あの朝、味噌汁をよそいながら「お盆は3日だけ実家に帰ります」と言った。夫はテレビから目も離さず、「ずっと帰ってこなくていいぞ」と笑った。19歳の娘もスマホを見たまま、「ママがいない方が家が平和」と続けた。親子で顔を見合わせて、口を揃えて笑った。私は台所に立ったまま、20年分の何かが、耳の奥でぷつんと切れる音を聞いた。それでも私は、怒鳴りもせず、泣きもせず、冷蔵庫に3日分の作り置きを8品並べて…

あの朝、味噌汁をよそいながら「お盆は3日だけ実家に帰ります」と言った。夫はテレビから目も離さず、「ずっと帰ってこなくていいぞ」と笑った。19歳の娘もスマホを見たまま、「ママがいない方が家が平和」と続けた。親子で顔を見合わせて、口を揃えて笑った。私は台所に立ったまま、20年分の何かが、耳の奥でぷつんと切れる音を聞いた。それでも私は、怒鳴りもせず、泣きもせず、冷蔵庫に3日分の作り置きを8品並べて...

8月13日の朝、私はお盆に3日だけ実家へ帰ると伝えた。夫の浩司はテレビから目も離さずに言った。

「ずっと帰ってこなくていいぞ」

娘のリナがスマホから顔もあげずに続ける。

「ママがいない方が家が平和」

2人は顔を見合わせて笑った。

20年だ。家のことも、この人の親戚付き合いも、娘の学校のことも、私が1人で回してきた。その20年に2人が返してきた答えが、今の2つの言葉だった。私は怒らなかった。声も大きくしなかった。

「そう」

そう言って台所に戻った。冷蔵庫には3日分の作り置きが8品並べてある。確かに何かが切れる音を聞いた。

8時10分、私は荷物を持って玄関を出た。2人とも見送りには来ない。実家へ行く前に、用が1つあった。歩いて15分。着けばちょうど窓口が開く時間だ。4月からずっと家計簿の間に待っている紙が1枚ある。私はこの20年で初めて、言われた通りにしてみることにした。

私は三国まゆみ。43歳。青市の村上会計事務所でパート事務をしている。週に4日、1日5時間。伝票の整理と入力、それに給与計算の下ごしらえが私の仕事だ。数字の合わない日は帰りが遅くなる。合った日はその分気持ちよく帰れる。14年やってきて、まだ好きな仕事だ。

夫は三国浩司。46歳。東映物産という中堅の商社に勤めている。娘はリナ、19歳。この春から私立大学の文学部に通っている。

結婚したのは20年前の4月だった。私は23で、浩司は26。取引先の事務と若い営業という、どこにでもある出会いだ。あの頃の浩司は、待ち合わせに10分早く来て、私の靴の高さに合わせて歩く速さを変える人だった。

翌年にリナが生まれ、私は勤めていた会社をやめた。リナが5歳になった年に今の事務所でパートを始めた。それが14年前になる。

前の年の10月1日、浩司は営業部長になった。辞令をテーブルに置いた時の顔は今でもよく覚えている。頬が上気して、目の縁が赤かった。

「おめでとう」

私は言った。「よくやったね」とも言った。浩司はその晩、リナにまで自分の営業成績の話をした。リナは途中でスマホを見ていたけれど、浩司は最後まで話し切った。

そこまでは良かったのだ。

壊れたのは、それから家で使う言葉の数だった。「名刺」。玄関で靴を脱ぎながら、まずこれだ。食べ終えて箸を置くと、次がこれ。「明日のシャツ」。寝室に入る前に、これ。3つで足りるようになってしまった。「ただいま」も「ありがとう」も、いらない言葉に分類されたらしい。私が「お帰りなさい」と言うと、浩司は返事の代わりに手のひらをこちらへ向ける。それが返事なのだと分かるまでに半年かかった。

娘も似てきた。「ママ、これ洗っといて」。リビングの床に置かれるのは、大抵部活の名残りのような大きなトートバッグだ。「明日お弁当いるから」。言うのは決まって夜の11時を過ぎてからだった。私が翌朝5時半に起きるのはリナも知っている。知っていて言う。悪気があるわけではない。リナにとって私は、頼めば出てくる装置なのだ。装置に遠慮する人はいない。

私の1日は5時半に始まる。米を解いて、弁当を2つ作る。リナの分と浩司の分だ。浩司は外で食べる日もあるけれど、ない日を前の晩に言ってくれた記憶がない。作らずにいて朝に聞かれる方が面倒だから、私は毎朝2つ作る。いらなかった日の弁当箱は、夜になると中身の入ったまま流しに置かれている。

シャツにはアイロンをかける。浩司は襟の折り目に厳しい。前の年の冬、袖口に薄いシワが残っていた朝があった。浩司はそこを指でつまんで持ち上げ、私の顔の前まで持ってきて、そのまま2秒ほど止めた。何も言わない。言わない方が効くと知っている人の顔だった。私はアイロンを出し直した。その日は電車を1本送らせた。

夕方は2度台所に立つ。リナが7時に食べ、浩司が9時過ぎに帰ってくる。同じ献立でも、リナの分は皿に、浩司の分は温め直せるように鍋へ残す。11時を回る頃、リナが2階から降りてくる。「ママの作るやつ、味が去年と同じなんだよね」。そう言いながらリナはおにぎりを2つ食べた。

前の年の12月に、私は熱を出した。38度5分あった。それでも朝の弁当は2つ作って布団に戻った。昼過ぎに階段を降りると、流しには朝の食器がそのまま積んであった。リナはリビングで課題をしていた。浩司はその日家で仕事をしていた。2人とも私の方を見た。見て、それから画面へ視線を戻した。

夕方、浩司が寝室のドアの向こうから聞いた。「今日の飯は」。私は起きて作った。作れてしまったから、次の年もこの家はこのままなのだと思う。

7月のある晩、私は言ってみた。洗い物の途中で手を止めて後ろを向いた。「たまには2人も手伝ってよ」。テレビの音が少し小さくなった。浩司はソファに寝そべったまま天井の方を見ていた。

「俺は会社で働いてるんだぞ」

「私も働いてるけど」

浩司は寝そべったまま鼻で笑った。「あんなのはパートだろう」

「あんなの」。その言い方が耳の奥に残った。

「誰が食わせてやってると思ってる?」

前の年の秋から、浩司はこの言い方をするようになった。営業部長になる前は1度も聞いたことがない。役職が1つ上がっただけで、なぜこの人は自分が家族を養う唯一の人間だと思い込めるようになったのだろう。私はそれが不思議でならなかった。

リナも父親の言い方をそのまま真似た。「パパの方が大変じゃん」。リナは私を見ていなかった。画面を見たまま口だけ動かしていた。

その夜、私は台所で洗い物の続きをした。水の音がしている間は何も考えなくて済む。言い返すのをやめたのは、確かその頃からだ。

私には1つだけ、20年続けている習慣がある。家計簿だ。大学ノートに手書きで、1日も飛ばさずにつけている。ノートはもう20冊になった。食器棚の下の引き出しに、古い順に立てて並べてある。リナが生まれた月のページには粉ミルクの缶の値段と、その下に小さく「初めて笑った」と書いてある。浩司がこの引き出しを開けたところは見たことがない。中身が何かも、多分考えたことがない。

私が家計簿をつけ始めたのは、倹約のためではない。20万円で1ヶ月をどう回したか、いつか誰かに説明しなければならない日が来ると思っていたからだ。その日が来るのがこの夏だとは、思っていなかった。

反論するのが面倒になった日から、この家では私の言葉が減り続けた。減り続けて、あの朝の一言になる。

この家には、私しかやらない仕事がもう1つある。浩司の側の親戚付き合いだ。

浩司の母は74歳になる。2年前に夫をなくしてから、隣の県で1人暮らしをしている。日曜の夜に電話を入れるのは私の役目だ。義母は耳が遠くなっていて、同じ話を3回する。私は3回とも初めて聞く顔で聞く。顔は見えないのだからそんな顔をしても仕方がないのだけれど、声だけで分かってしまうものらしい。

電話を切ってリビングに戻ると、浩司はテレビを見たまま言う。「長いな」。それだけだ。母親の膝の具合も、冷蔵庫が壊れかけている話も、浩司は私から聞こうとしない。

前の年の秋の一周忌も、寺への連絡から仕出しの手配まで私が段取りした。喪主は浩司だ。当日、浩司は挨拶を3分して、その後は親戚の男たちと酒を飲んでいた。膳を運んだのも、片付けの下座をしたのも私だ。3回忌の後、先に引き上げる浩司を駐車場まで見送った時、車の窓を半分下げて浩司が言った。「今日はうまくいったな」。喪主がない。誰がうまくやったのかは、この人の中では決まっているのだと思った。

その一周忌の日、私は廊下で義母が親戚に話しているのを聞いた。「うちの浩司がね、全部やってくれて、あの子がいなかったらこんなにきちんとできなかった」。悪気はない。義母は本当にそう思っている。浩司がそう説明してきたからだ。私は湯呑みを乗せた盆を持ったままそこで足を止めて、それから台所へ行った。訂正はしなかった。訂正して得をする人が1人もいなかったからだ。

お中元とお歳暮の名簿も私が持っている。誰に何を送って、前の年に何が届いたか、全部大学ノートに書いてある。浩司はその名簿があること自体に気づいていない。ただ7月と12月になると「あれ出したか」と聞く。「あれ」で通じてしまうくらいには20年やってきた。

金の話もしておきたい。浩司が私に渡す生活費は月に20万円だ。ここから食費、光熱費、日用品、リナの小遣いが出ていく。リナが高校に上がった頃から、20万円では回らなくなった。私のパート代は時給1200円を積み上げて1月およそ10万円になる。そのうちの4万円ほどは毎月家計に足していた。誰にも言わずに足していた。言えば「足りないのはお前のやりくりが下手だから」と返ってくると分かっていたからだ。

家計簿を後ろから数えてみたことがある。パートを始めて14年、4万円。それを12ヶ月、14年分。672万円だった。672万円は私が家に入れた金だ。それでも浩司の中では、私は食わせてもらっている人間なのだった。

リナの学費は浩司が出している。私立の文学部で年におよそ130万円。それは事実だ。だから浩司は事あるごとにこう言う。「大学に行かせてやってるのは誰だ」。リナはその度に「パパありがとう」と軽く言う。リナの教科書代も定期代も私のパート代から出ていることは言わない。言えば「その金はどこから出たのか」という話になる。そうなれば「20万円では足りない」という話になる。浩司は、自分の渡した額が足りていないと認めない人だ。

そしてその年の4月。私はその日、名簿の話をしただけだった。義母のところへ月に1度は顔を出した方がいい。それが無理なら、電話くらいはあなたが入れてほしい。そう言った。

浩司はビールの缶をテーブルに置いた。「なんで俺が。あなたのお母さんでしょう?」。浩司は缶の口を指で弾いた。「そういうのはお前の仕事だろ」

「私の仕事って、誰が決めたの?」

浩司の顔が変わった。私が言い返したのがよほど意外だったのだと思う。浩司が立ち上がって寝室へ行き、しばらくして戻ってきた。手に紙を1枚持っていた。テーブルの上に置かれたのは離婚届だった。夫の欄はもう全部埋まっていた。氏名も住所も本籍も。署名の下には判まで押してある。そしてその下の証人。そこにも2人分の名前が入っていた。どちらも浩司の部下だ。営業課の30代の男の子たちだった。私は一度、会社の家族向けの懇親会で会っている。相川さんは背が高くて、畑中さんはよく笑う人だった。

「そんなに文句あるなら離婚すればいい」

浩司は椅子の背に体を預けた。「証人も用意してやったぞ。2人とも『部長のお願いですから』ってすぐ書いてくれた」

私は紙から目を上げられなかった。この人は部下に何と言って頼んだのだろう。頼まれた側はどんな顔で書いたのだろう。断れる立場ではない相手に、断りにくい紙を差し出す。それを自慢として持って帰ってくる。

「どうせお前1人じゃ生活できないけどな」

それがその夜の最後の言葉だった。浩司は寝室へ行った。リナは2階にいた。私はそう思っていた。

私は台所の明かりだけをつけて、その紙をしばらく見ていた。それから食器棚の下の引き出しを開けて、19冊目の家計簿を出し、真ん中の辺りに挟んだ。捨てなかった。捨てられなかったのではない。捨てないと決めたのだ。本当に限界が来たら、これを出そう。

翌朝はいつも通り「行ってきます」と言った。前の晩のことには触れない。私が黙って味噌汁を出すと、浩司は「うまいな」とだけ言った。20年で3回か4回しか聞いたことのない言葉だ。私はその一言を詫びに受け取った。受け取ってしまう自分が一番厄介だった。

なぜ出さなかったのか。4ヶ月の間、私は自分に何度も同じ問いをした。理由は3つあった。1つはリナだ。大学に入ったばかりの娘の生活を、私の都合で崩したくなかった。2つ目は住むところ。この家は浩司の名義で、私の名前はどこにも入っていない。3つ目は自分の稼ぎだ。月に10万円で、43歳の女が1人で暮らしていけるのか。その計算だけは何度やっても答えが出なかった。

だから私は待っていた。待っていれば何かが変わるのではなく、待っている間に自分が決心する。そういう待ち方だった。そう決めてから4ヶ月が過ぎた。浩司はその紙のことを1度も口にしなかった。忘れたのだろう。忘れられる程度の紙だったのだろう。私だけが忘れなかった。

8月10日の夕方、事務所から帰ってすぐに実家の母から電話があった。母の声は昔から大きい。受話器を耳から離しても聞こえる。

「お盆、いつ帰るの?」

「まだ決めてない」

電話の向こうで母が何かを置く音がした。「決めてないって。もう10日よ」

私の実家は朝倉市にある。電車で1時間20分。駅からバスで10分。行こうと思えばいつでも行ける距離だ。それなのに前の年は正月に1泊しただけだった。

「お父さんがね、『まゆみはいつ来るんだ』って朝から2回聞いてくるのよ」。父は自分から電話をかけてこない人だ。用がある時は母に言わせる。それが稲垣明夫という人の71年の癖だった。

「駅前にね、新しいマンションが立ったの。1階がスーパーになるんですって」。母はそういう話を延々とする。私は洗濯物を畳みながら聞いていた。

「3日だけなら行けるかも」

行ってしまってから自分で驚いた。行かない理由を探すのが習慣になっていたからだ。

「3日でいいわよ。3日でも来なさい」。母は嬉しそうだった。「じゃあ13日ね。夕方に迎えを炊くから、それまでにいらっしゃい」

迎え火。その言葉を聞いたのは久しぶりだった。実家では祖父母の写真の前に朝顔をくべる。子供の頃、火をつける役はいつも私だった。妹はいない。私は1人だ。

私は電話を切ってからカレンダーの13日から15日のところに小さく丸をつけた。翌日、事務所で所長に休みの相談をした。野村和子さんは58歳になる。開業して20年。事務員を入れて3人だけの小さな事務所だ。

「13から15、いいわよ」。所長は手帳も見ないで言った。それからこちらを見た。「三国さん。お盆に実家に帰るの、何年ぶり?」

「多分4年ぶりです」

所長のペンが止まった。「4年」。所長は繰り返して、それきり黙った。私は入力の続きに戻った。

昼休みに所長がお茶を持ってきた。私は机の上に置いて、自分の湯呑みは持ったまま立っていた。

「9月から正社員にならない?」

手が止まった。

「うちも3年後には代替わりの話をしなきゃいけないでしょう。三国さんが14年やってきた仕事を、来た人へ1から教えるのは無理よ」

「私、資格も何も持ってません」

所長は首を横に振った。「資格のある人はいくらでもいるの。でも14年間、伝票を1枚も落とさず仕事を続けてきた人は他にいないの」。所長は湯呑みの縁を見ながら言った。「フルタイムになると家のことが回らないって言うなら、それは今は聞かない。でも聞かれた時のために考えておいて」

私は返事ができなかった。「ありがとうございます」とだけ言った。

所長がなぜそんなことを言い出したのか、心当たりはあった。前の年の秋、顧問先の会社に税務調査が入った。3年前の修繕費の資料が要ると言われて担当者が青くなった。私は倉庫からファイルを出してきて、3年前の伝票を綴じた順に並べた。日付と番号が1枚も飛んでいなかったので、修繕費の件はその場で決着がついた。調査そのものは2日だったが、あの一件だけは何も持ち帰られなかった。所長はその時何も言わなかった。ただ帰りがけに「三国さん、助かった」とだけ言った。

その夜、食卓で言ってみた。「所長から正社員にならないかって」

浩司は箸を止めなかった。「家のことができなくなるだろう」

「そうだけど」

浩司はテレビの方へ顎を向けた。「断っとけ。パートで十分だ」

リナがスマホから顔をあげた。「ママが働いたら、ご飯どうなるの?」

それが私の話に対するこの家の全部だった。

翌日は8月12日の水曜だった。私は朝から台所に立った。3日分の作り置きを作るためだ。肉じゃが、鶏の照り焼き、きんぴら、ひじきの煮物、卵焼き、なすのびたし、ほうれん草のおひたし、それに味噌汁の具を切って冷凍したもの。8品になった。どれも温めるだけで食べられるようにした。容器には日付と中身と温める時間を書いた紙を貼った。リナが電子レンジの使い方を間違えないように、ワット数まで書いた。

やりすぎだと自分でも思う。3日だ。3日いなくなるだけで、2人が困るはずがない。それでも作り置きを作った。作らずに行くという選択肢が、20年やっているうちに頭から消えていた。

浩司が帰ってきたのは9時過ぎだった。「盆はどうするんだ?」

「13から15、実家に行くでしょう」

浩司はネクタイを緩めた。「聞いてないぞ」。10日の夜にリビングで言った。浩司は新聞を見たまま「ああ」と言った。その「ああ」が聞いたの意味ではなかったらしい。

「あなたも1日くらい休むって言ってたけど、うちは盆で一斉に休む会社じゃない。13も14も出る」。浩司は流しでコップに水を注いだ。「そう。リナがいるんだから、飯くらい作ってから行けよ」

「冷蔵庫にはもう8品入っている」。私はそれを言わなかった。開ければ分かることだ。開けもしないうちから文句を言われても困る。

その晩、風呂に入る前に私は食器棚の下の引き出しを開けた。19冊目の家計簿を取り出して真ん中を開いた。紙は4月のままそこにあった。折り目も半分の具合もあの夜のままだった。

3日だけ。私はそう思っていた。翌朝、あの2人がまだ何も言っていない時点では、私は本当に3日で帰るつもりだった。

8月13日の朝は、いつもより10分早く目が覚めた。5時10分だった。私は台所へ降りて米を解いた。浩司はその日も出社する。弁当は作った。リナは夏休みだから、昼は冷蔵庫のものを食べればいい。

弁当を詰めながら、私は自分の荷物のことを考えていた。前の晩に旅行用の鞄に3日分の着替えを入れた。それからなぜか下着を余分に2日分足した。実家に洗濯機はある。足す必要はない。それでも足した。理由は自分でも分からなかった。

鞄の内ポケットには封筒が1つ入っている。中身は19冊目の家計簿から抜いた紙だ。前の晩、風呂から上がった後にそこへ移した。

7時40分、浩司が降りてきた。リナもほとんど同時だった。2人は毎朝、私が3回呼ばないと降りてこない。その朝は1回で降りてきた。理由は後で思えば単純だ。私が下から呼ぶ声がいつもより短かったからだと思う。

私は味噌汁をよそって、焼き鮭を出した。浩司はその朝、機嫌が良かった。椅子に座るなり、聞いてもいないのに話し始めた。

「来週な、でかい話が動く」

そう言って箸で味噌汁の具をさした。「共和正規って知ってるか? あそこと新しい取引が決まりそうなんだ。年で8億の話だ」

8億という数字が味噌汁の湯気の向こうで浮いていた。うちの家計は月に20万円で回っている。その責任者に俺が入る。決まったわけではないらしい。それでも浩司は決まったことのように話した。

「20年やってきた甲斐があるってもんだ」

リナが横から口を挟んだ。「パパすごい」。リナは父親を褒めた口のままこちらを向いた。「ママ、私の白いシャツ、明日までに洗っといて」

2つの話の間に間がなかった。私は椅子の背に手を置いた。話すなら今しかないと思った。

「お盆は3日だけ実家に帰ります」

テレビでは高速道路の渋滞の映像が流れていた。下りが40キロ、上りが25キロ。アナウンサーがそう呼んでいた。浩司はその画面から目も離さずに言った。

「ずっと帰ってこなくていいぞ」

一瞬、意味が入ってこなかった。言葉の意味は分かる。分かるのに、それが自分に向けられたものだと結びつくまでに多分2秒か3秒かかった。その間にリナが続けた。スマホから顔もあげないまま。

「ママがいない方が家が平和」

2人は顔を見合わせて笑った。笑ったのだ。声を出して。

その朝私が作った味噌汁は豆腐と若芽だった。焼き鮭には大根おろしを添えた。前の日に作り置きを作って、容器に日付と温める時間を書いた。リナの夏の講義の資料はリビングの床に置きっぱなしだった。私が拾ってテーブルの端に揃えておいた。浩司のシャツは前の晩にアイロンをかけて、襟に厚紙を挟んで吊してある。その全部が、2人の笑い声の中でなかったことになった。

私は台所に立ったまま、2人を見ていた。20年だ。家のことも、この人の親戚付き合いも、娘の学校のことも、私が1人で回してきた。その20年に2人が返してきた答えが、今の2つの言葉だ。

腹が立たなかったと言えば嘘になる。ただ腹の立ち方が思っていたのと違った。熱くならなかった。逆だった。手の先から順に温度が下がっていって、最後に耳の奥で何かが切れた。確かにその音を聞いた。

「そう」

私が言ったのはそれだけだった。浩司は箸を取って鮭に伸ばした。リナは画面をなぞっていた。2人とも、私が何を言ったのかを聞いていない。聞く必要がないと思っている。この家では私の言葉は、返事を必要としない種類の音だった。

そう言って台所に戻った。冷蔵庫を開けて、作り置きの容器の並びを見た。それから閉めた。

8時10分。私は鞄を持って玄関に立った。

「行ってきます」

返事はない。テレビの音だけがしていた。2人とも見送りには来ない。私は靴を履いて、ドアを開けて、閉めた。

外は朝から日差しが強かった。蝉が鳴いていた。駅は右だ。私は左に歩いた。

青市役所まで歩いて15分ある。国道沿いをまっすぐ、途中に信号が3つ。その道はリナの小学校の入学式の時に通った道だった。児童手当の手続きに来た時も、リナのパスポートを取った時もこの道を歩いた。役所に来る用事はいつも家族の誰かのためだった。自分のために歩くのは初めてだ。

信号は3つとも赤で止まった。2つ目の信号のところに古いクリーニング店がある。リナが7歳の時、着物を借りた店だ。今はシャッターが半分降りていて、張り紙に「8月16日まで休業」と書いてあった。3つ目の信号で後ろから自転車が来て、私の横で止まった。買い物かごに麦茶の箱を積んだ、私と同じくらいの年の女の人だった。信号が青になるとその人は先に行った。

私は歩き続けた。汗が背中を伝っていた。鞄は軽かった。3日分の着替えと封筒が1つ。それだけの重さで、私は長く暮らした場所から離れようとしていた。

歩きながら考えたのは、意外なことに金のことではなかった。リナの学費でも、住むところでもなかった。私が考えていたのは、2人の笑い方だった。あの笑い方は、思いついて言ってみた冗談への笑い方ではない。前から2人の間で何度も交わされてきた話に、やっと本人の前で触れられたという笑い方だった。「ママがいない方が楽だ」という話は、あの2人の間で前からされていたのだ。私のいないところで何回も。

それが分かった時、私の中で最後の引っかかりが外れた。4月から4ヶ月、私は待っていた。何を待っていたのか、その時ようやく分かった。私は「この人たちは本当はそう思っていない」という証拠を探していたのだ。長い間の言い訳を自分のために探していた。探しても出てこないものは、もう探さなくていい。

8時25分、青市役所に着いた。1階の総合窓口は、盆の平日らしく空いていた。番号札を取ると、待っている人は2人だけだった。

待っている間、隣の椅子に赤ん坊を抱いた若い夫婦が座った。出生届けらしかった。父親の方が名前の漢字を2度も3度も確かめていた。母親はおくるみの帽子を直していた。

19年前、私と浩司もあの席にいた。リナの出生届を出したのは浩司だ。会社を半日休んで、書き終えた後に「これで親だな」と言った。あの日の浩司は、書類を出す時に私の顔を見た。私は自分の膝の上の封筒を見ていた。同じ建物の、同じ窓口だった。

8時30分に窓口が開いて、私の番号はすぐに呼ばれた。「戸籍のお届けですね」。係の女性は30代くらいだった。名札に「市民課」と書いてあった。私は封筒から紙を出してカウンターに置いた。その人は書類を手前に引いて、上から順に見ていった。届出人の欄、夫の欄、妻の欄、本籍、それから証人欄で指が止まった。

「証人の方、2名とも会社の上司の方でいらっしゃいますね」

「はい」

係の人はもう1度、夫の欄と証人欄を見比べた。「ご主人の欄は、ご主人が書かれたもので間違いないですか?」

「間違いありません」

私は自分の声が思ったより落ち着いているのに驚いた。

「本人確認をさせていただきます。運転免許証などお持ちですか?」

免許証を出すと、係の人は端末に何かを打ち込んで、それから顔をあげた。

「不備はございません。お受けいたします」

それだけだった。8時40分だった。家の食卓であの一言を言われてから、ちょうど30分が経っていた。

20年が、30分で終わった。

係の人は「受理証明書はご入用ですか」と聞いた。私は「後でまた来ます」と答えた。その日はただ出したかっただけだった。

庁舎を出ると、外の光がさっきより白く見えた。私はスマホを出して、実家の番号にかけた。相手はすぐに出た。

「今から帰るね」

母の声はいつもと同じ大きさだった。「お土産はいらないから、気をつけてね」

母はまだ何も知らない。娘が3日で帰らないことも、鞄の内ポケットの封筒がもう空だということも。私は電話を切って駅へ向かった。誰にも言わずに、私は20年続いた関係を紙1枚で終わらせた。

10時20分の電車に乗った。盆の上りの電車は空いていた。4人がけの席に私1人だった。窓の外は川とゴルフ練習場と、屋根に太陽光の板を乗せた建物が順に流れていった。

電車が2つ目の停車駅を出た辺りで、私は自分の手を見ていた。指先が冷たかった。冷房のせいではないと思う。

不思議だったのは、後悔が全く出てこないことだ。人生で一番大きなことをした直後なのに、頭に浮かぶのは細かいことばかりだった。ベランダの洗濯物を取り込むのは誰だろう。リナは洗濯機の柔軟剤の入り口を知っているだろうか。浩司のワイシャツのクリーニングの引き換え券は、玄関の靴箱の上の小物入れに入っている。

そういうことばかり考えていた。20年分の習慣は、紙1枚では終わらないらしい。

最初の着信が入ったのは、乗って15分ほどした頃だ。リナからだった。「ママ、白いシャツどこ?」。私は画面を見た。返信はしなかった。リナの白いシャツはその朝に洗って干してある。ベランダの右から2番目のハンガーだ。リナはベランダに出ていない。出れば分かることを、出ずに聞く。

5分後にもう1件。「見つかった。次からちゃんと言っといて」。言っておく相手が逆だとは、多分一生思わない。

浩司からの最初の着信は11時前だった。「弁当に生姜焼き入れたか?」。入れていない。その日の弁当は鶏の照り焼きだった。冷蔵庫にあったものを詰めたからだ。返信はしなかった。

「聞いてるのか?」。続けてもう1件。「まあいい。夜は何がある?」

私は窓の外を見ていた。私が返さないと分かってもなお、この人は自分の1日の予定を私に確認させようとする。

その後しばらく静かで、11時10分にまた鳴った。「17日、おばさんと従兄が家に来る。仏壇に線香だ。うちの母親も一緒に来る。3人分の昼と手土産、土産のお返しな」

私は画面を2度読み返した。その話はその時初めて聞いた。うちに仏壇はない。義父の位牌があるのは義母の家だ。線香をあげたいのなら義母の家に行けばいい。それでも来るというのは、要するに集まって食べたいのだ。集まって食べる場所としてうちが選ばれた。誰が作るかは決まっている。決めたのも伝えたのも、作る本人ではない。

17日は月曜だった。事務所は18日の火曜から通常通りで、私はその火曜に休みを取っていない。つまり17日に3人分の昼食を作って片付けて、翌朝そのまま仕事に出る。前の年もそうだった。その前の年もそうだった。違うのは、今度は私が返事をしないことだった。

「おい、見てるだろ?」。電車が止まって、また動き出した。「返事しろ」。3件続いた。それからこれが来た。

「実家に帰ってるからって、家のことを放り出していいわけじゃないぞ」

その後10分ほど間が開いて、次に来たのは要求ではなかった。「誰が食わせてやってると思ってる?」。その1行だけが画面に残った。

私は数えたことがある。前の年の10月からこの8月までに、浩司はこの言い方を私の聞いた範囲で20回以上している。会社では言わないのだろう。言えば部下に嫌われる。家でだけ言う。家では嫌われても困らないからだ。

返信はしなかった。

「無視するな。戻ったら話がある」

戻ったら話がある。その一文をしばらく見ていた。話の中身は検討がついた。所長に言われた正社員の件だ。断れと言うつもりなのだろう。戻る予定はもうない。

私は画面を伏せて鞄の上に置いた。「放り出していいわけじゃない」。その言い方がこの20年を全部説明していた。私がやってきたことは、この人の中では「やってくれたこと」ではなく「放り出してはいけないもの」だった。感謝の対象ではなく、義務の対象だ。義務なら礼はいらない。

電車は川を渡った。橋の上だけ音が変わる。子供の頃、この音がするともうすぐ家だと思ったものだ。

11時40分、朝倉駅に着いた。駅前は変わっていた。母が電話で言っていたマンションがロータリーの向かいに立っていた。1階のスーパーはまだ内装の途中らしく、窓に紙が張ってある。7階建てで、まだ養生のシートが半分かかっていた。入居者募集の旗が4本。風もないのに立っている。1階の窓に貼られた紙には「9月開店予定」と書いてあった。

バスを待つ間、私はその建物を見ていた。あそこの部屋はいくらするのだろう。1人ならどれくらいの広さで足りるのだろう。そんなことを考えている自分に気づいて、私は目をそらした。まだ何も決めていない。決めていないのに、頭の方が先に歩き出している。

バスは15分に1本出ている。乗って10分。実家の前の停留所で降りた。

「お帰り」

母は玄関に出てきていた。私がバスを降りるところを窓から見ていたのだと思う。「暑かったでしょう。麦茶あるわよ」

玄関を上がると、家の中は線香の匂いがした。仏間の祖父母の写真の前に、花が新しく備えてある。白と黄色の菊と、それから紫の小さい花。夕方に迎え火を炊くための朝顔が、玄関の土間の隅に束ねておいてあった。

父は縁側で新聞を読んでいた。「来たか」。それだけ言ってまた新聞に戻った。父はそういう人だ。たとえ嬉しいと思っていても、そういうことはしない。ただその後、母が言った。「お父さん、今朝から縁側の掃き出しを開けてるのよ」。父は新聞を持ち上げて顔を隠した。私は笑った。声を出して笑ったのは久しぶりだった。

昼は母のそうめんだった。薬味は茗荷と大葉。父も縁側から来て、3人で食べた。

「浩司さんとリナちゃんは?」と母が聞いた。

「2人とも留守番。浩司さんは今日も仕事だし、リナは夏休みだから」

母は薬味の皿をこちらへ寄せた。「ご飯どうするの?」

「3日分作ってきた」

母の箸が止まった。「3日分」

「温めるだけで食べられるようにして、日付も書いてきた」

父が黙って麦茶を飲んだ。母は何か言いかけてやめた。その後、母は朝顔の束をさしていった。「夕方に迎え火を焚くからね。16日の夕方が送り火。まゆみは15日に帰るんだから、送り火は見られないわね」

「そうね」

その時の私はまだそう答えていた。

麦茶を飲んで、2階の私の部屋を覗いた。20年前に出ていった時のまま、机も本棚も残っている。母は掃除だけはしているらしく、ほこりはなかった。父は縁側に戻ってまた新聞を広げた。広げただけで読んではいなかったと思う。ページをめくろうともしなかった。

母は洗い物をしながら背中で言った。「疲れてるでしょう。夕方まで寝てなさい」。私は寝なかった。2階の窓から庭の柿の木を見ていた。柿の木は私が生まれた年に植えたのだと父が言っていた。43歳で、2階の窓と同じ高さになっている。

降りて行くと、母が台所から出てきた。母は私の顔を見ずに、階段の下に置いたままの鞄を見ていた。

「まゆみ、何? 3日にしては多いわね」

母は鞄のファスナーの辺りに目をやった。私は麦茶のコップを持ったまま返事をしなかった。母は鞄から目を離さない。

「別に、着替えを余分に入れただけ」

「そう」

母はそれ以上聞かなかった。台所に戻って夕飯の下ごしらえを始めた。かぼちゃを切る音がしたけれど、母の背中が言っていた。この人はもう気づいている。何かあったと。顔を見なくても、それだけは伝わってきた。

迎え火を炊いたのは6時前だった。門の前に素焼きの皿を置いて、朝顔を折って重ねる。父がマッチを擦って、母が手を合わせた。私も並んで手を合わせた。祖父が亡くなったのは私が高校生の時で、祖母はその4年後だった。2人ともこの家で亡くなった。母は後妻として20年、祖母の世話をした。当時の私はそれは当たり前のことだと思っていた。

炎はすぐに小さくなった。父が水をかけて、皿を持って家に入った。

夕食は6時半に始まった。食卓に並んだのは、かぼちゃの煮物と、なすの揚げ浸しと、鯵の干物と、それに母の作る茶碗蒸しだった。母の茶碗蒸しには銀杏が入る。子供の頃は銀杏が嫌いで、私はいつも父の器にこっそり入れていた。

「銀杏、まだ嫌い?」と母が聞いた。

「もう平気」

「そう。あんた、いつの間に平気になったの?」

いつの間に平気になったのか、私にも分からなかった。

父は缶ビールを1本だけ飲む。半分ほど注いだところで、母がこちらを見た。

「まゆみ」

「何?」

母は箸を持ったまま動かさなかった。「何かあったでしょう?」

私は茶碗蒸しの皿を置いた。「別に」

「別にって顔じゃないのよ。さっきから」

私は茶碗蒸しの器の縁を指でなぞった。「本当に別に」

母は箸を置いた。父は何も言わずに鯵の骨を外していた。台所の壁の時計の音が、夕闇に大きく聞こえた。

私は口を開いた。開いてから、何を言うつもりなのか自分でも決まっていなかった。それでも出てきたのは、その朝のことだった。

「今朝ね」

「うん」

喉の奥が乾いていた。麦茶を一口飲んでから続けた。

「お盆は3日だけ実家に帰りますって言ったの」

「うん」

「そしたら、『帰ってこなくていい』って」

母の手が止まった。

「浩司さんが、テレビを見たまま」

それから。

「リナが、『いない方が家が平和』って」

私は自分の膝を見ていた。母の顔から表情が消えた。怒った顔ではない。笑っていた顔がただ止まったという消え方だった。母のそういう顔を見たのは、多分祖母が亡くなった日以来だ。

「それで?」

母の声は低かった。

「2人とも笑ってた」

「それで」

母はもう1度言った。私は顔をあげた。

「離婚届、出してきた」

食卓が静かになった。母は目を見開いた。それから私の顔を見て、鞄のあった辺りを見て、また私の顔に戻ってきた。荷物が多かった理由が、そこで繋がったのだと思う。

「さ、書いたの?」と母が聞いた。

「違う。4月からあった」

「4月?」

私は話した。4月の夜のことを。名簿の話をしただけで浩司の顔が変わったこと。部屋から紙を持ってきたこと。夫の欄が全部埋まって判まで押してあったこと。証人のことも話した。

「証人のところに名前が2つ入ってたの。相川さんと畑中さん。浩司さんの部下」

母の顔がまた変わった。「部下」

「営業課の30代の人たち」

母は言葉を切って、ゆっくり息を吸った。「部下に書かせたの?」

「そう」

母はテーブルの上で手を握った。「その2人は断れないでしょう」

「断れない」

母はテーブルを一度手のひらで抑えた。「部長に頼まれて離婚届の証人なんて、断れるわけがないじゃないの」。母の声が高くなった。父が母の手の辺りを見た。「あんたのことより先に、私はその2人が気の毒だわ」

それは私も同じだった。4月からずっと、私はあの2人の顔を思い出すたびに申し訳ないような気持ちになっていた。書かせた側ではなく、書かされた側のことばかり考えていた。

「それで、そんな紙を4ヶ月も持ってたの?」

「持ってた」

母は天井を見上げた。「捨てなさって。なんで言わなかったのかしらね、私は」。母はそう言って目の縁を指で抑えた。「気づかなかったんだもの。私が気づかないうちに、あんた1人でそんなものを抱えて」

「今朝、今朝出したの。8時40分、青市役所で」

「役所、お盆でも開いてるの?」

「開いてる」

母は口を手で抑えた。しばらくそのままだった。その間、父は1度も口を挟まなかった。ただビールの缶を持ったまま、置くのを忘れているようだった。

やがて母が手を下ろした。「まゆみ」

「うん」

「じゃあ、3日じゃなくて、ずっといなさい」

私は返事ができなかった。母は続けた。

「あんた、去年の秋の法事の時、何時に帰ったか覚えてる? 浩司さんのお父さんの一周忌でしょ。あんた、片付けまでやって電車で帰って、家に着いたのが11時過ぎだったって。それを次の日の朝に電話で笑いながら言ったのよ」

あんたは覚えていた。忘れていたのは、それを母に話したということの方だった。

「その時、私『浩司さんは何してたの?』って聞いたわよね。あんた、何て答えたか覚えてる?」

「先に帰ってたって」

「そう。あんた置いて、先に帰ってた」

母は湯呑みを取って、飲まずに置いた。

「リナちゃんは何も言わなかったの?」と母が聞いた。

「何も。今朝のことじゃなくて、この20年のことよ」

私は答えられなかった。リナは何も言っていない。母を助けたことも、父を止めたこともない。ただ母親のする家事は空気のようにそこにあるものだと思って、19年生きてきた。それはリナの罪ではない。思わせたのは多分私だ。

「あの子は悪い子じゃないのよ」と母が言った。

「うん」

「でも、悪い子じゃないだけの子には、いつか自分で気づいてもらうしかないの。私はね、あの時からずっと気になってたの。でもよその家のことだから言わなかった。よその家じゃなかったのよ。私の娘の家だったのに」

私は何も言えなかった。母は昔からこうだ。普段は明るくて、うるさいくらいに喋る。それが娘のこととなると、急に口数が減る。口数の減った母は、大抵正しい。

数子。父がそこで口を開いた。母は口をつぐんだ。父は缶をようやくテーブルに置いた。それから私の方を見た。

「浩司君は、そんなことを言うようになったのか」

声は普通だった。攻める調子でもなければ驚いた調子でもない。事実を確かめるだけの声だった。

「最近はずっとあんな感じ」

「最近というのは、いつからだ?」

私は少し考えた。「去年の秋くらいから」

父は頷いた。それから思いがけないことを聞いた。

「会社ではうまくいっとるのか?」

「え?」

「浩司君の会社だ。うまくいっとるのか?」

なぜそれを聞くのか分からなかった。私は当たり前の答えを返した。「この前、営業部長になったって喜んでたよ」

父の手が止まった。鯵をほぐした箸が、皿の上で止まったまま動かなかった。

「営業部長」。父はその言葉を確かめるようにもう1度言った。

「うん。去年の10月付けで」

父は何も言わなかった。その代わり、視線が食卓を離れた。私を見ていない。母も見ていない。父はどこも見ていなかった。

「お父さん」

返事はない。母が心配そうに父の横顔を見た。「どうしたの?」

父は箸を置いた。「いや」。それだけだった。それから父は湯呑みを持って、中身が空なのに口へ運んだ。空だと気づいて、そのまま置いた。

父は、私が何か大きなことを言った時にすぐ反応しない人だ。日電機で30年以上、父は話を聞く側にいた人だからそうなったのかもしれない。私が高校を出る時、進学ではなく就職すると言った時も、父は3日黙ってから「それでいい」と言った。

その父が今、黙っている。黙り方が違った。3日黙る時の黙り方ではない。何かを思い出そうとしている顔だった。思い出したくないことに触れかけている顔でもあった。

母は台所へ立って洗い物を始めた。水の音がし始めて、私はようやく息を吐いた。

「まゆみ」

父が呼んだ。

「はい」

「浩司君の会社の名前は、東映物さんだったな」

「うん」

「そうか」

父はそれきり黙った。

その夜、父はもう食事に戻らなかった。8時を回って母が風呂を沸かしに立った。父は縁側にいた。網戸の向こうで庭の草むらから虫の声がしていた。父の横に麦茶の入ったコップが2つ置いてある。1つは私の分だった。

「座れ」

私は縁側の板に腰を下ろした。子供の頃、夏はいつもここでスイカを食べた。

「東映物産さんの社長の名前を知っとるか?」

父はそう切り出した。

「大橋さんだと思う。会社案内に乗ってた」

「大橋修三だ」。父は麦茶を一口飲んだ。「わしの高校の同級だ」

私は父の横顔を見た。「同級って」

「1年から3年まで同じクラスだ。あんな小さな学校で、それは珍しい」

「55年になる」

55年。私は口の中でその数字を繰り返した。聞いたことがなかった。

「言わなかったからな」。父は自慢話をしない人だ。日電機で取締役をしていたことも、私は父の退職の時に初めて母から聞いた。父は自分の名刺を家に持ち帰らない人だった。

「大橋はうちの会社にもおった」

「日電機に?」私は聞いた。

父は頷いた。「そうだ。わしと同じ年に入って、同じ営業部だった。あいつの方が数字は取ってきた。人に好かれるやつだ」。父はそこで少し笑った。

「どんな人なの? 大橋さんって」

「うるさい男だ」。父はそう言って笑った。「高校の時、あいつは応援団におった。わしは図書室におった。接点なんぞ、何もない。ところがあいつは、教室で誰か1人が黙っとると、必ずそいつの席まで来る。わしが黙っとる時も来た。それだけの男だ」

「それだけ?」

「それだけの男が、55年経ってもまだ電話してくる」。父はコップの水滴を指で弾いた。「あいつはな、人の名前を覚える。うちの会社にいた頃、守衛のじいさんの孫の名前まで覚えとった。ああいう奴が社長になるんだ」

父は縁側の柱に手をかけた。「30年前にやめて、自分で始めた。それが東映物産だ」

「独立したの?」

「41でやめた。あの頃は会社を出るなんて家族に迷惑をかけるだけだと言われた時代だ。あいつは出た」。父は縁側の柱に背中をつけた。「1年目は仕事がなかった。わしは取引先を2社、あいつに引き合わせた。うちが使わなくなった部品の紹介だ。『潰れそうな会社にある仕事じゃない』と言われたが、わしはやった」

「お父さんが」

父は肩を上下させた。「あいつが困ったからだ。それだけだ」

父は麦茶のコップを持ち上げて、また置いた。「これはわしが大橋にしてやった話だ」。父はそこで一度言葉を切った。「頼んだ話は別にある」

私は父の横顔から目を離せなかった。

「20年前、お前が結婚した年だ。秋だったと思う。大橋と飲んだ時に、わしはこう言った。『娘がそっちで働いとるらしい。兵隊はいらんだが、変な男ではないと思うから。よろしく頼む』」

私は言葉が出なかった。

「それだけだ。それ以外は何も言っとらん。わしが大橋に頼んだのは、後にも先にもその一度きりだ」。父は私の方を見た。「わしはな、まゆみ。人の会社の人事に口を出すのは一番恥ずかしいことだと思っとる。だからその一度きりにした。その一度も、今思えば言うべきではなかった」

「お父さんは、私が結婚する時、どう思ってたの?」

聞いてから、結婚以来の質問だと気づいた。あの頃、父は何も言わなかった。反対も賛成もしなかった。ただ会合の日の朝に「まあやってみろ」とだけ言った。

父はしばらく黙っていた。「わしは迷った」。父は網戸の外へ目をやった。「浩司君は、よく喋る男だった。喋るのが悪いとは言わん。ただわしの前で、自分の談義しかせんかった」。父は庭の方を向いた。「お前の話は、あの男の口から1度も出んかった。結婚したいと言いに来た日にだ。お前がどういう人間で、どこが好きなのか。そういう話が一言もなかった」

私は父の横顔を見ていた。

「だが、お前が決めたことだ。父親が口を出すことじゃない。それに若い男が緊張して自分の話ばかりするのはよくあることだ。わしはそう思うことにした」。父は麦茶を飲んだ。「思うことにしただけだ。思えたわけじゃない」

20年、父はそれを1度も口にしなかった。私は膝の上で手を握っていた。

浩司はそのことを知らない。いや、正確にはある程度は知っている。結婚した頃、浩司は1度だけこんなことを言ったことがある。「うちの社長とお父さんは、昔ちょっとした知り合いらしいな」。その時の浩司はそれを面白がっている程度だった。ちょっとした知り合い。それが浩司の中での父と大橋修三の関係だった。実際は55年だ。そしてその20年前の一言は、私が思っていたより遠くまで届いていたらしい。

「お父さん、大橋さんはその一言をどう受け取ったと思う?」

父は答えるまでに間があった。「大橋は偏らない男だ。信頼で実を使ったら、会社は終わる。それはあいつが一番分かっとる」。うん。父は指を1本立てた。「だから浩司君を昇進させたのはあいつじゃない。それは間違いない。でもな」。父は頷いた。「わしが言った一言は人事の話じゃない。人柄の話だ。人柄の話の方が、多分長く残る」

その意味が私にはすぐには分からなかった。父は続けた。

「大事な客との席に誰を連れて行くか。新しい仕事を誰に任せるか。社長に同行させるのは誰か。幹部候補の研修に誰を入れるか。そういうものは規定では決まらん。最後は『あの男なら大丈夫だろう』という一言で決まる」。その一言に、父が20年前に1つ足していた。あの夫の娘子なら、人としては信用できるだろう。大橋がそう思ったとしても、責める気にはならん。わしが言わせたようなものだ。

私は縁側の板の木目を見ていた。

「浩司さん、成績はいいと思う。表彰も何回かもらってた」

「だろうな」。父はあっさり頷いた。「数字を取れん奴が部長にはならん。全部が縁の話じゃない」。そこは父もはっきりさせた。「ただ結果は別だ。数字は機会がないと出ない。同じ実力の男が2人おって、片方だけ大きな客の前に座らせてもらえたら、数字は違ってくる」

私は自分の手のひらを見ていた。あの人はそれを知らない。

「知らんだろうな」。父はそう言って麦茶を飲み干した。「知らんまま。自分の力だけでここまで来たと思っとる。それはそれでいい。人はそう思っとるくらいがちょうどいい」。父はコップを置いた。「ただ、そう思っとる男が、その縁の出所を家で怒鳴りつけとるとは、話が別だ」

その言い方は静かだった。静かなのに、背中が寒くなった。

「お父さん」

「なんだ」

「私、その話を聞いても、あの人を許せる気持ちにはならない」

父はこちらを見なかった。「許せと言うとらん」。うん。「わしが言っとるのは、あの男が何に乗っかっとったかという話だ。乗っかっとることに気づいとらん人間ほど、乗っかっとるものを大事にせん」。父は庭の暗がりを見ていた。「お前は、その乗っかられとるものの一番下におった」

私はその言葉を聞いて、初めて泣きそうになった。その朝のことでも、4月の夜のことでもなく、その時だった。

その時、私のスマホが震えた。リナからだった。「ママ、洗剤どこ?」。それだけだった。私は画面を伏せた。

向こうの家では、今頃2人が私の作った8品の3つ目あたりを食べている。私があの家に置いてきたものは、その品だけではなかった。

父は湯呑みではなくコップの方を持って、空だと気づいてそのまま置いた。「電話する」。父はそう言って縁側の板に手をついて立ち上がった。

「誰に?」

「大橋にだ」

私は思わず父の腕を見た。「お父さん、待って」。父は立ったまま私を見下ろした。「なんだ?」

「何を言うつもり?」

父は考えるような顔をした。「1つだけだ」。それ以上は言わずに、父は奥の方へ歩いていった。廊下の照明が父の背中を照らした。その背中は、私が知っている父の背中よりも大きく見えた。

玄関の電話台の前で、母が父の腕を掴んだ。「あなた、なんだ? 会社に電話して首にしてもらうとか、そういうのはやめなさいよ」

父は母の手を見た。「そんなことするか」

「本当に?」

父は片方の眉をあげた。「わしを何だと思っとる?」

母は手を離した。それでもそこから動かなかった。私も廊下に立ったまま動けなかった。時計は9時半を回っていた。

電話をかける前に、父は寝室へ行った。戻ってきた時、父は襟のついたシャツに着替えていた。それまで来ていたのは色褪せた洗いざらしのパジャマだった。相手に見えるわけではない。それでも父は着替えた。母がそれを見て、口を結んだ。父はこういう人だ。日電機をやめた日も、母に「今日は少し良いものを食べよう」とだけ言って、背広を脱がずに夕食を食べたという。着るものと話すことの重さは、この人の中で同じ棚に置いてある。

父は手帳を取って番号を押した。手帳も見ずに押した。55年分の番号は、指が覚えているらしい。呼び出し音は3回だった。

「わしだ」

父の声が変わった。低くもならず、高くもならない。ただ家で聞く声とは別の速さになった。

「ああ、久しぶりだ」

向こうの声は聞こえない。父の声だけが玄関の壁に落ちていく。

「元気にしとるか。膝はどうだ」

ああ、お前はそこで。父は笑った。「相変わらずうるさいな」

私は廊下の壁に手をついていた。父は椅子に座らず、立ったまま話していた。やがて父の声から笑いが消えた。

「大橋、1つ伝えておこうと思ってな」

間が開いた。

「浩司君のことだ」

また間が開いた。長かった。

「今日からあの男は、わしの娘子ではなくなった」

母が息を吸う音がした。

「離婚した。今日、届けが受理されとる」

向こうで何か言っている。長い。父は黙って聞いていた。それから言った。

「いや、そういう話ではない」。父は受話器を持ち直した。「わしが電話したのは頼み事をするためじゃない。逆だ」

そして父はその一言を言った。

「今後、わしとの関係を理由に気を使う必要は一切ない。浩司君自身だけを見て判断してくれ」

それだけだった。お下ろせとも言わなかった。やめさせろとも言わなかった。何かをしてくれとも言わなかった。父が言ったのは、これまであったかもしれない何かについて、これからはそれ無しにしてくださいということだけだった。

向こうがまた何か言った。今度は短かった。

「そうしてくれ」。父は頷いた。「ああ、すまんな。その夜に」

それから父の声の調子が変わった。相手が話し出したらしい。父は「うん、うん」と2度言って、それから黙った。黙った時間が長かった。

「来週」。父はそう繰り返した。「いや、それはわしが聞く話じゃない。お前が決めることだ」。また間があって、「聞かん、聞かん方がいい」。父はそう言って話を切り上げた。「ああ、またな」

受話器を置いた。台所が静かになった。

母が最初に口を開いた。「なんて言ってた?」

父は電話台の縁に手を置いたまま、しばらく黙っていた。「離婚したと聞いて、驚いとった。それだけだ」

「それだけ?」

父は頷いた。「それだけだ」。父はそう言ってこちらを向いた。私と目があった。

「まゆみ」

「はい」

父は電話台の縁を指で2度叩いた。「余計なことをしたと思うか?」

私は首を横に振った。

「ならいい」

父は玄関の電気を1つ消して、湯呑みを持って台所へ行った。私は廊下に残った。

父が最後に繰り返した言葉が引っかかっていた。父は「聞かない」と言った。「聞かない方がいい」と言った。それはつまり、大橋さんの方からその先の何かの話を持ち出そうとしたということだ。

その朝、食卓で浩司が言っていたことを思い出した。でかい話が動く。共和正規、年で8億。その責任者に俺が入る。私は自分の腕をさすった。冷房のせいではなかった。

父は多分その話を最後まで聞かなかった。聞けば、自分の電話がそこに影響したかどうかを知ってしまう。知らないままでいるために、父は耳を塞いだのだ。

母が台所から麦茶を持ってきて、私に渡した。

「お父さん、電話しながら立ってたでしょう」

「立ってた」

母はコップの縁を指でなぞった。「あの人、大事な電話の時は絶対座らないの」。母は自分の分の麦茶に口をつけた。「日電機にいた頃、夜中に電話がかかってくることがあってね。あの人、寝巻きのまま廊下に立って、1時間でも2時間でも話してた。座りなさいよって言っても座らないの」

「なんで?」

母は首をかしげた。「聞いたことないわ。聞いても答えないもの」。母は笑って、それから真面目な顔に戻った。

「まゆみ、今日のあれね」

「うん」

母はコップを畳の上に置いた。「お父さん、あんたに何も聞かなかったでしょ。どうして離婚したのかとか、これからどうするのかとか」

そう言われて気がついた。父は何も聞いていない。

「聞かないのよ、あの人。決めた人が決めたことは、もう決まったことだと思ってるから」。母はコップを両手で持った。「私はね、それが昔は冷たいと思ってた。でもあんたを見てて、そうじゃないって分かったわ」

寝る前に、私は仏間へ行った。祖父母の写真の前に座って、線香を1本立てた。灰に刺す時、手が震えていないことに自分で驚いた。

おばあちゃん。私は心の中でそう呼んだ。おばあちゃんは口数の多い人ではなかった。その人が、私が高校生の時、台所で1度だけ小さな声で言ったことがある。「まゆみちゃんはね、我慢する人にならなくていいのよ」。その時、意味が分からなかった。40代になってやっと分かった。線香の煙がまっすぐ上がって、途中で折れた。

その夜、私は2階の部屋でもう1本電話をかけた。所長の携帯だった。盆に電話をするのは初めてだった。

「みくさん、どうしたの?」

「お休みのところすみません」

所長の向こうでテレビの音が小さくなった。「いいのよ。どうしたの?」

私は事情を話した。全部は話さなかった。離婚したこと、実家にいること、しばらく戻らないこと。それだけを話した。所長は途中で1度も口を挟まなかった。話を終えると、間が合ってから所長は言った。

「9月からの話、まだ生きてるわよ」

私は受話器を持ったまま頷いていた。相手に見えないのに。頷いていた。

「ただ1つだけ聞かせて。あなた、体は大丈夫?」

「大丈夫です」

所長は一呼吸を置いた。「ご飯は食べてる?」

「今日は母の茶碗蒸しを食べました」

「じゃあ大丈夫ね」。所長はそこで声を出して笑った。「18日は無理して出てこなくていいから、20日から来て。その代わり、9月からはきっちり働いてもらうわよ」

「はい」

電話を切ってから、私はしばらく畳に座っていた。仕事がある。行く場所がある。それだけのことに、私は救われていた。

43歳、月に10万円。私は4月からその計算だけをして、答えが出ないと思い込んでいた。答えが出なかったのは、計算に入れていなかったものがあったからだ。所長の14年分の記憶と、この家の縁側と、母の茶碗蒸し。数字にならないものは、私の計算の欄に入っていなかった。

電話を切った後、私は1度だけリナにメッセージを打とうとした。「洗剤は洗面所の棚の2段目」。その一文を打って、指を止めた。教えたら、リナは翌日また聞いてくる。次は柔軟剤の場所を聞いてくる。その次はゴミの日を聞いてくる。19年、私はそうやってこの子が自分で探す機会を全部先回りして潰してきた。私は文字を消した。消すのに、思ったより時間がかかった。

スマホを見た。リナからの「洗剤どこ」以降、着信はなかった。浩司からも何もなかった。あの人たちにとって、私はまだ3日で帰ってくる人だった。いなくなったことと、帰ってこないことの違いは、翌日になってあの家に届くことになる。

8月14日の朝、私は5時半に目が覚めた。体が覚えている時間だ。20年、この時間に起きてきた。起きる必要がないのに、起きてしまう。私は降りて行って、母と一緒に朝の支度をした。

「あんた、寝てなさいって言ったでしょう」

「目が覚めちゃって」

母は味噌汁の鍋の蓋を開けた。「じゃあ、そこのナスを切って」

母の台所は、私の台所と道具の位置が違う。包丁は引き出しの2段目で、まな板は流しの下だ。私が家を出た頃は逆だったと思う。母も母で、この家で自分の使いやすいように変えてきたのだ。

7時ちょうどに、スマホが鳴った。画面に浩司の名前が出ていた。私は縁側へ出て、通話のボタンを押した。

「おい」

第一声がそれだった。「昨日から何回送ったと思ってる?」

私は返事をしなかった。

「聞いてるのか?」

「聞いてます」

「冷蔵庫のあれ、なんだあれは?」

「作り置き」

「照り焼きが硬いんだよ。レンジで温めたら硬くなった」

容器には温める時間を書いた紙を貼ってある。600ワットで1分20秒。読まなかったのだろう。

「あと、俺のシャツが1枚もかかってない」

「かかっている。寝室のクローゼットの右側だ」

家を出る前の晩にアイロンをかけて、襟に厚紙を挟んで吊した。あの人は右側を開けたことがない。開けるのは左の、自分のスーツの側だけだ。

「それから、17日の件、返事をよこせ」

「返事はしません」

そこで初めて、向こうが黙った。数秒あって、声の質が変わった。

「なんだと?」

「17日の支度はしません。私は行きません」

「はあ?」

「おばさんと従兄が来るなら、あなたが用意して」

「避けるな」

「ふざけてません」

「お前な」。浩司の声が大きくなった。受話器を耳から少し離した。「実家に帰ったくらいで偉くなったつもりか。誰が食わせてやってると思ってる?」

また来たと思った。前の年の10月から、私が聞いた範囲でも20回を超えている。

「3日だけ帰るって言ったのはお前だぞ。3日で帰ってくるんだろうが。それまで家のことをやるのはお前の仕事だ」

「仕事なら、給料もらってないけど」

「口答えするようになったな」

「事実を言っただけ」

「事実だと? じゃあ言ってやる」。浩司は息を吸った。私はその音を聞いた。「リナの学費だって、誰が出してると思ってる? 年130万だぞ。お前のパート代でどうにかなる金か」

なる金ではない。それは本当だ。だから私は黙った。黙ったのは負けたからだと、浩司は受け取ったらしい。声が一段軽くなった。

「お前は分かってない。お前が食えてるのは、俺がこの20年外で頭を下げてきたからだ」

そう。その言い方そのものは間違っていない。ただ、その相手のところへ出かける日の朝、背広にブラシをかけたのは私だ。取引先へ持っていくお土産を駅前で買ったのも私だ。接待で遅くなった日の翌朝、水を枕元に置いて、リナを起こさないようにテレビを消したのも私だ。相手先の奥さんが入院したと聞けば、見舞いの品を選んで表書きまで下書きしたのも私だった。人が外で頭を下げる間、家では誰かが手を動かしている。それを数えたことがあるかと聞きたかった。聞いてもこの人は数えられない。数えたことがないものは、存在しないことになるからだ。

電話の向こうで、浩司の声がまた尖った。「そうじゃない。分かってないって言ってるんだ」

そして、その後だった。

「大体な」。浩司は続けた。「お前の親父さんの名前があるから、俺は今の立場にいられるんだよ」

縁側の板の上で、私の足の裏が冷たくなった。

「何?」

「聞こえなかったのか? 会社で俺がどう言われてるか知らないだろ。『稲垣さんのところの娘さんだ』。あの一言があるから、俺は最初から下駄を履かせてもらってるんだ。その俺が飯を食わせてやってるんだから、お前は」

そこで浩司は言葉を止めた。自分が何を言ったのかに、多分その時気づいたのだと思う。ほんの一瞬だけがあったけれど、この人は引き返せない人だ。引き返す代わりに、もっと大きな声を出した。

「とにかく、17日までに帰ってこい。いいな」

私はスマホを持ち直した。

「今の、もう一度言って。『私の父の名前があるから、今の立場にいられる』って、今言ったよね」

「言ってない」

「言った」

「言葉のあやだ。いちいちあげ足を取るな」

その言い方も、結婚してから何百と聞いた。背中の方で、家の中の物音がしていた。母が父を呼ぶ声がした。浩司さんだ。

「あなたが20年外で働いてきたのは、本当だと思う。分かってるならいい。でも、その相手の前に座らせてもらった日のこと、覚えてる?」

「何の話だ?」

「何の話でもない。もういい」

向こうで何か音がした。その時、電話の向こうから別の声が入ってきた。リナだった。

「ママ、ねえ。いつ帰ってくるの?」

「リナ?」

「いや、すごいことになってるんだけど。洗濯物溜まってるし、ゴミ出せてないし。そうじゃなくてさ、早く帰って来てよ。私、明日サークルの合宿の準備あるのに」

私は目を閉じた。この子は、母親がいないことを、家事が滞ることでしか感じ取れない。私が悲しいかどうか、腹を立てているかどうかは、この子の中で1度も問題になっていない。それはこの子が冷たいからではないと思う。そう思わなくていいように、私が19年かけて教えてしまったのだ。

「リナ」

「何?」

「洗剤は、洗面所の棚の2段目」

「え、分かんない」

「探して」

私は電話を切った。縁側に立ったまま、しばらく庭を見ていた。柿の木の葉に、朝の光が当たっていた。

家に入ると、母が台所から出てきた。「浩司さん?」

「うん」

「大きい声。こっちまで聞こえたわよ」

私は椅子に座った。母が向かいに座った。父はまだ2階から降りてきていなかった。

私は迷った。今聞いたことは、父に言うべきかどうか。言えば父は動く。前の晩の電話とは違う動き方をするかもしれない。父は前の晩に、頼み事ではなく取り消しをした。取り消しの次に来ることを、父にさせたくなかった。だから私は母にだけ話した。

「浩司さんが、『お父さんの名前のおかげで今の立場にいられる』って」

母の眉が上がった。「本人が言ったの?」

「言った。脅すつもりで」

母はしばらく黙っていた。それから台所の椅子の背に手をかけた。「あの人はね」。母の声は低かった。「自分が誰の肩に乗ってるか分かって、それを盾に使ったんじゃないの。分かってないまま、盾のつもりで振り回したのよ。その方がずっと悪いわ」

「うん」

「お父さんには言わないの?」

「言わない」

母は頷いた。「そうね。あの人に言ったら、今度は取り消しじゃ済まなくなる」。母は私と同じことを考えていた。「言わないでおきましょう。あの人はもう、自分のやることをやったんだから」

朝食の席で、父は何も聞かなかった。前の日と同じように、鯵をほぐして麦茶を飲んで新聞を開いた。母が卵焼きの皿を父の方へ寄せた。父はそれを2切れ取った。

「今日は暑くなるらしい」

父が言ったのはそれだけだった。私はその横顔を見ていた。父は絶対に聞かない。聞かないことで、こちらに逃げ道を作っている。私が就職すると言った時も、3日間は天気の話しかしなかった。

父の湯呑みが空になったので、私が急須を持った。

「ええ、自分でやる」

父はそう言って自分で注いだ。そういう人だ。

その後、リナからメッセージが3件続いた。「洗剤、見つかった」「てかママ、合宿のお金いる。2万」「パパに言って」。私は最後の1行を2度読んだ。金の話になると、あの人は私に振る。学費は俺が出していると言った同じ口が、2万円は私に振る。年に130万円を出しているのは事実で、2万円を出すのが面倒なのも事実で、その2つがあの人の中では矛盾しない。

私は返信を打った。「お父さんに言って」とだけ送って、画面を伏せた。

浩司の言った一言が、耳の奥でまだ鳴っていた。あの一言で、私が20年知らずにいたことと、前の晩に父が話したことが、ぴたりと重なった。そしてあの人は、それを脅しの材料として使ったつもりでいる。自分がどこに立っているのか、あの人は本当に分かっていなかった。

ここから先は、私がその場で見たことではない。後になって父が大橋さんから聞き、それを父が私に話した。だから細かいところは違っているかもしれない。それでも順番と中身は変わらないと思う。父はそういうことを盛る人ではないからだ。

8月13日の夜、電話を切った後、大橋さんは受話器の前からしばらく動かなかったそうだ。奥さんが「どなたから?」と聞いたら、「秋夫だ」とだけ答えて、書斎へ入っていったという。

大橋さんという人について私が知っていることは、ほとんど父の話だ。71歳。30年前に日電機を辞めて東映物産を起こした人。人の名前を覚える人。それから、父の言い方を借りれば「うるさい人」。

その人が書斎で一晩考えたというのは、多分決めるためではなかった。決めるのは簡単だ。悩んでいたのは、自分の会社の中に書類に残らない線がどれだけ引かれているかということの方だったのだと思う。会社を30年やってきた人にとって、それは一番見たくないものだったのではないだろうか。

引っかかったのは、離婚のことではなかったらしい。引っかかったのは、秋夫が最後に言った一言の方だった。「今後、わしとの関係を理由に気を使う必要は一切ない」。その言い方は、逆に言えば「これまでは気を使っていた部分がある」という前提の上に立っている。

大橋さんは自分に問い直した。わしはあの男に気を使ったか。昇進はさせていない。それは断言できたそうだ。営業部長の人事は前の年の9月の役員会で決めた。数字は出ていたし、査定も悪くなかった。誰かが上申で押した形跡はない。

だがそこで大橋さんは、翌週に予定していたことを思い出した。共和正規との新規取引の件だ。年に8億円。東映物産の売上は160億円で、その規模の新しい話が1本で入るのはこの10年でも数えるほどしかない。会社にとっては久しぶりの大きな話だった。その責任者に、大橋さんは三国浩司を据えるつもりでいた。内示は翌週の月曜、つまり8月17日に出す予定だった。

なぜ浩司だったのか? 数字はある。それは事実だ。ただ最後に候補を2人から1人に絞った時、大橋さんの頭に浮かんだものがあったという。共和正規の会長は小崎三春という人だ。東映物産の大橋さんとは別の会社の別の人だ。76歳になる。この人もまた、父の古い知り合いだった。日電機の時代、部品の共同開発で何年か一緒に仕事をしたのだそうだ。

つまり大橋さんの中で、こういう線が引かれていた。共和正規の会長と秋夫は知り合いだ。秋夫の娘なら、話の入り口は作りやすいだろう。その線は書類のどこにも書かれていない。どの会議の議事録にも残らない。それでも人を選ぶ時には、確かに働く種類の線だった。

大橋さんは書斎で、その線を頭の中でなぞり直した。そしてその線がもう存在しないことを確認した。秋夫の娘ではないと、本人の父親が言ってきたのだ。

翌朝、8月14日の8時。大橋さんは会社に着くと、総務の社さんを社長室へ呼んだ。社高明さんは59歳。人事と総務を見ている人で、社内で誰が何を言っているかについては一番把握している立場にある。

「三国のことだ」

大橋さんはそう切り出したという。「今日は正規の件であれを責任者に立てる話を進めていたな」

「はい。月曜に内示の予定です」

大橋さんは机の上の書類を裏返した。「あれは、なぜ候補に上がった?」

社さんは少し考えてから答えた。「数字は文句なしです。それと、先方への入り方が作れるという話が6月の部長会で出ました」

「入り方?」

社さんはそこで一度言葉を選んだ。「三国部長ご自身の発言です」。大橋さんは黙って先を待った。

「先方の会長は義父の古い知り合いですので、話は通しやすいかと。そうおっしゃっておられました」

6月の部長会の話も、後から聞いた。共和正規の名前が議題に出たのは、その日の後半だったそうだ。先方が調達先を見直すという情報が入って、うちにも声がかかるかもしれないという段階の話だった。部長会には営業の部長が全員出る。そこで浩司が手を上げた。「先方の会長は義父の古い知り合いですので、話は通しやすいかと」。その場にいた何人かが頷いたという。頷いた人たちに悪意はない。仕事の入り口が1つ増えるという話でしかないからだ。

ただ、その時浩司は、その古い知り合いに会ったことがなかった。小崎さんという名前を知ったのも、その年の春に大橋さん本人の口から聞いた時が最初だったという。父が小崎さんの話を家でしたことは、私の記憶にはない。大橋さんはそういう話を軽い口調でする人だ。「共和正規の会長は、君のお父さんと古い付き合いらしいよ」。そのくらいのことを言ったのだと思う。浩司はその一言を持ち帰って、部長会で自分の口から出した。人から聞いた話として伝えたのではない。自分の持ち物のように出した。

大橋さんはその時、何も言わなかったそうだ。しばらくして、こう聞いた。「それは、その1回だけの話か」

社さんは答えにくそうにした。それでも答えた。「1回ではありません」

そこから社さんが挙げたのは3つだったという。

1つ。前の年の秋、昇進が決まった後の席で、浩司は同期に向かってこう言ったらしい。「うちの社長と義父は、昔からの付き合いだからな」。

2つ。この春、営業の若い社員にこう言ったという。「稲垣という名前を出せば、大抵の扉は開く。覚えとけ」。

3つ。共和正規の話が出た後、部内で「義父とも関係が深いので、任せてください」と繰り返し言っていたそうだ。

2つ目の話には、名前がついていた。社さんが言ったのは、営業課の相川という若い社員のことだった。相川健吾さん。34歳。4月の夜、私が渡された紙の証人欄に名前を書いた2人のうちの1人だ。

その相川さんが、その年の春に同じ課の畑中さんにこう漏らしていたという。「部長は、『稲垣という名前を出せば大抵の扉が開く』と言うんです。あの言い方、聞いてて苦しくなるんですよね」。社さんの耳にそれが入ったのは6月頃だったらしい。

「私はその時は何も申し上げませんでした」。社さんは大橋さんにそう言ったそうだ。「部長の言い方の癖だと思っておりました。今日、社長に呼ばれて、そうではないかもしれないと思いました。本人は自慢のつもりだと思います」。社さんはそう言い添えた。「ですが、聞いてる側はそう受け取りません。うちの若いものの中には、『三国部長はコネで上がったのだ』と思っているものもおります」

大橋さんは椅子の背に体を預けたという。そして、1つだけ聞いた。

「あれは、自分がその名前をどう使っとるか、分かっとると思うか?」

社は首を横に振ったそうだ。「分かっておられないと思います。分かっている人は、部内では言いません」

大橋さんは頷いて、それきり黙ったという。

父がこの話を聞いたのは、9月に入ってからだ。大橋さんは電話でそこまで話して、最後にこう言ったらしい。「ああ、お前の一言が悪かったんじゃない。あれは20年前のたった一言だ。悪いのは、その一言を自分の実力の一部だと思い込んだ奴の方だ」

父はその話を私にする時、そこだけは言葉を変えなかった。そして父はこうつけた。

「わしが電話した夜、大橋はその先の話をしようとした。わしは聞かんかった。聞かんで良かったと思っとる」

8月14日の午前10時、私はその時朝倉の家の縁側にいた。母が縁側の窓を拭いていた。私は柿の木の枝を見ていた。窓を拭き終わった母が、雑巾を絞りながら言った。「今日は何もしないでいいからね」

「何かしてないと落ち着かない」

母は雑巾を桶に放り込んだ。「じゃあ、そこの座布団を干して」

私は縁側に座布団を6枚並べた。6枚とも、20年前と同じ柄だった。庭では父が柿の木の下から枝を見上げていた。「切りすぎたところがある」と言って、ずっと同じ場所を見ている。何も起きていない午前だった。蝉が鳴いて、風鈴が2階なって、母が麦茶を持ってきた。

向こうの会社で何が起きていたのか、私はその日の夜まで知らなかった。

これも後で聞いた話だ。その日の午前10時、浩司は社長室に呼ばれた。本人は上機嫌だったという。社さんが廊下で見かけた時、ネクタイを直しながら歩いていたそうだ。内示だと思ったのだろう。共和正規の件の責任者。年に8億円の話。部長会で自分が手を上げた案件だ。

社長室に入ると、大橋さんは立って窓の方を向いていた。振り返って、椅子を勧めなかったという。社さんがその場にいたのは、大橋さんが呼んだからだ。人事の話をする時は必ず人事の役員を同席させる。それが東映物産のやり方なのだと、父が言っていた。大橋さんは2人きりで人の処遇の話をしない人らしい。それは浩司にとって一番逃げ場のない形だった。2人きりなら後でどうとでも言える。もう1人いれば、言えない。

「来週の案件だが、君は担当から外す」

浩司は意味が取れなかったらしい。「はい?」

「聞こえたか」

浩司は椅子の背に手をかけたまま、立っていたという。

「あの、今日は正規の件でしょうか?」

「そうだ」

「何か私に不手際が」

大橋さんは首を横に振ったという。「不手際の話ではない。前提の話だ」

「前提?」

大橋さんは窓の枠に指をかけた。「君を候補に入れた時、義父との縁があるという前提が私の中にあった」。浩司の顔が変わったのは、その時だったと社さんは言っている。「もう、その縁はないそうだな」

「どういう意味でしょうか?」

大橋さんは表情を変えなかったという。「昨日、秋夫を本人から聞いた」

沈黙があったという。長かったらしい。浩司はその間、多分前日の出来事を頭の中でたどり直していたのだと思う。前の日、8月13日。妻が実家に帰った日。あの義父が、何か。

「もう、義父ではないそうだ」。大橋さんはそう言った。それ以上は言わなかったという。「私が君に伝えるのはそこまでだ。あとは家の話だから、私は知らん」

浩司は立ち上がろうとして、また座った。「社長、それは、私が何か勝手に」

その一言が出た時、大橋さんはようやく椅子に座ったそうだ。座ってしばらく浩司を見てから、言った。

「三国君」

「はい」

大橋さんは机の上で指を組んだ。「君は今、『勝手に』と言ったな」。浩司は答えなかった。「奥さんが何かを勝手にしたのだとしたら、君はその間、何をしとった?」

返事はなかったという。大橋さんはそれ以上追い詰めなかった。ただ最後にこう言ったそうだ。

「来週からは、君の数字だけを見る。それが本来だ。今までがそうでなかったのなら、それは私の不明だ。悪かった」

悪かったと社長に言われて、浩司はどんな顔したのだろう。私はそれを見ていない。見ていなくて良かったと思う。

浩司は社長室を出た。自分の席に戻って、スマホを見たそうだ。着信はなかった。メッセージもなかった。朝、私と話したのが最後だった。それから浩司は私に電話をかけたらしい。

実家の縁側で、私のスマホが鳴ったのを覚えている。10時40分頃だった。画面に名前が出て、私は指を伸ばして、伸ばしたまま止めた。出なかった。向こうが切るまで、20秒くらいだったと思う。その後もう1度鳴った。出なかった。3回目は鳴らなかった。代わりにメッセージが来た。「電話に出ろ」。それだけだった。私は画面を伏せた。

縁側で電話を伏せた後、私は座布団を直した。6枚のうち2枚が日陰に入っていたからだ。手を動かしていないと、考えてしまう。出るべきだろうか。20年一緒にいた人からの電話に1度も出ないというのは、冷たいのではないか。私はそんなことをまだ考えていた。

母が縁側に来て、私の隣に座った。「鳴ってたわね」

「うん」

母は日陰に入った座布団を裏返した。「出なくていいわよ」

「うん」

「出たら、あんたが説明することになるでしょう。なんで説明する側があんたなの?」

その通りだった。私は座布団の位置を直して、それから手を止めた。

その頃、浩司は上司に辞表を申し出ていたそうだ。理由は言わなかったらしい。

浩司が家に着いたのは11時半頃だった。ここから先は、リナが後で私に話したことだ。

玄関のドアが乱暴に開いて、リナは驚いてリビングから出たという。

「パパ? なんで」

「離婚届はどこだ?」

リナには意味が分からなかった。浩司は靴も脱がずに上がって、まっすぐ食器棚の下の引き出しを開けたそうだ。あの人があの引き出しを開けたのは、多分初めてだった。中には家計簿が20冊、古い順に立てて並んでいる。浩司はそれを1冊ずつ抜き出して、床に放った。

リナは言っていた。「パパ、ノートの中身を全然見てなかった。ページも開かないで、挟まってるものがないか、こうやって指で弾いてただけ」

19冊目まで来て、浩司の手が止まったという。その1冊には真ん中に折り目がついていた。何かが長く挟まっていた形の折り目だけれど、そこには何も挟まっていなかった。浩司は床に座り込んで、しばらく動かなかったそうだ。

「パパ、何してんの?」とリナが聞いたら、浩司はこう言ったという。

「あれは、冗談だったんだよ」

リナには何のことか分からなかった。浩司はその後、床のノートを踏まないように立ち上がって、車の鍵を取って出ていった。リナが「どこ行くの」と聞いても、答えなかったそうだ。

リナはその後、床のノートを拾ったという。拾うだけのつもりだったのに、1冊が開いたまま落ちていて、目に入ってしまったそうだ。そこには日付と品物と金額が並んでいた。リナが見たのは、リナが小学校に入った年のページだった。ランドセル、上履き、名前ペン、図書バッグの布。その下に小さな字で1行。「リナ、1人で名前をかけるようになった」。

リナはそのページの写真を撮ったと、後で言っていた。なぜ撮ったのかは、自分でも分からないと言った。そしてノートを全部拾って、元の引き出しに立て直したそうだ。古い順が分からなくて、表紙の年を見ながら並べるのに30分かかったと言っていた。

浩司がなぜそんなに急いだのか。今考えると、あの人が確かめたかったのは離婚のことではなかったのだと思う。確かめたかったのは、社長が口にした「前の日のこと」だ。その日、父が社長に電話をした。その電話で何が話されたのか。自分の何が伝わったのか。それを知りたかった。私がいなくなったことより、その電話の中身の方があの人には重かった。そのことに、私はその日の夜に気づくことになる。

浩司が向かった先は、青市役所だった。これは後で本人が私に言ったことだ。午後1時過ぎだったという。届け出をした本人だから、窓口で確認することはできる。浩司は自分の運転免許証を出して、離婚届が出されているかを聞いた。係の人が端末を見て、こう答えたそうだ。

「8月13日付けで受理されております」

受理されております。その一言は、多分あの人が生まれて初めて聞く類いの言葉だったと思う。交渉の余地がない言葉だ。何かをすることも、後から条件を足すこともできない。営業の人間が一番嫌う種類の文だ。係の人は続けて、受理証明書が必要かどうかを聞いたそうだ。浩司は「いらない」と答えたという。いらないのではなく、いると言えばそれが本当になってしまうと思ったのではないだろうか。

8月13日。その日付を聞いた時、頭の中で何が起きたのかは分からない。分かるのは、その後私のスマホが鳴り始めたということだけだ。

最初の着信が入ったのは午後1時20分だったけれど、私は鳴り始めたことにすぐ気づかなかった。私は台所で母と一緒にそうめんの薬味を作っていた。スマホは縁側に置いたままだった。振動する音が、板の上を伝わってきた。

「鳴ってるわよ」

「うん」

切れて、また鳴った。2件目。3件目が鳴ったところで、私は縁側へ行って画面を見た。全部、同じ名前だった。

「浩司君か」。父が今度は声をかけた。

「うん」

「そうか」。父はそれだけ言って、また新聞に戻った。母が台所から出てきた。「出なくていいわよ」

「そうする」

4件目、5件目。5件目の後、少しだけ間が開いて、メッセージが入った。「話し合おう」。それが最初の1行だった。続けてこう来た。「離婚なんて聞いてない」。

私は画面を見たまま、その一文を読んだ。聞いていない。それは本当だ。私は言わなかった。言えば止められるからではない。言う相手がいなかったからだ。4月の夜からこの8月まで、私は何度もこの話を持ち出そうとして、その度に飯か風呂か明日のシャツで流された。話は、聞く気のある人にしかできない。

6件目、7件目。午後2時を過ぎた頃には、10件になっていた。母が昼食の素麺を茹でて、3人で食べた。食べている間も、縁側でスマホが震え続けていた。父は1度も見なかった。母は3回見た。私は1回だけ見た。

「あんた、電源切りなさいよ」

「切らない」

母が麺の鍋の火を止めた。「なんで」

「数えておきたいから」

自分でもなぜそう答えたのか分からなかった。ただ、この人がどれだけかけてきたのか、後で正確に言えるようにしておきたかった。20年、私はこの家の数字を全部ノートにつけてきた。最後の数字もつけておきたかったのだと思う。

3時、17件。4時、22件。5時を過ぎたところで、メッセージの調子が変わった。「今すぐ帰ってこい。今日中にだ。いい加減にしろ」。そしてこれが来た。「親父さんに何を言ったんだ?」

私は縁側に座って、その一文を長く見ていた。夕方の光が、庭の柿の木の影を長くしていた。そこまでの30件近い着信と、いくつかのメッセージの中で、あの人は1度も聞かなかった。どうして出ていったのか。何が嫌だったのか。今どこで何をしているのか。体は大丈夫か。1つも聞いていない。聞いてきたのは、「帰って来い」と「親父さんに何を言ったんだ」の2つだけだった。

その時、はっきり分かった。この人が困っているのは、妻がいなくなったからではない。家事をする人間と、義父との繋がりが、同時になくなったからだ。2つとも、この人にとっては道具だった。道具が2つ同時に壊れたから、慌てている。

腹は立たなかった。腹の代わりに、体温が下がった。4月の夜に紙を受け取った時にも、その朝の電話の時にも、まだどこかに残っていたものが、そこで完全に消えた。

6時、34件。7時、48件。夕食は母と父と3人で食べた。父は麦茶を飲みながらテレビの相撲の再放送を見ていた。母は途中で2度、縁側のスマホを見た。7時を過ぎた頃、母が縁側に出てきて、私の隣に座った。

「何件になったの?」

「48」

母は黙って、それから言った。「20年でね、あの人があんたに何回電話してきたと思う?」

「え?」

「1日にそんなにかけてくる人が、この20年。あんたが熱を出した日に、1回でも電話してきたの?」

私は答えられなかった。答えは分かっていた。

「こういうことなのよ」。母はそう言って立ち上がった。「困ってるだけ。あんたのことじゃないの」

8時になった。70件目の着信が鳴った時、私は立ち上がって縁側に出た。

「まゆみ」。母が呼んだ。

「1回だけ出る」

私はそう言って、通話のボタンを押した。

「もしもし」

「おい」

耳が痛くなるほどの声だった。私はスマホを耳から離した。

「お前、勝手に出しやがって」

「出しました」

向こうで、椅子が動く音がした。「あんな紙、本気じゃなかったんだよ」

「そう」

「あれはその、お前があんまり生意気なことを言うから」

「そう」

「聞いてるのか?」

「聞いてます」

私は縁側の柱に背中をつけた。

「浩司さん」

「なんだ?」

私は自分の声が低くなっているのに気づいた。

「あの紙、誰が書いたか覚えてる?」

向こうが黙った。夫の欄。氏名も住所も本籍も、全部書いてあった。署名の下には判まで押してあった。

「だからそれは」

私は言葉を被せなかった。向こうが言い終わるのを待ってから、言った。

「あなたが書いたの」

「書いた。書いたけどな」

「証人の欄には、2人の名前があった」

そこで、向こうの息が止まったのが分かった。

「相川健吾さんと畑中さん。営業のあなたの部下」

「知らん」

私は柱から手を離した。「知らない」

「あんなもの、俺は頼んでない」

私はスマホを持ち直した。「4月のあの夜、浩司は自分でこう言った。『証人も用意してやったぞ。2人とも部長のお願いですからって、すぐ書いてくれた』」。その言葉を、私は忘れていない。けれどそれを言ったところで、この人は「言ってない」と言うだろう。2人だけの部屋の話で、証明はできない。

「浩司さんだよ」。私は庭の方へ体を向けた。「あの2人に、謝った方がいいと思う」

「は?」

「相川さんと畑中さんに。部長に頼まれて離婚届の証人を書くのは、あの人たちにとってどういうことか、考えたことある?」

向こうは何も言わなかった。

「私は4月からずっと、あの2人のことが気になってた。私が出したことで、あの人たちの名前が本当に使われた。それは私の責任でもある」

「何を言ってるんだ?」

「分からないなら、それでいい」

分からないだろうと思った。あの人にとって、あの2人は名前を書く手でしかない。

私が黙った時、向こうで別の音がした。何かが擦れる音。それから、リナの声。

「ちょっと貸して」

浩司が声をあげた。「リナ、今話してる」

「いいから貸して」

そしてリナの声が、すぐ近くになった。「ママ」

「リナ」

リナは息を切らしていた。「あのさ」

「うん」

「4月のあの夜」

私は柱から背中を離した。

「私、階段の途中にいた」

時間が止まったような感じがした。

「トイレ行こうと思って降りようとしたら、下でパパの声がして、それで途中で止まって、そこに座ってた」

「リナ」

「全部見てた。パパが紙持ってきて、テーブルに置いて、『証人も用意してやった』って言ったのも聞いた。『2人とも部長のお願いですからって、すぐ書いてくれた』って、パパそう言った」

向こうで浩司の声がした。リナ、と言ったのだと思う。リナはそれに答えなかった。

「ママが下向いてるの。上から見えた」。リナの声が震えていた。「私、そのまま部屋に戻った。何も言わなかった。私は何も言えなかった。ごめん」

リナはそう言った。私は目を閉じた。それから聞いた。

「リナ、今、パパの前でそれを言った?」

「言った」

「そうだって、パパが知らんって言ったから」。リナはそこで一度言葉を切った。「知らんはずないもん。私、見てたもん」

電話の向こうで、しばらく誰も何も言わなかった。後で聞いた話では、その時、浩司はリビングの床に座り込んだ。リナが「パパ」と呼んでも、返事をしなかったという。4月の夜にあの人が自分の口で言ったことは、実の娘が覚えていた。しかもその娘は、その夜のことを4ヶ月もの間、誰にも言わずにいた。

リナが黙っていた理由は、後で聞いた。「言ったら、家がめちゃくちゃになると思ったから」。リナはそう言った。黙っていれば、めちゃくちゃにならないと思っていたのだ。19歳の子が考えることとしては、そんなに不自然でもない。私も20年、同じことを考えていた。

やがてリナが聞いた。「ママ、いつ帰ってくるの?」

私は庭を見ていた。もう暗くて、柿の木の形しか見えなかった。

「帰らないよ」

「え?」

「帰らない」

「なんで」

私は静かに言った。「リナが言ったでしょう。『ママがいない方が家が平和』なんでしょう」

向こうから音が消えた。テレビの音も、浩司の声も、リナの息の音も、何も聞こえなくなった。その沈黙が、思っていたより長かった。その長さで、この子が今何を思い出しているのかが分かった。

8月15日は土曜だった。朝から蝉がうるさかった。母は仏壇の花の水を変えて、父は縁側で新聞を読んでいた。私は洗濯物を干した。実家の物干しは高い位置にあって、背伸びをしないと届かない。昔は届いた。背が縮んだのか、物干しの位置が変わったのか。母に聞いたら「あんたが猫背になっただけよ」と言われた。

昼前に、家の電話が鳴った。母が出た。「はい、稲垣です」。私は台所にいた。母の声の調子で、相手が誰か分かった。「ほら、リナちゃん」

私は蛇口を止めた。母は受話器を持ったまま、玄関の椅子に座った。話しながら座るのは、母が長くなると判断した時の癖だ。

「うん。うん。それで」

少し間があった。「ばあちゃんから、ママに帰るように言ってほしいの」。リナがそう言ったのだと思う。母はゆっくり聞き返した。「どうして?」

「ママがいないと、困るから」

母は黙った。それから、こう言った。

「リナちゃん、平和になったんでしょう」

電話の向こうが静かになったのが、こちらにも分かった。

「『ママがいない方が家が平和だ』って、リナちゃんが言ったんでしょ。それは本当のことでしょう。だったら、今平和なんじゃないの?」

母の声は怒鳴っていない。淡々としていた。淡々としている母の方が、怒る母よりずっと怖い。

「困るっていうのは、平和じゃないってこと」

返事は聞こえなかった。

「リナちゃんね」。母は膝の上で受話器のコードを指に巻いた。「おばあちゃんは、あなたに怒ってないの。あなたはまだ19でしょ。分からないことがあって当たり前。でもね、分からなかったことは、分かった後で自分で片付けるものなの。おばあちゃんが代わりに片付けるものじゃないのよ」

また間があった。母はその後、こうも言った。「リナちゃん、ママが20年、何時に起きてたか知ってる?」。返事はなかったのだと思う。母は続けた。「5時半よ。あなたが赤ちゃんの時からずっと。おばあちゃんは電話で聞いてたから、知ってるの」。また間があった。「気づかなかったでしょう。気づかないのは仕方ないの。教えなかったママにも、半分責任があるから。でもこれからは知ってるのよ。知ってて何もしないのは、気づかなかったのとは違うからね。だから、自分たちでやりなさい」

それが最後だった。母は「うん、うん。じゃあね」と言って、受話器を置いた。置いてから、しばらく椅子から立たなかった。

「リナちゃんね」。母がこちらを見ずに言った。「泣いてたわ」

私は台所の流しの縁を持っていた。

「電話、あの子がかけたんじゃないの。あの子は、パパにかけろって言われたって」

「そう」

母は受話器を吹いて拭いた。「自分の口で言えないことを、娘に言わせるのよ、あの人は」。母は立ち上がって、湯呑みを持って台所に来た。

「まゆみ、あんたが今すぐ許さなくていいからね」

「うん」

母は湯呑みを棚に戻した。「許すかどうかは、あんたが決めることだから、私は口を出さない。今日はちょっと出したけど」。母はそう言って笑った。

昼過ぎに、今度は父のスマホが鳴った。父は縁側で出た。短い電話だった。3分もかからなかったと思う。切った後、父は縁側から動かなかった。

「大橋さん?」私が聞くと、父は頷いた。

「なんて?」

父はしばらく庭を見ていた。「あいつは、わしに礼を言った」。で、父は網戸の桟に指をかけた。「知らせてくれてありがとうとな。わしは何も知らせとらん。ただ縁が切れたと言っただけだ」

父は麦茶を一口飲んだ。「あいつは、あの後自分で調べたらしい」

父が言うには、大橋さんは14日の午後から、浩司が担当している案件を1つずつ確認したそうだ。数字は出ている。それは変わらない。ただその数字の中身を見ていった時、いくつか気になることが出てきたという。大きな案件の見積書を作ったのは誰か。先方との定例の会議に出ていたのが誰か。トラブルが起きた日に現場に行ったのが誰か。記録を辿ると、それは全部、営業課の担当者だった。

「丸投げというやつだな」と父は言った。「大きい話は自分が取ってくる。細かいことは全部下にやらせる。結果が出れば、自分の名前で報告する。どこにでもある話だ。珍しくもない」

「うん」

父は指で膝を一度叩いた。「珍しくないから、誰も文句を言わん。文句を言わんうちは、上にも見えん」

父は湯呑みを置いた。

「大橋さんは、浩司さんをどうするつもりなんだろう」。私はそう聞いた。聞いてしまってから、聞くべきではなかったかもしれないと思った。父は首を横に振った。「それは知らん。知りたくもない」。うん。「ただあいつはこう言っとった。これからは実績だけで見るとな」。父はそこで初めてこちらを向いた。「これは罰じゃない。本来そうすべきだったことに戻すというだけだ」

その言い方が一番厳しいのだと、私は思った。罰ならいつか終わる。本来に戻すというのは、終わりがない。

「それともう1つ出てきた」

「そうだ」

「何?」

「4月の紙のことだ」

私は父の横顔を見た。

「営業課では、知られとったらしい。相川さんと畑中さんが誰かに話したわけではないという。ただ2人が同じ日に同じ書類に判をしていて、その理由を上司に聞かれて、答えないわけにはいかなかった。それが6月頃のことで、以来、営業課の中では『部長は部下に離婚届の証人を頼む人だ』という話になっていた」

「大橋はそれが一番応えたと言っとった」。父はそう言った。「部下の働きまで自分の成果として扱っていたことは、会社の中の問題だ。上申の仕方を変えれば正せる。だが、部下に離婚届の証人を書かせる男を部長に置いていたというのは、あいつ自身の目の話だからな」

私は縁側の板を見ていた。4月の夜、テーブルの上に置かれた紙の上の、あの2つの名前。あの2人。あの2つは、私の家の中だけの話ではなかった。あの2人は、書いた日からこの日まで、会社の中でその紙を背負っていたのだ。

水まきの音が止まって、母が家に入ってきた。「まゆみ、今日は来るかもしれないわね」

「なんで」

「土曜だもの。あの人、平日は動けないでしょ」

母は麦茶をコップに注いで、こちらに渡さずに自分で飲んだ。

「来たらどうする?」

私は考えた。考えたけれど、答えは出なかった。私はこの人と正面から向き合ったことがない。向き合う前に、いつも私の方が折れた。折れるのが早いから、争いにならなかった。争いにならない家のことは、長い間、平穏だと思ってきた。

「分からない」

「分からないでいいのよ」。母はコップを流しに置いた。「玄関は、私が出るから」

私はその時、相川さんの顔を思い出していた。会社の家族向けの懇親会だったのは、5年ほど前だ。背の高い人で、リナに釣りの仕方を教えてくれた。リナがうまく取れなくて、2回やり直させてくれた。その人が、4月の夜からこの日まで、会社で何を言われてきたのか。私は自分が出した紙のことより、そのことの方が長く胸に残った。

その日の夕方だった。6時前だったと思う。空がまだ明るくて、庭の水まきを母がしていた。門の外で、車が止まる音がした。続けてドアの音。それから、砂利を踏む足音が、門の中に入ってきた。

「まゆみ」

その声が、庭に響いた。私は台所にいた。手が止まった。母がホースを置いて、玄関の方へ回った。私はその場から動けなかった。玄関の引き戸が開く音がした。母が土間に降りたのだと思う。

「何?」

母の声は落ち着いていた。

「お母さん、まゆみを出してください」

「どうして」

「話があるんです。夫婦の話ですから」

間があった。そして母が言った。

「もう、夫婦じゃないでしょ」

何も聞こえなくなった。蝉の声と、まだ止めていないホースの水の音だけが、そこにあった。

「え、それは。届けは受理されてるんでしょう? あなた、役所で聞いてきたんじゃないの?」

返事はなかった。

「夫婦じゃない人が、夫婦の話をしに来たの」

浩司がどんな顔していたのか、私はその時見ていない。見なくても分かった。あの人が言葉に詰まる時は、必ず同じことをする。口を開けたまま、視線を斜め下に落とす。何か言い返す材料を、床の辺りに探しに行く癖だ。結婚してから、その顔を私は何回か見た。数えられるくらいしか見ていない。この人が言葉に詰まる場面が、それだけ少なかったということだ。詰まる前に、大抵私が引き下がっていたからだ。

その材料は、その日の玄関に落ちていなかった。

私は台所から廊下に出た。廊下の先、玄関の光の中に、浩司の背中が半分だけ見えた。スーツではなく、ポロシャツだった。休みの日にあの人がその服を着るところは、20年見てきた。その背中が、動かなかった。

そして廊下の奥から、足音がした。父が出てきた。父は土間に降りなかった。上がり口の段に立ったまま、そこから浩司を見た。母は横にずれて、2人の間を開けた。

「お父さん」

浩司がそう言った。父はその呼び方に、すぐには答えなかった。

「浩司君」

「はい」

父は上がり口の縁に指を置いた。「その呼び方は、もうやめてくれ」。浩司の肩が動いた。「わしはもう、君の義父ではない。呼ぶなら、稲垣さんでいい」

「そんな」

父は首を横に振った。「わしが決めたことじゃない。決めたのは、まゆみと、君だ」

浩司は一歩前に出た。「稲垣さん。社長に何を言ったんですか?」

父は表情を変えなかった。「離婚したと伝えた。それだけだ」

「そんなわけない」。浩司の声が大きくなった。「私は来週から、大きな案件の責任者に入るはずだったんです。それが昨日、急に外された。社長が言ったんですよ。『稲垣さんとの縁があるという前提だった』と。前提って何ですか? 私は自分の数字で部長になったんです。それが、あなたの電話1本で」

父は聞いていた。最後まで聞いた。それから、こう言った。

「君は今、自分で認めたな」

「何を」

「わしとの縁があると、社長に思われていたことをだ」

浩司が黙った。

「わしが電話で言ったのは、これからは気を使わんでいいということだけだ。気を使われとらんかったのなら、何も変わらんはずだ。変わったのなら、それは元から気を使われとったということだろう。それは君、20年それを自分の実力だと思っとったわけだ」

「余計なことを」

そう言った瞬間だった。

「余計」。父がその言葉を繰り返した。声が変わった。私は廊下に立ったまま、体が固まった。父が声を荒げるところを、私は生まれて初めて見た。

「余計だと言うたか」

父は段を1つ降りた。

「浩司君、君はさっきから、わしとの縁の話しかしとらん。社長との前提の話しかしとらん。ここへ来て、君はまだ1度も、まゆみの名前を出しとらん」

浩司が口を開いた。何も出てこなかった。

「20年だ。君の家の飯を作って、君の親戚に頭を下げて、君の母親に毎週電話をかけたのは、うちの娘だ。その娘に、君は昨日の朝も何と言った? 『誰が食わせてやってると思っとる』と言ったか。違うか」。浩司の顔から血の気が引いた。「わしの娘を、家族として扱わなかった男が。わしとの縁だけは、家族のつもりでおったのか」

玄関が静かになった。蝉の声も、その時だけ聞こえなかったような気がする。浩司は何も言わなかった。言えなかったのだと思う。あの人は、そこを突かれたことが1度もなかったのだ。長い間、誰もそれを言わなかった。私も言わなかった。

浩司はしばらくしてから、小さな声で言った。「じゃあ、私は何が悪かったんですか?」

父はその質問に、すぐには答えなかった。「浩司君、今それを、わしに聞いたな」

「はい」

「そこが悪い」。父は縁側の柱に手をついた。「20年連れ添った相手が出ていって、何が悪かったのか、それをわしに聞くのか。聞く相手は、そこにおるだろう」

浩司は玄関の外を見た。私は廊下にいた。あの人の位置からは、見えていなかったと思う。

「場所に聞けば、答えが1つで済む。直せば元に戻ると思える。そういう聞き方だ」。父は首を振った。「そういう聞き方をする男だから、こうなった。それがわしの答えだ」

父は上がって、また上がり口に立った。その時には、もう声はいつもの父の声だった。「言いたいことは、それだけだ。あとは、まゆみと話せ」

父はそう言って、私の方を見た。「出るか?」

私は頷いて、廊下を歩いた。玄関の光が明るくて、外に出るまで浩司の顔がよく見えなかった。土間に降りて、私は浩司の前に立った。結婚してから、一番近い距離で向き合った気がした。今までは、いつも私が横にいたか、後ろにいたか、台所にいた。

「まゆみ」

浩司の声は、さっきより小さかった。「俺が悪かった」

そこまでは、真っ直ぐな言葉だった。

「だから、帰ってきてくれ」

「なぜ?」

「なぜって」

浩司は少し口ごもって、それから続けた。「リナも困ってる。あの子、洗濯機の使い方も分からないんだ」

「そう」

「家の中も、ぐちゃぐちゃだ。飯もない。冷蔵庫のあれも、もうなくなった」

「3日分だったから」

「それに、会社でも色々あって。今はとにかく落ち着かないと」

そこまで言って、浩司は言葉を切った。私は待った。まだ何か続くかと思った。続かなかった。

「終わり?」

「え?」

「言いたいこと、それで全部?」

浩司は答えなかった。私は自分の声が震えていないことに、自分でも驚いていた。

「浩司さん、今、3つ言ったよね。リナが困ってる。家がぐちゃぐちゃ。会社が落ち着かない」。私は一度息を吸った。「3つとも、あなたの都合。私が20年、辛かったって話は、1つも入ってなかった」

「いや、それは」

「入ってないの」。私は静かに言った。「あなたに必要なのは、私じゃないでしょう」

「何を言って?」

「家事をする人と、義父との繋がり。あなたに必要なのは、その2つだけ」。浩司が何か言おうとした。私はそれを待たなかった。「2つとも、昨日亡くなったのだから、慌ててここまで来たんでしょう。私がいなくなったからじゃない」

「そんなことは」

「じゃあ聞くけど」。私は浩司の目を見た。「昨日から今日まで、70件以上かけてきたよね。その中であなたは、1回でも私がなぜ出ていったのか聞いた?」。浩司の口が開いて、閉じた。「私の体が大丈夫かとか、どこにいるのかとか、そういうこと聞いた?」。返事はなかった。「聞いてないの?」。私はそう言って、一拍置いた。

「あともう1つ」

「なんだ」

「13日の朝に、何て言ったか覚えてる?」

浩司は答えなかった。覚えていないのではないと思う。覚えているから、答えられなかったのだ。

「『ずっと帰ってこなくていいぞ』って言ったの」。私は低い声で言った。「私は、その通りにしただけ」

浩司は一歩下がった。砂利の音がした。門の外で、車のドアが半分開いたままになっていた。降りる時に閉め忘れたのだと思う。あの人が物を閉め忘れるところは、見たことがなかった。

「あと、『戻ったら話がある』って送ってきたよね。あれ、正社員の件でしょう」。浩司の目が動いた。図星だったのだと思う。「断れっていうつもりだったんでしょう。だから、私の答えを先に言っておく。9月から、正社員になります」

「まゆみ、待て」

「待たない」

私は玄関の方へ体を向けた。「リナのことは、私も考える。あの子は私の子だから。でも今は、帰らない。それはリナが困るからじゃなくて、私が帰らないと決めたからです」

浩司がそれでも食い下がった一言は、今も覚えている。「じゃあ、リナはどうなるんですか? あの子はまだ大学1年です」

私はこの顔を見た。その言い方は、リナを心配しているようでいて、リナを使っていた。私がリナのためなら折れると、この人は知っている。私はずっと、それで折れてきた。

「リナは19歳」。私はそう言った。「大人よ。あなたが昨日、合宿代の2万円を私に出させようとした。その子はもう、自分で考えられるとしましょう」

「学費を出してるのは、あなた。それは本当。リナもそれは分かってる」。私は一度言葉を切った。「でも、あの子が何時に起きて、何を食べて、どんな顔で家を出てるのか、あなたは知らない。私は知ってる。あの子が生まれてから、ずっと知ってた。それなのに、『家事の一言』で片付けてきたのは、あなたの方よ」

浩司はその一言に、何も返さなかった。返すだけの余裕がなかったのだと思う。

そこまで言って、私は1つだけ付け加えた。「相川さんと畑中さんには、あなたが自分で謝って」

浩司は何も言わなかった。

その時、母が一言だけ言った。

「浩司さん」

「はい」

「1つだけ聞くわね。この20年で、あなたがまゆみに『ありがとう』って言った回数を、覚えてる?」

浩司は答えなかった。

「私は覚えてないの。この子が話してくれたことの中に、その話が1回もなかったから」

母はそれだけ言って、下がった。私は玄関に上がった。母が引き戸に手をかけて、待っていた。戸が閉まる直前、浩司がもう一度何か言った。まゆみ、と呼んだのだと思う。私は振り返らなかった。

戸が閉まって、鍵がかかった。母が鍵をかける音は、生まれてからずっと、私にとって安心する音だった。その日も、そう聞こえた。

しばらくして、車のエンジンがかかった。私は2階に上がって、窓から見た。浩司の車が門の前を離れて、坂を降りていった。テールランプが2回、ブレーキで光った。それが見えなくなるまで、私は窓辺に立っていた。

降りて行くと、母が台所で洗い物をしていた。父は縁側にいた。誰も、さっきのことを話さなかった。母が「ご飯にする?」と聞いて、私が「私がする」と答えた。それだけだった。

夕食は、かぼちゃの煮物と、鯵の南蛮漬けと、きゅうりの浅漬けだった。父は麦茶を飲んだ。母は途中で立って、冷凍庫からアイスを3つ出してきた。

「何、これ?」

「今日はこういう日でしょ」

父が1つ取った。母が1つ取った。私も1つ取った。3人で縁側で、アイスを食べた。父は最後まで、一言も玄関のことに触れなかった。食べ終わってから、父が言った。

「まゆみ」

「はい」

「よく言った」

それだけだった。私は頷いた。頷いてから、そこで初めて涙が出た。家を出た朝から、1度も出なかったものが、アイスの棒を持ったまま出てきた。母は何も言わずに、私の背中をぽんぽんと叩いた。

8月16日の夕方、私は送り火を焚いた。朝顔に火をつける役は、子供の頃と同じで私だった。父が団扇を持って横に立ち、母が手を合わせた。炎が小さくなるのを見ながら、帰らないと決めたことを、祖父と祖母に報告した。

翌日、市役所で受理証明書を取った。

リナから連絡が来たのは、その週末だ。リナはその数日、自分で洗濯をして、掃除機をかけて、ご飯を炊いて、ゴミを出したという。ゴミの日を間違えた日もあったらしい。

「ママ、ごめん」

第一声がそれだった。

「洗濯、干すより取り込む方が大変なんだね」

「そうね」

「私、20年分の洗濯物のこと、1回も考えたことなかった」

リナは泣いていた。父親からも、「毎日電話しろ」と言われていたらしい。

「リナ」

「うん」

「謝ってくれたのは、嬉しい。うん。でも、すぐ元通りにはできないよ」

向こうで、息を吸う音がした。「うん。分かってる」

電話の最後に、リナが言った。「あのさ、あの日、パパがノート全部床に出したでしょ?」

「聞いた」

「1冊、開いてたの。私が小学校に入った年の」

リナは少し黙った。

「『リナ、1人で名前をかけるようになった』って書いてあった」

「書いた」

「なんで、そんなの書いてたの?」

「嬉しかったから」

向こうで、また泣く音がした。「あれ? 写真撮った。消してないから」

「17日のおばさんたち、どうしたの?」

「パパが全部やった。そうめん茹でて、伸びてた」

リナはそこで笑った。

「たまに電話して」

「それくらいなら、する」

4月の夜、階段の途中に座っていたこの声だった。

浩司のことは、父から聞いた。共和正規の案件は、別の部長が責任者になったという。浩司は営業部長のまま、担当する取引先を組み替えられ、期末に改めて評価を受けることになったそうだ。大橋さんは「これは罰ではない」と言ったらしい。本来そうすべきだったことに戻しただけだと。

相川さんと畑中さんには、浩司が自分で頭を下げたそうだ。それだけは、父がわざわざ私に教えてくれた。父はそれ以上言わなかった。私も聞かなかった。

9月から、私は野村会計事務所の正社員になった。同じ月に、朝倉の駅前のマンションを借りた。1階がスーパーになった、あの建物だ。家賃7万2000円に管理費が5000円で、合わせて月に7万7000円。南向きで、ベランダからロータリーが見える。

契約の前の晩、母が言った。「ここにずっといても、いいのよ」

「ありがとう」。私は麦茶のコップを持った。「でも、1回、自分1人で暮らしてみたい」

母は黙って、それから笑った。「じゃあ、カーテンだけ一緒に買いに行きましょう」

父は新聞から顔もあげずに、「その日は開けとく」と言った。

引っ越しの日、父は本当に1日開けていた。ダンボールを2つ運んだきりで、後はベランダから駅を見ていた。母はカーテンを取り付けて、帰っていった。事務所で所長に部屋の写真を見せたら、「洗濯物が2人分干せるわね」と笑われた。「1人です」と答えたら、「知ってるわよ。広さの話をしてるの」と返ってきた。それから所長は伝票の束を、こちらへ滑らせた。私は「はい」と答えた。パートの時と同じ返事だった。同じ返事なのに、椅子に座り直す背中の角度が、違っていた。

11月のある土曜日、実家に行くと、今度は父と大橋さんが酒を飲んでいた。大橋修三さんに会ったのは、その時が初めてだ。父の言う通りの人だった。

大橋さんが湯呑みを置いた。「しかし、お前の娘、思い切ったな」

父は湯呑みを持ったまま答えた。「わしの娘だからな」

母が台所から顔を出した。「あなた、何もしてないでしょう」

父の手が止まった。大橋さんが声を出して笑った。私も笑った。

「まゆみさん、うちの若いのにいいのがおるんだが」

大橋さんがそう言い出した時、父が横から言った。「今度、大橋がいい男を紹介するそうだぞ」

私は即答した。「しばらく、結婚はいい」

3人が同時に笑った。母の声が一番大きかった。

帰り道、駅までの坂を下りながら、私はあの朝のことを考えていた。あの言葉を恨む気持ちは、もうない。あれがなければ、私は今も5時半に起きて、いらない弁当を2つ作っていたと思う。

「私がいない方が平和だ」と言われたあの日、私は本当に家を出てみた。結果として、一番平和になったのは、私自身だった。

今日も、仕事が終わったら、駅前のスーパーで刺身を買って帰る。1人分だ。誰の分でもない。そんな夕方を、これからも積み重ねていきたいと思っている。

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