私、意地悪で言ってるんじゃないよ。あんた、この一年ずっと疲れた顔してる。山の中で受付やって、旦那は夜中に呼び出されて。それ、あんたが望んだ人生なの? 」
私は姉の顔を見た。姉の目は笑っていなかった。
「お母さんが元気なうちに、戻っておいでよ」
その夜、私は神号に帰らなかった。実家に止まって、自分が使っていた部屋の布団で寝た。天井の木目が、昔と同じ形をしていた。眠れなかった。明け方に、私は夫に電話をした。夫はすぐに出た。診療所にいる声だった。
「起きてた? 」
「はい」
「あのね」
私は父に言われたことを話した。全部話した。姉に言われたことも話した。夫は最後まで黙って聞いていた。そして短く言った。
「行っておいで」
私は耳を疑った。
「お母様のそばにいた方がいい。今はそれが一番大事です」
「それ、どういう意味? 」
「言葉の通りです。診療所のことはいいから」
私は電話を握りしめたまま、しばらく黙っていた。そして口を開いた。
「あなたは、私にいてほしくないの?
」
そう言ってしまってから、後悔した。夫は少し間を置いて、こう答えた。
「私は、そばにいられなかったと後悔する人をたくさん見てきました。あれは後から取り返せません。だから、行ってください」
私は電話を切ってから、布団に顔を埋めて泣いた。この人は、自分のそばから私がいなくなることを、こんなに簡単に言う。
その日のうちに、私は神号に戻った。戻ると決めたわけではない。ただ、荷物を取りに帰ったのだ。自分でもそう思っていた。診療所の玄関を開けると、待合室にいつもの顔が並んでいた。八島さんが私を見て、何も聞かずにカルテを一枚渡した。
「十番、鶴田さん、呼んで」
私は白衣を着て、受付に座った。源蔵さんは市内の病院から退院してきていた。診察が終わって会計を待つ間、源蔵さんは待合室のベンチに座っていた。他に患者は、もういなかった。私が窓口から声をかけた。
「鶴田さん、もう畑に出てるって聞きました」
「出とる。大根を抜かんと間に合わん」
私は笑った。源蔵さんはしばらく黙っていた。それから、こちらを見ずに言った。
「奥さん。あんた、うちのばあさんのこと、旦那から聞いたか? 」
私は手を止めた。
「五年前に亡くなられたとだけ。あの台風の夜のことも、聞けないままで」
「そうか」
源蔵さんは膝の上で両手を組んだ。指の関節が太い。畑仕事の手だった。
「五年前の二月だ。夜の十一時頃だったな。ばあさんが台所で倒れた。胸が痛いと言うとった。田村先生が閉めて後に来た若い先生も出ていって、その時はもう一年以上、誰もおらんかった。救急車を呼んだ。来るまでに二十分かかった。そこから市内の病院まで、二時間十五分だ。道が凍っとったからな」
私は壁の地図を思い浮かべた。町の東の外れ。あの辺りの数字は、確か百を超えていたはずだ。
「途中でばあさんの息が止まった。病院に着いた時には、もう」
源蔵さんはそこで一度、言葉を切った。そしてこう言った。
「あの晩、病院でばあさんを受け取ったのが、あんたの旦那だ」
私の耳の奥で、何かが鳴った。
「白衣着て、廊下で待っとった。わしが着いた時には、もう待っとった。ばあさんを部屋に入れて、長いことやっとった。出てきて、頭を下げて『申し訳ありません』と言った。わしはな、その先生にひどいことを言った。『あんた、医者だろう。なんで助けてくれんかった』『金は払うから、助けてくれ』と。そう言った。あの先生は何も言い返さんかった。わしが言い終わるまで、じっと立って聞いとった」
源蔵さんはそこで少し笑った。笑ったのに、目が濡れていた。
「わしはなあ、あれから、医者という人間をずっと恨んどった。そしたら、その夏だ。町に医者が来るという。役場の大西さんが嬉しそうに言いに来た。名前を聞いて、わしは椅子から立てんかった。あの晩の先生だった」
窓の外で風が鳴っていた。
「わしはしばらく診療所に行かんかった。行けるわけがなかろう。あんなことを言ったんだ。そしたら、あの先生の方からうちに来た。畑におった。夏の暑い日だった。あの道を歩いてきて、麦わらも被らんで、わしの前に立って、こう言った」
源蔵さんはそこで少し息を整えた。そして夫の言い方を真似た。
「『鶴田さん。お宅の家から病院まで、車で一時間五十二分でした。冬に道が凍ると、二時間を超えます。だから、私はここにいます』」
私は口を押さえた。
「それだけ言って、帰った。わしはその日から、あの先生を恨むのをやめた。あの晩、あの先生もそこにおったんだ。わしのばあさんが死ぬのを、そこで見とったんだ。わしは自分のことばっかり考えとった」
源蔵さんはゆっくりと立ち上がった。私は窓口に戻って、会計の紙を出した。源蔵さんはそれを受け取って、財布の中を探った。そして玄関を出ていく時、振り返らずに言った。
「奥さん。あんたの旦那はな、逃げてきたんじゃない。あれは、来たんだ」
診療所が静かになった後、私は待合室の壁の前に立った。張ってあるのは色あせた紙の地図だった。町の全部の家に、鉛筆で数字が書き込まれている。九十四、九十八、百五、百十二。そして赤い丸。私は東の外れを指でたどった。「鶴田」と小さく書いてある家があった。その脇の数字は百十二。百十二分。さっき源蔵さんが言った、一時間五十二分だ。赤い丸がついていた。私はその丸を指でなぞって、しばらくそこに立っていた。
地図の使い道は聞いた。でも、なぜ来てすぐに測ったのかは、一度も聞かなかった。分かってしまえば、簡単なことだった。この人は、自分が間に合わなかった時間を測りに来たのだ。
昼の休みが開けた午後、瀬尾みさ子さんが小春を連れてきた。小春が学校で転んで、膝をすり剝いたのだ。血は止まっていたけれど、土が入っていた。夫は小春を診察台に座らせて、時間をかけて傷を洗った。
「痛い」
「痛いです。ごめんね」
「先生、嘘つかないね」
「痛いのに痛くないと言うと、次から来てくれなくなるので」
小春ちゃんはその理屈に納得したらしく、それからは泣かなかった。処置が終わった後、みさ子さんが窓口で立ち止まった。
「あの、奥さん」
「はい」
「変なこと聞いてもいいですか? 」
みさ子さんは少し言いにくそうにしていた。
「看護師の学校って、働きながらでも行けるって、本当ですか? 」
私は驚いて顔を上げた。
「この前、先生に言われたんです。『瀬尾さんは人の顔色を見るのがうまい。これは看護の仕事で一番大事なことです』って。私、あんなこと言われたの、生まれて初めてで。でも、うちお金ないですし、小春もまだ小さいですし、無理だなって思ってるんですけど」
「調べてみます」
私はそう言った。口に出してから、自分でも意外だった。普段の私なら、「そうですね」で終わりにしていたと思う。その日の夜、私は診療所のパソコンで、県内の看護学校を調べた。隣町に一つあった。二年間、週に三日通い。授業料は思っていたよりずっと安かった。町から出ている修学資金の制度もあった。私はその画面を印刷した。それから母に電話をした。用があったわけではない。ただ、その日はどうしても声が聞きたかった。
「お母さん、私、神号に戻ってきた」
「うん」
「今日ね、鶴田さんっていうおじいちゃんに、いろんな話を聞いたの」
「そう」
母はそれ以上は聞かなかった。私が「じゃあ、また電話するね」と言うと、母は「うん」とだけ言って、少し笑った。
電話を切ってから、私は診察室に行った。夫は机で紹介状を書いていた。私は何と切り出せばいいのか分からなくて、しばらく戸口に立っていた。夫が顔を上げた。
「どうかしましたか?
」
「鶴田さんから聞きました」
夫はペンを置いた。そして、すぐには何も言わなかった。
「五年前の夜のこと。あの晩、鶴田さんの奥さんを受け取ったのが、あなただったこと」
夫は机の上の書類を指で押さえた。そしてゆっくりと言った。
「私は、あの晩、当直でした。救急の受け入れ担当でした。連絡を受けてから着くまでに二時間以上かかると聞いて、私は準備を全部して待っていました。できることは、全部しました。それでも、届かなかった」
私は戸口に立ったまま聞いていた。
「私はそれまで、自分の腕の話だと思っていたんです。もっと早く動けば、もっとうまくやれば、助かる人が増えると。でも、あの晩に分かりました。私がどれだけ早くても、その人が来るまでに二時間かかるなら、意味がないんです」
夫はそこで、話し始めてから初めて私の顔を見た。
「あの晩、間に合わなかった方は、神号の人でした。だから、私はこの町に来ました」
私はそれ以上、何も聞かなかった。聞かなくても、分かってしまったからだ。その晩、私は市内へは引き返さなかった。荷物を取りに来たはずの私は、そのまま台所に立って、味噌汁を作った。夫は「戻らなくていいんですか」と聞いた。私は「うん」と答えた。
「来週、また行く。今夜はここにいる」
夫はそれ以上何も言わずに、味噌汁を飲んだ。私は父に電話をした。
「お父さん。私、戻らない。お母さんのところへは行く。何回でも行く。でも、帰る家はここなの」
父は何も言わずに、電話を切った。言い返せたとは思わなかった。ただ、言うべきことを途中で飲み込まずに言えた。それだけで、食器を置いた手が震えていた。その晩は、久しぶりによく眠った。
二日後、みさ子さんが腰の薬を取りに来た。私はあの夜に印刷した紙を渡した。みさ子さんはその紙を両手で受け取って、しばらく黙って見ていた。そして静かに言った。
「奥さん、私、この町から出ようと思ってたんです。去年まで」
「そうだったんですか」
「はい。でも、小春が『ここがいい』って言うんです。『先生がいるから』って。子供って、大人よりちゃんと見てますよね」
みさ子さんは紙を鞄にしまった。夫が大学病院で何者だったのか。それを父と姉が思い知らされる夜は、もうすぐそこまで来ていた。
十一月二十四日の夜、九時二十分だった。私は台所で洗い物をしていた。夫は診察室で、その日の書類を片付けていた。携帯が鳴った。父からだった。こんな時間に父から電話が来ることは、今までになかった。私は濡れた手をエプロンで拭いて、電話に出た。
「ちひろか」
父の声が、聞いたことのない声だった。
「母さんが急変した。病院から連絡が来た。今、向かってる」
私はその場に立ったまま、返事ができなかった。
「聞いてるか? 」
「うん」
「来られるか? 」
「行く」
「気をつけてこい」
父がそんなことを言ったのも、初めてだった。診察室に走った。夫は私の顔を見ただけで、椅子から立ち上がった。
「お母様ですか? 」
「うん。急変したって」
夫は白衣を脱いで、机の引き出しから車の鍵を取った。それから壁の棚から往診鞄を持ち上げた。
「そんなの、いらないでしょう」
「持っていきます」
夫は玄関の鍵をかけて、隣の八島さんの家に電話を一本入れた。朝一番に役場へ連絡して、明日の診療の代わりを頼んでほしいと。それから隣の病院にかけて、今夜からの急な電話を回してもらう手配をした。車に乗ると、私は膝の上で手を握っていた。外は真っ暗だった。ヘッドライトの先に、雨が細く光っていた。夫はいつもよりずっと早く走った。それでも、危ない走り方ではなかった。カーブの手前で必ず速度を落とした。
「間に合うかな?
」
「間に合わせます」
そう言ってから、夫は少し黙って言い直した。
「すみません。今のは無責任でした。急ぎます」
私はその言い直しで、余計に怖くなった。この人は、根拠のないことを言わない人だ。言い直したということは、根拠がないということだ。
一時間二十八分で、病院に着いた。いつもより十二分早かった。夜間の通用口から入って、エレベーターで七階に上がった。エレベーターの扉が開くと、廊下の空気が違った。明かりの色が昼間と違う。看護師が早足で歩いている。ナースステーションの奥で、誰かが電話をしている。母の病室のある方へ曲がると、廊下の突き当たりに父と姉が立っていた。処置室の閉まったドアの前だった。姉は壁に手をついて俯いていた。父は腕を組んで床を見ていた。私が歩み寄ると、父が顔を上げた。そして、私の後ろの夫を見た。その瞬間、父の顔つきが変わった。
「何をしに来た? 」
私は驚いて父を見た。
「町医者が来たところで、何ができる? 」
姉が顔を上げた。目が真っ赤だった。
「柏木さん、お願いだから、邪魔になるところに立たないで。黙ってて」
夫は何も言わなかった。言い返さないどころか、二人の方を見てもいなかった。夫は処置室のドアを見ていた。正確に言うと、ドアの隙間から漏れてくる音を聞いているのだと、私にも分かった。私にも聞こえていた。機械の電子音と、複数の人の声。「三十八度五分」と読み上げる声。器具が金属の台に置かれる音。夫の目がゆっくりと動いた。ドアの脇の壁に貼られた酸素の配管のラベル。廊下のワゴンに乗った、空になった点滴のボトル。ナースステーションの前を通る看護師の手にある、採血の容器。その全部を順番に見ていた。
これは後で知ったことだ。普通の採血の容器は何本も運ばれていた。なのに、血の中に菌がいないかを調べる検査だけが、まだ一度も出されていなかった。そして、夫の顔から表情が消えた。いつも穏やかな目が、瞬きをしなくなった。私はその顔を初めて見た。その時、処置室のドアが開いて、若い医師が出てきた。白衣の袖をまくって、額に汗をかいていた。まだ三十前にも見えた。
「宮下さんのご家族の方」
父が「はい」と言って、一歩前に出た。
「救急の藤井です。お母様は夕方から熱が出ていまして、九時頃に血圧が下がりました。心不全が悪くなっていると考えて、今、心臓の薬を足しています。血圧がまだ上がってきません」
父の声が枯れていた。
「先生、それは、どのくらい危ないんですか? 」
「主治医に今、連絡を取っています」
その返事を聞いた時、夫が口を開いた。
「先生」
藤井先生が初めて、夫の方を見た。
「熱は三十八度五分ですね」
「はい」
「上がり始めたのはいつですか?
」
「夕方の四時頃です」
「寒気で震えていませんでしたか? 」
「ありました。看護師の記録に、震えていたと」
夫はそこで一度だけ、目を閉じた。そして低い声で言った。
「藤井先生。一度、首の点滴の入り口を見てください」
藤井先生の目が大きくなった。
「刺してから、何日目ですか? 」
「三週間ほどだと」
「刺したところはどうですか? 」
「看護師の記録では、変わりないと」
父が割って入った。
「おい、あんた、部外者だろう。先生に指示をするな」
夫は父の方を見なかった。藤井先生の目だけを見て、こう言った。
「血圧が上がらないのは、心臓だけのせいではありません。熱と震えと、血圧の低下。感染を考えてください。心臓の薬をいくら足しても、上がりません」
藤井先生は口を開けたまま、何も言えずにいた。その顔は反発している顔ではなかった。思い当たった顔に見えた。処置室の中から、看護師の声が飛んだ。
「先生、血圧下がってます」
藤井先生が振り返った。その時、夫が一歩前に出た。そしてこう言った。
「俺が見ます」
私はその声で、体が固まった。私はこの人が「俺」というのを、一度も聞いたことがなかった。見合いの日から一年半。この人は患者さんの前でも、家でも、父の前でも、自分のことを必ず「私」と呼ぶ人だった。その人が、今、「俺」と言った。
父が爆発した。
「何を言ってる?
ここは大学病院だぞ。あんたの診療所とは違うんだ」
「そうよ。柏木さんはもう大学病院の先生じゃないでしょ。引っ込んでてよ」
姉の声が廊下に響いた。処置室の中の音が、一瞬止まった。その時、廊下の奥の非常口の方から足音が近づいてきた。下の階から上がってきたのだと思う。手術着のままの白髪の男の人だった。上に白衣を羽織って、首から聴診器を下げていた。年配だった。六十を過ぎているのは遠目にも分かった。その医師は大股で歩いてきた。そして、夫の顔を見た。止まった。歩いていた足も体も表情も、全部が同時に止まった。
私はその医師の名札を見た。名前の上に、小さく「部長」と書いてあった。
「柏木先生」
夫はその人に向かって、静かに頭を下げた。
「王寺先生。ご無沙汰しております」
部長は返事をしなかった。代わりに夫の前に立って、深く頭を下げた。白髪の頭が、夫の胸の辺りまで下がった。そして、そのままの姿勢でこう言った。
「先生。うちの救命センターに、戻ってきてくださったんですか? 」
廊下の空気が、その一言で変わった。父の口が半分開いたまま動かなくなった。姉の手が壁から落ちた。看護師たちがステーションの中からこちらを見ていた。その中の年配の看護師が、口元を押さえた。夫は「頭を上げてください」とは言わなかった。代わりに、要点だけを言った。
「王寺先生。中の患者は、私の妻の母です。三十八度五分の熱と震え。血圧が上がらない。首から入れている点滴の管が、三週間入ったままです。心臓が弱ったせいだと考えて治療されていますが、それだけではないと思います」
部長は顔を上げた。その顔から、もう驚きは消えていた。
「刺したところは、どうだと言っていますか? 」
「見た目は変わりないそうです。ですが、あの管は、綺麗なままでも感染を起こします」
部長はそれだけ聞くと、振り返ってナースステーションに向かって声を出した。
「血液培養、二セット。先に別のところから点滴を入れ直して、それから管を抜け。抜いた管の先も検査に出せ。救命の黒田を呼べ。今すぐだ」
部長は急な手術に呼ばれて、その夜は病院に残っていたのだと後で聞いた。手術が終わったところへ、看護師長から相談が上がったのだそうだ。「主治医と連絡がつかない患者の、血圧が下がっている」と。指示を出し終えると、部長は夫の方に向き直った。
「先生。あなたの名前は、今もうちの登録の名簿に残っています。外部の医師がこの病院で診療できる、あの名簿です。先生は、患者の身内でいらっしゃる。決めることも責任も、部長が持ちます。その上で、今夜だけは、この病院の医師として、この場を動かしてください」
部長はそこで初めて、父の方を向いた。
「ご家族、よろしいですね」
父はしばらく動かなかった。それから、父は一度だけ頷いた。
「柏木先生、入ってください」
藤井先生が、夫に小さく頭を下げて、先に処置室へ戻っていった。夫は頷いた。そして着ていた上着を脱いで、私に渡した。それから往診鞄を開けて、自分の聴診器を取り出した。私はその上着を、両手で受け取った。夫は看護師が差し出した白衣に袖を通して、聴診器を首にかけた。その腕の通し方が、いつもと違った。診療所で毎朝見ている、ゆっくりとした通し方ではなかった。一度も止まらない通し方だった。
処置室のドアが開いて、夫は中に入っていった。ドアが閉まる前に、中から誰かの声が聞こえた。
「柏木先生、嘘だろ? 」
ドアが閉まった。廊下に、私と父と姉と部長が残された。父は閉まったドアを見つめたまま、立ち尽くしていた。姉が震える声で言った。
「あの人、旦那さん、何者なの?
」
私は答えられなかった。答えを持っていなかったからではない。約束していたからだ。
廊下に長椅子が二つ並んでいた。私はそこに座った。座ったというより、膝が折れて座り込んだ。夫の上着を膝の上に抱えていた。まだ、少し温かかった。父は座らなかった。処置室のドアの正面に立って、動かなかった。姉は私の隣に座って、両手で顔を覆っていた。部長は、私たちのそばに立っていた。
しばらくして、廊下の向こうから走ってくる足音がした。若いと言っても、四十近い男の人だった。手術着の上に白衣を引っかけて、スニーカーで走ってきた。部長が片手を上げて、その人を呼んだ。
「黒田」
「先生、何ですか? 人が朝からずっと帰れてないんですよ」
黒田先生はそこで言葉を切った。処置室のドアの小さい窓を見たからだ。窓の向こうに、誰かの背中が見えていた。黒田先生はその背中を二秒ほど見て、それから部長の方を振り向いた。
「先生、あの人、誰ですか? 」
部長は窓の方を向いたまま言った。
「見て分からんか? 」
「分かります。分かるから、聞いてるんです」
黒田先生の声が、途中で裏返っていた。部長は短く答えた。
「柏木だ」
黒田先生はドアの方へ一歩踏み出し、また止まった。そして髪を掻き上げて、天井を見上げた。
「あの人、五年ですよ。五年、患者を送ってくるだけで、一度もこの病院で白衣を着なかったんですよ」
黒田先生はそのまま処置室に入っていった。閉まりかけたドアの隙間から、夫の声が漏れてきた。
「黒田。培養は二セット取ってある。抗菌剤は効く範囲の広いやつだ。一本目を今すぐ。血圧は薬で保て。水は絞れ。入れすぎると心臓が持たない」
低い声だった。診療所で聞く声と同じ低さだった。でも、話し方がまるで違った。敬語がどこにもなかった。一つも、余計なものがなかった。ドアが閉まった。廊下が、また静かになった。
その時、父が口を開いた。
「部長先生。あの、失礼ですが」
父の声が震えていた。
「うちの娘の亭主は、その神号の町の診療所の医者で。なぜ先生の方が頭を下げるんですか?
」
部長はしばらく答えなかった。処置室のドアを見ていた。そして短く言った。
「あの人は、この病院の救命センターにいました。八年です。私は、その頃のセンター長でした」
父の口が、また半分開いた。
「私はいろんな医者を見てきました。頭のいい人はたくさんいます。手先の器用な人もたくさんいます。でも、柏先生はそういうのとは違いました。あの人は、一番悪いものから考えるんです。みんなが目の前の数字を見ている時に、あの人だけが、まだ出ていない結果のことを考えている。だから、間に合うんです」
部長はそこで少し笑った。その笑い方が、ひどく疲れて見えた。
「うちの若い連中がね、こう言っていました。『柏先生が当直の夜は、誰も死なせない』と。そんなわけはありません。医者に、そんなことはできない。でも、若い連中がそう言いたくなる気持ちは、私にもよく分かりました」
姉が顔を上げていた。指の間から、部長の顔を見ていた。父は何も言えずにいた。部長は続けた。
「私は五年前に、あの人から辞表を受け取りました。私は三回、突き返しました。教授になれる人でした。センターも任せるつもりでした。私は引き止めるために、言えることは全部言いました。あの人はね、最後に、一つだけ私に言ったんです」
部長はそこで言葉を切った。
「『先生。うちのセンターに来られない人が、この県にどれだけいると思いますか? 』私は答えられませんでした。数えたことがなかったからです」
私は膝の上の上着を握りしめていた。「数えたことがなかった」という言葉が、頭の中で鳴っていた。この人は数えたのだ。町の一軒一軒から大学病院まで。冬に凍る道には、赤い丸をつけて。
部長はまた、父の方へ向き直った。
「それで、私は辞表を受け取りました。受け取った日に、私は自分の負けだと思いました」
処置室の中から、機械の音が変わったのが廊下まで聞こえた。私は両手を組んだ。祈るという言葉が、こんなに正確な意味を持つとは思わなかった。私は目を閉じて、心の中で言った。お願い。お母さんを助けて。まだ話してないことが、たくさんあるの。お母さんが信じてるって言ってくれたから、私はあの人のところに行ったのだから。まだ、いなくならないで。
どのくらい経ったのか、分からない。看護師が何度か処置室に入って、出ていった。点滴のボトルを抱えて走る人がいた。夜中の一時を過ぎた頃、黒田先生が一度外に出てきた。汗だくだった。私たちのところへ来て、こう言った。
「ご家族の方。熱の原因は、首から入れていた点滴の管だと考えています。そこから細菌が入って、全身に回っていました。管は抜きました。今、抗菌剤を入れています」
父が絞り出すように聞いた。
「助かるんですか? 」
黒田先生は正直に答えた。
「まだ、分かりません。心臓が弱っているところに、感染が重なっています。血圧を上げるには水を入れないといけない。でも、入れすぎると心臓が持たない。そのさじ加減を、今、柏先生に見てもらいながらやっています」
黒田先生はそこで一度、言葉を切った。そして私の方を見た。
「奥さん。僕は最初の何年か、あの人のことを、逃げた人だと思っていました。うちのセンターの誰もが、あの人を頼りにしていた。その人がやめて、山の中に行った。でも、この五年間、あの人からうちに紹介状が来るんです。神号のあの小さい診療所からです。僕、あれ、全部読んでます。あの人の紹介状はね、書いてあることが他の先生と全然違うんです。『この患者さんの家からそちらの病院まで、車で一時間三十八分かかります。冬に道が凍ると、二時間を超えます。従って、受け入れができるかどうかのお返事は、十分以内にいただけると助かります』って。最初は失礼な手紙だと思いました。でも、三年目くらいですかね。気がついたら、うちでは救急からの電話に、十分以内で返事をするようになっていました。あの人が五年間、同じことを書き続けただけで」
私は涙が止まらなくなった。
「それだけじゃないんです。あの人は、経過の報告もずっとうちに送ってきていました。診療所でどう対応して、何分で救急車に載せたか。今、うちのセンターにある地域医療の受け入れ手順ですが、半分はあの人が五年かけて送ってきた書類でできています」
黒田先生はそう言って、処置室に戻っていった。父は壁に手をついていた。姉は声を出さずに泣いていた。
夜が明ける前の、一番暗い時間だった。窓の外の駐車場に、街灯がポツポツとついているのが見えた。午前三時を回った頃、母の主治医の先生が駆けつけて、処置室に入っていった。学会で県外にいたのだと、後で聞いた。私はずっと、同じ姿勢で座っていた。
午前三時五十分に、処置室のドアが開いた。夫が主治医の先生と一緒に出てきた。夫の白衣の袖が、二の腕までくり上げられていた。前髪が汗で額に張り付いていた。その後ろに、藤井先生の姿があった。私と目が合うと、先生の方が目を伏せて、処置室へ戻っていった。私は立ち上がろうとして、うまく立てなかった。
夫はまず、父の方を見た。そしてこう言った。
「一番危ないところは、超えました。ここから先は、主治医の先生が引き受けてくださいます。お許しをいただいて、今の様子だけ私からお伝えします」
主治医が父に頷いた。父が、その場にしゃがみ込んだ。六十一歳の父が、病院の廊下で膝をついて、両手で顔を覆った。私はその時、初めて父が泣くのを見た。
夫は続けた。
「血圧は上がってきています。原因と思われるものは、取り除きました。ただ、心臓がかなり弱っています。今日から明日いっぱいが峠です。呼吸を助ける管を入れました。この後、集中治療室へ移していただきます。安心はできません」
その言い方が、あまりにも夫らしくて、私は泣きながら笑ってしまった。主治医の先生は「これから引き継ぎをしてくる。落ち着いたら改めて説明する」と言って、廊下の奥へ歩いていった。
部長が夫の前に立った。
「先生。もう一度だけ、聞かせてください。戻ってきていただけませんか? 」
夫は少しの間黙っていた。そして頭を下げた。
「いいえ。私は神号の医者です。神号は、一番奥の家からここまで二時間かかります。冬に凍れば、それを超えます。私が埋めたいのは、その二時間です」
部長は、何度か頷いた。夫は私の方へ来た。そして、私の前にしゃがんで、目の高さを合わせた。
「ちひろさん。よく耐えました」
私はその一言で、崩れた。夫の白衣の胸に額を押し付けて、声を出して泣いた。消毒薬の匂いがした。診療所の匂いと同じ匂いだった。私は泣きながら、一つのことを考えていた。この人は、五年前のあの夜、この病院の廊下に立っていた。そして頭を下げて「申し訳ありません」と言った。その人が、今、同じ病院の廊下で「超えました」と言っている。五年かかったのだ。この人が、この一言を言えるようになるまでに。
母が眠っている間、夫が代わりの先生に頼んだのは、初日だけだった。次の日からは、毎朝一度神号へ帰り、その日の患者を全部見てから、また車を出した。往復三時間二十分の道を、三日続けた。この人は、私の母のところへも、こうやって走ってくれるだろうか。いつか私がそう思ってしまったことが、ずっと恥ずかしかった。
その間、母は集中治療室にいた。初めのうちは人工呼吸器がついていて、眠らされていた。熱は丸一日で下がった。血圧も戻った。その次の朝、呼吸の管が抜かれた。管が抜けても、母はその日いっぱい、うとうと眠っていた。七階の元の病室に戻ったのは、次の日の朝だった。つないでいる管も、前よりずっと減っていた。母がちゃんと話せるようになったのも、その朝だった。私が呼ばれて病室に入ると、母はベッドの背もたれを少し起こしてもらって、天井を見ていた。顔が痩せて、唇が乾いていた。でも、私に気づくと、母の目が動いた。
「ちひろ」
声が枯れていた。私は母の手を握った。指の骨の形が、そのまま手のひらに当たった。
「お母さん」
私は母の手を一度離して、枕元の棚から母の財布を出した。あの言葉を思い出したからだ。「写真は絶対に見せてね」と。短大の入学式の日に校門の前で撮った写真の隣に、もう一枚入っていた。神号の公民館の前で撮った、私と夫の写真だった。いつ渡したのかも覚えていない写真だった。母はそれを、ずっと持っていた。
「お母さん、私」
言葉が続かなかった。私がもう一度手を握ると、母は握り返そうとした。力は、ほとんど入っていなかった。しばらくして、私は言った。
「お母さん。夫が助けてくれたの。あの夜、夫が処置室に入って、大学病院の先生たちがみんな、あの人の言う通りに動いたの」
母はしばらく、私の顔を見ていた。そして、少しだけ笑った。
「やっぱりね」
私はその言葉に驚いた。
「やっぱりって。お母さん、知ってたの?
」
母は首を横に振った。ほんの少しだけだった。
「知らない。あの人が何をしてた人かなんて、お母さんは何も知らないの。今も知らない」
「じゃあ、なんで? 」
母は少し息を整えた。そして口を開いた。
「あの人はね、きっと、命から逃げない人だと思ってた」
「どうして、そう思ったの? 」
母はゆっくりと、私の顔を見た。
「あなたの声が、結婚してから変わったもの。あなたね、昔から電話の声で全部分かるの。怒られた日は、声が高くなるの。あなた、そうやってごまかすから。泣いた日は、声が低いの。喉が閉まってるから。疲れてる日は、早口になるの。早く切りたいから。結婚してからね、あなたの声、ゆっくりになったの。言葉と言葉の間が、長くなったの。それはね、安心してる人の喋り方なの」
私は息を飲んだ。
「あなたにそんな声をさせてくれる人なら、きっといい人だって。お母さん、分かってた」
私は泣いていた。声が漏れないように、両手で口を押さえていた。母は少しだけ首を動かして、枕元の引き出しの方を見た。
「ちひろ。そこの引き出し。ノート入ってる」
私は引き出しを開けた。茶色い表紙の、薄い大学ノートだった。角がすり切れていた。
「これ? 」
「開けていいよ」
私は震える手で、表紙をめくった。一ページ目の一番上に、日付が書いてあった。日付は三年前の春。母が入院した最初の月だった。その下に、一行だけ書いてある。
「四月八日。ちひろから電話。声が高い。何かあった。」
次の行。
「四月十五日。ちひろから電話。早口。疲れている。」
「五月二日。ちひろから電話。笑った。今日は大丈夫。」
「五月二十日。ちひろから電話。声が低い。泣いた後。」
ページをめくった。何十行も、同じ形で続いていた。日付と名前と、声のことだけ。私が何を話したかは、ほとんど書いていなかった。私はページをめくり続けた。去年の春のところで、手が止まった。
「四月十四日。ちひろ、見合いの日。初めて『安心した』と言った。」
その下に、母の字でこう書いてあった。「この子の口から、この言葉を聞いたのは初めて。」
私はノートを持ったまま、しゃがみ込んだ。床に座って、膝の上でページをめくった。結婚した年の秋から、ページの内容が変わっていた。
「十一月八日。ちひろ、よく笑う。」
「十二月二十日。ちひろ、雪の話。声が明るい。」
「二月三日。ちひろ、受付の話。早口だけど、楽しい早口。」
「六月十四日。ちひろ、子供の絵をもらったと、嬉しそう。」
そして、最後に書かれていたページを、私は見つけた。日付は十一月の二十日だった。母が急変する四日前だ。そこにはこう書いてあった。
「十一月二十日。ちひろ、声、いつも通り。この子は、今、大丈夫。」
私はノートを胸に抱えて、床の上で泣いた。母は何も言わなかった。私が泣き止むまで、ただ天井を見ていた。やがて母が口を開いた。
「お母さんはね、この部屋から何も見えないの。あなたの診療所も見えない。あなたの町も見えない。あの人にも会えない。見えるのはね、この窓と天井だけ。だから、声だけを聞いてたの。幼稚園で何年も、子供の声ばっかり聞いてたから。それだけは、できるの」
私は立ち上がって、母の手を両手で包んだ。母は続けた。
「肩書きは、紙に書いてあるだけのものなの。でも、あなたの声は、あなたの中にあるものなの」
私はその言葉に、小学五年生のマラソン大会の夜を思い出した。「順位は紙に書いてあるだけのもの」と、あの夜の母は言った。母は、ずっと同じところに立っていたのだ。
その日の夜、夫が病室に来た。思えば、この二人がまともに言葉を交わすのは、これが初めてだった。夫は病室の前まで行くことはあっても、母が起きている時間には入らなかった。夫はベッドの脇に立って、腰を折るように礼をした。母はその姿を見て、少し笑った。
「柏木さん。娘を大切にしてくれて、ありがとう」
夫は頭を上げてから、答えた。
「私の方こそ、お母様に感謝しています。お母様がちひろさんを信じてくださったから、ちひろさんは私の隣にいてくれました」
母の目に、涙が溜まった。
「あの子はね、ずっと家族の中で、自信を持てずにいたの。私が守りきれなかったの。だから、どうかこれからも、あの子が自分を好きでいられるように、してあげてください」
夫はまっすぐに母を見た。そして静かに答えた。
「必ず守ります」
母は目を閉じて、頷いた。
その夜、廊下で父と姉が待っていた。私たちが病室から出て行くと、父が近づいてきた。父は夫の前で立ち止まって、しばらく言葉を探していた。
「柏木さん。いや、その……。まま、そんな先生だったとは。紹介状は読んだのに、私は肩書きしか見ていなかった。それから、この前の話は忘れてくれ。戻って来いと言ったのは、私が間違っていた」
姉がその後ろから、小さい声で言った。
「私も、ちょっと言いすぎたかも。ごめんなさい」
夫は二人の顔を見た。そして静かに口を開いた。
「私を見下したことは、構いません。医者は、そういうことを言われる仕事です。慣れています」
父は俯いた。夫は続けた。
「ですが、妻が選んだ人生を笑ったことは、許せません。妻ははずれ医者を引いたのではありません。私の方が、妻に選んでもらえたことを誇りに思っています」
私はその言葉を聞いて、顔を伏せた。そして顔を上げた。
「お父さん、お姉ちゃん。私はね、くじを引かされたんじゃないの。この人を選んだのは、私なの」
言い終わってから、自分の手が震えているのに気がついた。二十九年生きてきて、この家族の中で言い返せたのは、これで二度目だった。父も姉も、何も言えなかった。姉は口を開きかけて、そのまま閉じた。「はずれ医者」と言って笑った時の顔は、もうそこにはなかった。二人とも、ただ廊下に立っていた。
夫はそれ以上、二人を責めなかった。そして深く頭を下げた。
「お母様を、これからもよろしくお願いします。私は神号から車で一時間四十分かかります。そばにいられるのは、お二人です」
そう言って、夫は歩き出した。私はその後ろについて歩いた。エレベーターの前で、一度だけ振り返った。父はまだ廊下に立っていた。姉が父の腕を取って、何かを言っていた。私はそれ以上は見なかった。
それから、一年半が過ぎた。母は生きている。治ったわけではない。心臓の病気は、治る病気ではない。今も年に二回か三回、入院する。でも、あの冬を超えてから、母は家に帰れる日が増えた。二十四時間つなぎっぱなしだった点滴も、いらなくなった。今は実家の一階に介護用のベッドを入れて、そこで暮らしている。
父が変わった。あの夜から、父は毎日病院に通うようになった。仕事を早く切り上げて、七階まで上がって、一時間だけ座って帰る。話すことがないので、新聞を読んでいるだけの日もあったらしい。母が退院してからは、父が母の薬を並べている。朝と昼と夜の袋を、曜日ごとにケースに入れる。最初の頃は間違えてばかりだったので、母が笑っていた。私が実家に行くと、父はまだ私と目を合わせるのが少し下手だ。一度だけ、父が言った。
「ちひろ。俺は、お前のことを何も見ていなかった」
私は「うん」と答えた。私はもう、父に何かを認めてもらう必要を感じなくなっていた。
姉とは、月に一度くらい電話をする。姉はあの夜のことを、一度も話題にしない。話題にしない代わりに、母のことでよく連絡をくれるようになった。去年の暮れに、姉が一度だけ、こんなことを言った。
「ちひろ。あんた、変わったね」
「そう?
」
「うん。前は、私が何か言うとすぐ黙ったでしょ。今は、黙らないもん」
「ずるいなあ」
姉はそう言って、電話を切った。その「ずるい」がどういう意味なのか、私はあえて聞かなかった。
去年の五月に、母が神号に来た。医者の許可を取って、日帰りだけという約束だった。父の車で来た。往復三時間二十分。母には長すぎる道乗りだったけれど、母がどうしてもと言った。診療所の駐車場に車が止まった時、私は玄関の外で待っていた。母は父に支えられて、ゆっくりと車から降りた。そして、坂の下を見た。
「あら。これが、あの手すり」
私は驚かなかった。母は三十年前の園児の名前も忘れない人だ。ただ、目の奥が熱くなった。
「よく覚えてたね」
「覚えてるわよ。あなたが電話で言ったんだもの。『日が当たる方につけた』って」
母は手すりに触った。その日は晴れていた。
「本当。あったかいわ」
私は母を待合室のベンチに座らせた。休診日で、患者は一人もいなかった。母は壁の地図を、長いこと見ていた。数字と赤い丸の書き込まれた、あの地図だ。父が地図の前に立って、指で数字をたどっていた。何も言わないまま、一番奥の数字で、指が止まった。母は何も聞かなかった。ただしばらくしてから、言った。
「たくさん、数えたのね」
私は母の隣に座った。母は待合室の中を見回した。木のベンチ。受付の後ろの壁に張ってある、子供の絵。
「ちひろ」
「何? 」
「あなた、幸せ? 」
私は少し考えた。考えたというより、結婚してからの日のことが順番に頭を通っていった。雪かきをした朝。夜中になる電話。四十件溜まっていた台帳。台風の夜の雨の音。そして、私は答えた。
「うん。私、ちゃんと幸せだよ」
母は安心したように笑った。
「なら、お母さんの見る目も、間違ってなかったね」
その時、診察室の方から夫が出てきた。休診日なのに、書類を書いていたのだ。母は夫を見て、「先生」と呼んだ。夫は「その呼び方は、やめてください」と言った。母は笑った。
小春は十歳になった。背が伸びて、絵が上手くなった。ある日、また画用紙を持ってきた。今度は白衣の人が、三人書いてあった。大きいのが二人と、小さいのが一人。
「これ、誰? 」
「これが先生で、これがちひろさんで、これが私」
「小春ちゃん、白衣なの?
」
「うん。大きくなったら、ここで働く。だって、ここに先生がいないと困る人がいるもん」
私はその絵も、受付の後ろの壁に張った。小春ちゃんの母親のみさ子さんは、去年から看護学校に通っている。工場はやめていない。夜勤を減らして、週に三日、隣町まで出ていく。「大変ですね」と私が言ったら、みさ子さんは笑った。
「私、あの台帳に三回書かれて、三回とも待ってもらったんです。だから、今度は待つ方になりたくて」
八島さんは今年で六十五歳になった。やめる話が出たこともあったが、結局まだ働いている。
「ちひろさんが一人になったら困るだろう」
「私、まだ八年経ってませんよ」
「忘れた」
そう言って、今日もカルテを並べている。
鶴田源蔵さんは八十歳になった。去年の秋も、大根を出荷した。その朝、診療所の玄関に、勝手に一本置いてあった。
縁を結んでくれた風間さんは八十五歳。今も年に一度、息子さんの車で神号まで来る。
診療所の予算の話は、あれから町議会に出なくなった。あの台風の夜のことが、町の中で知れ渡ったのが大きかったらしい。でも、それだけではないと思う。夫はあの春、町議会で地図を広げ、家ごとの数字を読み上げた。役場の大西さんは、今もその日のことを話す。
去年の秋、嬉しいことがもう一つあった。大学病院の地域医療の枠で、若い先生が月に二回、交代で神号まで来てくれるようになったのだ。あの部長が退任の前に通した枠だと、後で黒田先生に聞いた。最初の月に、指導として自分で来たのが黒田先生だった。その黒田先生が、待合室の壁の前で足を止めた。あの地図だった。
「奥さん、これ、写真を撮ってもいいですか? 」
「どうぞ」
黒田先生は何枚も撮って、静かに言った。
「うちのセンターの壁に貼って、若い連中に見せます。自分たちが待っている救急車が、どこから何分かけてくるのか、誰も知らないので」
その話を夫にしたら、夫は「余計なことを」とだけ言って、机に向かってしまった。耳が赤かった。
私は今日も、受付に座っている。朝の八時四十分に鍵を開けると、もう玄関の前に人が並んでいる。保険証を受け取って、番号を打って、カルテを出す。そして、診察室のドアが開くたびに、中が少しだけ見える。夫は椅子に座って、患者さんの話を聞いている。背中を丸めて、相手の目の高さまで頭を下げて、頷いている。いつからですか? どこが一番嫌ですか? お薬手帳、持ってきてますか?
同じことを毎日、何十回も聞いている。
大学病院の廊下で部長が頭を下げた相手が、今日もあの坂を上がってくるおばあさんの膝の話を聞いている。父と姉にとって、この人ははずれ医者だった。でも、母だけは最初から分かっていた。母が見ていたのは、肩書きではなかった。母は、私の声を聞いていた。
肩書きを読む人ではなく、声を聞ける人こそ、本当に信じられる人なのだと、私は今思う。そして、母は私が選んだことを、一度も疑わなかった。私が選んだのは、はずれ医者ではない。人を救うために白衣を着続ける、この人こそ、私が世界で一番誇りに思える人だ。


