インターホンの音が鳴ったのは、夫が会社へ出かけてから三十分ほど経った頃だった。朝食の片付けをしていた手を止め、私はため息をついた。また来た。呼び出し音は一度鳴ると、ぴたりと止まる。出るまで待っているのか、それとも二度目を鳴らすのを遠慮しているのか。どちらにせよ、相手が誰かは分かっている。義母だ。
何度言っても分かってもらえない。来る前に連絡してほしいこと、深夜や早朝はやめてほしいこと。それらを伝えるたび、義母は「はいはい」と適当に聞き流して、次の週には同じ時間に玄関に立っている。今朝は七時。ここへ来るには車で片道二時間以上かかる。つまり五時前には家を出てきたということだ。そんな時間から何の用があるのか。用などないのだろう。ただ、私に会いに来る。いや、会いに来るというより、私を貶めに来る。
無視してしまおうかと思った。インターホンを押されても、居留守を使えばいい。しかし、義母は合鍵を持っている。開けなければ、自分で開けて上がり込んでくるだけだ。ご近所の目もあるし、騒がれるのも嫌だ。私は諦めて玄関のドアを開けた。
「おはようございます、お母さん」
「遅いわね。こんなに待たせて。いつまでも寝てるんじゃないのよ」
「起きてましたけど」
義母は私の言葉など聞いていないかのように、私を押しのけて家に上がり込む。靴を脱ぐのもそこそこに、リビングへ直行した。
「起きてるんなら、玄関先でも掃除すればいいのに。いつ来ても誇りだらけで汚いわ」
「はい、まだ拭いてなかったんで、後でやります」
「後でって、そう言うだけで座ってるんでしょ」
私は返事をせず、台所の水場へ向かった。義母はソファに座って、テレビをつけた。何か用があるのかと聞けば、「用がなくちゃ来ちゃいけないの?」と返される。会話をする気がないなら黙っていればいいのに、義母は私のすることなすことに口を挟んでくる。食器を洗っていると、「お茶のひとつも出さないなんて、非常識ね。早く帰ってほしいって言いたいのかしら」と言われた。実際、その通りだと心の中で思った。お茶を出せば「こんな薄いお茶しか出せないの」と貶され、朝食を出せば「こんなものしか作れないの。息子が可哀想」と嫌みを言われる。それでも文句を言いながらしっかり食べて、昼食もおやつも平らげて、ようやく帰っていった。
義母が帰ったあとのリビングは、いつもより荒れていた。昨日まで置いてあったアロマオイルがなくなっていた。たぶん、義母が持って帰ったのだ。私のものは何でも、当たり前のように使って、無断で持ち帰る。化粧品も、ハンドクリームも、出しておいたら消えている。何度夫を通して注意してもらっても、義母は「嫁のものは息子のもの」というような顔をして、改めようとしない。
この家に越してきて最初の困りごとが、義母の突撃訪問だった。結婚した当時、私は働いていた。平日の早朝や夜に、何の前触れもなくやって来られては、たまらなかった。私が断っても聞き入れないので、夫に強く訴えて注意してもらったところ、早朝と深夜の訪問はなくなった。代わりに、平日の夕食時や休日に来るようになった。それも夫に訴えてやめさせた。すると今度は、私たち夫婦が仕事で留守にしている間に、合鍵で勝手に上がり込んで過ごすようになった。それも夫に訴えて、合鍵は回収してもらった。しかし現在は、私が退職して自宅で安静にしているのを知って、毎日のようにやってくる。これでは気が休まらない。切迫早産の診断を受けているのに、安静になんてできやしない。お腹の子に何かあったら、どうするつもりなんだ。
ある日のこと。検診で病院へ行くと、お腹の子は順調に育っていて、性別はおそらく女の子だろうと言われた。家に帰って夫に報告すると、夫は珍しく嬉しそうな顔をした。
「女の子か。やったな」
「うん、順調みたい」
そこまでは良かった。だが、夫の次の一言に、私は言葉を失った。
「名前は、母さんからもらおうな」
「え? どういうこと?」
「お袋の名前をつけるんだよ。ずっと決めてたんだ」
私は何を言われているのか分からなかった。夫の母、私の義母の名前は、同年代の女性に多い名前ではない。車で片道二時間以上かけて嫌みを言いにくる義母の名前を、なぜ自分の子につけなければならないのか。
「どうして、お母さんの名前をつけたいの?」
「前から決めてたし。いい名前だろ」
「いつから?」
「幼稚園の頃からだよ。結婚したら女の子を産んで、お母さんの名前をつけるって約束してたんだ」
私は呆れて、何も言えなかった。幼稚園の頃の約束。そんなものを、三十二歳になった今になって守ろうとしている。夫は続けた。
「お前も前にいい名前だって言っただろ」
「それは、そうかもしれないけど……それは、うちの子につけたいっていう意味じゃなかった」
「いい名前だろうが。何が不満なんだ」
どんなに説明しても、夫は聞く耳を持たなかった。祖母の名前をそのまま孫につけるなんて紛らわしいと言えば、「祖母を名前で呼ぶことはないから大丈夫だ」と返す。子供を叱る場面だってあるだろうと言えば、「自分は子供を叱らないから知らない」と言う。子供を叱るのは母親の役目だと、平然と言い放った。
その夜から、私は頭痛と吐き気に悩まされるようになった。夫と話すたび、腹の奥が冷えていくような感覚があった。この人とは、もう何を話しても通じないのかもしれない。
翌日、私は実家と義母のところへ電話をした。夫が子供に義母の名前をつけると言って聞かないこと、義母の突撃訪問が止まらないこと。話を聞いた義母は、私の方は見ずにこう言った。
「なつみさん、うちの母は昔からああなんです。私も母とは距離を置いているので、そちらへ行って何かすることはできません。でも、あなたは自分の家庭を守らないといけないんですから、実家に帰ったほうがいいと思います」
私の両親は激怒して、「今から迎えに行くから支度をして待っていなさい」と言った。
実家へ身を寄せて、ようやく静かに過ごせるようになったその日の夜、夫から電話があった。
「なつみ、どこにいるんだ」
「実家。ここで安静にしてるの」
「ふざけるなよ。主婦が家をほったらかして、何をサボってるんだ」
そこからは、いつもの義母と同じ罵詈雑言が延々と続いた。私はスマホの電源を切り、しばらく音を消して過ごした。翌朝になると、着信履歴は五十件を超えていた。メールも何十通も来ていたが、全部無視した。
夜になると、今度は実家の固定電話にかかってきた。母が出ると、夫は私だと思ってまくし立てたらしい。母は黙って、しばらく受話器を耳に当てていた。やがて夫が一息ついたところで、母は冷たく言い放った。
「なつの母ですが。随分、変わったのね」
途端に夫の声は小さくなった。母は話を聞けば察する相手だった。夫はそのまま、何やら言い訳をしてすぐに切ってしまった。
それからも毎日、スマホには着信が増え続けた。固定電話も鳴り続けた。母は毎回、「騒がれたら娘にストレスがかかるから」と、夫の言い分を聞いてから静かにたしなめた。夫は母にも遠慮なく罵詈雑言を浴びせるようになった。要するに、妊婦の分際で大黒柱に逆らうなということらしい。
実家で両親と相談した結果、私は夫側の言動を全て記録しておくことにした。メモ、録音、スクリーンショット。それらをまとめていくうちに、私はもうこの結婚は終わらせたほうがいいと思うようになった。夫は義母と約束したからという理由で、娘に義母の名前をつけると言い張り続けている。私はそれに反対するだけで「親孝行の邪魔をするな」と罵られる。
そして何より許せなかったのは、夫のこの言葉だ。
「もし男の子だったらどうするの?」
私がそう尋ねると、夫は何の迷いもなく答えた。
「誰かにあげればいいよ。欲しい人がいるなら、義前でも親戚でも」
娘のためではなく、義母の名前を継がせるという目的のための子供。生まれるのが男の子だったなら、もう用がないというのか。
この話を両親に伝えると、父は弁護士を紹介すると言った。父の仕事の知り合いに、離婚問題に詳しい方がいたのだ。私はその弁護士事務所へ相談に行った。夫には「弁護士を立てたので、直接の話し合いはしません」と伝えた。すると夫は頭に血が登って、実家に押しかけてきた。父が玄関で追い返したが、その一部始終を母が動画で録画してくれた。
私は集めた記録を弁護士に見せた。
「慰謝料を請求できるレベルです。ただ、このケースでは、早く縁を切るほうがお子さんのためだと思います」
私は慰謝料を取ることはやめた。その代わり、養育費を一括で支払うこと、そして子供には会わないという条件を飲ませた。夫はあっさりと、その条件を受け入れた。養育費の一括払いに、何の抵抗もなかったのだ。自分の名前をつけられない子供に、もう興味がないのか。面会交流権の主張も、反論もなかった。
離婚が成立したのは、それから間もなくのことだった。
そして、出産。産まれてきたのは、元気な男の子だった。検診で女の子と言われていたのが、出産直前に覆った。こういうことも、まれにあるらしい。
私は今、こう思っている。この子は、最初から私を守ろうとしてくれていたんじゃないか。元夫という敵には男の子として生まれて、女の子のふりをして、その名前を守らなかった。義母に名前をつけさせないために、この子は生まれる前に将来を選んでくれたんだと。
息子は今、私の隣ですやすや寝ている。私の顔は、義母よりも夫に似ているかもしれない。それでも、この子の名前は私がつけた。呼ぶたびに、自分の人生を取り戻した気がする。義母の名前をつけることは、もう誰にもさせない。この子は私の子であって、彼らの玩具じゃない。



