「あんたら、随分と年の離れた夫婦だよな。夫の遺産目当てか。女は怖いってな。ははははは。」
男は下品な笑い声をあげた。確かに私たちは年の離れた夫婦だ。でも、決して遺産目当ての結婚じゃない。私は夫が好きだから結婚したのだ。
久しぶりにバーでゆっくりお酒を楽しんで、ほろ酔いで店を出ようとしたとき、差し出された伝票には「100万円」と書かれていた。
明らかなぼったくり価格に、夫は当然抗議した。不当な値段に文句を言うのは当然だろう。それなのに、どうして私たち夫婦の悪口を言われないといけないのか。
私は悔しさと悲しさで泣きそうになっていた。
「支払わないならヤクザを呼ぶぜ。うちにはヤクザがバックにいるからな。」
男は得意げな顔をする。この後、男には予想もしていなかった運命が待ち受けているのだった。
私の名前はマノ・クミコ。その日、偶然にも夫と同じ日に休みが取れたので、以前から行きたいと思っていた店に行くことにした。目当ての店は静かなジャズが流れ、落ち着いた雰囲気のいい店だ。夫はウイスキーを、私はカクテルを頼み、久しぶりにゆっくり話す。
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
「思ったより遅くなってしまったね。そろそろ帰ろうか。」
「そうね。明日も早いものね。」
私たちは席を立ち、会計へ向かう。そこで出された金額を見て、私たちは驚きの声をあげた。
「え、お会計100万円ですって。」
これには温厚な夫も険しい顔をする。私たちが頼んだのは、ウイスキーとカクテル、それにナッツやチーズといった軽いおつまみだけだ。ウイスキーもカクテルも、それほど高いものを頼んだ記憶はない。
「いくらなんでも、こんな金額になるほど飲み食いはしてないぞ。何かの間違いじゃないか。」
夫は店員に詰め寄るが、店員は白々しい態度のまま私たちを見た。
「ダメですよ、お客さん。ちゃんと飲み食いした分は支払ってくれないと。料金はちゃんとメニューにも書いてありますよ。ほら、よく見てください。」
店員はそう言いながらメニュー表を取り出した。アルコールやドリンク、フードの書かれたメニュー表の下に、小さく「チャージ料は混雑によって変動いたします」と書かれている。
「今日は混雑しているので、1分あたりのチャージ料が1万円です。だからこの金額になるんですよ。」
店員は平然とした様子でそう伝えた。いくらなんでも、1分あたり1万円のチャージ料なんてありえない。この店はいわゆるボッタクリバーという場所だったのだろう。いい雰囲気の店だと思っていたのに、まさかぼったくりバーだったとは。
私は夫に対して申し訳ない気持ちと、100万円という金額を前に恐怖で震えることしかできなくなっていた。
「確かにメニューには書いてあるが、随分小さい字だな。こんな小さい字で書くってことは、後ろめたい気持ちはあるんだろう。きちんと正規料金を請求してくれ。そうしたら支払ってやるよ。」
怯える私とは対照的に、夫は泰然とした態度のまま店員に詰め寄る。だが店員は夫の言葉など最初から聞く耳持たない様子で、露骨に嫌な顔を向けた。
「そうやって支払わないつもりなんだろ?ダメだよ、お客さん。いい酒飲んで楽しんで、金は払わないとか図々しいんじゃないか。」
「だから払わないとは言ってないだろう。適正な金額なら払うと言ってるんだ。ちゃんと俺たちの飲んだ酒とつまみの適正料金を出してくれ。それならきちんと払う。」
「だからうちはこれが適正価格だって言ってるでしょう。うだうだ言わないで、さっさと払ってくれませんか?」
面倒そうな顔をして私たちを見下す男に、夫は鋭い視線を向けた。
「あんたじゃ話が開かないな。店長を呼んでくれ。店長に直接話がしたい。」
「その必要はねえよ。この店の店長は俺だからな。」
今まで私たちの対応をしていた、このチンピラのような男がどうやらバーの店長だったようだ。夫が店長を呼ぶよう伝えた途端、男は急に柄の悪い口調へ変わる。
「とにかく、今のあんたらに残されている道は2つしかないんだよ。1つは100万払って店を出るか。もう1つは、俺たちにボコボコにされて2度と立てない体になるか。分かるだろ?うちのバックにはヤクザがいるんだ。呼べばあんたら夫婦も無事じゃ済まないぜ。」
ヤクザという言葉に、私はすっかり怯え、夫の背後で小さくなっていた。
「なんならヤクザのやってる金貸しを紹介しようか。それとも2人して体で稼ぐか。旦那の方はもうじじいだが、嫁さんは随分若いからな。すぐに100万くらい稼げると思うぜ。」
店長はそう言うと、下品にゲラゲラと笑い出す。私は金貸しやら体で稼ぐやら、今までの人生で聞いたことがない言葉を聞かされて、すっかりパニックになっていた。
「あ、あなた、どうしよう。100万くらいなら払えるかしら。」
「クミコ、落ち着け。心配するな。お前に手出しはさせない。」
倒れそうになる私とは対照的に、夫は落ち着き払っている。その様子を見て店長は苛立たしげに私たちを見た。
「あんたら、本当に夫婦か?よく見たら2人結構年が離れてるよな。旦那に比べて嫁さんの方は随分と若いようじゃねえか。夫婦じゃなくて愛人かパパ活ってやつか。もし本当に夫婦だったとしても、夫の財産目当てか。このおっさん金持ってそうだもんな。でも残念だったな。たった100万を出しぶるけちな野郎みたいだぜ。」
そう言いながら店長は笑う。確かに夫は私とは年が一回り以上離れている。親子に間違われることもあるのは事実だ。夫は落ち着いた風貌で、私が派手な顔立ちをしているから、玉の輿狙いの結婚だと言われることもしばしばあった。だけど私は夫の優しさと人柄に触れ、その強い性格に惚れ込んで結婚したのだ。決して財産目当ての結婚ではない。それに私は今でも結婚前から勤めている会社でちゃんと働いている。夫の稼ぎを当てにしなくても十分生活はできている。
「そんなことありません。私は夫を愛しているから結婚したんです。」
悔しさから、私はつい大声をあげる。夫も店長の態度に腹が立ったのだろう。急に店長の胸ぐらを掴むと、ものすごい剣幕で怒鳴りつけた。
「貴様、俺のことは何を言ってもいいが、妻のことまで悪く言うとは何事だ。」
「おっと、図星だったか、じじい。そうだよな。こんなじじいの相手をお嬢さんみたいな美人がするわけないもんな。」
店長の言葉に、夫は怒りの表情を向ける。このままだと殴り合いになりそうだと思った私は、とっさに夫を店長から引き離した。
「あなた、喧嘩はしないで。あなたが怪我でもしたら、私悲しいわ。」
「クミコ、すまない。少し熱くなってしまったな。」
夫は店長から離れたが、緊迫した空気はそのままだ。夫は店長を睨みつけたまま請求伝票を指さした。
「とにかくこの金額には納得できない。きちんとした適正価格を提示してくれ。そうすれば支払いはする。」
「だからこれが適正価格だって言ってるだろう。全く、何度言ってもわからない。GGだな。」
話は相変わらず平行線だ。夫は適正価格なら払うと言って譲らず、店長はこの金額が適正だと言って譲らない。このまま同じ話が続くのかと思った時、
「いい加減にしてくれないか。金を払わないってなら、こっちも少々荒っぽい方法を取らせてもらうぜ。」
店長は不意にそんなことを言うと、私たちを睨みつけた。
「荒っぽい方法って、一体どういうことですか?」
「決まってんだろ。この店はヤクザがバックにいるんだよ。支払うつもりがないなら、ヤクザを呼んでもいいってことだ。さあどうする?」
ヤクザという言葉を聞いて、私の頭は真っ白になる。ぼったくりをするような店だからヤクザの後ろ盾があるのも当然だとは思うが、実際にヤクザが来るのだと思うと恐怖を覚える。焦る私を落ち着けるよう、夫は私の手を握り、静かな口調で告げた。
「いいだろう。呼べるものなら呼んでもらおうじゃないか。そのヤクザとやらを。」
夫の思わぬ言葉に、私も店長も驚いて目を丸くした。
「はあ?分かってんのか、じじい。本物のヤクザだぞ。お前みたいなじじいなんてボコボコにされちまうぜ。」
「はいからさっさとご自慢のヤクザとやらを呼べ。俺たちはここで待たせてもらうからな。」
夫はそう言うと、私の手を引いて近くのソファーにどっかりと腰かける。私も夫の隣で小さく震えながら座っていた。
「てめえら、舐めやがって。どうなっても知らねえからな。」
店長は一喝そう言い放つと、スマホを取り出し、どこかに電話をかける。
「すいません。はい。金の支払いをしない客がいるんですぐ来てくださいよ。お願いしますから。」
スマホの前で店長は丁寧な口調で話すと、見えない相手に何度も頭を下げながら必死に頼み込んでいた。ヤクザを呼ぶとは言ったが、店長にとってもヤクザは恐ろしい存在なのだろう。少なくとも気軽に呼べる相手ではないようだ。
「5分もすれば来るってよ。お前たち夫婦の命もそれまでだぜ。」
散々頭を下げていたくせに、ヤクザが来ると決まったら随分と気が大きくなった店長とは逆に、私はすっかり小さくなっていた。
「どうしよう、あなた。本当にヤクザが来たら、私たちどうなるのかしら。」
「心配するな。何があってもクミコに怪我なんてさせるものか。髪の毛1本にだって、あんな下衆な人間に触れさせるつもりはねえよ。」
夫が私を優しく抱いてくれたので、私はいく分か落ち着きを取り戻す。そうだ。この店はぼったくりバーで、こんな金額を吹っかけてきた相手が悪いのだ。強気に振る舞わないと、悪人に付け込まれる。私は自分を奮い立たせながら、その場でじっと待った。
5分ほどしたところで、店の中にドヤドヤと男たちが入ってくる。黒いスーツに、夜なのにサングラスをかけ、手首からは入れ墨が見える。一癖も二癖もありそうなのは明らかだ。きっと店長が呼んだヤクザたちだろう。入ってきた男は5人いて、全員が黒いスーツを着ている。その中でも一番年長のリーダー格らしい男は、店長の前に立つと面倒そうな顔をした。
「おい、金を払わない奴がいるんだって。全く、それくらいで俺たちを呼ぶんじゃねえよ。」
「あ、はい。すいません。ヤオさん、ですが、何を言っても払わないと突っぱねる頑固なじじいがいるんですよ。」
「わかった、わかった。今すぐ話をつけてやる。その客はどこだ?」
ヤオと呼ばれたリーダー格のヤクザは、店長に連れられ私たちの元へとやってくる。そして私の夫を見て、絶句した。
「う、嘘だろ。あんた、ひょっとしてマノ組の組長、って呼ばれたマノの組長じゃないですか?」
ヤオの言葉に、背後にいた部下たちも急にざわめき立つ。あまりに驚くヤオを見て、店長は少し焦った様子で問いかけた。
「あの、ヤオさん。マノ組とは一体何ですか?ひょっとしてこのじじい、有名な人なんでしょうか?」
「知らねえのか?マノ組は関東一帯を牛耳ってるでけえ組だ。マノさんはその組長やってんだよ。」
その言葉に、私は驚いて夫を見る。夫はまるでいたずらがバレた子供のように、罰の悪そうな顔をしていた。結婚する前、私は夫がヤクザを仕事にしているとは聞いていた。だが、そんなに名の知れた存在だということも、ましてや組長であることも聞いていなかったからだ。
驚く私の前に、夫は苦笑いをする。
「やめろ。アラブル・マノなんてダサい二つ名は嫌いなんだよ。だが、お前は俺が誰だかは知ってるようだな。」
「あ、はい。そりゃもう。アラブル・マノと言えば、俺らの世代ではもう知らない人はいませんから。15の頃、入れ墨を入れた記念にと、対抗ヤクザの事務所に1人で殴り込んで全員ボコボコにしたって話は、今でも伝説ですよ。」
「あんなのは若気の至りってやつだよ。そんな話やめてくれ。妻が怖がっちまう。」
夫は心配そうに私へと目を向ける。それは普段と変わらない優しい夫の目だしだ。だが、本物のヤクザがこれだけ怯えるということは、夫は本当に名の通ったヤクザなのだろう。
「で、俺から金を払わせようってのか。言っておくが、この店はぼったくりだ。適正価格なら払うが、100万は出せねえな。」
夫がわざとらしく言うと、ヤオたちはすぐさまその場で土下座を始めた。
「いえ、そんな。組長に支払ってもらうなんて滅相もございません。マノ組に弓引くほどバカはやりませんよ。この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」
土下座するヤオに習うよう、後ろに控えていた部下たちも全員で頭を下げる。
「あれが伝説のアラブル・マノか。素手で相手でも、チャカ持った相手でも素で仕留めちまうという。」
部下たちは頭を下げながら、怯えた様子でそんなことを呟いている。とても信じられないような話だが、噂に尾ひれが付いたのだろうか。
「別に相手がどんな武器を仕込んでようが関係ねえよ。俺は素の殴り合いが好きってだけだからな。」
そう言っていたが、どうやら伝説は真実のようだ。夫は私には優しいが、ヤクザとしてはかなり荒々しい戦いをするというのは、かなり意外だった。
「で、この店は何だ?お前らのシマなのか?ぼったくりもお前らの提案か?」
夫がヤオにそう問いかけると、ヤオは大げさなくらい首を振って否定する。
「いえ、うちはただのケツ持ちです。店の経営は関係ありません。ぼったくりをしてるなら店長の仕業で、うちらは関係ないですから。」
ヤクザはすっかり怯えた様子で何度も土下座をする。そして急にひらめいた顔をすると、自分の財布を取り出した。
「すいません。今回はご迷惑をおかけしました。これ、迷惑料です。受け取ってください。」
ヤオが自分の財布を取り出し、札束を夫へ押し付けるのを見て、ヤオの部下たちも同じように財布を取り出す。5人がそれぞれ20万円ずつ、合計100万円の金額が夫のポケットに無理やりねじ込まれた。
「おいおい、お前ら。俺は別に金が欲しいってわけじゃねえんだ。やめねえか、そんな真似は。」
「ではこれで失礼します。うちは店と何の関係もありませんし、2度とこの店とも関わりませんので、どうかご勘弁を。それでは組長、お元気で。」
そしてヤオたちはそう言うと、ダッシュのごとく走り去っていった。夫は呆れながらも、ポケットにねじ込まれた100万円を財布に入れる。そして部屋の隅で小さくなっている店長を睨みつけた。
「おい、お前。頼みの綱だったヤクザには逃げられちまったようだが、どうする?」
それまで散々こちらを見下していた店長は、真っ青な顔をして完全に固まっていた。
「え、えっとですね、そ、その、あ、あの、料金、こちらチャージ料とカクテル代合わせて9,800円になります。」
「ちゃんと最初からその金額を出してりゃ払うって言ってるんだよ。全く。」
「す、すいません。最近ちょっと勘違いが多くて、年のせいかもしれませんね。」
「年といえば、お前さっき俺の妻が遺産狙いだとか愛人とか言ってたよな。」
「いえ、そんな。奥様のことは世界遺産にしてもいいほど美しいと思っただけで、口からそれが出ちゃったのかな。」
「ふざけるのもいい加減にしろ。妻のクミコに謝れ。それが筋だろうが。」
夫に迫られ、店長は顔をくしゃくしゃにしながらその場に土下座をした。
「も、申し訳ありませんでした。奥様に暴言を吐いたこと、お詫びいたします。」
「め、別にいいですよ。頭をあげてください。」
さすがに土下座までされると、怒りすら薄らぐ。それに今の私は、夫が実はかなり過激なヤクザだったという事実があまりにも大きすぎた。ぼったくりの店長が土下座することまで受け入れるほど、心の余裕がないのが本音だ。
「旦那様も本当に申し訳ありませんでした。旦那様は奥様を愛する立派な人だというのに。私は遺産目当てだの愛人だのと失礼を言い、非常にご不快にさせたこと、深くお詫び申し上げます。」
店長はさらに夫にも土下座をする。すると夫は店長の前に膝をつき、目線を合わせた。
「詫びはもういい。それよりお前は2度とぼったくりなんてやめるんだ。いいか。バーってのはな、静かに酒に浸り、音楽や店の空気に浸り、酒と対話を楽しむ場所だ。忙しい大人たちにとって癒しの場なんだよ。その場をぼったくりなんて嫌な思い出に塗り替えるのは悲しいだろう。」
「あ、はい。おっしゃる通りです。」
「見たところこの店の酒は悪くねえ。いいバーテンダーもいるんだろう。雰囲気だって一流だ。ちゃんとした値段でも十分にいい客が入る。ヤクザ連中の後ろ盾もなくなったんだ。もうみかじめを請求されることもないだろう。これからは相場にあった料金で経営するんだな。」
「わ、わかりました。2度とぼったくりはしません。」
「よし。よく言った。今後この店で2度とぼったくりをしないよう、俺でも見張らせてもらうからな。もし俺の耳にぼったくりの噂が入ったら、その時は海に沈む覚悟しておくんだな。」
店長は冷や汗をだらだら流しながら、引きつった笑顔を向ける。そんな店長を置いて、夫は私に優しく笑った。
「行こうか、クミコ。色々と怖がらせて悪かったな。」
「い、いいえ、大丈夫。帰りましょう。」
私は夫と並んで店を出た。今まで夫のことをヤクザ関係の仕事ではあるとしか聞いていなかった。今日は驚きの連続だった。関東一帯を牛耳るヤクザの組長だとか、伝説のアラブル・マノだとか、思わぬ言葉ばかりを聞かされて、うまく考えがまとまらない。私は夫の手を握ると、なんとなく不安になり問いかけた。
「ねえ、あなた。本当に大丈夫かしら?あのヤクザたち、私たちを狙って報復とか、そういうことしないわよね。」
「心配するな。これでも俺は組長の立場だぜ。クミコには指1本触れさせない。いざとなったらうちの組で守ってやるよ。」
そう言われると少し安心する。そもそもこの町で、うちの組に逆らうほど度胸のある奴はいねえさ。それでも心配なら、うちの部下を護衛につけるがどうする?
部下と言われ、私は店で見た黒スーツの男たちを想像する。さすがに会社へ行く時、ヤクザのような男たちに守られていくのは問題がありそうだ。夫なら黒塗りの高級車も出してくれそうだが、高が会社員の私がそんな車で運転手付きの送迎をされたら、会社で目立ってしまうだろう。
「気持ちだけ受け取っておくわ。大丈夫。本当に何かあったら、すぐに助けを呼ぶから。」
私がそう告げると、夫は安心したように歩き出した。そして、ふと思い出したように自分の胸元へ手をやる。そこにはヤクザたちに押し付けられた100万円ですっかり膨らんだ財布が入っていた。
「しかし、あいつらこんな金を押し付けていって、困ったもんだな。明日になったら朝一番に募金でもするか。災害支援金がいいだろうな。クミコ、どう思う?」
夫の言葉で、私は改めて彼の優しさに気づく。夫はあのぼったくりバーで自分の悪口を言われても怒らなかった。だが、私を悪く言われたことで激しく怒ってくれたのだ。店長に対しても、ぼったくりを2度としないようにしっかり言い聞かせたのは、後でぼったくり被害に遭う人をなくすためだろう。ぼったくり店でも適正な金額を出したら、きちんとその支払いはした。徹底的に筋を通し、弱い相手には優しく守ろうとする人。それが私の夫なのだ。ヤクザたちはアラブル・マノなんてよくわからない二つ名で呼んだが、私の知っている夫は強くて優しい最高の人だ。
私はなんだか嬉しくなり、夫の手を強く握る。
「ど、どうした?クミコ。」
驚く夫に、私はとびっきりの笑顔を向けた。
「なんでもないの。ただ、あなたが本当に素敵だと思っただけ。今でも好きなのに、もっと好きにさせてくれるんですもの。」
夫を前に、私は偽りのない言葉を告げる。この人と結婚して本当に良かった。私は心からそう思うのだった。



