「同居?冗談でしょ。義理の母のくせに鬱陶しい。水着で老人ホームにでも入って、自分で生きてくださいよ。」…

「同居?冗談でしょ。義理の母のくせに鬱陶しい。水着で老人ホームにでも入って、自分で生きてくださいよ。」...

「同居?冗談でしょ。義理の母のくせに鬱陶しい。水着で老人ホームにでも入って、自分で生きてくださいよ。」

テレビの笑い声が響くリビングで、嫁のサツキはスマホから目も離さずに吐き捨てた。私は最後の望みを託し、泣く泣くプライドを捨てて深々と頭を下げ、離れでの同居を願い出たのだ。しかし返ってきたのは、私を真っ向から侮辱するその言葉。人間をゴミのように扱う悪意に満ちた言葉だった。

夫を亡くし、75歳という年齢がもたらす孤独と先の見えない不安に苛まれ、すり減っていく心と体。その隣で息子のトオルはただ黙ってテレビの画面を見つめている。助けを求めることすらもう無意味だと悟った。全身の血の気が引くような絶望感。この家にはもう私の居場所など、かけらもなかったのか。

だが不思議と涙は一滴も流れなかった。悲しみを通り越して、心の奥底から燃えるような怒りが氷の刃となって込み上げてきたからだ。このまま泣き寝入りなどするものか。夫が愛し、私たちが築き上げてきたこの家を、こんな女の好きにはさせない。

「そうですか。わかりました。そうします。」

私の静かすぎる返答に、サツキは一瞬だけ軽蔑の顔を向けたが、すぐに獣のような笑みを浮かべた。

「あら、物分かりが良くて助かるわ。」

その日のうちに、私は最低限の荷物をボストンバッグに詰め込んだ。長年住み慣れた家のドアを閉める直前、家の中から響いてきたサツキの高い笑い声が、私の復讐の始まりを告げるゴングのように、いつまでも耳にこびりついていた。

私の名前は原田君子。夫の数夫とは、一人息子のトオルが社会人として独立して以来、この家で二人きりの穏やかな日々を送ってきた。

「君子、今日の茶は格別にうまいなあ。」
「あら、嬉しい。あなたのために少し良い茶を開けたんですよ。」

手間をかけて育てた季節の花を眺め、縁側でお茶を飲む時間が何よりも幸せだった。この平穏が永遠に続くと疑いもしなかったのである。

しかし、そんな静かな暮らしはある日突然終わりを告げた。

インターホンの音に玄関へ向かうと、そこには憔悴しきった息子のトオルと、その隣でうつむく嫁のサツキさんがいた。

「母さん、父さん、本当にすまない。頼む。助けてくれ。」

聞けば、トオルが仲間と始めた事業が失敗し、多額の負債を抱え、住んでいたアパートも追い出されてしまったという。サツキさんは終始無言で、その目には疲れと不満の色が滲んでいた。

私と夫は言葉もなく二人を家の中へ招き入れる。その夜、夫と二人きりになり、今後のことを真剣に話し合うのだった。

「トオルのことだ。放っておくわけにはいかんだろう。あの頃らには帰る場所が必要だ。」
「ええ、あなた。そうですね。サツキさんも気の毒だわ。」

夫の言葉に私は深く頷いた。たとえどんな失敗をしようと、息子は息子である。そして私たちは一つの大きな決断を下した。この家を息子夫婦に譲り、私たち夫婦は敷地内にある離れで暮らすことにしたのだ。

それがこれから始まる長い苦悩の序章になるとは、この時の私は知る由もなかったのである。

家を譲ってから数年、私たちの生活にも新しい光が差し込んだ。トオルが地元の農業法人に再就職を果たし、ようやく生活が安定したのである。苦労した息子が再び自分の足で立ち上がった姿に、夫と二人で胸を撫で下ろした。そして何より嬉しいことに、息子夫婦の間に待望の男の子が生まれたのだ。

「父さん、母さん、この子の名前は竜星だ。俺たちの希望の星だよ。」
「おお、竜星か。いい名前だ。わしらにとっても希望の星だよ。」

愛おしさに包まれた小さな命を、夫と二人で代わる代わる抱きしめた。この子の笑顔を守るためならどんなことでもできると心から思った。

孫の竜星はスクスクと育ち、私たち夫婦によく懐いてくれた。歩けるようになると、毎日のように離れの私たちの家へ遊びに来るのが日課となる。

「じじ、ばあば、あのね、今日ね…」
「あらあら、竜星。今日はどんな面白いことがあったの?こっちへ来て話してごらん。とっておきのお菓子があるぞ。」

夫と私は目を細めて孫の成長を見守った。竜星が幼稚園に入ると、私たちは忙しい息子夫婦に代わって送り迎えを担うようになる。しばらくしてサツキさんもパートを始めると、自然な流れで主屋の家事全般を私たちが無償で引き受けることになった。食事の支度に掃除、洗濯。パートで疲れて帰ってくるサツキさんの負担を少しでも軽くしてあげたい、その一心だった。

「助かります。じゃあ後お願いします。」

サツキはそれが当然という顔で私たちに家事を丸投げした。それでも可愛い孫の世話ができる喜びが、私たちの体を動かしていたのだ。

しかし、竜星が小学校に上がる頃から、サツキさんの態度に変化が見え始めた。きっかけは竜星の教育方針を巡る意見の食い違いだった。

「もう小学生になったのですから、少しは外で元気に遊ぶ時間も大切ですよ。」
「はあ。お母さん、時代遅れなこと言わないでください。今の時代、遊んでる暇なんてないんです。とにかく勉強、勉強ですよ。」

その日から、サツキさんは竜星が私たちと過ごすことをあからさまに嫌がるようになった。離れに遊びに来た竜星を、鬼の形相で連れ戻すことも一度や二度ではない。

「竜星、何してるの?こんなところで油売ってないで、宿題しなさい。」
「えー、でもばあばと折り紙してるの?」
「言い訳しない。早く来なさい。お母さんもこの子を甘やかさないでください。」

言い聞かせを許さぬ強い口調で、息子の手を引いていく。その背中を見送りながら、私の胸には冷たい風が吹き抜けた。

ある日曜日、夫が竜星を遊園地に誘った時のことだ。

「竜星、今度の日曜日、じじとばあばと三人で遊園地に行かないか。新しい乗り物ができたらしいぞ。」
「本当?行く行く!ジェットコースター乗りたい!」

目を輝かせる孫の姿に、私たちも心が踊った。その約束が果たされることはなかったのである。当日、準備を整えて主屋に行くと、玄関先でサツキさんが仁王立ちしていた。

「お父さん、お母さん、何しに来たんですか?迷惑です。」
「迷惑って…竜星と約束した遊園地に…」
「はあ、そんな約束聞いてませんけど。大体、あんたたちみたいな年寄りにあの子を任せられるわけないでしょ。何かあったらどう責任取るんですか?」

「我々はまだそんなに老いぼれておらん。それに竜星が楽しみにしていたんだ。」

夫が少し語気を強めても、サツキさんは全く動じない。

「この子にはこれから塾のテスト勉強があるんです。くだらない遊びに付き合ってる暇はないんですよ。」

そう言って、私たちの目の前で玄関のドアをピシャリと閉めた。ドアの向こうから、竜星の「行きたかったよ」という泣き声がかすかに聞こえてくる。夫は何も言わず、ただ寂しそうに空を見上げていた。

私たちはすでに、孫の教育の邪魔をする厄介な老人でしかなかったのである。

サツキさんの教育方針により、竜星は平日の放課後も週末も塾で過ごすようになった。必然的に、私たち夫婦が孫に会える時間は物理的に激減する。たまに顔を合わせても、サツキさんの監視の目があり、ゆっくり話すこともままならない。離れの縁側で、夫がぽつりと寂しそうに呟くのが常になった。

「竜星のやつ、ちゃんと飯は食ってるんだろうか。少し痩せたように見えたが。」
「ええ、心配ですね。あの子は元々外で遊ぶのが好きな子でしたから。」
「会いたいなあ。声が聞きたい。」

夫のその言葉が私の胸を締めつけた。

そんな私たちの心情をよそに、サツキさんの態度はますます増長していく。孫との交流は一方的に禁じたにも関わらず、家事の負担はこれまで通り私たちに押し付け続けたのだ。

「お母さん、今日の夕飯、唐揚げがいいんですけど。あとトオルのYシャツ、アイロンかけといてくださいね。」

パートから帰ると、サツキさんは当然のようにそう言い放ち、ソファーに寝転んでスマホをいじる。息子夫婦三人の食事の支度、掃除、洗濯。それはまるで私たちが使用人であるかのような扱いだった。

それでも、いつかまた竜星と笑い合える日が来ると信じ、私たちは黙々と手を動かし続けた。しかし、その願いが叶うことは永遠になかったのである。あの日以来、すっかり元気をなくしていた夫が病に倒れたのだ。病床で最後まで気にかけていたのは、やはり孫のことだった。

「君子…竜星に会いたい。」

それが夫の最後の言葉になった。

夫を亡くし、私は広い離れに一人取り残される。寂しさと先の見えない不安。75歳という年齢は、私が思っていた以上に心と体に重くのしかかった。このまま一人で暮らし続けるのは難しい。そう考えた私は、意を決してサツキさんに主屋での同居を提案することにした。

「サツキさん、少しお話があるのだけど。」

リビングでテレビを見ていたサツキさんは、面倒そうにこちらを振り返る。

「なんですか。忙しいんですけど。」

「あのね。私ももう年だし。この離れで一人でいるのは少し心細くて。もしよければ、主屋の開いている部屋で一緒に暮らさせてもらえないかしら。」

私は深々と頭を下げた。

「もちろん家事はこれまで通り。いえ、これまで以上に私が引き受けますから。あなたの負担にはならないように。」

私の必死の申し出を聞き終えると、サツキさんはふんと鼻で笑った。そして、心底馬鹿にしたような目で私を見下ろし、こう言い放ったのである。

「はあ。同居?冗談でしょ。義理の母のくせに鬱陶しい。水着で老人ホームにでも入って、自分で生きてくださいよ。」

その言葉は冷たい刃物のように私の心を突き刺した。ああ、そうか。この人は私のことをこれっぽっちも家族だと思っていなかったのだ。全ての期待が音を立てて崩れ落ちていくのを感じる。

しかし、不思議と涙は出なかった。代わりに、心の奥底で何かが硬く冷たく決まっていくのが分かった。

私は顔を上げ、サツキさんをまっすぐに見つめる。

「わかりました。そうします。」

私の即答が意外だったのか、サツキさんは一瞬戸惑った顔を見せるが、すぐに勝ち誇ったような嫌な笑みを浮かべた。

「あら、物分かりが良くて助かるわ。せいぜい、お元気でね、お母さん。」

その日のうちに、私は最低限の荷物をボストンバッグに詰め込んだ。そして、長年住み慣れた離れを後にする。新しい住まいが見つかるまでの間、親友の渡辺菊野さんの家に身を寄せることになった。玄関のドアを閉める直前、主屋から聞こえてきたサツキさんの高笑いが、私の耳にいつまでもこびりついていた。

友人である菊野さんの家に身を寄せてから五日が過ぎた。私の携帯電話がけたたましい着信音で鳴り響く。画面に表示されていたのは、サツキさんの名前だった。

電話に出ると、鼓膜が破れんばかりの金切り声が聞こえてくる。

「お母さん、どういうことですか?これ、どういうことですか!」

「そういうこととは、何のことかしら。」

冷静に問い返す私に、サツキさんは絶叫した。

「何のことですって?家に不動産屋が来て、この家は売却が決まったから、期日までに立ち退けって。そんなの聞いてませんよ!」

「ああ、そのこと。ええ、売りましたよ。私の家ですから。」

電話の向こうで、サツキが息を飲む音が聞こえた。私は落ち着いた声で「詳しい話は明日、駅前の喫茶店でしましょう」とだけ告げ、一方的に電話を切った。

翌日、喫茶店の席には、目の周りを真っ赤に泣き腫らしたサツキさんと、不安そうな顔つきのトオルが座っていた。

「母さん、いきなり売るなんてひどいじゃないですか。私たち、どこに住めばいいんですか?」

「落ち着きなさい、サツキさん。まず事実を確認しましょうか。」

私はバッグから一枚の書類を取り出し、テーブルの上に置く。それはあの土地と建物の権利書だった。

「ご存知の通り、この家の主屋も離れも土地も、全て私の単独名義です。あなたたちが出て行ってから手続きをしたわけではありませんよ。」

二人は軽蔑の顔で私を見ている。私は続けた。

「夫が亡くなる何ヶ月も前から、二人で話し合って売却の準備を進めていたんです。家も古くなりましたし、私たち夫婦二人で暮らすには広すぎましたから。」

「なんだよそれ。じゃあ俺たちはどうなるんだ?」

「あなたたちは今まで生活費として月々いくらかのお金を入れてくれていましたね。でもそれは家賃ですらない。ただの同居の費用ですよ。」

私は淡々と事実を告げる。

「この家の固定資産税も、屋根や外壁の修繕費も、全て私たち夫婦が自分たちの年金と貯蓄から支払ってきました。あなたたちは正式な所有者でもなければ、賃借人ですらない。ただ私たちの好意で住ませてもらっていたに過ぎないのです。」

「そんな…」

サツキは絶句し、顔面が蒼白になっていく。私は最後の切り札を出すことにした。

「先日、私があなたにした同居の提案。あれが、あなたたちの本音を確かめる、私からの最後のテストだったのよ。」

「テスト?」

「ええ。もしあの時、サツキさんが少しでも思いやりのある言葉をかけてくれていたら、仮に同居を受け入れてくれていたら、私は家の売却を撤回するつもりでした。夫との思い出が詰まった家だ。できることなら手放したくはなかった。しかし、サツキさんのあの暴言が、私の迷いを完全に断ち切ったのである。」

その事実を知ったトオルは、わなわなと震えながら隣のサツキさんを睨みつけた。

「お前…お前のせいだ。どうして母さんを追い出すような真似をしたんだ。」

攻められたサツキさんは逆切れして、甲高い声で反論する。

「何よ!あんただって日頃から『ばあばが目障りだ』って言ってたじゃない。これで清々するって笑ってたでしょ!」

それは見苦しい責任のなすり付け合いが始まった。私は醒めた目で二人を見つめ、静かに立ち上がる。

「私には、亡き夫と築いたこの家を売却する正当な権利があります。あなたたちの意見はもう関係ありません。」

そう言い残し、私は伝票を持ってレジへ向かった。背後で聞こえる二人の罵り合う声は、私にとって心地の良い音楽のようにも聞こえたのである。

喫茶店での話し合いから数日後、事態は私の想像を超えて悪質な方向へと進んでいった。ある日、児童相談所の職員と名乗る人物から電話がかかってくる。

「原田君子さんですね。お孫さんの竜星君を虐待しているという通報がありまして、お話を伺えますか?」

耳を疑う言葉に、一瞬血の気が引いた。もちろん、そんな事実は一切ない。息子夫婦が私を落とし入れるために仕組んだ罠であることは明らかだった。

さらに追い打ちをかけるように、サツキはSNSを使って悪意に満ちた嘘を拡散し始めたのだ。

「#拡散希望 認知症の義母が勝手に実家を売却。かわいそうな孫を日常的に虐待していました。」

見出しと共に、私の顔写真や家の写真がインターネット上にさらされる。またたく間に根も葉もない噂は近所中に広まった。私に向けられる視線は、好奇から軽蔑と非難へと変わる。スーパーへ買い物に行けば、ひそひそと陰口を叩かれる始末だ。

そして、とうとう菊野さんまでが世間の目を気にして、私に家を出ていくよう告げた。

「君子さん、ごめんなさい。うちにも色々と言ってくる人がいて、もう限界なの。」

友人を責めることはできなかった。私は黙って頭を下げ、荷物をまとめてビジネスホテルへと移る。

翌朝、ホテルの駐車場に行くと、私の愛車に白いスプレーで大きく落書きがされていた。

「ボケ老人は免許返納」

その屈辱的な言葉に、さすがに膝から崩れ落ちそうになる。しかし、私はここで負けるわけにはいかない。涙をぐっとこらえ、私は静かに反撃の準備を始めた。

感情的になっては相手の思う壺である。まずは冷静に、サツキが投稿したSNSの誹謗中傷記事を全てスクリーンショットで保存した。それを拡散したアカウントも一つ一つリストアップしていく。

次に、かかりつけの病院へ向かい、認知症ではないことを証明する正式な診断書を発行してもらった。

その診断書を手に、私は町内会長と民生委員の元を訪ねる。

「これが私の正常な判断能力を証明するものです。家の売却は亡き夫と何ヶ月も前から計画していたことであり、全て法に乗っ取って進めています。そして、SNSで拡散されている虐待の件も、全くの事実無根であると、これまでの経緯を交えて丁寧に説明しました。」

私の真摯な訴えと客観的な証拠の前に、二人は深く頭を下げてくれた。

「君子さん、大変申し訳なかった。我々は飛んだ誤解をしておった。本当に申し訳ありません。すぐにでも皆さんの誤解を解くように務めます。」

地域の重鎮である二人の協力は、何よりも心強いものだった。

さらに、私は亡き夫の大学の後輩で、今も現役で活躍している弁護士の塚本先生に連絡を取る。

「先輩の奥様がそのような目に遭うとは、許せませんな。すぐに行動を起こしましょう。」

塚本先生は74歳とは思えぬ行動力で、すぐに必要な手続きを進めてくれた。法務局へ出向き、家の売却が正当なものであることを証明する書類を作成する。町内会長と民生委員からも、今回の件の経緯をまとめた証言書を取り付けてくれた。児童相談所へ提出する詳細な説明資料も、SNSでの名誉毀損でサツキを告発するための準備も、着々と整っていく。

私の無実が証明されるにつれ、近隣住民たちの態度も軟化していった。そして、菊野さんからも「本当にごめんなさい」と涙ながらの謝罪の電話があった。

「私はなんて愚かなことを。どうか許してちょうだい。」
「いいのよ、菊野さん。あなたが一番辛かったでしょう。またお茶を飲みましょうね。」

孤独という名の暗いトンネルに、ようやく光が差し込んできた瞬間だった。

弁護士の塚本先生と今後の対策を練っていた数日後のことである。私が滞在するビジネスホテルのロビーに、形相を変えたトオルとサツキが押しかけてきた。SNSでの誹謗中傷が嘘だとバレてしまったことで、逆に自分たちが周囲から白い目で見られるようになったのだろう。

「ああ、一体どういうことだ?町内会長さんたちが俺たちのことを嘘つき呼ばわりしてるぞ。お袋の肩を持つなんて、どうなってるんだ。」
「SNSの投稿も、あんたが何かしたんでしょう。アカウントが凍結されたじゃないの。どうしてくれるのよ。」

周りの目も気にせず、まるで脅し付けるかのような勢いで私に詰め寄る。しかし、今の私にこの二人に対する恐れは微塵もなかった。むしろ、その姿が哀れに思えるほどだ。

「お静かになさい。他のお客様のご迷惑になりますよ。そこのソファーで話を聞きましょう。」

私は二人をロビーのソファーへ促し、塚本先生が用意してくれた書類の束を取り出した。動揺する二人を横目に、私は冷静に話を切り出す。

「あなたたちがまず知るべきは、この家の売却がすでに法的に完了しているという事実です。」

テーブルの上に、不動産の売買契約書、登記完了書、司法書士が作成した証明書を一枚ずつ並べていく。一つ一つの書類が持つ意味を、私は丁寧に説明した。

「見ての通り、全てが正式な公的手続きを踏んでいます。今更あなたたちが何を言おうと、この決定が覆えることはありません。撤回は不可能です。」

法的な効力を持つ書類の数々を前に、二人は言葉を失う。自分たちの幼稚な嫌がらせが何の意味もなさないことを、ようやく理解したのだろう。トオルは呆然と書類を見つめ、サツキさんは悔しそうに唇を噛んでいた。私は畳みかけるように、もう一つの、そして最も重要な事実を突きつけた。

「それから、児童相談所への虐待通報の件ですが、これも全て解決済みです。」

「何よ、解決済みって。あの子はあんたに怯えてたのよ。」

まだそんな嘘を口にするのかと、私は心の中で深くため息をついた。そして、顔を引きつらせるサツキさんを、私はまっすぐに見据える。

「あなたが竜星に嘘の証言をさせたでしょう。」

サツキさんの肩がびくっと大きく震えた。その反応が何よりの答えである。

「通報が入る前日の夜、『おばあちゃんに叩かれたって言いなさい。そうしないと、うちには住めなくなるのよ』と。幼い孫に嘘を強要した。違いますか?」

「そ、そんなことあるわけないじゃない!」

慌てて否定しようとするサツキを、私は冷ややかに見つめた。

「全て竜星が話してくれたのですよ。あなたに嘘をつくように言われた竜星は、罪悪感に苛まれて、学校の担任の先生に全てを打ち明けたそうです。竜星は泣きながら『おばあちゃんは叩いたりしない。僕、嘘つけないよ。お母さんが嘘をつけって言うんだ』と訴えたという。その誠実な告白は、学校を通じてすぐに児童相談所へと届けられたのだ。虐待の通報が、母親による虚偽の強要であったという動かぬ証拠として。」

全ての嘘が暴かれ、完全に追い詰められたサツキさんは、ついに逆切れした。顔を真っ赤にして、テーブルをバンと叩く。

「なんなのよ!そこまでして私たちを追い出したいわけ?こんなにこの家族が憎いの?家庭を壊したいの?」

その狂気に満ちた叫びは、ホテルのロビーにいた全ての人々の注目を集めた。しかし、その言葉はもはや私の心には全く響かなかったのである。

「家族が憎いのか」と叫ぶサツキさんに対し、私は静かに首を横に振った。そして、穏やかだが揺るぎない声で反論する。

「いいえ。サツキさん、家族を壊したのはあなたですよ。」

私の言葉に、サツキさんは一瞬言葉を失う。その隙に、私はゆっくりと続けた。

「事業に失敗したトオルを連れて帰ってきたあなたたちを、私と夫は温かく迎えたはずです。家を譲り、離れに移り住み、あなたたちの生活が安定するよう、できる限りの援助をしてきたつもりでした。」

かつての穏やかな日々を思い出す。それは決して遠い昔のことではない。

「竜星が生まれた時は本当に嬉しかった。この子のために、私たちは何でもしてあげたいと思っていました。家事も送り迎えも、全て善意でした。あなたたち家族の幸せを願ってのことです。しかし、その善意は踏みにじられた。これなのに、あなたはいつからか私たちを邪魔者扱いし始め、あんなに懐いてくれていた竜星を私たちから引き離した。夫が亡くなり、私が一人で心細い思いをしている時に、あなたは私に何と言いましたか?」

サツキさんは俯き、何も答えない。いや、答えられないのだ。

「あの時、あなたが少しでも優しい言葉をかけてくれていれば、こんなことにはならなかった。全てはあなたが巻いた種なのです。」

トオルがか細い声で何かを言い訳しようと口を開きかける。

「母さん、でも俺たちは…」

その言葉を、私は毅然とした態度で遮った。そして、息子とその妻の顔を交互に見ながら、はっきりと告げる。

「よく聞きなさい。私がしていることは復讐ではありません。これは、あなたたち二人への最後の教育です。」

「教育?」

その言葉に、二人ははっとしたように顔を上げた。

「あなたたちはもう立派な大人で、一人の子を持つ親です。自分の言動がどんな結果を招くのか、その責任を親としてきちんと負わなければなりません。竜星に親の背中を見せる義務があるはずです。」

私の言葉がトオルの心には届いたようだった。彼は力なく項垂れ、全ての事実を受け入れたように見えた。しかし、サツキは違った。

「教育ですって?ふざけないでよ!あんたなんかにそんなこと言われる筋合いはないわ。この老いぼれが!」

なおも納得せず、汚い言葉で私を罵り続ける。その見苦しい姿に、とうとうトオルの堪忍袋の緒が切れた。

「もうやめろよ、サツキ!もう終わりなんだよ!」

トオルは現実を受け止め、抵抗を続けるサツキさんの腕を強く掴む。そして、無理やりソファーから引き上げていった。

「話しなさいよ!まだ話は終わってないわ!絶対に認めないから!」

最後までわめき散らすサツキさんを引きずるようにして、トオルはロビーから去っていく。その哀れな背中を、私はただ静かに見送るだけだった。これで本当に全てが終わったのだ。私の心には、不思議と清々しさが広がった。

あの騒動から数ヶ月の月日が流れ、息子夫婦は結局あの家を諦めざるを得なかった。立ち退き期限の前日、まるで夜逃げのように荷物をまとめ、郊外の格安な木造アパートへと移り住んだと、後から人に聞いた。当然、彼らが元の生活に戻れるはずもない。

サツキさんのSNS投稿が全て虚偽であったことは、町内会長さんたちの力もあり、あっという間に地域全体に知れ渡った。「#認知症の義母」と投稿した本人が一番頭を湧きまえていないと、ネット上で大炎上したのである。匿名で誹謗中傷を繰り返していたアカウントも特定され、サツキさんはパート先にもいられなくなり、辞めざるを得なくなった。

息子のトオルも、職場での気まずさに耐えられなかったのだろう。長年勤めた農業法人を自主退職し、今は市内のリサイクル会社でアルバイトとして働いているという。収入は激減し、生活レベルは著しく低下した。

そんな暮らしの中で、息子夫婦の仲は日に日に悪化していると聞く。自分たちの行いが招いた結果であるにも関わらず、互いを罵り合う毎日。かつての友人や近所付き合いも全てなくなり、彼らは完全に孤立してしまったのだ。

一方、私はと言うと、穏やかで満たされた日々を送っている。自宅を売却して得た資金で、駅に近いバリアフリー付きの新築マンションを購入した。セキュリティも万全で、一人暮らしでも何の不安もない。

「君子さん、このお部屋、日当たりが良くて本当に素敵ね。」
「ええ、そうなのよ。ここであなたとお茶を飲むのが、今の私の楽しみなの。」

誤解が溶けて以来、以前にも増して仲良くなった友人の菊野さんと、趣味の俳句作りや国内旅行を楽しんでいる。先日も二人で京都へ紅葉狩りに出かけたばかりだ。

「紅葉の色、皆に移す西かな…なんてね。」
「あら、菊野さん、素晴らしい句だわ。」

笑い合える友人がそばにいてくれる。これ以上の幸せはないだろう。

そんなある日の午後、私のスマホに一件のビデオ通話の着信が入った。画面に映し出されたのは、少し大人びた表情の竜星だった。

「おばあちゃん、元気?」

久しぶりに見る孫の顔に、胸が熱くなる。

「ええ、もちろん元気よ。竜星、変わりない?」
「うん。あのね、おばあちゃん、今度新しいお家に遊びに行ってもいい?」

その無邪気な問いかけに、私の目から涙が溢れそうになる。私は満面の笑みを浮かべ、力強く頷いた。

「もちろんよ、竜星。いつでもおいでなさい。おばあちゃん、ずっと待ってるからね。」

スマホの画面越しに、竜星の顔がパッと明るくなるのが分かった。

過去を完全に水に流すことはできないだろう。しかし、この子の未来まで閉ざす必要はない。罪を憎んで人を憎まず。亡き夫もきっとそう言うに違いない。私は窓から差し込む柔らかな日差しを浴びながら、孫との再会を心待ちにするのだった。

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