「そのネックレスはどこで手に入れたんだ?」と、72歳の財閥会長の声が震えた。10歳の少女は無邪気に笑い、「お母さんが、お父さんが亡くなる前にもらったんですって」と答えた。その瞬間、私は足元がふらついた。25年前、身分の違いを理由に家から追い出した息子の名前だったからだ。家賃76万円を取り立てに来た古いビルで、私は自分の孫娘と出会ってしまった。そして、この出会いが私の人生を根底から覆すことにな…
「そのネックレスはどこで手に入れたんだ?」 72歳の天油グループ会長、鈴木誠一の声は震えていた。 「綺麗でしょう。お母さんが、お父さんが亡くなる前にもらったんですって」 10歳の少女が無邪気に笑った。 「お父さんの名前は何と言うんだい?」 「鈴木正斗です」 その瞬間、誠一は足元がふらついた。25年前、身分の違いを理由に家から追い出した息子の名前だったからだ。 「おじいさん、どこか具合でも悪いんですか?」 この子は、自分がその存在すら知らなかった孫娘だった。滞納した家賃76万円を取り立てに来た古いビルで、25年ぶりに対面した衝撃的な真実だった。 しかし、本当に驚くべきは別のことだった。この出会いが、一人の財閥の人生を根底から覆すことになるという事実だ。 物語は3週間前、春雨が止んだあの日の午後に遡る。 雨が止んだ午後だった。アスファルトの上の水分が蒸発し、白い湯気が立ち上っていた。天油グループの鈴木誠一会長は黒いベンツから降り、古びた雑居ビルを見上げた。72歳という年齢にも関わらず、ちゃんとした姿勢を保っていたが、今日に限って肩が重そうに見えた。 「会長、本当にご自身で賃借人の状況を確認なさるのですか?」 後ろから秘書の吉田ミキが慎重に訪ねた。38歳の彼女は8年間誠一のそばで働き、会長の性格を誰よりもよく知っていた。普段ならこんな些細なことは部下に任せるはずなのに。今日は違った。 「家賃が8ヶ月も滞納していると言ったな」 「はい。合計で76万円の滞納です。連絡もつきません。法的手続きを踏んではいかがでしょうか」 誠一は建物の外観をゆっくりと眺めた。ペンキがはげた壁、錆びついた看板、割れた窓ガラスまで。父親の代から受け継いだこの建物が、いつからこんなに見窄らしくなっていたのだろうか。東京銀座のど真ん中にある華やかな本社ビルとはあまりにも対照的だった。 「父の代からある場所だからな。ただ書類だけで処理するにはな」 誠一は言葉を終えずに階段を登った。2階へと続くコンクリートの階段は、古い匂いと湿気で満ちていた。各階に3つずつある小さなワンルームはいずれも庶民たちの生活の場だった。廊下の天井には古いが作動中の共用の防犯カメラが設置されていた。 廊下の突き当たり、203号室の前で立ち止まり、ドアプレートを確認した。「佐藤ユナ」という名前が古びたテープで貼り付けられていた。 コンコン。 誠一がドアをノックすると、中から小さな足音が聞こえた。慎重に近づいてくる音だった。しばらくしてドアが少し開き、幼い少女が顔を覗かせた。10歳くらいに見える子だった。大きな瞳が印象的だ。 「どなたですか?」 子供の声ははっきりしていたが、警戒の色がにじんでいた。幼いながらに見知らぬ人には注意するよう教えられているのだろう。 「この家の大人の人はいるかな?」 誠一はできるだけ優しく訪ねた。少女はドアの隙間から誠一とミキを交互に見た。スーツ姿の2人が只者ではないと直感したのかもしれない。 「お母さんは病院に行きました。今日は遅くなるって」 病院に。誠一の表情がかすかに変わった。8ヶ月も家賃を払えない事情があるのだろうと察した。ミキが一歩前に出た。 「失礼ですが、少し中に入ってもよろしいでしょうか? 大家さんから重要なお話がありまして」 少女は一瞬ためらったが、ドアをさらに開けてくれた。1人でも礼儀をわきまえている子だった。 狭いワンルームに入った誠一は、一瞬言葉を失った。15畳ほどの空間に生活の全てが詰まっていた。部屋の片隅には様々な薬袋がきちんと整理され、食卓の上には水でふやかしたご飯の入った茶碗が置かれていた。おかずの容器にはキムチと小魚の煮物が少しだけ入っていた。 「1人なのかい?」 「はい。大丈夫です。お母さんがご飯も作って行ってくれました」 少女は当然と答えた。10歳という年齢が信じられないほど落ち着いていた。おそらく厳しい環境の中で早くに大人になったのだろう。誠一は部屋を見回しながら、胸の片隅が重くなるのを感じた。古びた冷蔵庫。古いテレビ、そして隅に小さく設けられた勉強スペース。全てが最小限のもので整えられていたが、きちんと片付いていた。 しかし、その時だった。誠一の視線が少女の首にかかったネックレスに釘付けになった。小さな貝殻のネックレスが蛍光灯の光を受けてほのかに輝いていたのだ。 その瞬間、誠一の体は固まった。 「そのネックレスはどこで手に入れたんだ?」 誠一の声はわずかに震えていた。少女は自分の首に触れ、無邪気に笑った。 「綺麗でしょう。お母さんが、お父さんが亡くなる前にもらったんですって。お母さんの宝物なんです」 誠一は一歩後ずさった。心臓が激しく鼓動を始めた。そのネックレスは30年前に自分が妻に送ったものだった。結婚10周年を記念して特別に制作した一点物のネックレスの1つだった。妻が亡くなる前に嫁に渡したのに違いなかった。 「お父さんの名前は何と言うんだい?」 誠一の問いに、少女の顔がパッと明るくなった。 「鈴木正斗です。素敵な名前でしょう。お母さん、お父さんは本当に偉人だったって言ってました」 まさか。誠一は足がよろめくのを感じた。自分の息子の名前だった。25年前。身分の違いを理由に家から追い出した。まさにその息子だ。家の体面を守るため、事業の邪魔になるからと、冷酷に切り捨てた決断だった。 「会長、大丈夫でございますか?」 ミキが心配そうに尋ねたが、誠一は答えることができなかった。頭の中が真っ白になってしまった。少女は依然として澄んだ瞳で誠一を見つめていた。 「おじいさん、どこか具合でも悪いんですか? お水、要りますか? おじいさん」 その一言が誠一の胸を突き刺した。この子は自分の孫娘だったのだ。25年間、その存在すら知らなかった血。そして、この瞬間まで知らずにいた家族だった。 誠一は壁によりかかり、ゆっくりと息を吐いた。部屋を再び見渡すと、全てが違って見えた。古びた家具も、質素な食事を済ませる質素な食卓も、そして1人で家を守る幼い孫娘の姿も。 「いつからここに住んでいるんだ?」 「えっと、私が5歳の時から。その前は違うところに住んでたけど、よく覚えてないんです」 5年間。誠一は心の中で計算した。その頃に息子の正斗が亡くなり、嫁がここへ引っ越してきたのだろう。これまでこんなに苦しい生活を送ってきたということだった。 … Read more