「旦那さん、作業着がお似合いね。」
グラスの触れ合う音が一瞬止まり、それから小さな笑い声が広がった。駅前のホテルの宴会場。私は壁際のテーブルに立っていた。その笑い声は私に向けられていた。声の主は高校時代から私を一段下に見る癖のある同級生、藤堂レイナ。この日の同窓会の幹事でもあった。
彼女は真っ赤なワンピースの裾を指でつまみ、わざとらしく首をかしげて見せた。「油の匂いとかしないの?大変ね。」そして笑いながらこう言った。「貧乏旦那の嫁は帰れ。」
私は笑おうとした。笑って流せばそれで終わると思った。自分が笑われるだけなら、いくらでも我慢できる。学生の頃からずっとそうしてきた。でも、その日笑われていたのは私ではなかった。
夜明け前に起きて、誰よりも早く工場の鍵を開ける人。私が世界で一番尊敬している人。その人のことを、この部屋の誰も知らなかった。私は自分の指先が冷たくなっていくのを感じていた。ここで何か言い返せば場が荒れる。荒れれば、迎えに来てくれる夫にまで迷惑がかかる。そう思って、私は口を閉じたまま椅子の背に手をかけた。
この夜が、私たち夫婦の何を変えることになるのか。その時の私はまだ何も分かっていなかった。
私の名前は深川しおり。36歳。夫と一緒に小さな工場の事務をしている。夫の名前は新川憲、39歳。新川精密という会社の二代目だ。社員は26人。市の外れにある工業団地の一番奥の区画に工場がある。
夫は毎朝、作業着に着替えて家を出る。胸のところに白い糸で「新川」と縫い取りがある。それは義父が着ていた作業着で、私が袖と裾を直したものだ。
結婚して7年になる。その7年の間に、私たちの会社は一度本当に終わりかけた。取引先が離れて機械が止まり、社員の給料をどうやって作るかだけを毎晩考えていた時期がある。終わりかけて、それでも終わらなかった。なぜ終わらずに済んだのか。その答えを、私はずっと自分の中だけに置いてきた。人に話すようなことではないと思っていたからだ。
だから、私は人に夫の仕事を聞かれるといつもこう答えていた。「夫は工場で働いています。」それは嘘ではない。一つも嘘ではないのだ。
朝の4時50分に目覚ましが鳴る。夫は音が一つ鳴りきる前に手を伸ばして止める。7年間、一度も寝坊したところを見たことがない。私は先に起きて台所に立っている。味噌汁の鍋を火にかけ、卵を焼き、弁当箱に詰める。夫の弁当は昔から量が多い。工場に立つ人は朝に食べた分を昼までに使い切ってしまうのだと義父が言っていた。
「今日は寒いな。」
「うん。」
「手袋、新しいの入れておいたよ。」
「あ、ありがとう。」
夫の会話はいつも短い。それがそっけないわけではないと分かるまで、私は少し時間がかかった。この人は言葉を惜しんでいるのではなく、言葉より先に体が動いてしまう人なのだ。
玄関で夫は作業着に袖を通す。紺色の生地は洗いすぎて色が薄くなっている。肘の辺りに小さな継ぎ当てがある。それは去年私が縫った。その作業着を着ると、夫の背中は少し大きく見えた。私はそれをいつも玄関で見送っていた。
新川精密は、義父の新川修が40年前に立てた会社だ。最初は街中の小さな町工場の裏に旋盤を1台置いただけの工場だったと聞いている。義父はそこから始めて、社員を26人まで増やした。その26人が今も26人のままだ。
うちが作っているのは、医療の装置の中に入って外からは見えない部品ばかりだ。丸い棒を削って穴を開けて外側を磨く。手のひらに乗るような小さな部品を、ミクロンという許される誤差の幅の中に収める。ミクロンというのは0. 002mmのことだ。目では見えない。手でも分からない。だから現場では、削ったそばから1個ずつ測る。空気の圧で太さを見るゲージで、針がほんの少し動いただけで機械を止める。
最後の合否だけは、工場の奥の空調の効いた測定室で出す。1年中同じ温度に保った部屋で、外側の直径は直径だけを測る専用の機械にかけ、穴の位置や触れは三次元測定機で見る。そこで初めて検査の記録に合格の判が押される。その後、洗って油を落とし、専用の袋に入れる。
私はあの工場に行くまで、そういう世界があることを知らなかった。結婚前の私は文房具メーカーの営業事務をしていた。伝票を打って、電話を受けて、在庫を数える。真面目にやったけれど、自分の仕事が誰の役に立っているのか実感したことは一度もなかった。
今は違う。うちの部品は病院に行く。正確に言えば、うちの部品はまず医療機器のメーカーへ行って、そこで組み立てられて内視鏡になる。その内視鏡が病院に運ばれて、誰かのお腹の中に入る。夫が削った小指の先ほどの部品が、どこかの誰かの体の中で動く。
夫がそのことを口にした夜のことは、今もよく覚えている。結婚してすぐの頃、夫が珍しく晩酌をして、そのまま眠りかけながら言ったのだ。「俺たちの作るもんでな。いつか人が助かるんだ。」そう言って夫は照れたように笑った。
私は週に4日、工場の事務所に出ている。経理と受注の入力と電話番と、あとはお茶を出すのが仕事だ。事務所は工場の入り口の横にあって、ガラスの引き戸1枚で現場と繋がっている。だから私は出勤する日はいつも機械の音を聞きながら仕事をしている。
朝一番の音は、油圧のポンプが立ち上がる低いうなりだ。夫が5時半に鍵を開けるのは、この音を先に起こしておくためだ。機械は冷えているうちは寸法が出ない。人より先に機械を起こしておく。それから旋盤の主軸が回り出して、切削油の匂いが事務所まで流れてくる。人によっては嫌がる匂いらしい。私はもう、この匂いがしない日の方が落ち着かない。
工場には義父の代から働いている人が今も残っている。一番古いのが谷口正一さん。68歳。定年を過ぎているのに、1年ごとに契約を結び直して今も現場に立っている。背中が少し丸く、無口で、言葉より先に手が動くところは夫とよく似ている。というより、夫が谷口さんに似たのだろう。
私が結婚してからの3年半ほど、谷口さんは私のことを「奥さん」とも「しおりさん」とも呼ばなかった。ただ黙ってお茶を飲み、湯呑みを流しに置いて出ていくだけだった。それが変わったのは、会社が一番苦しかった時期の一番終わりのことだ。
若い人もいる。森本大一君は25歳。高校を出てすぐに入って、今年で8年目になる。母親と2人暮らしで、給料の半分を家に入れている。秋山幸恵さんは45歳。検査を担当しているパートさんだ。仕事が早くて目がいい。同じ姿勢で何時間でも座っていられる人で、うちの検査はほとんどこの人が支えている。娘さんが看護学校に通っている。
みんな私にとっては家族のような人たちだった。私には親も兄弟もいない。父は私が高校生の時に亡くなって、母もその後病気で亡くなった。兄弟はいない。だから母を送ってから結婚するまでの半年ほど、私は本当に1人だった。
その私が、朝の8時から夕方の5時までこの人たちと同じ建物の中にいる。事務所の椅子に座って、機械の音を聞きながら誰かの湯呑みを洗っている。それがどれだけありがたいことなのかを、私は毎日思っていた。
昼になると、私は事務所のポットでお茶を沸かして休憩室へ運ぶ。休憩室と言っても、パイプ椅子と長机が置いてあるだけの部屋だ。壁には安全標語の紙が張ってあって、その端が少しめくれている。
「奥さん、今日のお茶ちょっと濃いね。」
「あ、ごめんなさい。茶葉を入れすぎたかも。」
「うん。いいの。私、濃い方が好き。」
そういう他愛のないやり取りが、私はとても好きだった。夫は昼休みでも事務所に座っていることがほとんどない。休憩室で弁当をかき込んですぐに現場へ戻ってしまう。社長室というものはこの会社には最初からない。義父がそう決めたのだと聞いた。
社長の机は事務所の窓際に置いてある。書類が積んであるけれど、夫がそこに座っているのは1日に合わせて1時間もない。あとはずっと機械の前にいる。その机の上に写真が1枚立ててある。義父の写真だ。工場の前で作業着のまま腕を組んで映っている。カメラの方を見ていない。誰かが呼んで振り向いたところを撮ったのだと思う。その写真の義父もやっぱり作業着を着ている。
夫の手のことも書いておきたい。夫の指は太くて短い。爪が四角い。関節のところに硬い皮が乗っていて、握手をすると相手が驚く。結婚する前、私はこの人の手を綺麗だと思ったことはなかった。今は違う。この手は、うちの部品を1つずつ拾い上げて指の腹で撫でて傷がないかを確かめる手だ。
「0. 002mmは指では分からない」とこの人はいつも言う。それでも必ず一度は指で触る。だから夫はいつも作業着なのだ。銀行の人が来る日も、取引先の偉い人が来る日も、夫は作業着のまま応対に出る。汚れた手だけは洗って、それから頭を下げる。
最初の頃、私はそれを少しだけ心配していた。「あの上着だけでも羽織った方がいいんじゃない?」「これでも相手の方がうちを見に来てるんだから、うちの格好でいいだろ。」そう言われた時、私は何も言い返せなかった。言い返せなかったというより、この人はそういう人なのだと納得してしまった。
夫は自分の会社の名前を外であまり口にしない。同業の集まりにもほとんど顔を出さない。何かの賞をもらった時も、地元の新聞に写真が載るのを最後まで嫌がって、結局は写真のない小さな記事だけが載った。
「誰かの役に立ってるのは事実だけど、それは俺が偉いって話とは違うだろう。」
そういう人と暮らしていると、だんだん自分の物差しも変わってくる。高い服を着ている人がすごいのではない。名刺の肩書きが立派な人がすごいのでもない。誰かの見えないところで毎日同じ場所に立ち続けられる人がすごいのだと、私は思うようになった。
けれど、その物差しは家の外ではあまり通じなかった。保険の外交員に夫の職業を聞かれて「工場です」と答えた時のあの一瞬の間。子供の頃からの友達に「旦那さん何してるの?」と聞かれて「工場で働いてる」と答えた時の、返事に困ったような笑顔。そういうものに私は何度も出会ってきた。
その度に私は思っていた。「この人たちはうちの工場を見たことがないだけなのだ」と。見たことがないから、工場という言葉から油と埃と汗しか思い浮かばない。あの測定室の静けさも、谷口さんが指先1つで機械の調子を聞き分ける瞬間も、この人たちは知らない。
けれど正直に言えば、その一瞬の間が刺さらなかったわけではない。刺さっても、それを夫に話したことは一度もなかった。話したら、夫がきっと自分のせいだと思ってしまうからだ。
夜、洗濯機を回す前に、私は夫の作業着を風呂場に持っていく。そのまま洗濯機に入れても油のシミは落ちない。だから固形石鹸をつけてブラシで下洗いをする。袖口と胸の辺りと膝。汚れる場所は大体決まっている。水がだんだん灰色になっていく。それを流して、また石鹸をつける。7年やっているうちに、私はこの作業が嫌いではなくなった。むしろ、この時間だけは私も工場の一部になれるような気がしていた。
胸の「新川」の縫い取りは、私が糸を変えて縫い直したものだ。義父が着ていた時のものは、洗いすぎて読めなくなっていた。
義父の新川修は6年前に亡くなった。工場の床で倒れて、そのまま病院に運ばれて、その日のうちに息を引き取った。作業着のままだった。義母は夫が高校生の時に亡くなっていた。だから義父は男手1つでこの工場と息子を育てたことになる。
私が義父と過ごしたのは、結婚してからのたった1年だ。それでも私はあの人の言葉をいくつも覚えている。
「しおりさん、約束だぞ。この作業着を脱ぐようになったら、その時は怒ってやってくれ。」
義父はそう言って湯呑みのお茶をすすった。
「どうしてですか?」
「この作業着を脱いだら、うちはただの会社になる。」
意味がよく分からなかった。私は曖昧に頷いただけだった。その言葉の重さを私が本当に理解するのは、それから何年も先のことになる。100人の前でこの作業着が笑われる夜のことだ。
私が新川精密という名前を初めて見たのは8年前の春だった。その時私は28歳で、緑文具という会社の営業事務をしていた。市内の事業所や工場にコピー用紙や封筒や作業用の手袋を届ける仕事だ。私の担当は受注の入力と伝票の作成だった。
その頃の私は、家と会社を往復するだけの毎日を送っていた。父は私が17歳の時に病気で亡くなっていた。母と2人で暮らしていたけれど、その母も2年ほど前から体を悪くして、家のことがだんだんできなくなっていた。朝は母の食事を作ってから出勤して、夜は母の薬をもらいに病院へ寄ってから帰る。そういう生活が当たり前になっていた。疲れていたのだと思うけれど、自分では気づいていなかった。
私はある日、大きな間違いをした。新川精密という会社から作業用の手袋の注文が入った。10ダース。それを私は100ダースと打ち込んだのだ。ダンボールが12箱、工場に届いた。
電話を受けた時、私は自分の心臓の音が耳の後ろで鳴っているのを聞いた。本当なら課長が一緒に行くはずだったけれど、その日は別の得意先の約束が入っていた。結局、私が1人でその日のうちに謝りに行くことになった。
工業団地の外れにその工場はあった。灰色の壁の平屋建ての建物だった。看板は小さかった。入り口の前に軽トラックが1台止まっていて、その後ろに青いダンボールが積み上げてあった。事務所の引き戸を開けると油の匂いがした。奥の方から機械の音がしていた。
私は頭を下げた。何度も下げた。「返品の手配はこちらでします。運賃も持ちます」と、覚えてきた言葉を全部並べた。顔を上げるのが怖かった。
その時、ガラスの引き戸の向こうから男の人が入ってきた。紺色の作業着を着ていた。手に軍手をはめたままで、それを慌てて外してズボンで手を拭いてから私の前に立った。
「すみません。今、機械を止めてきたので。」
その人は私より少しだけ背が高かった。髪に切り子が混じっていた。切り子というのは金属を削った時に出る細かい削りくずのことだと、私は後になって知った。私は覚えてきた言葉をもう一度そのまま繰り返した。
「ああ、それはいいんですけど。」
その人は困ったような顔をした。「うちも先週、材料の桁を間違えて頼みました。丸棒10本のところ100本。置場に入りきらなくて、まだ庭の隅に積んだままです。」
私は顔を上げた。その人は真面目な顔をしていた。冗談を言っている顔ではなかった。「だから、そういうことはあります。」
その一言で、張り詰めていたものが切れた。私は泣きそうになって、それを見られたくなくて手元のファイルに目を落とした。
「あの、座ってください。立ったままだと話しにくいので。」
私は言われるままに、すり切れたソファーに腰を下ろした。その人はお茶を出してくれた。急須ではなく、事務所のポットのお湯を紙コップに注いだだけのものだった。それでも私はその紙コップを両手で持って、少しだけ息をついた。
「返品の運賃は御社が持つと言われましたけど。」
「はい。」
「12箱分だと、結構な額になりませんか?」
「それは私のしたことなので。」
「いや、うちも使うんですよ、手袋は。」
その人はダンボールの山の方を顎で示した。「毎日使って毎日捨てるものなので、半分は置いていってもらってもいいです。」
私は顔を上げた。「うちが払います。使う分なので。」そんなことを言われるとは思っていなかった。私は「それでは申し訳ない」と言いかけて、うまく言葉が続かなかった。
その時、私はこの人が誰なのかも知らなかった。名刺をもらったのはその少し後だ。「専務 新川憲」。社長ではなく専務だった。当時の社長は父親の方だった。
伝票の話が終わって帰ろうとした時、その人が言った。「せっかく来たんだから、見ていきますか。」見るというのは工場のことだ。断る理由が思いつかなかった。
私はガラスの引き戸の向こうへ入っていった。中は思っていたより明るかった。天井が高くて蛍光灯が並んでいて、機械が何列も置かれていた。人が黙って立っていた。誰も私の方を見なかった。みんな自分の目の前だけを見ていた。音がすごかった。低い音と高い音が混ざっていて、その中に規則正しく何かが落ちる音がした。削り終わった部品が受け皿に落ちる音だと後で知った。床は油で少し黒くなっていて、それでも紙1つ落ちていなかった。
通路の両側に黄色い線が引いてあった。その外側に道具が種類ごとに並べてあって、置き場所の形が床に描いてあった。1つも斜めになっていなかった。私はその整い方に少し驚いた。工場という言葉から想像していたのは、もっと雑然とした場所だった。
専務はその列の間を歩きながら説明してくれた。この機械は丸いものを削る。こっちは穴を開ける。あっちは外側を磨く。そして一番奥の部屋の前で立ち止まった。そこだけドアがあって、ドアの上に温度計が付いていた。「ここは測定室です。」
中に入ると空気が違った。冷たいというより静かだった。機械の音が急に遠くなった。部屋の真ん中に石の大きな台があって、その上を門のような枠が音もなく滑っていた。枠から降りた細い軸の先に小さな玉がついている。その玉で部品の表面を撫でるようにして寸法を拾うのだと教えてくれた。その隣にもっと小さな機械が置いてあった。外側の直径だけを測るための機械だと、それも後から教わった。
「ここで最後の合否を出します。ミクロンの世界なので、部屋の温度が動くだけで数字の方も動いてしまうんです。0. 002mm。髪の毛が太い人でも0.

1mmくらいです。その1/50。」
私はその言葉の意味を頭では理解できなかったけれど、この部屋の温度を1年中同じに保っているのだということは分かった。金属は温度で伸びたり縮んだりするから、温かい部屋で測ったら数字が変わってしまうのだと専務は言った。
専務は棚から小さな箱を出して、蓋を開けて見せてくれた。中には銀色の部品が並んでいた。小指の先ほどの大きさで、真ん中に穴が開いていて、表面が鏡のように光っていた。私はそれを覗き込んだ。自分の顔が小さく歪んで映った。
「これ、何になるんですか?」
「今はまだ部品です。」
その言い方が少しおかしくて、私は笑ってしまった。
「これが他所に行って組み立てられて、内視鏡の先っぽに入ります。その内視鏡が病院に行く。病院で、人の体の中に入るものです。うちはまだ試作を少し受けてるだけですけど。」
その時、私は初めて手のひらの上のものを重く感じた。そんな小さなもののために、これだけのことをしている。26人の人が毎日ここに来て、目に見えないものを追いかけている。なぜかその時、私の目の奥が熱くなった。自分でも理由が分からなかった。
後になって考えてみて、多分こういうことだったのだと思う。その頃の私は、伝票を打っても電話を受けても、それが世界のどこにも届いていないような気がしていた。だから間違えても、心のどこかで「別にいいじゃないか」と思ってしまう自分がいた。でもこの人たちは違った。目に見えないほど小さなものに、これだけの人が本気になっている。
事務所に戻ると、年配の男の人が椅子に座っていた。作業着の胸に白い糸で「進」と縫い取りがあった。専務と同じ作業着だった。顔つきもよく似ていた。その人は私の顔をじっと見て、それから言った。
「あんた、顔色が悪いな。」
私は何と答えていいか分からなかった。その人は立ち上がって、事務所の隅の自動販売機に硬貨を入れた。ごとんと音がして、缶のコーンスープが出てきた。「熱いから気をつけろ。」そう言って私の前の机に置いた。「うちのために100ダースも運ばせて、すまなかったな。」
「いえ、私の間違いで。」
「直せばいい。」
その人は自分の湯呑みを持って椅子に座り直した。「直せなくなるのは、隠した時だけだ。」
私はその言葉を、なぜかその場でメモしたくなった。もちろんしなかったけれど、家に帰ってからノートに書いた。それが義父になる人との最初の会話だった。
帰りの車の中で、私はずっとその言葉を考えていた。間違いは直せばいい。直せなくなるのは隠した時だけ。私は隠していた。母の具合が悪くなってから、仕事でいくつも小さなミスをしていた。上司に言えば担当を減らしてもらえたかもしれないけれど、私は「大丈夫です」としか言わなかった。大丈夫ではなかった。その積み重ねがあの100ダースだったのだと思う。
翌日、私は上司のところへ行って、母の入院のことを話した。仕事を減らして欲しいとは言えなかったので、代わりに「ミスが増えているので、しばらく私の伝票をもう1人に見てもらえませんか」と頼んだ。上司は驚いた顔をして、それから「なんで早く言わなかった」と言った。
家に帰ってから、私はまたノートを開いた。その日に書いたのはたった1行だった。「新川精密さんに、また行きたい。」なぜそう書いたのか、その時の私には説明できなかった。
その次の月から、新川精密への納品は私が行くようになった。営業の人間が配送に出るのは本当はおかしなことだ。上司は不思議そうな顔をしたけれど、伝票のことがあったので「まあ、顔を出しておけ」と言ってくれた。
私は月に1度、コピー用紙と手袋の箱を車に積んで、あの工業団地の外れまで行った。行く度に少しずつ工場のことが分かってきた。谷口正一さんという人がいた。当時60歳で、義父の代から一番長く働いている職人さんだった。谷口さんは私が挨拶しても大抵頷くだけだった。一度、私が箱を運ぼうとして落としそうになった時、横から手が伸びてきて受け止めてくれた。
「あ、すみません。」
「軽トラの方が楽だ。」
それだけ言って、谷口さんは行ってしまった。
若い子もいた。森本大一君はその時17歳で、高校3年生の春から実習という形で工場に来ていた。遅くて声が小さくて、いつも作業着の袖が余っていた。
「あの、お茶どこに置けばいいですか?」
「私、まだここの人じゃないので。」
「あ、そうでした。すみません。」
それで2人で笑った。そういう小さなことの積み重ねで、私はこの場所が好きになっていった。
一度、こんなことがあった。私が事務所で伝票に判をもらっている時、現場から若い社員が走ってきた。顔が真っ青だった。手には金属の部品を持っていた。その子は専務の前で立ち止まって、震える声で言った。
「すみません。寸法、外しました。」
専務は部品を受け取って、しばらく指で転がしてから聞いた。「何個?」
「4個です。」
「出荷はまだですか?」
「今朝の箱に入れる前でした。」
専務は頷いた。「よし、よく持ってきた。」それだけ言って、その部品を赤い箱に入れた。不良品に1つも紛れ込まないように置き場所が決まっている箱だ。
「材料はまだあるか?」
「あります。」
「じゃあ、やり直そう。俺も入る。」
その子は泣きそうな顔のまま現場に戻っていった。私はそのやり取りを事務所の入り口で見ていた。4個分の材料と時間が消えたのに、この人は一度も声を荒げなかった。
後で私は聞いた。「怒らないんですね。」「怒ったら、次から持ってこなくなります。持ってこなくなったら、そのまま外に出ていきます。うちの部品がそのまま。」そう言って専務は少しだけ困ったように笑った。
その時、私は義父が言った言葉を思い出した。「直せなくなるのは隠した時だけだ。」この工場では、あの言葉が本当に生きているのだと分かった。
専務とはいつも事務所で5分ほど話した。話と言っても仕事の話ばかりだ。「今月は忙しい」とか「機械の調子が悪い」とか、その程度のことだった。それでも私は、その5分のために月の残りを過ごしているようなところがあった。
夏の終わりに、母の具合が悪くなった。入院が決まって、私は仕事を早く上がる日が増えた。納品にも行けなくなった。2ヶ月ほど工場に顔を出さなかった。
その2ヶ月の間に、一度だけ専務から電話があった。会社の代表番号にかかってきたので、上司が私に取り次いだ。「新川精密ですが。」「あ、はい。いつもお世話になっております。」「あの、来月の納品なんですけど。」「はい。」そこで電話の向こうが少し黙った。「手袋、まだあるので、今月はいりません。」「そうですか。」「ありがとうございます。それだけです。すみません。」電話は切れた。
私は受話器を置いてから、しばらく座っていた。うちの記録では、あの会社の手袋の在庫はその月にはもうなくなっているはずだった。あの人は多分、私が来られないことを知っていて、無理に注文を作らないでくれたのだ。そんなことを気にする取引先を、私は他に知らなかった。
10月の終わりに、母は亡くなった。「眠るように」というのは嘘だと思う。母は最後の3日間、ずっと苦しそうだった。それでも最後の朝だけ、少しだけ目を開けて私の手を握った。何か言おうとして言えないまま、息を引き取った。私は生まれて初めて、たった1人になった。
その日は雨だった。親戚は少なかった。父方の叔父が来てくれたけれど、それも焼香だけして帰っていった。私は受付の椅子に座って、誰も来ない入り口をずっと見ていた。
夜の8時を回った頃、傘を持った男の人が入ってきた。その後ろにもう1人いた。専務と義父になる人だった。2人とも黒い服を着ていた。専務はネクタイが少し曲がっていた。
「どうして?」
「緑文具さんに電話したら、教えてくれたので。」
私は言葉が出なかった。義父は焼香をして手を合わせて、それから私の前に来て言った。「痩せてないか。」
葬儀場の廊下の自動販売機の前で、義父はまた私に缶のスープを買った。そして何も言わずに隣に立っていた。慰めの言葉は1つもなかった。「頑張れ」とも「しっかりしろ」とも言わなかった。ただ、私が飲み終わるまでそこにいた。私はその時初めて、声を出して泣いた。
49日が済んだ頃、専務から電話があった。「今月の納品、まだですよね。」「あ、はい。すみません。担当、変えてもらっていて。」「そうですか。」それから長い沈黙があった。私は受話器を持ったまま、待った。「あの、しおりさん。」「はい。」「うまく言えないんですけど。」そこでまた黙ってしまった。「一緒に暮らしませんか?」
私はしばらく何も言えなかった。「すみません。今の、なしで。」「え?」「行きます。」自分でも驚くくらいはっきりした声が出た。
電話を切ってから、私は台所の椅子に座ってしばらく動けなかった。母が亡くなってから、家の中の音がなくなっていた。テレビもつけずに、私は毎晩そこにいた。誰もいない家に帰るのが怖くて、わざと遠回りをして帰る日もあった。その家に、明日から誰かがいるかもしれない。それだけで、私は泣きそうになった。
けれど、その後が大変だった。私には親がいないので、結婚の話をする相手がいない。義父に電話をしたら「お前が決めたなら」と言われて、それで終わりだった。そのことを専務に話したら、あの人はこう言った。「じゃあ、うちの親父に両方やってもらいます。」「両方って?」「しおりさんの親と、新川の親を。」
私はその場で笑って、それから泣いた。実際、入籍の日、義父は礼服を着て、床の間を背にして座っていた。そして私に向かってこう言った。「しおりさん。うちには嫁のもらい方ってもんがないんだ。だから俺のやり方でやる。今日から、あんたの親は俺だ。」義父はそう言って、深く頭を下げた。
翌年の春、私たちは結婚した。式はあげなかった。工場の休憩室に社員の皆さんが集まって、幸恵さんが作ったちらし寿司を食べた。それが私たちの披露宴だった。義父はその時、湯呑みを持ったまま立ち上がってこう言った。「うちの嫁になったんだから、もう客じゃない。遠慮すんな。」それだけだったけれど、工場のみんなが手を叩いてくれて、私は自分に帰る場所ができたのだと思った。
その席で、谷口さんだけが最後まで座ったまま何も言わなかった。ちらし寿司を食べて、お茶を飲んで、それから軍手をはめて現場に戻っていった。幸恵さんが小声で教えてくれた。「谷口さんね、昔から言葉が出ない人なの。悪気はないから。」「はい。」「でもね、あの人が現場に戻るのはいい合図なのよ。」「合図?」「機械を止めてまで座ってたってことだから。」そう言われて、私は初めて谷口さんの湯呑みに気がついた。長く使った湯呑みが、きちんと伏せて置いてあった。
結婚してすぐ、私は毎日弁当を作るようになった。最初は夫の分だけだった。それが2ヶ月目に3人分になり、半年後には工場全員のおにぎりを作る日ができた。理由は単純だった。うちの工場は忙しくなると、誰も昼を食べに行かないのだ。工業団地の外れなので、歩いていける店が1つもない。だからみんな朝に買ったパンをかじって、そのまま夕方まで機械の前にいる。
それを知った日、私は台所で米を一生懸命炊いた。家の炊飯器では1度に炊けないので、何度かに分けて炊いた。夫は驚いた顔をしていた。「そんなに作らなくても。」「作りたいの。」「けど、大変だろ。」「大変じゃないよ。私、それくらいしかできないから。」そう言ったら、夫は少し黙ってからこう言った。「それくらいじゃないよ。」
その日から、私が工場に大きな鍋と保温ジャーを運ぶのが当たり前になった。中身はおにぎりと味噌汁と漬け物だけだ。手の込んだものは何も作れない。それでも幸恵さんが「これが一番助かる」と言ってくれたので、私は7年間ずっと同じものを作り続けている。
義父が倒れたのは、結婚した次の年の6月だった。その日は朝から蒸し暑くて、工場の大きな扇風機が全部回っていた。私は事務所で請求書を作っていた。窓の外で蝉が鳴き始めていた。
ガラスの引き戸の向こうで、何かが倒れる音がした。続いて谷口さんの声がした。それまで谷口さんの大きな声を、私は一度も聞いたことがなかった。「修さん!」
私は椅子を倒して立ち上がった。義父は3号機の前でうつ伏せに倒れていた。背中に細かい金属の粉がついていた。谷口さんが肩を抱いて起こそうとしていて、夫が奥から走ってきた。救急車が来るまでの時間が、ひどく長く感じられた。
病院に着いてから、私たちは廊下の椅子で待った。夫は作業着のままだった。膝のところに油のシミがついていた。私はそのシミをずっと見ていた。
義父はその日の夕方に亡くなった。心臓だった。前から少し悪かったのだと、後で夫から聞いた。義父は誰にも言っていなかった。薬だけもらって、それを工具箱の中に入れていた。夫は病室を出る時、義父の手を握って何か言った。声は聞こえなかった。
通夜と葬儀の間、夫は一度も泣かなかった。泣かないというより、泣く時間がなかった。取引先の人たちが次々に来て、その度に夫は頭を下げた。夜中に帰ってきて、そのまま椅子で眠って、朝になるとまた工場に行った。私は何もできなかった。ただおにぎりを作って持っていった。
谷口さんは通夜の受付にずっと座っていた。誰とも話さず、香典袋を並べ直していた。帰り際に夫の肩に手を置いて、何も言わずに出ていった。
49日が済むまで、私は夫が泣くところを見なかった。ただ一度だけ、こんなことがあった。葬儀から10日ほど経った夜、夫が帰って来なかった。電話も通じなかった。私は車で工場へ行った。門は開いていた。事務所の電気は消えていて、工場の方に1つだけ明かりがついていた。
夫は3号機の前に立っていた。機械は動いていなかった。夫はただそこに立っていた。手をハンドルに置いたまま、じっと動かずにいた。私は声をかけられなかった。しばらくして、夫が言った。「親父の手の位置が、まだ残ってる。」「え?」「ここ、塗装が剥げてるだろ。30年、同じところを握ってたからだ。」夫はそこを指でなぞった。「俺の手だと、少しずれる。」
私はその夜、初めて思った。この人は父親をなくしただけではない。父親が積み上げてきたもの全部を、いきなり預かってしまったのだ。
初七日が明けて、私たちはこの休憩室で社員全員に集まってもらった。夫は前に立って、深く息を吸ってから言った。「今日から、俺が社長をやります。」そこで一度言葉が止まった。「親父みたいにはできません。でも、この工場を止めることはしません。」誰も何も言わなかった。ただ、谷口さんが一番後ろの席で小さく頷いたのが見えた。
その日から、うちの空気は少しずつ変わっていった。一番最初にやってきたのは、取引先の異変だった。うちの売上の6割は、北山オートという自動車部品の会社が占めていた。義父が30年かけて築いた関係だった。義父はあの会社の購買部長と釣りに行く仲だったし、忘年会には必ず顔を出していた。
義父が亡くなって2ヶ月後、その北山の担当者が工場に来た。「新社長はどういう感じで行かれるんですか?」夫は作業着のまま事務所の応接で頭を下げた。「今までと変わりません。」「変わらないというのは?」「品質も納期も値段も、全部そのままです。」「そうですか。」その人は湯呑みに口をつけずに帰っていった。
私は事務所の机からその背中を見ていた。何かがおかしいと思ったけれど、それが何なのかは分からなかった。後になって分かったことがある。義父が生きていた頃、その担当者はいつも工場の中まで入ってきていた。作業の人たちに声をかけて、機械を覗いて、それから事務所でお茶を飲んで帰った。義父が亡くなってから、その人は事務所より奥へ入らなくなった。
「現場を見なくなった相手は、そのうち数字だけで判断するようになる。」谷口さんが後でそう言った。「あの人な、修さんと釣りに行ってた頃は、うちの機械の名前も覚えてたんだ。今は、うちを1行で見てる。1日の1行だ。」谷口さんはそう言って、湯呑みを流しに置いて現場へ戻っていった。
もう1つの問題は機械だった。工場で一番古い旋盤は、義父が中古で買ってきたものだった。うちでは3号機と呼んでいる。義父が倒れたのもこの機械の前だった。もう30年近く、外側を磨く機械で、うちの仕事の肝になっていた。
その機械が、義父の亡くなった年の秋から数字を出さなくなった。「出さなくなる」というのは正確ではない。削れてはいるのだ。ただ、朝一番に削った1個目と、夜遅くに削った80個目とで、現場のゲージの針の止まる位置が違ってくる。0. 003mmとか、そういう単位で。普通の仕事なら誰も気づかない差だけれど、北山オートからうちが預かっていたのは、燃料をエンジンや送るところに入る部品だった。図面の一番厳しい寸法はミクロンで引いてある。
11月の初めに、不良が外に出た。出荷した箱の中に、許される幅を外れたものが3個だけ混じっていた。先方の受け入れ検査で見つかって、電話が来た。私が受けた電話だった。相手の声は静かだったけれど、その静かさが逆に怖かった。
その頃のうちは、決めた感覚で抜き取って測るやり方だった。機械が動いたと分かった時には、もう箱に入っていた。その日、工場は午後から全部止まった。夫が止めたのだ。同じ機械で作ったものを全部集めて、現場のゲージで1個ずつ当たり直した。少しでも針が触れたものだけ測定室へ回した。出荷済みの分も、先方にお願いして返してもらった。
谷口さんと幸恵さんが夜中の2時まで測り続けた。私は事務所でその記録を打ち込んでいた。数字が並んだ表を見ながら、私は何度も同じことを考えていた。この3個がもし誰にも気づかれずに機械の中に入っていたら、どうなっていたのだろう。多分、何も起きなかった。0. 003mmの違いで壊れるような装置なら、そもそも世に出ていない。それでもうちは工場を半日止めて、全部を測り直した。
まず翌日に、何を止めてどこまで測り直したのかだけを書いた書面を出した。その後1ヶ月かけて、本当の報告書を作った。何が起きて、なぜ気づけなかったのか。明日から何を変えるのか。変えることの1つ目に「削ったそばから1個ずつ測る」と書いた。今もうちの現場がそうしているのは、あの11月からだ。
そういう会社なのだと、私はその時初めて自分の言葉で理解した。夫はその日、北山まで行って頭を下げてきた。帰ってきたのは夜中を過ぎていた。私は事務所の電気をつけたまま待っていた。夫は事務所に入ってきて、鞄を机に置いて、それから椅子に座った。作業着ではなくスーツを着ていた。義父の葬儀で着たものだった。
「原因を潰しきるまでは、量を落とすことになった。」
「量を落とす?」
「半分だ。」
私は言葉が出なかった。売上の6割を占める会社の、その半分。数字にすると、うちの年間の売上の3割が消える。夫はネクタイを緩めて天井を見上げた。「あの機械はな、親父が最初に買った旋盤なんだ。」「うん。」「俺が中学の時、あれで削った部品を見せられた。『ああ、光ってるだろ』って。」夫はそこで少し笑った。「その時の親父の顔、今も覚えてる。」
私はお茶を入れようとして立ち上がったけれど、手が震えてポットのお湯をこぼした。夫は立ち上がって雑巾を取ってきて、黙って床を拭いた。そして拭き終わってからこう言った。「大丈夫だ。まだ何も終わってない。」その言葉が自分に言い聞かせるためのものだということは、私にも分かっていた。
次の年の春、もっと大きなものがやってきた。3月の終わりに、北山から2人がうちに来た。今度は担当者ではなく、上の人たちだった。要件は1つだった。うちに出していた仕事を、来年度から海外の工場へ移す。「決まったことだ」と言われた。品質のことでも値段のことでもなく、会社の方針なのだと。
夫は最後まで丁寧に話を聞いて、その人たちを門まで送った。戻ってきた夫の顔を、私は見ていられなかった。残っていた北山の仕事に、その日、終わりの日付がついた。来年度の初めで全部消える。半分に落とされた後でも、まだうちの売上の3割を占めている会社だった。
そこからの数ヶ月のことを、私はあまりうまく思い出せない。思い出せるのは、事務所の机の上にいつも同じ書面が広げてあったことだ。資金繰りの表だった。私が毎週作り直していた。作り直すたびに、一番下の行の数字が小さくなっていった。
その表を作るのは私の仕事だった。入ってくるお金と出ていくお金を月ごとに並べて、その差を書く。材料代、電気代、機械のリース代、社会保険、そして給料。給料だけは一番上に書いた。義父がそうしていたからだ。義父の残した古いノートを見たら、月ごとの表の一番上の行がいつも給料になっていた。他の支払いはその下だった。私はそれを真似ていた。
一番上の行の数字は毎月変わらない。26人分の生活が、そこに1行で書いてある。その1行を見るたびに、私は息を止めていた。
夫は毎晩工場に残るようになった。図面を広げて電卓を叩いて、それから現場に降りて機械を動かす。新しい仕事を取るための試作をしていたのだ。昼は今までの仕事をして、夜に試作をする。そういう毎日だった。
私は毎晩、工場へ弁当を届けた。家で夕飯を作って、それを弁当箱に詰めて車で運ぶ。着くのは大抵夜の9時を過ぎていた。工場の窓には明かりが1つだけついていて、その下に夫の背中があった。
「ご飯。」
「あ、悪いな。毎晩。」
「いいの。」
夫はいつも弁当を食べる前に手を洗った。石鹸を3回つけて、爪の中まで洗った。それでも指の関節のしわに黒いものが残っていた。その手で夫は箸を持った。
給料日は25日だった。北山の話を聞いた年の6月から、私は毎月20日頃になると眠れなくなった。25日に間に合うかどうかを、私が計算していたからだ。入金の予定と支払いの予定を並べて、足りない分を数える。足りない時は、夫が自分の報酬を止めた。社長の取り分は報酬と言って、止めるのも自分で決められる。
6月と7月、夫は自分の報酬を1円も取らなかった。そのことは社員の誰にも言わなかった。私が言おうとしたら、夫は首を横に振った。「言ったら、みんなが取りにくくなる。」
7月のある日、大一君が事務所に来た。その頃、大一君は20歳で入社して3年目だった。彼は封筒を持っていた。「あの、これ。」「何?」「今月の給料の。」封筒の中身はそのままだった。「俺、そんなに使わないんで、半分でいいです。」
私は言葉に詰まった。「半分でいい」というのは、家に入れる分だけでいいという意味だった。「大一君。」「はい。」「それは受け取れない。あなたが働いた分だから。」大一君は封筒を持ったまま、しばらく立っていた。それから小さな声で言った。「俺、ここ以外で働ける気がしないんです。」
私はその日、事務所のトイレで泣いた。
夏になって、銀行から連絡が来た。追加の融資は難しいという話だった。私は事務所でその電話を受けて、夫に取り次いだ。夫は「はい」と「分かりました」しか言わなかった。
その夜、夫は工場に残らずに家へ帰ってきた。久しぶりに2人で夕飯を食べた。テレビもつけずに食べた。食べ終わって、夫は湯呑みを両手で持ったままこう言った。「工場、畳もうと思う。」
私は箸を置いた。「今なら、まだみんなに退職金が出せる。谷口さんにも、幸恵さんにも、大地にもだ。これ以上引っ張ると、それも払えなくなる。」夫の声は落ち着いていた。落ち着いているのが一番怖かった。「親父から預かったもんを、俺が終わらせることになる。」そこで夫の声が初めて崩れた。「これには、無理だったんだ。」
私はその夜、夫が泣くのを初めて見た。義父が亡くなった日も、葬儀の日も、北山の話を聞いた日も、この人は泣かなかった。それが湯呑みを持ったまま、声を出さずに肩を震わせていた。
私は自分が何を言うべきなのか、全く分からなかった。慰めの言葉は思いつかなかった。数字の話もできなかった。私は経理の書類を毎週作っているから、その数字がどれだけ厳しいかを誰よりも知っていた。だから、私は数字の話をしなかった。
「ねえ。」夫は顔を上げなかった。「私、あなたの作るものをすごいと思ってる。」夫の手が止まった。「初めてあの測定室に入った日から、ずっと思ってる。目に見えないものを26人で追いかけてる会社なんて、そんなにないよ。」私は自分の声が震えているのが分かった。それでも続けた。「作業着のあなたを、私は恥ずかしいなんて一度も思ったことない。一度もないの。」
夫は顔を上げなかった。私は自分の湯呑みを両手で包んで、それからもう一言だけ言った。「ねえ、あなたの仕事はね、誰かの命を支えてるんだよ。」夫の手がはっきりと動いた。「あなたが削ったものが、いつかどこかの病院で誰かの体の中に入るの。その人には家族がいるよね。その家族にとっては、その検査がちゃんとできるかどうかで、その先の何年かが変わるかもしれない。」
自分でもなぜそんなことを言えたのか分からない。多分、初めてあの測定室で見せてもらった小指の先ほどの銀色のものを思い出していたのだと思う。あの時、私はそれを重いと感じた。「だから、あなたの仕事は誰かの命を支えてるの。畳んだら、それが1つ減る。」
夫はしばらく黙っていた。それから袖で顔を拭いて、こう言った。「ずるいな、それ。」私は笑おうとして、うまく笑えなかった。
翌朝、夫は時間に起きた。そして工場に着いてすぐ、社員全員を休憩室に集めた。私も後ろで聞いていた。夫は全部話した。北山オートのこと、来年度の売上のこと、銀行のこと。数字も全部出した。隠さなかった。ただ、自分の報酬を止めていたことだけは、その時も言わなかった。
「正直に言います。このままだと、来年の今頃は分かりません。やめる人がいても、俺は止めません。今なら、ちゃんと出せます。」
休憩室が静かになった。最初に立ち上がったのは谷口さんだった。「社長。」「はい。」「あの、3号機、俺にやらせてくれ。」夫は目を見開いた。「修さんと、あれを組み上げたのは俺だ。あいつがどこで狂うか、俺なら分かる。」谷口さんはそれだけ言って座った。
次に立ったのは幸恵さんだった。「うち、娘が中学生でね。これからお金がかかるんだけど、まあ、なんとかするから。ここがなくなる方が困る。」
大一君は立ち上がることもできずに下を向いたまま、「俺、残ります」とだけ言った。声が裏返っていた。
誰も出ていかなかった。26人、誰1人として。夫は前に立ったまま、深く頭を下げた。長い間、頭を上げなかった。
その日の帰り道、車の中で夫が言った。「しおり。」「うん。」「医療を、うちの柱にしようと思う。」「柱に?」「今みたいに試作を少しずつ受けるんじゃない。量産だ。前から声はかかってた。うちの精度なら入れると言われてる。ただ、量産をやるには認証がいる。」
認証というのは、品質の決まりをきちんと守れていると外部の審査機関に認めてもらう仕組みのことだった。取るのに1年近くかかる。書類も膨大にいる。しかも取ったら終わりではない。毎年1回審査員が来る。何年に1度はもっと長い審査がある。1年耐えられるかどうかだ。
私は助手席で頷いた。「私、書類やる。」「え?」「事務だもん。それくらいしかできないから。」夫は前を向いたまま、少しだけ笑った。「だから、それくらいじゃないって。」
そこからの1年を、私は今でもうまく説明できない。昼は今までの仕事を回して、夜は認証のための書類を作った。工場の中の決まり事を、1つ残らず紙に書き起こす作業だった。誰がどの機械を使えるのか、使う前に何を確認するのか、材料はどこから来て、どの棚に置いて、どうやって記録するのか。不良が出たら、誰に、いつまでに、と伝えるのか。
うちの工場では、そういうことは全部体で分かっていることだった。谷口さんの頭の中と、夫の手の中にしかなかった。それを紙にする。私は毎晩、休憩室の長机に紙を広げて、谷口さんに聞いた。
「谷口さん、この作業、次に何を見ますか?」
「音だ。」
「音?」
「音が変わったら止める。それでいい。」
谷口さんは腕を組んで、しばらく天井を見ていた。それからぽそりと言った。「主軸の回転が上がる時に、こう『ヒュー』っていうのがある。それが濁ったら、軸受けだ。主軸を支えてる軸が減ってるってことだ。減れば熱を持つ。熱を持てば主軸が伸びる。伸びれば寸法が動く。だから、濁ったら止めて測る。」
「じゃあ、こう書きます。削ったものは1個ずつ測る。その数字は始業時と1時間ごとに記録に残す。おかしな音がしたらすぐ止めて、責任者に伝える。」
「それでいい。」
私は必死で書き取った。書いては消して、また書いた。そんなやり取りを週に2度か3度、半年以上続けた。書類の束は、いつの間にか私の背丈の半分になった。
審査は2日がかりだった。審査員は初日の朝一番に来て、そこから夕方まで工場のあちこちを見て回って、記録を1枚ずつめくっていった。夫は作業着で応対した。その時はまだ自分の作業着だった。義父のものは押入れの奥にしまったままだった。
夕方、審査員の1人が夫に聞いた。「御社は記録の運用が新しいですね。初めてどのくらいですか?」「この形にしてからは1年です。」「1年でここまで整えたんですか?」「うちの事務が、全部聞いて回りました。」そう言って夫は私の方を見た。私は下を向いた。顔が熱くなって、どうしていいか分からなかった。
認証が下りたのは翌年の9月だったけれど、本当の勝負はそこからだった。認証は入り口の切符でしかない。実際に仕事をもらうには、試作を出して一番最初の検査に通らなければならない。図面通りの寸法が出ているかを、先方が1個ずつ全部測る。そこで1個でも外れたら、そこまでだった。
試作の部品で一番難しいのは外側の直径だった。図面で0.
002mmと決められているのは、その直径だ。そして、その直径を仕上げられるのは、うちではあの3号機しかなかった。谷口さんは春から、時間さえあればあの機械の前にいた。メーカーに問い合わせたら、その機械の部品はもう出ないと言われたのだそうだ。谷口さんは軸受けの合うものを探して取り替え、自分自身の手で砥石と部品の当たり具合を1/1000mm単位で調整し直していた。
私は何度か、夜中の工場でその背中を見た。蛍光灯の下で、その時64歳だった谷口さんが床に膝をついて、機械の下を覗き込んでいた。「谷口さん、お茶。」「あ、あの、治りそうですか?」「治る。即答だった。こいつはな、悪くない。年を取っただけだ。年を取ったら、取ったなりの使い方がある。」その言葉を、私はずっと覚えている。
試作の部品ができたのは10月の終わりだった。その前の1ヶ月は、工場全体が張り詰めていた。材料が届いたのは9月の半ばだった。医療機器に使うステンレスは、注文してから入るまでに時間がかかる。届いた分は決まった本数しかなくて、失敗できる回数が最初から限られていた。
夫と谷口さんは、削っては測り、削っては測りを繰り返していた。幸恵さんが検査に付きっきりになって、大一君が材料を運んだ。私は記録を打った。1個ごとに、誰が、いつの、どの機械で、どういう条件で削ったかを全部残した。材料も同じだ。どの箱の丸棒を何本使って、その材料の証明書がどこに閉じてあるかまで書いた。そういう記録がないと、医療機器の部品は納められない。
10月の20日を過ぎた頃、夫が事務所に入ってきて、机の上に部品を1つ置いた。「上がってきた。」「どうだった?」「真ん中だ。」真ん中というのは、許される幅のちょうど真ん中という意味だった。上でも下でもなく、一番狙いたいところに入ったということだ。
その部品を、私は手に取った。初めてあの測定室で見せてもらったものと同じ形をしていた。試作は50個と決められていた。全部を洗って油を落として、測定室に並べて、部屋の温度に馴染ませてから測った。記録をつけて、専用の袋に入れてから箱に詰めた。
出荷の朝、工場のみんなが事務所の前に集まった。誰も何も言わなかった。夫が伝票を書いて、私が控えを受け取って、運送屋さんのトラックにその箱を乗せた。トラックが門を出ていくのを、26人で見送った。
返事が来るまで2週間かかった。その2週間のことは、あまり覚えていない。ただ、事務所の電話が鳴るたびに、全員が現場から顔を上げるようになったことだけ覚えている。幸恵さんはその2週間で3回も休憩室の掃除をした。谷口さんは3号機のカバーを何度も開けて閉めた。大一君は事務所に来るたびに「まだですか」と聞いた。1日に2回もだ。
夫だけが、いつもと変わらなかった。いつもと同じ時間に来て、いつもと同じように機械の前に立って、いつもと同じ量の弁当を食べた。家に帰ってからもその話をしなかったけれど、夜中に目が覚めた時、隣の布団が空いていることが何度かあった。台所の椅子に座って、暗いところで湯呑みを持っている背中を、私は見なかったふりをした。
11月の半ば、電話が鳴った。私が取った。相手はあの医療機器メーカーで、品質を見ている部署の人だった。うちが1年もかけて追いかけてきた会社だ。「新川精密さんですか?最初の50個、全数合格です。」
私は受話器を持ったまま、しばらく動けなかった。「もしもし。」「あ、はい。はい。」「量産のご契約のことは、調達の担当から改めてご連絡します。よろしくお願いします。」
電話を切って、私はガラスの引き戸を開けた。現場の全員がこちらを見ていた。機械の音の中で、みんなが手を止めて立っていた。私は口を開いたけれど、声が出なかった。だから、両手で丸を作った。
その時、一番奥で誰かが叫んだ。大一君だった。それから幸恵さんが両手で顔を覆って、その場にしゃがみ込んだ。夫は動かなかった。3号機の前に立ったまま、機械の縁に片手をついて下を向いていた。谷口さんがその肩を、一度だけ叩いた。
その日の夕方、夫は全員を休憩室に集めた。そして、ボーナスを配った。夏のうちから、社員に払う分だけを別にして取り分けてあったのだと、後で通帳を見て知った。金額は多くなかった。2年半ぶりの賞与で、以前の半分にも届かなかった。それでも夫は1人ずつ名前を呼んで、頭を下げながら手渡した。「谷口さん、ありがとうございました。」
谷口さんは封筒を受け取って、それを作業着の胸のポケットに入れた。そして帰り際に、私の前で足を止めた。「奥さん。」私は驚いて顔を上げた。結婚してから3年半の間、この人が私を呼んだのはそれが初めてだった。「あんたの描いた書類な。」「はい。」「あれ、俺の頭の中と同じだった。」それだけ言って、谷口さんは帰って行った。
私は事務所の椅子に座ったまま、しばらく立てなかった。
その夜、家に帰ってから、私は押入れを開けた。奥に白い布に包んだものが入っていた。義父の作業着だ。倒れた日に着ていたものは病院で処分したけれど、義父の家のタンスには同じものが2組、そのまま残っていた。私は義父の49日が済んだ後に、それを引き取って洗ってしまっておいた。
袖が長かった。裾も少し長かった。義父は夫より背が高かったのだ。私はその夜から3日かけて、2組とも袖と裾を直した。胸の縫い取りもほつれていたので、白い糸で縫い直した。直す機会はこの2年の間に何度もあった。それでも、この人がこの服を着るのは、この工場がもう1度立った日でなければいけない気がしていた。今日がその日だと思った。
4日目の朝、玄関でそれを渡した。「これ。」「親父の?」「うん。直したから。」夫はそれを両手で受け取って、しばらく黙っていた。それから、着ていた自分の作業着を脱いで、義父の作業着に袖を通した。背中が少しだけ大きく見えた。「ちょうどいいの?」「うん。」「しおり。」「何?」「行ってきます。」夫はそれだけ言って、出ていった。
脱いだ方を毎晩下洗いして、乾いた方を翌朝に出す。下洗いした作業着は一晩では乾ききらないので、2組でちょうど回っている。その日から4年、夫は毎日この作業着を着ている。銀行に行く日も、東京の展示会に呼ばれた日も、市長が視察に来た日も、審査員が毎年うちを見に来る日も、夫は一度もこれを脱がなかった。
義父の言葉の意味が、私にはようやく少し分かってきた気がしていた。けれど、この作業着がもう1度、私たちの前に立つ日が来る。それは4年後の、風の冷たい土曜の夜のことだった。
あの50個を受け取ってくれた医療機器メーカーの名前は、霧島メディカルという。今ではうちの売上の一番大きな柱だ。その霧島メディカルが、部品を買う側としてうちの工場を丸ごと見に来たことがある。監査という、同窓会のあった年の春のことだ。品質保証の人たちが1日で現場を見て、記録を3年分めくっていったのだと夫が言っていた。求められた記録は前の週に全部揃えて出してあって、その日の私は市役所と銀行を回っていた。応対したのは夫と谷口さんで、私が戻った時にはもう帰られた後だった。
封筒が届いたのは10月の半ばだった。差出人の名前を見て、私は玄関で立ったまま動けなくなった。藤堂レイナ。高校の時の同級生だ。中に入っていたのは同窓会の案内だった。卒業して18年になるので、久しぶりに集まりましょうという文面だった。会場は駅前のホテル。11月の終わりの土曜日。夕方の6時から。
私は封筒を持ったまま台所へ行って、それをテーブルの上に置いた。そしてそのまま夕飯の支度を始めた。行きたくなかった。
高校生の頃の私は、教室の一番後ろにいるタイプの生徒だった。目立つことは何もしなかった。友達も多くはなかった。父が亡くなったのは高校2年の秋だ。それから母と2人になって、私は放課後にスーパーのレジのアルバイトを始めた。服を買う余裕はなかった。だから制服以外の日は、いつも同じ紺のカーディガンを着ていた。
藤堂レイナはその反対にいる子だった。背が高くて髪が綺麗で、いつも人の輪の真ん中にいた。悪い子ではなかったと思う。ただ、人を上と下に並べて見る癖があった。
高校3年の冬。着替えで私の前になった時、レイナが振り返って後ろの私をこう呼んだ。「ねえ、藤沢さん。そのカーディガン、好きなの?」「え?」「いつも同じだから、よっぽど好きなのかなって。」そう言ってレイナは笑った。周りの子も笑った。私は何も言えずに、笑い返した。レイナは「藤沢さんは怒らないからいいよね」と言って、前を向いた。
悪意があったのかどうかは、今でも分からない。けれど、私はその日、家に帰ってからカーディガンを畳んで、2度と着なかった。
それから18年経っていた。私は夕飯の途中で手を止めて、案内の封筒をもう1度見た。会費は8000円と書いてあった。
夫は8時過ぎに帰ってきた。机の上の封筒に気づいて、夫は「なんだこれ」と言った。私は「同窓会」とだけ答えた。「行くのか?」「うーん。」「無理しなくていいよ。」夫はご飯をよそいながらそう言った。「でも、行ってみたいなら、行っておいで。」「行きたいのかな、私。」「行かなくて後悔するくらいなら、行って後悔した方がいい。」
そんなことを言う人だとは思わなかったので、私は少し笑った。「帰りは俺が迎えに行くから。」「え、いいよ。タクシーで帰るから。」「その日、俺は工場にいる。月末で出荷が重なってるから、どうせ夜まで残ってる。ホテルまで10分だ。連絡くれれば行く。」そう言われて、私は返す言葉がなくなった。
結局、私は出欠のはがきに丸をつけて出した。理由は自分でもよく分からない。強いて言えば、18年前のあの教室で下を向いていた自分に、少しだけ何かを見せてやりたかったのだと思う。
同窓会の当日は、朝から風が冷たかった。私はタンスの奥から、結婚する時に買った紺のワンピースを出した。年に1度着るかどうかのものだ。少しきつくなっていたけれど、なんとか入った。鏡の前に立って、私はしばらく自分を見ていた。化粧の仕方を私はあまり知らない。18歳の時に覚えたやり方から、ほとんど変わっていない。髪も、随分長い間同じ長さのままだ。
行くのをやめようかと、その時まだ思っていた。けれど、台所の壁のカレンダーに私が書き込んだ丸が見えた。「同窓会」と自分の字で書いてあった。丸をつけたのは自分だ。私はバッグを持って、家を出た。
夕方、工場に寄ってから行くことにした。事務所で書類を片付けていると、幸恵さんが顔を出した。「奥さん、今日どっか行くの?なんかいつもと違うね。」「あ、同窓会なんです。」「いいじゃない。楽しんでらっしゃい。」
現場では、夫が3号機の前に立っていた。私が声をかけると、顔を上げて頷いた。「行ってこい。」「うん。9時くらいには終わると思う。」「連絡くれ。すぐ行くから。」私はその作業着の背中に向かって手を振って、工場を出た。
ホテルの宴会場は、思っていたよりずっと立派だった。シャンデリアがあって、白いクロスのかかった丸テーブルが並んでいて、その上に料理が置いてあった。人が100人近くいた。みんな笑っていた。受付で名札をもらった。旧姓が書いてあった。「藤沢しおり」。その名札を胸につけた瞬間、私は18年前に戻ったような気がした。
会場に入って、私は壁際に立った。知っている顔はあったけれど、誰と何を話せばいいのか分からなかった。18年というのは、話題を作るには長すぎる時間だ。みんな何かを持ってきていた。子供の写真だったり、会社の名刺だったり、住んでいる場所の話だったり。それを見せ合って笑い合っていた。
私は自分が何を持ってきたのかを考えた。工場の匂いと、7年分の弁当と、あの26人のことしか思いつかなかった。それは多分、この部屋では話題にならないものだった。
しばらくして、同じクラスだった女の子が声をかけてくれた。名前はすぐに出てきた。3年の時に前後の席だった子だ。「藤沢さんよね。久しぶり。」「うん。久しぶり。」「元気にしてた?」「うん。」「よかった。私さ、3人産んじゃって、もう大変で。」その子はスマホで子供の写真を見せてくれた。私は「可愛い」と言った。本当に可愛かった。そして写真をしまいながら、その子は言った。「藤沢さんは変わらないね。」「そうかな?」「うん。前からそうだったけど、なんか落ち着いてる。」悪気のない言葉だった。その子は誰かに呼ばれて、手を振って離れていった。
私はまた1人になった。しばらくして、赤いワンピースの女性がこちらに歩いてきた。「あ、藤沢さん、来てくれたんだ。」とうとうレイナだった。18年経っても、すぐに分かった。背が高くて髪が綺麗で、その周りに3人ほどの同級生がついてきていた。「久しぶり。元気だった?」「うん。レイナも?」「私はね、まあまあかな。」
レイナは笑いながら、自分の名刺を差し出してきた。同窓会で名刺を配る人がいるのを、私はその時初めて知った。「霧島メディカル株式会社 資材調達課主任 藤堂レイナ」。「医療機器の会社なの、知ってる?」「うん。」「あ、知ってるんだ。まあ、大きいからね。」
私は名刺を両手で受け取って、それをバッグの中にしまった。その時、私の心臓が少し早くなったのが自分でも分かった。その会社の名前を、私は毎日見ていた。事務所の受注の画面にも、出荷の伝票にも、その名前が並んでいる。うちの部品を一番多く買ってくれている会社だ。
けれど、注文書に載るのは担当の若い人の名前ばかりだった。「主任」という肩書きの人と電話で話したことは、一度もなかった。去年の秋、その会社から新しい話が来た。新型の内視鏡の部品をうちに任せたいという話だった。図面が固まるまでに1年かかって、入るのは来年の春だと聞かされていた。試作を3回出した。3回とも作り直した。図面が変わるたびに、谷口さんが機械の条件を作り直して、大一君が材料を運んで、幸恵さんが測った。その見積もりを出したのは私だ。金額まで私は覚えている。
言おうと思えば、そこで言えた。でも、私は言わなかった。言えば、きっと話が仕事のことになる。夫の会社の名前を出して、そこから何かが始まってしまうのが嫌だった。夫はそういうことを一番嫌う人だから。
「藤沢さんは、今何してるの?」「事務してる。」「どこの?」「小さいところ。」曖昧ながら、下手な答え方だった。「うーん。結婚はしてる?」「してる。」「そっか。名札、みんな旧姓にしちゃったからね。その方が顔と一致するでしょ。」
そこで、レイナの後ろの1人が口を挟んだ。「旦那さん、何してる人?」その言葉が出た瞬間、私は自分の背筋が伸びるのを感じた。私は7年間、この質問にいつも同じ答えを返してきた。だから今回も、同じように答えた。「工場で働いてる。」
一瞬、空気が止まった。その後の数秒を、私は今でも正確に覚えている。レイナの眉が上がって、口の端が持ち上がって、それから声が出た。「え?工場勤務?」「うん。」「作業着で帰ってくる感じ?」「そうだよ。」「へえ。なんか、大変そうね。」
笑い声が起きた。私は曖昧に頷いて、話題が変わるのを待った。学生の頃からずっとそうしてきたように。けれど、レイナは話題を変えなかった。「うちの主人ね、医者なの。今ちょうどシンガポールに出てて。」レイナは聞かれてもいないことを話し始めた。周りの同級生が「すごい」というたびに、レイナの声は少しずつ大きくなっていった。「藤沢さんのところは、旦那さんお給料どのくらい?そういうの、聞いちゃダメだった?ごめん、ごめん。」そう言ってレイナは自分のグラスを持ち上げた。「でもさ、工場ってさ、言い方悪いけど、誰でもできる仕事じゃない?」
私の手の中で、グラスが少しだけ揺れた。そこで、私は初めて言い返した。「そんなことないよ。」「え?」「誰でもできる仕事じゃないよ。」自分でも驚くくらい小さな声だった。それでもレイナには聞こえたらしい。レイナは少しの間黙って、それからにっこり笑った。「そっか。ごめんね。気を悪くさせちゃった?」「うん。」「私、うちの会社でも工場の方とやり取りするからさ。分かってるつもりなんだけど。」
その言葉を聞いて、私は目を上げた。「値段のことでね、もういつも大変なの。『ちょっと安くしてください』って言うと、『うちはこれ以上下げられません』って。そういうの毎日聞いてると、だんだんね。」レイナはグラスの中身を飲み干して、それをテーブルに置いた。「あの人たち、自分たちがどれだけ助けてもらってるか、分かってないのよ。」
私は何も言わなかった。言えなかったという方が正しい。この人の会社が毎日やり取りしている工場の1つが、私の家なのだろうと、その時私は思った。
その後、乾杯があって、幹事の挨拶があった。マイクを持ったのはレイナだった。「皆さん、本日はお忙しい中、足を運んでくださって、どうもありがとうございます。幹事をやらせてもらいます。藤堂レイナです。」会場から拍手が起きた。レイナは慣れた調子で、思い出話をいくつか挟みながら話した。話がうまい人なのだと思った。そして最後にこう言った。「今日はね、みんな18年分の話を持ってきてると思います。自慢話でもいいし、愚痴でもいいし。そういうのを笑って言い合えるのが同窓会だと思うので。」拍手が起きた。私も手を叩いた。
料理が運ばれてきて、会場のあちこちで輪ができた。私は窓際のテーブルで、ウーロン茶のグラスを持ったまま立っていた。その時、会場の反対側に立っている女性と目があった。黒いスーツを着た人だった。名前はすぐに出てきた。三浦まきさん。高校の時はほとんど話したことがない人だ。物静かで、いつも本を読んでいたのを覚えている。目があったので、私は軽く頭を下げた。三浦さんも下げ返してくれた。それだけだった。
30分ほど経った頃、レイナたちがまた私のところへ戻ってきた。さっきより顔が赤かった。手にはシャンパンのグラスを持っていた。「藤沢さん、さっきの話だけどさ。」「うん。」「旦那さん、迎えとか来るの?」「あ、うん。来てくれるって。」「へえ。優しいじゃない。」レイナは隣の同級生と顔を見合わせてから言った。「何に乗ってくるの?」「車。」笑い声が起きた。私はグラスを持つ手に力を入れた。
「え、冗談だってば。そんな顔しないでよ。工場の人ってさ、軽トラ乗ってるイメージあるじゃない?あれ、便利だと思うよ。」「うん、便利。」周りの何人かが笑った。笑わなかった人もいた。私はその笑わなかった人の顔を見ていた。
その後、レイナは私の名札を指で弾いた。「ねえ、その名札。」「うん。」レイナはそこで少し声を大きくした。「藤沢さんは、そのままで良かったかもねえ。だって、藤沢さん昔から変わってないもん。服も髪も、なんか全部そのままで、あの頃と同じ場所で止まってるみたい。」
会場の音が、少しだけ遠くなった。私は自分の顔が熱くなっているのを感じた。ワンピースの裾を指でつまんでいた。レイナはそこで、自分の赤いワンピースの裾を指でつまんで、わざとらしく首をかしげて見せた。「旦那さん、作業着がお似合いね。」
グラスの触れ合う音が一瞬だけ止まって、それから小さな笑い声が広がった。「油の匂いとかしないの?大変ね。」
私は笑おうとした。笑って流せば、それで終わると思った。そしてレイナはこう言ったのだ。「貧乏旦那の嫁は帰れ。」
笑い声が上がった。レイナ自身も笑っていた。「あ、嘘、嘘。冗談だってば。怒った?怒らないでよ。ねえ。」
私は笑い返さなかった。自分のことを言われるのは平気だった。カーディガンのことも、服のことも、髪のことも、18年前から言われていた。でも、あの人のことは違った。毎朝4時50分に起きる人。工場の床で倒れた父親を見送ってから、一度もあの場所を離れなかった人。26人の給料を作るために夜中まで機械の前に立って、それでも「大丈夫だ」と言った人。その人が、会ったこともない人たちの一言で「貧乏旦那」になった。
私は自分の指先が冷たくなっていくのを感じた。言い返す言葉は頭の中にいくつもあった。うちの会社の名前を言えば、この場の空気は一瞬で変わるだろう。レイナの名刺の会社が毎月どれだけの部品をうちから買っているかを言えば、この人は黙るだろう。でも、それを言ったら、私はレイナと同じになる。肩書きで人を上と下に並べる人間になる。夫が一番嫌うやり方で、夫を守ることになる。
だから、私はそばの椅子の背に手を置いて、それから背筋を伸ばした。「分かった。じゃあ、帰るね。」自分でも情けなくなるくらい小さな声だった。「え、本当に帰るの?」「うん。ちょっと疲れちゃって。」「やだ、冗談だってば。まだ始まったばっかりじゃない。」「ごめんね。会費は払ってるから。」
私はバッグを持って、会場の入り口の方へ歩いた。背中でレイナの声がした。「本当に帰るんだ。旦那さんに迎えに来てもらうの?」私は振り返らなかった。
宴会場の外の廊下に出て、ソファーに座ってスマホを取り出した。呼んではいけない気がした。レイナの会社の名前が頭をよぎった。あの人がここに来たら、何かが壊れる気がした。それでも、私はあの人の声が聞きたかった。指が震えて、うまく打てなかった。何度も打ち直して、結局こう送った。「ごめん。少し早いけど、迎えに来てくれる?」
返事はすぐに来た。「すぐ行く。寒いから、中で待ってて。」その一文を見た瞬間、私は喉の奥が詰まって、しばらく画面から目を離せなかった。私は理由を書かなかった。夫も理由を聞かなかった。ただ「寒いから中で待ってて」と書いてあった。
私はスマホを胸に当てて、目を閉じた。工場からここまで、車で10分かかる。その10分の間、私はソファーに座ったまま、色々なことを思い出していた。
谷口さんのことを思い出した。去年の夏、谷口さんの孫が工場に来たことがあった。小学5年生の男の子だった。孫が学校で「家族の仕事を調べる」という宿題を出されて、「じいちゃんの工場が見たい」と言い出したのだそうだ。谷口さんと息子さんは長い間疎遠だったのに、その日は息子さんが車で連れてきた。谷口さんは驚いて、それから何も言わずに現場から小さな箱を持ってきた。私はお茶を持って、その横に立っていた。そして、自分が削った部品を見せたのだ。「じいちゃん、これ何?」「病院で使うやつだ。」「じいちゃんが作ったの?」「ああ。」その日、谷口さんは1日中機嫌が良かった。夕方、帰り際に私にこう言った。「奥さん、俺な、孫に見せるもんがあったわ。」私はその時、うまく返事ができなかった。
大一君のことも思い出した。あの子は今年で8年目になる。危機の年に「俺、残ります」と言った時は、まだ声が裏返る子供だった。それが去年、初めて1人で段取りを組んだ。段取りというのは、図面を見て、どの機械でどういう順番で削るかを決める仕事だ。それができるようになるまで、普通は何年もかかる。大一君が初めて組んだ段取りで削った部品が検査に通った日。あの子は事務所に来て、私に書類を1枚見せた。「奥さん、これ。」「何?」「母ちゃんに見せてもいいですか?」検査の記録だった。数字が並んでいるだけの書類だった。
幸恵さんのことも思い出した。娘さんは去年、看護学校に入った。合格の日、幸恵さんは休憩室で泣いて、それから私にこう言った。「うちの子ね、病院で働くのよ。そしたらさ、うちが作った部品の入った内視鏡を、あの子が使うかもしれないでしょ。」「そんなこと、あるねえ。」「そんなこと、ある?」
私はその1つ1つを、廊下のソファーで思い出していた。谷口さんの孫は、その日に見た部品のことを学校の作文に書いたそうだ。「僕のじいちゃんは、病院で使う内視鏡の部品を作っています。目に見えないくらい小さい部品です。」谷口さんはその作文のコピーを財布に入れて、持ち歩いている。一度だけ、1秒だけ、こちらに向けてすぐしまった。
大一君の持ってきた検査の記録は、今も休憩室の壁に貼ってある。数字が並んでいるだけの紙だ。それでも幸恵さんが「せっかくだから、貼っときな」と言って、画鋲で止めた。
「誰でもできる仕事」と、さっき言われた。違う。誰でもできる仕事じゃない。あの26人のうちの1人でも欠けたら、その日の段取りは丸ごと組み直しになる。誰かが遅くまで残るか、次の週の出荷が後ろへずれるかの、どちらかだ。そのことを、私はこの7年でずっと見てきた。なのに、私はさっき何も言えなかった。自分が情けなくて、私は膝の上で両手を握りしめた。
それから、私は立ち上がった。このまま逃げるように帰ったら、あの26人に悪い気がした。私が黙って出ていったら、この会場にいる100人の頭の中で、うちの工場はさっき言われたままの姿で終わってしまう。それは嫌だった。何を言えばいいのかはまだ分からなかった。それでも、私は宴会場の扉を押して、もう一度あの中へ戻った。
私が戻ってきたのを見て、レイナは嬉しそうな顔をした。「あ、やっぱり帰らないんだ。」「コートを置いて行っちゃったので。」「なんだ、そっか。」レイナはグラスを手にしたまま、こちらへ来た。「ねえ、藤沢さん。さっきのこと、まだ怒ってる?」「怒ってないよ。」「よかった。私ね、藤沢さんのそういうところ好きなの。昔から、何言っても怒らないでしょ。」
私はコートを手に取った。その時、会場の入り口の辺りで、誰かが「あれ」と言った。扉が開いていた。そこに、夫が立っていた。
夫はロビーで私を探し、受付の人に「新川ですが、藤沢という者を」と聞いたのだと、後で知った。私はその瞬間、時計を見た。メッセージを送ってから、まだ15分も経っていなかった。工場からここまでは、信号が全て青でも10分かかる。この人は返事を打って、その場で機械を止めて、手だけ洗って、車に乗ったのだ。それしか考えられない時間だった。ホテルの入り口で止められなかったのが不思議なくらいだった。
紺色の作業着の上に、いつもの黒いジャンパーを羽織っただけの格好だった。ズボンの裾に細かい粉がついていた。髪が少し乱れていた。夫は会場の中を見回して、私を見つけて、それからまっすぐ歩いてきた。
会場のあちこちで、小さな笑いが起きた。「え、ちょっと待って。作業着?マジで作業着で来たんだ。」「やだ。本当に来たの?」レイナは口元を手で抑えて、それから隣の同級生に何かささやいた。2人で笑った。「藤沢さん、あのね、ここホテルだから。さすがに、ちょっと。」
私は思わず下を向いた。恥ずかしかったわけではない。ただ、あの人がこの部屋に入ってきて、この人たちに笑われているのがたまらなかった。私が呼んだせいで、あの人がここに立っている。
夫は私の隣まで来て、足を止めた。そして、私の顔を見た。多分、1秒もかからなかったと思う。7年一緒にいる人には、そういうことが分かるのだろう。夫は私の目を見て、それから会場の空気を一度だけ見回して、そして小さく息を吐いた。「帰ろうか。」低い声だった。
私は頷いた。頷いたら、目の奥が熱くなった。夫は私の手からコートを取って、肩にかけてくれた。それから会場の方を向いて、誰にともなく軽く頭を下げた。弁解もしなかった。言い返しもしなかった。ただ、私の半歩前に立った。
その時だった。会場の反対側で、椅子が音を立てた。私は顔を上げた。黒いスーツの女性が立ち上がっていた。三浦まきさんだった。
三浦さんは私たちの方を見ていた。正確には、夫の顔を見ていた。その顔から、見る見る色が引いていくのが分かった。三浦さんの目が、夫と私の間を2度往復した。工場でしか見たことのない作業着が、宴会場の真ん中に立っている。その人が、まっすぐ私のところへ来た。それが三浦さんの頭の中で繋がっていくのが分かった。
1秒か2秒だったと思う。けれど、その1秒か2秒の間に、会場の空気が変わった。三浦さんの立ち方が変わったからだ。さっきまで同級生として立っていた人が、急に仕事の場にいる時の立ち方になった。背筋が伸びて、両手が体の前で重なった。その変化に、周りの何人かが気づいた。
「社長。」小さな声だった。それでも、笑い声が止んでいたので、会場の半分くらいには聞こえた。三浦さんはグラスをテーブルに置いて、こちらへ歩いてきた。途中で一度、椅子にぶつかった。そして、私たちの前で足を止めた。「社長。なぜ、ここに。」
会場が静まった。夫は三浦さんの顔を見て、少し驚いた顔をした。それから、思い出したように言った。「霧島メディカルさんの、品質保証の方ですね。」「はい。三浦です。春に御社の監査で伺いました。」「え、覚えています。」三浦さんは頭を下げた。深く、長く下げた。
その姿を見て、会場のざわめきが大きくなった。レイナが笑いながら、私たちの間に入ってきた。「え?何?社長?誰が?」「三浦さん、何言ってるの?この人、藤沢さんの旦那さんだよ。」三浦さんはレイナの方を向いた。そして、その顔を見て、レイナの笑いが止まった。「藤堂さん。」「な、何?」「この方、新川精密の社長さんです。」
会場の音が消えた。「新川精密?」「はい。間違いありません。」「あの、新川精密。」レイナの目が、ゆっくりと夫の顔に戻った。分かっているはずのことが、頭の中で繋がっていないようだった。「新川精密の社長さん。なんで、ここに?」この人は、自分の会社が毎日やり取りしている工場の、その社長の顔を、今日まで一度も見たことがなかったのだ。
レイナの声が変わっていた。さっきまでの、人を上と下に並べる声ではなかった。「うちの内視鏡の先端の部品を作ってくださっている会社です。藤堂さんの会社が、今一番。」そこまで言って、三浦さんは自分で口をつぐんだ。そして、慌てて手で口元を抑えた。「すみません。仕事の話をする場ではありませんでした。」けれど、もう遅かった。レイナの顔から血の気が引いていた。
三浦さんは、それでも言葉を続けた。声は落ち着いていたけれど、指先が震えていた。「私は品質を見る部署にいます。あの日は1日かけて、御社の工場を端から隅まで見せていただきました。うちが取引している会社で、あそこまでの工場は、そう多くありません。」
会場のどこかで、誰かがスマホを取り出した。すぐにあちこちで、同じ動きが広がった。画面を見た1人が「えっ」と声を出した。それが隣に渡って、また隣へ渡っていった。「医療機器の部品って書いてある。」「内視鏡だ。」「ここ、地元の新聞に載ってなかったか。」「嘘だろ。あの。」ざわめきが大きくなった。
私はその音を、少し離れたところから聞いているような気がしていた。18年前のあの教室で、私が下を向いていた時の音とは違う。この音の中心にいるのは、私ではなかった。私の隣に立っている、作業着の人だった。そして、私はそのことを誇らしいと思ってはいけない気もしていた。夫が一番嫌うのが、こういう瞬間だからだ。
案の定、夫は困ったような顔をしていた。周りを見回して、それから肩の力を抜いた。私はその顔を見ていた。困っているのに、逃げようとしない顔だった。
「嘘だって。旦那さんは工場で働いてるって。」そこで、私は口を開いた。「うん。工場で働いてる。」自分でも不思議なくらい静かな声が出た。「毎朝4時50分に起きて、5時半に工場の鍵を開けてる。1年のうち、あの工場に行かない日は数えるほどしかない。その人が、私の夫。」
レイナは何も言わなかった。会場のあちこちから、ざわめきが戻ってきた。誰かがスマホで何かを調べていた。誰かが小さく「嘘だろ」と言った。そして、夫が口を開いた。「工場で働いているというのは、本当です。」会場がまた静かになった。「毎日、この作業着で機械の前に立っています。削って、測って、また削って。そういう仕事です。」夫は自分の作業着の胸を、一度だけ手で払った。「この作業着は、父のものです。」
私はその横顔を見た。「父が工場の床で倒れた時、着ていたのと同じものです。私はこの服で、社員と家族を守ってきました。」会場は静かだった。誰も笑わなかった。「ですから、笑っていただいて構いません。これは私の仕事着です。恥ずかしいものではありません。」
夫はそこで、一度だけ言葉を切った。「うちは26人の会社です。大きくありません。けれど、うちが1週間止まれば、次の月に病院へ届くはずの内視鏡が、その分だけ遅れます。だから、うちの26人は毎日あそこにいます。それだけの話です。」
いつもは言葉が短い人だ。その人が、こんなに続けて喋っている。私はその言葉を聞きながら思っていた。この人は今、自慢をしていない。社長だとか、年商がいくらだとか、言わなかった。誰かの体の中に入るものを作っている。それを26人で毎日作っている。それしか言わなかった。
7年一緒にいて、私はやっと分かった気がした。この人が肩書きを名乗らないのは、謙遜ではないのだ。名乗ったところで、自分の仕事の何1つ説明したことにならないと思っているからだ。
その時、私の目から涙がこぼれた。こらえようとしたけれど、無理だった。7年間ずっと誰にも言えなかったことを、この人が全部、たった数十秒で言ってしまった。私は手の甲で顔を拭いた。夫はそれに気づいて、私の方を見た。そしていつもと同じ調子で、こう言った。「しおり、帰るぞ。」
けれど、そこからは私たちの思ったようには進まなかった。レイナが前に出てきたのだ。「あ、あの、社長さん。」さっきまでとは全く違う声だった。高くて早口で、語尾が上がっていた。「私、藤堂と申します。霧島メディカルの資材調達課で、いつも大変お世話になっております。」そう言って、レイナは名刺を出した。
夫は受け取らなかった。受け取らないというより、手を出さなかった。レイナは名刺を持ったまま、笑顔を作った。「いや、まさか藤沢さんの旦那様だったなんて。私、さっき工場のお仕事なんて誰でもできるみたいなこと言っちゃって。奥さんも、早く言ってくれればいいのにねえ。藤沢さん、ひどいよ。隠すなんて。」その言葉に、会場の何人かが笑った。それで場が収まると思ったのだろう。
夫の表情は変わらなかった。「妻は。」低い声だった。それでも、その一言で会場が静かになった。「妻は、私の肩書きを自慢するために、ここへ来たわけではありません。」レイナの笑顔が、少しだけ固まった。「黙っていたのではありません。言う必要がなかったんです。」
私は横で、夫の手が少しだけ震えているのに気がついた。この人は怒っている。7年一緒にいて、私は数えるほどしか見たことがない。「1つだけ、言わせてください。」夫は会場の方を向いた。100人がこちらを見ていた。「うちの会社は、5年前に潰れかけました。売上の6割を1社に頼っていて、その1社が抜けました。銀行にも断られました。私は社員を集めて、工場を畳むと言おうとしました。」
会場は静かだった。「その前の晩に、妻が私に言ったんです。」夫は私の方を見なかった。前を向いたまま話した。「『あなたの作るものを、私はすごいと思ってる』と。もう1つ言ってくれました。けれど、それは妻の言葉なので、私の口からは言いません。」
私は自分の呼吸が浅くなるのを感じた。この夜のことを、この人が誰かに話すのを聞いたのは、それが初めてだった。「その言葉がなかったら、うちの工場はあの年に亡くなっていました。うちの部品は、今もどこかの病院で、どなたかの検査を支えています。それは、あの夜のあの一言のおかげということになります。」
誰も何も言わなかった。グラスの音もしなかった。「私はこの人に、食べさせてもらってきました。弁当係です。7年間、毎日。」夫はそこで、初めて少しだけ笑った。「その妻を笑う人の前で、私は黙っていられません。」
私は隣に立ったまま、動けなかった。7年間、私はずっと自分のことを、この人の後ろにいる人間だと思っていた。弁当を作って、洗濯をして、伝票を打つ人間。会社を支えているのは夫と工場のみんなで、私はその周りにいるのだと思っていた。そうではなかったのだと、この人は今、100人の前で言った。
会場の一番後ろで、誰かが小さく拍手をした。それが1つ、2つと増えて、けれど途中で止まった。レイナがまだそこに立っていたからだ。
夫はレイナの方へ向き直った。「藤堂さん。」「あ、はい。」「私の仕事をどう思われるかは、ご自由です。工場を誰でもできる仕事だと思っていただいても構いません。それは、その方の物差しですから。」レイナは何か言おうとして、言えなかった。ただ、夫は一度言葉を切った。「人の仕事や家庭を見下して笑う方とは、信頼関係を築けません。」
レイナの顔が白くなった。「うちは御社に部品を納めています。今お預かりしている分については、最後まで責任を持ちます。医療機器の部品ですから、途中で止めるわけにはいきません。それは、患者さんに向かってやることではないので。」夫はそこで、一度だけ息を吸った。「本来、この場でするお話ではありません。月曜に、改めて御社へ伺って、同じことを申し上げます。」
会場の空気が動いた。それでも夫は、まっすぐ前を向いたままだった。「ですが、来春から量産に入る新しいお話は、一度白紙に戻させていただきます。」
会場が騒めいた。私は隣で息を止めていた。その案件がどれだけの数字なのかは、私が一番よく知っていた。この1年、試作を3回出して、その度に作り直して、やっと量産の話まで来たものだった。
夫の横顔を見た。いつもと同じ顔をしていた。3号機の前に立っている時と、全く同じ顔だった。この人は今、迷っていない。それが分かってしまって、私は怖くなった。
レイナが一歩前に出た。「待ってください。あの、それは困ります。あの案件は、うちの部署が担当しています。今から他を探しても、間に合いません。あの精度が出せるところは。」レイナはそこで言葉を止めた。自分が今、何を言おうとしたのかに気づいたのだと思う。「あの性能が出せるところは、他にない。」それは、さっきまで自分が「誰でもできる仕事」と呼んでいたものの話だった。
「冗談だったんです。本当に、ただの冗談で。」「まだ量産の契約の前です。契約を交わしてから申し上げるよりは、マシだと思っています。うちが3回出した試作の記録は、そのままお渡しします。次の工場が、同じところで転ばずに済むように。」
レイナは何も言えなかった。夫は静かに続けた。「妻を傷つける冗談は、私には笑えません。」
レイナはその場に立ち尽くした。それから、私の方を向いた。「ねえ、藤沢さん。私たち、昔の友達でしょう。旦那さんに、うまく言ってよ。」
その言葉を聞いた時、私の中で何かが静かに切れた。今までの私なら、黙っていた。ここで首を横に振ることもできずに、曖昧に笑って俯いていたはずだ。18年前も、さっきまでも、そうだった。
レイナは私の腕に手を置いた。「お願い。私、あの案件を任されてるの。これが飛んだら、私。」「レイナ。」「藤沢さん、昔からいい子だったじゃない。いい子。」
その言葉を、私はこの人から何度も言われてきた。あのカーディガンのことを笑われた日も、その後で「藤沢さんは怒らないからいいよね」と言われた。怒らないのではなかった。怒り方を知らなかっただけだ。
でも、その時、私はあの人たちの顔を思い出していた。孫に見せるものがあったと言った谷口さん。検査の記録を母親に見せたいと言った大一君。娘が使うかもしれないと言って泣いた幸恵さん。その人たちを、さっき「誰でもできる仕事」と言われた。
私は顔を上げた。「レイナ。」「うん。何?」私の声は小さかった。震えてもいた。それでも、会場は静かだったので、きっと届いたと思う。「私は、夫を馬鹿にする人の友達ではいられない。」レイナが息を飲んだ。「作業着の夫を、私は恥ずかしいと思ったことは一度もない。一度もないの。」
言い終わった時、私は自分の膝が震えているのに気づいた。人にこんな風に言い切ったのは、生まれて初めてだった。レイナは何も言わなかった。手に持ったままの名刺が、指の間で折れていた。
レイナの後ろにいた同級生たちが、少しずつ離れていくのが見えた。さっきまで一緒に笑っていた人たちだ。誰もレイナをかばわなかった。誰も何も言わずに、ただ半歩下がっていった。
その光景を見て、私は勝ったとは思わなかった。18年前、私を笑った人たちの後ろにも、同じように笑っていた人がたくさんいた。あの人たちも、多分今日の人たちと同じだったのだろう。強い声の方に立っていただけで、自分の考えでそうしていたわけではない。レイナはその真ん中で、1人になっていた。
レイナは、それでも最後にこう言った。「私、そんなに悪いこと言った?」その声は、本当に分かっていないように聞こえた。多分、この人の中では、あれは全部冗談の範囲だったのだと思う。18年前のカーディガンのことも、さっきの作業着のことも。だから、私は最後に1つだけ答えた。「レイナが笑ったのはね、うちの工場で働いてる26人のことだよ。その人たちにも、家族がいるの。」
レイナは口を開けたまま、何も言わなかった。
夫が私のバッグを持った。「行こう。」「うん。」私たちは会場の入り口へ歩いた。途中で、三浦さんと目があった。三浦さんは何も言わずに、小さく頷いた。私も頷き返した。
扉のところで、誰かが夫を「新川さん」と呼んだ。振り返ると、同級生の男の人が立っていた。名前は思い出せなかった。「あの、さっきの、すみませんでした。俺も、笑いました。」夫はその人の方を向いて、少しだけ頭を下げた。「いえ。工場は、そういう風に見えるものなので。」そう言って、夫は扉を開けた。
私は最後に一度だけ、会場を振り返った。シャンデリアの下で、100人が黙って立っていた。18年前の教室で、私が下を向いていた場所と少しだけ似ていた。けれど、その時、私は下を向いていなかった。
扉が閉まると、宴会場の音が急に遠くなった。廊下は静かで、絨毯が足音を吸っていた。夫は私のバッグを右手に持って、少し前を歩いていた。その背中を見ながら、私は思っていた。この人は、さっきの部屋で一度も声を荒げなかった。名刺も出さなかった。自分が何者かを説明したのは、三浦さんが言った後だけだった。それでも、あの部屋の空気は変わった。肩書きが変えたのではなかった。この人が、この作業着のまま、そこに立ったから変わったのだ。
エレベーターの前で、夫が振り返った。「ああ、痩せてないか。」私は思わず笑ってしまった。義父と同じことを言うのだ、この人は。
ホテルの外に出ると、風が冷たかった。駐車場に夫の車が止めてあった。軽トラックではない。乗っているのは白いワゴンで、後ろの2台にはいつも工具箱と部品を入れる青いコンテナが積んである。夫は助手席のドアを開けて、私を先に乗せた。エンジンをかけて、暖房のスイッチを入れて、それから夫は言った。「寒くなかったか?」「うん。大丈夫。」「嫌な思いをさせて、ごめん。」
私は驚いて、夫の横顔を見た。「なんで、あなたが謝るの?」「もっと早く迎えに行けばよかった。9時って聞いてたから、それまで削ってた。」
車が動き出した。窓の外、駅前の明かりが流れていった。私はしばらく何も言えなかった。「謝るのは、私の方。」「なんで?」「あなたのこと悪く言われたのに、私、その場で言い返さなかった。あなたが来るまで、ずっと黙ってた。」
夫は前を向いたまま、少しの間黙っていた。信号が赤になって、車が止まった。「言い返さなくていいよ。でも、しおりはずっと支えてくれてる。それだけで、十分だ。」
私は膝の上のバッグを、両手で握った。しばらく走って、川を渡る橋に差しかかった。工場のある工業団地の明かりが、遠くに見えていた。そこで、私は言った。「私ね。」「うん。」「あなたの作業着姿が、好き。」夫は少しだけ、車のスピードを落とした。「なんだよ、急に。」「本当だよ。その作業着で、社員さんを守って、会社を守って、私のことも守ってくれたから。」
夫は答えなかった。答えないまま、しばらく走った。橋を渡り終えたところで、ようやく口を開いた。「俺はな。」「うん。」「しおりがくれたから、社長でいられたんだ。」その声が、少し枯れていた。「会社が一番苦しかった時、みんな数字の話をした。銀行も、取引先も、俺自身も。その中で、1人だけ俺の仕事の話をしてくれた人がいる。」
私は窓の外を見ていた。見ていないと、涙が止まらなくなりそうだった。「あの日、しおりが言ったんだ。『あなたの作るものは、誰かの命を支えてる』って。」
その夜のことは、私も忘れていない。さっき会場で聞いた時は、人がいる場所だったから、うまく受け止めきれなかった。2人きりの車の中でもう一度言われて、その重さがようやく体に届いた。「俺は、あれを毎日思い出してる。機械の前に立つたびに、思い出してる。」夫はハンドルを握り直した。「だから、さっきのは俺の勝手だ。しおりのために切ったんじゃない。あれを言われて、それでも取引を続けたら、俺は自分の親父に顔向けできない。」
私は頷いた。けれど、頷きながら頭の中では別のことを考え始めていた。来春からの量産の話。あの案件の年間の金額は9000万円だった。うちの年間の売上の、およそ2割になる。しかも、その仕事のために、うちは秋のうちに測定室の三次元測定機をもう1台入れる契約を済ませていた。それが、さっきなくなった。
私は膝の上で、指を組んだり離したりしていた。夫はそれに気づいたらしい。「しおり。」「うん。」「数字のこと、考えてるだろ。」「ごめん。」「謝ることじゃない。考えるのが、しおりの仕事だ。」夫は少し笑った。「でも、今日は考えるな。明日から、考えよう。」
家に帰って、私はワンピースを脱いで、いつもの服に着替えた。そして、洗濯機を回す前に、夫の作業着を持っていった。いつもと同じように、固形石鹸をつけて、ブラシでこすった。袖口と胸と膝。水が灰色になって、それを流した。
その途中で、私は手を止めた。胸の「新川」の縫い取りを、しばらく指でなぞった。義父が言った言葉を、私はその時やっと理解した。「この作業着を脱いだら、うちはただの会社になる。」あの人は、きっと服の話をしていたのではない。現場に立つのをやめて、数字と肩書きだけを見るようになったら、うちはどこにでもある会社になる。そう言っていたのだ。
そして、今日、夫はその作業着のまま、100人の前に立った。私は洗面所の床に座り込んで、声を上げて泣いた。
月曜の朝、夫はまず霧島メディカルへ行った。会場で言った通りだ。昼前に帰ってきた夫は、何があったかを話さなかった。ただ「行ってきた」とだけ言って、作業着に着替えて現場へ降りて行った。
その日の夕方、夫は社員全員を休憩室に集めた。そして、土曜の夜のことを全部話した。同窓会でのことも、自分が言ったことも、来春の量産の話を白紙に戻したことも。数字も出した。9000万円。隠さなかった。この人はいつもそうだ。
「俺の判断です。経営者として正しいかと言われたら、多分正しくありません。皆さんに迷惑をかけます。申し訳ありません。」夫は頭を下げた。
休憩室は静かだった。私は後ろの壁際に立って、床を見ていた。顔を上げられなかった。私のせいだ。私がもっと早く言い返していたら、あるいは同窓会に行かなければ、あの案件は残っていた。この26人の来年の仕事が、私のせいで削られた。
その時、後ろから声がした。「奥さん。」顔を上げると、幸恵さんが立っていた。「今、自分のせいだと思ってるでしょ。」「はい。」「やめときなさい。」幸恵さんは腕を組んで、前の方を見ていた。「うちの社長はね、あの案件を切ったんじゃないの。あの会社の、あの人と組むのをやめただけ。」そして、少し笑った。「私だってね、娘のことを悪く言われたら、パートやめるわよ。」
前の方で、谷口さんが立ち上がった。「社長。」「はい。」「9000万な。」「はい。」「1年で埋めるとは言わん。2年でいいか。」夫が顔を上げた。「修さんの頃の取引先が、残ってる。俺、顔だけは覚えてもらってる。今の仕事の合間に、回る。」
大一君も立ち上がった。「あの、俺、段取り組めるようになったんで。小さい仕事、拾えます。1個からでも。」
私はその光景を、後ろから見ていた。この人たちは、誰も夫を責めなかった。数字の話を聞いて、それから自分に何ができるかを言った。私は自分にできることを考えた。事務の私にできることは多くないけれど、1つだけあった。
私は事務所に戻って、パソコンを開いた。そして、過去5年分の見積もりの記録を全部開いた。うちが出した見積もりのうち、取れなかったもの。忙しくて断ったもの。金額が合わなくて流れたもの。全部で200件近くあった。その1つ1つに、当時のメモが残っていた。私が打ったものだ。「量が少ないので今回は見送り」「納期が合わず辞退」「先方他社に決定」「次回、声かけ希望とのこと」。
私はそれを一覧にして印刷して、赤いペンで印をつけていった。夜の9時を過ぎた頃、事務所の引き戸が開いた。夫が入ってきて、机の上の書類の束を見た。「なんだ、これ?」「断った仕事、全部か?」「5年分。」夫は紙を1枚取って、しばらく見ていた。そして、こう言った。「しおり、明日、持って回るぞ。」「私も言っていい?」「事務が?」「事務の人間が来た方が、話が早いこともあると思う。」夫は少しの間、私の顔を見て、それから頷いた。「そうだな。」
それからの4ヶ月のことを、書いておきたい。冬の間、私たちはとにかく歩いた。夫と私で車に乗って、5年分の書類の束を持って、市内と近隣の会社を1件ずつ回った。1日に3件か4件。断られる方が多かった。当たり前だ。一度は縁の繋がらなかった相手なのだから。それでも、いくつかは残った。
谷口さんは、義父の代の取引先を回ってくれた。一番最初に行ったのは、隣の市にある小さな町工場だった。20年以上、取引が途切れていた会社だ。谷口さんが名刺も持たずに訪ねていったら、そこの年配の社長さんが事務所から飛び出してきたのだという。後で、谷口さんがこんな風に話してくれた。「『谷口さん、生きてたのか。』『まだな。』『修さんは元気か?』『6年前に。』『そうか。』その日、その社長は谷口さんを昼飯に連れて行って、それからこう言ったそうだ。「息子さんが継いだのか?」「継いだ。」「修さんの息子さんなら、間違いないな。」
その一言で仕事が動いたわけではないけれど、その会社はうちに図面を1枚送ってきてくれた。試作の依頼だった。
大一君は、「小さい仕事を拾う」と言った通りのことをした。1個や2個の試作は、普通の工場では嫌がられる。段取りに時間がかかる割に、お金にならないからだ。それを大一君が引き受けた。3月までに、大一君が1人で通した試作は10件を超えた。そのうちの3つが、後に量産の話に繋がった。
夫は毎晩遅くまで工場にいた。私は毎晩、弁当を届けた。5年前と同じように。違うのは、私も一緒に事務所で仕事をするようになったことだ。見積もりを打って、電話をかけて、断られたら記録をつけて、次の日にまた別のところへかけた。
2月の半ばに、うちは初めて航空関係の会社から声をかけてもらった。冬の間に回った1件が、別の会社を紹介してくれたのだ。エンジンの燃料周りの部品だという。医療機器で取った認証とは別に、航空には航空の認証がいる。すぐに仕事になる話ではない。取るのに1年はかかると言われた。夫はその場で「やります」と答えた。
帰りの車の中で、私は聞いた。「また1年、書類?」「そうなる。」「私、また全部聞いて回るの?」「頼む。」私はため息をついて、それから笑った。あの1年をもう1度やるのかと思うと気が遠くなったけれど、不思議と嫌ではなかった。
3月の末に、私は数字を締めた。9000万円の穴のうち、来年度に埋まる見込みがついたのは4割ほどだった。秋に契約した三次元測定機は、そのまま入れることにした。航空の仕事を取るなら、どのみち必要な機械だからだ。支払いは1年に分けてもらい、頭を下げに行ったのは夫だった。
全部ではない。残りはこれからだけれど、夫はその書類を見て、こう言った。「1人も、やめなかったな。」そうだった。26人、誰1人やめなかった。賞与は少し減った。看護学校に通う幸恵さんの娘さんの学費のことが心配だったけれど、幸恵さんは「うちは大丈夫」と笑っていた。
霧島メディカルからは、月曜の訪問の後も何度か連絡があった。年が明けてすぐに来たのは、正式な文書での問い合わせだった。辞退の理由を書面で欲しいというものだった。夫は1行だけの文章を作って送った。「御社と信頼関係を築くのが難しいと判断いたしました。」それだけが書いてあった。それ以上は、何も書かなかった。同窓会のことも、誰が何を言ったかも、夫は一言も伝えなかった。
今までお預かりしている部品の注文は、それまでと1つも変わらずに来た。担当を変えてもう一度話をしたいという連絡も、後に来た。夫は「いつかゼロからお話できるなら」とだけ返していた。
供給元を変える話が社内で出た時、品質保証の部署が首を縦に振らなかったのだと、後で三浦さんから聞いた。あの会場には、三浦さんの他にも霧島メディカルの人がいた。夫が黙っていても、社内に伝わらないはずがなかった。あの日のことを会社に報告したのは、三浦さんだった。品質保証の人間として、見たことを黙っているわけにはいかなかったのだと、後で手紙に書いてあった。
2月に、三浦さんから手紙が届いた。会社の便箋ではなく、普通の白い封筒に入っていた。宛名は「新川精密株式会社 新川しおり様」と書いてあった。会社に出せば届くと思ったのだろう。長い手紙だった。
「藤堂レイナさんは、資材調達課の主任を外れて、別の部署に移ったと聞きました。」と書いてあった。あの夜の経緯と、決まりかけていたお話が白紙になったことの両方が、社内で問題になったのだそうだ。上司から厳しく言われたとも書いてあった。そして、こうも書いてあった。「私はあの場で、何も言えませんでした。藤堂さんが藤沢さん。いえ、新川しおりさんに言ったこと。私は笑いはしませんでしたが、止めもしませんでした。」
その後に、三浦さんは自分のことを書いていた。お父さんが鉄工所で働いていたこと。高校生の頃、それを友達に言えなかったこと。参観日に来た父親の手が黒くて、それが恥ずかしかった。父親が帰った後、教室で「うちの父、工場なの」と言った。
「春に御社の工場へ伺った時、社長さんの作業着の胸に、白い糸で名前が縫ってあるのを見ました。あれをどなたが縫われたのか、あの日はお聞きできませんでした。父の作業着にも、母が同じことをしていました。」
手紙の最後には、こう結んであった。「社内には、あれだけのお話を断る会社は経営が苦しいのではと心配する声もありましたが、私は品質保証として、『あそこは大丈夫です』と申し上げました。私は、もう隠しません。」
私はその手紙を、何度も読み返した。あの教室には、私だけがいたのではなかった。笑わなかった人たちも、あの部屋にいて、その人たちも下を向いていたのだ。そう思ったら、18年分の何かが、少しだけ軽くなった。
その夜、私は押入れの奥から古いノートを出した。8年前、初めてあの工場に行った次の日に、「新川精密さんに、また行きたい」と書いたノートだ。自分の字を見て、私はしばらく笑っていた。
三浦さんの手紙は、夫にも見せた。夫はそれを黙って読んで、それから畳んで封筒に戻した。「三浦さんな。」「うん。」「監査の時、うちの測定室の記録を1枚ずつ、日付まで見てた人だ。あんなに丁寧に見る人は、あんまりない。」私はその言い方がおかしくて、少し笑った。人を仕事でしか褒められない。
外回りに出ていた4ヶ月は、昼のおにぎりを幸恵さんに任せていた。だから4月の初め、私は久しぶりに大きな保温ジャーを抱えて、工場へ行った。その日は朝から晴れていて、工業団地の入り口の桜が咲き始めていた。
事務所に荷物を置いて、大きな保温ジャーを抱えて休憩室へ運ぶ。幸恵さんが手伝ってくれた。「奥さん、今日は多いね。」「谷口さんの分、増やしました。」「あの人、最近よく食べるからね。」
私はガラスの引き戸から、現場を覗いた。夫は3号機の前にいた。谷口さんと2人で、機械の中を覗き込んでいる。大一君が図面を持ってきて、何か聞いていた。夫が指で図面の1箇所をさして、大一君が頷いた。最近、大一君は谷口さんの隣に立っている時間が長い。あの人の手を、この子が受け継ごうとしているのだと思う。
みんな、作業着を着ていた。同じ紺の、同じ形の作業着だった。私はしばらく、その光景を見ていた。11月のあの夜、100人の前で笑われた服だ。油の匂いがして、色が褪せていて、肘に継ぎ当てがある服。けれど、この服は、義父がこの工場を立ててから倒れる日まで着ていたのと同じ形の、同じ紺の作業着だ。
工場ができて40年。この人たちが毎日ここに立ってきた、40年分の色が、この紺色には出ていた。
夫がこちらに気づいて、手を上げた。私は引き戸を開けた。「お昼だよ。」夫は手を洗いに行って、それから休憩室に入ってきた。私はその隣に座って、お茶を注いだ。そして、言った。「今日も、作業着似合ってるね。」
夫は湯呑みを持ったまま、こちらを見た。「それ、嫌みじゃないよな。」「違うよ。」「本当か?」「私にとっては、一番かっこいい服だよ。」
夫は少しの間黙って、それからおにぎりに手を伸ばした。耳が赤くなっていた。後ろで幸恵さんが笑って、谷口さんがお茶をこぼしそうになった。大一君が「え、何ですか」と言って、みんながまた笑った。
同窓会で笑われた、その作業着の背中は、私にとって何よりも誇らしいものだった。5年前、あの背中は私の言葉で立ち上がった。そして11月のあの夜、その背中は私の前に立ってくれた。だから、これからは私も、その背中を支えていこうと思う。
私にできるのは、弁当を届けることと、書類を作ることと、電話をかけることだ。「それくらいじゃないよ。」あの人は、そう言ってくれたのだから。


