「年金もないなら、出て行ってください。」夕食の席で、嫁が冷たく言い放った。隣で息子は黙って頷く。「母さん、年金もないお荷物を養う余裕はもうないんだ。」三十八年間、朝五時から働いて息子を医学部に入れ、開業資金の保証人にもなった。なのに、彼らは私を“貧乏人”と罵った。でも、二人は知らない。この家の名義が私にあることも、私の本当の資産が三億円であることも。そして今、私は静かに荷物をまとめ、一通の手…
「年金もないなら、出て行ってください。」 その言葉は、まるで冷たい刃物で心臓を貫かれたような痛みを私に与えた。夕食後の静かなリビングに、嫁のみほの冷たい声が響いたのだ。 私は箸を持ったまま固まってしまった。まさか、こんな言葉を聞く日が来るなんて。 「何を言っているの?みほさん。」 やっとの思いで絞り出した私の声は、震えていた。 みほは私を見下すような目を向け、さらに追い打ちをかけた。 「お母さん、もう限界なんです。年金もない貧乏人と一緒に暮らすなんて、近所に知られたら恥ずかしくて。」 貧乏人。その言葉が私の胸に突き刺さった。 隣に座る息子の正彦は、何も言わずにただ頷いている。私が必死に育てた息子が、妻の暴言を黙認している。 「母さん、みほの言う通りだよ。年金もないお荷物を養う余裕はもうないんだ。」 正彦の言葉に、私の心は完全に凍りついた。でも、不思議なことに、私の顔には静かな微笑みが浮かんでいた。二人は、その微笑みの意味をまだ知らない。 私は震える手でお茶を口に運びながら、これまでの人生を振り返っていた。 「正彦、あなたを医学部に入れるために、私がどれだけ働いたか覚えていないの?」 私の問いかけに、息子は面倒くさそうに顔をしかめた。 「それは母さんが勝手にやったことだろ。」 勝手に。その言葉が私の心をえぐった。朝の五時に起きて病院へ向かい、夜遅くまで薬剤師として働き続けた三十八年。その全てが「勝手」だというのか。 「学費だけで千二百万円。生活費も含めればどれだけかかったと思っているの?」 私が続けると、みほが鼻で笑った。 「それが親の義務でしょう。恩着せがましいんですよ、お母さん。」 親の義務。確かにそうかもしれない。でも、みほの結婚資金五百万円まで工面したことも、義務だったのだろうか。 「みほさん、あなたの実家が経済的に苦しいからって、私が援助した五百万円のことは忘れたの?」 一瞬、みほの顔が青ざめたが、すぐに開き直った。 「それとこれとは話が別です。今のお母さんは、ただの貧乏な老人じゃないですか?」 正彦も同調するように言った。 「過去の話を持ち出されても困るよ。今の母さんには経済力がない。それが全てだ。」 私の胸の奥で、何かが静かに、しかし確実に壊れていく音がした。 翌朝から、息子夫婦の態度はさらに露骨になっていった。 「お母さん、朝食の準備はもう結構です。貧乏人が作る料理なんて、もう食べたくないんです。」 みほは私が用意した味噌汁を見て、嫌そうに顔をしかめた。 「でも、これは昨日買った新鮮な野菜で……」 「新鮮な野菜?どうせ見切り品でしょう?年金もない人が、そんな贅沢できるはずないじゃないですか。」 私の説明を遮って、みほは冷蔵庫から高級な食材を取り出した。実は、私が薬剤師として働いていた頃から愛用している、信頼できる農家から直接買っている野菜だった。でも、そんな説明をする気力はもうなかった。 正彦も横から口を挟んだ。 「母さん、俺たちの生活レベルに合わせられないなら、別々に食事した方がいいんじゃない?」 「別々にって、家族なのに。」 「家族?年金もない貧乏人が、俺たちと同じ家族だなんて思わないでくれ。」 息子の言葉に、私は言葉を失った。 その日の午後、みほの母親が訪ねてきた。みほは満面の笑みで出迎え、リビングの一番いい席に案内した。 「お母様、今日は高級フレンチのケータリングを頼んだんです。」 「まあ、みほちゃん、いつも贅沢させてもらって申し訳ないわ。」 「お母様は年金も月に十万円あるし、退職金もたっぷりでしょう。当然の待遇ですよ。」 私はキッチンの隅で、その会話を聞いていた。みほの母親への態度と、私への態度の差は、天と地ほどもあった。 「あら、さち子さん。」 みほの母親が私に気づいて声をかけた。 「こんにちは。」 私が挨拶すると、みほがすかさず割り込んできた。 「お母さんはちょっと用事があるんですよね。お部屋に戻られた方が……」 「でも、特に用事は……」 「年金もない人がここにいても、お母様に失礼でしょう。」 みほは私の腕を掴んで、強引に部屋へ押しやろうとした。 「みほちゃん、そんな言い方は……」 みほの母が止めようとしたが、みほは構わず続けた。 「お母様、お母さんは年金が一円もないんです。薬剤師だったくせに、きちんと手続きしていなかったみたいで。本当に恥ずかしくて。」 それは真っ赤な嘘だった。私の厚生年金は六十五歳から支給される。まだ受給開始年齢に達していないだけなのだ。でも、みほは私の説明など聞く耳を持たなかった。 夕方、正彦が仕事から帰ってきた。 … Read more