「貧乏農家に買える車ないよ。ここ、あんたたちの来るお店じゃないの。」 6年ぶりに会った姉は、私の泥のついた長靴から夫の作業着まで値踏みして笑った。姉の夫は、この高級車ショールームの店長。私は田舎の農家に嫁いだ「貧乏な妹」のまま。でも姉は知らない。この日、私たち夫婦がこの店に何をしに来たのか。そして、姉が「どうせ買わないから」と追い返した後、この店で何が起きるのかを。…

「貧乏農家に買える車ないよ。ここ、あんたたちの来るお店じゃないの。」 6年ぶりに会った姉は、私の泥のついた長靴から夫の作業着まで値踏みして笑った。姉の夫は、この高級車ショールームの店長。私は田舎の農家に嫁いだ「貧乏な妹」のまま。でも姉は知らない。この日、私たち夫婦がこの店に何をしに来たのか。そして、姉が「どうせ買わないから」と追い返した後、この店で何が起きるのかを。...

磨き上げられた白い床に姉の声が響いた。

「貧乏農家に買える車ないよ。ここ、あんたたちの来るお店じゃないの。」

よく晴れた10月の昼下がり。桜坂市の高級車ショールーム。久しぶりに会った姉は、私の靴の泥から夫の作業着の襟まで順番に目でなぞって笑った。

「まだ農家やってるんだ。」

「はい。」

夫は短くそう答えただけだった。

ガラスの向こうの駐車場には、泥を残した古い軽トラが1台。姉は口の端を上げ、指輪を光らせて店の奥を指した。

「ちなみに、私の夫、ここの店長だから。」

私は日高美月。32歳。6年前、姉が「絶対に嫌」と突き離した縁談を押し付けられて、田舎の農家に嫁いだ。姉の中の私は、今も泥だらけの貧乏農家の嫁のままだ。

だから姉は知らない。この日、私たち夫婦が何をしにこの店へ来たのか。その後、この店で何が起きるのかも。

これは、姉がいらないと捨てた人生を、夫婦2人の手で作り直した6年間の話だ。

話は6年前の春から始まる。

当時の私は26歳。都内の事務機の会社で営業事務をしていた。見積もり書を作り、伝票を締め、月末には請求の数字を最後の1円まで合わせる。派手さのかけらもない仕事だが、数字が最後にぴたりと合う瞬間が好きだった。課長からは「美月さんに任せると締めが早い」と褒められていた。給料は多くない。それでも、自分の腕で回している実感があった。

実家は都内の外れにある一軒家。父は定年まで勤め上げた会社員、母は近所付き合いの顔が広く、町内の噂は大抵母を経由して広がった。そして3つ上の姉がいた。

うちの家には、私が物心ついた時から決まった順番があった。新しい服は姉に買い、私にはお下がりが回ってきた。夕飯の唐揚げは大きいものから姉の皿に乗った。進学の時も習い事の時も、先に選ぶのは姉だった。誰も理由を口にしないし、私も聞かなかった。理由を聞いたところで順番が変わらないことだけは分かっていたからだ。

母は近所の人に姉を紹介する時、決まって同じ言い方をした。「上の子は華やかでしょ。昔から人に好かれるのよ。」そして、思い出したように私を振り返って付け足す。「下の子はまあ、真面目だけが取り柄でね。」

私はその度に笑った。笑って流すのが一番早く終わると、子供の頃に覚えてしまった。父の口癖は「下の邪魔だけはするな」だった。邪魔をした覚えなどない。それでも父は同じ言葉を言い続けた。言い続けることで、家の順番を確かめていたのだと思う。

姉は短大を出て、デパートの化粧品売り場で販売員をしていた。給料は洋服と美容室に消え、貯金はほとんどないはずだった。口を開けば「私は都会でしか生きられない」が口癖で、テレビに畑が映るだけで「無理無理」とチャンネルを変えた。

4月の半ば、実家に縁談が持ち込まれた。持ってきたのは父の元上司の蒲沼さん。70歳。丸いメガネの奥の目が優しい人で、現役の頃から父が頭の上がらない数少ない相手だった。

休みの日の午後、座敷に通された蒲沼さんは、黒い風呂敷から釣書と写真を出した。

「先方は日高鉄平さん。30歳。隣の県で梨とぶどうの農園をやってる。」

父が釣書を受け取り、母が横から覗き込んだ。

「畑は2町歩。サッカー場の3つ分ほどの広さでな。家は古いが、土地も畑も本人のものだ。借金がないとは言わんが、地道にやってる。わしの古い友人の息子でな。親父さんの十蔵さんは3年前に亡くなって、それからは1人で畑を守っとる。うちの息子は真面目で嘘のつけない男だ。そろそろ所帯を持たせたいと親戚筋から頼まれてな。」

話は当然のように姉に向けられた。30歳が見えてきた姉に、母が焦りを感じていた時期だったからだ。

母は写真を姉の前へ滑らせ、声を弾ませた。「農園ですって。経営者さんよ。」

「農園って、社長さんのこと?」

姉は爪の先で写真をつまみ上げた。写真の中の男の人は、日に焼けた顔で真面目に正面を向いていた。

「経営者っちゃ経営者だがな。小さい農園だ。贅沢はさせてやれんと。本人も正直に言うとる。」

「ねえ、車は何に乗ってるの?年収は?」

姉は写真を置き、当然の顔で条件を並べさせようとした。蒲沼さんは苦笑して首を振った。

「車は仕事で使う軽トラが1台。収入は年によって波がある。それが農家というもんでな。」

姉の眉が寄った。それでも母に袖を引かれて、姉は写真をもう一度手に取った。

「もう、会うだけなら会ってもいいけど。」

姉が乗り気になったのは「経営者」の一言だけが理由だった。土の匂いのする暮らしを姉が受け入れるとは、私にはとても思えなかった。それでも口は挟まなかった。私はお茶を出しながら、人として聞いていた。姉の縁談に私の出る幕はない。この家ではいつものことだ。

「まずは見学だ。土地と人を見るといい。」

蒲沼さんの取り計らいで、その次の休みに姉は母と2人で先方の農園を見に行くことになった。会う前に家と土地を確かめておきたいと言い出したのは姉の方だった。見学してから会うかどうかを決める、姉らしいやり方だった。

見学の日の朝、姉は鏡の前で1時間かけて支度をした。よそ行きのワンピースに下ろしたてのヒール。畑を見に行く格好ではなかった。

「畑なんだから、歩きやすい靴の方がいいんじゃない?」

思わずそう言った私に、姉は鏡越しに笑った。「聞くだけで会ってあげるんだから、向こうが合わせるのが筋でしょ。」母も母で「下はそのままで十分よ」と送り出した。

私は玄関で2人を見送りながら、写真の中の真面目な顔を思い出していた。あの人は姉のこういうところを知らないまま待っているのだろう。胸の隅が薄く曇ったが、口には出さなかった。

そして夕方、玄関のベルが鳴って、私は台所から顔を出した。帰ってきた姉の顔を見て、盆を持つ手が止まった。化粧の上からでも分かるほど、姉の顔は不機嫌に沈んでいた。母は母で、姉の機嫌を伺うように半歩後ろを歩いてくる。

「お帰りなさい。どうだった?」

私が聞き終わらないうちに、姉はヒールを乱暴に脱ぎ捨てた。ワンピースの裾には、出かける前にはなかった砂埃の跡が残っていた。それを姉は、汚いものでも払うように手ではたいた。廊下に響いた音が、この縁談の行き先を先に教えていた。

その夜の食卓は、姉の毒舌会だった。

「無理、無理。絶対無理。農家なんて絶対嫌。あんな田舎で一生暮らすとか、考えただけで鳥肌が立つ。」

箸も持たずに姉はまくし立てた。「駅まで車で20分よ。コンビニまで歩けないのよ。家なんて築何十年って感じの古さだし。当たり一面、畑と山しかないの。」

「でも、土地は広かったじゃないの。」

母が取りなすと、姉は大げさにのけぞった。「広くて何になるの?お母さんもあの軽トラ見たでしょ。あれが自家用車なのよ。軽トラ乗って泥だらけになる人生なんて、私にはありえない。」

畑の途中で長靴を勧められたことまで、姉は侮辱のように語った。挨拶に出てきた本人については「日焼けした無口な人」の一言で済ませた。人柄の話は最後まで出なかった。

「とにかくお断りして。私、都会でしか生きられないから。」

姉は言うだけ言うと、夕飯にも手をつけず自分の部屋へ引き上げていった。階段を踏み鳴らす音が、2階から抗議のように降ってきた。

「蒲沼さんの顔を潰すわけにはいかん。」

父が唸った。蒲沼さんは父の元上司で、父の最終職の世話までした人だ。見学までしておいて断ったとなれば義理を欠く。母は近所への体裁を気にしていた。下の娘が農家を袖にしたと知られたら、母の社交界で格好の話の種になる。

沈黙が続いた後、母がふと顔を上げた。その視線が、お茶を注いでいた私で止まった。

「じゃあ、美月が行けばいいんじゃない?」

湯呑みの向こうで、母は何でもないことのように言った。「美月なら真面目だし、畑仕事も嫌がらなさそうだしねえ。お父さん。」

「おお、それがいい。下なら文句もなかろう。」

父は即座に乗った。「文句もなかろう」。娘の一生がかかった話に使う言葉がそれだった。私の希望を聞く段取りは、最初から誰の頭にもなかった。

「待って。私の話。」

「あんた、どうせ彼氏もいないでしょ。」

いつの間にか戻ってきた姉が、ドアに持たれて笑っていた。「ちょうどいいじゃない。真面目だけが取り柄なんだから、畑はお似合いよ。」

姉はそう言い残すと、鼻歌交じりに風呂へ消えた。厄介ごとを妹に付け替えた夜の、上機嫌の鼻歌だった。

私は言い返さなかった。言い返しても順番が変わらないことは、この家で一番よく知っている。ただ、湯呑みを持つ自分の手を見下ろした。この手はいつから、家族の体裁を拭くための雑巾になったのだろう。

私の返事を待たずに、話は転がっていった。翌日には母が蒲沼さんに電話をかけ、「下の娘で是非」と伝えてしまった。仕事から帰った私は、上機嫌の母の口からそれを知らされ、鞄を下げたまましばらく玄関に立ち尽くした。

「お母さん、私、行くともまだ言ってないよ。」

「あら、嫌なの。」

母の声には、「嫌だと言うなら、この家での立場は分かっているわね」という響きが確かに混ざっていた。断った先の居心地を想像して、私は結局「分かった」とだけ答えた。26年かけて飼い鳴らされた諦めが、その一言を言わせた。

その週の金曜、会社帰りの電車の中で、私は窓に映る自分の顔を眺めた。「真面目だけが取り柄」「畑がお似合い」。家族の言葉が窓の外の夜景に重なって流れていった。悔しさより先に、どこか諦めのような湿り気があった。自分の人生なのに、切符を買うのはいつも私以外の誰かだった。

5月の連休明け、顔合わせが設けられた場所は、先方の県の駅前の小さな料亭だった。当日の雨を背にした日高鉄平さんは、写真より痩せて見えた。慣れないスーツの襟に指を入れては、座り直してばかりいた。それでも、蒲沼さんに畑のことを聞かれた時だけ、声の色が変わった。

「今年は梨の花の付きが良くて、摘蕾を丁寧にやればいい実になります。」

意味は半分も分からなかったが、この人は畑の話をする時に嘘のない顔をするのだ。それだけは分かった。

世間話が一段落したところで、父が切り出した。

「いや、先日は上の娘が失礼をしました。ただ、うちには下にもう1人おりましてな。この方がよほど気立ても良く、働き者で。」

まるで品物を差し出すような言い方だった。私は俯いて畳の目を数えた。その時だった。

「お話の途中にすみません。」

鉄平さんが座布団を外し、両手をついた。「先日いらしたのはお姉さんの方だと伺っています。その縁談が流れたから、今度は妹さんでというお話でしたら、僕はお受けできません。」

座敷が静まり返った。仲人役の蒲沼さんまで、湯呑みを持ったまま固まっていた。父の顔がみるみる赤くなった。

「なあ。それは、うちの娘では不足だと?」

鉄平さんは顔を上げた。日に焼けた顔の中で、目だけがまっすぐ父を見ていた。「妹さんに不足があるはずもありません。ただ、姉の代わりだからと家の都合で嫁に来てもらって、幸せになれる人はいません。僕はそういう方を望みたくないだけです。」

それから鉄平さんは私の方へ向き直って、頭を下げた。

「美月さん、家の都合は抜きにして、1度だけただの日高鉄平と会っていただけませんか?それで気が進まなければ、この話はきれいに忘れてください。」

帰り際、玄関先で靴を履く私に、鉄平さんは小さく付け足した。「決めるのは、親御さんでもお姉さんでもありません。」隣で蒲沼さんが、眼鏡の奥の目を細めて頷いていた。「鉄平君はこういう男だ」と言いたげな顔だった。

帰りの車の中で、父は「生意気な男だ」と吐き捨て、母は「体裁は立ったからいいじゃない」と感想を口にした。2人とも、私がどう感じたかは聞かなかった。私は後部座席で、玄関先の一言を何度もなぞっていた。「美月さん、本人の人生ですから」。その一言が、26年の中で初めて私をこの家の順番の外へ連れ出した。

最初に2人で会ったのは、その2週間後だった。場所は先方の県の喫茶店。鉄平さんは待ち合わせの30分前から来ていて、私が着くと立ち上がってぺこりと頭を下げた。

「すみません。畑の癖で、約束の前には早く着いてしまうんです。」

私は鞄を抱え直して答えた。「私も30分前に出るつもりが、電車を1本早めてしまいました。」

顔を見合わせて、どちらからともなく笑った。緊張が解けたのは、その瞬間だったと思う。

運ばれてきたコーヒーに、鉄平さんは砂糖を3倍入れた。私の視線に気づいて、バツが悪そうに頭をかいた。「畑の合間に飲むと、これぐらい甘い方が効くんです。恥ずかしくてすみません。」

「気取らないにも程がある。」

私はその正直さに、早くも降参していた。鉄平さんは口数の多い人ではなかった。それでも、聞けば何でも正直に答えた。年収は波があること。父の十蔵さんが残した畑と家の他に、設備の借金が残っていること。朝は日の出前に起きること。休みは雨の日くらいしかないこと。

「隠すと後で困りますから。」

そう言って鉄平さんは、伝票の裏に農園の1年を書いてくれた。2月は剪定、5月は摘蕾、8月の終わりから梨、9月からぶどう。格好をつけない数字と段取りの話は、見積もり書を作り続けてきた私には、どんな口説き文句より信用できた。

2回目は農園を見せてもらった。姉が「泥だらけ」と切り捨てた畑は、1本まで手入れが行き届いていた。倉庫の道具は使い込まれて、柄のところだけ艶が出ていた。物が語る誠実さというものがある。伝票の数字と同じで、手入れの跡は嘘をつかない。

「ここが親父の代からの梨畑です。」

鉄平さんは棚の下で足を止めて、袋のかかった実をそっと持ち上げた。「うまくいかない年の方が多いです。それでも、食べた人がうまいと言ってくれた年のことは、全部覚えてます。」

3回目は町の夏祭りに誘われた。神社の境内で、鉄平さんは行きずりに声をかけられた。「鉄平ちゃん、いい人連れとるじゃないの?」からかったのは、近所の農家の奥さんの藤村さんだった。50代のよく笑う明るい人だ。鉄平さんは耳まで赤くなって、「まだそういうのでは」ともごもご言った。その慌てぶりがおかしくて、私は綿あめの影で笑いを噛み殺した。

帰り道、鉄平さんはぽつりと言った。「賑やかな町ではないですけど、人の顔が見える町です。」

4回目は収穫前の畑を手伝わせてもらった。軍手を借りて、梨の袋かけの続きをやった。1時間もすると腕が上がらなくなった私に、鉄平さんは麦茶を差し出した。「最初はみんなそうです。俺も子供の頃、親父に笑われました。」

仕事の合間の電話も増えていた。要件は天気の話や畑の話ばかりで、5分と持たない。それでも、切った後の余韻が妙に名残惜しかった。

5回目に会った9月の夕方、梨の棚の下で鉄平さんは改まって帽子を取った。

「美月さん、俺は贅沢はさせてやれません。朝は早いし、手も荒れます。それでも、あなたと一緒に畑をやっていきたい。結婚してください。」

家の都合でも姉の代わりでもなく、日高鉄平が心を込めて頭を下げていた。私は生まれて初めて、自分の切符を自分で買った。

「はい。私でよければ。」

返事をした瞬間、棚の向こうで夕焼けがぶどうの葉を透かしていた。あの色は今でも覚えている。

後で聞いた話だが、鉄平さんはあの夜、蒲沼さんに電話で報告したそうだ。「受けてもらいました」と一言だけ。蒲沼さんは「そうか」と言ったきりしばらく黙って、それから鼻をすったという。十蔵さんの家に翌朝一番で報告に行ってくれたらしい。

返事をしてから実家に報告するまでが、一番気が重かった。電話口の母は「あら、そう」と言い、それから急に声を低くした。「言っておくけど、向こうの家が貧乏なのはあんたも見て分かってるわね。後で泣き言を言って帰ってきても、置く部屋はないから。」祝いの言葉は最後まで出なかった。

私は「分かってる」とだけ答えて電話を切った。不思議と傷つかなかった。この家に期待するものが、もう残っていなかったからだと思う。

結婚式はあげなかった。式に使う金があるなら畑の設備に回したい。そう相談してきた鉄平さんに、私も同じ考えだと即答した。その年の10月に入籍し、両家と蒲沼さんだけの小さな食事会をした。私は26歳だった。実家の反応は、素っ気ないほど薄かった。「そう、決まったの。良かったじゃない。」母は台所から顔も出さずにそう言った。父は「蒲沼さんの顔も立った」と1人で納得していた。2人の中で、この結婚は娘の門出ではなく、厄介ごとの後始末だった。

姉に至っては、食事会の席で私の耳元に口を寄せてこう言った。「農家の嫁が片付いてくれて、助かった。ま、あんたにはお似合いよ。」

「お似合い」。その言葉を私は胸のうちで受け取った。そうだといい。お似合いならそれでいい。姉への言い返しは、もうこの家に置いていくと決めていた。

食事会の帰り際、鉄平さんは私の両親に深く頭を下げた。「美月さんは必ず幸せにします。」父は「ん」と言っただけだった。母は着物の帯を気にしていた。その横で、蒲沼さんだけが我が子のように目を潤ませて、何度もお辞儀を返していた。

こうして私は日高美月になった。姓が変わった保険証を眺めて、新しい名前を口の中で3回唱えた夜のことは、多分一生忘れない。

ただ、先に行っておかなければならない。嫁いだ先は、絵に描いたような貧乏農家だった。想像していたよりもずっとだ。

結婚生活は、通帳の残高を確かめるところから始まった。家は築40年を超えた平屋で、冬は廊下に置いた水が凍った。風呂は追い焚きだけが壊れていて、家を張り出すたびにガス台の心配をした。車は父の十蔵さんの代から使っている軽トラが1台きり。買い物も役場も病院も、全部その軽トラで行った。

結婚してすぐ、鉄平さんは私に通帳と借入金の明細を全部見せてくれた。「梨とぶどうの借入金が、親父の代の分と合わせて800万ある。返済は毎月きちんと払えとる。ただ、収入は年によって波がある。去年は良かった。その前の年は、正直苦しかった。」

800万。会社で扱う伝票なら見慣れた数字だが、自分の暮らしに乗ると重さがまるで違った。それでも、包み隠さず数字を見せてくれたことが私にはありがたかった。

「私、経理は得意なの。家計はやらせて。」

「頼みます。俺は数字より畑の方が分かるんで。」

そう言って笑い合ったものの、現実は笑えなかった。食費は月2万と決め、庭の畑の野菜で埋めた。服は買わず、化粧品は最低限。会社員の頃に貯めた自分の貯金には手をつけないと決めていたのに、灯油代の値上がりだけで簡単に崩れた。

近所の人たちは、都会から来た嫁を遠巻きにするどころか、面白がって世話を焼いてくれた。中心はやはり藤村さんだった。

「美月ちゃん、大根持ってきな。それと、長靴はワンサイズ大きいのを履くんだよ。厚手の靴下が入るから。」

漬け物の漬け方も、直売のやり方も、軽トラの荷台のロープの結び方も、教わったことは全部ノートに書いた。会社員時代からの癖で、教わったことを書き留めないと落ち着かないのだ。そのノートは1年で3冊になった。

「あんた、覚えが早いね。鉄平ちゃんはいい嫁をもらったよ。」

藤村さんにそう言われた日は、夜まで機嫌が良かった。実家では1度ももらえなかった種類の言葉だった。

農作業は想像の3倍辛かった。12月の剪定は、夜明け前の畑で始まる。カジカム手でハサミを握り、枝を見上げ続けて首が固まる。ゴム手袋の中で指先は赤切れだらけになった。会社で書類をめくっていた手が、一冬で別人の手になった。指の赤切れには、夜ごと鉄平さんが軟膏を塗ってくれた。大きな無骨な手が、綿棒で丁寧に薬を伸ばす。その手つきがおかしくて、痛いのに笑ってしまう夜もあった。

「笑うなよ。」

「だって、梨を扱うより慎重なんだもの。」

「当たり前だ。なしより大事だからな。」

そういうことを、照れもせずに言うのだった。

「無理はしなくていい。畑は俺の仕事だから。」鉄平さんは何度もそう言った。でも私は首を振った。2人でやると決めてきたのだ。それに、隣で作業を覚えるたびに、この人が1人で守ってきたものの大きさが分かった。2町歩の畑は、1人で抱えるには広すぎた。

それでも体は正直だった。ある朝、剪定した枝を運んでいる途中で目の前が白くなり、気がつくと畑のヘリに座り込んでいた。駆け寄ってきた鉄平さんの顔色の方が、私よりよほど悪かった。

「ま、俺が甘かった。」

「違う。私が意地になっただけ。」

その夜、鉄平さんは慣れない手つきで雑炊を作ってくれた。鍋の底がうっすら焦げた雑炊は、涙が出るほどうまかった。

夏は夏で、朝4時起きの収穫が続いた。梨は朝の涼しいうちにもがないと痛む。もぎ方1つで翌年の枝が変わると教わり、手が覚えるまで何百回も繰り返した。昼は選果と箱詰め、夕方は配達。夜は食卓で伝票の整理をしながら、2人とも箸を持ったまま船を漕いだ。

それでも、初めて自分がもいだ梨を市場に出した日のことは忘れられない。ボールにハサミを押しながら、鉄平さんが言った。「これで美月も、うちの畑の一員だな。」たったそれだけの一言で、赤切れも筋肉痛も消し飛ぶのだから、我ながら安い女だと思う。

年が開けて正月、2人で私の実家へ帰省した。手土産は畑の野菜と、泣けなしの金で買った菓子折り。玄関で迎えた姉は、私の手を見るなり吹き出した。

「うわ、何その手?赤切れだらけじゃない?おばあちゃんの手みたい。」

座敷に上がってからも、姉の自慢は止まらなかった。姉自身は、勤め先の化粧品や付き合い始めたばかりの相手の話を並べ立てた。曰く、車を持っている。曰く、休みのいい店に連れて行ってくれる。「やっぱり結婚するなら、生活の心配のない人じゃないとね。」姉はちらりと鉄平さんを見てから、聞こえよがしにそう締めた。

「そのセーター、去年も来てたやつでしょ。ねえ、お正月なのに新しい服も買えないの?」

私はセーターの袖を引いて答えた。「畑が忙しくて、買いに行く暇がなくて。」

「暇じゃなくて、お金の問題でしょ。だから言ったじゃん。農家なんてやめときなって。」

姉は笑い、母は姉の隣で笑いながらミカンを剥いていた。父は鉄平さんに酒を注がれても、テレビから目を離さなかった。鉄平さんは畳に手をついて、変わらず丁寧に挨拶をしていた。その背中を見ていたら、悔しさより申し訳なさが先に立った。この人は何も悪くないのに、この家では頭を下げてばかりだ。

3日も開けないうちに、私たちは逃げるように実家を出た。玄関先で母は「今度はもう少しマシな格好で来なさいよ」と念を押し、姉は「無理しないでね、農家の奥さん」と笑った。最後まで、畑の話も暮らしの話も、誰1つ聞こうとしなかった。

鉄平さんはハンドルを握ったまま言った。「美月、すまんな。いい正月にしてやれんで。」

私は首を振った。「うん。うちの家族があんな調子でごめんなさい。」

「気にせんでいい。それより、来年の正月は胸張って帰れるようにしよう。」

その時は社交辞令のような励ましだと思っていた。だが、その約束の年の9月、胸を張るどころか私たちはどん底を見た。

収穫を1週間後に控えたぶどう畑を、大型の台風が直撃した。前の日の夕方から、2人で夜中まで準備に走り回った。袋をかけ直し、ネットを閉め、棚の支柱に杭を打ち出した。それでも風は、人の備えなど鼻で笑う強さで吹いた。

轟音と天を鳴らした風が止んだ朝、畑に出た私たちの前で、棚の一部が押し潰れていた。袋ごと落ちた実が、ぬかるみに転がっていた。1年かけて世話をした実だった。私はその場にしゃがみ込んだ。長靴の先で、泥をかぶった袋が1つ潰れた。拾い上げても、もう売り物にはならない。分かっていても、拾わずにはいられなかった。

鉄平さんは黙って畑を一回りして、潰れた棚の本数と生きている木の数を確かめてから戻ってきて、こう言った。「棚は直せる。木が生きとるだけ、助かった。」その声がわずかに震えていたのを、私は聞かなかったふりをした。

それからの1週間、私たちは泥の中で残った実を選り分けた。藤村さんの家からも、近所の農家からも、手の空いた人が入れ替わり手伝いに来てくれた。「お互い様だよ。うちが同じ目にあった年は、十蔵さんに助けてもらったんだから。」藤村さんは泥だらけの軍手のまま笑った。倒れた棚の下で、この土地の借りと貸しは何十年も回り続けているのだと知った。

被害を免れた実を売っても、この年の収入は前年の半分に届かなかった。農業共済である程度は補われたものの、棚の修理代と翌年の資材までは届かない。返済のために、私はとうとう自分の貯金を取り崩した。窓口で払い戻しの伝票に判を押しながら、情けないほど手が震えた。それでも鉄平さんには「共済で足りたから平気」と言い張った。あの人に、これ以上自分を責める材料を渡したくなかった。

嘘は3日でばれて、頭を下げられて、夫婦で初めての小さな喧嘩になった。

「2人でやると決めたんでしょ。だったら、お金の痛みも半分こにして。」

私がそう言うと、鉄平さんは長いこと黙って、それから「叶わんな」と笑った。通帳の数字が減っていくのを見ながら、姉の「だから言ったじゃん」が頭の中で何度も鳴った。

それでも、翌朝まだ暗いうちに目を覚ますと、隣の布団はもう空だった。窓の外の畑で、ヘッドランプの明かりが1つ、倒れた棚の下で動いていた。棚が倒れた次の朝も、この人は畑に立つ。それが日高鉄平という人だった。なら、私はこの人の隣で数字を立て直す人になろう。布団の上で決意を固めて、そう決めた朝だった。

台風の年の冬。こたつで帳簿を閉めながら、私は鉄平さんに1枚の紙を差し出した。会社員時代の癖で作った、手書きの企画書だった。

「ねえ、うちの梨とぶどう、直接売らせてもらえない?」

「直接って、市場を通さずにか?」

「全部じゃない。いいものを選んで、欲しい人に直接届けるの。ネットで。」

鉄平さんは紙を手に取り、眉を寄せて長いこと眺めた。「俺にはさっぱり分からん世界だな。」

「分からんでいい。作るのはあなた、売るのは私。役割分担。」

私は会社で8年、見積もりと受注の窓口をやってきた。注文がどう動くか、お客さんが何に金を払うかは、伝票の向こうでずっと見てきた。畑のことはまだ半人前でも、売ることなら戦える。そう思っていた。

最初の商品は贈答用の詰め合わせにした。台風をくぐり抜けた梨は、小さな傷のあるものも多かった。だから傷のない特選だけを厳選して箱にし、残りは加工用に回す。写真は私が撮った。夜明けの畑と、鉄平さんの日に焼けた手に載ったばかりの梨。説明文には、産地と品種だけでなく、剪定から袋かけまでの1年を書いた。

「こんな手の内まで書くのか。」

「書くの。誰がどう作ったか見えるものにしか、人は信用をくれないの。」

売り出すまでの準備は、夜鍋の連続だった。写真は取り直しを何十回も重ねた。蛍光灯の下で撮った梨は、どうしても青白く沈む。結局、朝の自然光が一番うまいことに気づくまで1週間かかった。梱包も、乾燥剤の入れ方1つで潰れ方が変わる。試しに自分宛に送っては開け、送っては開けた。台所はダンボールの砦になった。

「商売より先に、ダンボールが開きそうだな。」

鉄平さんの軽口に言い返す元気もないほど、肩を詰めた。

通販サイトに店を開いた初日、注文はゼロだった。次の日も0。やっと動いた一件は、私が頼んだ母への試し送りだった。数日後に帰ってきた感想は「箱が大きい」の一言だけだった。

それでも2週間目の朝、初めて知らない人からの注文が入った。県外の、聞いたこともない町の名前。注文備考の欄に1行だけあった。「亡くなった父が梨農家でした。写真の畑が父の畑に似ていて、つい。」

知らないお父さんの畑。その思い出に、うちの畑が重なった。売れた嬉しさより先に、「届いた」という手応えがあった。値段でも見た目でもなく、畑の1年ごと受け取ってくれた人が、この世に1人いた。私はその画面を鉄平さんに見せた。鉄平さんは長いこと画面を見て、それから照れ臭そうに帽子を被り直した。「そら、いい梨だな。」

その冬、注文は少しずつ増えた。年が開ける頃には、リピートのお客さんがついた。毎月決まった額で旬の果物と野菜を届ける定期便を始めると、最初の月に12世帯が申し込んでくれた。発送の朝、私はダンボールの1箱ずつに手書きの便りを入れた。「今月は剪定の月です。来年の実りは、この冬の枝の切り方で決まります。」

畑だよりの評判は思いのほか良かった。お客さんからの返事のはがきが届くようになり、それを冷蔵庫に貼るのが鉄平さんの密かな楽しみになった。中でも最初の注文をくれたあの県外のお客さんは、季節ごとに必ず注文をくれた。はがきには毎回、亡くなったお父さんの畑の思い出が1つずつ書いてあった。

「顔も知らん人と、こういう付き合いができるんだな。」

はがきを貼りながら、鉄平さんはしみじみ言った。市場の伝票には、買った人の顔は乗らない。私たちの商売は、顔の見える方へゆっくり舵を切っていった。

町の飲食店にも足を運んだ。電話帳と食べ歩きで店を選び、貯蔵庫の一番いい梨を持って1件ずつ回った。門前払いも多かった。「今の仕入れ先で間に合ってる」と言われれば、名刺だけ置いて引き下がる。会社員時代に営業のお姉さんたちがやっていたことの、見よう見まねだった。

最初に取引してくれたのは、桜坂市の駅前の洋食屋だった。白髪の店主は、差し出した梨を一口かじって2秒で言った。「うちのデザートに使う。毎週持ってきて。」帰りの軽トラの中で、私は請求書の束を胸に抱えて小さく万歳をした。配達の度に、店主は同業の店を紹介してくれた。1件が2件になり、2件が5件になった。軽トラの助手席に座って配達伝票をさばくのが、私の新しい仕事になった。

藤村さんも、いつの間にか通販のスタッフになっていた。発送が重なる日は朝から作業場に来て、箱を組んでくれる。「都会の人は、こんなに遠くの梨を買うのかい。世の中変わったね。」「変わったんじゃなくて、届くようになったんです。いいものを作ってれば。」「いいものを作ってれば、ね。美月ちゃんも。」藤村さんは笑いながらガムテープを小気味よく鳴らした。作業場に人の声があるのは、いいものだった。

もちろん、いいことばかりではなかった。送った梨が輸送で傷んで、お詫びと再送で赤字になった月もある。定期便の中身に量が少ないと苦情が来て、箱の詰め方を一から見直したこともある。それでも、帳簿の売上の線は月を追うごとに確実に太っていった。

実家には、そのことを一切話さなかった。話す機会がなかったというのが正しい。正月の帰省は、台風の年を最後にやめていた。母から電話がかかってくるのは、決まって姉の自慢がある時だけだったからだ。

「下にね、いい人ができたのよ。大きな会社の車の販売店にお勤めですって。」

「そう。良かったね。」

「あんたのところは、相変わらず畑の遊びみたいな商売続けてるの?」

「遊び」の中で、私たちの通販は嫁の暇つぶしだった。訂正しなかった。数字を知らない人に数字の話をしても、順番は変わらない。

「うん。まあ、ぼちぼちやってる。」

「ぼちぼちね。ま、あんたたちに会ってるんじゃない。その程度が。」

電話を切ってから、私は帳簿を開き直した。その月の通販の売上は、私の会社員時代の月給を初めて超えていた。誰にも言わず、帳簿の隅に小さく花丸を描いた。

姉とのやり取りは、年賀状だけになっていた。姉の年賀状は毎年、印刷の隅に一言添えてある。「まだ農家続けてるの?無理しないでね。」心配の形をした見下しに、私は毎年同じ返事を書いた。「おかげ様で元気にやっています。」嘘はどこにもない。ただ、どれぐらい元気にやっているかをわざわざ知らせる気もなかった。

家計にもようやく人並みの行き来ができた。壊れた風呂を直し、こたつ布団を新調した。鉄平さんの誕生日には、作業服店で一番いい作業用の防寒着を買った。鉄平さんは寝巻きを見て「もったいない」と3回言ってから、次の朝には嬉しそうに着て畑に出た。

通販を始めた最初の冬が開ける頃、景色は変わり始めていた。定期便のお客さんが根付き、あの800万の借入金も繰り上げ返済の目処が立つところまで来ていた。

「なあ、美月。今年、畑を借り増そうと思う。」

夕飯の席で、鉄平さんが箸を置いた。隣の集落の年寄り夫婦が、畑を任せられる人を探しているという。

「広げて回るかな?」

私が聞くと、鉄平さんは湯呑みを置いた。「2人だけじゃ回らん。人を雇うことになる。」

人を雇う。その言葉の重さに、私たちは顔を見合わせた。ここから先は、夫婦の畑ではなく事業になる。

「借ります。」

畑を2人で見に行った帰り道、夕焼けの国道を軽トラで走った。窓の外を、ピカピカの新車を並べたディーラーの看板が流れていった。

「いつかは、うちも配達の車を増やさんとな。」

ハンドルを握った鉄平さんが呟いた。私は窓の外の看板を目で追いながら、その話に乗った。「そうだね。白い軽トラがいいな。横にファームの名前を入れて。」

「気が早い。」

そう笑い合った。あの頃、思いつくのは軽トラ1台が精々だった。それがあの小さな農園が変わっていく、始まりだった。

畑を借りた年から、農園は目に見えて回り始めた。最初の従業員は、町の直売仲間の紹介で来た20代の青年だった。続けて、子育てが一段落した近所のお母さんたちがパートで入ってくれた。藤村さんは「私は近所のよしみだからね」と言い張って、パート1号の座を若い人に譲った。

初めての給料日。私は封筒を3つ机に並べて、何度も中身を確かめた。人を雇うというのは、その人の暮らしを預かるということだ。伝票の数字が、急に重みを持った。

「給料だけは、1日も送らせない。何があっても。」

私がそう宣言すると、鉄平さんは深く頷いた。「ああ、それだけは親父もやってた。」

人が増えると、鉄平さんの畑が変わった。教えるとなると、勘でやってたことを全部言葉にせんといかん。鉄平さんは夜な夜な、剪定の仕方や水のやり方をノートに書き出した。書き出してみると、無駄も見えた。品種ごとの棚の配置を変え、袋かけの手順を組み直し、収穫の山を人手に合わせて鳴らした。同じ畑から取れるいい実の割合が、年ごとに上がっていった。

「鉄平さんの梨は、気持ちが違う。」

卸し先の店から、そんな声が返ってくるようになった。味が数字になって帰ってくると、単価を上げても注文は減らなかった。むしろ増えた。

私は私で、次の一手を探していた。きっかけは、選果場の隅に積まれた傷物の梨だった。味は特選と変わらないのに、見た目だけで値がつかない。捨てるには惜しい。その山を眺めて、ひらめいた。

傷物の山を前に、私は宣言した。「ジャムにしよう。それと、ジュース。」

早速保健所に相談し、町の加工所を借りる段取りをつけた。試作は難航した。砂糖が多いと果実の顔が消える。減らしすぎると味が締まらない。配合が決まるまで、鍋を何十回も焦がしかけた。試食役の鉄平さんは、どの試作にも「うまい」としか言わないので、役に立たなかった。

「あなたの『うまい』と『和食』の違いを言って。」

「すまん。全部うまい。」

仕方なく、卸し先の洋食屋の店主に頼み込んで試食してもらった。店主は3種類を並べてスプーンを置き、真ん中の瓶を指した。「これだ。梨の香りが立ってる。他の2つは砂糖の味だ。」プロの舌は迷いがなかった。選ばれた真ん中の配合が、今もうちのジャムの背骨になっている。

出来上がったジャムの瓶に貼るラベルは、畑だよりと同じ手書きの字にした。出荷の朝、ジャムの木箱を軽トラに積みながら、藤村さんがしげしげと瓶を眺めた。「傷物が化けたんだね。これ、うちの孫にも送っていいかい?」「もちろん。お代はいりません。」「バカお言い。商売にただがあるかい?」藤村さんはきっちり代金を払って、2瓶買っていった。最初のお客さんが身内のような人だったことは、私は今でも縁起がいいと思っている。

このジャムが、思わぬ扉を開けた。市役所から電話が来たのだ。故郷納税の返礼品に、うちの詰め合わせを出さないかという誘いだった。書類を揃え、役場の担当者と繰り返しやり取りをして、秋に登録が通った。効果は正直、こちらの想像を超えていた。年末年始の返礼品の注文が、桁違いに積み上がった。作業場は夜まで明かりがつき、パートさんたちで箱を組んだ。

「美月さん、伝票の山がまた育ってますよ。」

「育てたのは、皆さんの手です。」

肩を叩き合いながら、ガムテープの音が夜の作業場に響き続けた。休憩には藤村さんが持ち込んだ大鍋の豚汁が回り、湯気の向こうでみんなの息が白かった。辛いはずの残業が、なぜだか祭りの夜のようだった。

発送済みの伝票の束を数えながら、私は電卓を3回叩き直した。何かの間違いだと思ったからだ。間違いではなかった。パートさんたちが帰った深夜、私は1人で帳簿と借入金の残高表を突き合わせた。電卓の答えを疑って、計算の得意な藤村さんにまで検算を頼んだ。答えは動かなかった。

「美月ちゃん、これ、あれだよ。年内に返せるよ。」

「ですよね。私もそう思ってたんです。」

電卓を置いた藤村さんが、私の背中を叩いた。「思ってたなら、早く言いなよ。」2人で顔を見合わせて笑った。それから私は作業場に戻っていった。

「鉄平さん、うち、この年末で借金返しきれる。」

作業場の隅で伝票の束を持ったまま私が言うと、箱を運んでいた鉄平さんの足が止まった。

「全部か。」

「全部。繰り上げても、年は越せる。」

鉄平さんは箱を置いて、軍手を外した。それから、作業場の壁にかかった十蔵さんの古い麦わら帽子を、長いこと見上げていた。「親父の代からの借金が、消えるのか。」

返礼品の代金の入金は年明けになる。それでも、通販と卸しで積み上げてきた蓄えを足せば届く。この年の暮れ、私たちは銀行の窓口で最後の返済を済ませた。窓口の人に礼を言われただけの、あっけない手続きだった。帰り道、2人で回らない寿司を食べに行った。祝いの席のつもりが、注文したのは結局いつもの安い皿ばかりだった。

家に帰ると、鉄平さんは仏壇の前に座った。十蔵さんの遺影に、銀行の完済の書類をそっと備えた。「親父、遅くなったけど、返したぞ。」鈴を1つ鳴らして、鉄平さんは長いこと手を合わせていた。私も隣で手を合わせた。会ったことのない義父に、心の中で報告した。「お父さんの畑、ちゃんと生きてます。」

「なんだか、実感がないな。」

「私も。明日も普通に剪定だしね。」

「そらそうだ。」

湯呑みを合わせて笑った。800万円が消えた夜の夕飯は、寿司屋の上がりだった。これで分かってもらえると思う。私たちは最初から金持ちだったのではない。姉が見た貧乏農家は本物の貧乏農家で、そこから6年。いや、この時までの2年と少しを、1段ずつ登っただけだ。魔法は1つもなかった。あったのは、畑と伝票と2人の手だけだった。

ところで、ここまで聞いて不思議に思われるかもしれない。それだけ商売が育ったのなら、なぜ実家に言わなかったのか。姉を見返してやろうとは思わなかったのか。

思わなかったと言えば嘘になる。母に「遊び」と言われた夜、通帳を突きつける自分を想像したことはある。でもやめた。理由は単純だ。忙しかったのだ。目の前には毎日、畑と注文と従業員の給料があった。誰かを見返すために使う時間が、どこにもなかった。それに、うまくいってる時ほど黙っておくもんだ。鉄平さんの口癖だった。「畑は天気1つでひっくり返る。その年の豊作を自慢した口で、翌年の不作を語ることになる。だから農家は、いい年ほど静かに頭を下げる。」その考え方が、私には性に合っていた。

返礼品の登録が通った直後の秋、姉の結婚を母からの電話で知った。相手は例の車の販売店に務める人。式は都内のホテルで挙げるという。「下の晴れ姿、あんたも見たいでしょうけど、席がね、親族だけでいっぱいなのよ。」つまり、呼ばないという連絡だった。私は「お祝いだけ送っておくね」と答えて電話を切った。祝電と心ばかりの祝いの品は送った。姉からの礼はなかった。夫になった人の名前を、私はこの時聞き流していた。まさか、その名前とあんな場所で付き合わせることになるとは、思いもしない。

実家との距離は、開いたままにしておいた。母からの電話は姉の自慢と決まっていたし、姉の年賀状の「無理しないでね」も変わらなかった。私たちの近況を知りたい人は、あの家に1人もいなかった。それならそれでいい。こちらの人生は、こちらで回っている。

年が開けてすぐ、農協の担当者と青色申告の相談をしていた時、先方がふと言った。「日高さん、そろそろ法人にした方がいいですよ。この規模なら、個人のままだと税金も雇用も色々ともったいない。従業員さんを守るためにも、会社の形にしておくのは悪いことじゃありません。」

法人。その言葉を持ち帰った冬の夜、こたつで鉄平さんと向き合った。夫婦の畑を会社にする。給料を払う相手が増え、守るものが増え、背負う名前が増える。それはまた一段と違う階段だった。登るかどうか、答えはもう2人とも決まっていたけれど。

3年前の春、株式会社日高ファームが生まれた。商号を決める段、私たちは何十枚も紙を無駄にした。格好のいい横文字も考えたが、最後は鉄平さんの一言で決まった。「親父の畑から始まった会社だ。日高の名前で行こう。」

代表取締役は日高鉄平。取締役は私。従業員8人とパートさんたちでの船出だった。設立の日、出来上がったばかりの登記事項証明書を2人で夕飯の食卓に広げた。「称号、株式会社日高ファーム、代表取締役、日高鉄平。」畑の名前が会社になった。鉄平さんは箸を持ったまま、何度も読み返していた。「なんだか、人の会社みたいだな。」「人の会社じゃないの。うちの会社なの。ほら、ご飯、覚めるよ。」その紙は今、事務所の金庫で一番古い書類として眠っている。

法人になってからの3年は、それまでの3年より早く流れた。まず隣町で、後継のいない梨園を丸ごと任された。持ち主のおじいさんは、任せる相手を1年かけて探していた人だった。うちに決めた理由を、後で人に聞いた。「鉄平の男は、若いのに畑の草がない。畑を見りゃ、人が分かる。」草のない畑は1日でできない。鉄平さんが10何年、毎日抜き続けた草の話だ。信用とは積み立て式の貯金で、引き出せる日は向こうからやってくる。この商売で、そういう場面を幾度となく見た。

その次の年には、山の向こうの集落でぶどう畑を引き受けた。農場は3箇所になり、それぞれに責任者を立てた。畑を任せられる人を育てるのに、鉄平さんは自分の時間の半分を使った。「俺が全部の畑に立てんようになるのが、広げるということだからな。」口ではそう言いながら、鉄平さんは結局毎日どこかの畑に立っていた。長靴と作業着は、1年中玄関の同じ場所にあった。

選果場の隣には加工場を立てた。ジャムとジュースの製造ラインが入り、パートの数が一気に増えた。国道沿いには直売所を開いた。開店の朝、一番乗りで並んでくれたのは藤村さんだった。「パート1号の座、今度こそもらうからね。」藤村さんは宣言通り直売所のレジ担当パートに収まり、レジの前で常連さんの顔と名前を全部覚えた。

百貨店との縁は、1本の電話から始まった。通販カタログの担当バイヤーが、うちの通販の梨を個人的に取り寄せて食べたのだという。産地まで来てくれたバイヤーは、選果場を一回りしていった。「箱を開けた瞬間の香りが、カタログ映えします。是非、うちで。」掲載された年の秋、詰め合わせは受注の上限に達した。翌年からは、企業の贈答用、いわゆる法人ギフトの引き合いが増えた。会社の周年記念に配る詰め合わせを何百箱、株主総会の手土産に何百箱。単価も桁も、家の食卓とは別世界の注文がうちの選果場を通っていくようになった。

法人のお客様は、畑まで視察に来る。駅まで迎えに行き、畑を案内して、駅までお送りする。その度に私は、送迎の車が軽トラであることを心の中で詫びた。お客様は誰も気にしなかったけれど、数が増えれば話は別だった。

2年前の秋には、観光農園も始めた。言い出したのは鉄平さんだった。「食う人の顔が見える売り方を、もう1段やりたい。畑に来てもらえばいい。」梨狩りとぶどう狩り。受付小屋を立て、駐車場をならし、子供の手の高さに合わせた棚を一区画作った。開園の初日は雨で、客は3組だけだった。それでも、カッパを着た男の子が自分でもいだ梨を両手で抱えて離さないのを見て、鉄平さんは受付小屋の影でずっと頬を緩めていた。

評判は口コミで広がった。翌年には都会から家族連れがバスで来て、子供が棚の下を走り回るようになった。かつて台風に潰されたあの畑だ。倒れた棚を立て直した場所で、知らない家族が笑っている。その光景を初めて見た日、私は事務所の窓際でこっそり泣いた。

うちの会議で一番よく出る言葉は「畑が先だ」。売り先をどれだけ広げても、畑が痩せたら終わり。加工も観光もギフトも、全部あの梨とぶどうの出来の上に乗っている。だから設備投資の判断は鉄平さんが持ち、経理の判断は私が持つ。6年かけて自然に決まった、うちの役割分担だった。

気がつけば正社員は40人。パートと季節の人を合わせると100人を超えていた。売上は年に12億円。贈答の詰め合わせは百貨店の贈答カタログに載り、法人向けのギフトは年々枠が埋まるのが早くなった。数字だけ聞けば立派な会社だ。でも中身は相変わらず泥臭かった。会議は畑のあぜ道である。会議室の椅子より、軽トラの荷台に腰をかけてる時間の方が長い。私の名刺には「取締役」と書いてあるが、収穫期には誰よりも先に選果場に入った。

社員も、いい顔ぶれが揃った。畑の責任者たちは鉄平さんの仕込みで育ち、事務所には経理と受注のプロが入って、私の徹夜仕事はようやく人並みの残業に減った。給料日を1日も送らせない約束は、法人になってからも1度も破っていない。

暮らしぶりも、ほとんど変わらなかった。住まいは今もあの築40年の平屋だ。修理はしたが、立て替えていない。鉄平さんの愛車は、変わらず十蔵さんの代からの軽トラ。14年目になる。「社長が軽トラって、恰好つかなくないですか?」若い社員に冗談で言われても、鉄平さんは平気な顔だった。「畑に行くのに、これより使える車があったら教えてくれ。荷台に苗と工具と肥料を積んで、あぜ道に乗り入れて、泥だらけになったら水をかける。そういう車は、軽トラの他にない。」理屈は通っていた。通ってはいたが、荷台の錆は年々広がっていた。

直売所では、私は「美月ちゃん」で通っている。レジの応援に入れば、常連のおばあちゃんに「あんた、いいところに嫁に来たね」とお褒めをもらう。「取締役」だの「社長の妻」だのという肩書きは、この町では誰も欲しがらない。名前で呼ばれて、名前で働く。それで十分だった。

「美月ちゃん、今日もいい梨だね。」

「今日のは特に自信あります。棚の南側のですから。」

そんなやり取りが、私の勲章だった。私の方も、鉄平さんと似たようなものだった。服は動きやすさで選び、化粧は日焼け止めが精一杯。贅沢といえば、年に1度2人で温泉に1泊するぐらい。稼いだ金は、設備と人と土に返した。それが一番性に合っていた。だからというべきか、実家も姉も、私たちの今を何ひとつ知らなかった。見栄を張って隠したのではない。聞かれなかったから、言わなかった。それだけのことだ。

蒲沼さんだけは、毎年収穫の便りに丁寧な返事をくれた。「十蔵さんに見せてやりたかった」と、前の年の手紙には書いてあった。あの縁談を運んでくれた人にだけは、畑の本当の姿を知っていて欲しかった。

母からの電話は、相変わらず年に数回、姉の近況自慢だけを置いて切れた。「下の旦那さん、店長さんになったのよ。大きな車屋さんの、40前で店長なんて出世頭ですって。マンションも、駅前の新築を買ったのよ。すごいでしょう。」母の話では、姉夫婦は都内から隣の県、つまりうちと同じ県に越したのだという。同じ県と言っても、畑の町と駅前の新築マンションでは生活圏がまるで違う。道で行き合う心配すらしない距離だった。

「そう。おめでとうって伝えて。」

「あんたのところは、変わらず畑でぼちぼち?」

「うん。ぼちぼち。」

嘘ではない。農家の「ぼちぼち」に、上限の定めはない。母は満足そうに姉の話へ戻り、私は相槌を打ちながら受注表の続きを埋めた。

姉の年賀状も変わらなかった。直近の1枚には、新築のマンションの前で撮った夫婦の写真に、例の一言が印刷されていた。「まだ農家続けてるの?って、もう聞くのも野暮かな。無理しないでね。」私は例年通りの返事を書いた。「おかげ様で元気でやっています。今年も畑の実りがいい年でありますように。」

書きながらふと思った。姉の夫という人に、私はまだ1度も会ったことがない。名前も、母の電話とご祝儀の宛名で見ただけだ。車の販売店の店長。それ以上のことは知らないし、知る機会もないだろうと思っていた。向こうも同じだったはずだ。妻の妹は、田舎の貧乏農家に嫁いだ人。会ったこともない義弟は、泥だらけの軽トラに乗る無口な農家。その認識のまま、お互いの人生は1度も交わらずに終わる。私はそう思っていたし、正直それで何の不足もなかった。

そのはずだった。

そして、結婚から丸6年が経った10月。何の前触れもなく、あの再会の日が来る。しかもそれは、うちの会社にとって大事な商談の、その真ん中でだった。

話は再会の1ヶ月前、9月の役員会に遡る。役員会と言っても、出るのは鉄平さんと私と各農場の責任者たち。議題は、前から先送りにしてきた車の話だった。きっかけは春の視察だった。百貨店の偉い人たちを駅まで送るのに、うちは軽トラしか出せなかった。先方は笑って乗ってくれたが、続けていい話ではない。観光農園の送迎も限界だった。バスで来られない年配のお客様を駅から運ぶ車が足りず、断った予約が半年で100件を超えた。営業に出る社員の車も、中古を使い回して10万km超えばかり。冬の山の向こうの農場へは、雪道に強い4駆がなければ人をやれない。現場からも声が上がった。山の向こうの農場の責任者は、冬の峠で古い営業車が滑ってガードレールで止まった話をした。幸い怪我はなかったが、聞いた鉄平さんの顔つきが変わった。

「人に無理をさせて浮かす金は、金じゃない。」

観光農園の受付からは、送迎を断った予約の一覧が出た。断り続ければ、期待してくれた人の足が遠のく。畑で作る信用を、駐車場で失うわけにはいかなかった。

「継ぎはぎで買い足すのは、もうやめよう。」

鉄平さんが議題を閉めた。会社で使う車を1度に全部揃え直す。管理も点検も、バラバラより1本の方が安くつく。それが12台の一斉更新だった。念のために言っておくと、12台のうち鉄平さんや私の私用の車は1台もない。全部、会社の仕事で人と荷物を運ぶための車だ。役員会では「社長の車こそ変えては」という声も出たが、鉄平さんは真顔で断った。「俺のは現役だ。議題に乗せるな。」軽トラを役員会の議題から守る社長というのも、なかなかいないと思う。

内訳はこうだ。取引先の送迎と冬の農場間の移動に、雪に強い高級4駆を6台。観光農園の送迎に、ゆったりとした上級のミニバンを4台。営業と役員の外回りにセダンを2台。見積もりの束を前に、私は電卓を何度も叩いた。総額はおよそ1億円。

1億円。6年前の私たちなら、0の数を数え間違えたと思う金額だ。でも今は、この12台が何年でいくら稼ぎ、いくら守るかを、根拠を持って言える。断ってきた予約、遅れなかったお客様、危ない峠道。埋めるべき穴の値段を全部足せば、決して高い買い物ではなかった。

電卓を置いて、私は正直に言った。「1億円、出せるけど、重いね。」

「重いさ。だから、ちゃんとした店と組む。買うのとリースを分けて、整備までまとめて任せられるところだ。」

問い合わせた何社かのうち、一番動きが良かったのが東亜自動車だった。県内に店舗網を持つ大手の販売会社で、法人の大口は本部の法人営業部が直接窓口になるという。正直に言えば、最初は高級車の店構えに気後れした。うちは農家だ。作業着で生きる会社に、ピカピカのショールームは敷居が高い。だが法人窓口に電話をかけたその日のうちに折り返しが来て、話は淀みなく進んだ。

担当してくれたのが、本部法人営業部長の黒川さん。52歳。物腰の柔らかい、それでいて数字の勘が正確な人だった。9月のうちに、うちの事務所で2回打ち合わせをした。初回の打ち合わせの日、座敷に通した黒川さんは、出したお茶よりも先に壁に貼った農場の航空写真に目を止めた。「3つの農場は、冬はどの道で繋がるんですか?」車を売る前に道を聞く。この人は分かってる、と思った。

名刺交換の後、黒川さんは開口一番こう言った。「お伺いする前に、御社のぶどうを取り寄せて食べてまいりました。相手を知らずに、車の話はできませんので。」見事な営業だと思った。そして2回目には、12台それぞれの用途に合わせた仕様と、購入とリースの振り分け案と、5年先までの整備計画を揃えてきた。「送迎の4駆は購入。ミニバンはリースをお勧めします。観光のお客様の乗り降りが多い車は、痛みが早いですから。」「決算の月も考えてくださってますね。」「経理をなさってる奥様が相手ですから、手は抜けません。」黒川さんは折り目正しく笑った。

私はその晩、黒川さんの案と他社の見積もりを並べて、遅くまで表を作った。金利、残価、整備の持ち方、5年間の総支払い。どこからどう眺めても、東亜の案が1枚上だった。数字の裏に、考えた時間の量が透けて見える見積もりだった。

「決めよう。東亜さんで。」

「ああ、いい買い物になる。」

この人からなら買いたい。私も鉄平さんも、そう思っていた。2回目の打ち合わせで、条件はほぼ固まった。契約書の隅々まで詰め、稟議を通し、あとは判を押すだけ。それでも最後の1つ、実物の確認だけは残しておいた。座席の乗り降りのしやすさは、年配のお客様を載せる身として、カタログの数字では判断できないからだ。残るは実車の最終確認だけだった。

日取りは10月9日。うちから車で40分の、桜坂市の国道沿いにある東亜の桜坂店に、確認用の車を並べてもらう段取りになった。2回目の打ち合わせの帰り際、黒川さんは玄関で靴を履きながら、選果場の方へ目をやった。ちょうどパートさんたちが笑いながら箱を運んでいるところだった。「いい会社ですね。人の声がする会社は伸びます。」車を売る人の言葉としては、随分遠回りな褒め方だった。でも、うちにはどんな値引きより響いた。

「当日は、私も午後2時に桜坂店で合流いたします。店には資料を送っておきますので。」黒川さんは電話でそう言った。後で知ることになるが、この店に送っておいた資料が、全ての鍵になる。

前日の夜、私は当日の段取りを手帳に書き出した。午後2時に桜坂店で黒川さんと合流して、4駆とミニバンとセダンを順に確認。座面の高さと乗り降りを見て、問題がなければ翌週に契約。手帳を閉じて、ふと思った。考えてみれば、店に行くのは初めてだ。打ち合わせは2回とも、うちの事務所だったから。

そして、10月9日の朝が来た。

朝から、よりにもよって防風ネットの支柱が2本折れた。前の晩の強風のせいだ。収穫の残るぶどうの棚にネットが被さり、覆っておけば実に傷がつく。鉄平さんは作業着で支柱を担ぎ、私も軍手をはめて手伝いに入った。新しい支柱を立て、ネットを張り直し、たるみを1列ずつ確かめる。終わった時には、2人とも膝から下が泥はねだらけだった。

「これで鳥も雨も防げる。」

「言ってる場合、もう昼過ぎてる。」

気がつけば昼前に畑を上がる鉄平さんは、慌てていた。「まずい。黒川さんとの約束が2時だ。」時計を見た鉄平さんが、作業着の袖で額の汗を拭った。泥はねは膝まで飛んでいた。昼を食べて、風呂で泥を落として、着替えて出れば、2時には間に合わない。

「美月だけでも着替えてくるか。30分あれば、見るだけだし。」

「このままでいいんじゃない?2人で泥だらけの方が、うちらしいし。黒川さんは、私たちの畑を知ってる人だもの。」

私も似たような格好だった。動きやすいだけの服に、日焼け止めだけの顔。どうせ車を見て回るだけだ。商談の中身は、もう決まっている。

「そらそうだ。じゃあ、行くか。」

鉄平さんは軽トラのドアを開けた。車の軽トラは全部配達に出払っていた。残っていたのは、いつもの14年目の軽トラだけ。

「よりによって、この車で高級車の店に乗り付けるのか。」

「いいじゃない。うちの一番の働き者なんだから。」

笑いながら助手席に乗り込んだ。国道に出ると、秋晴れの空の下に収穫を終えた田んぼが続いた。窓を少し開けると、乾いた藁の匂いがした。

「12台か。親父が生きとったら、腰抜かすな。」

「軽トラ1台から、よくここまで来たよね。」

「まだ途中だ。もっと先がある。」

ハンドルを握る鉄平さんの横顔は、6年前の喫茶店と同じだった。行手の空に、車の販売店の看板がいくつも小さく見え始めていた。

東亜自動車の桜坂店は、国道沿いのディーラー街の一番目立つ角にあった。ガラス張りのショールームに、磨き上げられた車が並んでいるのが外から見えた。隣の区画には、別の系列の強立モーターの店舗が続いている。駐車場に軽トラを止めると、洗車仕立ての高級車の列の中で、うちの働き者は申し訳ないほど浮いていた。時計は午後1時20分。昼飯も風呂も着替えも全部飛ばして直行したので、約束より40分も早く着いてしまった。腹の虫が鳴いたが、それはお互い様だった。

「黒川さんはまだだな。先に見せてもらうか。」

「そうだね。座席だけでも、先に見ていこう。」

自動ドアをくぐると、冷房と新車の匂いに包まれた。白い床は顔が映りそうなほど磨かれていて、泥のついた長靴で歩くのが申し訳なくなる。

「いらっしゃいませ。」

駆け寄ってきたのは、若い営業さんだった。胸の名札に「関口」とある。20代の半ばだろうか。関口さんは、私たちの格好を見ても、笑顔を1mmも崩さなかった。長靴を気にする私に、さりげなくマットの敷いてある通路を示してくれる。教育なのか人柄なのか、おそらく両方だろう。いい店だと、最初は思ったのだ。最初は。

「本日は、どのようなご要件でしょうか?」

「車を見せてもらえますか?待ち合わせまで、まだ時間があるもので。」

「かしこまりました。どうぞ、ごゆっくりご覧ください。」

関口さんの案内で、私たちは展示場を順に見て回った。鉄平さんはミニバンの後部座席を何度も覗き込み、私はスライドドアの段差に手を当てて高さを確かめた。観光農園のお客様を乗せる車だ。見るべきところは決まっていた。その時だった。

「え、嘘?美月?」

聞き覚えのある声が、ショールームに響いた。振り向くと、ソファーのある商談スペースの脇に、姉が立っていた。明るく染めた髪に、上等なワンピース。手には百貨店の紙袋。5年以上ぶりに見る姉は、記憶の中よりも化粧が濃くなっていた。

「やっぱり美月だ。嘘。何、その格好?」

姉はつかつかと歩いてきて、私の靴の泥から夫の作業着の襟まで順番に目でなぞって笑った。一瞬、誰か分からなかったというのは嘘になる。声も、人を上から下まで値踏みするあの目つきも、何ひとつ変わっていなかった。変わっていないことに、安心と落胆が同時に来た。

「久しぶり、お姉ちゃん。元気そうだね。」

「元気よ、そりゃ。ていうか、なんであんたがここにいるの?」

姉は答えを待たずに、隣の鉄平さんに目を移した。「まだ農家やってるんだ。」

「はい。」

鉄平さんは短くそう答えただけだった。姉は満足そうに口元を上げた。「うーん。6年経っても、変わらないんだ。」

姉は鉄平さんの返事を待つ気もなさそうに、私に向き直った。その視線がもう1往復した。「この服、作業着だ。本当に泥ついてるじゃない。よくその格好で外歩けるね。私なら、死んでも無理。」

「今朝、畑で急ぎの仕事があって。」

「はいはい。農家は大変ね。で、なんでここに?車を見に来たの?」

私が答えると、姉は1拍置いて吹き出した。「車?ここ、高級車のお店だよ。分かってる?」姉は笑いながら、展示車の値札を指で弾いた。「見てよ、この値段。ゼロの数、数えられる?貧乏農家に買える車ないよ。ここ、あんたたちの来るお店じゃないの。」

磨き上げられた白い床に、姉の声はよく響いた。フロアにいた他のお客さんが、ちらりとこちらを見た。関口さんが、困ったように立ち尽くしていた。そして姉は、左手の指輪を光らせて店の奥を指した。

「ちなみに、私の夫、ここの店長だから。」

姉は薬指の指輪を、これ見よがしにかざした。「言っとくけど、店長夫人なの。この店、旦那の城ってわけだからさ、身内として言ってあげてるの。ここは、あんたたちの世界じゃないよって。」

店長夫人。姉はその言葉を、勲章のように発音した。東亜自動車。その社名に、心臓が1つ跳ねた。この日、うちが1億円の商談の実車確認に来たその会社。つまり、この店の店長が姉の夫ということになる。名乗ってしまえば話は早い。でも、喉まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。会社の商談に、身内の名乗りで色をつけたくなかったからだ。

冒頭でお話しした場面に、こうして戻ってくる。あの瞬間、姉は人生で一番いい顔をしていたと思う。勝負にもなっていない勝負の、勝ち誇った顔だ。

「今日は、旦那に忘れ物をお届けに来たの。そしたら、まさかの妹夫婦。本当、世間って狭いわね。」

姉は紙袋を掲げて見せた。夫が朝、家に携帯電話を忘れたので、届けに来たのだという。偶然が服を着て歩いていた。「うちのマンション、ここから車で10分なの。駅前の新築。あ、そうだ。うちの車も見せてあげようか。会社なんだけど。」聞いてもいないことが、次から次へと出てくる。6年分の自慢が、堰を切ったようだった。

私は曖昧に頷きながら、壁の時計を見た。1時半。黒川さんの到着まで、まだ30分あった。

「達也さん、ちょっと来て。」

姉が店の奥へ声を投げた。事務所から出てきたのは、仕立てのいいスーツの男の人だった。後ろに流した髪をきっちり固めている。胸に、店長の金色のバッジが光っていた。

達也さん。姉の夫。ご祝儀の宛名でしか知らなかった名前が、初めて顔を持った。

「こ、私の妹。前に話したでしょ?田舎の農家に嫁いだっていう。」

「ああ、君が。」

達也さんは私に会釈を仕掛けて、その目が途中で止まった。視線の先は、鉄平さんの長靴だった。乾きかけの泥がこびりついた。その朝までネットを直していた長靴。それから、作業着の膝の泥はね。達也さんの眉が、はっきりと寄った。

隣で姉が、これ見よがしに囁いた。囁きというには大きすぎる声で。「ねえ、達也さん。妹夫婦ってば、車を見に来たんだって。ここに。」

達也さんの目が、値踏みの色を帯びた。「ご主人は、畑からそのままお越しで?」

「ええ、朝に急な作業があったものですから。」

私が答えると、達也さんは口元だけで笑った。目は笑っていなかった。「そうですか。あの、大変申し上げにくいのですが。」達也さんは声を落として、それでも聞こえる声で続けた。「当店は、展示車の内装の管理に気を使っておりまして、試乗やご見学だけが目的のお客様には、ご遠慮いただく場合がございます。」

遠回しな言い方だったが、意味は明解だった。汚れた客は帰れ。そう言っていた。店長が客を選ぶ店なのか。私は思わず達也さんの顔を見返した。この人は、私たちが誰かを聞きもしない。名前も要件も待ち合わせの相手も。作業着と長靴と軽トラ。見た目の3つだけで、財布の中身から人間の値打ちまで全部決めてしまった。

「あなた、それが店長さんの言葉ですか?」

言いかけた私の言葉に、姉の笑い声が被さった。

「あの、店長。よろしければ、私がご案内を。」

関口さんがカタログを手に、一歩出た。達也さんは片手でそれを制した。「いい。関口。どうせ買わないから。」

どうせ買わない。店長のその一言は、遮るもののない白いフロアに、姉の声と同じくらいよく通った。関口さんが「ですが」と言いかけて、飲み込んだのが分かった。姉が、耐えきれないという顔で笑った。

「やだ。達也さんたら、正直なんだから。悪いこと言わないから。この先の県道沿いに、軽自動車のお店があるからさ。せっかくだから教えてあげようか。中古もあるし。あんたたちには、そっちがお似合いよ。」

姉は親切そうに、店の出口の方へ手のひらを向けた。「農家には、農家の身の丈ってものがあるんだからね。」

身の丈。その言葉を、姉は昔から私にだけ使った。頭の芯が、カッと熱くなった。私のことはいい。あの家で30年近く慣れている。でも、この人たちは今、うちの夫を笑った。夜明け前の畑を笑った。台風の泥の中で拾った実を、従業員の100人の給料を、うちの6年を笑った。それも、何ひとつ知らないままで。

指先が震えた。伝票の数字なら、いくらでも礼儀正しく戦える。でも、これは数字の喧嘩ではなかった。言い返そうと息を吸った、その瞬間だった。

作業着の袖が、すっと私の前に伸びた。「いいよ。」

鉄平さんだった。声は穏やかなままだった。怒鳴りもしなければ、名乗りもしない。6年一緒にいるから分かる。これは諦めた声ではない。決めた声だ。ただ、その目は展示車の列をゆっくりと見回していた。4駆を、ミニバンを、セダンを。値段ではなく、車そのものを確かめるように。

達也さんはもう、私たちを見てもいなかった。姉に「事務所で茶でも飲んでいけ」と声をかけ、携帯電話の相手を呼んでいる。追い返した客のことなど、頭から消えた顔だった。

それから鉄平さんは、窓の外の隣の区画に目をやった。強立モーターの青い看板が、秋の日差しを受けて光っていた。その横顔を見て、私は息を吸うのをやめた。この人が次に何を言うのか、聞いてみたくなったからだ。

展示車の列を見回し終えた鉄平さんは、私に向き直った。そして、天気の話でもするような調子で言った。「じゃあ、12台全部、隣で買うか。」

「そうだね。そうしよう。」

私は即答した。夫婦の会議としては、うちの歴代で一番短い決議だったと思う。反対0、保留0、審議時間2秒。

1秒の間があった。その1秒の静けさの中で、私には見えていた。管理職の外回りに使うセダンが2台。観光農園のお客様を駅から運ぶミニバンが4台。取引先を送り、冬の峠を超える4駆が6台。役員会で決め、黒川さんと詰めの調整をしたあの12台が、目の前に並んでいる。こういう車たちだ。だから、鉄平さんの一言は思いつきの単価ではない。買うことはとっくに決まっている。決まっていなかったのは、どの店で買うかだけ。その最後の一枠が、今の一言で埋まった。それだけのことだった。

1秒の後、姉が吹き出した。「12台?あんたたち、12台って言った?」姉は腹を抱えて、体を折って笑った。ショールームの白い天井に、笑い声が反響した。「やだ、もうおかしい。身の丈を考えても、桁ってもんがあるでしょ。12台って何よ?12台って。」目尻の涙を指で抑えながら、達也さんの腕を叩いた。「聞いた?隣で買うって。隣も高級車のお店なんですけどね。達也さん、あそこって軽トラ売ってたっけ?」「さあ、取り扱いはなかったと思うが。」夫婦で顔を見合わせて、また笑った。壊れた蛇口みたいに、笑いが止まらない2人だった。達也さんも口元を手で隠して、肩を揺らしていた。

「あれですか?農作業用に軽トラを12台?」

達也さんの当てこすりに、鉄平さんは真顔のまま答えた。「ええ、会社で使う車です。」

達也さんは笑いを噛み殺した顔のまま、軽く手を振った。「はいはい。会社でね。それはそれは。」

はいはい。大人が人の話を信じない時の、あの「はいはい」だった。関口さんだけが笑っていなかった。若い営業さんは、何かを確かめるような目で私たちを見ていた。

「行こう、美月。」

鉄平さんは関口さんに向かって、小さく会釈をした。「ご案内、ありがとうございました。あなたは、何も悪くありません。」関口さんが戸惑った顔で、頭を下げ返した。それから鉄平さんは出口へ歩き出した。私は最後に1度だけ、姉を振り返った。

「お姉ちゃん、お店教えてくれてありがとう。え?ここは、私たちの来るお店じゃないんでしょ。おかげで、隣にお店があるって、今日初めて気づけたから。」

姉は呆然としていた。意味が通じていないのは分かっていた。それでよかった。

背中で姉の声がした。「ちょっと、何あれ?負け惜しみ。」「ほっとけ。ああいう手合いは、たまに来るんだ。買いもしないのに、大きなことを言って帰る客がな。」達也さんの声だった。振り向かなかった。振り向く必要が、もうなかった。

自動ドアを出ると、10月の風が心地よかった。冷房で冷えた頬に、外の空気が温かいぐらいだった。隣の店までは、歩いても1分とかからない。それでも鉄平さんは、一度軽トラの前で立ち止まって、荷台の縁に手を置いた。泥の乾いた荷台を、ねぎらうように2度叩く。「悪かったな。お前まで笑われた。」

車に謝る人を、私は初めて見た。でも、笑えなかった。あの軽トラは、十蔵さんの代からで、うちの6年の相棒で。そして、この日、値札しか見ない人たちに笑われたのだ。

「ごめんな、美月。」歩きながら、鉄平さんが前を向いたまま言った。「何が?」「あの場で言い返せなかったこと。悔しかったろう。」

「悔しかったよ。今も悔しい。」

正直に言った。鉄平さんは頷いた。「俺もだ。ただな、ああいう場所で身元を明かして黙らせても、それは車の力で黙らせただけだ。畑の力でも、うちの会社の力でもない。」

「うん。」

「それにな、俺はあの店長に、うちの1億円を任せたくない。作業着で来た客を追い返す男は、作業着で畑に立っとるうちの社員も、心のどこかで見下げるからな。車は買って終わりじゃない。納車も点検も、この先ずっと店と付き合うことになる。」

その理屈が、いかにも鉄平さんらしかった。怒りではなく、基準の話をしている。うちの金を預けるに値する相手かどうか。ただそれだけの、静かで冷たい採点だった。

「ただし。」と、鉄平さんは足を止めた。「筋だけは通す。黒川さんに、先に電話をする。」

そこが、鉄平さんの鉄平さんたるところだった。腹を立てて黙って消えるのではない。世話になった人には、行き先の変更をこちらの口から伝える。畑の取引で親子2代。そうやってやってきた人の背筋だった。

「黒川さんには、悪いことをするが。」

鉄平さんは駐車場の隅に立ち止まり、携帯電話を取り出した。登録してある番号を呼び出す。2回のコールで、聞き慣れた折り目正しい声が出た。「日高様、黒川でございます。本日はよろしくお願いします。ただいま桜坂店へ向かっておりまして。」

「黒川さん、すみません。今日の12台の件なんですが。」鉄平さんは腰を折りながら話した。相手の電話にもお辞儀をする癖は、治らない。「こちらの都合で申し訳ないのですが、今回のお話は、なかったことにさせてください。」

電話の向こうで、息を飲む音がした。数秒の沈黙。それから黒川さんの声が、慎重になった。「何か、東亜に不手際がございましたでしょうか?条件のことでしたら、いくらでも。」

「いえ、黒川さんの仕事は、何ひとつ申し分ありませんでした。これは本当です。」鉄平さんは一度言葉を切って、隣の区画の青い看板を見上げた。「ただ、御社の桜坂店で、少し思うところがありまして。この後は、隣のお店で相談してみます。黒川さんにはお世話になったのに、申し訳ありません。」

それだけだった。怒らない。事情も細かく言わない。誰の名前も出さない。ただ、買う場所を変える。それだけを丁寧に伝えて、電話を切った。

「黒川さん、気の毒だったな。」

「うん。あの人は何も悪くないから、後でちゃんとお詫びの品を送ろう。」

「そうだな。うちの一番いい箱にしよう。」

電話を終えた鉄平さんは、ふっと息を吐いて空を見上げた。「これで、良かったんだよな。」珍しく弱気なことを言う鉄平さんに、私は頷いてみせた。「良かったよ。あなたの基準は、間違ってない。」

「そうか。」鉄平さんの眉間が、ようやく緩んだ。私は伸びをしながら付け足した。「うん。それに、私、ちょっとすっきりした。」

正直に言うと、鉄平さんは1拍置いて口を開いた。「実は、俺もだ。」悪びれない顔で顔を見合わせて、この日初めて2人で笑った。

私たちは軽トラに乗り込んだ。エンジンをかけ、駐車場を出て、50mも走らないうちに、強立モーター桜坂店の駐車場に入り直す。世界で一番短い引っ越しだった。

店に入り、「法人窓口を尋ねたい」と伝えると、奥から出てくれたのは法人担当の伏見新一さんという人だった。40代半ばの、落ち着いた物腰の人だった。伏見さんは、私たちの作業着にも長靴にも、目を止めることすらしなかった。「社用車の一斉更新のご相談ですね。台数と用途から、お伺いしてよろしいですか?」差し出された椅子は、ショールームの一番いい席だった。お茶が2つ、湯気を立てて出てきた。ただそれだけのことが、隣の店では出てこなかった。

ルームミラーの中で、東亜のガラス張りの店が小さくなった。あの中で、姉たちがまだ笑っているのかどうか。それはもう、私たちの知ったことではなかった。

伏見さんとの話は、驚くほど滑らかに進んだ。台数、用途、希望。こちらが伝えるそばから、的確な確認が返ってくる。30分もしないうちに、翌週に正式な見積もりを出す約束が決まった。

「それにしても。」伏見さんが手を止めて、窓の外に目をやった。うちの軽トラのことかと思ったら、違った。「お隣から歩いてお越しのお客様は、初めてです。」

私たちは苦笑いするしかなかった。事情は言わなかった。言わなくても、この人は客を値踏みしない。それが答えの全てだった。

ただ、後から聞いた話をつなぎ合わせると、私たちが店を出て数分後の話だ。あの磨き上げられたショールームに、1本の電話が鳴り響いたのだそうだ。かけてきたのは本部。要件は、店長がたった今追い返したばかりの、泥だらけの客のことだった。

ここから先の店の中の出来事は、私たちがその場で見たものではない。後日、菓子折りを持って農園まで謝りに来てくれた黒川さんが、店の人たちからの聞き取りも合わせて、包み隠さず話してくれた。だから、少しの間、伝え聞いた話としてお付き合い願いたい。

私の夫からの電話を受けた時、黒川さんは桜坂店まであと10分の車の中にいたという。丁寧な断りの電話。理由は「桜坂店で思うところがあった」。黒川さんは車を路肩に止め、すぐに桜坂店へ電話を入れたそうだ。悪い予感がしたらしい。電話を取ったのは事務の人で、変わって出た達也さんに、黒川さんは開口一番こう聞いたという。「店長、今日2時にお伺いする、日高ファーム様の件です。もしや、先ほど御妻がそちらへいらっしゃいませんでしたか?」

日高ファーム。達也さんは、本気で分からなかったそうだ。「昨日、資料をお送りしてあります。法人契約の実車確認です。株式会社日高ファーム様。代表ご夫妻が直接お見えになると。実車のご確認の後、来週にご契約の予定です。本部の今期でも、最大級の案件です。店長、資料はご覧になっていますね。」黒川さんの声が、探るように低くなったそうだ。

達也さんの返事は、2拍遅れたという。「も、もちろんです。少々お待ちください。」受話器を保留にして、達也さんは自分の机の引き出しを開けたという。そこには、前日に届いたまま、開かれてもいない書類の綴りが入っていた。表紙にはこう書いてあった。「株式会社日高ファーム 御中 実車確認のご案内 本部法人営業部」。

達也さんにとって、本部直轄の法人案件は、店の数字にならない仕事だったそうだ。店は場所と車を貸すだけ。売上は本部につく。だから資料が届いても開かずに、引き出しへ入れた。フロアの誰にも伝えず、確認用の車を並べる指示さえ出していなかった。当日に本部の部長が来るのだから、案内はその人がやればいい。そう高を括っていたと、後の調査で本人が認めたという。

めくった1枚は、本部が作った商談の概要だった。県内の農業法人。農場3箇所。従業員100名。梨とぶどうの生産・販売・加工・観光園。年商は12億円。更新する車両は12台。その想定総額が、約1億円。そして、代表者の欄。代表取締役 日高鉄平。

達也さんの手が止まった。日高。たった今、妻が「田舎の農家に嫁いだ妹」と紹介した、あの夫婦の苗字。作業着、長靴、泥のついた軽トラ。「会社で使う車です」と真顔で言った、あの無口な男。

嘘だろう。達也さんは窓にかけ寄ったという。ガラスの向こう、50m先。見覚えのある古い軽トラが1台。隣の強立モーターの駐車場に、ちょうど止まるところだった。慌てた口調で、達也さんの声は裏返っていたそうだ。「く、黒川部長。その日高様というのは、おいくつぐらいの、どのような?」「30代のご夫婦です。ご主人は無口な方で、今朝は畑のご作業があると伺っていました。作業着でお見えかもしれません。」

達也さんは、その先を聞いていなかったという。受話器を置くのもそこそこに、フロアに向かって叫んだそうだ。「止めろ!さっきのお客様だ!お帰りになった、あのご夫婦だ!誰か、お呼び戻ししろ!」

フロアが静まり返った。事務の人も、洗車係の人も、何が起きたのか分からない。真っ先に動こうとした関口さんが、それでも確かめたという。「店長、さっき店長が『どうせ買わないから』と返した方ですよね。」「いいから走れ!隣だ!隣の強立さんに入った!」「隣のお店に入られたお客様を、うちが連れ戻すんですか?」「そんなこと言ってる場合か!1億だぞ!」

1億だぞ。その一言が、フロアにいた全員の耳に残ったそうだ。客を値踏みで追い返した店長の口から出たのが、謝罪でも反省でもなく、金額だったこと。後の調査で、店の人たちが口を揃えて証言したのは、この場面だったという。

関口さんは走ったそうだ。走りながら、無駄だということも分かっていたという。「お客様の顔は覚えていました。あの方たちは、冷やかしの目をしていませんでした。ミニバンの後部座席を何度も覗き込んでいらした。あれは、乗せる人の顔を思い浮かべている目です。」若い営業さんは、調査の聞き取りでそう話したそうだ。

店の外まで出た関口さんは、隣の駐車場に止まった軽トラを確かめ、それでも敷居はまたげずに、店の前で立ち尽くしたという。他社の店に入った客を追いかける権利は、もう東亜の誰にもなかった。

フロアの空気は、それでも止まらなかったという。事務の人は本部への電話をつなぎ直し、別の営業さんは意味もなく資料を抱えて走り、洗車の人は入り口とフロアを往復した。誰も、何をすればいいのか分からなかった。追い返した客を取り戻す手順など、どんな接客の教本にも載っていない。

騒ぎの真ん中に、姉が取り残されていた。事務所でお茶を飲みかけていた姉は、慌てふためく夫に駆け寄ったそうだ。「ちょっと、どうしたの?何の騒ぎ?」「お前の妹の旦那、名前は?」「え?鉄平さんだけど。」「下の名前じゃない。苗字だ。」「苗字?日高だけど、それが何?」達也さんは答えず、握ったままの商談資料を姉に突きつけたという。「株式会社日高ファーム、代表取締役、日高鉄平。」

姉は、最初それが何を意味するのか分からなかったそうだ。「農家でしょ。だって、あの子ずっと貧乏で。年賀状だって。」姉の頭の中で、6年間の前提が音を立てて崩れていくのが、傍目にも分かったという。妹は貧乏農家の嫁。自分は勝ち組の店長夫人。その土台の上に積んできた6年間の全部が、1枚の資料で傾いた。

「農家なんでしょ?」「農家だよ。年12億の農業法人の社長だ。うちが半年かけて追いかけてきた、1億の契約相手なんだよ。」ショールームの白い床の上で、姉の顔から血の気が引いていくのを、関口さんは見ていたという。

黒川さんは電話を切った後、本部に一報を入れ、それから路肩に止めた車の中で、しばらく動けなかったそうだ。半年かけて積み上げた1億円の商談が、自分の知らないうちに、わずか50mの距離で呆気なく崩れて、隣に移った。「正直申し上げて、頭が真っ白でした。ただ、日高様が電話で、私の仕事には何の落ち度もないと言ってくださった。あの一言だけを持って、本部に報告に戻りました。」

後日、うちの農園でそう話した黒川さんは、深々と頭を下げた。下げる必要のない人ほど、深く下げるものだ。あの日、私はそれを2度見た。1度は黒川さん。もう1度は、関口さんの話をした時の黒川さんだ。

ここまでが、伝え聞いた話だ。そして、ここからはまた、私がこの目で見た話になる。

強立モータースの商談席で、伏見さんの説明に頷いていた私は、ガラスの向こうに見えた光景に、湯呑みを持つ手を止めた。国道沿いの歩道を、スーツの男の人とワンピースの女の人が、格好も構わずこちらへ向かって走ってくる。見覚えのある2人だった。ついさっき、磨き上げられた白い床の上で、私たちを笑って送り出したばかりの2人だった。

強立モーターの自動ドアが開いて、2人が転がり込んできた。ピリピリした空気の中に響く声だった。相談中の他の席の人たちが、一斉に振り返った。強立の店員さんが「お客様、恐れいりますが」と制するのを、達也さんはすり抜けた。

「日高様でいらっしゃいますよね。」

達也さんは息を切らし、額に汗を浮かべ、私たちの商談席まで一直線に駆け寄ってきた。よその店だという遠慮は、どこかに置いてきたらしい。「先ほどは、大変、大変失礼いたしました。」達也さんは、腰を直角に折った。つい30分前、泥のついた長靴を見下ろしていた人が、今はその長靴に向かって腰を折っていた。

伏見さんが立ち上がり、静かな声で割って入った。「失礼ですが、当店のお客様へのご用でしたら、まずお名乗りいただけますか?」「あ、隣の東亜自動車、桜坂店の店長の、沢井と申します。こちらのお客様と、そのお話が。」「沢井さん、ここは当店の商談席です。お客様のご意向を伺ってからにしてください。」伏見さんは私たちに目で確認した。鉄平さんが小さく頷いたのを確かめて、伏見さんは半歩だけ引いた。下がりながらも、席のそばを離れなかった。この人は、最後まで私たちのそばに立っていた。

「日高様、あの、先ほどは、行き違いと申しますか?私どもの確認不足で、その。」達也さんは、もみ手を繰り返すばかりだった。「資料を拝見しました。12台のご商談の件。是非、是非、弊社で。条件も、できる限りのことをさせていただきます。本部の黒川からも、改めて。」

「沢井さん。」鉄平さんが初めて、達也さんの名前を呼んだ。声は、店に入った時と同じ穏やかなままだった。「先ほど、あなたは私どもに、こう言いましたね。『試乗やご見学だけのお客様は、ご遠慮いただく場合がある』と。それから、そちらの若い方に、こうも言いました。『どうせ買わないから』と。」

「それは、その、誤解でして。」

「誤解ではないと思います。」鉄平さんは、自分の長靴に目を落とした。「あなたは、この靴と、この作業着と、うちの軽トラを見て、判断された。そうですね。」達也さんの口が、開いて閉じた。何か言おうとして、言える言葉が1つもないのが、こちらから見ていても分かった。見た目で判断したのでないなら、何で判断したのか。答えはないのだ。

「私は、そちらの店の商品を見て、決めるつもりで伺いました。沢井さんは、私の服を見て、決められた。それだけの違いです。」

「ですが、日高様。条件では、必ずご満足いただけるものを。」

「金額のご相談も、金額の話ではないんです。」鉄平さんは首を振った。「うちは農業の会社です。社員は1年中、作業着で畑に立ちます。今日の私と同じ格好で、汗をかいて働きます。その格好を理由に客を追い返す方に、うちの社員が乗る車を任せる気には、どうしてもなれません。」

鉄平さんは、責める様子すらなかった。事実を、伝票を読み上げるように並べただけだった。だからこそ、達也さんは一言も返せなかった。達也さんは項垂れた。反論の材料を探す顔ですらなかった。売る側の人間として、これ以上ないほど静かな、静かな敗北だった。

その時、姉が横から割り込んできた。「ちょっと、美月!」姉は化粧の崩れた顔で、私を睨んだ。走ってきたせいで、さっきまであれほど決まっていた髪も乱れていた。ヒールの踵が、床で高い音を立てた。「あんた、だったら最初から言いなさいよ!」

言うと思った。この人は、こういう時にこういう人だ。悪いのは黙っていた側で、笑った自分ではない。そうやって30年、都合の悪い鏡は全部裏返して生きてきた。

「言ってくれたら、私だって、あんな。」

「あんな、何?」

思わず聞き返した。あんなの続きを、姉は言えなかった。言えば、認めることになるからだ。相手が金持ちだと知っていたら、笑わなかった。つまり、貧乏だと思ったから、笑った。そういうことになるからだ。

私が口を開くより先に、鉄平さんが姉に向き直った。「何をですかな?」「何って?会社やってることよ。社長だってことよ。言ってくれれば、こっちだって。」

「農家だって、言いましたよ。」

鉄平さんの返事は、それだけだった。姉が言葉に詰まった。そう。あの店で「まだ農家やってるんだ」と聞かれて、夫は「はい」と答えた。「車を見に来たのか」と聞かれて、私は「車を見に来たの」と答えた。「会社で使う車です」と、夫は言った。嘘は最初から1つもない。聞かれたことに、全部正直に答えていた。信じなかったのは、そちらだ。

「だって。」姉の目が泳いだ。それから姉は、最後の札を切った。「でも、あんたたち、昔は本当に貧乏だったじゃない。私、見たもの。ボロボロの家で、軽トラ1台で、正月に新しい服も買えなくて。私が見たのは、本当だったじゃない。」

店の中が、静寂に包まれた。伏見さんも、店の人たちも、息を詰めてこちらを見ていた。売り言葉に買い言葉なら、いくらでも返せた。「あなたが捨てた縁談よ」「誰の人生が」「ありえなかったって」。6年分の言い返しが、喉元まで並んだ。でも、口から出たのは、一番静かな言葉だった。

「そうだね。」

私は認めた。「お姉ちゃんが見たのは、全部本当だよ。あの頃のうちは、本当に貧乏だった。家は古いし、車は軽トラ1台だし、私の手は赤切れだらけだった。全部、本当。」

姉が、勝ち筋を見つけたような顔をした。その顔に向かって、私は続けた。「だから、2人で頑張ったんだよ。」

姉の表情が止まった。実は最初から金持ちでしたという種明かしを、姉は待っていたのだと思う。騙されたと言える形を。でも、そんな種はどこにもない。姉が見た貧乏は本物で、今のうちも本物で。その間を埋めたのは、魔法ではなく6年分の朝だった。騙された形がないなら、残るのは自分が捨てたものの大きさだけになる。

「6年かけて、2人で畑を広げて、売り先を作って、人を雇って、少しずつ大きくしたの。お姉ちゃんが見た貧乏農家は、嘘じゃない。今のうちも、嘘じゃない。その間に、6年あるだけ。それだけだよ。」

「私たちは、車で1時間もかからない場所に住んでいて、それなのに、お姉ちゃんは1度もまともに聞かなかったよね。畑はどうなの、とか、暮らしはどうなの、とか。聞かれたら、私はいつでも答えたよ。」

「そ、それは、だって、聞くまでもないと思って。」

「そう。聞くまでもなく、貧乏だと思ってた。その決めつけの話を、私は今してるの。」

姉の口が、また開いて閉じた。「そんな、だって、農家よ。畑よ。」

「うん。農家だよ。今も毎朝、2人で畑に出てる。今朝だって、防風ネットを2人で直してから来たの。この泥は、その泥。」私は自分の膝の泥はねを、隠しもせずに指した。「畑があるから、会社があるの。順番は、逆じゃないの。それでね、お姉ちゃん。」

私は1度だけ、隣の東亜の店舗に目をやってから、姉に向き直った。「買える車がなかったわけじゃないの。買いたいお店じゃなくなっただけ。」

姉は、口を半分開けたまま、動かなくなった。言い負かした爽快感は、正直思ったほどなかった。あったのは、6年前の玄関先で鉄平さんがくれた言葉の、答え合わせが済んだような感覚だけだった。私の人生は、私が選んだ。その結果を、今、私の言葉で言えた。それで十分だった。

沈黙を破ったのは、伏見さんの落ち着いた声だった。「では、日高様、条件のご説明を続けさせていただいても、よろしいですか?」

「お願いします。」

鉄平さんが席に座り直した。私も座った。商談は、何事もなかったかのように再開された。

達也さんの上着の内側で、携帯電話が鳴った。画面を見た達也さんの顔が、また一段白くなった。「本部」とだけ言って、達也さんはふらつく足で店の外へ出ていった。ガラスの向こうで、頭を下げながら電話を受ける姿が、逆光の中に長いこと見えていた。

姉はまだ立っていた。何か言いたそうに口を動かして、でも言葉にならず、最後に絞り出したのはこれだった。「おかしいでしょ?こんなの。農家のくせに。」

農家のくせに。姉の世界は、最後までその3文字でできていた。私は答えなかった。答える代わりに、伏見さんの説明に耳を戻した。納期、点検の周期。私たちの暮らしと会社を運ぶ、大切な話の続きへ。姉がいつを出ていったのか。気がつけば、もうガラスの向こうに姿はなかった。

その日の商談は、夕方まで続いた。伏見さんの仕事は丁寧だった。東亜とは扱うメーカーが違い、車は1から選び直しになる。それでも、こちらの条件は固まりきっていたから、話は早かった。12台それぞれの用途を聞き取り、雪道の峠の話には駆動方式の資料を出し、観光農園の送迎には、スライドドアの段差の低い方を勧めてくれた。年配のお客様のためにと、私が言うより先に。

「では、正式の見積もりを、来週お持ちします。リースと購入の振り分け案も、2通り作ってみます。」

「お願いします。急かしてすみません。」

「いえ、こういうお話は、鮮度が命ですから。」

伏見さんは、最後まで私たちが隣の店から歩いてきた理由を聞かなかった。詮索しないという礼儀を、この人はよく知っていた。

帰りの軽トラの中で、私たちはしばらく黙っていた。口を開いたのは、国道が畑の景色に変わった辺りだった。「すごい1日だったね。」「ああ。ネットの支柱が折れた朝が、随分昔に思える。」「お姉ちゃんのこと、ごめんね。」「美月が謝ることじゃない。」鉄平さんはハンドルを握ったまま、前を向いていった。「それに、悪いことばかりでもなかった。おかげで、いい店といい担当に会えた。」

物は言いようだと、あの時は笑った。でも、振り返れば実際その通りになった。

翌朝は、いつも通り5時に畑に出た。ぶどうの収穫の続きと、直した防風ネットの見回り。選果場ではパートさんたちが箱を組み、直売所では藤村さんがレジを開けた。1億円の騒ぎがあろうがなかろうが、畑の1日は同じ順番で回る。その順番が、あの日はやけにありがたかった。

「美月ちゃん、なんか昨日、いいことあったかい?」

「え、なんで分かるんですか?」

「顔だよ。顔。ほこほこした顔しとる。」

藤村さんの目は、ごまかした試しがない。

3日後、黒川さんが農園に来た。菓子折りを下げ、スーツのまま選果場の前で深々と頭を下げた。「この度は、弊社の店舗で大変失礼がありましたこと、心よりお詫び申し上げます。」

店で何があったかを、黒川さんはすでに正確に把握していた。私たちが何も報告していないのにだ。聞けば、あの日のうちに本部へ一報を入れ、翌日には調査の指示が出たという。「日高様が理由をおっしゃらなかったので、逆に会社として調べないわけにはいきませんでした。1億円の商談が動いた話ですから。」

座敷に上がってもらい、お茶を出した。黒川さんはジャケットを脱いで続けた。「店の者への聞き取りで、経緯は全て分かりました。服装を理由にお客様への応対を打ち切ったこと、部下の案内を止めたこと、『どうせ買わないから』という発言があったこと。」そして、黒川さんは少しためらってから、こう付け足した。「それから、これは調査の中で出てきたことですが、ああいったお客様は、今回が初めてではなかったようです。」

私は思わず、鉄平さんと顔を見合わせた。初めてではなかった。つまり、私たちの前にも、あの白い床で追い返された誰かがいた。作業服のまま来た誰か。軽自動車で乗り付けた誰か。その人たちは、私たちのように1億円の商談を持っていなかっただけで、受けた仕打ちは同じだった。

若い社員たちの証言だった。「気の良くない客が来ると、店長は相手にするなと指示することがあった。作業服の客、年配の一人客、子連れで冷やかし風の客。」関口さんは、最初は若手が案内しようとすると、「時間の無駄だ」と止められた。売れる客にだけ時間を使え。それが、店長の営業哲学だったという。

「数字は優秀な店長でしたが。」黒川さんは言葉を選んだ。「販売の数字は、その月で消えます。追い返されたお客様の記憶は、消えません。会社は、そちらを重く見ています。」処分の話は、その日はまだ出なかった。ただ、調査は本社の人事も交えて進んでいるとだけ聞いた。

「それで、あの。今更申し上げる義理ではないのですが。」帰り際、黒川さんは玄関先で改めて背筋を伸ばした。「12台の話を、もう1度だけ。」

「黒川さん。」鉄平さんは、菓子折りのお返しにと、ぶどうの一番いい箱を黒川さんの車に積みながら答えた。「あなたの見積もりは、本当にいい仕事でした。だから、余計にあの店では買えません。分かってください。」

「はい。承知しております。」

黒川さんは、ぶどうの箱にまでお辞儀をして、帰っていった。

黒川さんが帰った後、鉄平さんは選果場の前でしばらく立っていた。「どうしたの?」「いや、関口という子のことを考えとった。あの若い営業さんは、店長に止められても、案内しようとしてくれた。『冷やかしの目をしていなかった』と、調査で言ってくれた。」「ああいう子が育つ店なら、いつかまた縁があるかもしれんな。」「そうだね。車は、今回だけの買い物じゃないし。」

うちの取引の基準は、いつも同じだ。会社の看板ではなく、目の前に立った人。黒川さんと、伏見さんと、関口さん。あの1日は、3人の人に会った1日でもあった。

一方、実家の方は火がついたような騒ぎになっていたらしい。週末、母から電話がかかってきた。開口一番、母はこう言った。「あんた、下に恥をかかせたんですって。」

やっぱりそこからか。受話器を持ち直して、私は聞き役に回った。母の話は要領を得なかったが、つなぎ合わせるとこうだった。あの日の夜、姉が実家に電話をかけて泣いた。「美月に嵌められた。みんなの前で恥をかかされた。達也さんの立場も危ない。全部、美月が黙っていたせいだ。」

「下がかわいそうじゃないの?あんた、社長夫人だかなんだか知らないけど、身内にそんな仕打ちをして。」

「お母さん。」私は1度だけ口を挟んだ。「私、あの店にお姉ちゃんがいるなんて、知らなかったよ。会社の車を見に行っただけ。それで、笑われて、追い返されたの。どっちが先に何をしたか、お姉ちゃんに聞いてみて。」

「それは、そうかもしれないけど。でも、身内なんだから、そこは御機嫌取りで。」

「御機嫌取り?私、何もしてないよ。怒ってもいないし、責めてもいない。買う店を変えただけ。」

「その、買う店って、あんた本当なの?車を12台買うって、下が1億だとか言って泣いてたけど。」

母の声が、そこで初めて揺れた。娘の暮らしぶりを、母は姉の泣き電話で初めて知ったのだ。6年間、聞かれもしなかった話を。

「本当だよ。会社の車。うち、そういう会社になったの。」

電話の向こうで、母が何かを言いかけてやめた気配がした。代わりに出てきたのは、これだった。「でも、あんたが最初から言っていれば。言っていれば、笑わなかった。」

母が黙った。その沈黙が答えだった。相手の値打ちで態度を変える。それは、この家の昔からの癖だった。

「もういいよ。うちは元気でやってます。お母さんも、体に気をつけて。」

私は受話器を置いた。不思議なくらい、心は凪いでいた。30年かけて諦めてきたものは、一晩では戻らない。それでいいし、それがいい。今の私には、守る場所も、呼んでくれる名前も、別にあるのだから。

数日おいて、蒲沼さんからも電話があった。どこで聞いたのか、ことの次第を大方知っていた。「鉄平君らしい。怒鳴りもせんで、店だけ変えたか。」電話の向こうで、蒲沼さんはカラカラと笑った。「十蔵さんもなあ、そういう人だった。握られても怒らん。ただ、2度とそこには下ろさん。物を作る人間の怒り方というのは、そういうもんだ。」

「蒲沼さん、あの縁談、私に回してくださって、ありがとうございました。」今更すぎる礼だったが、言うなら今だと思った。蒲沼さんはしばらく黙って、それから照れたように咳払いをした。「礼を言われる筋合いではないよ。わしはただ、封筒を運んだだけでな。選んだのは、あんたたち2人だ。」

契約は、月末に正式にまとまった。見積もりも条件も、伏見さんの仕事に文句の付けようがなかった。購入とリースを振り分け、納期は年内から春にかけての分散。整備は強立さんの工場で一括。判を押した契約書の綴りは、うちの金庫で、あの一番古い登記の紙の隣に収まった。軽トラ1台の農園の紙と、12台の契約の書類が、同じ棚に並んだ。

納車は年内に4駆2台から始まり、春までに順次という段取りになった。社内に知らせを張り出すと、山の向こうの農場の責任者が誰より喜んだ。冬の峠をもう、古い営業車で超えなくていい。「社長、これで安心して人を出せます。」「ああ。もっと早く、そうすべきだった。」鉄平さんは素直にそう言った。あの店で起きたことは残念だが、車を変えること自体は、最初から正しい買い物だったのだ。

そして、達也さんの処分の知らせは、思わぬ形で私たちの耳に届くことになる。

11月の半ば、会社当てに一通の封書が届いた。差出し人は、沢井達也。中には、便箋3枚の詫び状が入っていた。あの日の失態への謝罪から始まり、言い訳を挟まず、自分が何をしたかが書いてあった。服装で客を判断したこと。部下の案内を止めたこと。以前から同じことを繰り返してきたこと。そして最後に、処分の報告があった。「店長の職を解かれ、本部で接客の再研修を受けた後、来月から県外の店舗へ移動になります。会社の決定は、当然のものと受け止めております。」

字は、思いのほか几帳面だった。営業の数字で成り上がった人らしい、整った読みやすい字。この字で、何百枚の契約書を書いてきたのだろう。その腕を、客を選別する側にではなく、目の前の客のために使っていれば。人ごとながら、そう思わずにはいられなかった。

読み終えて、私は手紙を鉄平さんに渡した。鉄平さんは畑から戻ったばかりの手で受け取り、最後まで読んで、折り目通りに畳み直した。「どう思う?」「本人が書いたにしては、できすぎとる。会社に書かされた分も、半分あるだろう。」鉄平さんは手紙を封筒に戻した。「それでも、かんで済ませる男より、ましだ。返事は、どちらでもいい。受け取ったことが、返事だ。」封筒を引き出しにしまいながら、鉄平さんは続けた。「それにしても、ようこんな手紙をよこしたな。会社の指導もあるだろうけど。お姉ちゃんは、この手紙のことを知らないと思うだろうな。」「知っとったら、書かせんだろう。」夫婦で苦笑いした。あの姉が、夫が妹夫婦に頭を下げる手紙を許すはずがない。つまり、これは達也さんが自分の判断でしたことだ。その1点だけは、勝ちてもいいと思った。

後から黒川さんに聞いた話では、処分を決めたのは本社の人事だった。契約を失ったことそのものより、客を値踏みで選別する体質を店長が指導していたことを、会社は重く見たという。関口さんたち若手の証言が、決め手になったそうだ。「首にはなっていません。降格と移動と、給与の見直しです。うちも、人を育て直すのは得意ですから。」黒川さんはそう言った。それでいいと思った。誰かが路頭に迷う姿を見たいわけではない。あの白い床で追い返される客が、もう出なければいい。それだけの話だ。

本部は、あの一件の後、全店に接客の研修をやり直させたという。「ご来店のお客様を、服装で判断しない」。当たり前のことが、わざわざ紙に刷られて、全店に貼られた。当たり前を紙にしなければならないのは情けない話だが、紙にしないよりずっといい。

姉夫婦のその後は、母の電話で断片的に伝わってきた。達也さんの移動先は、隣の市の郊外の店。肩書きは課長で、店長時代より給料は下がったという。駅前の新築マンションのローンは、変わらずに残る。姉は「役職なんて、時の運よ」と外では言っているらしいが、ママ友の集まりからは足が遠のいたと、母は声を潜めた。「だってね、達也さんの店長っていうのが、あの子の自慢の柱だったから。」

人の肩書きを柱にして立てた家は、肩書きと一緒に傾く。姉は今、それを学んでいる最中なのだろう。授業料としては、安い方だと思う。

ちなみに、蒲沼さんはこの結末を聞いて、電話口でひとしきり笑った後、真顔に戻ってこう言った。「美月さんもな、悪い子ではなかったんだ。ただ、上げ底の上で育てられた。そこが抜けた時に、自分の足で立つ稽古をしとらんかっただけでな。」

上げ底の上で育てられた。仲人というのは、両方の家をよく見ている。

うちの年末は、いつも通り戦場だった。お歳暮の詰め合わせが例年の3割増しで出て、選果場は連日フル回転。黒川さんからは、ぶどうのお返しにと丁寧な礼状が届いた。文面の最後に、小さくこうあった。「関口は、今期の店舗の営業成績で1番になりました。日高様ご夫妻にお伝えしたく。」

私はその一文を、2回読んだ。あの日、笑わなかった若い人が、1番になった。世の中の道理は、たまにちゃんと合う。

そして、年が開けて、私は6年ぶりに正月の実家へ顔を出した。きっかけは、母の電話だった。「お父さんも年だし、正月ぐらい顔を見せなさい。」声の調子が、以前とは違っていた。命令ではなく、頼みの声だった。鉄平さんは畑の見回りがあるというので、私1人で日帰りすることにした。

玄関を開けると、母が出てきた。記憶のままの廊下、記憶のままの匂い。ただ、私を見る母の目だけが、居心地悪そうに泳いだ。「来たの。ご苦労様。」

仏間を通ると、祖父母の写真の横に、見覚えのある果物箱が備えてあった。うちが秋に送った贈答用の梨の箱だ。売り物にするやつを送ったのだから、飾らずに食べて欲しかったが、母なりの何かなのだろう。

座敷には、父がいて、そして姉がいた。姉はこたつに入ったまま、私を見なかった。テレビの画面に目を向けたまま、そこにいた。達也さんの姿はなかった。移動先の店の引き継ぎで、正月も出ているのだと、母が聞いてもいないのに説明した。

母が台所から、おせちの残りを運んできた。取り皿が回り、湯呑みが並び、それでも会話は始まらなかった。6年ぶりに帰った娘に、何から聞けばいいのか。両親は明らかに持て余していた。かつては「下の話」という万能の埋め草があった茶の間に、この日はそれがない。姉が黙っているからだ。

気まずい茶の間に、しばらくテレビの音だけが鳴っていた。口を切ったのは、意外にも父だった。「美月。その、なんだ。会社、うまくいっとるらしいな。」

「うん。おかげ様で。」

「そうか。いや、わしは昔から、ことは真面目なしっかりした子だと思っとった。コツコツやる子だとな。」

「そうよ。真面目だけが取り柄って。」

母が言い終わる前に、私は湯呑みを置いた。「そういうのは、もういいから。」それから2人を順番に見た。声を荒げたつもりはない。ただ、はっきり言った。「昔の話を作り替えるのは、なしにしよう。この家で私がどういう順番だったか、私が一番よく覚えてる。今更変えてくれなくていい。その代わり、これからは普通にやりましょう。普通に。」

父と母は、顔を見合わせて黙った。手のひらを返されるより、返された手のひらをそっと戻してもらう方が、ずっといい。私はそういうつもりだった。

沈黙を破ったのは、姉だった。「美月だけ、ずるい。」こたつの天板を見つめたまま、姉は言った。

「何が?」

「何がって、全部よ。だって、おかしいじゃない?私の方が、ずっとちゃんとしてたのに。私があの縁談を受けていれば、今頃、私が。」

「でも、お姉ちゃん、『農家なんて絶対嫌』って言ってたじゃん。」

姉が黙った。6年前の夜、ヒールを脱ぎ捨てて言い放った言葉を、忘れたとは言わせない。「無理、無理。絶対無理。軽トラ乗って泥だらけになる人生なんて、ありえない。」あの言葉があったから、私の6年があったのだ。

「それにね、お姉ちゃん。1つだけ、間違えないで欲しいの。」私は姉の顔を見て、ゆっくり言った。「私は、鉄平さんと結婚したから、今の生活になったんじゃないよ。鉄平さんと一緒に、今の生活を作ったの。」

鉄平さんと結婚したからではない。鉄平さんと一緒に作った。この2つの間には、6年分の距離がある。結婚は宝くじではない。当たりの男を引いた妹と、外れを引かされそうになった姉。姉の頭の中の話は、多分ずっとそうなっている。でも、違う。6年前のあの農園に、当たりくじはなかった。あったのは、古い家と軽トラと800万の借金と、嘘のつけない男の人だけだった。それを当たりに変えたのは、2人分の朝と、2人分の手だ。

「だって。」姉は初めて、真正面から私の顔を見た。30年余り、見下ろすためにしか使わなかった目が、初めて同じ高さで私を見た。そう見えただけかもしれない。それでも、その一瞬だけは、姉と本当の話ができた気がした。

「あんたの手、荒れてるのね。」姉がぽつりと言った。

「うん。冬は、どうしてもね。でも、この手が作ったの、全部。」

姉はそれきり、テレビに目を戻した。反省も後悔もない。でも、いつもの嘲笑もなかった。姉にとっては、それが精一杯なのだろう。姉は何か言いかけて、やめた。分からなかったのだと思う。自分の手で何かを作ったことのない人に、この話は多分、一生分からない。それでも、言っておきたかった。

帰り際、母が玄関まで送ってきて、遠慮がちに紙袋を差し出した。中身は、私の好きだったモナカだった。「あんたの好み、これで合ってたかしら?」「うん、合ってる。ありがとう。」6年分の詫びとしては、モナカは軽い。でも、始まりとしては悪くない。私はそう思うことにして、家を出た。

駅までの道で、夜空に白い息を吐いた。結婚して初めての正月。逃げるように歩いたのと同じ道を、この日は自分の足取りで歩いて帰る。それだけのことが、こんなに違う。

電話が震えて、鉄平さんからの短い文が届いた。「見回り終わり。おかえり。」それだけの文が、どんな年賀状より正月らしかった。この6年で一番静かで、一番勝ちらしい勝ちの年が、こうして幕を開けていった。

最後に1つだけ、時計を半月ほど戻して、最初の納車の日の話をさせてほしい。

12月の半ば、契約の最初の1台が農園に届いた。冬の峠を超えるための4駆の1号車だ。強立のキャリアカーから真っ白な車体が下ろされると、選果場から社員もパートさんも出てきて、ちょっとした人だかりになった。「おお、新車の匂いがする。」「山の農場の子たち、喜びますね。」伏見さんが書類とキーを差し出し、鉄平さんが受け取った。記念に1枚と誰かが言い出して、新車の前でみんなで写真を撮った。真ん中に立たされた鉄平さんは、収穫の初日より緊張した顔をしていた。

キーを受け取った鉄平さんは、そのまま山の向こうの農場の責任者を呼んで、キーを渡した。「明日からは、頼む。峠は、無理せんでいいからな。」「はい。大事に乗ります。」若い責任者はキーを両手で受け取って、頭を下げた。あの車の一番の仕事は、格好をつけることではない。冬の峠から、人を無事に返すことだ。買った理由が、こうして人の手に渡っていく。いい買い物をしたと、心から思った。

夕方、藤村さんが直売所から様子を見に来て、ピカピカの車体を一周した。「立派なもんだね。で、鉄平ちゃんは、これに乗るのかい?」「いえ、これは山の農場の車です。」「だろうね。」藤村さんは笑って帰っていった。長い付き合いは、答えを聞く前から答えを知っている。

その晩、夕飯の席で鉄平さんがぽつりと言った。「なあ、美月。今日の写真、引き伸ばして事務所に飾るか。」「珍しいね。そういうの、嫌がる人なのに。」「車の写真じゃない。みんなが映っとるからだ。」なるほどと思った。この人の中では、12台はずっと「みんなの道具」なのだ。1億円の買い物をしても、その筋は1度もぶれなかった。

翌朝5時半、台所の窓から外を見ると、鉄平さんが軽トラの荷台を落としていた。私は長靴を突っかけて、外に出た。「新しい車、乗らないの?」「ん?ああ。」鉄平さんは、当たり前のことを聞かれた顔で振り向いた。「畑には、これが一番使いやすいから。」14年目の軽トラは、今朝も1発でエンジンがかかった。白い排気が、夜明け前の畑に流れていく。私は助手席のドアを開けながら、笑いをこらえきれなかった。「高級車を12台買った人のセリフじゃないね。」「買ったのは会社だ。俺のじゃない。」「はいはい。それじゃあ、行きましょうか。社長。」「ああ、行こう。今日は、南の棚の剪定からだ。」

荷台に剪定バサミと脚立を積んで、私たちは畑への道を走り出した。フロントガラスの向こうで、冬の朝焼けが畑の土を薄く染め始めていた。

あの再会の日から、2ヶ月が経った。姉からの連絡は、あれきりない。年賀状も、今年は来ないかもしれない。来たら来たで、返事は例年通り書くつもりだ。「おかげ様で元気にやっています」と。あの一文は、6年間ずっと本当のことだったし、これからも本当であり続ける。

思うのだ。姉が嫌ったのは、農家という仕事ではなかった。姉が嫌ったのは、姉が勝手に思い描いた、貧しい人生の方だった。そして姉は、その想像の外にあるものを、1度も見ようとしなかった。泥のついた長靴の中身も、軽トラの荷台に積まれたものも、赤切れの手が作ってきたものも。

でも、私の6年は、誰かに羨ましがられるためのものではない。見返すためのものでもない。朝の畑と、伝票の数字と、隣で笑う人。2人で1から作ってきた、毎日。その毎日が、私の人生で一番の財産になった。

6年前、玄関先で鉄平さんは言った。「美月さん、本人の人生ですから。」あの言葉の意味が、今なら全部分かる。人生は、誰かに割り振られる順番ではない。自分で選んで、自分の手で作るものだ。例え始まりが押し付けられた縁談だったとしても、選び直すことは、いつだってできる。私はあの喫茶店で、砂糖を3倍入れるコーヒーの向こうにいた人を、自分で選んだ。

春が来たら、新しいミニバンが観光農園のお客様を駅から運んでくる。梨の花が咲いて、袋かけが始まって、また忙しい1年が回り出す。その畑へ向かう道を走るのは、多分、来年もこの古い軽トラだ。

黒川さんから届いた礼状の返事に、私は最後の一文を添えて出した。「畑は、いつでもご案内します。今度は商談抜きで、梨の花を見にいらしてください。」関口さんの名前も、宛名の下に書き添えておいた。あの店で唯一、私たちを客として見てくれた人に、満開の畑を見てもらいたいからだ。

私はこれからも、この助手席で伝票をさばきながら、夫と一緒に畑の毎日を作っていく。

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