冷たいみぞれの峠道で、倒れていた老人を助けた。深夜1時、配達の帰り道だった。老人は意識が混濁しながらも「荷物が先だ」と繰り返す。俺は思わず怒鳴った。「荷物より命の方が大事だ!」その瞬間、老人の目が動いた。何かを言おうとして、唇が震えた。病院で免許証を見て、俺は凍りついた。そこには、20年間探し続けた名前があった。あの夜、雨の中、捨てられた12歳の俺を拾ってくれた、あの人だった。でも、どうして…

冷たいみぞれの峠道で、倒れていた老人を助けた。深夜1時、配達の帰り道だった。老人は意識が混濁しながらも「荷物が先だ」と繰り返す。俺は思わず怒鳴った。「荷物より命の方が大事だ!」その瞬間、老人の目が動いた。何かを言おうとして、唇が震えた。病院で免許証を見て、俺は凍りついた。そこには、20年間探し続けた名前があった。あの夜、雨の中、捨てられた12歳の俺を拾ってくれた、あの人だった。でも、どうして...

冷たい雨がみぞれに変わりかけた12月の峠道。時刻は深夜1時を回っていた。配送の帰り、俺のトラックのヘッドライトが路肩にハザードをつけて止まる古い軽トラックを照らした。その脇に白髪の老人がうつ伏せに倒れていた。俺は路肩にトラックを止め、雨の中を駆け寄った。

「置いて行ってくれ。荷物が届かなくなる。」

声はかすれ、意識が混濁していた。右手が地面を描くように震えている。体は氷のように冷え切っていた。携帯で119番を呼んだ。だが、ここは山の中だ。救急車の到着まで40分かかるという。

「40分、この冷たいみぞれの中でか。」

それでも老人は「荷物、荷物」と繰り返した。俺は気がつくと怒鳴っていた。

「荷物より命の方が大事だ!」

その言葉を口にした瞬間、老人の目がかすかに動いて俺を見た。何かを言おうとして唇が震えた。この夜が俺の人生で一番大事な配達の始まりになるとは、この時の俺はまだ知らなかった。

俺の名前は社代陸、32歳。北浜市で運送会社をやっている。社員は60人、トラックは40台。倉庫が1つ。地方の運送屋としてはまずまずの規模になった。それでも社長の俺は、今から話すあの夜も自分でハンドルを握っていた。会社の理念は創業の日から変わらない。「荷物だけじゃなく、誰かの明日を運ぶ」。青臭い言葉だと笑われたこともある。それでも俺はこの一言だけは変えなかった。変えられるはずがなかった。

社員には口うるさく言っていることがある。「どんな荷物にも、届くのを待っている誰かがいる。それを忘れるな」。うちのトラックが運んでいるのはダンボールじゃない。その中身を待つ誰かの暮らしだ。この言葉の意味を話すには、20年前まで遡らなければならない。

あれは俺が12歳の、冷たい雨の夜のことだった。俺は3歳の時に父を病気でなくした。父の記憶はほとんどない。ただ一つ覚えているのは、大きな背中とトラックの助手席の眺めだ。父は長距離のトラック運転手だった。休みの日、近所を一回りするだけの短いドライブで俺を助手席に乗せてくれたらしい。赤い座席から見下ろす道は、子供の俺には世界のてっぺんみたいに見えた。というのは、これも母から聞いた話だからだ。それでも、夜の道で大型トラックとすれ違うたび、俺は決まって窓に張り付いた。あのヘッドライトの列のどれかが父さんだったらいいのにと、本気で思っていた時期がある。

父が死んでから、母は女手一つで俺を育てた。スーパーのレジで朝から晩まで働いて、夜は内職の袋詰めをした。狭いアパートで、母と俺は二人きりだった。貧しかったと思う。外食をした記憶はほとんどない。誕生日のご馳走は母の作るオムライスと、近所のパン屋の一番小さなケーキだった。それでも俺は寂しかった記憶がほとんどない。母は俺の目を見て話す人だった。どんなに疲れていても、俺の学校の話を最後まで聞いてから寝に入る人だった。母には口癖があった。仕事で疲れた夜も、財布の中身が心細い月末も、母は俺の頭に手を置いてこう言った。

「大丈夫。明日はちゃんと来るからね。」

どんな日の終わりにも明日は来る。来た明日をちゃんと生きれば、なんとかなる。母はそういう人だった。金曜の夜だけは、母と二人で近所の銭湯に行った。帰り道に自動販売機のコーヒー牛乳を一本買って、半分ずつ飲むのが決まりだった。母は湯気の顔で「今週もよく頑張りました」と言って、俺の頭をタオルでわしわし拭いた。ささやかであたたかい暮らしだった。

クリスマスには駅前のパン屋で一番小さなケーキを買った。二人で半分に切って、母はいつも俺の皿にイチゴを乗せた。自分はイチゴの後のへこみだけのスポンジを食べて「甘い甘い」と笑っていた。一度、母の働くスーパーにこっそり行ったことがある。レジの母は俺の知らない顔をしていた。お客さんに頭を下げて、袋詰めを手伝って「ありがとうございました」と声を張る。帰ってきた母に「今日お店に行った」と白状すると、母は少し照れて、それから言った。「働くってのはね、誰かのありがとうを集めることなんだよ。」俺が今も配達先の「ありがとう」の一言に弱いのは、多分このせいだ。

一度だけ、意味を聞いたことがある。母は少し考えてこう言った。「お父さんの受け売りなの。長距離の運転手さんはね、夜通し走って朝に荷物を届けるでしょ。お父さん、いつも言ってた。俺たちが走るから、明日がちゃんと来るんだって。」子供の俺には半分も分からなかった。ただ、トラックというものがなんだか偉いものに思えたのを覚えている。

その母が倒れたのは、俺が10歳の秋だった。病名は難しくて覚えられなかった。ただ、母の入院が長くなるにつれて、アパートの部屋がどんどん静かになっていったのを覚えている。10歳のクリスマスは病室で過ごした。売店のプリンにイチゴを一つ乗せて、母はケーキの代わりだと笑った。笑った顔が前の年より遅くなっていた。子供ながらに嫌な予感から目をそらしていたのだと思う。年が明けて寒さの緩み始めた頃、母の容態は急に悪くなった。俺は学校が終わると病院により、母のベッドの横で宿題をした。母は日に日に痩せていったが、俺の前では必ず笑った。最後に会った日のことは忘れられない。母は病室のベッドから細い手を伸ばして俺の頭を撫でた。撫でる手に、もう力がなかった。

「陸、ごめんね。」

「大丈夫。明日はちゃんと来るからね。」

それが最後の言葉になった。葬式の日、俺は泣かなかった。泣き方が分からなかったのだと思う。ただ、家の母がいつものように笑っているのが不思議で仕方なかった。

その葬式で、俺は初めて叔父に会った。母の兄の洋さんだ。母とは長い間疎遠だったらしい。葬列の後ろで、叔母の幸恵さんと何かを言い合っているのが見えた。後で分かったことだが、あれは俺を誰が引き取るかの押し付け合いだった。四十九日が済むと、母と暮らしたアパートは引き払われた。荷物のほとんどは処分された。引っ越し業者のトラックが残りわずかなダンボールを積んで走り去るのを、俺は道端から見ていた。あのトラックに、母との暮らしが全部積んであるのに、あのトラックはそれを知らないのだ。そう思ったら悔しくて涙が出た。荷物には、それを大事に思う誰かがいる。俺がそれを骨身で知った。最初の日だったのかもしれない。

結局、俺は叔父の家に引き取られた。隣の市の、岩城の一軒家だった。俺より一つ上の従兄の啓太がいて、俺には物置を片付けた三畳の部屋が与えられた。ダンボールと灯油のポリタンクの匂いがする部屋だった。最初から歓迎されていないことは、子供にも分かった。食卓で俺のおかずだけ皿が小さかった。啓太に新しい服が買われる横で、俺は啓太のお下がりを着た。学校で必要なものを言い出せず黙っていると、幸恵さんのため息が飛んできた。「本当に金食い虫だよ。誰に似たんだか。」叔父はそれを咎めなかった。新聞から顔も上げなかった。一度だけ、幸恵さんに言い返したことがある。母のことを「あの人は計画性がなかったのよ」と言われた時だ。「母さんは悪くない」と言った。声は震えていたと思う。食卓が静まり返って、啓太が下を向いた。幸恵さんは「口ごたえする子は夕飯抜きです」と言って、俺の皿を下げた。その夜、腹の虫が鳴るたび、俺は母の写真に「ごめん」と謝った。何に謝っているのか自分でも分からなかった。ただ、母さんの悪口だけは、腹が減っても飲み込みたくなかった。

運動会の日、俺の分の弁当はなかった。参観日に俺の教室に来る大人はいなかった。正直、啓太がお年玉の袋を並べて数える今に、俺の居場所はなかった。俺は三畳の部屋で、鞄の中の母の写真を眺めて過ごした。写真の中の母だけが、あの家で俺の目を見てくれる人だった。学校でも、俺は少しずつ無口になった。転校生で親がいなくて、いつも同じ服を着ている。それだけで、子供の世界では十分に浮く。給食だけが、一日で一番当てになる食事だった。お代わりの列に並ぶ俺を、啓太が見て見ぬふりをしているのが分かった。担任の先生に一度だけ家のことを聞かれたことがある。うまく笑えたと思う。「大丈夫です」と答えた。「大丈夫」という言葉は、本当に大丈夫じゃない時のために覚えるのだと、あの頃に知った。俺は目立たないように息を潜めて暮らした。気を遣い、風呂を磨き、言われる前に布団を畳んだ。役に立てば置いてもらえると、子供なりに必死だったのだと思う。それでも、二年と持たなかった。

あの夜のことは、今でもはっきり覚えている。12歳の11月の終わりだった。啓太の部屋からゲーム機が消えた。

「あんたでしょ?あんたしかいないでしょう。」

「違う」と言った。俺は啓太の部屋に入ったことすらなかったけれど、誰も俺の言葉を聞かなかった。啓太は黙って下を向いていた。あれは多分、友達に貸したのを言い出せなかっただけだ。幸恵さんの声はどんどん高くなった。今までの我慢がどうの、恩知らずがどうのと、話はゲーム機からどんどん離れていった。最後に叔父が新聞を畳んで、静かに言った。「出ていけ。盗人を置いておく家じゃない。」

冗談だと思った。だが、玄関に俺の学生鞄が放り出されていた。外は冷たい雨だった。背中でドアが閉まる音がした。鍵のかかる音もした。俺はしばらく玄関の前に立っていたが、ドアは二度と開かなかった。台所の窓の明かりがカーテン越しに滲んでいた。あの明かりの中に、俺の場所は最初からなかったのだ。鞄の中には教科書と、母の写真が一枚入っているだけだった。

俺は歩き出した。行く当てなんてなかった。ただ、母と暮らした北浜市の方へ、夜道をひたすら歩いた。あのアパートはもう他人が住んでいると知っていたのに、他に向かう場所を思いつかなかった。雨は氷みたいに冷たかった。傘はなかった。靴の中まで水が染みて、指の感覚が消えた。コンビニの前で一度だけ足を止めた。自動ドアの向こうの光は温かそうだったけれど、俺のポケットには十円玉が二枚しかなかった。店員さんと目が合いそうになって、俺は逃げるように歩き出した。国道をトラックが何台も追い越していった。ヘッドライトが近づくたび背中が明るくなって、また暗くなった。そのたびに赤いテールランプが雨の向こうに遠ざかった。みんなどこかへ荷物を運んでいる。届く場所がある。俺にはなかった。届け先のない荷物はどうなるんだろう。ぼんやりと、そんなことを考えていた。

街を二つ超えた。降り続く雨で体温がどんどん奪われていった。歩いているのか立ち止まっているのか、途中から分からなくなった。ポケットの十円玉で公衆電話から誰かに助けを求めることも考えなかったわけじゃない。ただ、番号を一つも思いつかなかった。12年生きてきて、俺には雨の夜にかけられる番号が一つもなかった。何時間歩いたのか分からない。街灯もまばらな国道沿いで、膝から力が抜けた。ガードレールに捕まろうとして掴み損ねて、俺は歩道に倒れ込んだ。立たなきゃと思った。体が動かなかった。雨が背中を叩き続けた。遠くでまたエンジンの音がした。どうせ俺の前を通り過ぎていく。世界中の誰もが俺の前を通り過ぎていく。そう思って、俺は目を閉じた。不思議と怖くはなかった。ただ、もう疲れたと思った。

「母さん、ごめん。明日はちゃんと来るって言ったけど、俺の明日はもう来ないみたいだ。」

薄れていく意識の向こうで、雨の音だけが続いていた。どのくらい経ったのか、まぶたの裏が急に明るくなった。大きなエンジンの音がして、それが止まり、ドアの開く音がした。重い足音が水溜まりを蹴って近づいてきた。

「おい、坊主、しっかりしろ。」

太い声だった。肩を掴んで揺さぶられて、俺は薄く目を開けた。ヘッドライトの逆光の中に、大きな男の影があった。がっしりしていて、眉が太くて、正直に言えば怖い顔だった。年は40半ばくらいに見えた。

「どうした?親は?おい、目を開けろ。寝るな。」

答えようとしたが、唇が動かなかった。男は舌打ちして、俺の首筋に手を当てた。それから、着ていた作業ジャンパーを脱いで俺に被せ、トラックに駆け戻って毛布を持ってきた。青い、さらっとした毛布だった。荷物を包む輸送用の毛布だと後で知った。

「大丈夫だ。もう大丈夫だからな。」

毛布ごと抱き上げられた。雨がふっと途切れて、視界が高くなった。トラックの助手席だった。席の下から温風が吹き出して、かじかんだ足に当たった。フロントガラスの向こうで、ワイパーが忙しく動いていた。男は携帯電話を耳に当てて早口で話していた。「病院」という言葉と「子供」という言葉が聞こえた。電話を切ると、男はハンドルを叩いて舌打ちした。「くそ。救急車は出払っててすぐには来られねえとよ。直接運んだ方が早え。」トラックが動き出した。ワイパーの向こうに、雨の国道が流れ始めた。

男はハンドルを握りながら、時々「大丈夫か」と声をかけてきた。俺がかすかに頷くと「おう」と言って前に向き直る、その繰り返しだった。エンジンの振動が背中に伝わってきた。温風と毛布の中で、凍っていた俺の頭は少しずつ働き始めた。そして、気がついてしまった。このトラックに荷物が積まれている。深夜に走っているということは、朝までにどこかへ届ける荷物のはずだ。父の話を思い出すまでもなく、それくらいは分かった。夜通し走って朝に荷物を届けるトラックとは、そういうものだ。俺はかじかんだ口で言った。

「荷物、遅れちゃうんじゃ…」

自分でも驚くくらいかすれた声だった。男は前を向いたまま、怒ったように言った。

「荷物より命の方が大事だ。」

迷いのかけらもない声だった。「荷物は頭を下げりゃ済む。お前の命はそうはいかねえだろうが。」俺は何も言えなかった。ただ、毛布を握りしめた。ざらついた毛布は、日向の匂いがした。誰かが俺のために何かを捨ててくれるなんて。母が死んでから、一度もなかった。俺なんか放っておけばいいのに。俺を拾ったって、この人には損しかないのに。視界が滲んで、俺は声をあげて泣いた。しゃくり上げて、みっともなく鼻をすって泣いた。男は何も聞かなかった。どうして倒れていたのかも、親はどうしたのかも、何一つ聞かなかった。ラジオもつけなかった。ただ、時々ちらりと俺を見て、前より少しだけ強くアクセルを踏んだ。

泣きつかれてうとうとし始めた頃、信号待ちで男が短い電話をかけ直しているのが聞こえた。「ああ、今から病院だ。悪いが荷物は朝一に間に合わん。分かってる。全部わしが被る。」子供心にそれが何を意味するのかは分からなかった。ただ、この人が俺のために何か重いものを引き受けたことだけは分かった。病院の救急入り口に着くと、男は俺を毛布ごと抱えて飛び込み、受付に向かって怒った。「子供が雨中で倒れてたんだ。早く見てやってくれ。」看護師さんが駆けつけてきて、ストレッチャーに乗せられた。天井の蛍光灯が流れて後ろへ消えていった。男の姿が見えなくなって、俺はなぜだかそれが一番怖かった。

そこから先はよく覚えていない。気がつくと、俺は白いベッドの上にいた。腕に点滴が繋がっていた。窓の外はもう明るかった。低体温と衰弱。あと少し遅ければ肺炎を起こして危なかったと、後で看護師さんが教えてくれた。ベッドの脇の丸椅子に、あの男が座っていた。腕を組んで壁に寄りかかって、口を開けて眠っていた。作業服のままだ。一晩中そこにいてくれたのだと分かった。俺が身じろぎすると、男はすぐに目を覚ました。「お、起きたか。」男はそう言うと、売店の袋からアンパンと牛乳を出して、俺の手に押し付けた。「あら、言ってねえか。とりあえず食え。話はそれからだ。」アンパンは少し潰れていた。一口かじったら、甘さが胸の奥までしみて、また涙が出た。「べ、あれだけ泣いたのにまだ出るのか」と自分で呆れた。泣きながら食う俺を、男は何も言わずに見ていた。食い終わる頃に、ぽつりと言った。「よし、ちゃんと食えるなら大丈夫だ。」それから、男は思い出したように聞いた。「そういや、名前は?」

「リク。社代陸。」

「リクか。海と山の陸だな。いい名前だ。どっしりしてら。」

名前を褒められたのは初めてだった。母がくれた名前だ。俺は毛布の中で少しだけ胸を張った。男は牛乳のパックにストローを挿して俺に持たせながら、「ゆっくり飲め」と言った。それから、窓の外に目をやって、独り言みたいに言った。「夕べはな、悪かったな。もっと早く気がつきゃ、あんなに冷える前に拾えたのによ。」謝ることなんて何一つないのに。この人は、そういう順番で物を考える人なのだった。

昼前に警察の人が来た。俺は聞かれるままに名前と叔父の家のことを話した。ゲーム機のことも、玄関の鞄のことも話した。警察の人の顔が途中から険しくなった。廊下で電話をかけに立った警察の人と入れ替わりに、男がまた病室に入ってきて、俺の枕元にどっしりと座った。「聞こえちまったよ。ひでえ話だ。」男はそれだけ言って、太い眉を寄せた。それから、急に立ち上がった。「その叔父の家、どこだ?わしが一言言ってやる。」「い、いいよ。いいから。」慌てて止めると、男はしばらく仁王立ちのまま迷って、どすんと椅子に座り直した。座り直してから、ふんと鼻を鳴らした。「行かねえよ。行かねえけどな。大人が全員ああだと思うなよ。」その言い方がなんだかおかしくて、俺は少しだけ笑った。倒れてから初めて笑った。男はそれを見て、にっと歯を見せた。

午後には児童相談所の人も来た。大人たちが廊下で長いこと話している間、男は病室に残って漫画雑誌のページをめくっていた。読んでいないのは目の動きで分かった。俺が不安にならないように、ただそこにいてくれたのだ。夜、消灯の前に看護師さんがこっそり教えてくれた。「あの人ね、あなたの入院の書類の連絡先の欄に、自分の名前を書いてくれたのよ。通りすがりなのにね。」と言ったら、「乗せたら客だ」って。乗せたら客。布団の中でその言葉を何度も繰り返した。拾われた俺は、お荷物なんかじゃなく、客だった。入院の間、飯の時間が来るたびに俺は少し緊張した。誰にも遠慮せずに食っていい飯というものに慣れていなかったから。おかずを残さず食べて食器を綺麗に重ねる俺を見て、看護師さんが「偉いね」と笑った。癖なんかない癖だったけれど、ここでは誰も俺の茶碗の大きさを見比べたりしなかった。それだけで、病院の白い天井が叔父の家の天井よりずっとあったかく見えた。

男は徳倉肖像と名乗った。北浜市の外れでトラック3台の小さな運送屋をやっているという。徳倉運送。従業員は2人だけ。「社長も何も、あるか。ただの運転手だ」と本人は笑っていた。48歳。家族はいない。それ以上のことを、おっちゃんは自分から話さなかった。俺もまだ聞ける立場じゃなかった。入院の終わり頃、徳倉運送の従業員だという若い人が、おっちゃんに頼まれたと着替えとタオルを届けに来てくれたことがある。帰り際、その人は俺にこっそり教えてくれた。「社長な、坊主の入院の世話に行くって、今月の自分の取り分を回したんだぜ。あの人、昔からああなんだ。困ってる人を見ると、損得の計算が全部吹っ飛ぶ。だからうちの会社で金が貯まんねえの。」そう言ってたその人の顔は、困っていなかった。むしろ自慢しているみたいだった。ただ、その日から俺はこの人を心の中で「おっちゃん」と呼ぶようになった。

俺は1週間、その病院に入院した。おっちゃんは毎日来た。仕事の合間に、作業服のまま現れて、売店の袋を枕元に置いて、ろくに喋らずに帰っていく。袋の中身はアンパンだったり、バナナだったり、漫画の雑誌だったりした。看護師さんたちはすっかり顔を覚えて、「あら、徳倉さん、今日も」と笑っていた。2日目の夕方には、こんなことがあった。俺が窓の外ばかり見ていると、おっちゃんは椅子の上で腕を組んだまま言った。「トラックは好きか?」「うん。父さんが運転手だった。」おっちゃんの眉がぴくりと動いた。俺はぽつりぽつりと話した。3歳で死んだこと。助手席の眺めのこと。母から聞いた「俺たちが走るから明日が来る」という話のこと。おっちゃんは最後まで黙って聞いて、それから短く言った。「いい親父さんだ。同業として恥ずかしくねえ仕事をしてたんだろうよ。」あったこともない父を、この人は信じてくれるのか。俺は毛布の端を握って俯いた。

3日目の夕方だったと思う。俺はずっと気になっていたことを思い切って聞いた。「あの夜の荷物、どうなったの?」おっちゃんは丸椅子の上で頭をぼりぼり掻いた。「ああ、あれな。間に合わなかった。」あっさりと言った。後から知った話をまとめると、こういうことだった。あの荷物は県外の工場に朝一で納める機械の部品だった。届け先は徳倉運送にとって一番の得意先だった。遅れは初めてでも、時間に一番厳しい相手だった。おっちゃんは俺を病院に置いて、夜明けから走り、昼前に着いて頭を下げた。契約はその場で切られた。子供の俺にも、それがどれだけ大変なことかは分かった。3台しかないトラックの、一番大きな仕事だ。

「俺のせいだ。」声が震えた。「俺のせいで、また誰かの暮らしを壊した。」叔父の家で言われ続けた言葉が頭の中でぐるぐる回った。「金食い虫」「疫病神」。すると、おっちゃんは俺の頭に大きな手のひらを乗せた。「若い奴。」そして、こう言ったのだ。「トラックはな、荷物だけ運ぶんじゃねえ。腹をすかせた人の飯も、帰れない人の帰り道も、誰かの明日も運ぶんだ。あの夜、わしのトラックはお前の明日を運んだ。運送屋として、こんな上等な仕事はねえだろうが。」おっちゃんはにっと歯を見せた。「上等な仕事。路端で拾われた俺が、上等な仕事。」俺は俯いて拳を握った。泣いてばかりで情けなかったが、涙は勝手に落ちた。おっちゃんはそれ以上何も言わず、俺の頭をわしわしと撫でて、仕事に戻っていった。

その言葉が俺の人生を決めた。いつか俺もトラックに乗ろう。荷物と一緒に、誰かの明日を運べる人間になろう。12歳の俺は、病院のベッドの上でそう決めたのだ。退院の日が近づくと、児童相談所の人が来た。叔父の家には戻らないことが決まった。叔父たちは俺を引き取らないと、はっきり言ったらしい。悲しいというより、ほっとした。児童相談所でしばらく預られた後、俺の行き先は北浜市内の児童養護施設に決まった。翼学園という、古い2階建ての施設だった。それを聞いたおっちゃんは、児童相談所の人に向かって「俺のことを頼む」と頭を下げた。それから、俺に向き直った。「リク。わしは他人だから、一緒には暮らしてやれねえけどな。また顔を出す。約束だ。」

おっちゃんは約束を守る人だった。翼学園での暮らしが始まってからも、月に一度は必ず顔を出した。面会室でアンパンを食い、俺の学校の話を聞いた。学園には俺より小さい子が大勢いて、おっちゃんが来ると玄関までぞろぞろついてくる。おっちゃんは怖い顔のまま、ポケットから飴を出して配った。「怖い顔の飴屋さん」と呼ばれて、まんざらでもなさそうだった。

学園での暮らしに、俺は少しずつ慣れていった。最初の頃は食堂の賑やかさが苦手で、部屋の隅で飯を食っていた。それがいつの間にか、年下の子の食器を運ぶようになり、宿題を見てやるようになった。居場所というのは、誰かの役に立った分だけ足場が固まっていくものらしい。先生たちはよくしてくれた。それでも、夜、布団の中でふいに寂しさが襲ってくる。そういう夜は、あの青い毛布にくるまった。日向の匂いはとっくに薄れていたのに、くるまると不思議と眠れた。ある面会の日、俺はおっちゃんにずっと気になっていたことを聞いた。「なんで、あの夜、俺を拾ってくれたのか。」おっちゃんはアンパンをかじる手を止めて、少し考えた。「道に落ちてる荷物を見たらよ、運送屋は拾うんだ。それだけだ。」「これ、荷物じゃないよ。」「おう。だから拾った後で、客に格上げしただろうが。」真面目に聞いたのに、と俺は膨れた。おっちゃんは笑っていた。本当の答えを聞くのは、それから20年も先のことになる。

日曜には、園長先生の許しをもらって、トラックで海まで連れて行ってくれた。助手席はあの夜と同じ匂いがした。オイルと、日向に干した毛布の匂いだ。防波堤に並んで座って、コンビニのおにぎりを食った。おっちゃんは海を見ながら、ハンドルの握り方だの、車間の取り方だの、免許もない俺に本気の講釈をした。「まだ乗れないのに。」「予習だ。予習。いつか乗るんだろうが。」帰り道、夕日の国道で、おっちゃんは前を見たまま言った。「陸、運転手ってのはな、積んだもんの重さが分かるやつが、いい運転手だ。」「重さって、重さのことですか?」「バカ。重さの話じゃねえ。」それきり説明はなかった。意味が分かったのは、ずっと後になってからだ。帰りに寄ったドライブインで、おっちゃんはラーメンを2杯頼んで、自分のチャーシューを黙って俺の丼に移した。「いらないの?」と聞くと、「脂っこいのは医者に止められてんだ」と言った。次に来た時も、その次も、おっちゃんは同じことを言った。医者の話は、多分嘘だった。

初めてのクリスマスのことは忘れられない。親のいない子供ばかりの施設でも、クリスマスはやっぱり特別だったけれど、12歳の俺は、ぐずる下の子たちを横目に、部屋の隅で膝を抱えていた。母がいた頃は、駅前のパン屋の小さなケーキを二人で分けた。その日の夕方、おっちゃんが面会に来た。「おお、陸。サンタの代打だ。」そう言って、新聞紙の包みを差し出した。新聞紙をきっちり折りたたんで、白い紐で十字にかけた包みだった。プレゼントの包装とはとても言えないけれど、ぴしっと揃った折り目は、荷物を扱う人の折り目だった。開けると、赤いトラックのミニカーが出てきた。「本物はまだ早えからな。」おっちゃんは照れ臭そうに鼻の下をこすった。俺はそのミニカーを宝物にした。枕元に置いて寝て、朝、起きると埃を払った。包んであった新聞紙も、実は捨てられずに机の引き出しの奥にしまっておいた。

中学の入学式には、園の先生と一緒におっちゃんが来てくれた。保護者席の一番後ろに見慣れた作業服がある。それだけで、俺は前を向いて座っていられた。式の後、校門の桜の下で、おっちゃんは俺の爪先を見て「うむ」と一度だけ頷いた。写真は園の先生が撮ってくれた。俺のアルバムの宝物のページだ。13歳の誕生日には、おっちゃんは湯気の立つ肉まんを2つ買ってきて、面会室で一つずつ食った。誕生日と言えるものはそれだけだった。それで十分だった。誰かが俺の生まれた日を覚えていてくれる。その事実だけで、腹の底があったかかった。

中学に上がると、おっちゃんは俺にいろんなことを教えてくれた。日曜の徳倉運送の倉庫は、俺の教室だった。荷物の積み方。重いものは下、壊れ物は奥。ロープの結び方は、手を取って何度も教えられた。舫い結びが初めて綺麗に決まった日、おっちゃんは俺の結び目を指で弾いて「上だ」と言った。褒められたのが嬉しくて、俺は施設の物干し竿で毎晩ロープを結んだ。「いいか、陸。ダンボール1個でも、中身は人の暮らしだ。放り投げる奴は、トラックに乗る資格はねえ。それとな、トラックは嘘をつかねえ。積んだ奴の心がそのまま出る。」おっちゃんの手は、牛首だらけで傷だらけで、いつもオイルの匂いがした。俺はその手が好きだった。世界で一番強くて、一番優しい手だと思っていた。

だが、その暮らしは長くは続かなかった。俺が14歳になった年、おっちゃんの様子が変わった。面会に来る回数が減った。来ても、どこか上の空だった。笑い方に力がなかった。アンパンを2つ買ってきて、自分の分に手をつけずに帰る日もあった。子供に詳しい事情は分からなかった。ただ、断片だけは耳に入った。新しく一番の取引先になっていた会社が潰れたこと、売掛金がまとめて焦げついたこと。その影響で仕事が減り、支払いが回らなくなったこと。今なら分かる。あの夜に大口の契約を失ってから、徳倉運送はずっと細い綱の上を歩いていたのだ。新しい取引先を開拓してなんとか食いつないで、ようやく持ち直しかけたところに、取引先の倒産が重なった。砂は切れた。

日曜の倉庫にも変化はあった。3台あったトラックが、いつの間にか2台になっていた。ロープの結び方を見てくれるおっちゃんの目が、時々俺を通り越してどこか遠くを見ていた。一度だけ、俺は貯めた小遣いを差し出したことがある。施設の手伝いでもらった小銭ばかりの、1000円と少しだ。おっちゃんは俺の手のひらを見て、それからゆっくり握らせて押し返した。「気持ちだけもらっとく。いいか、リク。子供の金に手をつける大人になったら、人間おしまいだ。それは、お前がいつか自分のために使え。出なきゃ、誰かのために使え。」あの1000円と少しを、俺は今も使えていない。缶に入れて取ってある。夏の終わりには、トラックはとうとう1台になった。それでも、おっちゃんは一応の倉庫で俺にロープを結ばせた。教えることだけは、最後まで削らなかった。「運送ってのはな、雨と一緒だ。降る時は降るけどな、雨はいつか上がる。」「上がらなかったら?」「上がるまで、濡れながら走るんだよ。うん。そうやって運送はそういう商売だ。」そう言って笑った横顔を、俺は今でも覚えている。あの人は、最後まで俺の前では傘を差しているふりをしていた。

秋には、従業員の2人の姿が倉庫から消えた。おっちゃんが同業の会社を頼って頭を下げて回り、先に新しい勤め先へ送り出したのだと。これは後で知った話だ。自分のことは、いつも一番最後の人だった。ただっぴろくなった倉庫で、おっちゃんは1台きりのトラックを、それでも毎週ピカピカに磨いていた。「商売道具ってのはな、景気が悪い時ほど磨くんだ。」「なんで?」「くすんでる顔で、人様の荷物は運べねえだろう。」バケツの水はもう冬の冷たさだった。俺は黙って隣でタイヤを磨いた。「俺のせいだ」とはもう言わなかった。言えば、おっちゃんがまた「若い奴」と笑わなければならなくなるからだ。あの笑顔を無理に作らせるのが、何より苦しかった。

春先のある日、おっちゃんは学園に来た。いつもの作業服じゃなく、よれたジャンパーを着ていた。トラックじゃなく、バスで来たのだと分かった。面会室で、おっちゃんは頭を下げた。子供の俺に、深々と。「陸、すまん。徳倉運送は畳むことになった。トラックも手放した。しばらく、遠くへ行く。」「どこへ?」と聞いた。おっちゃんは「まだ決めてねえ」と笑った。「仕事のあるところへ行くだけだ。」「手紙書くから、落ち着いたら住所教えて。」「おお、約束だ。」それから、おっちゃんは少し黙って、面会室の窓の外を見た。学園の庭で、小さい子たちが騒いでいた。「リク、一つだけ覚えとけ。人生ってのはな、荷物と一緒だ。積み替えを強いられる日もある。道が塞がる日もあるけどな。届け先さえ失わなけりゃ、遠回りしたっていつかは着く。」「おっちゃんの届け先は、どこなの?」おっちゃんは一瞬言葉に詰まった。それから、俺の頭にあの大きな手を乗せた。「お前は大丈夫だ。」質問の答えになっていなかった。それでも、俺はそれ以上聞けなかった。「お前はもう、自分の足で歩ける。明日はちゃんと来る。それだけ忘れんな。」母と同じことを言うんだな、と思った。言おうとして、喉が詰まって言えなかった。おっちゃんは面会室を出て、振り返らずに帰っていった。窓から見えたその背中が、記憶の中の背中より一回り小さく見えた。

その夜、俺は布団の中で声を殺して泣いた。母をなくした時にも出なかった泣き方だった。悲しみというのは、失った時より、失うと分かっている時の方が重いのだと、あの夜の俺は知った。それでも、朝は来た。俺は晴れた目で起きて、いつも通り年下の子の歯磨きを手伝った。明日は来てしまう。だったら、ちゃんと生きるしかないのだ。

おっちゃんに会えたのは、それきりだった。夏に、おっちゃんからはがきが1枚届いた。「県外の運送会社で運転手をやっている。飯は食えている。心配するな。」それだけの短い文だった。差出人の住所が書いてあった。俺はすぐに返事を書いた。学校のこと、学園のこと、舫い結びがもっと早くなったこと。便箋にぎっしり詰め込んで送った。返事の返事は来なかった。年が明けた中学3年の正月、俺はその住所へ年賀状を出した。1週間後、年賀状は戻ってきた。赤い印鑑で「当所に尋ね当たりません」と押されていた。引っ越したのだ。今度は、住所も告げずに。俺は戻ってきた年賀状を、ミニカーの隣の引き出しにしまった。それから、何度もその赤い判子を眺めた。その年のクリスマスは、学園にあの新聞紙の包みは届かなかった。当たり前だ。分かっていて。それでも、俺は夕方まで何度も玄関の方を見た。年下の子が「今年もサンタのおじちゃん来ないの?」と聞いてきた。俺は「遠くでお仕事なんだ」と答えた。嘘じゃないと自分に言い聞かせながら。「どうして?」と思った。「約束したのに」とも思ったけれど、責める気にはなれなかった。おっちゃんは多分、うまくいっていないのだ。うまくいっていない姿を、俺に見せたくないのだ。それくらいのことは、もう分かるようになっていた。

学園の先生は、落ち込む俺を見かねて言った。「縁のある人とは、また必ず会えるからね。」慰めだと分かっていた。それでも、俺はその言葉を信じることにした。それから、俺は道行くトラックの社名を見る癖がついた。「徳倉」の3文字をどこかに探していた。県外ナンバーのトラックとすれ違うたび、運転席を目で追った。あの太い眉と、白い髪のかりを探していた。見つかるはずがないと分かっていても、やめられなかった。だったら、俺にできることは一つしかない。ちゃんと生きて、ちゃんと大人になって、いつか胸を張っておっちゃんを探しに行くことだ。潰れた会社の話なんか吹き飛ばすくらいでかい声で、「ただいま」と言いに行くことだ。俺は机の上のミニカーを見て、決め直した。俺はトラックに乗る。誰かの明日を運ぶ運転手になる。それが、おっちゃんに会うための俺の道だ。

それからの俺は、がむしゃらによく働いた。中学を出ると、翼学園から定時制高校に通いながら、朝は新聞配達。昼は運送会社の倉庫でアルバイトをした。朝5時から自転車で新聞を配り、昼は倉庫で汗を流し、夕方から学校へ行く。眠くて教科書の上に突っ伏した日も、正直ある。それでも、諦めようと思ったことは一度もなかった。届け先が決まっている人間は強いのだ。雇ってくれたのは、市内の大和田運輸という会社だった。社員50人ほどの、地元の運送会社だ。面接で俺が「いつか運転手になりたいんです」と言うと、社長の大和田さんは日に焼けた顔をくしゃくしゃとさせて笑った。「そうか。なら、まずは荷物の持ち方からだな。」後で聞いた話だが、大和田社長は俺の履歴書の保護者欄が空白なのを見て、何も聞かずに採用を決めたのだという。運送屋の親父というのは、どうしてこう、聞かずにいてくれるのだろう。

最初の失敗は忘れもしない。倉庫で荷役を急がせて、荷物を一つ角から落とした。中身は無事だったが、箱がへこんだ。俺は青くなって「弁償します」と頭を下げた。大和田社長は箱を改めて、俺の頭を軽くはたいた。「弁償より先に覚えろ。急ぐのと慌てるのは別物だ。」その言い方が誰かにそっくりで、俺は下を向いた。倉庫の仕事は性に合っていた。ボール1個でも中身は人の暮らし。おっちゃんの言葉通りに扱っていたら、いつの間にか「肉ずれさせない積み方の陸」と呼ばれるようになった。舫い結びの速さで先輩たちと勝負して、勝ったこともある。物干し竿の特訓は無駄じゃなかった。

俺を鍛えてくれたのは、浜口修二さんという先輩だった。30を過ぎたばかりのドライバーで、無口で仕事に厳しくて、新入りの俺には鬼に見えた。積み方が甘いと、トラックの荷物を全部下ろさせて、1からやり直させられた。けれど、浜口さんのトラックはいつ見ても綺麗だった。トラックは嘘をつかない。おっちゃんの言った通りだった。後で知ったのだが、浜口さんは父親を早くになくして、高校を出てからずっと運転手の給料で弟と妹を養ってきた人だった。ある夜、倉庫の隅で2人になった時、浜口さんは珍しくぽつりぽつりと話してくれた。「荷物ってのはな、届いて当たり前と思われてる。褒められることのねえ仕事だ。それでもやるんだよ。誰かがやらねえと、世の中が止まるからな。弟の入学式のランドセルも、妹の嫁入り道具も、どこかの誰かのトラックが運んだんだ。そう思うと、悪くねえ商売だろ。」俺は倉庫の隅で黙って頷いた。この人も、荷物の向こうに人を見ている人だ。おっちゃんと同じ目をしている人は、ちゃんといるのだ。そう思ったら、この仕事場が少しあったかく見えた。

浜口さんには、一度だけひどく叱られたことがある。17歳の冬、寝不足でぼんやりしたまま荷役を押して、通路の角で人とぶつかりかけた。浜口さんは俺を倉庫の裏へ呼んで、低い声で言った。「疲れてる時ほど、基本だ。指差しして、声に出して確認しろ。お前が事故ったら、悲しむ奴の顔を思い浮かべろ。いるだろ、1人くらい。」浮かんだ顔は2つだった。死んだ母と、いなくなったおっちゃんと。俺はそれから、どんなに眠い朝も、指差し確認だけはサボらなくなった。

高校の卒業式には、学園の先生と大和田社長が来てくれた。パイプ椅子の保護者席に、日に焼けた顔が一つ。卒業証書をもらって席に戻る時、社長は腕を組んだまま、俺にだけ分かるくらいの小ささで頷いた。18歳で、俺は学園を出て、大和田運輸に正式に入社した。最初の給料とボーナスは、普通免許の教習に消えた。アパートを借りて、初めて一人の暮らしを始めた。荷物は少なかった。母の写真と、赤いミニカーと、青い毛布。あの毛布は、退院の日におっちゃんが「やるよ」と持たせてくれたものだ。俺はそれをずっと使い続けていた。

20歳で中型免許を取って、念願のドライバーになった。初めて一人でトラックを転がした日のことは、今でも覚えている。緊張で、休憩のたびに手のひらの汗をズボンで拭いた。交差点を曲がるたび、頭の中でおっちゃんの講釈が聞こえた。「内輪差に気をつけろ。ミラーを信じすぎるな。」防波堤で聞いた予習を、8年越しに本番で使った。夕方、最後の配達先で、おばあさんに言われた。「ありがとうね、運転手さん。これ、孫が送ってくれた米なのよ。」ダンボールを抱えたおばあさんの顔を見て、思った。俺は今、この人の明日を運んだのかもしれない。その夜、アパートでミニカーを眺めながら、「おっちゃん、俺、運転手になったよ」と声に出して言った。狭い部屋に、自分の声だけが響いた。

仕事はいいことばかりじゃなかった。雨の日の再配達で怒鳴られたこともある。荷主の担当者に「高が運転手が」と言われて、伝票を胸に投げつけられたこともある。悔しくて、トラックに戻ってハンドルを殴った。その夜、アパートで風呂を浴びながら、叔父の家の食卓を思い出した。人を安く扱う人間は、どこにでもいる。けれど、もう12歳の捨てられた子じゃない。俺には帰る部屋があって、明日も運ぶ荷物がある。そう思ったら、湯の中で悔しさが少しだけ軽くなった。悔しい夜には、決まっておっちゃんの顔を思い出した。おっちゃんならどうするか。多分、にっと笑って言うのだ。「荷物に罪はねえ」とか何とか言って、それでも丁寧に運ぶのだ。だから、俺も運んだ。どんな荷物も、どんな相手でも、変わらずに運んだ。台風の夜に、余分の給食の食材を届けたこともある。何年か経つと、「つけて欲しい時間にきっちりつけてくれる」と指名で仕事をくれる取引先が増えていた。

その台風の夜のことは、少しだけ話しておきたい。東北で道路が塞がり、迂回に次ぐ迂回で病院に着いたのは、予定の2時間遅れだった。それでも、栄養士さんは駐車場まで走って出てきて、俺の手を握った。「よかった。これで明日の朝ご飯、出せます。入院してる子たち、待ってるんです。」帰りのトラックの中で、俺はおっちゃんの言葉をまた思い出していた。「腹をすかせた人の飯」。まさにそれを、俺は今夜運んだのだ。最初のおばあさんの家には、その後も何度も配達に行った。行くたびに、玄関先で飴だのみかんだのを持たされた。ある日、おばあさんは言った。「あんたが来る日は、玄関の掃除をしちゃうのよ。」配達には、荷物を届ける以上の何かがあるらしい。それが何なのか、俺はハンドルを握りながらずっと考えていた。

23歳の冬、俺は初めて後輩の指導係になった。教えることは、全部おっちゃんの受け売りだった。「重いものは下、壊れ物は奥。トラックは嘘をつかない。」後輩が「先輩、なんか昭和っすね」と笑った。褒め言葉として受け取っておいた。その頃には、俺の給料も少しずつ上がっていた。学園には、毎年の暮れに菓子折りを持って顔を出した。先生たちは変わらず俺を「リクちゃん」と呼んだ。年下の子たちが、俺の作業服を見て「トラックの人だ」と騒いだ。かつての俺と同じ目をした子たちだった。帰りは、いつも決まって思った。おっちゃんも、こんな気持ちで学園の玄関をくぐっていたのだろうか。

その間も、俺はおっちゃんを探し続けた。休みのたびに、徳倉運送のあった場所へ足を運んだ。あの地は別の会社の資材倉庫になっていて、近所で聞いても行き先を知る人はいなかった。運送業の組合にも問い合わせた。電話帳で「県内の徳倉」という家に片っ端から電話をかけたこともある。全部で17件、全部違った。探偵事務所という手も考えた。だが、駆け出しの給料では手が出なかった。それに、どこかでこう思っていた。おっちゃんは、見つかりたくないのだ。見つけてもらうには、俺が見つけてもらえる男になるしかないのだ。浜口さんには、一度だけその話をした。浜口さんはしばらく黙って、それから言った。「生きてるさ。ああいう人は、しぶといんだ。それよりリク、お前が探されて恥ずかしくねえ運転手になっとけ。会った時に、堂々と顔を見せられるようにな。」俺は頷いた。

26歳の春、俺は独立を決めた。6年間大和田運輸で走って貯金をして、運行管理の資格も取った。いつか自分の会社を持つ。10代の頃から描いてきた道だった。大和田社長に辞意を伝えた日のことは忘れられない。社長は俺の頭のてっぺんから爪先までを眺めて、それから大きな椅子にどっかりと座り直した。「お前、金はいくらある?」正直に答えると、社長は笑った。「足りんな。トラックは中古でも高いぞ。」そして、社長は机の引き出しから判子を出した。「後ろは俺がなってやる。金融にも口を聞いてやる。その代わり、うちの下請けを本気でやれ。仕事は回す。お前みたいな奴が育つのを見るのが、この商売の楽しみなんだよ。」俺は言葉が出なかった。ただ、深く頭を下げた。そうしながら、思った。俺はどうしてこう、運送屋の親父たちに救われてばかりなんだろう。

独立の準備は、思っていたよりとろ臭かった。運送業の許可はトラック5台からと決まっている。1台の俺は、当面トラックを大和田運輸の傘に入れてもらう、業務委託者として走り、台数を揃えて地元の許可を取る。三段構えを組んだ。車庫と営業所の手当て、保険、資金繰りの計画表は、何度作り直しても数字が心細かった。夜中に電卓を叩きながら、何度も気が遠くなった。そのたびに、机の上のミニカーを見た。赤い塗装の剥げたトラックを見ていると、不思議と背筋が伸びた。1台から始めた人を、俺は知っている。その人の背中を、俺は助手席からずっと見てきたのだ。

その年の夏、俺は中古の2トントラックを1台買った。納車の日、俺は販売店の駐車場でそのトラックを1時間近く眺めていた。白い車体のあちこちに小さな傷のある、年季の入ったトラックだった。俺には、どんな新車より眩しかった。会社の名前は「社代運送」にした。社員は俺1人。事務所はアパートの俺の部屋だ。車体の横に、看板屋で作ってもらった文字を貼った。社名の下に、少し小さくこう入れた。「荷物だけじゃなく、誰かの明日を運ぶ」。看板屋の親父さんに「いい言葉だね。自分で考えたのかい?」と聞かれた。俺は「いいえ」と首を振った。「先人の受け売りです。」

開業の前の夜、俺は風呂上がりに初めて自分の会社の名刺を眺めた。「株式会社社代運送 代表取締役 社代陸」。名刺の肩書きより、その下に刷った理念の一行の方が、よほど誇らしかった。眠れなくて、結局夜中に月極めの駐車場に行って、納車されたばかりのトラックのタイヤを意味もなく蹴って確かめた。月が出ていた。

開業の朝、最初の荷物は大和田運輸から回してもらった3件の配達だった。1件目は町の電気屋から、一人暮らしのお年寄りの家へ。小さな石油ストーブ。2件目は、生まれたばかりの赤ん坊のいる家へ、実家から届いたベビー布団。3件目は、商店街の花屋から結婚式場へ、式で使う花のストック。届けた先のおじいさんは、玄関先で「ありがたいね。これで今夜から足元があったかいよ」と何度も繰り返した。ベビー布団の家では、若い母親が赤ん坊を抱いたまま出てきて、荷物を抱えられずに困っていたので、部屋の入り口まで運んだ。布団の袋に、実家のお母さんの字で「体を大事にね」と書いた紙が貼ってあった。式場では、係りの人が花の箱を覗き込んで、「ああ、無事でよかった。今日の主役の花なんです」と息をついた。ストーブも布団も花も、明日の朝には誰かの暮らしの真ん中にある。俺は一件ごとに配達表の控えをまっすぐに揃えて、ファイルに閉じた。夕方、全部を届けて空になったトラックを見た時、目の奥が熱くなった。初日の売上は9800円だった。世界一の9800円だと思った。

その夜、俺はアパートの机に母の写真と赤いミニカーを並べた。「母さん、おっちゃん、俺、トラック運転手になったよ。自分のトラックだ。1台だけど、ここから始める。」写真の母は笑っていた。ミニカーの赤は少し色が褪せていた。返事はどこからもなかったが、俺は構わずに缶ビールを開けて、2つのコップに注いだ。1杯は仏壇に、もう1杯は、いつか会えた日に一緒に飲む分の練習だ。

開業して最初の年末には、翼学園に菓子折りと子供たちへの絵本も届けた。会社としての初めての寄付だった。園長先生は目を丸くして、それからうふっと笑った。「昔、あなたにこうしてくれた人がいたものね。」「はい。あの人の真似です。」「真似できる背中があるのは、幸せなことよ。」帰りの車の中で、その言葉を何度も転がした。真似できる背中。俺の運転席からはもう見えないけれど、確かに前を走っている背中が、俺にはあった。

翌朝から、俺は走り続けた。助手席には、あの青い毛布を畳んで積んだ。荷物の輸送にも使える。それに、いつか誰かを乗せる夜が来た時、毛布が1枚あるだけで人は救われる。それを、俺は身を持って知っていた。仕事は少しずつ増えた。1台が2台になり、2台が5台になった。5台になった年、ようやく地元の運送業の許可が降りて、うちのトラックは晴れて緑ナンバーになった。倉庫を借り、事務員を雇った。2年目に、大和田運輸で世話になった浜口さんが「俺んとこで働かせろ」と移ってきてくれた。今では専務だ。ネット通販の荷物が世の中に溢れ出した時代の波にも、うまく乗れたのだと思う。綺麗事だけで来られたわけじゃない。同業の安売り合戦に巻き込まれたこともある。「運賃を下げろ。下げないなら回さない」と迫られて、下げれば深夜の無理な運行で埋め合わせるしかない計算だった。俺は迷った末に、その仕事を断った。浜口さんには「青くせえな」と笑われた。それでも、うちのドライバーを眠らせないで走らせる会社に、誰かの明日を運ぶ資格はない。あの判断は間違っていなかったと、今でも思う。無理を断る会社だという評判は、回り回って、無理を頼まない客を連れてきてくれた。

最初の社員を雇った日のことも忘れられない。俺より年上の、口べたなドライバーだった。面接で志望動機を聞くと、その人は「御社のトラックを道で見たからです」と言った。「信号待ちで、車体の一行を読みました。ああいう会社で働きたいと思った。」そう言われた夜、俺は一人で駐車場に残って、1号車の車体の文字をいつまでも磨いた。おっちゃん、あんたの言葉が人を連れてくるよ。あんたの言葉が、うちの会社を作っていくよ。

創業3年目の冬に、地元の新聞が小さな記事にしてくれた。児童養護施設で育った社長の運送会社、という切り口だった。取材の記者に理念の意味を聞かれて、俺は12歳の夜の話を初めて人前で話した。先人の名前は伏せた。会えてもいないのに、勝手に語っていい名前じゃなかった。取材の最後に、記者さんが聞いた。「社代さんにとって、トラックとは何ですか?」「命の先人です。」記者さんは冗談だと思ったらしく、笑いながらメモを取っていた。冗談じゃなかったのだが、それで良かった。記事に載った理念の一行だけは、一言一句、俺の言った通りに書いてくれた。それで十分だった。記事が出た朝、俺は新聞を3部買った。一部は保存用、一部は学園の先生。最後の一部は、いつか渡す用だ。渡す相手の顔を思い浮かべながら、俺はそれを机の引き出しの、あの年賀状の隣にしまった。この記事がどこかであの人の目に触れたらいい。そうしたら、今度こそ向こうから「バカ野郎、でかくなりやがって」と怒鳴り込んできてくれたらいい。そんな虫のいいことを、本気で考えていた。

気がつけば、創業から6年。社員60人、トラック40台。北浜市の郊外に自社の倉庫と事務所を構えるまでになった。荷役の1台は、今も現役だ。社員は「1号車」と呼んでいる。古くなったから買い替えましょうと言われるたびに、俺は首を横に振ってきた。整備を重ねて、俺専用の車として、今も俺はその1号車に乗っている。デスクの上には、赤いミニカーを置いた。それでも、まだ足りないものがあった。缶ビールの2杯目は、まだ一度も誰の手にも渡っていなかった。探し続けた人は、20年経っても見つからないままだった。

物語はここから、あの12月の夜に戻る。俺が32歳になった年の冬のことだ。ここで少し、今のうちの会社の話をさせてほしい。社代運送のトラックには、全車、青い毛布を1枚積ませている。荷物の輸送用。それともしもの時に、誰かにかけてやるためだ。新人は必ず「何ですか、これ」と聞く。そのたびに、浜口さんが「毛布だ」とだけ答えている。それから、朝の点呼で、俺は月に1度同じ話をする。「どんな荷物にも、届くのを待っている人がいる。ダンボール1個でも、中身は人の暮らしだ。」全部、受け売りだけれど、受け売りこそがうちの会社の背骨だった。

その年の12月は、インフルエンザが流行っていた。金曜の夕方、ドライバーが2人続けて熱を出した。事務所の配車表の前で、配車係が頭を抱えていた。穴が開いたのは、山合の三山町にある工場への夜間納品だった。朝の操業に間に合わせる機械部品で、遅らせるわけにはいかない。俺は配車表を見て、自分の名前を書き込んだ。それを見た若手の北村が、露骨に顔を曇らせた。入社2年目の24歳のドライバーだ。「社長が深夜便まで出なくてもいいのに。俺、変わりますよ。社長の仕事ってもっとこう、机でやるやつじゃないんですか?」「お前は今週走り詰めだったろ。規則通り休め。」「社長には規則ないんすか?」生意気を言うようになったものだ。俺は笑って、1号車のキーを取った。北村が入社してきた時の面接を、ふと思い出した。志望動機を聞いたら、まっすぐこっちを見て「給料がいいからです」と言い切った男だ。正直でよろしいと取ったら、現場で化けた。口は軽いが、荷物の扱いは丁寧で、お年寄りの家では玄関の上がり口まで運んでやっている。ああいうのは、教えて身につくものじゃない。「現場を忘れたら、俺を乗せてくれた人に顔向けできないんだよ。」北村は意味が分からないという顔をしていた。無理もない。この話を、俺は社員の誰にもしたことがなかった。浜口さんだけが、事務所の奥で少し笑ったのが見えた。

浜口さんは俺の横を通り、小さく言った。「気をつけていけ。峠、冷えるぞ。天気予報じゃ、夜からみぞれだ。」「明日の朝には戻ります。」軽い気持ちでそう答えた。点呼を受けて、夜の9時に倉庫を出た。三山町までは、市街地を抜けて峠を一つ超える。対向車もまばらな夜の道を、俺はいつも通りのペースで走った。深夜のハンドルは嫌いじゃない。エンジンの音だけの時間は、いろんなことを考えるのにちょうどいい。その夜考えていたのは、なぜだかおっちゃんのことだった。ラジオを小さくつけると、クリスマスの歌が流れていた。12月になるといつもそうだ。町にクリスマスの飾りが増えると、新聞紙の包みを思い出す。あの人は今年、どこでどうしているだろう。生きていれば、もう70近いはずだ。今年の暮れも、挨拶周りの合間に徳倉運送の跡地の前を通った。資材倉庫の看板は、いつの間にか新しい社名に変わっていた。時間は容赦なく上書きしていく。それでも、俺の探し物は20年前から変わらなかった。

峠の登りに差しかかると、みぞれの粒が大きくなった。ラジオを消した。タイヤの音に集中したかったからだ。冬の夜の峠は、道が生き物のように変わる。おっちゃんの講釈の通りだった。工場に着いたのは、日付が変わる少し前だった。納品を終えて、検収の判子をもらい、担当者に挨拶して、帰りの峠道に入った頃には、深夜1時を回っていた。雨はまだ降り続いていた。フロントガラスに当たる粒は、いよいよ白いみぞれに変わっていた。ワイパーの音だけが、暗い山道に規則正しく響いていた。カーブを2つ抜けた先だった。ヘッドライトの先に、路肩に止まる古い軽トラックが見えた。ハザードがついている。慌てて速度を落として、俺は息を飲んだ。軽トラの脇に、人が倒れていた。

俺は1号車を路肩に止め、ハザードをつけて、雨の中を駆け出した。白髪の老人だった。うつ伏せで、作業ズボンに薄いジャンパー1枚。声をかけながら顔を覗き込むと、目は薄く開いていた。「荷物…」老人はかすれた声で言った。「荷物が先だ。わしはいいから。」意識が混濁していた。右手が地面を掻くように震えて、力が入っていない。体に触れると、氷のように冷たかった。いつからここに倒れていたのか。この寒さだ。長くは持たない。俺は119番に電話をかけた。状況を伝えると、指令員の声が言った。「山間部で、救急車の到着まで40分前後かかります。」40分、この冷たいみぞれの中でか。指令員は続けて、容態を細かく聞いてきた。意識はあるか、呼びかけに応じるか、手足は動くか。俺は一つずつ答え、それから言った。「トラックがあります。自分で運んだ方が早くないですか?」少しの間があって、指令員が言った。「容態を考えると、その方が早いかもしれません。受け入れ先はこちらで手配します。救急車には引き返すよう伝えます。体を温めて、揺らさないように、急いでください。」電話を切る間も、老人は繰り返していた。「置いて行ってくれ。荷物が届かなくなる。」自分が死にかけているのに、荷物のことばかり言う。この年寄りは、一体何を運んでいるんだ。俺は気がつくと、怒鳴っていた。「荷物より命の方が大事だ!」自分の声が峠に響いた。言ってから、心臓がどくんと鳴った。この言葉を、俺は知っている。20年間、一度も忘れたことのない言葉だ。その瞬間だった。老人の目がかすかに動いて、俺を見た。何かを言おうとして、唇が震えた。聞き取れたのは、かすかな一言だけだった。「その言葉…」言い終わる前に、老人のまぶたが落ちた。「おい、しっかりしろ。寝るな。」考えている時間はなかった。俺は1号車に走り、助手席から青い毛布をひっつかんで戻った。毛布で老人の体を包み、抱き上げた。大きな人だったはずの体は、驚くほど軽かった。いや、待て。俺は自分の頭に浮かんだ言葉に、自分で驚いた。「大きな人だったはず」とは何だ?俺はこの人を知らない。知らないはずだ。

助手席に老人を乗せ、シートベルトをかけた。軽トラックにかけ寄って、エンジンを切り、キーを抜いた。ダッシュボードの古い携帯電話も、連絡のつく誰かが分かるかもしれないと思って、掴んだ。荷台には、ボールがいくつも積まれ、ビニールのシートがかけてあるのが見えた。この雨の深夜に、軽トラックは確かにどこかへ運ぼうとしていたのだ。足元に帽子が落ちていた。くたびれた灰色の作業帽だった。俺はそれを拾って、トラックに飛び乗った。

病院までは35分。俺は電話で案内された救急外来の場所を頭に浮かべながら、峠を下った。カーブのたびに、助手席の体が傾かないよう、左手で毛布を抑えた。老人は、うわごとを言い続けていた。「届けなきゃ…子供たちが待ってる…」子供たち。俺は声をかけた。「大丈夫です。荷物のことは、後で俺が何とかします。だから、頑張ってください。」返事はなかった。ただ、毛布の中の細い呼吸だけが続いていた。頼むから、持ってくれ。俺はアクセルを踏みながら、何度も助手席を見た。急ぎたい。だが、急ぐのと慌てるのは別物だ。ブレーキは早めに、カーブは膨らませない。荷台の荷物にするように。いや、それ以上に、俺は助手席の人を揺らさないように走った。この人は、今夜、俺のトラックの一番大事な客だった。

信号のない山道を抜け、市街地の最初の赤信号で止まった時、俺は膝の上に置いた帽子にふと目を落とした。つばの上に、刺繍があった。糸がすり切れてかすれた、漢字2文字の苗字。「徳倉」。心臓が大きく一つ跳ねた。まさか。そんな偶然があるか?「徳倉」なんて苗字は日本中にある。落ち着け。けれど、さっき俺が怒鳴った言葉に、この人の目は確かに動いた。そして、「その言葉」と言った。それに、この横顔。白髪で痩せて、記憶よりずっと老けている。老けているが、この太い眉を、俺は知っている気がする。信号が青に変わった。俺はアクセルを踏み込んだ。手のひらが汗で濡れていた。おっちゃんなのか。助手席の老人は、目を閉じたまま答えなかった。

病院に着くと、連絡が通っていて、処置室へはすぐに運ばれた。ストレッチャーが自動ドアの奥へ消えていくのを、俺は棒立ちで見送った。20年前、同じ光景を逆の側から見たことを思い出した。あの夜、廊下に消えていく俺を、この人はこうやって見送ったのか。俺は廊下で、看護師さんに聞かれるままに答えた。発見した場所、時間、様子。それから、患者との関係を聞かれて、言葉に詰まった。「分かりません。ただ、知り合いかもしれません。」看護師さんは不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。手続きの書類には、書ける欄がほとんどなかった。家族の連絡先、分からない。病院、分からない。俺は20年間この人を探し続けて、この人の20年も、何一つ知らないのだった。続柄の欄の前で、ボールペンが止まった。少し迷って、俺は「知人」と書いた。書きながら、胸の中では別の言葉が鳴っていた。「家族みたいなもんです。子供の頃、月に一度必ず会いに来てくれた人です。」

処置室の赤いランプの前で、俺は軽トラックから持ってきた古い携帯電話と、あの帽子を手元に預かった。財布などの貴重品は、病院で保管するという。身元確認のためにと、看護師さんが免許証の名前の欄をこちらに向けて、確かめさせてくれた。「徳倉肖像。昭和の生まれ、68歳。住所は三山町。」足元がすっと消えたような気がした。俺は廊下の長椅子に座り込んだ。間違いなかった。20年間探し続けた人だった。電話帳のこの欄を何度もなぞって、見つけられなかった名前が、深夜の病院の蛍光灯の下にあった。県内じゃなかった。峠の向こうの三山町は、隣の県だった。電話帳の17件に、届くはずがなかった。こんなに近くで、たった峠一つ向こうで、あの人は生きていたのだ。こんな再開があるか。20年ぶりに会えた先人が、目を閉じて処置室の向こうにいる。俺はあの人に、まだ何一つ返していないのに。缶ビールの2杯目も、まだ注げていないのに。

夜が長かった。自動販売機の缶コーヒーを両手で包んで、俺は待合室の長椅子に座っていた。眠れるはずがなかった。目を閉じると、20年前の病室が浮かんだ。丸椅子で口を開けて眠る、作業服の背中。一晩中そこにいてくれた人。今度は、俺の番だった。待合室の掲示板に、クリスマスの飾りが張ってあった。あの頃にも、確か同じような飾りがあった気がする。そんなことばかり思い出した。母の口癖も思い出していた。「大丈夫。明日はちゃんと来るからね。」俺は缶コーヒーを握り直して、処置室の赤いランプに向かって、心の中で繰り返した。「大丈夫。明日はちゃんと来る。あんたが俺にそう教えたんだ。母さんの言葉と、あんたの言葉は、同じことを言ってたんだ。だから、ちゃんと明日を迎えてくれ。」

夜中に一度、処置室の方から看護師さんが出てきて、俺に声をかけた。容態を聞くと、「今、全力でやっていますから」と言って、また戻っていった。俺にできることは、待つことだけだった。運送屋は、待つのも仕事のうちだ。荷主の指定した時間まで、じっと待つ。だが、この待ち時間ほど長い夜を、俺は他に知らなかった。

明け方、医師が出てきて説明してくれた。脳の血管が詰まったこと。幸い発見が早く、治療は間に合った可能性が高いこと。ただし、低体温で体が冷え切っていたこともあり、意識がはっきり戻るまでは数日を見てほしいこと。「発見がもう少し遅れていたら、危なかったと思いますよ。あの時間の峠は、車も通りませんから。」医師はそう言って、処置室に戻っていった。俺は待合室の長椅子で、膝の上の帽子を見つめた。かすれた刺繍を、指でなぞった。この帽子には、見覚えがあった。徳倉運送の頃、おっちゃんがいつもかぶっていたものと、同じ形だった。ずっと使い続けたのだろうか。それとも、同じものを探して被り続けたのだろうか。

朝になって、病室に移されたおっちゃんの顔を、一目だけ見せてもらった。管に繋がれて、目を閉じて。それでも、眉は太いままだった。眠っているだけだと、自分に言い聞かせた。20年かけて、やっと見つけたんだ。こんなところで終わっていい話じゃない。「おっちゃん、荷物のことは心配するな。」返事のない病室に、俺はそれだけ置いて、廊下に出た。

窓の外が白み始めた頃、うとうとし始めた俺の手の中で、預かっていた携帯電話が震えた。画面に着信の名前が出ていた。「星の子学園」。聞いたことのない名前だった。俺は少し迷って、電話に出た。「あ、あの、徳倉さん、おはようございます。星の子学園で園長をしております、青木です。昨日の夜のうちに荷物を届けてくださるはずだったのに、お見えにならなかったので、心配で…」女性の声だった。俺は自分が徳倉ではないことを詫び、社代運送の社代と名乗ってから、昨夜からのことを話した。峠で倒れていたこと、病院に運んだこと。命は取り留めそうだが、まだ意識が戻らないこと。電話の向こうで、息を飲む音がした。「そんな…徳倉さんが…」女性はしばらくして、それから消え入りそうな声で言った。「あの、こんな時に本当に申し訳ないんですが、トラックに荷物は積まれていませんでしたか?」「ダンボールがいくつも、シートがかけてありました。」「そうですか。やっぱり…」女性の声が震えた。「うちは、山の上の児童養護施設なんです。今日の午後、子供たちのクリスマス会があって、徳倉さんが毎年、子供たちへの贈り物を届けてくださっていて…子供たちが、毎年この日を、それはもう楽しみにしていて…こんな時に荷物の話なんて、いけないのは分かってるんです。でも…」その先は、言葉にならないようだった。俺は目を閉じた。峠の上が蘇った。「届けなきゃ…子供たちが待ってる…」あの人は、倒れて氷みたいに冷えて、意識も混濁して、それでも荷物のことを言っていた。あの言葉に、俺は「その言葉」と言いかけた。20年前と、何一つ変わっていなかった。まぶたの裏に、あの夜の病室が浮かんだ。「トラックはな、荷物だけ運ぶんじゃねえ。腹をすかせた人の飯も、帰れない人の帰り道も、誰かの明日も運ぶんだ。」あの軽トラックの荷台に詰まれているのは、ダンボールじゃない。山の上で待っている、子供たちの明日だ。俺は目を開けて、言った。「届けます。」「え?」「荷物は、俺が必ず届けます。徳倉さんの代わりに。俺は運送屋です。徳倉さんに、この仕事を教わったものです。」電話の向こうで、女性がもう一度息を飲むのが分かった。俺は会の時間を聞いた。「午後2時からです。」「間に合わせます。」電話を切る間際、園長先生は言った。「社代さん、どうか無理はなさらないで。徳倉さんなら、きっと荷物よりあなたの体を心配なさいますから。」その言い方で分かった。この人は、徳倉という人間をよく知っている人だ。

電話を切ると、俺はすぐに浜口さんにかけた。土曜の朝の6時台だ。それでも、浜口さんはワンコールで出た。事情を話すと、細かいことを何も聞かなかった。「分かった。北村を連れて、すぐ行く。陸、お前、それが例の人か。多分、間違いないんだ。」「浜口さん、免許証を見た。徳倉肖像。あの人だ。」「そうか。」浜口さんはそれだけ言って、電話を切った。20年前に、たった一度だけ話した俺の身の上を、この人はずっと覚えていてくれたのだ。電話の後、俺は洗面所で顔を洗った。鏡の中の男は、ひどい顔をしていた。徹夜の青白い顔で、それでも目だけが妙に座っていた。やることを順番に数えた。軽トラックの回収、荷物の積み替え、学園までの道の確認。会は午後2時。逆算すれば、時間はある。焦るな。段取りだ。運送屋の仕事は、段取りが9割。こういう時こそ、いつも通りにやるのだ。それにしても、と俺は思った。20年ぶりの恩返しが、まさか代理の配達になるとは。神様というのは、随分な仕事の割り振りをする。待合室の窓から、朝日が差し込み始めていた。長い夜が明けたけれど、まだ何も終わっていない。俺は立ち上がって、ナースステーションに声をかけた。「昼までに一度出ます。この人の荷物を、届けてきます。」

朝の9時前に、浜口さんと北村が病院に来た。2人とも、休みの日のはずだった。北村は徹夜明けの俺の顔を見て、何か言いかけて、やめた。代わりに、自動販売機で温かいお茶を買って、黙って俺に押し付けてきた。3人で峠に、軽トラックを取りに行った。みぞれは上がって、冬の薄い日が差していた。軽トラックは昨夜のまま、路肩に止まっていた。改めて見ると、随分古い車だった。走行距離のメーターは、地球を何周もした数字になっていた。車体のあちこちに、修理の跡が重なっていた。それでも、荷台のシートは角をきっちり揃えて、ロープで丁寧にかけられていた。舫い結びだった。俺が施設の物干し竿で何百回も練習した、あの結び方だった。シートを外して、俺は動けなくなった。ダンボールがいくつも詰まれていた。1つ開けると、ぬいぐるみが詰まっていた。次の箱には絵本、その次にはブロックのおもちゃ。新品もあれば、綺麗に手入れされた中古もあった。ぬいぐるみは毛玉が取ってあって、絵本の角は補修のテープが張ってあった。箱ごとに中身の高さが揃えてあって、隙間には乾燥剤の新聞紙がきっちり詰めてあった。「重いものは下、壊れ物は奥」。箱の側面に、マジックの手書きで張り紙がしてあった。「たける君、恐竜が好き。みそらちゃん、絵本、動物の出てくるやつ。ゆうと君、ブロック、青いのを集めている」。一人ずつだ。一人ずつの名前と好きなものを覚えて、それに合わせて選んでいる。年金暮らしのはずの人が、1年かけて少しずつ買い集めたのだろう。中古のおもちゃを、夜なべで手入れしたのだろう。浜口さんが隣で、トラックを見つめたまま低く言った。「トラックは、嘘つかねえな。」「はい。」このトラックに、あの人の20年が積んであった。いや、多分もっとだ。

運転席の周りも、そのままだった。灰皿は空で、代わりに飴の缶が置いてあった。ダッシュボードには、手垢で角の丸くなった手帳。開くと、細かい字で配達の控えが書きつけてあった。薬局の受け取り、近所の年寄りの買い物の代行らしい記録が並んでいた。軽トラック1台になっても、あの人はまだ誰かの暮らしを運んでいたのだ。作業の途中、犬を連れた年配の女性が通りかかって、「あっ」と足を止めた。「それ、徳倉さんの車でしょ。どうかなさったの。」浜口さんが事情をかいつまんで話すと、女性は口に手を当てた。聞けば、麓の集落の人で、徳倉さんには買い物や通院の送り迎えで世話になっているという。「あの人はね、お金を受け取らないのよ。ガソリン代だけでいいって。うちのお父さんが『あんた、それじゃ商売にならんよ』って言ったら、笑って『商売は昔やったから、もういい』って。」女性は病院の名前を聞いて、「集落のみんなと必ずお見舞いに行く」と言って、何度も振り返りながら坂を下っていった。

手帳の12月のページには、太い字で丸が一つ。「星の子クリスマス会」と書いてあった。その横に、小さく「今年こそ」とだけ書いて、線で消してあった。「今年こそ」何をするつもりだったのかは、書いていなかった。助手席の座面には、座布団が1枚敷いてあった。使い込まれて、真ん中がへこんでいた。誰かを乗せるための場所というより、長年、届け物を置くための場所だったのだろう。薬局の袋や米の袋が、そこに乗って峠を越えてきたに違いなかった。ふと、20年前の助手席を思い出した。あの4トントラックの助手席は、広くて高くて、あったかかった。あの席から見た朝の道を、俺は人生で一番美しい景色の一つとして覚えている。「おっちゃん、あんたの助手席は、いつだって特等席だったよ。」

一番奥に、一つだけ他と違う包みがあった。新聞紙をきっちり折りたたんで、白い紐で十字にかけた包みだった。ぴしっと揃った折り目。荷物を扱う人の折り目。20年前のクリスマスに、面会室で俺が受け取ったのと同じ包みだった。喉の奥から、変な音が出た。俺は包みを抱えたまま、しばらく荷台の前から動けなかった。浜口さんも北村も、何も言わずに待っていてくれた。

軽トラックの運転席にキーを差し、乗り込んだ時だった。日よけの裏に、何かが挟んであるのが見えた。引き出すと、古い新聞の切り抜きだった。折り目がすり切れるほど、何度も開かれた跡があった。3年前の地方紙の記事だった。「地元運送会社の挑戦」という見出しの下に、親指の先ほどの小さな白黒写真が乗っていた。倉庫の前で腕を組む俺は、豆粒みたいで顔もよく分からない。児童養護施設で育った社長、という切り口で、創業の経緯と会社の理念を紹介する小さな記事だ。記事の中の一文に、赤鉛筆で線が引いてあった。「荷物だけじゃなく、誰かの明日を運ぶ」。その一行にだけ、何重にも線が引いてあった。

「知ってたのかよ。」声が勝手に漏れた。知っていたのだ。おっちゃんは、俺が峠一つ向こうの町で運送屋をやっていることを、あの夜の言葉を看板に掲げて走っていることを、知っていて。この、すり切れるまで読み返した切り抜きを、日よけに挟んで、毎日眺めて。それでも、会いに来なかったのだ。「どうしてだよ。20年も探したんだ。電話帳のこの欄を、何度なぞったと思ってるんだ。会いに来てくれれば、いつだって…」

「社長。」気がつくと、北村が横に立っていた。俺は切り抜きを元通り、日よけに挟んだ。泣くのは後だ。今日はまだ、やることがある。ダンボールと新聞紙の包みを、全部1号車の荷台に積み替えた。重いものを下に。壊れ物を奥に。ロープをかけて、毛布で包んだ。おっちゃんの荷物だ。指の先まで、丁寧にやった。積み終えたトラックを、浜口さんが一目見て言った。「いい積み方だ。行ってこい。こっちは任せろ。」浜口さんは軽トラックの運転席に乗り込みかけて、一度止まり、トラックをもう一度見た。「行く。この人の軽トラックはよ、倉庫の隅に置くんじゃねえぞ。屋根のある、一番いい場所に止めろ。」「はい。」「それとな、配達が済んだら、ちゃんと寝ろ。お前が倒れたら、誰がこの人に恩を返すんだ。」最後だけ、少し笑っていた。叶わないな、と思った。浜口さんが軽トラックを会社まで運んでくれることになった。北村が、当たり前の顔で1号車の助手席に乗り込んできた。「俺も行かせてください。積み下ろし、あるでしょ?」「休みだぞ。」「社長こそ、徹夜でしょう。」それに、北村は少し口ごもってから言った。「『現場を忘れたら顔向けできない人』って、この荷物の人なんすよね。なら、俺も現場にいたいっす。」生意気な口だったが、ありがたかった。浜口さんの軽トラックを見送ってから、1号車は昼過ぎの峠道を登っていった。夕べ、おっちゃんを乗せて下った道を、今度はおっちゃんの荷物を乗せて登る。

その道中、俺は北村に初めて、あの夜の話をした。12歳の雨の夜のこと。毛布とアンパンのこと。「トラックはな、荷物だけ運ぶんじゃねえ」という言葉のこと。北村は最後まで黙って聞いていた。それから、前を向いたまま言った。「うちの理念、そういう意味だったんすね。俺、就活の時、あの一行を見て決めたんすよ。かっこつけた標語だと思ってたけど、本物じゃないすか。」「本物だよ。俺じゃなくて、本物の人の言葉だからな。」話が終わっても、北村はしばらく窓の外を向いて、目をこすっていた。

峠を超えると、道はさらに細くなった。ガードレールの向こうに、冬枯れの谷が見えた。カーナビの案内が途切れて、手帳に書いてあった道順だけが頼りになった。曲がり角の目印は、赤い屋根の家。廃バスの先を右。おっちゃんの字は癖が強いのに、読みやすかった。何十年も伝票を書いてきた人の字だった。「社長、この道、配達先としては正直きついっすね。」「ああ、きつい。だから、通い続けた人がいるんだよ。毎年、この道を。」北村はそれきり黙った。みぞれの上がった空が、山の端で銀色に光っていた。荷台の荷物は、ロープの一本まで緩んでいなかった。その空から、時々日が差した。濡れた路面が光った。20年前、おっちゃんのトラックの助手席から見た朝の道も、こんな風に光っていた。あの日は、おっちゃんが俺の明日を運んでくれた。ハンドルを握りながら、俺は小さく呟いた。「今度は、俺が走る番だ。」

星の子学園は、峠を超えた先の、さらに山道を登った突き当たりにあった。古い木造の建物で、屋根のペンキがところどころ剥げていた。庭に、手作りらしいブランコが2つ。玄関の上に、色とりどりの飾りが揺れていた。飾りは、雨に濡れないようビニールで丁寧に覆ってあった。山道を登り着いたのは、会の始まりを過ぎた午後2時半だった。トラックの音が聞こえたのだろう。建物の窓に、ぱっと小さな顔がいくつも並んだ。窓越しに、くぐもった歓声が聞こえた。「おっちゃん来た!」「おっちゃんだ!」「トラックが来た!」胸が締めつけられた。俺は1号車を止めて、運転席を降りた。窓の歓声が、すっと消えた。降りてきたのが知らない男2人だったからだ。玄関から、年配の女性が早足で出てきた。電話の声の人だと、すぐに分かった。園長の青木里子さん。白髪を一つに束ねた、小柄な人だった。「社代運送の社代さん。」「はい。遅くなりました。」俺は深く頭を下げて、荷台のシートを外した。玄関に、子供たちが集まってきていた。12人いると電話で聞いていた。上は中学生から、下は3つか4つの子まで。みんな、俺とトラックを交互に見て、不安そうに黙っていた。誰かが後ろの方で、「おっちゃん、わっ」と小さく言うのが聞こえた。一番前の男の子が、消え入りそうな声で聞いた。「おっちゃんは?」俺はしゃがんで、その子と目の高さを合わせた。ごまかそうかと、一瞬思った。だが、やめた。この子たちは、大人の嘘を見抜く目を持っている。俺がそうだったから、分かる。「おっちゃんは、今、病院にいます。夕べ、病気で倒れました。今、頑張って直しているところです。」子供たちの顔が曇った。泣き出しそうな子もいた。俺はゆっくり続けた。「でも、約束の荷物は、預かってきました。おっちゃんが倒れる直前まで、みんなに届けようとしていた荷物です。おっちゃんは、荷物を運ぶプロです。俺は、そのお弟子さんです。だから、安心して受け取ってください。」「お弟子さん…」と誰かが繰り返した。子供たちの目が、少しだけ柔らいだ。

北村と2人で、ダンボールを玄関のホールに運び込んだ。ホールには、クリスマス会の飾り付けがしてあった。折り紙の星、綿の雪、手作りのリース。壁には、子供たちの描いた絵が張ってあった。軽トラックの絵が、何枚もあった。荷台に山ほどの箱を積んだ、白い軽トラックの絵だ。運転席には、決まって眉の太い顔が描いてあった。プレゼントの時間だけを最後に残して、先生たちは会を進めて待っていてくれたのだった。箱の張り紙を頼りに、俺は一人ずつ名前を呼んだ。「たける君。恐竜が好きなたける君。」「はい!」7歳くらいの男の子が飛び出してきた。箱から恐竜のフィギュアの包みを出して渡すと、たける君は目を丸くした。「なんで、俺の好きなの分かったの?」「おっちゃんが、ちゃんと覚えてたんだよ。みんなの好きなものを、全部。」たける君は包みを抱きしめて、下を向いた。肩が小さく震えていた。「みそらちゃん。動物の絵本のみそらちゃん。」「はい。」5歳のみそらちゃんは、絵本の包みを受け取ると、両手でぎゅっと抱えて、それから俺の顔をじっと見上げた。「お兄ちゃんは、サンタさんのお手伝いの人?」俺は少しだけ言葉に詰まって、答えた。「はい。20年前から、お手伝いしてます。」ゆうと君には青いブロックを、中学生の子には図鑑と筆箱を。一人ずつ、全員に渡した。名前を呼ばれるたび、子供たちは背筋を伸ばして、両手で受け取った。受け取り方が、みんな丁寧だった。物をもらうことの重さを知っている、この受け取り方だった。子供たちは、泣きながら笑っていた。

ホールの隅で、先生の一人が携帯電話を構えて、その様子を動画に撮り始めた。後で聞くと、青木園長の発案だった。「おっちゃんが目を覚ました時に、見せてあげてほしい」と。包みを抱えて泣く子。早速床に広げて遊び出す子。年上の子が、年下の子の包みを開けるのを手伝ってやっている。先生たちは、目を押さえていた。最後に、中学生の女の子がホールの隅の俺のところへ来て、ぺこりと頭を下げた。「あの、おっちゃんに伝えてください。ちゃんと届いたよって。あと、荷物はいいから、早く元気になってって。」「必ず伝えます。」それから、会の最後に、子供たちは歌を歌った。「赤鼻のトナカイ」だった。あの年長の女の子が、ピアノを弾いた。先生が「病院のおっちゃんに聞かせる分も」と言うと、子供たちは息を吸い込んで、2回目を1回目より大きな声で歌った。携帯電話のマイクに向かって、全員で。その歌声の中で、俺はふと思った。おっちゃんは、この声を毎年もらい続けてきたのか。いや、違うな。届け続けて、もらい続けてきたのだ。運送というのは、つくづく一方通行じゃない。「荷物はいいから」と、この子たちも同じことを言うのか。俺は天井を見上げて、瞬きをこらえた。その光景を、俺はホールの隅で見ていた。20年前の俺が、そこにいた。新聞紙の包みを抱えて泣いていた。12歳の俺が、何人もそこにいた。隣に立った北村が、鼻をすすった。半袖を貸してやろうかと思ったら、俺の目からも落ちていた。慌てて拭った。今日は泣きに来たんじゃない。届けに来たのだ。それでも、涙というのは荷物と違って、時間を守ってくれない。

会が終わって、青木園長が応接室でお茶を出してくれた。古いストーブが、ことこと音を立てていた。北村は子供たちに捕まって、ホールでブロックの相手をさせられていた。園長は湯のみを両手で包んで、ぽつりぽつりと話してくれた。「徳倉さんはね、この学園の卒園生なんですよ。」湯のみを持つ手が、止まった。「50年も前のことです。親御さんの顔を知らずに、ここで育って、18で出て行かれた。トラックの運転手になって、ご自分の会社を持った年の12月に、突然、大きな箱を抱えて訪ねてこられたんです。『サンタの代打だ』って。怖い顔で、照れ臭そうに。」「サンタの代打」。面会室で聞いた言葉だった。俺は湯のみを置いた。置かないと、こぼしそうだった。おっちゃんが施設の出身。初めて聞く話だった。「家族はいない」としか、俺は知らなかった。あの人は、自分のことを最後まで語らない人だった。けれど、これで全部繋がった。雨の夜、捨てられた子供を見て、あの人が素通りできるはずがなかったのだ。あれは通りすがりの親切なんかじゃなかった。あの人は、あの雨の中に、昔の自分を見たのだ。翼学園に来るたび、小さい子たちに飴を配っていた横顔を思い出した。「怖い顔の飴屋さん」。あの人にとって、施設の玄関は、帰ってきた場所だったのかもしれない。

「それから、毎年です。ご商売が大変になって、来られなくなった年もありました。それでも、8年前にこの町へ越して来られてからは、また毎年。お礼を言うたびに、あの人は決まってこう言うんです。『わしは、もらいっぱなしだからよ』って。」「もらいっぱなし?違う。あんたは、あげっぱなしの人だ。」俺は膝の上で拳を握った。「うちみたいな山の上の施設はね、社代さん、世の中から忘れられがちなんです。それでも、あの人だけは忘れずに、峠を超えてきてくれた。子供たちにとって、あの軽トラックの音は、ちゃんと自分たちを覚えていてくれる人がいるっていう証なんですよ。」ホールの壁の、軽トラックの絵を思い出した。目の奥が熱くなった。「本当はね、贈り物そのものより、覚えていてくれることが嬉しいんですよ。この子たちは、忘れられることに一番傷ついてきた子たちだから。」それは痛いほど分かった。俺もそうだったからだ。「徳倉さんはね、お茶を飲みながら、毎年同じ自慢話をなさるんです。」園長は少し笑った。目尻に涙を溜めたまま。「昔、雨の夜に子供を拾った。荷物を犠牲にして契約を切られたが、あれはわしの人生で一番の配達だった。あの坊主は、今にきっと、でっかいトラックの運転手になるって。3年前からは、新聞の切り抜きまで持ち歩いて。『本当になった。名前は言えんがな』って。切り抜きは大事そうに握ったまま、私たちには見せてくださらないの。それはもう、嬉しそうに。」こらえていたものが、決壊した。俺は応接室で、声を上げて泣いた。32歳、社員60人の会社の社長が、子供みたいに泣いた。園長は何も言わずに、湯のみに新しいお茶を足してくれた。ひとしきり泣いた俺に、園長は静かに言った。「あなたなんでしょう?あの雨の夜の坊主は。」俺は頷いた。それしかできなかった。「電話で『徳倉さんに教わった』と言われた時から、もしかしてと思っていました。『会いに行けばいいのに』って、私、何度も言ったんです。そのたびに、徳倉さん、首を横に振って。『会社を潰した男が、今更顔を出したら、あの子の重荷になる。あの子の看板に泥がつく』って。バカでしょ、あの人。」「はい。」俺は言った。涙で、声になっていなかった。

帰り際、園長は俺を呼び止めて、1号車の荷台に残った最後の包みを指差した。新聞紙に白い紐の、あの包みだ。張り紙はなかった。渡す相手が分からなくて、俺はそのまま持ってきていた。「徳倉さんはね、毎年、一つだけそういう包みを積んでくるんです。それで、誰にも渡さずに、また持って帰るの。一度だけ、聞いたことがあります。そうしたら、『昔、約束を破っちまった。その詫びの分だ』って。それは、きっとあなたの分ですよ。」俺は包みを両手で受け取った。新聞紙の、角の揃った折り目。20年前と同じ、荷物を扱う人の折り目だった。

3日後の朝、病院から電話が来た。意識がはっきり戻り、話もできるという。仕事が手につかなかったのを、悪くしておく。俺はその日の配車を浜口さんに任せて、夕方まで働き、日が暮れる頃、病院へ向かった。病室の前で、一度深呼吸をした。20年待った。あと数秒くらい、堪えるということはないはずなのに、ノックする手が震えた。ドアを開けると、おっちゃんはベッドの背を起こして、窓の外を見ていた。白髪が増えて、痩せて、点滴に繋がれていた。それでも、眉の太いその横顔は、記憶の中のおっちゃんのままだった。おっちゃんは俺に気づくと、不思議そうな顔をした。「あんたが、わしを運んでくれたってのは、看護師さんから聞いた。世話になったな。」覚えていないのだ。峠の夜は、意識がもうろうとしていた。それに、俺は看護師さんに頼んで、自分の名前を伏せてもらっていた。名乗るなら、自分の口で、と決めていたからだ。目の前の男が誰か、分かっていない。それでいい。最初から言うと決めていた言葉があった。20年間、何千回も頭の中で練習した挨拶があった。なのに、いざとなると出てこなかった。だから、俺は一番大事なことから言った。「20年前の11月の夜、雨の国道で、親戚に捨てられて、ぼろぼろだった子供を、トラックに乗せてくれましたよね。」おっちゃんの目が、ゆっくりと見開かれた。「『荷物より命だ』って、怒鳴ってくれましたよね。病院で、潰れたアンパンもくれましたよね。」「お前…」おっちゃんの唇が震えた。「あの時の、坊主か。」「はい。」俺は頭を下げた。「社代です。あの夜から20年かかりましたけど、今度は俺が、おっちゃんを運びました。」おっちゃんは口を半分開けたまま、動かなかった。瞬きを何度もして、俺の顔を頭のてっぺんから顎の先まで、何度も往復して見た。それから、急に何かを思い出したように、点滴の腕を跳ね上げた。「荷物!子供たちの荷物は!今日は何日だ?会は…」「届きました。」俺はおっちゃんの腕をそっと押さえた。「クリスマス会に、間に合いました。全員に渡してきました。名前の張り紙があったから、間違えずに渡せました。ちゃんと、子供たちが笑ってくれました。泣きながら、笑ってました。中学生の子から、伝言です。『ちゃんと届いたよ』って。『荷物はいいから、早く元気になって』って。」俺は携帯電話を出して、園の先生から送ってもらった動画を再生した。小さな画面の中で、子供たちが包みを抱えて笑い、歌を歌っていた。「赤鼻のトナカイ」の2回目の方だ。「おっちゃんに聞かせる分」と、先生が言っていた。おっちゃんは画面を両手で持って、食い入るように見た。音が割れるくらいの歌声が、静かな病室に響いた。おっちゃんは、俺の顔をじっと見た。そして、くしゃりと崩れた。太い眉が下がって、目からぼろぼろと涙がこぼれた。おっちゃんは、点滴の繋がった左手で顔を覆った。「そうか。届いたか。すまねえ。すまねえな、陸。」しばらく、2人とも黙っていた。窓の外で、暮れていく空がゆっくり色を変えた。やがて、おっちゃんは手の甲で乱暴に顔を拭って、ぽつりと言った。「わしはな、大した運送屋じゃなかった。会社は潰した。でかくもできなかった。金も残せなかった。嫁もこいね。残ったのは、あのポンコツの軽トラック1台だ。」「違います。」言葉は、考えるより先に出た。「おっちゃんは、俺の命を運んでくれました。それだけじゃない。あの子たちの笑顔も、ずっと運んでたんです。」俺は、荷台を見た。「一人ずつの名前と、好きなものが書いてありました。毛玉を取ったぬいぐるみも、テープで直した絵本も、見ました。あんなに上等な荷物を運ぶ運送屋を、俺は他に知りません。」おっちゃんは、また泣いた。それから、泣きながら笑ったのだ。「そうか。わしのトラックも、少しは役に立ってたんだな。」「日本中の、誰のトラックよりもです。」

それから、俺はゆっくりと20年分の報告をした。翼学園を出て、高校を出て、大和田運輸で走ったこと。26歳で独立して、「1号車」と名付けた中古の2トンから始めたこと。夕べ、おっちゃんを乗せたのが、まさにその1号車だったこと。おっちゃんは目を閉じて聞いていた。時々、「うん、うん」と頷いた。まるで、配達の報告を受ける社長みたいな顔だった。「全部聞いたけどな、坊主。今日はもう、しまいだ。続きは、明日でいい。明日は、ちゃんと来るんだろ。」俺は頷いた。声が出なかったからだ。

俺は、園長から預かった包みを差し出した。「園長先生が、これは俺の分だって。」おっちゃんの顔が、みるみる赤くなった。「開けるな、バカ。それは、その…」俺は開けた。新聞紙の中から出てきたのは、白い2トントラックのミニカーだった。荷台の横に、手書きの小さな文字で「社代運送」と書いてあった。「いつ、描いたんですか?」「新聞で見た年だ。おもちゃ屋で、似たやつを探した。渡す資格はねえと思って、毎年、持ち帰ってた。」声が震えた。「なんで、会いに来てくれなかったんですか?俺、20年探したんですよ。電話帳のこの欄、何回もなぞったんですよ。徳倉運送の跡地にも、何回も行ったんですよ。」おっちゃんは、しばらく黙っていた。それから、窓の外を見て、白髪の頭を掻いた。「眩しかったんだよ、お前が。新聞のお前は、いい会社を作ってた。いい言葉を掲げてた。潰れた男が横に並んだら、お前の看板に泥がつくだろうが。」「バカです。」おっちゃんが、目を丸くした。俺は構わず続けた。「その言葉、俺に教えたのは、おっちゃんでしょう。俺の看板の言葉は、誰の言葉ですか?俺のトラックの原点は、誰のトラックですか?俺の会社は、半分、おっちゃんが作ったんです。泥なんかつくもんですか?」おっちゃんは何か言い返そうとして、やめて、ミニカーを節くれだった手で包んだ。その手は、20年分老けて、少し震えていた。それでも、世界で一番強くて、一番優しい手のままだった。

帰り際、俺は病室のドアの前で振り返った。「また、明日来ます。それと、退院したら、付き合ってもらいたい夜があるんです。」「なんだ、薪から棒に。」「注ぎたいビールがあるんです。開業の夜から、決めてあるやつが。」おっちゃんは怪訝な顔をしたが、俺は説明しなかった。その日のための話は、その日に取っておくものだ。廊下に出ると、詰所の看護師さんに呼び止められた。「徳倉さん、今日、ずっとそわそわなさってたんですよ。『命の先人が来るんだ』って。」「逆です。先人は、あの人の方です。」看護師さんは、ふふっと笑った。「お2人とも、同じことをおっしゃるんですね。」エレベーターの中で、俺は少し泣いた。悲しいことなんて、一つもないのに。

年が明けた。おっちゃんは、2ヶ月半の入院とリハビリを経て、春の初めに退院した。右手に少しだけ麻痺が残ったが、箸も持てるし、歩ける。医者は、「あの夜の発見が、あと少し遅かったら、こうは行かなかった」と何度も言った。退院の日、俺は病院の玄関に1号車をつけた。助手席のドアを開けると、おっちゃんは眉を寄せた。「タクシーみてえな真似すんな。バスで帰る。」「うちの会社は、大事な荷物ほど、社長が運ぶんです。彼が荷物だ。」文句を言いながら、おっちゃんは助手席に上がった。膝に畳んだ青い毛布を乗せてやると、それをしばらく見下ろして、また「バカ」と言った。「バカ」が、照れた時のおっちゃんの口癖だと、俺はもう知っていた。

おっちゃんには、うちの会社に来てもらうことにした。三山町の一人暮らしのアパートは引き払って、会社の近くに部屋を借りてもらった。運転は、医者とも相談して、もう卒業してもらった。その代わり、倉庫で若手に荷物の扱いを教えてもらう。「積み込みの神様が来た」と、社員たちはすぐに懐いた。北村なんて、休憩のたびにおっちゃんの隣に座って、あれこれ聞いている。「ボール1個でも、中身は人の暮らしだ。放り投げる奴は、トラックに乗る資格はねえ。」倉庫の隅から、その声が聞こえる。俺は事務所で一人で笑ってしまう。20年前に、物干し竿でロープを結んでいた俺に、教えてやりたい。「あの講釈は、いつかお前の会社の朝の風景になるぞ」と。叔父の家からは、あれから一度も連絡がない。会社が新聞に載った時も、何も言ってこなかった。それでいいと思っている。恨む気持ちは、いつの間にか消えていた。俺の毎日には、書きたい名前がもうちゃんとある。うちの倉庫に、毎朝あの人がいる。それが、全部だ。

そして春、うちの会社は新しい便を始めた。「おっちゃん便」。児童養護施設や病院の子供たち、事情のある家庭に、おもちゃや絵本、文房具、誕生日の景品を届ける、無料の配送だ。取引先に呼びかけたら、思ったより寄付が集まった。配達は、手の空いたドライバーが交代で走る。志願者は、いつも定員より多い。この名前を役員会で出した時、浜口さんは一言、「いいんじゃねえか」と言った。おっちゃんは猛烈に照れた。「やめろ、恥ずかしい。わしはただ、子供たちの顔が見たかっただけだ。」「だから、続ける価値があるんです。おっちゃんが一人でやってきたことを、今度は会社でやるんです。おっちゃんが倒れても、誰かが倒れても、必ず届く仕組みにするんです。それが、運送屋の恩返しです。」おっちゃんは「バカ」と言って、顔を背けた。耳が赤かった。

一つだけ白状しておく。おっちゃん便の伝票の隅には、小さな判子を押している。トラックの絵の中に、一言だけ入った判子だ。「荷物より命が先」。デザインを見せた時、おっちゃんは長いことそれを見ていた。それから、「バカ野郎」と言った。「バカ野郎」の言い方が「ありがとう」に聞こえるということを、俺はこの1年で覚えた。おっちゃん便の第1便は、もちろん星の子学園だった。しまってあったあの1000円と少しは、その第1便の絵本代に足させてもらった。「いつか誰かのために使え」。あの言いつけを、20年越しにやっと果たせた。麓の集落の買い物や通院の送り迎えも、うちの定期便が引き継いだ。あの犬を連れた奥さんは、月に一度、おっちゃんに漬け物を届けてくれる。

その日、おっちゃんも助手席に乗った。ダンボールには、春らしく進学用の文房具と絵本を詰めた。学園の玄関で、たける君が真っ先に飛びついてきて、おっちゃんは「おう」と言いながら、くしゃくしゃの顔で子供たちの頭を順に撫でて回った。帰り際、青木園長が深々と頭を下げて、それから俺に小さく言った。「徳倉さんの、あんないい顔、初めて見ました。」

約束のビールも、ちゃんと注いだ。退院した次の金曜の夜だった。俺のアパートで、母の写真と、会社から連れて帰った赤いミニカーと白いミニカーを並べた机で、俺は開業の夜に注ぐ練習だけしておいた2杯目を、ようやく本番で注いだ。おっちゃんは一口飲んで、「うめえな」とだけ言った。それで十分だった。

浜口さんとおっちゃんは、初対面のくせに妙に馬が合った。今では月に一度、2人で将棋をさしては、俺の運転の癖について文句で盛り上がっているらしい。北村は、大型免許の勉強を始めた。おっちゃん便の長距離は、いつか自分が走るのだそうだ。20年前の俺に、自慢してやりたい光景が、この1年でいくつも増えた。

そして、また12月が来た。クリスマス会の前日、1号車の荷台に、俺とおっちゃんはダンボールを積み込んだ。「重いものは下、壊れ物は奥」。箱の側面には、一人ずつの名前の張り紙。今年は、おっちゃんの字の隣に、俺の字もある。助手席にはおっちゃん、膝には青い毛布。峠道を登りながら、おっちゃんは窓の外を見ていた。夕べの雨で濡れた路面が、冬の日に光っていた。「運転、うまくなったな。」「おっちゃんに、教わりましたから。」「わしは、運転は教えてねえだろう。」「一番大事なとこを、教わりました。」おっちゃんは「ふん」と鼻を鳴らして、それきり黙った。横目にちらりと見えた横顔は、笑っていた。

学園に着くと、子供たちが飛び出してきた。「おっちゃんが来た!」今年の歓声は、途中で止まらなかった。みそらちゃんが一番に駆け寄ってきて、おっちゃんの足に抱きついた。それから、俺を見上げて言った。「サンタのお手伝いのお兄ちゃんも、来た。」おっちゃんが声をあげて笑った。俺も笑った。みそらちゃんはおっちゃんの手を引いて、それから俺の手も引いた。小さな手が、消えないように、俺は左手で包んでやった。「おっちゃんのトラックね。いい匂いがするの。日向の匂い。」毛布の匂いだ。俺は知っている。20年前から、知っている。荷台から箱を下ろす。おっちゃんが名前を呼んで、俺が手渡す。泣き笑いの子供たちの顔が、冬の日差しの中にあった。

帰り道、俺はハンドルを握りながら思った。母さん、あんたの言う通りだったよ。どんな夜の後にも、明日はちゃんと来た。雨の国道で終わるはずだった俺の明日を、一台のトラックが運んでくれた。その明日が積み重なって、今日になった。「荷物より命の方が大事だ」。でも、荷物の中にも、誰かの明日が入っている。だから、俺は今日もトラックに乗る。誰かの明日を積んで、走る。

うちの会社の、俺の書類には「緊急連絡先」という欄がある。俺はこの春から、そこに書く名前ができた。続柄の欄には、少し迷って、こう書いた。「先人」。書き直すつもりは、当分ない。いつか、もっとぴったりの言葉が見つかるまでは。隣の助手席では、先人がいびきをかき始めていた。青い毛布を、そっとかけ直した。俺の人生で一番大事な配達は、まだ続いている。

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