「私と結婚する気あるの?」
その言葉が耳に入った瞬間、俺は固まった。え、結婚?今なんて言った?
「け、結婚…ないです。ないです!」
ちょっと会うだけのつもりできた俺は、あまりにも急な展開に全力で否定した。すると、彼女の表情が一瞬で怒りに変わる。
「はあ。じゃあなんでここに来たわけ?私に恥をかかせる気?私はそのつもりで来たんだけど」
彼女は怒って、大きな声を出した。
──俺は横田一。妻と子供2人。幸せな毎日を送っている。2歳上の妻・光は、優しくて穏やかな人だ。年下の俺だけど、尻に敷かれることもなく、夫婦関係は良好だった。
「こんな家庭を作るのが憧れだったのよね」
光も幸せそうにそう言ってくれていた。光と出会った頃は、まさか結婚するなんて思ってもみなかった。でも今こうして光と過ごすことができて、本当に幸せだ。
──出会いは、俺が高校2年の時だった。
自分の部屋で勉強していると、父親が突然入ってきた。
「かず、お前彼女いないって言ってたよな」
「はあ?なんだよ、いきなり。勉強しろって毎日うるさいくせに」
彼女なんて、いるわけないだろう。俺は少し腹が立って、ぶっきらぼうに答えた。
「紹介しようか。一度会ってみたらいいよ。見合いみたいなもんだ」
「お、お見合い?俺はまだ高校生だよ。彼女は欲しいけど…見合いなんて意味が分からない」
「いいや、上司の娘さんなんだけどな。恋人でもいたら、ちょっとは落ち着いてくれるんじゃないかってことで、いい相手を探してるらしいんだ」
「落ち着くって、何?今は落ち着いてないってこと?」
「うーん。まあ、ちょっと気が強い子みたいでな。ま、根は優しいらしいんだが」
「じゃあ、俺なんか絶対ダメだよ」
俺は気が弱く、学校でも目立たない存在だ。飛び抜けて頭がいいわけでもないし、スポーツ万能でもない。要するに特に長所もなく、自信が持てるところなんて一つもない。もちろん今まで付き合ったこともないし、女性の友達もいない。なんなら、男の友達だっていない。
「いや、だからいいみたいだぞ。優しくて大人しい男性がいいなんて言ってるみたいだから」
「なんだよそれ。大人しい男性がいいって言う気の強い女性の考えることは、一つだろう。尻に敷いて思い通りにしたいに違いない。そんなの絶対にごめんだ」
気が弱いのは認めるが、自分の意思がないわけじゃない。付き合って結婚なんてことになれば、俺は一生、妻に頭が上がらない弱い男になってしまう。
しかし父親は、もう話を進めてしまったという。
「お前の気持ちも分かるが、実はもう日時も決めてるんだ。頼むよ。顔を出すだけでもいいからさ。お前も彼女欲しいだろ。まだ若いんだし。何も結婚しろって言ってるわけじゃないんだから、気楽にな」
手を合わせ、頭を下げる父。きっと上司の頼みということで、断れないのだろう。俺の気の弱さは、父譲りなのだ。
俺はしぶしぶ父さんの頼みを受け入れ、約束された日に女性と会うことになった。場所は駅前の小さなカフェ。こんなおしゃれな場所で、女性と二人で会うなんて初めてだ。俺はドキドキしながら窓際の席に座った。
しばらくして、息を切らしながら女性が入ってきた。振り向いてその女性を見た瞬間、俺は固まった。
入ってきたのは、地元最強の美人ヤンキー・高坂光だったのだ。
清楚なワンピースを着ているが、金髪にピアス、そして鋭い目つきは隠せず、眉間にしわを寄せながら店内を見回している。この辺じゃ有名な彼女は、確か今年高校を卒業したはずだ。高校時代の武勇伝は、俺の学校にも伝わっていた。逆らえる生徒はおらず、教師でさえも恐れるという、まさに最強ヤンキー。
ヤンキーも、こんな静かなカフェに来るんだな。俺はなんとなく、間違いじゃないかと彼女を見ながらそう思っていた。
すると彼女はずんずん俺に近づいてくる。
「え、まさか…」
「えっと、横田さん?」
「え、はい」
なんと、その最強ヤンキー高坂光こそが、俺の相手だったのだ。俺は彼女の顔を見つめたまま、しばらく固まってしまった。そんな俺を見て、彼女はちょっと不機嫌そうにしながら、俺の前の席に座った。
しばらく沈黙が続いたが、頼んでいたミックスジュースが運ばれてきたのをきっかけに、彼女が口を開いた。
「私と結婚する気あるの?」
「え?け、結婚?ないです。ないです」
ちょっと会うだけだと思ってきた俺は、結婚というワードに驚き、全力で否定した。
「はあ。じゃあなんでここに来たわけ?私に恥をかかせる気?私はそのつもりで来たんだけど」
彼女は怒って、大きな声を出した。
俺は不思議だった。彼女も俺と同じように、きっと親に言われてしぶしぶ来たんだろうなと思っていたからだ。しかし彼女の様子からは、どうも違うらしいということが分かった。俺はちゃんと説明しないとと思って、どもりながらも伝えた。
「俺は父さんに頼まれてきました。まだ高校生ですし、結婚なんてもちろんするつもりありません。逆に、光さんはあるんですか?」
「うん、あるよ」
「だめだ」
俺は父さんが言っていた言葉を思い出していた。優しくて大人しい男性がいいと言っていたというあの言葉。やっぱり、思い通りにできる男が欲しいだけなのか。俺がここで結婚を約束すれば、それは同時に一生奴隷になることを意味する。そう思うと、寒気がした。
彼女の迫力に押されそうになる自分を奮い立たせ、俺は思い切って大声を出した。
「やっぱり一生奴隷にするつもりなんですね!俺は絶対に嫌です!」
立ち上がった俺を見上げ、彼女はポカンと口を開けた。
「ど、奴隷って何?どこの国の話よ」
「だって、言うことを聞く従順な男がいいんですよね。尻に敷くために」
すると彼女は口を押さえて、吹き出した。
「やだ、私の父、そんなこと言ってた?ごめん、ごめん。そんなつもりないに決まってんじゃん。そもそもそんなにきっぱり拒否できるあんたのどこが、従順で大人しいっていうのよ」
「え?あ、ああ。まあ、確かに…」
なんだかおかしくなって、俺は彼女と顔を見合わせた。
そして彼女は、なぜここに来たのか教えてくれた。
「まあ最初は親に言われてっていうのもあったけどさ、私、早く結婚したいんだよね。穏やかで幸せな暮らしっていうの、すごく憧れててさ」
目をキラキラさせてそう話す光は、イメージしていた彼女とはほど遠く、そこら辺にいる普通の女の子と一緒だった。俺の中では、気に入らないことがあればすぐ手が出るような怖い女性だと思っていたけど、噂で聞いていた数々の武勇伝もきっと尾ひれがついて大げさになっていたのかもしれない。今俺の目の前にいる高坂光は、一人の可愛い女の子であることに間違いなかった。
「ヤンキーが何言ってんだって思ったでしょ」
「え、そんな…そんなこと」
「面と向かって言ってるよ。私だって好きでヤンキーやってるわけじゃないんだけどな。こうでもしてないと舐められるしさ。自分を守る手段っていうか、そんな感じよ」
「そうなんですか…」
「そんなことしなくても、私を守ってくれるような人が旦那さんになってくれたらいいなって思ってるんだけどね」
「じゃあ、俺じゃダメですね。俺じゃ光さんを守れません。他の人を探した方がいいですよ」
彼女は俺をじっと見つめた。他の人を探せと言いながら、実は少し彼女に惹かれている自分を誤魔化されているようで、俺は思わず目をそらした。俺は彼女の強い目と、意外なギャップにやられていた。
それを知ってか知らずか、彼女は言った。
「付き合ってみようよ。せっかく会ったんだし」
そう言って彼女は俺に顔を近づけてきた。
こうして俺と光は付き合うことになった。見た目からして釣り合わない気もするが、彼女の素直なところ、明るいところに引かれ、俺はどんどん光に夢中になっていった。
隠れてこそこそ付き合っていたわけでもなかったから、俺たちの噂が広まるのは早かった。そしてあの最強年上美人ヤンキーと付き合っている俺に対して、明らかに周りの態度が変わったのを感じていた。陰気な俺は今まで下に見られがちだったけど、一目置かれるというか、恐れられるというか、気を使われるというか、とにかく丁寧に扱われるようになった。
いるかどうか分からないほど存在が薄かった俺からすれば、その扱いはこそばゆかったが、悪い気はしなかった。存在を認められ、ちゃんと居場所ができた気がして、自信がついたのだ。
光との交際も順調だった。話せば話すほど、俺の持っていた光のイメージはいい方に変わっていった。このまま、もしかして結婚もなんて考えるほどに、光のことが好きになっていた。
──そんな時、事件が起こった。
デートの時はいつも時間通りに来る光が、その日はいくら待っても待ち合わせ場所に来なかった。LINEの既読もつかないことに心配になった俺は、いても立ってもいられず、辺りをうろうろしながら光の姿を探した。
しばらく探した後、暗く狭い路地に入ったところで、光がぽつんと立っているのが見えた。
「光、なんでそんなところに?」
俺は不思議に思いながら光に近づいたが、すぐにその足は止まった。光の足元には、衝撃的な光景が広がっていたのだ。
柄の悪そうな男たちが、血を流しながらバタバタと倒れている。光の手には、割れたビール瓶が握られている。どう見ても、光がこの男たちを倒したようにしか見えない。
「光、やられたのか?」
「見られちゃったか。こいつらがしつこく絡んでくるから、つい」
「大丈夫?怪我は…」
俺は慌てて駆け寄り、光の体を確認した。
「大丈夫だよ。私は無傷。喧嘩には慣れてるし。強いんだよね、私。久々にいい運動したよ。すっきりした」
「よかった…」
ほっとした瞬間、光の背後で倒れていたはずの男が起き上がり、バットを振り上げた。
「危ない!」
俺はとっさに光を突き飛ばした。
「かずし!」
光が俺の名前を叫ぶ声は聞こえたが、目の前は真っ暗になった。
──次に気がついたのは、病院のベッドの上だった。
「気がついた。よかった…」
光が俺の手を握り、涙を浮かべている。
「光、怪我は大丈夫?」
「私は大丈夫。でも、かずが守ってくれなかったらどうなってたか…」
俺は光を突き飛ばした後、男が振り下ろしたバットに肩を殴られ、意識を失ったらしい。軽い脳震盪だったのだが、俺が死んだように倒れたことに動揺した男はすぐに逃げたようで、光は無事だったという。
「かずのおかげだよ。守ってくれて、ありがとう。かずは強い男だよ」
俺が、光を助けることができたのか。俺はあの時、考えるより先に体が動いた。弱虫だった俺に、そんなことができるなんて、自分でも信じられない。──光を守れる男になれたんだな、俺。
「もう喧嘩とかやめなよ、光。あんな男たちに挑んでいくなんて、危ないよ」
「うん。もうしない。約束するよ」
光は泣きながら頷いた。
この一件で自信がついた俺は、しばらくして光にプロポーズした。結婚するなら光と決めてはいたが、光を守っていく自信が持てず、ぐずぐずしていた俺。でも光は、はい、と即答してくれた。
──あれから6年。俺たちは結婚し、2人の子供にも恵まれた。
最強ヤンキーだった光は、すっかり落ち着いていいお母さんになっている。尻に敷かれるかもなんて心配していたあの頃の俺に言いたい。光はいい意味で最強だ。最強に優しくて、最強に素敵な女性だと。
これからも俺たちは力を合わせ、彼女が憧れていたこの最強に幸せな家庭を守っていこうと思う。



