「奥様、お待ちしておりました」
その言葉の意味が、私には分からなかった。
2月の午後。北野町の商店街の一番奥にある古い質屋の店先。私は薄いコートのポケットに手を突っ込んだまま、木のカウンターの向こうから出てきた白髪の老人を見ていた。
私が台の上に置いたのは、細いプラチナの指輪一つ。飾りもない、質素な指輪。それを老眼鏡越しに覗き込んだ店主は、途中で手を止めた。ルーペを持つ指が震えていた。それから長椅子から立ち上がって、深々と頭を下げたのだ。
「奥様って……私、もう離婚していて」
そこまで言って、私は言葉に詰まった。店主はゆっくりと顔を上げた。目の縁が赤くなっていた。
「それでも、あの方は最後まであなたのことを奥様とお呼びになっておりました」
外で風が鳴った。店の奥から、古い匂いがした。
3年前、私は夫に捨てられた。そう思って生きてきた。この指輪は、その日に手のひらに押し込まれたものだ。この店の敷居をまたいだことが、あの3年の意味を丸ごとひっくり返すことになるなんて。この時の私はまだ知らなかった。
私の名前は森野。34歳。北町の駅から歩いて15分の緑荘という古いアパートに住んでいる。木造の2階建てで、階段を上がるたびにきしむ音がする。部屋は6畳と小さな台所だけ。家賃は4万2000円。それでも今の私には高い部屋だった。
3年前まで、私は相馬という名前だった。夫のせいだ。離婚してから旧姓に戻したので、今は森野に戻っている。役所で書類を出した時、担当の人が名前の欄を見ながら事務所に確認もした。あの時の何でもないという顔をよく覚えている。私にとっては人生がひっくり返った日だったのに、窓口の向こうではただの一件だった。
仕事は決まっていない。派遣の登録をして、スーパーの品出しや倉庫の仕分けを、決まっては切られ、決まっては切られを繰り返しながらやってきた。その契約も年末で切れて、今月はまだ1日も働けていない。
結婚していた4年間、私は幸せだったと思う。少なくとも幸せだと思って暮らしていた。夫の名前は相馬慎介と言った。私より2つ上で、口数の少ない人だった。
出会ったのは私が25歳の時だ。当時務めていたのは紙の箱を作る会社。その取引先に山根製作所という小さな会社があった。金属の部品を作っている会社で、慎介はそこの営業をしていた。
初めて会った時のことは覚えている。打ち合わせのために来た慎介は資料を落とした。床に書類が散らばって、私が拾おうとしたら慎介はもっと慌てて、2人で頭をぶつけた。
「すみません」
「いえ、こちらこそ」
「すみません」
同じことを2度言って、それきり黙ってしまった。営業には向いていない人だなと思ったけれど、その慎介は次の打ち合わせの時に、前回私が何気なく言ったことを覚えていた。うちの会社は箱の底の接着に時間がかかると、私は雑談のつもりで言ったのだ。慎介は自分の会社とは関係のない話なのに、接着の手間を減らす道具の資料を持ってきていた。
「これ、慎介さんのお仕事じゃないですよね」
「はい」
「じゃあ、どうして」
「困ってるって言ってたので」
それだけだった。それだけの人だった。1年後に付き合い始めて、その1年後に結婚した。私が27歳、慎介が29歳の時だ。
指輪を買いに行った日のことを、私は一番よく覚えている。大きな店には行かなかった。慎介が選んだのは、電車を乗り継いだ先にある小さな工房だった。年配の職人さんが1人でやっている店で、指輪ケースもガラス戸の中に2段あるだけ。
私が値札を見て、「これなら2人分でも大丈夫だね」と言うと、慎介は少しむっとした顔をした。
「値段で選ぶんじゃない」
「いや、悪い。そういう意味じゃない」
慎介は言い直した。慎介はいつも1度言ってから言い直す人だった。
「安いから選んだんじゃない。これが一番細くて丈夫だから選んだんだ」
職人さんが笑って、慎介の言う通りだと言った。太い指輪は見栄えがするけれど、毎日つけていると意外と邪魔になる。細くて丈夫なものを外さずにずっとつけている方がいい。そういう話だった。サイズを測って、内側に私のイニシャルを入れてもらった。受け取りは2週間後だと言われた。
帰りの電車で、慎介は窓の外を見たまま言った。
「これは、俺が人生で一番大事な人に渡す指輪だ」
私は思わず慎介の顔を見た。慎介は窓の方を向いたままだった。耳が赤かった。
結婚してからの暮らしは地味なものだった。慎介の給料も私の給料も多くはなかったし、旅行らしい旅行にも行っていない。新婚旅行は2泊3日で、慎介が学生の頃に何度か行ったという海辺の町に泊まっただけだ。潮見町という、町はずれの小さな町だったけれど、私は不満だと思ったことがない。
慎介は毎朝私より30分早く起きてコーヒーを入れた。豆から引く人で、その音で私は目を覚ますようになった。ゴリゴリという音がして、それからコーヒーの匂いがして、私が起きて行くと慎介はもうカップを2つ並べて待っている。
「自分の分だけでいいのに」
「1人で飲むと苦い」
そういう理屈になっていない返事をする人だった。私が残業続きで疲れて帰った日は、黙って夕飯ができていた。上手ではなかった。味噌汁の味が濃かったり、肉じゃがのじゃがいもが崩れていたりした。それでも慎介は自分から作ったとは言わない。私が台所を見て気づくまで、テレビを見ているふりをしている。私が風邪を引いて寝込んだ時も、慎介はお粥を作った。梅干を刻んで入れたお粥で、これも味が濃かった。私が半分残すと、慎介は何も言わずに残りを食べた。
「まずいでしょ?」
「うまい」
「嘘つき」
「薄いよりましだ」
この人となら、お金がなくても穏やかに暮らしていける。本気でそう思っていた。
慎介は自分の話をあまりしなかった。実家のことを聞いても、「親父は硬い人だ」とか「お袋は早くに亡くなった」とか、それくらいしか言わない。実家には結婚の挨拶に1度行っただけで、それも玄関先で30分だった。古い日本家屋の大きな家だった。門から玄関まで敷石が続いていて、私は間違ったところに来てしまったと思った。出てきたのは慎介のお父さんで、私を見ると値踏みするような目をした。それから慎介に何か低い声で言った。慎介は黙って聞いていた。お茶も出なかった。
帰り道、私は慎介に聞いた。
「私、何かまずいことした?」
「してない」
「じゃあ、何?」
「あの家のことは忘れていい」
慎介の声はいつもより硬かった。今にして思えば、あの時ちゃんと聞いていればよかったけれど、当時の私は家族の事情に立ち入らないことが優しさだと思っていた。
私の方の家族には、慎介は何度も会っている。父は私が大学生の時に亡くなって、母は九州で1人暮らしをしている。年金と近所の食堂の手伝いで暮らしている人だ。結婚の挨拶に行った時、母は慎介の前に出した湯飲みにこぼれるほどお茶を注いだ。緊張していたのだ。慎介はそれを一滴もこぼさずに飲んだ。帰りの飛行機で慎介は言った。
「いいお母さんだな」
「お茶、こぼれそうだったでしょ?」
「あれは嬉しい時の手だ」
私はその時、この人と結婚して良かったと本気で思った。人の手の震え方で気持ちを読むような男が、どうして自分のことになると何も言わないのか。その頃の私には分からなかった。
慎介の仕事ぶりを、私は取引先の立場から知っていた。慎介は売れる営業ではなかった。数字は毎年ギリギリだったと思う。それでも慎介を名指しで呼ぶ客が何人かあった。理由は簡単で、慎介は自分の会社が損する話でも同じ顔で持ってくるからだ。
「うちで作るより、よそに頼んだ方が安く済みます」
そういうことを平気で言う。上司には叱られていたらしい。私が一度「それでいいの?」と聞いたら、慎介は肩をすくめた。
「嘘をつくと、覚えていられない」
「覚えてないと困るの?」
「困る。俺は頭が良くないから」
そういう理屈で正直をやっている人だった。
贅沢はできなかった。その代わりに、私たちは2人だけの決まり事をいくつも作った。給料日の翌日は駅前の中華屋で餃子を食べる。週末の午前中は掃除をして、午後は近所の川沿いを歩く。誕生日には高いものを買わずに手紙を書く。それが私たちの決まりだった。
慎介の手紙はいつも短かった。3行か4行しかない。「今年もありがとう。来年もよろしく。体に気をつけて」。そんなことしか書いていない。私が「もっと何か書いてよ」と文句を言うと、慎介は困った顔をした。
「書くとうまく言えないから」
「じゃあ、言って」
「言うのも、うまく言えない」
私は笑った。そういう人だと分かって結婚したのだ。
結婚して3年目の夏、私たちは子供のことを話した。2人とも欲しかったけれど、なかなかできなかった。病院で調べてもらって、「すぐにどうこうという話ではない」と言われて、「じゃあ気長に行こう」ということになった。慎介はその時珍しく私の手を握った。
「2人でも、俺は十分だ」
「私も」
そう答えたのは本当だった。少なくともその時は本当だった。子供がいなかったのは、多分幸いだった。あの3年を子供と一緒に食いつぐのは、多分無理だった。苦しむのが自分だけで済んだのは、運が良かったのだ。
指輪は毎日つけていた。細くて丈夫だから外さなくていいと言われた通り、私は皿を洗う時も外さなかった。3年もすると内側の光が鈍って、イニシャルの彫りに指の油が溜まるようになった。それが少し寂しくて、私は一度慎介に見せたことがある。
「ここ、くすんできた」
「どれだ?」
「内側、私の名前のところ」
慎介は私の指から指輪を抜いて、蛍光灯にかざした。しばらく黙って見ていた。
「これ、彫り直してもらえるのかな?」
「できるはずだ」
「じゃあ、いつか」
慎介は指輪を私の指に戻した。戻す時、いつもより長く私の手を握っていた。その時は何とも思わなかった。ただ手が暖かいなと思っただけだった。
慎介の様子がおかしくなったのは、結婚して4年目の春だった。きっかけはお父さんの訃報だ。夜の10時頃に慎介の携帯が鳴って、慎介は玄関の外に出て話した。戻ってきた時の顔が、それまで見たことのない顔だった。
「どうしたの?」
「親父が死んだ」
「え、先週?」
「今日、焼いたらしい」
私は言葉が出なかった。先週亡くなって、その日に火葬をした。その知らせも慎介のところには来ていなかったということだ。
「どうして今頃……向こうにも色々あるんだろう」
慎介はそれだけ言って風呂に入ってしまった。葬式には行かなかった。もう終わっているから用がなかった。慎介は次の日も普段通りに起きて、私が何か言おうとすると先に言った。
「いつも通りでいい」
その日から、慎介は少しずつ変わっていった。最初に気づいたのは電話だ。夜中に慎介の携帯が鳴るようになった。慎介は寝室を出て、廊下や玄関で話す。声は低くて内容は聞こえない。10分か15分で戻ってきて、何もなかったように布団に入る。
「誰から?」
「仕事」
夜中の2時に仕事の電話は来ない。私はそう思ったけれど、口には出さなかった。
次に気づいたのは封筒だ。洗濯物を片付けていた時、慎介の鞄の口から白い封筒が覗いていた。病院の名前が印刷されていた。私は見なかったことにした。慎介が自分から言うのを待とうと思ったのだけれど、1週間経っても慎介は何も言わなかった。
その頃、郵便受けに慎介宛ての厚い封筒が届くようになった。差出人は法律事務所だった。私は中身を見ていない。見なかったというより、見てはいけないものだと思った。慎介はその封筒をいつも自分で取って、そのまま自分の鞄に入れた。一度だけ、玄関のゴミ袋の口から破られた封筒の切れ端が出ているのを見たことがある。慎介が細かく破いて捨てたのだ。私はそれを見なかったふりをして、ゴミ袋の口を縛った。
その週の休みの日、私が買い物から帰ると、慎介が押入れの前に座っていた。古いアルバムを開いていた。私が実家から持ってきた、私たちの結婚式の写真が入っているアルバムだ。式はあげていないから、アルバムに入っているのは市役所の前で撮った1枚と、母と3人で食事をした時のものだけだ。私が声をかけると、慎介はゆっくりとアルバムを閉じた。
「どうしたの?急に」
「たまにはいいだろ」
「たまにって、そういうの見る人じゃないでしょ」
「そうだな」
慎介はアルバムを押入れに戻した。それから押入れの前に座ったまま、こんなことを聞いた。
「あや、お前も1人になったらどうする?」
私はスーパーの袋を持ったまま立ち止まった。
「何それ?」
「いや、仮の話だ」
「1人になったら、どういう意味?」
「そのままの意味だ」
私は袋を床に置いて、慎介の前に座った。
「そんなの、考えたことない」
「考えといた方がいい」
「なんで?」
「人は、いつどうなるか分からないから」
その時、私は笑ってしまった。笑って慎介の肩を軽く叩いた。
「大丈夫だよ。私、しぶといから」
慎介は私の顔をじっと見ていた。それから小さく頷いた。
「そうだな。お前はしぶといな」
頷いたきり、慎介はしばらく押入れの戸に手を置いていた。閉めるでもなく開けるでもなく、ただ置いていた。
その頃から体重が減っていった。夏になる頃にはベルトの穴が2つ内側になっていた。ご飯の量も減った。私が心配して聞くと、慎介は笑ってごまかした。
「夏だ」
「病院行った?」
「行った。なんともない」
その笑い方が、私は嫌だった。慎介は笑い方が下手な人で、無理に笑うとすぐ分かる。目が笑っていないというより、目が私を見ていない。
秋になる頃、慎介は会社を休むようになった。月に2日か3日、決まったように休む。休んだ日は昼間どこかへ出かけて、夕方に帰ってくる。1度後をつけようとしたことがある。その日は私も休みだった。慎介が朝の8時に家を出るのを、私はカーテンの隙間から見ていた。慎介はいつもの鞄を持っていた。仕事に行く格好だった。会社はやめていないと思っていたから、私は不思議に思わなかった。ただ行き先を知りたかった。
私は少し遅れて家を出た。駅までの道で慎介の背中が見えた。私は距離を取って歩いた。慎介は改札を通ってホームに上がった。私も切符を買って隣の車両に乗った。心臓が痛かった。夫を尾行している自分が惨めでたまらなかった。
3つ目の駅で慎介は降りた。私も降りた。降りて階段のところで、足が止まった。慎介がこちらを見ていたからだ。見ていたというより、人の流れを見ていた。誰かを探すような目だった。私は柱の影に入った。慎介は数秒そうしてから、改札の方へ歩いていった。私は追わなかった。追えなかったという方が正しい。あの目が怖かったのだ。慎介は誰かを探していたのではなくて、誰にも見られていないことを確かめていたのだと、今思えば分かる。
私はそのままホームで20分待って、下りの電車に乗って帰った。
慎介は出かけから帰ってきた日は、必ず夕飯を作っていた。前より丁寧なものを作るようになっていた。味噌汁も薄くなった。
「味、変わったね」
「言っただろ」
「言ってたけど、急に直すのに時間がかかっただけだ」
10月の終わりに、慎介が急に言い出したことがある。
「潮見町、行くか」
私は洗い物の手を止めた。潮見町は新婚旅行で2泊した海の町だ。あれ以来1度も行っていない。
「急にどうしたの?」
「たまにはいいだろう」
「いいけど、来月?」
私は嬉しくなって、その日のうちに宿を調べた。安い民宿が1件あって、2人で1泊1万2000円だった。慎介に見せると「いいな」と言ったけれど、その3日後に慎介は言った。
「やっぱりやめよう」
「なんで?」
「仕事がちょっと」
「じゃあ、来年の春でもいいよ」
「そうだな」
慎介はそう言って、それきりその話をしなかった。私は少しがっかりして、すぐに忘れた。旅行の話が流れるのは、うちではよくあることだったからだ。
その週の夕飯の途中で、私は言った。何かがおかしいとはっきり思ったのは、その時だった。
「ねえ、何かあるなら言って」
「何もない」
「ないわけないでしょ」
「何もないんだ」
慎介は同じ言葉を繰り返した。声が少し大きくなって、それから自分で驚いた顔をした。すぐに謝った。
「疲れてるだけだ」
その夜、私は眠れなかった。隣で慎介も眠れずにいるのが、息の仕方で分かった。夫が何を抱えているのか知りたくて。でも、聞いても言わないのが分かっていたから、私は寝たふりをして待っていた。
夜中の2時を過ぎた頃、慎介が身じろぎした。それから、ほとんど声にならない声で言った。
「ごめんな」
私は目を開けなかった。
「俺がそばにいたら、お前まで壊れる」
私は息を止めた。慎介の指が布団の上からそっと私の肩に触れた。触れてすぐに離れた。それだけだった。
「壊れる」と慎介は言った。何が壊れるのか、誰が壊すのか。暗い天井を見ながら、私はその2つを何度も繰り返した。答えは出なかった。
朝になって、私は普通に起きた。コーヒーの音がして、台所に慎介がいた。
「おはよう」
「ああ」
いつもと同じだった。カップが2つ並んでいて、慎介は椅子に座って新聞を広げていた。私は前の夜の言葉を口にできなかった。「壊れるってどういうことなの」と聞けば、慎介はきっと「何でもない」という。「何でもない」と言われたら、私はそれ以上どうすることもできない。そう思って黙ってしまった。
その1ヶ月後、慎介は離婚を切り出した。12月の初めだった。その日は私の休みで、昼まで寝ていた。起きたら慎介は出かけていて、夕方に帰ってきた。手ぶらだった。慎介はコートも脱がずに茶箪笥の前に座った。それからずっと下を向いたまま言った。
「離婚してくれ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「え、離婚?」
「したい」
「冗談でしょ」
「本気だ」
私は笑おうとして笑えなかった。慎介の膝の上で両手がきつく握られていた。指の関節が白くなっていた。
「どうして?私、何かした?」
「してない」
「じゃあ、何?」
「お前は何もしてない」
「答えになってない」
私は声を上げた。結婚してから慎介に向かって声を上げたのは初めてだった。慎介は顔を上げなかった。
「他に好きな人ができたの?」
「そうなの?」
「そう思ってくれていい?」
その言い方に、私はカッとなった。はっきり「違う」と言うでもなく、「そうだ」と認めるでもない。逃げ道を作ったまま、私に勝手に嫌ってくれと言っている。そう聞こえた。
「ずるいよ」
「ああ」
「ずるいって言ってるの?」
「そうだな」
慎介は認めるだけだった。何を言っても、慎介は頷いてそれきり黙る。壁に向かって話しているのと同じだった。
その日から2週間、私たちは同じ部屋で暮らした。私は毎日聞いた。慎介は毎日答えなかった。ご飯は相変わらず慎介が作った。私は食べたり食べなかったりした。慎介は夜、リビングに布団を敷いて寝るようになった。私は寝室で1人で泣いた。壁が薄いから、慎介にも聞こえていたはずだ。それでも慎介は1度も来なかった。
3日目に、私は慎介の携帯を見ようとした。慎介が風呂に入っている間に、充電器につながれた携帯を手に取った。ロックがかかっていた。私は誕生日を入れてみた。違った。結婚記念日を入れてみた。それも違った。3回目で手が止まった。私は何をしているんだろうと思った。夫の携帯を盗み見て、浮気の証拠が出てきたら、それで何が解決するのか。慎介が「はい、そうです」と言ってくれたら、私は納得して離婚できるのか?そんなわけがなかった。私はただ理由が欲しかっただけだ。捨てられる理由さえあれば、この痛みに名前がつくと思っていた。
携帯を元に戻して、私は台所で水を飲んだ。手が震えていた。
5日目の夜中に目が覚めた。台所の明かりがついていた。私は寝室の戸を細く開けて、そこから見た。慎介が茶箪笥に向かっていた。背中を丸めて、何かを書いている。私は最初、それを離婚に関する書類だと思った。財産の分け方とか、そういうことを書いているのだろうと。慎介は何度も手を止めた。書いては少し考えて、また書く。それから紙をくしゃくしゃに丸めて脇に置いた。丸めた紙はもう3つも4つも転がっていた。30分ほど見ていたけれど、慎介は最後まで書き上げなかった。やがて明かりを消して、リビングの布団に戻った。
朝、私は台所を見た。ゴミ箱に丸めた紙が入っていた。私はそれを広げなかった。広げようとして手が止まったのだ。書き損じを人に見られるのは、慎介が一番嫌がることだと思った。離婚しようとしている相手にまで、私はそんな気を使っていた。けれど、あの時広げても、多分何も書いていなかったと思う。あの人は書けなかったから丸めていたのだと思う。
6日目に、私は母に電話をかけようとした。番号を出して、通話のボタンの手前で止まった。離婚するとはまだ言っていなかった。言えばきっと母は九州から出てくる。飛行機代を出して、うちの狭い部屋に泊まって、慎介に頭を下げさせようとする。母はそういう人だ。そして慎介は母にも本当のことを言わない。私はそれが分かっていた。私は携帯を伏せた。その夜、母から着信があった。私は出なかった。出たら泣くと思った。折り返しもしなかった。母には離婚届を出した後に手紙で知らせた。母は電話をかけてきて、一言も責めなかった。ただ「ご飯食べてるの」と聞いた。
1週間目に、私は謝ってみた。
「私が悪いなら直すから」
「悪くない」
「じゃあ、何が足りないの?教えて」
「足りないものなんかない」
「じゃあ、どうして?」
慎介は答えなかった。ただ、その時初めて慎介の目が濡れているのを見た。慎介はすぐに顔を背けた。台所に立って、水道の水を出した。何かを洗うふりをしていた。私はその背中を見ていた。背中が痩せていた。結婚した時はもう少し肩の肉があった。私はそれをその時になってようやく正面から受け止めた。
4日目に、私はとうとう一番聞きたかったことを聞いた。夕飯の後だった。慎介が食器を洗っていて、私はその背中に向かって言った。
「病院の封筒、見た」
水の音が止まった。
「夏に、あなたの鞄から出てた」
慎介は振り向かなかった。
「病気なの?」
「違う」
「じゃあ、何?」
「健康診断だ」
「健康診断の封筒を隠す人がいる?」
「隠してない」
「隠してたじゃない」
慎介は蛇口を閉めた。手を拭いて、こちらを向いた。あやの顔は驚くほど普通だった。
「本当に何もない」
その顔が私を黙らせた。もし慎介が動揺していたら、私は食い下がっただろう。声を荒げたり、目をそらしたりしたら、私はそこをついた。けれど慎介はまっすぐ私を見て「何もない」と言った。今思えば、あの1年で慎介が一番練習したのはあの顔だったのだと思う。
私は俯いた。
「分かった。悪い」
「何が」
「いや」
慎介はそれきり黙って食器を拭いた。その夜、私は寝室で自分の頬を叩いた。信じたふりをするのはこれで何度目だろうと思った。
10日目に、慎介の会社の上司から電話がかかってきた。私が出た。慎介がもう会社を辞めていることを、私はその時知った。
「やめた?」
上司の人は慌てて言葉を濁した。それから「失礼しました」と言って電話を切った。
慎介が帰ってきた時、私は玄関で待っていた。
「会社、やめたの?」
「ああ」
「いつ?」
「先月」
「毎朝、どこ行ってたの?」
「色々だ」
「答えて」
慎介は靴を脱いで上がって、私の横をすり抜けた。私は慎介の腕を掴んだ。慎介は振り払わなかった。ただ立ち止まって、私の方を見ないまま言った。
「あや」
名前を呼ばれたのは久しぶりだった。
「頼むから、聞かないでくれ」
その声があまりにも疲れていた。私は手を離した。
話すしかなかった。その夜、私は左手の指輪を外した。外して洗面所の棚の上に置いた。慎介への意地だった。あなたがそうするなら、私もこうするという、子供みたいな意地だ。慎介が気づいて何か言えばいい。そう思っていた。慎介は何も言わなかったけれど、翌朝洗面所に行くと、指輪の置き場所が少しずれていた。私が置いたのは棚の手前だった。それが奥のコップの影に移っていた。落ちないように、誰かが動かしたのだ。私はそれを見て、その場でしゃがみ込んだ。この時、私は慎介が指輪をどうしているのか確かめていない。慎介の左手を、私はもう見ないようにしていた。見たら何かが壊れると分かっていたからだ。
2週間目の夜、私は離婚届に判を押した。押しながら、私は自分に言い聞かせていた。これは慎介への当て付けだと。「ここまでするのか」と慎介が慌てて本当のことを言うかもしれないと。そんなことにはならなかった。慎介は判の押された紙をしばらく見ていた。見ている時間が少し長かった。指が紙の端をなぞって、それから離れた。私はその一瞬に望みをかけた。今この人が顔を上げて「待ってくれ」と言えば、私は全部なかったことにする。そう思っていた。
慎介は顔を上げて、「ありがとう」と言った。
「ありがとうって、何?」
「悪かった」
「そういうことじゃなくて」
「明日、出してくる」
それで終わりだった。
離婚届を出したのは、翌年の3月10日だった。12月に判を押してから、実際に届けを出すまでに3ヶ月かかった。慎介がすぐには出さなかったからだ。理由は分からない。私が引っ越し先を決めるまで待っていたのかもしれないし、慎介の方にも何か事情があったのかもしれない。
その3ヶ月、私たちは他人のように暮らした。会話はゴミの日、電気代の引き落としの話だけになった。おはようもおやすみも言わなくなった。それでも慎介は毎朝コーヒーを入れた。カップは2つ並べたままだった。私はそれを飲んだ。飲まないでいる方が負けのような気がしたからだ。
年が開けて1月の半ばに、慎介が1度だけ長く家を開けた。朝出て、帰ってきたのは次の日の昼だった。どこへ行っていたのかは聞かなかった。慎介の靴が乾いた白い泥で汚れていた。海の砂のような色だった。私は玄関でその靴を見て、何も言わずに新聞紙を敷いた。
2月に入って、慎介は不動産屋の名前が入った封筒を持って帰った。私が引っ越し先を探していた頃だ。中を見せてはくれなかった。ただ、その夜に慎介はこう言った。
「保証人を使わなくていい部屋を探せ」
「なんで?」
「その方が後々いい」
「意味が分からない」
「いいから、そうしろ」
私は反発した。反発したけれど、結局その通りの部屋を選んだ。緑荘がそうだったのは偶然ではない。あの時慎介が言ったことが頭の隅に残っていたからだ。
3月10日の朝、慎介は先にアパートを出た。私は自分の荷物をまとめていた。ダンボールが7つと布団袋が1つ。4年分の暮らしはそれだけだった。昼過ぎに慎介が戻ってきた。手ぶらに見えた。役所の受付印の押された控えは、慎介の鞄の中だったのだと思う。
「出してきた」
「そう」
それだけの会話だった。私は最後にもう1度だけ部屋を見回した。慎介が毎朝コーヒーを入れていた台所。2人で餃子を食べた茶箪笥。私が泣いた寝室。全部、これでおしまいだった。
玄関で靴を履いていると、慎介が後ろに立った。
「あや」
振り返ると、慎介が手を出していた。
「これ」
慎介の手のひらに指輪があった。私が12月に外して洗面所に置いたままにしていた結婚指輪だ。私は受け取らなかった。
「いらない」
「持っていけ」
「いらないって言ってるでしょ」
慎介は私の手首を掴んだ。強い力だった。慎介が私に力を使ったのは、後にも先にもその時だけだ。慎介は私の手のひらを開かせて、そこに指輪を押し付けた。そして私の指を上から包むように握らせた。
「生活しろ」
私は慎介の顔を見た。慎介はまっすぐ私を見ていた。それまでの3ヶ月、1度も合わせなかった目を、その時だけ合わせていた。
「本気で言ってるの?」
「もう、俺には必要ない」
「これ、あなたが」
「2度と俺を探すな」
「慎介さん」
「俺のことを忘れて。それで生きていけ」
私の中で何かが切れた。私は指輪を持ったまま、慎介の胸を押した。強くはなかった。慎介はよろけなかった。
「最低」
「ああ」
「あんたなんか、大嫌い」
「それでいい」
私は玄関を出た。振り返らなかった。階段を降りて、道に出て、角を曲がるまで、私は1度も振り返らなかった。振り返ったら泣くと思ったからだ。だから、その時私は見ていない。慎介がどんな顔で立っていたのかも、いつ玄関を閉めたのかも、私は知らない。
1つだけ覚えていることがある。私の手のひらに指輪を押し付けた時、慎介の手はかすかに震えていた。その時の私は、怒りで震えているのだと思っていた。
離婚の時、私は慰謝料をもらわなかった。もらう気もなかった。その家に4年分の暮らししかないことを、私が一番よく知っていたからだ。
新しい生活は、思っていたより早く行き詰まった。まず家が見つからなかった。離婚が決まってから、私は2月に入って部屋を探し始めた。勤め先はまだあって正社員ではあったけれど、貯金がほとんどなかった。不動産屋を3軒回って、4件目でようやく見つかったのが緑荘だった。築40年の木造アパートで、駅から歩いて15分。日当たりは悪いけれど、家賃が4万2000円で、保証会社を使わなくていいのが決め手だった。
緑荘で過ごした最初の夜のことを、私はよく覚えている。段ボールを開ける気力がなくて、私は布団だけ敷いて横になった。天井に染みがあった。台所の蛇口が、閉めてもポタポタと落ちる音を立てていた。隣の部屋のテレビの音が壁越しに聞こえた。バラエティ番組の笑い声だった。私はその笑い声を朝まで聞いていた。眠れなかったのは悲しかったからではない。悲しむための場所がまだ見つかっていなかったからだ。この部屋は、私が泣いていい部屋なのかどうか分からなかった。
朝になって、私は近所のコンビニでおにぎりを買って部屋で食べた。食べ終わって、私は畳の上に横になって、そのまま泣いた。
大家さんは1階に住んでいるおばあさんだった。風さんという。当時75歳で、腰が曲がっていて、いつも紺色のエプロンをつけていた。契約の時、風さんは私の書類をちらりと見た。
「1人?」
「はい」
「働いてるの?」
「はい」
「じゃあ、いいわ」
それで終わりだった。後で聞いたら、風さんは20年以上大家をやっていて、1度も家賃を踏み倒されたことがないと言っていた。
引っ越して2ヶ月目に、私は会社をやめた。やめさせられたわけではない。私がやめたのだ。離婚のことは総務にしか言っていなかったのに、なぜか部署が知っていた。悪気のない人が多かったと思う。でも「大丈夫?」と聞かれるたびに、私は何かを説明しなければならなかった。何も説明できないのに。理由が分からないまま捨てられた女というのは、周りにとって座りが悪いものらしい。誰かが悪くないと話が終わらないのだ。だから私は自分が悪かったことにして話した。何度もそうしているうちに、自分でもそういう気がしてきた。
朝、駅の階段の途中で足が動かなくなった日があった。人がどんどん追い越していくのに、私だけが動けない。ホームに立って電車を見送って、そのまま家に帰った。それが2回続いて、私は退職を出した。
そこからが本当の始まりだった。正社員の仕事は見つからなかった。31歳の女で、事務しか経験がなくて、資格もない。書類で落ちるのが当たり前になった。20社を過ぎた頃から数えるのをやめた。派遣に登録して倉庫の仕分けに入った。3ヶ月の契約が終わったら更新はなかった。次はスーパーの品出しで、これは半年続いたけれど、店舗の閉店で終わった。コールセンターは3日でやめた。クレームの電話を受けているうちに、手が震えて息ができなくなったのだ。
わずかな退職金と貯金は、面白いくらいの速さで減っていった。1年目の終わりに、私は通帳を見て初めて本気で怖くなった。減り方に規則性がある。このまま行くといつゼロになるかが計算できてしまう。計算できてしまうことが一番怖かった。
その頃には、指輪はもう箱にしまってあった。引っ越してすぐはまだ左手にはめていた。バカみたいだけれど、外すと本当に終わりになる気がしたのだ。外したのは、面接で指輪のことを聞かれた時だった。「ご結婚は?」と聞かれて、私は答えに詰まった。その夜、外して箱に入れた。箱は押入れの奥の衣装ケースの底に入れた。目のつくところに置いておけないかと言って、捨てられない。だから見えないところにしまった。
売ろうと思ったことは何度もある。北の町の商店街に、戸田質店という古い店がある。私が引っ越してきた時からそこにあったというより、多分私が生まれる前からある。木の看板に「質」の1文字だけが黒く書いてあって、ガラス戸には昔の文字で「貴金属・時計・カメラ」と書いてある。中は暗くて、外から見ても人がいるのかどうか分からない。
私は2年目の秋に初めてその前に立った。その月、家賃の支払いが1週間遅れた。風さんは何も言わなかった。「翌月の分と一緒でいいわよ」とだけ言って、それきりだった。私はそれが逆に辛かった。この冬、その遅れは2ヶ月分に膨らむことになる。
その夜、押入れから箱を出した。指輪はしまった時と同じ形でそこにあった。プラチナは錆びない。1年経っても、しまった日と同じ色をしている。それがなんだか腹立たしかった。私の方はこんなに変わったのに。
翌日、私は指輪を半紙に包んでポケットに入れて、商店街を歩いた。戸田質店の前まで来て、私は立ち止まった。ガラス戸の奥で何かが動いた気配がした。人がいる。それだけが分かった。私は引き返した。早足で、ほとんど走るようにして商店街を抜けた。角を曲がってから、自分の心臓の音がうるさいことに気づいた。
家に帰って、私は半紙を開いた。指輪が出てきた。売ればよかったのだ。売って家賃を払えばよかった。慎介だってそう言った。その通りにするだけなのに、どうして足が止まるのか。分かっていた。売ってしまったら、慎介の言う通りにしたことになるからだ。「売って生活しろ」。あの言葉に従うのは、慎介に「その通り、私はあなたが恵んだもので生きています」と言っているような気がした。
離婚してからずっと私を歩かせていたのは、慎介への怒りだった。その怒りだけは手放したくなかった。だから私は売らなかった。売らずに指輪を見た。見ると思い出すのは、怒りではなかった。朝のコーヒーの音、ゴリゴリという豆の音、カップが2つ並んでいる所、風邪の日の味の濃いお粥。「まずいでしょ」と言った私と「うまい」と言い張った慎介。窓の外を見たまま耳を赤くして言った言葉。「これは、俺が人生で一番大事な人に渡す指輪だ」。その3つが順番に浮かんでくる。私は箱を閉めた。
それから1年の間に、私はさらに4回、戸田質店の前まで行った。3回目の時のことは今も忘れられない。春の風の強い日だった。私は半紙に包んだ指輪をポケットに入れて、商店街を歩いた。心臓が早く打っているのが自分でも分かった。戸田質店の前まで来て、私は深呼吸をした。ガラス戸に手をかけた。ガラス戸は思ったより軽かった。カラカラと音がして、5cmほど開いた。その音で、奥にいた人が立ち上がる気配がした。椅子が動く音と、「いらっしゃい」と言いかけた声。私はその声を聞いた瞬間に、戸を閉めた。閉めて「すみません」と言って、その場を離れた。
なぜ逃げたのか、後で何度も考えた。そして一番恥ずかしかったのは、あの人の言う通りにしようとしている自分だった。あれから2年が経っても、私はまだあの言葉に腹を立てていた。腹を立てながら、その言葉の通りにするしかないところまで来ていた。それが情けなくてたまらなかった。
家に帰って、私は指輪を箱に戻した。戻す時、内側に小さなへこみがあるのに気づいた。米粒ほどの、ごく小さなものだ。点のような丸のような、はっきりしない形をしていた。結婚していた頃にはなかったような気もしたけれど、これだけしまい込んでいれば傷の1つもつくのだろうと、私は思った。
冬は電気ストーブを1つだけつけて過ごした。緑荘の部屋は北向きで日が入らない。壁が薄いから、寒い日は室内でも息が白くなる。エアコンはついていたけれど、使うと電気代が跳ね上がるので、私は最初の冬に1度つけて請求書を見て、それきりつけなかった。風呂は3日に1度にした。ガス代を減らすためだ。入らない日は洗面器にお湯を貯めて体を拭いた。
そういう暮らしをしていると、辛さの順番が変わってくる。寒いより、寂しい方が先に来る。気持ちいい人と話さないことが先に来る。誰とも話さない日が3日続くと、自分の声がどんな声だったのか分からなくなった。
だから、私は商店街の八百屋によく行った。安いからというのもあるけれど、あの店の主人が必ず何か言うからだ。
「兄ちゃん、売れ残ったキャベツだ。持ってけ」
私は女なのに、あの人は誰にでも「兄ちゃん」と言う。私が黙って財布を出すと、「いいから持ってけ」と押し付けてくる。商店街を歩くのが、仕事のない日の唯一の外出だった。八百屋、パン屋、時計屋と並びの一番奥に戸田質店がある。私は毎回、その手前で足の速度が変わっていたと思う。
その頃、私は週に3日、駅前の弁当屋でパートをしていた。時給は悪くなかったけれど、シフトが不安定だった。月に8日しか入れない月もあった。そういう月は食費を削った。もやしと卵と米。それだけで1週間過ごせることを、私はこの3年で覚えた。もやしは一袋30円もしない。卵を特売の日にまとめて買う。米は5kg買うと、ちょうど1ヶ月で終わる。
友達からの誘いを断り続けているうちに、誘われなくなった。断るのがお金がないからだけではない。何を話せばいいのか分からなかったのだ。みんなの話は仕事や子供や家の話で、私にはそのツールがなかった。
九州の母からは月に1度電話がかかってくる。
「食べてるの?」
「食べてるよ」
「うちに帰ってきてもいいのよ」
「大丈夫」
私はいつもそう言った。母のところに帰れば確かに食べていけるけれど、そうしたら私は負けたことになる気がした。とにかく、私は北の町を離れなかった。
離婚して3年目の秋、私は33歳から34歳になった。誕生日の夜、私はコンビニで一番安いショートケーキを買った。280円だった。部屋で1人で食べた。食べながら、変なことを思い出した。結婚していた頃、慎介は私の誕生日に花を買ってきたことが1度だけあった。3年目の時だ。仕事帰りに駅前の小さな花屋で買ったのだと言っていた。かすみ草と黄色い小さな菊のような花が入った、500円くらいの小さな花束だった。私は嬉しくて、でも照れ隠しに文句を言った。
「花なんて、枯れるのに」
「そうか」
「あ、違うの。嬉しいよ」
「本当に、枯れない方がいいのか?」
「そういうことじゃなくて」
私は言い直したけれど、慎介はその後2度と花を買ってこなかった。あれは私が悪かった。ケーキを食べながら、私は3年ぶりにそう思った。慎介は多分、買うのをやめたのだ。私が「枯れる」と言ったから。そんなことを思い出しても、もうどうにもならないのに。その花屋がどこにあったのかも、私は知らない。慎介は「駅前」と言っただけだった。
離婚して3年目の冬。私の生活は限界を超えた。12月に弁当屋が閉店した。店長が体を壊したのだ。1月に入って新しい仕事を探したけれど、年明けは求人が少ない。派遣の登録先からも連絡が来なかった。1月分の家賃を払って、2月分が払えなくなった。
2月10日、私は風さんの部屋の前で頭を下げた。
「すみません。今月、少し待っていただけませんか?」
風さんは私を上から下まで見て、それから言った。
「あんた、痩せたね」
「そんなことないです」
「ご飯食べてる?」
「食べてます」
「じゃあ、いいわ。待つから、ちゃんと食べなさい」
そう言って、風さんは戸を閉めた。私はしばらくその戸の前に立っていた。
その週、私は財布の中を数えた。小銭が412円あった。それだけだった。冷蔵庫を開けると、卵が1つと賞味期限の切れたマーガリンと、乾いた長ねぎの切れ端があった。米びつには茶碗1杯分くらいの米が残っていた。私は米を炊いて、卵をかけて食べた。美味しかった。美味しいと思えることが、なんだか怖かった。
翌日、私は押入れの奥から箱を出した。蓋を開けて、指輪を取り出した。3年ぶりに、私は指輪を左手にはめてみた。指が細くなっていて、指輪はするりと入った。3年前はもっときつかったのに。そのまましばらく手を見ていた。私は声に出して言った。
「ごめん」
誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。
「もう、しかない」
指輪を抜いて、半紙に包んでポケットに入れた。コートを着て、外に出た。2月の空は薄い灰色で、風が冷たかった。商店街は昼過ぎで人がまばらだった。八百屋の前で主人が大根を並べていた。パン屋から焼けた匂いがした。私はまっすぐ歩いた。6回目だ。6回目でようやく、私は戸田質店の敷居をまたいだ。
カラカラっと乾いた音がした。中は思ったより明るかった。外から見ると暗く見えるのは、ガラスが古いからだった。奥行きのある店で、右手に木のカウンター、左手にガラスケースが2つ並んでいる。壁には古い柱時計がかかっていて、振り子が動いていた。カウンターの向こうに白髪の男の人が座っていた。歳は70近いだろうか。紺のカーディガンを着て、老眼鏡をかけて、そろばんの隣に開いた帳簿があった。その人が顔を上げた。
「いらっしゃい」
低く落ち着いた声だった。
「あの、どうぞこちらへ」
私はカウンターの前に立った。手が震えていた。寒さのせいではなかった。
「これ、買い取っていただけますか?」
私は半紙を開いて、指輪をカウンターの上に置いた。店主はまず私の顔を見た。それから指輪に目を落とした。
「拝見します」
店主は白い布を敷いて、その上に指輪を移した。手に取って、爪の先で軽く弾く。それから刻印だけを目で確かめて、すぐに小さな計りへ移した。
「プラチナでございますね。900と入っております」
数字が止まるのを2人で見ていた。3. 8g。
「あの、いくらぐらいに?」
店主は壁に貼った紙を指した。その日の相場が黒い字で書いてあった。
「石がついておりませんから、金属の目方で見ることになります。そこからうちの手間を引かせていただいて、1万5000円ほどです」
私は息を飲んだ。思っていたより安かった。家賃の半分にもならない。それでも私は言った。
「それで、お願いします」
「では、書類をお作りいたします。お買い取りの時は決まりで、身分を拝見しております」
私は財布に手をかけた。その手が止まったのは、店主の動きが先に止まったからだ。店主は書類の束を置いて、もう一度指輪を手に取っていた。今度はルーペを目に当てて、内側を端から端までゆっくりと回してみた。店主の手が止まった。ルーペを持つ指が震え始めた。私は最初、この人は年のせいで手が震えるのだと思ったけれど、震え方が違った。店主は指輪を一旦布の上に置いて、両手を膝の上に下ろした。それからもう一度ルーペを取った。もう1度内側を見た。そして老眼鏡を外した。
「失礼ですが」
「はい」
「お名前を伺ってもよろしいですか?」
「森野です」
「森野……あや、森野様」
店主はその名前を1度口の中で繰り返した。それから長椅子から立ち上がった。カウンターの前まで出てきて、私の正面に立った。そして深々と頭を下げたのだ。
「奥様、お待ちしておりました」
私はその場に立ち尽くした。
「あの、私、ただ買い取っていただきたくて来ただけで」
「存じております」
「奥様って、私、もう離婚していて」
店主はゆっくりと顔を上げた。目の縁が赤くなっていた。
「それでも、あの方は最後まであなたのことを奥様とお呼びになっておりました」
「あの方」
その言葉を聞いた瞬間、私の背中が冷たくなった。
「あの方って」
「相馬慎介様です」
心臓が1度だけ大きく打った。
「慎介さんを、ご存知なんですか?」
「はい」
「あの人は、今どこにいるんですか?」
店主は答えなかった。帳面をそっと閉じて、それから「順番がございます」とだけ言った。私はその「順番」という言葉に、なぜか逆らえなかった。
「どうして」
「この指輪を、こちらでお預かりしたことがございます」
店主はカウンターの上の指輪を指した。
「奥様、この指輪の内側に小さな印がございます。お気づきでしたか?」
私は思わず身を乗り出した。
「傷がありました」
「傷はございません」
その言い方に、私は息を詰めた。店主はルーペを私に差し出した。
「どうぞ、ご覧ください」
私は受け取った。くすんだ私のイニシャルの隣に、それはあった。米粒ほどの小さな印。ルーペで見ると、はっきりと形が分かった。四角を立てた四角の中に、田んぼの田の1文字。私は顔を上げた。店主がカウンターの奥の壁を指した。そこに古い木の看板がかかっていた。飴色の木に、同じ形の印が彫られていた。
「型の中の田。うちの屋号の印でございます。4代、変えておりません」
「どうして、このお店の印が私の指輪に」
「相馬様が、そうお望みになったからです」
店主は静かに言った。
「3年前の3月、離婚をなさる3日前に、相馬様はこの店にお見えになりました。この指輪をお持ちになって、うちの印を内側に入れてくれとおっしゃった。印を、私は最初お断りしました。うちは人様の品に印を打つ商売ではございません。ですが、相馬様はこうおっしゃった」
店主は目を伏せた。
「妻がこれを持ってきた時、あなたが気づけるように。それだけでいいから」
「印を打てる知り合いの彫金屋に頼んで、離婚の前の日に打ってもらいました。もし戻るはずだから、森野あやという名を覚えておいてくれと。そうおっしゃいました」
私は指輪を握った。握って、それから自分が何も分かっていないことに気づいた。
「待ってください。どういうことですか?慎介さんは、私がここへ来ると分かってたっていうことですか?」
「そう願っておられました」
「願ってた?」
「相馬様はおっしゃっておりました。妻は気の強い人だから、多分3年は耐えると思う。でも、いつか本当に困ったら、この商店街で一番古いこの店に来るはずだと」
「この町のこと、知ってたんですか?」
「はい。奥様がどこにおられるか、相馬様はご存知でした。その町で一番古い質屋はどこかと、それだけを調べて、うちにいらしたそうです」
私は口を押えた。引っ越し先を決めたのは、離婚する1ヶ月前だ。慎介はそれを知っていて、私が来るより先にこの店に話を通していた。私の膝から力が抜けた。カウンターに手をついた。店主が慌てて椅子を出してくれた。私はそこに座り込んだ。
「奥様」
「そんなの、めちゃくちゃです。私が来なかったら、どうするつもりだったんですか?」
「私も同じことを申し上げました。そうしたら相馬様はこうおっしゃいました。来なかったら、それは妻がちゃんと生きているということだから、それでいいと」
私は両手で顔を覆った。声が出なかった。喉の奥が詰まって、息の吸い方が分からなくなった。どれくらいそうしていたのか分からない。柱時計が鳴った。3時だった。店主は何も言わずに待っていた。それから湯飲みを2つ持ってきて、1つを私の前に置いた。
「お茶をどうぞ」
私は湯飲みを両手で包んだ。温かかった。
「奥様、1つお伝えしなければならないことがございます」
「はい」
「相馬様は、この店にあるものをお預けになりました」
「あるもの?」
「その包みに、こう書き添えてございました」
店主は私の目を見た。
「彼女がこの指輪を持ってきた時だけ、渡してください」
私は湯飲みを置いた。店主は帳場の奥へ行って、のれんをくぐった。
「どうぞ、奥へ」
私は立ち上がった。膝が笑っていた。それでも私は歩いた。のれんの向こうは6畳ほどの座敷だった。畳は古いけれど、きちんと拭き込まれていた。床の間に掛け軸がかかっていて、白い花が生けてあった。窓の障子から冬の光が入っていた。部屋の隅に大きな金庫があった。古い鉄の扉に金色の文字で店の名前が書いてある。かなり古いものらしく、角の塗装がはげていた。
「そちらにお座りください」
私は座布団の上に正座した。店主は金庫の前にしゃがんだ。ダイヤルを回す。かちりかちりと音がした。回す手がまた震えていた。一度途中で手を止めた。深く息を吸って、それからもう1度回した。重い音がして、扉が開いた。店主が取り出したのは、桐の箱だった。書類が入るくらいの大きさで、水引がかけてある。店主はそれを両手で持って、私の前に置いた。そして深く腰を折った。
「お約束から3年、この日を待っておりました。お渡しいたします」
「3年間、ずっとここに」
「初めは指輪の印だけのお約束でございました。ですが、その年の暮れに、宛名のない封筒がまとめて包みで届きまして、『これも一緒に預かってくれ』と、私宛てに書いた紙が添えてございました。それからは半年に1度ほど、同じように届きました。最後の包みが届いたのは、去年の2月でございます。一番上の一通だけは、後から久保先生という方が届けてくださいました。相馬様の身の回りの品の中にあったからと」
「それから、この指輪はお買い取りいたしません。お持ち帰りください」
私は箱を見た。手が伸びなかった。
「奥様」
「その前に、教えてください」
私は店主を見た。
「慎介さんは、今どこにいるんですか?」
店主の顔から表情が消えた。長い沈黙があった。柱時計の振り子の音だけが、隣の部屋から聞こえていた。
「奥様」
「はい」
「相馬様は」
店主はそこで言葉を切った。それからまっすぐに私を見て言った。
「昨年の2月に、お亡くなりになりました」
音が消えた。障子から入る光の筋が、畳の上でわずかに動いた。それだけが見えた。
「え」
「1年前でございます。昨年の春に、久保先生からお知らせをいただきました」
「嘘」
「本当でございます」
「だって」
続きが声にならなかった。だって、私はまだ怒っていたのに。だって、私はいつかあの人に会って、どうしてあんなことをしたのか問いただすつもりだったのに。だって、私はまだ何も言っていないのに。
3年間私を立たせていたものが、そこで抜けた。私は箱の前で体勢を崩した。畳に額がついた。声が出た。自分の声だと思えないような声だった。
店主は何も言わなかった。ただ、私が泣き止むまでそこに座っていた。どれくらい経ったのか分からない。外が少し暗くなっていた。店主が立って、部屋の電気をつけた。それから新しいお茶を入れてきた。私は座り直した。顔が熱くて、鼻が詰まっていた。
「すみません」
「いえ」
「どうして、亡くなったんですか?」
「ご病気と伺っております」
「病気?」
「詳しいことは私は存じませんが、うちにお見えになった3年前の時点で、もう治らないとおっしゃっておりました」
3年前。離婚の3日前。私は両手で口を覆った。その時、慎介はもう知っていた。夜中に電話をしていたのも、病院の封筒を隠していたのも、体重が減っていったのも、会社をやめていたのも、全部そういうことだったのだ。「夏だ」と慎介は言った。「なんともない」と言った。私はそれを信じたふりをした。信じたふりをして、聞くのをやめた。
聞けばよかった。何度も聞けばよかった。あの人が黙ってても、何度でも聞けばよかったのに。
「相馬様は、それを望んでおられませんでした」
「望んでなくても」
私はまた声を上げた。上げてから、この人に言うことではないと気づいて、頭を下げた。店主は首を振った。
「お気持ちは分かります。私も、あの時止めれば良かったと思っております」
私は顔を上げた。
「相馬様がお見えになった時、私は申し上げたのです。奥様に本当のことをお話になった方がいいと。慎介さんはなんて」
「話したら、あいつは俺の看病をするために人生を使うと。そういう女だからと」
私は唇を噛んだ。その通りだったからだ。もし慎介が本当のことを言っていたら、私は仕事をやめて慎介に付きっきりになった。間違いなくそうした。
「戸田さん、どうして引き受けてくださったんですか?」
店主は金庫の扉を見た。
「うちは私で4代目でございます。質屋というのは、品物を預かって、期限までに取りに来ていただく商売です。ですが、来ない方もいらっしゃる。そういう品は、この商売では『流れる』と申します。私が子供の頃、店に流れた品がたくさんございました。着物、仏具。父はそれを売りに出す前に、必ず1度、持ち主の顔と付き合わせておりました。『もう来ないんだから、さっさと売ればいいじゃないか』と、私は父に言ったことがあります。父はこう言いました。『来ないんじゃない。来られないんだ』と。取りに来るつもりで置いていったものを、こちらが勝手に諦めてはいけない。父はそう言って、期限を過ぎた品でも、しばらく置いておくことがありました」
店主はそこで初めて笑った。少しだけ口の端を上げるような笑い方だった。
「商売としては失格でございます。ですが、私もそれを見て育ちました。ですから3年前、相馬様が指輪を持ってお見えになって、うちの印を入れてくれとおっしゃった時、私は断りきれなかったのです。この方は、取りに来る人がいると信じて、預けにいらしたのだと思いました」
「奥様、今日、私は40年やってきて初めて」
店主の声がそこで1度途切れた。
「初めて、流れるはずだった品を、持ち主の方のお手にお返しできます」
それから、こうもおっしゃいました。
「俺の家には、金の話で揉めている連中がいる。俺がいる限り、あいつはそれに巻き込まれる」
「金の話?家のこと?実家って、あの」
私は言葉に詰まった。1度だけ言ったあの大きな家。門から玄関まで敷石が続いていて、お茶も出なかった。
「奥様は、ご主人のご実家がどういうお家か、ご存知ですか?」
「いえ、何も」
店主は頷いた。それから桐の箱を私の方へ押した。
「では、これをお開けください」
私は水引に手をかけた。指がうまく動かなかった。何度かやり直して、紐が解けた。蓋を持ち上げた。中に入っていたのは、封筒の束だった。輪ゴムで止められた白い封筒の束。上から見ただけで20通以上ある。その上に、便箋が1枚だけ乗っていた。折らずにそのまま置かれていた。見覚えのある字だった。短くて硬くて、画の部分だけ妙に力の入った字。誕生日に3行しか書けなかった、あの人の字だ。私はそれを手に取った。
そこにはこう書いてあった。
「戸田さんへ。彼女がこの指輪を持ってきた時だけ、渡してください。持ってこなかったら、燃やしてください。慎介」
私は便箋を胸に押し付けた。もう泣かないつもりだったのに、また涙が出た。
「奥様、もう1つ、お預かりしているものがございます」
店主は金庫からもう1つ小さな封筒を出した。中から名刺を1枚取り出して、私の前に置いた。
「久保法律事務所。主人の遺言を任されておられる先生です。奥様がここへお見えになったら、すぐに連絡するようにと言われております」
「私に、何か」
「私の口からは申し上げられませんが」
店主はそこで少し言い方を変えた。
「奥様、手紙を先にお読みになった方がよろしいかと存じます。順番があるように思いますので」
私は封筒の束を見た。輪ゴムを外すのが怖かった。
店を出たのは6時を過ぎた頃だった。外はもう暗かった。商店街のアーケードの明かりがついていて、シャッターを下ろしている店が半分あった。店主は店の前まで出て、見送ってくれた。
「奥様、お気をつけて」
「戸田さん、待っていてくださって、ありがとうございました」
店主は首を振った。
「私は何も燃やさないでいてくださって、ありがとうございました」
店主は顔をくしゃくしゃにした。指輪は半紙に包まれて、私のポケットに戻っていた。売るという話は、あの一言でもう消えていた。帰り際、店主は封筒を1つ私に押し付けた。
「明日、先生のところへいらっしゃるのでしょう。電車賃でございます」
「そんな」
「3年分の預かり賃を頂いておりませんので」
私は黙って頭を下げて、歩き出した。家までは7分の道だ。その夜、私はそれを2時間近くかけて帰った。八百屋の前を通った。もう閉まっていた。パン屋の前を通った。翌日の仕込みの匂いがしていた。私は途中の公園のベンチに座って、桐の箱を膝に抱えていた。2月の夜だった。息が白かった。ベンチの木が冷たくて、体の芯まで冷えた。それでも私は動けなかった。家に帰って部屋の電気をつけたら、この箱を開けなければならない。開けたら、あの人が何を考えていたのかが分かってしまう。分かってしまったら、私はもうあの人を憎めなくなる。3年間私を立たせていた柱を、私は自分で折らなければならなかった。
公園の時計が8時を打った。私は立ち上がった。
部屋に帰って、私は茶箪笥の上に封筒の束を広げた。数えた。24通あった。どの封筒にも宛名はなかった。切手も貼っていない。ただ、右下の隅に日付だけが書いてある。一番下の一通が、3年前の3月10日だった。離婚届を出した日だ。
私は電気ストーブをつけて、その前に座った。部屋は寒くて、息が白かった。一番下の封筒を取って、開けた。便箋が1枚。あの人にしては珍しく長かった。
「今日、離婚届を出した。役所の人が、おめでとうも残念も言わなかった。それが少しありがたかった。お前が出ていった後、玄関からしばらく動けなかった。情けない話だ。ごめんな」
私は便箋を膝に置いた。しばらく動けなかった。次の封筒を取った。日付は1ヶ月後の4月10日だった。
「そっちのアパートに落ち着いたと聞いた。日当たりは悪いが、大家さんがいい人だと聞いて安心した。俺は少し働いている。まだ動ける」
私は顔を上げた。「聞いた」と書いてある。誰から聞いたのか。
私は次を開けた。5月10日。
「お前が会社をやめたと聞いた。責めるつもりはない。あの会社はお前には合わなかったと思う。無理はするなと書いても、するんだろうな。お前はそういうやつだ」
私は手を止めた。慎介は私のことを知っていた。私がどこに住んで、いつ会社をやめたのかを知っていた。じゃあ、なぜ来なかったのか。
私は次々に封筒を開けた。
7月。「今日は調子が悪かった。書くことがない。ごめん」
8月。「お前が倉庫で働いていると聞いた。重いものを持つな。腰をやったら一生物だ」
9月。「誕生日おめでとう。花を頼んだ。でも取り消した。枯れるのが嫌いだと言っていたのを思い出した。すまない」
私はその文を読んだ。花を頼んで、取り消した。慎介は覚えていたのだ。3年前の誕生日に私が言った、あのくだらない一言を。嬉しいのに照れくさくて口をついて出た文句を。慎介はあれをそのまま受け取っていた。
12月。「餃子を食べた。うまくなかった」
私はそこで手を止めた。給料日の翌日に駅前の中華屋で餃子を食べる。それが私たちの決まりだった。
3月。「1年経った。俺はまだ生きている」
離婚2年目の手紙は、少しずつ字が変わっていった。
8月。「仕事がなかなか決まらないと聞いた。焦るな。お前は焦ると空回りする」
1月。「今日、遠くまで出かけた。無駄足だった。でも、行ってよかったと思っている」
私はその1通を2度読んだ。「遠くまで」。どこへ行ったのかは書いていない。「無駄足」という言葉だけが、妙に引っかかった。
私は封筒を1通ずつ茶箪笥の上に並べていった。並べてから気づいたことがある。日付がどれも10日だった。3月10日、4月10日、5月10日……24通全部が、月の10日に書かれていた。離婚届を出した日と同じ日だ。慎介は毎月、その日を自分の中で区切りにしていたのだと思う。
そして、私は思い当たった。風さんの前で頭を下げたのも、2月の10日だった。あの人が最後に手紙を書いた日から、ちょうど1年だ。
24通のうち23通は、封が閉じられていた。慎介は書いて封をして、それきりにしていたのだ。出す気がないのに、なぜ封をしたのか。私には分かる気がした。封をしないと、また読み返して直したくなるからだ。
そして、一番上の一通だけ、封がされていなかった。日付は去年の2月10日。慎介が亡くなった月だった。私はその封筒を手に取って、しばらく持っていた。開けられなかった。これを読んだら、本当に終わりになる。そう思った。私はその一通だけを箱に戻して、蓋を閉めた。
その夜は眠れなかった。
朝になって、私は久保先生に電話をかけた。事務所は東京の中心の方にあって、私は戸田さんからもらった封筒から電車賃を出し、持っている中で一番マシなコートを着て出かけた。それでも袖口は毛玉だらけだった。エレベーターで9階まで上がる間、手のひらが汗ばんでた。
久保先生は50代くらいの、痩せた男の人だった。応接室に通されて、お茶が出た。
「森野あやさんですね」
「はい」
「戸田さんから連絡をいただきました。私は昨年の春から、緑荘のご住所へ何度かお手紙を差し上げております。お返事がないものですから、ご無沙汰なさったのかと」
差出人が法律事務所になった封筒が、去年の春から何通か届いていた。結婚していた頃、あの厚い封筒が届くたびに、慎介の顔から表情が消えた。慎介はそれを細かく破いて捨てていた。あの封筒が来ると、うちが壊れる。私の体はそう覚えてしまっていた。見るたびに手が動かなくなって、私は封を切らずに引き出しへ、上から新聞を重ねた。
「そうでしたか。本当は伺うべきでした。ですが、相馬さんから、手紙以外の方法で追いかけないで欲しいと書面で頼まれておりまして。ご連絡が遅くなって、申し訳ありません」
「相馬さんから、遺言をお預かりしています。私はその遺言で、遺言執行者に指定されております。遺言の通りに財産をお渡しする役目です。相続の手続きも、家の名義を移す手続きも、私が代わりに行います」
久保先生は分厚い封筒を出した。中から書類を取り出して、私の前に置いた。
「公正証書遺言です。公証役場で作ったもので、原本は役場に保管されています。3年前の2月に作成されました。1つだけ先に申し上げておきます。この遺言には、『森野あや』と書かれています。旧姓で作られたのは、離婚の1ヶ月前です。その時のあなたはまだ『相馬あや』でした。相馬さんは公証人にこうおっしゃったそうです。『1ヶ月後には、この人は森野に戻ります。その時の名前で書いてください』と」
3年前の2月。離婚届を出す1ヶ月前だ。
「まず、大事なことを申し上げます」
久保先生は姿勢を正した。
「相馬さんには、法律上の相続人がいません」
「相続人?」
「お子さんがいらっしゃらない。ご両親はお2人とも亡くなっている。ご兄弟もいらっしゃらない。この場合、法律で決まった相続人はゼロです」
「おばさんとか、いとこ」
「おば様と従子の方はいらっしゃいます。ですが、法律の上では、おばも従子も相続人にはなりません」
私は黙っていた。
「そして森野さん、あなたも法律上は相続人ではありません」
「はい。離婚してますから」
「その通りです。離婚した元配偶者に、相続の権利はありません。ですから相馬さんは、遺言を作られたのです。遺言があれば、相続人でない方にも財産を渡すことができます。これを『遺贈』と言います」
「私にですか?」
「はい。まず、預金です。相馬さん名義の口座が2つあります。1つはお父様から相続された口座で、残高は2000万円を少し超えています」
私は書類から目を上げた。
「2000万」
「はい。そんなお金、どこから?」
「これはお父様から相続された現金と、ご自身の貯蓄です」
久保先生は通帳の写しを私の方へ向けた。
「ただ、1つだけ私にも分からないことがあります。もう1つは、3年前の3月に新しく作られた口座です。こちらには、毎月同じ日に、同じ額だけが入っています」
私は写しを見た。数字が横に並んでいた。5万円、5万円、5万円。日付の欄が全部10日だった。
「これ」
「振り込みではなく、現金です。通帳には、千葉のご自宅に近い支店の名前が入っています。相馬さんご自身が窓口で入れておられたようです。23回、合計で115万円になります」
「この入金、最後はいつですか?」
「昨年の1月10日です。そこで途切れています」
私は口を押えた。慎介は毎月10日に、私宛ての手紙を1通書いて、封をして、出さずにしまった。そして同じ日に、銀行の窓口に並んで、5万円を入れた。届かなかった手紙と、渡せなかったお金が、同じ日付で並んでいた。けれど、手紙は24通あった。入金は23回だった。最後の1月だけ、数が合わない。
私は部屋の茶箪笥に置いてきた一通のことを思った。封のされていない、まだ開けられずにいる、最後の一通だ。
「森野さん、この115万円は、額としては大きくありません。ですが、私はこれが、相馬さんが一番渡したかったお金だと思っております。私は一度申し上げました。今すぐ振り込んで差し上げたらどうですかと。相馬さんはこう答えられました。『振り込んだら、あいつは通帳を見て俺を探す。探し当てられたら、俺は隠しきれない』と。では、戸田さんに預けてはどうかとも申し上げました。そうしたら、こうです。『金を渡したら、あいつは受け取った理由を探す。理由を探せば、必ず俺に行きつく。手紙は俺が死んでから読まれる。金は生きているうちに使われてしまう』と」
「そして、もう1つ。千葉県の潮見町に、家が1件あります。古い平屋で、土地と建物の両方です。こちらも、森野さんへと書かれています」
「潮見町」
私は息を止めた。忘れるはずのない町だった。新婚旅行で2泊した町。そして、あの秋に慎介が「行くか」と言い出して、3日後に「やめよう」と取り消した町だ。離婚の2ヶ月前、慎介が一晩だけ家を開けた日、靴についていた乾いた白い泥。海の砂のような色だと、私が思ったあの泥。あの人はあの時、自分の行き先を見に行っていたのだ。
「潮見町の家。相馬さんが、離婚後に暮らしておられた家です。買われたのは、離婚の少し前でした」
慎介は、あそこにいたのだ。
「それから、これはお伝えしておかなければなりません」
久保先生は書類をもう1枚めくった。
「相馬さんのご実家は、相馬ガラスという会社です。創業から100年以上になる、古いガラスの会社です。相馬さんのお父様が3代目でした」
「知りませんでした」
「相馬さんは、そのことを森野さんにお話にならなかった。1度も。相馬さんは、お父様が亡くなられた時に、会社の株式の一部を受け継いでおられました。名義も相馬さんに移っています。ただし、これは現金ではありません。会社の株ですから、売ろうにも簡単には売れない。会社の承認がいります。持っていても、すぐに使えるお金にはならない。その株を巡って、お父様が亡くなられてから、ご親族の間で争いが起きました」
私は膝の上で手を握った。「俺の家には、金の話で揉めている連中がいる。俺がいる限り、あいつはそれに巻き込まれる」。戸田さんが伝えてくれた慎介の言葉が、頭の中で繰り返された。あの春、郵便受けに届くようになった法律事務所の厚い封筒。慎介が細かく破いて捨てていたもの。夜中になっていた電話。あれは全部、この争いだったのだ。
「相馬さんは遺言でこう定めています。株式は全て会社に戻す。現金と潮見町の家は、森野あやさんへ。ご親族の方々が欲しがっていたのは、株式の方です。そのご親族は、遺言の内容と、財産を受け取る方の名前とご住所を、手続きの中で知ります。今のところ、私のところには何も言ってきていませんが」
久保先生は少し間を置いた。
「森野さんのところへ行く可能性はあります。その時は、すぐに私にご連絡ください」
「森野さん」
「はい」
「大丈夫ですか?」
「分からないです」
私は正直に言った。
「お金の話をされても、実感がないんです。私はただ」
私は言葉を探した。
「私はただ、どうしてあの人が何も言わずに死んだのか、それが知りたいだけで」
「あの人は、どこで亡くなったんですか?」
「市の病院とだけ聞いております。手続きはご親族がなさいましたので、私も病院の名前は知らされておりません」
「あの、お墓は」
「それが、まだ申し上げられないのです。ご葬儀はご親族が出されました。私は昨年から3度、お墓の場所を教えて欲しいとお願いしております。3度とも、『もう他人でしょう』と断られております」
「遺言には、もう1つ、財産と関係のないことが書かれております。これは、ご親族の前で読み上げるべき一文です。お許しだけるなら、その時まで私に預らせてください」
「はい」
久保先生はしばらく黙っていた。それから書類を閉じていった。
「相馬さんが遺言を作りにいらした時、私は1度だけ同じことをお聞きしました。どうして奥様にお話にならないのですかと」
「なんて、言ってましたか」
「話したら、あいつは俺を許してしまうと」
私は久保先生の顔を見た。
「許されたら、俺は最後まで甘えてしまう。あいつの3年を丸ごと、俺の看病で潰してしまう。それだけはさせたくない。そうおっしゃっていました」
「勝手だ」
「はい。勝手すぎます」
「あの人」
「私も、そう申し上げました。そうしたら、相馬さんは笑っておられました」
帰りは、久保先生が当座の費用を立て替えてくださった。後で清算しますからと、私は頭を下げることしかできなかった。事務所を出て、私は駅まで歩いた。ビルの間、冬の空が細長く見えた。人がたくさん歩いていて、みんな早足だった。私は立ち止まって、鞄から桐の箱を出した。
そこに何があるのか、私には分からないけれど、行かなければならないと思った。慎介が2年間、どこでどうやって生きていたのか。24通の手紙に書かれていないことを、私は知らなければならなかった。
潮見町へ行く前に、私は九州の母に電話をかけた。手紙に何度も書かれていた「聞いた」という言葉が引っかかっていたからだ。私が会社を辞めたことも、倉庫で働いたことも、部屋が北向きで寒いことも、慎介は知っていた。誰かが教えていたのだ。心当たりは1人しかいなかった。
呼び出し音が3回鳴って、母が出た。私は前置きをせずに聞いた。
「お母さん、慎介さんから電話が来てた」
長い沈黙があった。
「知ったの」
その返事で、全部が分かった。
「お母さん」
「3ヶ月に1度くらいかね。あんたが元気か、ちゃんと食べてるか、部屋は寒くないか、仕事はどうだって。それだけ聞いて、こっちが何か聞こうとすると、切るの」
「なんで、教えてくれなかったの?」
「言わないでくれって、頼まれたのよ」
「あや、1つだけ謝らないといけないことがある。昨年の暮れだったかね。あんたが家賃で困ってるみたいだって、私がつい言ってしまったのよ。あの人、何も聞かずに『ありがとうございます』って」
母の声が、電話の向こうで小さくなった。
「私も一度怒ったのよ。あんたが泣いてるのに、何を勝手なことをしてるんだって。そうしたら、あの人、ずっと黙って聞いてた。最後にね、『すみません』って一言だけ言うの。毎回、それだけ」
「最後に電話が来たの、いつ?」
「去年の1月。その後は、来なくなった」
去年の1月。手紙に「遠くまで出かけた。無駄足だった」と書いてあった月だ。銀行への入金が途切れたのも、その月だった。母への電話も、そこで終わっていた。
「お母さん、あの人、去年の2月に亡くなったって」
電話の向こうで、息を飲む音がした。それから、私はしばらく何も言わなかった。
「あや、私、あの人の顔をね、ちゃんと覚えてるのよ。うちに来た時、お茶をこぼしそうになったのを、こぼさないで飲んでくれたの」
私は指を握りしめた。母は慎介がその手の震えを何と呼んだかを知らない。「嬉しい時の手だ」。あの人はそう言った。
「母さん、私、今から千葉に行ってくる」
「気をつけてね。ご飯食べるのよ」
潮見町までは、特急で2時間かかった。駅からバスに乗って25分。海沿いの道をずっと走って、終点の1つ手前で降りた。2月の終わりだった。風はまだ冷たかったけれど、日差しは真冬とは違っていた。停留所の前は、道が1本と、その向こうが海だった。防波堤があって、その先に灰色の海が広がっている。漁船が3隻、岸につながれていた。
久保先生から渡された地図の紙と鍵を握って、私は歩いた。家はすぐに見つかった。海の見える高台の途中にある、小さな平屋だった。屋根が古くて、庭に雑草が伸びている。玄関の引き戸に、うっすらと埃が積もっていた。私は鍵を持っていたけれど、開ける前にしばらく門の前に立っていた。ここに慎介がいた。2年間、1人で。
私は鍵を回さなかった。代わりに坂を降りて、港の方へ歩いた。まだ心の準備ができていなかった。それに、家に入る前に確かめたいことがあったのだ。
港の手前に鉄工所があった。岩本鉄工所と書かれた古い看板が出ていて、シャッターが半分開いている。中から金属を叩く音がしていた。私は入り口から声をかけた。
「すみません」
音が止まった。奥から出てきたのは、60代くらいの男の人だった。作業着に油の染みがついていて、手袋を外しながら歩いてきた。
「はい。何でしょう?」
「あの、私、森野と言います。少し伺いたいことがあって」
「はあ」
「相馬慎介という人を、ご存知ないでしょうか?3年前からこの町に住んでいたはずなんです」
その名前を出した瞬間、その人の顔が変わった。手袋を持つ手が止まって、しばらく私を見ていた。
「あんた」
「はい」
「あんた、あやさんかい?」
私はその人の顔を見返した。
「どうして、私の名前を?」
「そりゃあ、あんた」
その人はそこで言葉を詰まらせた。それから後ろを向いて、作業着の袖で顔をこすった。
「あんた、あいつが」
「去年の2月に」
岩本さんは手袋を持ったまま、動かなくなった。
「そうか。知らせは来なかった。鉄工所をやめてから、1度も」
「私も、先週知りました」
岩本さんはしばらく私の顔を見ていた。
「入りなさい。寒いだろう」
鉄工所の奥に、ストーブと椅子が2脚ある休憩の場所があった。その人は岩本さんと言って、父親からこの鉄工所をついだ人だった。船の部品を直したり、金具を作ったりするのが仕事だという。岩本さんはヤカンを火にかけて、インスタントのコーヒーを2つ作った。
「うまくないぞ」
「いただきます」
一口飲んだ。粉が溶け切っていなくて、確かに美味しくなかった。それでも、私は笑ってしまった。
「いえ、慎介さんの作るものも、いつも味が濃かったんです」
岩本さんも笑った。それから真顔になった。
「あいつがここに来たのは、3年前の3月だ」
3月。離婚した月だ。
「バス停に立ってた。鞄1つで、うちの前を3回通って、4回目に入ってきた。『働かせてくれ』って言うんだ。俺は断った。うちは人を雇うほど仕事がない。それに、あいつは見るからに素人だ。そしたら、あいつ、金はいらないって言うんだよ。『お金はいらない。体が動くうちに、手を動かしていたい』って。そう言った。それはな、ただ働きさせる鉄工所じゃねえってな。それで、月に5万だけ受け取らせた。あいつは、それ以上はどうしても取らなかった」
岩本さんはコーヒーを飲んだ。
「変な男だと思ったよ。でも、目が本気だった。だから、『じゃあ3日やってみろ』って言った。3日でやめると思ったんだ。うちの仕事はきついからな。2年やった。不器用だったよ。最初の半年は、使い物にならなかった。溶接なんか、俺がやり直す方が早いくらいだった。でも、あいつは同じことを何度でもやる男でな。俺が『ここを直せ』って言ったら、次の日には治ってる。夜、1人で残ってやってるんだ。そのうち、船の連中があいつを名指しで頼むようになった。丁寧だってな」
岩本さんの声が少し詰まった。
「1年経った頃から、様子がおかしくなった。痩せていくんだ。休憩の時に座り込むようになって、俺が『病院に行け』って言っても、『行ってる』という。実際、行ってたんだ。月に何度も。ある日、俺は聞いた。『お前、病気か』と。そうしたら、あいつは『はい』と言った。隠しもしなかった。俺には言うんだよ。あんたには言えなかったのにな」
私は下を向いた。
「怒るなよ。俺は他人だからだ。他人には言えるんだ。そういうことは」
岩本さんはコーヒーを飲み干して、少し黙った。
「俺にはな、息子が1人いる」
「そうなんですか」
「もう14年、口を聞いてない」
岩本さんは鉄工所の天井を見上げた。
「あいつが高校を出る時、『うちを継げ』って言ったんだ。あいつは『嫌だ』と言った。俺は殴った。それきりだ。母親の葬式にも来なかった。相馬にだけは、その話をした」
「慎介さんに」
「ああ。あいつは黙って聞いてた。それで、最後に一言だけ言った」
岩本さんは少し笑った。
「『親方、順番を間違えない方がいいですよ』って。『順番って何だ』と聞いたら、あいつはこう言った。『謝るのは、生きてるうちにしかできません。詫びを後に取っておかない方がいい』と」
岩本さんはカップの底を見ていた。
「あの時、俺は『何を偉そうに』と思ったよ。後で分かった。あいつは自分に言ってたんだな」
岩本さんは立ち上がって、棚の上から何かを取ってきた。私の前に置かれたのは、小さな金具だった。真鍮でできた、手のひらに乗るくらいの輪。表面が磨かれていて、光っていた。
「これ、あいつが作ったやつだ。これは、船の綱を通す輪だ。本番は別の金物を使うが、形を覚えさせるのに、まずこれを作らせた。あいつは、最初に作ったやつを1個だけ持って帰った。何に使うんだと聞いたら、こう言った」
岩本さんはその金具を私の手に乗せた。
「『これが自分で作れるようになったら、誰かに見せたい』って」
私は金具を握った。冷たくて、重かった。
「誰かって」
「あんたのことだよ」
私は金具を握ったまま、動けなかった。
「名前だけは、1度、寝言みたいにこぼしたことがある。『あやさん』と。だが、その人が誰なのかは、最後まで言わなかった。それでも分かるよ。壁に紙を張ってたんだ」
岩本さんは鉄工所の壁の一角を指した。そこに色あせた紙が1枚、画鋲で止めてあった。近づいてみると、それはカレンダーの切り端だった。9月のページのある日付に、赤い丸がついていた。私の誕生日だった。
「毎年、9月のその日の2日前になると、あいつは半日休んだ。どこ行くんだと聞いたら、『花屋だ』と。手紙にありました。花を頼んだと。町に1軒だけある花屋だ。そこで花を頼んで、前の日に取り消しに行く。2年とも、そうだった。俺は一度怒鳴ったよ。『頼むなら送れ。送らないなら頼むな』と。そうしたら、あいつ、こう言った」
岩本さんは私の顔を見た。
「『送ったら、あいつは俺を探しに来る。探しに来たら、俺の病気を知る。知ったら、あいつは自分の人生を止めてしまう。頼むのは俺が勝手にやってることだ。取り消すのが、俺の仕事なんだ』」
私は壁の前で膝をついた。鉄工所の床は冷たくて、油の匂いがした。岩本さんは何も言わずに、ストーブに石油を足していた。
鉄工所を出る時、岩本さんが背中に声をかけた。
「あいつが最後にいた病院なら、隣町だ。後から人に聞いた」
「教えてください」
岩本さんは油の染みた手で、紙に病院の名前を書いてくれた。
その日、私は花屋にも行った。町の商店街というほどでもない道沿いに、5件だけ並んだ店の間に、花一輪店という小さな花屋があった。店に入ると、40代くらいの女の人が水をやっていた。エプロンの胸に「花屋」と手書きの名札がついていた。私が相馬慎介の名前を出すと、その人は手を止めた。
「相馬さん」
「ご存知ですか?」
「もちろんです。あなたが、奥さん」
私は口ごもった。
「元です」
花屋さんは首を振った。
「相馬さんは、そう言いませんでしたよ」
花屋さんは店の奥のレジの下から、古い伝票の綴りを出してきた。ページをめくって、あるところで止めた。
「これです」
伝票が2枚あった。どちらも9月の日付で、花束の注文が書かれていた。そして、どちらの伝票にも、赤いペンで大きく「取り消し」と書いてある。
「1年目の時は、私も何も思いませんでした。具合が悪くなることはありますから。でも、2年目の時に聞いてしまったんです。『どうして毎年取り消すんですか』って。なんて答えてくれませんでした。ただ笑って、『すみません』って」
花屋さんは伝票を見た。
「『もしいつか、この店にこういう花はありますかと聞きに来る人がいたら、その人に売ってやってください』って」
「こういう花」
花屋さんは伝票の欄を指した。そこに花の名前が小さく書いてあった。かすみ草。それと、黄色い小菊。
私は思わず声を上げた。
「それ、ご存知ですか?」
「1度だけ、もらったことがあります。結婚してた3年目に」
花屋さんはそっと伝票を閉じた。
「相馬さんは、それを覚えていらっしゃるんですね」
私は店の中を見回した。黄色い小菊がバケツの中にあった。私はそれを買った。かすみ草と合わせて800円だった。花屋さんは代金を受け取ると、少し迷ってから言った。
「あの、1つだけお伝えしていいですか?」
「はい」
「相馬さん、最後にいらした時、随分痩せてらして、私、思わず言ったんです。『お体、大丈夫ですか』って。そうしたら、相馬さん、こうおっしゃいました」
花屋さんは花を包む手を止めた。
「『大丈夫です。今年も、取り消しに来ることができました』って」
私は花束を抱えて、店を出た。
病院は、潮見町から車で20分の隣町にあった。私はタクシーで行った。緩和ケア病棟という札が掛かった建物だった。病気を治すためではなく、痛みを和らげて最後の時間を過ごすための病棟だと、後で知った。廊下が広くて、静かだった。
受付で名前を告げると、しばらく待たされた。やがて看護師さんが出てきた。40代くらいの、背の高い人だった。
「桜井と申します。相馬さんの担当をしておりました」
桜井さんは面談室に私を通した。
「森野さん、お会いできてよかった」
「あの人が、私のことを話していたんですか?」
「はい。いつも話しておられましたから。相馬さんから言われていたんです。『森野あやさんという方が訪ねて来られたら、話してやってください』と」
桜井さんは、記録はお見せできませんが、覚えていることを話してくれた。
「相馬さんがこちらにいらしたのは、昨年の12月です。それまでは、通いで治療をされていました」
「あの人は、何の」
「お聞きになりますか?」
「はい」
桜井さんは静かに病名を言った。私は頷いた。頷くことしかできなかった。
「入られた時には、もうかなり進んでいて、痛みが強い日が多かったんですが、相馬さんはあまり訴えない方でした。こちらが聞くと、『大丈夫です』とおっしゃる。私たちは、そういう方が一番心配なんです」
桜井さんは膝の上で手を組んだ。
「相馬さんは、ずっと手紙を書いておられました」
「その手紙なら、私、持っています。24通、全部」
桜井さんは息を飲んだ。それから目を伏せた。
「そうですか。届いたんですね。毎月10日と決めておられたようで、その日は必ず体を起こしてくれと言われました。痛み止めが効いていると、頭がぼんやりして字が書けなくなる。『10日だけは、眠くならないように調整してほしい』と」
私は唇を強く結んだ。
「私は反対しました。無理をなさらなくてもいいと申し上げた。それでも譲られないので、先生と相談して、10日の午前だけ薬の使い方を変えました。相馬さんは、『これは仕事なんです』と。『月に1度、妻に手紙を書くのが、自分の仕事なんだ』と、そうおっしゃいました」
「息を引き取られたのは、2月10日の明くる日の朝でした」
「明くる日?」
「はい。前の日の夜まで、意識ははっきりしておられました。10日でしたから、手紙を書いておられたんです。途中でペンが止まりました。私が『代わりに書きましょうか』と申し上げたら、首を振られて、『明日でいい』とおっしゃった。その明日が、来ませんでした」
「入院の時の連絡先には、東京のご親族のお名前が書いてありました。『連絡はそこだけだから』と。相馬さんが亡くなられた後、そちらの方がお2人でいらして、そのままお帰りになりました。私のことは、何も伺っておりません」
「相馬さんは、最後に何度か、お名前を呼んでおられました」
「私の?」
「はい。『あや』と。はっきりした声ではありませんでしたが、私には聞こえました」
「どうして」
私は声を絞り出した。
「どうして、呼んでくれなかったんですか?名前を呼ぶくらいなら、呼んでくれればよかったのに」
桜井さんは静かに言った。
「私も、そう申し上げました。連絡だけでもされてはどうですかと、何度も。相馬さんは、1度だけ答えてくださいました。『妻は今、1人で立とうとしている。ここで俺が呼んだら、あいつは倒れる。倒れたら、また誰かの人生に自分を合わせる人だから』と」
私は目を閉じた。その通りだった。もし私が呼ばれていたら、私は全部を投げ出して駆けつけた。仕事も、部屋も、これからのことも。そして慎介を見送った後、私はきっと立ち直れなくなっていた。慎介はそれを知っていたのだ。私が自分では気づいていない私の癖を、あの人だけが知っていた。
「森野さん」
桜井さんはそこで少し姿勢を変えた。
「もう1つ、お伝えしなければならないことがあります」
「はい」
「相馬さんは、1度だけ、こちらを出られたことがあります」
私は思わず桜井さんを見た。
「入院されて1ヶ月ほど経った、1月の10日です。朝、私が行ったら、ベッドにいらっしゃらなかった。大騒ぎになりました。あの状態で外に出るのは、危ないなんてものではありませんから。戻られたのは、夜の11時過ぎです。濡れていました。雨の日でしたから」
私の指先が冷たくなった。
「どこに」
「『東京へ行ってきた』とだけ」
「東京の、どこ?」
「それは、おっしゃいませんでした。私は怒りました。看護師として、当たり前です。そうしたら、相馬さんは謝って、それからこう言われた」
桜井さんはそこで一度息を吸った。
「『家賃を払いに行ったんです』と」
私は立ち上がっていた。自分が立ち上がったことに、後から気づいた。
「家賃」
「はい。私のそこまでは分かりませんが、『払えなかった』ともおっしゃいました」
私は面談室を飛び出しそうになって、それから桜井さんに向き直った。何度も頭を下げた。何と言ったのか、覚えていない。
東京に戻る特急の中で、私は窓に額をつけていた。外は暗くて、自分の顔が映っていた。1月10日。去年の1月10日。私は必死に思い出そうとした。去年の1月、何があったか。その時、私は弁当屋のパートを始めたばかりだった。年末に前の仕事が切れて、年明けから弁当屋に入った。そして、その頃。昨年の12月と、去年の1月。家賃を2ヶ月滞納していた。2年目の秋に1週間遅れた時とは、訳が違った。その時も、風さんは何も言わなかった。
そして、もう1つ思い出したことがある。通帳の最後の入金の日付だ。去年の1月10日。そこで途切れていると、久保先生は言った。手紙の23通目も、同じ1月10日だった。あの人はあの日、いつも通り窓口に並んで5万円を入れて、それから電車に乗ったのだ。北の町の駅に着いたのは、夜の10時過ぎだった。
私は走った。商店街を抜けて、坂を登って、緑荘の前まで。1階の風さんの部屋に、まだ明かりがついていた。私は戸を叩いた。
「風さん、森野です」
しばらくして、戸が開いた。風さんは寝巻きの上に羽織を着ていた。私の顔を見て、目を丸くした。
「どうしたの、あんた。そんな顔して」
「風さん、聞きたいことがあるんです。去年の1月に、うちに誰か来ませんでしたか」
風さんの表情が変わった。すぐには答えなかった。私を見て、それから部屋の隅を見て、また私を見た。
「上がりなさい」
こたつが出ていて、テレビが小さな音でついていた。風さんはテレビを消して、私の前にお茶を置いた。
「あんたに言うなって、言われてたんだよ」
私は膝の上で拳を握った。
「去年の1月の雨の晩だった。夜の7時頃かね。戸を叩く音がして、開けたら男の人が立ってた。傘も差さずに、びしょ濡れで、顔色が土みたいでね。私はてっきり酔っ払いかと思ったよ。したら、その人が言うんだ。『205号室の森野あやの、家族のものです』って」
「家族?」
「そう言った。名前は、最後まで言わなかった」
風さんはお茶をすする。
「『滞納している家賃を払わせてください』って、鞄を出したんだ。私は受け取らなかった。どうしてあんた、家族がいるなんて一言も言ってなかったじゃないか。離婚してきたって、契約の時に書いてあった。実家は九州だって。その人は九州から来た顔じゃない。身元の分からない男から金を受け取って、後であんたに知られたら、どうなる?私はそう思ったんだよ」
私は頷いた。風さんは正しかった。
「だから言ったの。『悪いけど、本人からしか受け取れません』って。そうしたらね」
風さんは湯飲みを置いた。
「その人、玄関の外に出て、そこで頭を下げたんだよ。雨の中で、傘も差さないで。『本人は必ず払う人ですから、もう少しだけ待ってやってください』って。私はね、『待つに決まってるでしょ』って言ったの。あんたはうちに来てから、1度も踏み倒したことがないんだから。そうしたら、その人、『そうですか』って」
風さんの声が震えた。
「『そうですか』て。それだけ言って、また頭を下げて。どれくらい下げてたかね。私が『体を壊すから、顔を上げなさい』って言うまで、ずっと」
私はこたつの天板に手をついた。体が前に崩れた。
「私はね、あんたに言おうと思ったんだ。でも、その人が最後に言ったんだよ。『言わないでください。言ったら、本人が探しに行きますから』って」
私はこたつ布団を握りしめた。「保証人を使わなくていい部屋を探せ」。3年前、慎介はそう言った。あの時は意味が分からなくて、私は反発した。保証会社が入っていれば、家賃が遅れた時点で、督促は会社から来る。事務的に、機械的に。誰かが待ってくれる余地はない。慎介は、私が滞納する日が来ることを、あの時すでに考えていたのだ。その時に、話の分かる人が大家でいてほしいと。そして、自分が頼みに行ける相手であってほしいと。
私は声を上げて泣いた。3年間我慢していたものが、全部出た。風さんは何も言わずに、私の背中に手を置いていた。こたつが温かかった。そのせいで、余計に涙が止まらなくなった。
どれくらい泣いていたのか分からない。顔を上げると、風さんがこたつの上に何かを置いた。小さな包みだった。半紙に包んである。
「その人が、置いていったの」
「これは」
「玄関の隅に置いてあったんだよ。気づいたのは、次の朝でね。返そうにも、名前も連絡先も分からない。だから、ずっと持ってた」
私は半紙を開いた。中から出てきたのは、真鍮の金具だった。岩本さんが私の手に乗せてくれたものと同じ形をしていた。慎介が最初に作って、1個だけ家に持って帰ったという、船の綱を通す輪。鉄工所に残っていたのは、岩本さんが取っておいた分で、これが慎介の持って帰った方だった。磨かれていて、光っていた。
私はそれを両手で包んだ。「これが自分で作れるようになったら、誰かに見せたい」。慎介は店に来たのだ。雨の中を、片道3時間かけて、あの体で。そして、玄関の隅に置いてくることしかできずに、帰った。
私はその夜、部屋に戻って、桐の箱を開けた。24通目の、封のされていない手紙を取り出した。便箋を開いた。字が乱れていた。それまでの23通と違って、一行ごとに傾いていた。書きながら、手に力が入らなくなっていくのが分かる字だった。
そこには、こう書いてあった。
「あや。もしこれを読んでいるなら、お前は戸田さんの店へ行ったんだろう。2年前、ひどいことを言ってごめん。お前を嫌いになったことは、1度もない。『売って生活しろ』と言ったのは、あの店に行って欲しかったからだ。俺の言い方は下手で、これしか思いつかなかった。
俺のそばにいたら、お前は病気と家の争いの両方に巻き込まれる。だから、俺を憎んでも、生きて欲しかった。
1度だけ、会いに行った。渡せなかった。俺は、やっぱりそういう男だ。
指輪は売っていい。売らなくてもいい。お前の好きにしてくれ。
俺のせいで泣いた分、これからは自分のために」
そこで、字が止まっていた。最後の1文字が線になって、便箋の端まで伸びていた。
3月の半ば、私はもう一度潮見町へ行った。今度は、家の鍵を開けるつもりで。引き戸は硬くなっていて、力を入れると音を立てて動いた。中は、思ったより片付いていた。玄関上がってすぐが土間で、その奥に6畳がある。台所と風呂と便所。それだけの家だった。
そして、6畳の隅に、古い机があった。学習机のような木の机だった。天板に傷がたくさんついている。誰かのお下がりをもらってきたのだろうと思った。その机の上に、コーヒーの道具が置いてあった。手動のミルと、ドリッパーと、カップ。カップは2つあった。「1人で飲むと苦い」。慎介はそう言った。あれは冗談ではなかったのかもしれないと、初めて思った。
机の引き出しを開けた。一番上の引き出しには、鉛筆と消しゴムと、便箋の束が入っていた。使いかけの便箋だった。2段目には、何も入っていなかった。3段目を開けた。中に封筒が1つと、小さな紙箱が入っていた。封筒を先に開けた。慎介の指輪だった。同じ細さの、同じ形をしていた。内側が、私のものよりずっと深く擦り減っていた。外してしまい込んだのではない。指が細くなって、それでも落とすまいと、毎日はめ直していたのだと思う。擦り減った内側が、そう言っていた。
私は自分の指輪を出して、机の上に2つ並べた。封筒の中には、写真が1枚だけ入っていた。古い写真だった。随分前のもので、色が少し焼けている。小さな工房の前で、2人が並んで立っていた。若い私と、赤い慎介だ。私はワンピースを着ていて、慎介はよれたシャツを着ている。2人とも、少し照れた顔で笑っていた。指輪を作ってもらったあの工房の前だった。職人さんが撮ってくれたのだ。出来上がりを取りに行った日の写真だった。そんな写真があったことを、私は忘れていた。
私は写真を裏返した。慎介の字で、こう書いてあった。
「俺の人生で、一番幸せだった日」
私はその場に座り込んだ。畳が冷たかった。窓の外から、海の音がしていた。私は写真を胸に当てて、目を閉じた。慎介は毎日、この机に座って、この写真を見ていたのだと思う。一番幸せだった日。会社を継がず、家を出て、私と地味な暮らしをしていた4年間。私が不満だと思ったことのなかったあの4年間を、慎介も同じように思っていたのだ。
私はポケットから指輪を出した。もう、売るためではなかった。
その日、私は家の掃除をした。窓を開けて、埃を払って、畳を拭いた。慎介が使っていた鍋とフライパンを洗って、伏せた。夕方になって、私はコーヒーを入れた。挽く豆はなかったから、途中のスーパーで買った安いドリップパックを使った。カップは2つ出した。自分の分と、もう1つ。窓際に座って飲んだ。海が夕日で赤くなっていた。
美味しくなかった。私は少し笑った。
「まずいよ」
誰もいない部屋で、私は言った。
「あなたの方が、上手だった」
親族が私のところへ来たのは、その翌週だった。夕方、緑荘の外階段を上がってくる足音がして、私の部屋の戸が乱暴に叩かれた。戸を開けると、女の人と男の人が立っていた。女の人は60代くらいで、いい仕立てのコートを着ていた。男の人は40代くらいで、腕時計が大きかった。
「森野あやさんね」
「はい」
「私は相馬道代です。慎介の父の姉に当たります。向こうで相馬の家に残りました。こっちは、息子の国彦」
私は2人を部屋に入れなかった。外階段の踊り場で話した。道代さんは私の部屋の中をちらりと見て、鼻から息を出した。
「あなた、慎介の遺産を受け取ったそうね」
「弁護士さんから、話は聞きました」
「離婚した女に、受け取る権利なんかないでしょう。それは、あの家もお金も、全部相馬の家のものです。返していただきます」
私は黙っていた。あの店に入る前の私だったら、多分謝っていた。「すみません」と言って、書類にも判を押していたかもしれない。でも、私はもう、慎介がどうやってあの2年を生きたかを知っていた。
私は携帯を出した。
「弁護士の久保先生に、連絡します」
「弁護士なんか呼ばなくても」
「呼びます」
私は電話をかけた。久保先生は30分で来た。タクシーで乗り付けて、階段を上がってきて、2人を見ると軽く頭を下げた。
「道代さんと、国彦さんですね。弁護士の久保です。立ち話も何ですから、下でお話しましょうか」
私たちはアパートの前の道に降りた。久保先生は鞄を出した。
「まず、事実を整理させてください。おばと従子は、法律上の相続人ではありません。ご存知のはずです」
「そんなはずは」
「法律で決まっております。相続人になれるのは、配偶者とお子さん、それからご両親や祖父母、そしてご兄弟姉妹まで。おばと従子は、そこには入りません」
「じゃあ、誰が相続するんですか?」
「相続人がいない場合、遺言がなければ、財産は最終的に国のものになります。ですが、相馬さんは遺言を残されました」
久保先生は書類を掲げた。
「公正証書遺言です。3年前の2月に、公証役場で作成されたものです。原本は役場に保管されています。内容は明確です。株式は全て会社へ。預金と潮見町の不動産は、森野あやさんへ」
「あの子は、正常な判断ができる状態じゃなかったはずよ」
「公正証書遺言は、公証人が本人と直接会って、意思を確認して作ります。作成時、相馬さんはご自分の足で公証役場までお越しになりました。身の回りのことも、全部ご自分でなさっていた。判断能力に問題があったという事実はありません。必要でしたら、公証人に確認していただいて構いません」
道代さんは口を閉じた。国彦さんが、少し声を落として言った。
「株は、会社に戻ったんですよね」
「はい」
「じゃあ、俺たちには、何も」
「はい。元々、お2人が受け取る権利のあるものではありませんでした」
そこで、久保先生は書類をたたんだ。そして、それまでとは少し違う声で言った。
「相馬道代さん」
「何ですか」
「相馬慎介さんが亡くなられた時、葬儀を出されたのは、あなた方ですよね」
「そうです。親族ですから」
「その時、森野さんにご連絡はされましたか?」
道代さんは答えなかった。
「されていませんね。『もう他人だから』というお考えは、分かります。法律の上では、その通りです。ですが、個人の意思は明確です」
久保先生は道代さんの目を見た。
「相馬さんは、遺言に1つだけ、財産と関係のないことを書き残しておられます。読み上げます。『妻に、俺の墓の場所を教えてやってください』」
私は口を開けたまま、久保先生を見た。道代さんの顔から血の気が引いた。
「森野さんをこれ以上傷つけるようなことをなさるなら、こちらも法的に対応いたします。ですが、私はそれを望んでいません。教えて差し上げてください。それだけです」
長い沈黙があった。やがて、道代さんが小さな声で言った。
「青山の霊園です。区画は、後で書いて送ります」
そう言って、道代さんは背を向けた。数歩歩いて、立ち止まった。振り返らずに言った。
「あの子には、父親が死んだことも知らせなかった。知らせたら、株の話をされると、思ったのよ」
その声が、少しだけ震えていた。
「あの子の帰る場所は、うちじゃなかったのね」
そして、2人は帰って行った。
墓参りに行ったのは、4月の始めだった。青山の墓地は広くて、私は入口の管理事務所で場所を聞いた。桜が咲いていた。花びらが石の上に落ちていた。慎介の墓は、大きな石の墓だった。
私は手桶に水を組んで、石を洗った。前の日にもう一度潮見町まで行って、花屋さんの店で包んでもらったかすみ草と黄色い小菊。それを電車で持ってきて、墓石の前に供えた。線香に火をつけて、手を合わせた。しばらく、何も言えなかった。やがて、私は口を開いた。
「ひどいよ」
声が震えた。
「勝手に私を守って、勝手にいなくなって。一言も相談しないで、全部1人で決めて。私、3年間ずっと、あなたを恨んでた。恨むことで、なんとかやってた。その3年、返してよ」
風が吹いて、桜が散った。
「でも」
私は目を閉じた。
「ありがとう」
言ってしまうと、後は楽だった。
「私、あなたに捨てられたんだと思ってた。捨てられて、それでも生きなきゃいけないんだと思ってた。違ったんだね。最後まで、守られてたんだね」
私は左手を出した。指輪を薬指にはめた。それは、過去に縛られるためではなかった。あの人がくれたものを忘れないで、前に歩くためだった。
「行ってくるね」
私は立ち上がった。
それから、1年が過ぎた。
私は潮見町の家に移った。東京の部屋は引き払った。緑荘を出る日、風さんは坂の下まで送ってくれた。私は最後に、あの雨の夜のことをもう一度聞いた。あの人が玄関の外に立っていたのは、どのくらいの時間だったのか。風さんは少し考えて、こう言った。
「5分か、10分か。もっと長かった気もするね」
「だね」
「あの人、頭を下げながら、こっちを見なかったんだよ。見なかった。玄関に上がりもしないで、外の暗い方を向いて、そこで下げてたの。私が『顔を上げなさい』って言ったら、『すみません』って言って、それでやっと」
風さんは首を振った。
「あれは、私に頭を下げてたんじゃないね」
私は頷くことしかできなかった。
「たまには、顔を出しなさいよ」
「はい」
「ご飯、ちゃんと食べるんだよ」
「食べます」
風さんは、私が角を曲がるまで手を振っていた。
潮見町では、岩本鉄工所の事務をしている。岩本さんは長いこと帳簿を自分でつけていた。入りの伝票が段ボールに突っ込んであって、月末になると岩本さんが1日中それと格闘していた。私が見せてもらって、「これは私がやります」と言ったら、岩本さんは「助かる」と言って、それから鼻をこすった。
去年の暮れ、私は余計なお世話をした。岩本さんの息子さんの連絡先を調べて、紙に書いて渡したのだ。使うかどうかは知らない。私は何も聞かなかった。ただ、今年の正月に鉄工所へ行ったら、休憩室の壁に写真が1枚増えていた。小さな女の子が、七五三の着物を着て笑っている写真だった。
慎介の残したお金は、ほとんど使っていない。久保先生に相談して、あの115万円だけ使い道を決めた。潮見町には病院がない。一番近い病院まで、車で20分かかる。バスは1日に3本しかない。朝の8時と、昼の2時と、夕方の5時だ。午前中に見てもらおうとすると、8時のバスに乗るしかない。帰りは2時のバスまで待つことになる。5時間以上、待合室で座っているのだ。岩本鉄工所の常連のおじいさんが、それが嫌で病院に行かなくなったと聞いた。
私は町役場に相談に行っている。結婚していた頃に取って、1度も使わなかった免許がある。軽自動車を1台買って、週に2日、通院の人の送り迎えをするだけのことだ。それだけのことなのに、まだ何も決まっていない。断られるかもしれない。
慎介は2年間、この町で船の金具を作った。誰かの綱を、少しだけ丈夫にするだけの仕事だ。私は多分、そういうことしかできない人間だ。誰かの生活の、細かいところを整えるようなこと。それでも、いいと思っている。
家の机の上には、写真を立てた。裏に「俺の人生で、一番幸せだった日」と書いてある、あの写真だ。その隣に、真鍮の輪と、慎介の指輪を並べてある。雨の夜に渡せなかった、あの金具。
私は時々、それを磨く。磨くと、光る。
朝は、自分でコーヒーを入れる。豆から引く。ミルの音が、あの頃と同じ音をする。カップは2つ出している。飲むのは1つだけれど、出すのはやめられない。
戸田さんには、季節ごとに手紙を書いている。先月、返事に写真が入っていた。店の柱時計を修理に出したそうで、治った時計の前で、戸田さんが少し照れた顔で立っていた。添えられた便箋には、こう書いてあった。
「うちの店には、まだ引き取り手のない品がいくつも残っております。奥様のような方が、いつかまた来てくださるかもしれないと思うと、捨てられずにおります」
私はその手紙を、机の引き出しにしまった。
先週、花屋さんの店に行った。
「花屋さん、今年の9月も、お花いる?」
「いります」
「取り消さない」
「取り消しません」
花屋さんは笑った。私も笑った。
離婚の日、夫が私に握らせた指輪は、私を突き離すためのものだと思っていた。でも、本当はあの人が最後に残してくれた、私が生きるための道しるべだった。



