大手の取引先からパーティーに招待された。手塚、これ見てみろよ。先輩社員が高級感のあるクリーム色の招待状を俺に差し出した。引き先の大手製造業から創立三十周年記念パーティーの招待状が届いたぞ。下の俺たちがこんな大手の式典に呼ばれるなんて珍しいよな。
招待状には金色の文字で俺の名前が記されている。これは名誉なことだ。これまで着実に納入実績を増やし続け、厳しい要求や突然の変更にも対応し続けた俺の営業努力がようやく身を結んだのかもしれない。
おめでとう、手塚。同僚たちが祝福してくれたその日の夜、俺は病気で入院中の父に呼ばれた。
忙しいところすまない。よく来てくれたな。病床の父は老体にも関わらず真剣な表情で『遺言』と記された書類を俺に渡してきた。
そろそろあの会社との土地問題を片付けてほしい。
父は土地持ちで、いくつかの企業に土地を貸していた。以前から父に聞かされていたが、ある会社と土地問題を抱えているらしい。詳細は聞いていなかったが、父の表情から重要な案件であることは間違いない。父は最近になって財産管理を俺に任せるようになった。移譲された件の会社との土地の問題は父の長年の気がかりだったようだ。
わかった父さん。任せてくれ。俺は『遺言』に記された会社名にまじまじと目をやる。そこには招待状を送ってきた会社と同じ名前が記されていた。まさか取引先と父が土地問題を抱えている会社が同じだったとは。
俺は父から預かった土地問題に関する書類を、招待状の入った鞄にそっと納め病室を後にした。
招待状を受け取ってから一週間後、いよいよパーティー当日を迎える。俺は念のため父の土地問題の解決も兼ねて関連書類を鞄に入れておいた。相手の重役に会える貴重な機会だ。良いタイミングがあれば話を切り出してもいいかもしれない。
俺は会場に到着し、受付で名刺を渡した。案内係の指示に従って進むと、案内された先は会場の隅。キッチンのゴミ箱近くの簡素なテーブルだった。
俺は目の前のテーブルを見て愕然とする。そこには小皿に盛られた白い生クリームが一つ置かれ、その脇には『余興用』と手書きされた札が置かれていた。
これは何かの間違いだろうか。周囲を見渡すと対称的な光景が目に入る。他の来賓客のテーブルには豪華なフルコースが並んでいた。俺だけが明らかに冷遇され、区別されている。
おや、下受けの手塚が来たようだな。背後で聞き覚えのある声がした。振り向くと、取引先の製造部長の高岡が数人の部下を従えて近づいてくる。高岡の目は不気味な光を放っている。納品の際に何度か顔を合わせたことはあるが、高岡は俺のような下受け業者には横柄な態度で接してくる男だ。
いつもの安物のスーツで来たか。実績だけは認めてやるが、下請けごときが一流ホテルの料理を食べられると思ったのか。生クリームでも舐めてろ。
高岡が嘲笑うように言い、周囲の部下たちも笑いを漏らした。高岡は俺の隣にあるテーブルに座ると、聞こえよがしに話し始めた。
この業界は下受けを躾け直さないとな。言うことを聞かない下受けなんていらない。手塚の会社も対象か。納入実績はいいが。実績なんて関係ない。奴らに選択肢はないんだ。単価を下げようが、納期を半分にしようが、文句を言わず従うしかないんだよ。嫌なら他の会社なんていくらでもある。下受けなんていつでも取り替えが効くんだからな。
高岡の傲慢な笑い声が耳に刺さる。高岡は下受けを単なる使い捨ての道具としか見ていないのだ。その時、スーツ姿の女性が高岡に近づき話しかけた。
高岡さん。招待したのに食事も用意しないのは、さすがに非常識ではないでしょうか。他のお客様と同じ待遇にすべきです。
女性の名札には『社長秘書室 主任 白石』と書かれている。
黙れ。下受けを甘やかすと調子に乗るんだよ。
高岡は白石を一喝し、白石は謝るように俺に目配せした。
司会者がマイクを持ち、『そろそろ余興の時間です』と声をかけた時、高岡が突然俺の方を向いていった。
そうだ。下受けに余興をやってもらおう。
高岡はそう言って不気味な笑みを俺に向けている。
すみません。私は余興の用意などしていません。
断ろうとした俺に構わず、高岡は隣のテーブルから大きなホールケーキを取り上げ、俺に近づいてくる。
予行よろしく。
高岡の掛け声と共にケーキが俺の顔面に向かって飛んできた。視界が塞がれ、生クリームと甘いイチゴの香りが顔中に広がる中、高岡の高笑いが響き渡る。
ほら、ピエロの出来上がりだ。これが余興だ。
高岡は一人で悦に入って続ける。
それが下受けの立場だ。下はケーキを飾る生クリームに過ぎない。分かったか。
同僚の部下たちも便乗して笑い出す中、白石が困惑した表情で申し訳なさそうに俺を見ていた。他の参加者の中には呆気に取られている人もいる。若い女性社員はこっそりスマホでこの様子を撮影していた。他の下受け企業の代表者たちも痛ましい顔で俺を見ている。顔から生クリームを垂らしながら、俺は辱められているという屈辱感と何も言い返せない無力感で全身が震えた。
俺の頭の中で何かが切れるのを感じた。次の瞬間、鞄の中の書類の存在が急に重みを持って迫ってきた。この屈辱、もう我慢できない。ゆっくりとハンカチを取り出し、顔の生クリームを拭い始めた。
どうだ。これで下の立場が分かっただろう。
高岡の言葉に、俺の中で何かが氷結していく。鞄から静かに父から預かった『遺言』と契約書のコピーを取り出す。
なんだ。手品でもやってくれるのか。
高岡が再び嘲笑うように言ったが、俺は沈黙したままだった。
深呼吸をして、俺は高岡に冷静に言い放った。
御社の本社工場の土地。今すぐ更地にして返せ。
言い終えた瞬間、会場が静まり返った。高岡の顔から不気味な笑みが消えている。
御社の本社工場は私の父が所有する土地に立っています。定期借地権契約は三ヶ月前に満了していることを、あなたはご存知ですか。契約書に基づき、御社は建物を撤去し、更地にして返還する義務があります。
俺は淡々と説明した。白石が驚いた表情で近づいてきた。
それは本当ですか。書類を確認させていただけますか。
俺は書類を白石に手渡した。
その通知書は半年前に御社へ送付し、受領印も確かに押されています。私はこの土地問題について、父から全権を譲り受けています。
白石は慎重に書類に一通り目を通してから言った。
これは確かに当社の受領印です。
白石は厳しい顔で続ける。
契約満了の通知が半年前に送られているようです。おそらくですが、組織再編があったため、担当部署での引き継ぎが行われなかった可能性があります。
会場が騒然となり、役員たちの間でざわめきが広がった。白石は書類をさらに丁寧に確認し始めた。
本社にきちんと確認してもらう必要はありますが、見る限りでは、これは正式な契約書と譲渡書です。
白石の言葉に、高岡の顔が青ざめていく。
冗談だろう。本社工場の土地が。
高岡が言葉を失う。するとパーティー会場の向こう側から中年の男性が急いで近づいてきた。引き先の黒田社長だった。
一体何が起きているんだ。
白石が社長に状況を手短に説明する。
手塚さんのお父様が当社の本社工場の敷地の地主で、借地契約が満了しているとのことです。
白石はさらに続ける。
その件とは別に、高岡部長はパーティーの場で手塚さんにケーキを投げつけるという不適切な行為をしました。
社長は厳しい表情で高岡を見つめ、その後俺に向き直った。
大変申し訳ありません。すぐに場所を移し、詳しくお話を伺えますか。
社長の丁寧な物腰に、周囲からは驚きの声が漏れた。先ほどまで俺に笑いを向けていた人々が、今度は一転して高岡を非難するような目で見ている。お願いしますと俺が答えると、白石は俺に近づき小声で話しかけた。
どうか話し合いの場を設けさせてください。それと……。
白石は俺に耳打ちするように呟いた。
パーティーの招待状ですが、あなたが特別に招待されたことにも、何か理由があったのかもしれません。
俺は白石の誠実な目を見て軽く頷いた。
大会議室に場所を移し、俺は社長、高岡、白石の三人と向かい合っていた。社長は厳しい表情で高岡を見つめている。
まず、手塚さんに謝罪したい。高岡の行為は決して容認できるものではありません。
社長は深々と頭を下げた。
今後このようなことが二度と起きないよう対処します。高岡君、きちんと謝罪しろ。
高岡はしぶしぶと立ち上がり、頭を下げる。
申し訳ありませんでした。
形だけの謝罪に、俺は無言で頷く。社長は再び口を開く。
土地の問題についても話があると聞きました。詳細を伺えますか。
俺は資料を開きながら説明を始めた。
二十年前、私の父は御社に定期借地権契約で土地を貸しました。契約期間は二十年で、三ヶ月前に満了しています。
定期借地権契約とは、契約期間が満了すれば確実に土地を返還する前提の契約だ。通常の借地契約と違い更新はなく、期間満了時には借地人が建物を撤去して更地にして返すことが法律で定められている。白石はファイルを広げて確認する。
確かに契約書の原本が見つかりました。期間満了後は更地返還が明記されています。
社長は顔色を変え、額に汗を浮かべる。
工場を移転するには最低でも一年はかかる。今すぐ更地にするのは物理的に不可能だ。
その言葉に高岡が食い下がる。
下受けの分際で調子に乗るな。契約なんて金で解決できるだろう。
社長は拳を机に叩きつけた。
君は黙っていろ。
突然の剣幕に、高岡は言葉を失う。
君はいつも下受け企業に対して横柄な態度を取り、自分の筋力を誇示することしか考えていない。上には媚びへつらい、下には居丈高になる。そんな姿を何度も見てきた。
高岡は反論できず、顔を真っ赤にして俯く。白石は『少々お待ちください』と言って会議室を出ていった。数分後、戻ってきた白石は資料を手に持っている。
顧問弁護士と法務部に確認しました。手塚さんの主張は法的に正当です。当社に土地の明け渡し請求を拒否することはできません。
白石はさらに続けた。
また、契約管理の経緯も調査しました。やはり組織再編があったため、担当部署での引き継ぎが行われていなかったようです。総務部の担当者も異動になり、契約満了の通知も適切に処理されなかったようです。
俺はさらに追い打ちをかける。
父は半年前に契約満了通知を送り、新たな契約も示唆しましたが、御社からは一切連絡がありませんでした。
社長は深いため息をついた。
どうすればいいのでしょうか。社長の声は弱々しくなっていた。
俺は慎重に言葉を選ぶ。
三つの条件があります。
会議室の中に俺の声だけが響く。
一つ目は、今回の件に関する高岡部長の真摯な謝罪と社内規定に則った厳正な処分。二つ目は、我が社への取引条件の改善。そして三つ目は、新たな借地契約の締結です。
高岡は椅子から立ち上がった。
冗談じゃない。なぜ俺が処分されなきゃならないんだ。俺は何もしていない。
社長は氷のような視線で高岡を見た。
君の行為は明らかに社内規定違反だ。パーティーでの失態も含めて、会社に多大な損害を与えている。
高岡の顔が青白くなる。
新契約の条件は。
社長が俺に尋ねる。
現在の市場価格を元に算出した適正賃料です。契約期間は二十年。
社長はしばらく考えてから言った。
分かりました。法務部と相談し、改めて連絡します。
さらに社長は高岡の肩に冷たく手を置いた。
高岡君は、この件の調査が完了するまで自宅謹慎とする。
高岡は項垂れるだけだった。
一週間後、俺の会社の会議室に社長、高岡、白石の三人が来た。大手の代表が下受けに足を運ぶというのは異例のことだ。机の上には新たな契約書が置かれている。社長がゆっくりと口を開いた。
手塚さん。先日は当社のパーティーで不快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。
社長は深く頭を下げた。
手塚さんが提示した三つの条件について、検討した結果をお伝えします。
社長は机の上の書類に目を落とした。
まず、土地の件については、手塚さんのご提案通り新たな契約を結ばせていただきたいと思います。
社長はさらに続けた。
次に、御社との取引条件の見直しにも同意します。
俺は軽く頷く。社長は高岡を厳しい目で見た。
そして最後に、高岡のパーティーでの行為についても、社内規定に基づき減給処分することを決定しました。
高岡は青ざめた顔で突然立ち上がる。
待ってください。あれはただのパーティーでの余興だ。
高岡の声は焦りに満ちていた。社長は冷静に高岡を見つめた。
余興ではなく、明らかな侮辱行為だ。社長の声は断固としていた。さらに、この一週間で調査した結果、衝撃的な事実が判明した。君はあらかじめ手塚さんをパーティーに招待して侮辱する計画を立てていたようだな。
高岡は途端に動揺し始めた。社長は続ける。
招待状の発送リストを確認したところ、手塚さんの名前は君が直接追加したものだった。しかも、食事を用意しないよう厨房スタッフに指示したのも君だな。
高岡は必死に反論する。
ただの冗談のつもりでした。
高岡の声から力が失われていく。白石が泰然とした態度で高岡に向き合った。
冗談では済みません。パーティー前日、あなたが厨房スタッフに出した指示メールのコピーがここにあります。『下受けにフルコースは不要。生クリームだけでいい』と明記されています。
白石は資料を差し示した。
さらに、社内メールには『明日のパーティーで下受けを懲らしめてやる』と書かれていました。これは計画的な侮辱行為です。
高岡は急に肩を落とし、力なく椅子に崩れ落ちた。
認めます。手塚さんを貶めるために招待したんです。
会議室に重い沈黙が流れる。白石はさらに続ける。
報告はまだあります。パーティーで高岡部長が手塚さんを侮辱する場面が、参加者により撮影され、SNSで拡散されていました。大手企業による下受けへの嫌がらせとして批判が殺到し、当社のイメージが急速に悪化しています。
高岡の顔は血の気を失い蒼白になっている。
なぜわざわざそんなことをしたんだ。
社長が問いかけた。高岡は今にも泣き出しそうな顔で答えた。
下請けの分際を思い知らせるためです。見せしめにして、自分の力を誇示したかったんです。
社長と白石は呆れた表情で高岡を見つめている。俺は静かに言った。
つまり、自分の優越感を満たすために、私を道具として利用しようとしたということですか。
社長は手を上げて高岡を制止した。
高岡君に弁解の余地は全くなさそうだな。
社長はそう言い捨て、俺に向き直った。
最後に、新たな借地契約の詳細について確認しましょう。
その言葉が終わる前に、高岡が息を吹き返したように机を拳で叩いて立ち上がった。
こんな下受けの言いなりになるつもりか。高岡の怒号が会議室に響き渡る。工場を移転すれば済む話だ。
社長の表情が一瞬で変わった。
工場移転には十億円以上のコストがかかるんだぞ。社長は厳しい口調で高岡を見つめた。それを誰が負担する? 君か?
高岡は言葉に詰まり、口をパクパクさせるだけだ。社長は続ける。
移転期間中の生産停止による損失も計り知れない。
疲れた表情で社長は付け加えた。
会社存続の危機だということが分からないのか。
白石が見積書を差し示した。
手塚さんの提案は、市場価格に基づいた適正な条件です。法的にも合理的な解決策です。
俺はゆっくりと立ち上がり、高岡を見つめた。
高岡部長。あなたは下受けの私たちを見下し、侮辱してきました。
俺の声は静かだが、確固とした強さがあった。
パーティーでは生クリームだけを置き、挙句の果てにはケーキを顔に投げつける。
俺は一歩前に進んだ。
しかし、今日あなたは学んだでしょう。人を見かけや立場だけで判断することの愚かさを。
高岡はこれから目をそらせなかった。
力関係や肩書きは一瞬で逆転することがある。これからはどんな人にも敬意を持って接することです。
社長も同意し頷いた。
手塚さんの言う通りだ。
俺は父から託された書類を取り出した。
円満な解決を望んでいます。
俺は穏やかな声で言いながら、契約書に目を通した。
これで解決の一歩になればと思います。
俺が契約書にサインを入れ、社長も署名を済ませた。握手を交わした瞬間、高岡が『くそっ』と叫んで会議室を飛び出していった。ドアが乱暴に閉められる音が鋭く響く。
社長は疲れた表情で椅子にもたれかかった。
長年の功労はあるのですが、今回の件は許されません。社長は深いため息をついた。本日付けで高岡は役職を解かれ、減給の上、地方の営業所に異動となります。
社長は俺に向き直ると、再び頭を下げた。
重ねて謝罪します。社長の声は真摯だった。これからは御社との取引も誠実に行ってまいります。
会議室を後にする際、白石が俺に近づいてきた。
今後は私が御社の窓口になります。
白石は名刺を差し出した。微笑みながら名刺を受け取り、俺は白石と軽く握手を交わした。
契約締結から一ヶ月後、父の病状は順調に回復に向かっている。
よくやってくれた。
病院のベッドで父は満足そうに微笑み、今後の土地管理も全て俺に任せたいと言った。会社では新たな取引条件での発注が続々と届き、同僚たちも大忙しだ。白石から聞いたところによると、高岡は単なる左遷ではなく、取引先から遠隔地にある倉庫管理の雑用係へと左遷された。かつての部下たちからも冷遇され、妻からも見限られ、一人アパート暮らしを始めたそうだ。
ある日、俺は社長から呼ばれ、部長への昇進を告げられた。俺の契約交渉の手腕が高く評価されたのだ。
手塚部長。これからの手腕に期待していますよ。
社長の言葉に感謝しながら、俺は父から受け継いだ土地と自らの力で掴んだ昇進を思い、明るい未来への確信を胸に抱くのだった。



