その部品に見覚えはありませんか。夫が差し出した手のひらの上に、親指の先ほどの小さな筒が乗っていた。真鍮色に鈍く光るだけの、どこにでもありそうな部品だった。けれど私にはすぐに分かった。両端の角がほんのわずかに落としてある。これを面取りという。指の腹でなぞると、吸いつくような手触りがした。うちの工場でしか出ない削りだった。
結婚した初日の夜のことだ。目の前に立っているその人は、その日の昼に私と夫婦になったばかりだった。世間からは冷徹だとか下受け潰しだとか呼ばれている男だった。部屋の棚には古い部品と設計図がぎっしりと並んでいた。高そうな家具もブランド品も一つもない。ただ誰かが作ったものだけが、順番に並べられていた。その筒が入っていた小さなケースの蓋に、色の褪めた判子が押してあった。鈴村製作所。父の工場の名前だった。私が顔を上げると、その人は一度だけ深く息を吸った。それからかれた声でこう言った。話がある。実は俺――この夜に聞かされた話が、この工場の五十年と私自身のこれからを根こそぎ変えてしまうことになるとは、この時の私はまだ知らなかった。
私の名前は鈴村しの、二十八歳。埼玉の川沿いにある小さな町の、たった一人の娘だ。工場の名前は鈴村製作所という。祖父の早吉が起こして、今年でちょうど五十年。継いだのは父の正一だ。従業員は父と、四十五年務めてくれている職人の高神さんと、近所のパートさんが二人。それに私だ。私は経理と検品と電話番をしている。役職はない。全部やる係だ。
うちが作っているのは、機械の中に入ってしまえば誰の目にも触れない小さな部品ばかりだった。丸い筒だったり、細い軸だったり、指先に乗るような金具だったり。どれも派手さのかけらもないけれど、父が削る部品はどこにも負けなかった。一ミクロンという単位の世界で、父は四十年やってきた人だ。
母は五年前に亡くなった。母が生きていた頃、うちの狭い台所でよくこう言っていたのを覚えている。お父さんの手はね、日本一だよ。私はその言葉をずっと信じてきた。信じてきたのに、その手が守ってきた工場は、あと少しで消えてなくなろうとしていた。
朝は六時に始まる。私が事務所の鍵を開ける頃には、父はもう工場の中にいる。建ててから五十年になる古い鉄骨の建物で、屋根はトタン。壁は錆が浮いている。夏は蒸し風呂のように熱く、冬は吐く息が白い。その中に機械が五台並んでいた。内側も削れる万能型の旋盤が二台、自動旋盤が二台、フライス盤が一台。十年前に入れた中古の一台を除けば、どれも私が生まれる前からある。父は毎朝機械の油差しから始める。決まった順番で、決まった量だけ油をさしていく。私が子供の頃から一度も変わらない光景だった。
七時に高神さんが来る。伝票、揃えといてくれ。父の声は低くて、必要なことしか言わない。愛想というものが体のどこにもついていない人だった。私は事務所の机で伝票を並べながら電卓を叩いた。先月の売上は五百十八万円。材料費と光熱費と高神さんとパートさんの給料を払って、銀行への返済が三十八万円。払い終えると、父と私の手元にはほとんど何も残らなかった。
うちの帳簿には同じ数字が居座っていた。借入残高、三千二百万円。祖父の代から引き継いだ借金に、十年前に中古の旋盤を一台買った時の借金が乗った。そこへ母が倒れた年に仕事が減って借りた分が積み上がって、この数字になった。返しても返しても、金利の分だけ後ろに下がる気がした。
七年前、丸新商事の営業の若い人が軽自動車で入ってきた。丸新商事はうちの売上の七割を握っている得意先だ。うちのような小さな工場は大きなメーカーと直接取引をすることがない。間に商社が入って注文を持ってきて、できた品物を運んでいく。それが当たり前の形だった。その若い人は伝票を私に渡しながら、申し訳なさそうに言った。あの、来月からこちらの単価なんですけど。私は嫌な予感がした。この十年でうちの部品の単価は四割下がっている。上がったことは一度もない。本社の方から、もう五パーセントほどご協力いただけないかと。父が油のついた手を布で拭きながら事務所の入り口に立った。材料が上がってるのは、そっちも知ってるだろう。はい。ですが――あの、うちも間に立っている以上は。若い人は最後まで言えずに俯いた。この人が決めたことではないのは分かっている。丸新の常務の樋口という人が、毎年こうして値を削ってくるのだ。父は何も言わずに工場へ戻っていった。
私は伝票に判子を押しながら、手が少し震えた。五パーセント。うちが高神さんから受けている仕事に当てはめると、年間で二百五十万円ほどになる。たった二百五十万という人もいるだろうけれど、うちにとってはそれが銀行への返済の半年分を超えていた。
午前中の私の仕事は検品だ。前の日に父が削り上げた部品を検査台に並べ、一つずつ測る。ミクロンまで読める電気マイクロメーターだ。数字を検査表に書き込み、合格した分だけ箱に入れる。数を測るうちに指先が疲れて、目がチカチカしてくる。部品には、ここからここまでなら合格という幅がある。それを公差という。うちの部品の公差は大体二ミクロンだった。髪の毛の太さが大体八ミクロンだから、それを四十本に割いた一本分くらいの狂いしか許されない。父が削ったものはいつもその真ん中に揃っていた。上にも下にも寄らない。五十個測っても百個測っても、数字がほとんど動かない。
工場に戻って最初の年に、私は一度だけ聞いたことがある。お父さん、どうしてこんなに揃うの。音で分かる。音。切り粉が切れてないと砥石は音が濁る。音が変わったら手を止めろ。じいさんに最初に言われたのがそれだ。私にはその音の違いが今も分からない。ただ父が機械の前で急に手を止めて砥石の面を削り直す手直しを始める時、その後に出てくる部品は必ず数字が揃っていた。
昼になると高神さんが自分で持ってきた弁当を事務所で広げる。高神さんは七十歳になる。祖父の代からうちにいる人だ。しのちゃん、社長は昼食ったか。まだだと思います。呼んできます。いや、いい。あったら聞こえてねえよ。高神さんは笑って湯のみのお茶をすすった。その手の甲に細かい古い傷が無数に走っている。四十五年の傷だった。昔はな、この工場も夜まで機械が回ってて、うるさくて話もできなかったんだ。祖父の頃ですか。そうよ。早吉さんがいた頃はな、近所から苦情が来るくらい回してた。あの頃は仕事が向こうから歩いてきたからな。
祖父の鈴村早吉は十二年前に亡くなった。その辺りに町工場が次々と建った時代に、祖父はこの土地を借りて、まず中古の旋盤を一台買って始めたのだと聞いている。自動旋盤を入れたのは鉄工所が建ったその年の暮れで、従業員が一番多い時は九人いたそうだ。私は祖父の顔をよく覚えている。手の大きい人だった。私が小さい頃、その手のひらに切り粉を乗せて見せてくれた。銀色の細い糸のように巻いた切り粉だった。しの、これはな、鉄が泣いた後だ。なんで泣くの。削られたら痛いだろう。痛くねえように削ってやるのが、うまい職人ってもんだ。意味なんて分からなかった。ただその切り粉が綺麗で、私はしばらく手のひらに乗せて眺めていた。
祖父が倒れた後、工場は父が継いだ。ちょうどその頃から町の工場が一つ、また一つと減っていった。商店街の方に行けば分かる。昔鉄工所だった場所がコインパーキングになり、メッキ屋だった建物は分譲住宅に変わった。子供の頃に耳に馴染んでいた音が年々消えていった。
夕方、パートさんが帰り、高神さんが帰り、事務所の蛍光灯を落とす頃になっても父は工場に残っている。日報をまとめてから工場の方を覗きに行く。その日も父は残っていた。仕事をしているのではない。機械を磨いているのだ。古い旋盤の砥石カバーを外して、内側に溜まった切り粉の滓を布で拭き取り、滑り面に油を薄く伸ばす。誰も見ていない場所を、時間をかけて磨いていく。お父さん、もう遅いよ。あ、明日にしなよ。もう無理しないで。父は手を止めなかった。布を持ち替えて機械の脇のハンドルの根元を拭いた。この機械はな、じいさんが工場を建てた年に入れたやつだ。知ってる。五十年動いてる。手を入れてやってるうちは、こいつは動く。そう言って父はようやくこちらを見た。作業灯の下で、父の顔の皺が濃く見えた。この工場だけは、俺の代で潰したくないんだ。
父のその言い方は、言い訳にも祈りにも聞こえた。帳簿を見れば分かる。単価が下がり、材料が上がり、去年の決算はとうとう赤字だった。誰がどう計算してもうちの工場は数年以内に終わる。私は毎日その数字を見ている人間だった。それでも私は父に無理だよと言えなかった。
母が生きていた頃、母もこの事務所で同じ椅子に座って同じ伝票を叩いていた。母は数字に強い人ではなかったけれど、父の作った部品のことになると急によく喋った。しの、見てごらん。これ、光が全然違うでしょう。そう言って検査台のライトの下で部品を回して見せた。私にはどれも同じに見えた。母が倒れたのは六年前の秋だった。台所で急にしゃがみ込んで、そのまま入院した。病名を聞かされた時にはもう手の施しようがなかった。半年後に母は亡くなった。私はその頃東京の事務機器の会社で働いていた。母の葬式の後、私は会社をやめて実家に戻った。誰かに頼まれたわけではない。ただ事務所の椅子が空になっているのを見て、ここに座る人がいなくなったのだと思ったのだ。
戻ってから五年が経った。父は母のことをほとんど口にしない。ただ母の使っていた黒いソロバンが今も事務所の棚に置いてある。父はそれを片付けない。私も片付けない。
その夜、私が工場の明かりを消そうとすると、父が言った。しの、お前、こんなところにいなくてもいいんだぞ。何それ。東京の会社やめさせちゃったからな。私が勝手にやめたの。お父さんのせいじゃないよ。父は、そうかとだけ言った。それから磨き終えた旋盤にカバーをかけた。工場の外に出ると、川の方から冷たい風が吹いていた。星が多かった。父は金のことは言わなかった。事務所の机の引き出しに決算書のコピーが少しずつ増えていた。一番下の段だけはいつもしまっていた。
工場の行末を変える話が持ち込まれたのは、十月の半ばのことだった。その日、丸新商事の車が二台入ってきた。一台はいつもの営業の軽自動車で、もう一台は黒いセダンだった。セダンから降りてきたのは仕立てのいい濃紺のスーツを着た男の人だった。ご無沙汰しております。丸新商事の樋口です。常務の樋口さんだった。年は六十二と聞いていた。うちのような小さな取引先まで自分で来る人ではない。湯のみを二つ出す私の胸の奥が騒いでいた。樋口さんは長机の椅子に浅く腰かけて、まず工場の方を褒めた。鈴村さんの仕上げは、うちの中でも別格ですからね。私は昔から社内でそう言っております。父は黙って聞いていた。褒められて喜ぶ人ではない。しばらく世間話が続いた後、樋口さんは湯のみを置いて少し声を落とした。実は、社長にご相談がありまして。そこから先の話を、私は事務所の隅で伝票を揃えるふりをしながら聞いていた。
樋口さんが言うには、丸新の取引先の一つに鹿原精器という会社がある。従業員千二百人、年商五百二十億。医療用の機器や計測装置を作る大きなメーカーだ。丸新商事はそこに部品を納めている。つまりうちの部品も丸新を経由して、最終的には鹿原精器の機械に入っていることになる。その鹿原精器の会長の息子さんがまだ独身なのだという。専務の鹿原洋介さんです。三十五歳。来年には社長になられる方でしてね。伝票を持つ手が止まった。話がどこへ向かっているのか、ようやく検討がついた。先方は家柄よりも物作りの家の方をお望みでしてね。ご縁があればと、私の方へお話が回ってきたわけです。父が樋口さんを見た。鈴村さんのお嬢さんは、確か二十八でいらっしゃいましたか。事務所の空気が変わった。樋口さんは続けた。その縁が結ばれれば、鹿原が鈴村製作所の借入れを肩代わりする。運転資金も出す。機械の更新も相談に乗る。要するに、この工場は残る。そういう話だった。
私はその時、自分の名前が数字の一部として扱われたのだと分かった。それでも不思議と腹が立たなかった。腹が立つより先に、借入残高が三千二百万円という数字が頭に浮かんだからだ。父が立ち上がった。お引き取りください。社長、うちは娘を出す代わりに金をもらうような工場じゃない。樋口さんは慌てなかった。むしろそう言われるのを分かっていたような顔をしていた。私もそういうお話としてお持ちしたつもりはございません。ただ社長。樋口さんは膝の上で手を組んだ。来年の三月に、御社の借入れの借り替えがございますね。銀行さんは、もう首を縦に振らないと思いますよ。父が動きを止めた。先週枝店にご相談に行かれたと伺っております。私はその時初めて、父が銀行を回っていたことを知った。父は何も言わなかったし、私にも見せなかった。ただ机の引き出しに決算書のコピーが増えていたのも思い出した。
樋口さんは帰りに玄関の外で工場の方を振り返っていった。もったいないですよ。ここの技術は、本当にもったいない。褒め言葉のはずなのに、私の耳には宣告のように響いた。
その夜、私はスマートフォンで鹿原洋介という名前を調べた。出てきたのは業界の記事と掲示板のような書き込みだった。記事は大胆な取引先の整理、調達改革といった硬い言葉が並び、書き込みはもっと直接的だった。下受け潰し。古い町工場を容赦なく切る男。数字しか見ない冷徹な二代目。写真も一枚だけ見つかった。何かの発表会で撮られたものらしく、黒いスーツの背の高い人が笑いもせずに正面を向いていた。鋭い目の人だと思った。私はスマートフォンを伏せた。この人と結婚したら工場は残る。残るけれど、その代わりに私はうちを見下している男の家に行くことになる。
眠れないまま朝になった。それから三日ほど、父は何も言わなかった。普段通り機械を回し、昼は弁当を食べ、夜は残って機械を磨いた。けれど四日目の夜、事務所の蛍光灯の下で父が私を呼んだ。しの、座れ。私は母が使っていた椅子に座った。父は机を挟んで向かい側に立ったまましばらく黙っていた。それから机に両手をついて、深く頭を下げた。情けない父親ですまん。私は息が止まった。父が私に頭を下げるのを、生まれて初めて見た。工場を守る方法が、これしか見つからなかった。父の声が震えていた。銀行も回った。県の相談窓口も行った。うちの数字じゃ、どこも貸してくれん。高神さんもパートの二人も、ここが潰れたら行くところがない。あの人はもう七十だ。今から拾ってくれる工場なんか、どこにもない。お父さん。じいさんにこの工場を渡された時にな。父は顔を上げなかった。俺は返事もせんかった。ただ頷いただけだ。それが俺の一生の返事だと思ってやってきた。
私は父の頭のてっぺんを見ていた。白いものが増えていた。こんなに小さい人だっただろうかと思った。私は椅子から立って父の腕に手を置いた。顔、上げてよ。父はゆっくり顔を上げた。目が赤かった。私、行くよ。しの。怒らないで聞いてね。私、この五年ずっとうちの数字を見てきたの。だから誰よりも分かってる。このままだと、あと二年持たない。父は何かを言おうとして、言葉にならなかった。お父さんが悪いんじゃないよ。単価が四割下がって材料が上がって、それで五十年も持たせてきたんだから、むしろすごいことだと思う。私は自分でも驚くほど落ち着いた声を出していた。それに、売られるわけじゃないんだから。会うのは私だし、決めるのも私。嫌だったら断ればいいでしょ。そんな簡単な話でないのは自分でも分かっていた。それでもそう言わないと父が立ち上がれない気がした。父はもう一度頭を下げようとした。私はその肩を抑えた。もう下げないで。お父さんが頭を下げるのは、二度も見たくないから。
その夜、父はなかなか工場から出てこなかった。私は事務所の窓から、作業灯の下で機械を磨いている背中をずっと見ていた。母のことを思い出していた。母が入院していた病室で、父は毎晩仕事を終えてから来ていた。作業着のまま来るから、母がいつも笑っていた。油臭いわよ。うるさい。しの、お父さんはね。目が見えて手が日本一なんだから、油臭いくらい我慢してあげなさい。そう言って母は笑った。あの時の母の顔を、私は未だにはっきり思い出せる。父の手が日本一なのだとしたら、その手が作ったものはどこかで誰かの役に立っているはずだった。名前も出ないまま、それでも確かに。今度は自分で決めた。



