同窓会の会場に足を踏み入れた瞬間、後悔した。薄暗いバーの片隅で、中学時代の自分がまた顔を出しそうだった。あの頃から何も変わっていない。空気のような存在感で、誰も声をかけてこない。ため息をつきながらカウンターに腰かけたとたん、背後から首をホールドされた。
「よっ、久しぶり。社会人になっても存在感空気すぎんだろ。しけた面に磨きかかってんじゃん」
瀬川だった。いわゆるカースト上位のイケメンで、出席番号が前後だったせいで俺に話しかけてくる数少ないクラスメートだ。悪気はない。ただ、容赦がない。
「お前さ、彼女いないだろ。俺は今日、決めてきたんだよ。ちょうど彼女と別れたとこだし、同窓会なんて機会、逃せないだろ」
当たり前のように独身を決めつけられても、ムカつくよりも先に苦笑いが出た。そして瀬川はさらに耳元でささやく。あそこで飲んでる、セクシーな美人。見えるか? 薄暗い店内でも、その女性は輝いて見えた。少し大人びた印象だが、誰だかすぐに思い出せない。瀬川が教えてくれた。「あれ、小山さんらしいぜ」
その名前を聞いた瞬間、記憶が逆流した。風に黒髪をなびかせながら本を読む、大和撫子という言葉がぴったりだった人。俺の初恋の人。小山レナさんだ。
「やっぱ小山さんがピカイチだな。俺、一丁告白してくるわ。思い立ったが吉日ってな。行くぞ」
「は? いや、なんで俺まで? 」
「俺も緊張するんだよ。お前、影みたいに隣にいて引き立ててくれよ」
腕を引っ張られ、会場の中心に連れて行かれた。周りの視線が痛い。瀬川はお構いなしに小山さんに話しかけた。小山さんは大人っぽい笑顔で応じる。久しぶり、と。俺の心臓はうるさいほど鳴っていたが、どうせ俺はただの添え物だ。片思いは、少しいびつな形で幕を閉じるんだろうと思った。
瀬川が本題に入ろうとしたところで、別のグループから次々と声がかかり、彼は渋々「また後で」と残して立ち去った。残された小山さんは、何かを考えているような、それでいて決心したような目をしていた。しばらくして、彼女は俺たちの方へ近づいてきた。「お店変えて、3人でどうかな?

」
瀬川は即決した。彼女が差し出した名刺には「クラブナイトレディ」と書いてある。店員として働いているのではなく、自分で店を開いているらしい。「私のお店だよ」と上目遣いで見る彼女に、俺は複雑な気持ちだった。営業か、と冷めた自分がいたのも事実だ。それでも、酔いも手伝って、普段は絶対に話さないような身の上話までしてしまった。貧乏な家庭で育ったこと。大学に行けなかったこと。妹のために自分が働いていること。
小山さんも同じだった。彼女は中学卒業直後に父親を亡くし、母親も病気になり、入院費と妹の学費のために今の仕事をしていると静かに語った。「妹には、苦労させたくないの。青春を思いっ切り楽しませてあげたい」
その言葉は、まさに俺の心そのものだった。妹の幸せが自分の幸せだと、自分に言い聞かせすぎて麻痺していた。小山さんもそうなんだと思った。心のどこかで、誰かの手が差し伸べられるのを待っているような、そんな気がした。
あの日の瀬川の告白は、見事に玉砕した。「イケメンにそんなこと言われたら照れちゃうよ」とかわしていたが、あれは本気の断り方だった。そんな彼女が、帰り際に俺だけに連絡先を渡してきた。「杉本君は特別だから」と。営業なのか、と自分に言い聞かせたが、俺は連絡してしまった。後日、カフェで会うことになった。デートということでいいのだろうか。服を選ぶのに、妹のひなを巻き込んだ。
「初恋相手さんによろしくね」と含み笑いで言うひな。彼女は大学主席を取るほど優秀で、俺が働いて学費を出していることをよく分かっている。俺のために大学に行けなかったことを気にしているのだ。
カフェで会った小山さんは、同窓会の時よりずっと自然体に見えた。ショートケーキを美味しそうに食べる姿は、学生時代の彼女と重なった。「お昼に出かけるの、久しぶりなの」と彼女が言う。「俺も仕事夜だから、普段は寝てる時間だし」と返すと、彼女は笑った。
それから俺たちは何度か連絡を取り合い、会うようになった。彼女の事情を知って、より親近感が湧いた。ある日、仕事が早く終わってぶらぶら歩いていると、彼女の店の前で彼女がふらついているのが見えた。かけ寄ると、そのまま倒れてしまった。病院に行けと説得したが、彼女は「もうお店だから」と頑なだった。店のオーナーに話を聞くと、ほぼ休みなしで働いていて、最近掛け持ちも始めたらしい。妹に苦労をさせたくないという一心らしい。
俺はその話をひなにした。ひなは「お兄ちゃん、相当助けたいんだね」と笑った。「好きな人なら、支えてあげなよ。お兄ちゃんに連絡先くれたんだから、相当脈ありだよ」
その通りだと思った。小山さんを支えたいと、心から思った。
しばらくして、俺の店でバイトを募集したところ、小山さんの妹だという大学生が面接に来た。彼女は小山レミ。小山さんが自分の全てをかけて守っている妹だ。ハキハキとした好印象の子で、もちろん採用した。小山さんの負担が少しでも減ればと思った。だが、俺はその直後、別店舗へのヘルプで2週間店を離れることになった。帰ってくると、スタッフからの報告は最悪だった。彼女は平気でスタッフに「消えろ」「ゴミ」と暴言を吐くという。俺は彼女と面談した。
「お客さんを大切にするのはいいけど、仲間を大切にできないのはダメなんだよ」
すると、彼女は表情を変えた。「私、クレーム出てますから。新人いじめですか? 裏でちょっと毒を吐くくらい、ノリでしょ? それくらい普通に返せない方が器が小さくないですか? 」
さらに彼女は畳みかけた。姉のことだ。姉のせいで自分は不自由だ、と。姉が守ってやるみたいな態度がむかつく、と。自分は好きな化粧品を買うのに、自分へのお小遣いには金を出さない、と。「あの姉がいるだけで人生終わってんの」と吐き捨てた。
我慢の限界だった。ひなが飛び出した。「お兄ちゃんを馬鹿にする奴は絶対に許さない!
」
バチン、と平手打ちがレミを襲った。「あんた、お姉さんが何をしてくれているのか何も知らないんでしょ! 」
俺はひなを抱きとめて止めた。レミは「私、やめます。元々働きたくなかったし」と捨て台詞を残して去っていった。ひなは俺に抱きついて泣きじゃくった。「お兄ちゃんが大学行きたかったってこと、私のために全部犠牲にしたってこと、分かってた。でも、ありがとうって言えなくて」
俺はひなの頭を撫でながら、「もう泣くな。笑ってなきゃだぞ」と言った。小山さんも、きっとこういう気持ちなんだろうと思った。
俺は小山さんに、妹さんが辞めたことを伝えなければならなかった。だが、彼女に何度連絡しても既読がつかない。不安になって、彼女の店へ向かった。オーナーから聞いたのは、彼女が倒れて救急車で運ばれたという話だった。休みを取らせたが、次の日出勤したとたんに倒れたのだという。
病院に駆けつけると、彼女は天井を見つめていた。俺が来たことに気づいて、弱々しく笑った。「疲れたね。とても疲れた」
彼女はぽつりぽつりと話し始めた。「同窓会の時、私のことどう思った? 私ね、お客さんを捕まえるための営業だったんだよ。同窓会なのに最低だよね」
彼女は続けた。「あの日、オーナーに休めって言われて、お礼を言おうとお店に行ったの。そしたら、裏手からレミの声が聞こえた。レミが言ってたんだよね。『姉のせいで自分は人生めちゃくちゃだ』って。『中卒が嫌だ』って。『そんな姉が恥ずかしい』って。全部、全部、私のせいだって。杉本君、私の……今までは、何だったの? 」
彼女は叫ぶように涙を流し、枯れるまで泣き続けた。俺は彼女の手を握ることしかできなかった。
「小山さんが俺に連絡取ったのって、俺も似た境遇だったからだよね」
「それ、正解だよ」
「俺も同じだったんだ。どうして自分だけって、何度も思った。周りが羨ましくて、妬ましくて。本当は、大学生やってみたかった」
握っていた手が、握られる手に変わっていた。
「小山さん、もう自由になろう。十分頑張ったんだから」
「私、でも……」
「やってみないと分からないこともあるさ」
彼女は少し驚いた顔をした後、くったくなく笑った。「杉本君てば、そんなキャラだったっけ?
」
彼女の退院後、俺たちはカフェにいた。彼女の妹、レミも呼び出し、話し合いの場を設けていた。レミは気だるそうに「さっさと終わらせてサークルに行きたいんだけど」と言った。
小山さんは、これまでのことを謝った。レミに苦労させたくなかったこと、何も知られたくなかったこと。そして、これからのことを話した。「大学へは奨学金で行って。自分のお金は自分で稼いで。お母さんのことは私が何とかする」
レミは窓の外を見たまま、封筒を鞄にしまって立ち上がった。「ちょうど良かったわ。『助けてあげてます』みたいなの、うんざりだったんだよね。私、彼氏と話して家も出るから。これで十分でしょ。じゃあね」
振り返らずに去ろうとするレミに、俺は言わなければならなかった。「お前、もしかして病院での話、聞いてたんじゃないのか? 」
ご近所トラブルで、多額の慰謝料を支払うことになった。マルチ商法に騙されたこともある。信頼していた友人に裏切られ、借金を押し付けられた。それでも彼女は、愚痴ひとつ言わなかった。電話の向こうで、いつも明るく笑っている。「大丈夫だよ、私がなんとかするから。あなたは病気の治療に専念して」と。
その言葉に、何度救われたか分からない。彼女は、自分が倒れるその日まで、ずっとそうだった。点滴を受けながら、それでも仕事の連絡をしていた。自分のことより、クライアントの締め切りのことを心配していた。精力的に動く姿に、誰もが感心していた。
彼女にとっての幸せは、きっと誰かのために尽くすことだったんだろう。
数ヶ月後、俺の環境は大きく変わっていた。ひなは早期卒業の推薦を受けられそうだと嬉しそうに電話してきた。「お兄ちゃん、あの時は本当にごめんね。私、ちゃんと頑張るから」
小山さんはクラブを辞めて、ネイリストを目指すために専門学校に通い始めた。「仕事とプライベートはしっかり分けるので」と、彼女はうちの店で働きながら笑った。
ある日の閉店後、俺たちは店の前で並んで歩いていた。彼女の名前を、ようやく「レナ」と呼べるようになった。恥ずかしくて、どうしても呼べなかった。ある時、俺は彼女に聞いてみた。「もしかして、ひなから取ったの? 」彼女の名前が、俺の妹と同じ「ひなの」だったからだ。偶然にしては出来すぎていた。
「それ、正解だよ。ひなちゃんから借りちゃったの」と彼女は笑った。「中学の卒業前だったね。『高校生になったら』ってお題で、一人ずつ発表することになったでしょ。みんな『勉強頑張る』とか『部活頑張る』とか言ってる中で、杉本君だけが言ったんだよ。『俺は妹のひなを幸せにします』って。教室、めちゃくちゃ笑いが起きたよね」
ああ、あの日のことは思い出したくもない。顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「あの言葉に救われたの。あの時の私は、その後自分がどうなるかなんて、夢にも思ってなかった。父がいなくなって、不安で汚い気持ちでいっぱいになった時、いつも浮かんでくるのは、堂々と妹を幸せにするって言い切った杉本君だったんだよ。だからね、私も幸せになれるって、思いを込めて『ひなの』にしたの」
俺は言葉を失った。まさか、15年前の俺の一言が、こんなところで繋がっているとは思わなかった。「君、俺たちのこと、瀬川に言ってないよな?
小山さんの店に行こうってうるさいんだ」
「瀬川君によろしくね。今度、みんなでご飯行こうって言っておいて」
目の前の彼女は、変わらず綺麗な笑顔で俺を見つめている。俺にとっての大切なものは、ずいぶん増えたけれど、その中に自分自身もいることを忘れずに生きていこう。それが自分の気持ちに素直になるということなのだから。


