吹雪の夜、再開発区域の暗い路地。斎藤さゆり会長は、後ろから迫る男たちの足音に心臓を凍らせていた。彼女を追うのは、一族の重鎮である斎藤務が差し向けた手先たちだった。開発現場で強引な立ち退きが行われているという密告を確かめに、秘書も連れずに単身乗り込んだのが運の尽きだった。雪の積もった坂道をハイヒールで逃げ切れるはずもなく、彼女は行き止まりの路地の隅に追い詰められ、うずくまることしかできなかった。
その時、暗闇から飛び出してきた見知らぬ青年が、彼女の肩を抱き寄せ、耳元でささやいた。口を開こうとした瞬間、彼の大きな手が彼女の口を塞いだ。「ああ、母さん、酒はほどほどにしろって言っただろう。認知症の薬も飲まずに、こんな夜中にどこをうろついてるんだ」青年の演技はあまりにリアルで、斎藤会長自身も一瞬、自分が本当に認知症の老人なのかと錯覚するほどだった。追ってきた男たちは立ち止まり、二人をしばらく伺った。「なんだ、ただの酔っ払いじゃねえか。あっちの方に行ったんじゃないのか」彼らの足音が吹雪の中へ遠ざかっていった。
やっと口を塞いでいた手が離されると、斎藤会長は足の力が抜けてその場にへたり込んだ。青年は彼女を見下ろし、ぶっきらぼうに言った。「おばさん、肝が座ってるね。なんであんなところに入ったんだよ。あそこは俺たちみたいなやつでも夜は行かない場所なのに」彼は古びたマフラーをほどいて、彼女の首に巻いてくれた。汗と土の匂いがしたが、斎藤会長にはそれが生まれて初めて身につけるミンクのコートよりも温かく感じられた。
青年の案内でたどり着いたのは、再開発区域の最も奥まった場所にある、錆びたコンテナハウスだった。中は、人が一人ようやく横になれるほどのマットレスと、へこんだ石油ストーブ、壁にかけられた古びた作業着があるだけの、獣の檻のような空間だった。青年が濡れた上着を脱ぎ、振り返って顔を向けた瞬間、斎藤会長の心臓は止まるかと思った。電球のオレンジ色の光を受けて輝くその顔。濃いはっきりとした眉、高い鼻筋、笑うと下がる目尻。それは、25年前に交通事故でこの世を去った夫、斎藤和也の顔に、鳥肌が立つほどそっくりだった。
青年は、じっと見つめる斎藤会長に照れくさそうに鼻をこすりながら笑った。「おばさん、なんでそんなにじっと見るんだよ。俺、結構イケメンだろう」彼は、夫と同じ「佐藤健太」と名乗った。そして、夕飯に食べようと取っておいたという冷えた焼きを、彼女に譲ってくれた。天下の天雲グループの会長が、道端の冷え切った焼きを受け取るなんて、普段なら考えられないことだった。しかし、その青年の優しさが、彼女の凍りついた心に亀裂を入れていった。
「おばさん、見るからに大切に育てられた奥様って感じだけど、子供たちは何してるんだ」その言葉が彼女の胸をえぐった。「子供は……いないの。ずっと昔になくしてしまったから」彼女がそう答えると、健太の表情が一瞬曇り、「俺とは逆だな。俺は親をなくしたんだ」と、何でもないように肩をすくめた。彼もまた、孤独を抱えて生きてきたのだ。
その時、健太が濡れたズボンの裾をまくり上げた。斎藤会長は無意識に彼の足元へ視線を向け、そして、息を呑んだ。健太の左のふくらはぎには、見るだけで痛々しいほどひどく噛まれた大きな傷跡が残っていた。それは、22年前に彼女の脳裏に地獄のように刻み込まれた、3歳の息子が犬に噛まれた傷と、位置も形もあまりにそっくりだった。
「あなたの足……その傷は」斎藤会長の声は震えていた。健太は見苦しいものを見られたようにうろたえ、急いでズボンの裾を下ろした。「驚かせちゃいましたね。気持ち悪いだろ。綺麗な人はこんなの見ちゃダメだよ」その言葉が、斎藤会長の胸を張り裂けさせた。自分の体にできた傷を恥じている息子。親もなく、その傷のせいでどれだけの指を刺されてきたのか。彼女は今すぐ「私があなたの母親よ」と叫びたい衝動に駆られたが、ぐっとこらえた。今はまず、この子を守ることが最優先だった。「いいえ、気持ち悪くなんてないわ。とても、とても勇敢な傷」健太は意外そうな顔をした。「勇敢な傷か。そんなこと言われたの、生まれて初めてだな。みんな気味悪がって避けるだけだったのに」
彼の過去が少しずつ明かされていった。空手の選手だったこと。全国大会でメダルを取ったこと。しかし、同じ施設出身の女の子を助けようとした喧嘩がきっかけで、事件を起こしてしまったこと。相手は金持ちの家の息子で、事故だったはずの突き飛ばしが、運動選手を強化対象にした「障害罪」として捏造され、少年院送りになったこと。空手協会からは永久追放。出所後も、相手の父親が就職先に圧力をかけるため、どこにも定職につけず、こうして解体作業員として流れ着いたこと。「だからもう誰かが死んでも助けないって決めてたのに。おばさんがあまりにもかわいそうに見えたから、またおせっかい焼いちゃったよ。俺、本当にバカだよな」
斎藤会長は、震える手で健太のゴツゴツした手を包み込んだ。「あなたは世界で一番立派で勇敢な人よ。私が保証するわ」彼女の胸の中では、息子の人生をめちゃくちゃにした者たちへの、恐ろしい殺意が燃え上がっていた。「待っていろ。私の息子に手を出した奴らに、この斎藤さゆりが地獄を見せてやる」
翌朝、吹雪は嘘のようにやみ、青白い冬の日差しがコンテナの隙間から差し込んでいた。斎藤会長が目を覚ますと、外から若い女性の声が聞こえてきた。「お前、またここに来たのか」健太の声は、昨日彼女に見せた人懐っこいものとはまるで違い、鋭く尖っていた。「今日休みだから来たの。あなた、ちゃんとご飯食べてるの? 」彼女は、健太が助けたという施設出身の少女、御崎みさだった。医者になり、今も健太を気にかけて通ってきているのだ。しかし健太は、自分が足を引っ張るからと、彼女を冷たく突き放した。「帰れ。いらないから。ここに医者の先生が出入りしてるって噂になったら、お前、病院を首になるぞ」みさの目から涙がこぼれ落ちた。「関係ない。首になったらなったでいい。私が医者になったのは、あなたのためなんだから」しかし、健太はさらに冷たく言い放ち、コンテナのドアを閉めた。みさはおかずの入った風呂敷を雪の上に置き、泣きながら走り去っていった。健太は、そのタッパーを大切そうに抱きしめ、深くうなだれた。
斎藤会長はドアを開け、ゆっくりと外へ出た。彼女は、昨日の「あなたを全落ち者にしたのは、その成金の家の息子なのね」という問いを、さらに確信を持って確認した。健太の口から出たのは「鈴木ミノ」という男の名前だった。斎藤会長は心の中で誓った。「心配しないで。お母さんが全部とりもどしてあげる。失われた夢も、手放した愛も、不当に奪われた名誉も。自分の持つ全ての金と権力を使ってでも」
コンテナを出た彼女の顔から、優しさは消え去っていた。彼女は車の中で秘書室長に指示を出した。「この地域の有力者だという鈴木ミノという男。そしてその父親が何者なのか、徹底的に調べて。職業、財産、不正、そして、佐藤健太という青年に何をしたのか。一つの残らず報告して」
翌朝、天雲グループ会長室。木村室長が持ってきた調査報告は、斎藤会長の怒りを頂点へと駆り立てた。鈴木ミノの父親は、この地域の再開発事業の下請けを請け負う中小建設会社「大正建設」の社長、鈴木徹。鈴木ミノは学生時代から問題を起こしては金で揉み消してきた札付きの不良だった。そして、健太の事件は、当時の目撃者を金で買収し、正当防衛を一方的な障害事件に捏造したものだった。さらに鈴木徹は、健太が出所した後も、彼が就職する工場に圧力をかけて解雇させていた。
「大正建設は、我々のグループと取引があるかしら」木村室長はタブレットを確認し、頷いた。「はい。物流倉庫の増築工事や系列会社のリフォームの下請けを請け負っており、売上の八割が当グループからのものです」斎藤会長の口元に、獲物を前にした猛獣のような冷たい笑みが浮かんだ。「そう。私たちの金で食っている連中だったのね。いいわ。今すぐ、大正建設と結んでいる全ての契約を調べなさい。ほんのわずかな瑕疵でも見つけたら、それを公にして契約を解除し、損害賠償請求まで起こしなさい」「しかし会長、それでは工事が中断する可能性が……」「構わないわ。工事が少し遅れるくらい、大したことじゃない。私の息子の人生をめちゃくちゃにした奴らに、私のお金が一円でも渡るのは我慢ならない」
斎藤会長はさらに、「鈴木ミノは賭博にも手を出している」という報告を受けると、国税長官と警察庁長官に連絡を取り、若者の賭博問題の取り締まり強化をそれとなく要請した。「私が指示したとは絶対に悟られないように。奴らが自ら這って許しを乞うまで、息の根をゆっくりと締め上げていくのよ」
その時、机の上の直通電話が鳴った。発信者は斎藤務だった。「やあ、会長。ご無事でしたか? 最近、再開発区域によく行かれているという噂が流れていましてね。心配になりまして」斎藤会長は緊張したが、悟られないように電話を切った。健太の存在に気づかれたかもしれない。彼女はすぐに木村室長に、健太の周りに二十四時間体制の警護チームをつけるよう命じた。
一方、斎藤務は部下に密かに撮らせた斎藤会長の写真を見て、眉をひそめていた。その中の一枚、健太が斎藤会長に焼きを差し出している笑顔の写真を見た瞬間、彼の背中に冷たい汗が流れた。「この男の顔……どこかで」彼は机の引き出しから、二十五年前の夫、斎藤和也の葬儀の写真を取り出した。濃い眉、高い鼻筋、笑うと下がる目尻。二人は瓜二つだった。二十二年前、自分が命じて市場に捨てさせた、斎藤会長の息子。その子が生きて帰ってきたのだ。「くそ……どうしてあの子が生きている」
斎藤務は、大正建設の鈴木社長を呼び出した。そして、斎藤会長が突然契約を全部打ち切ると言い出したので、鈴木社長が泣きついてくるのを待っていた。「鈴木社長、落ち着きなさい。君に生きる道を教えてやろうと思って呼んだんだ。君の息子のせいで落ちぶれたあの佐藤健太という男、実は斎藤会長の隠し子なんだ。死んだと思っていたが、生きて帰ってきたらしい」「なんですって? 」「だから我々が先手を打つのだ。あの男は今、君の工事現場で働いているそうだな。工事現場というのは元々危険な場所だろう。上からレンガが落ちてくるかもしれないし、足を踏み外して転落することもある」「まさか……事故に見せかけて殺せと」「殺すなんて人聞きが悪いな。ただ、不運な事故が起こるように少し手伝ってほしいと言っているだけだ」斎藤務は分厚い封筒をテーブルに置いた。「これで当面の資金は解決できる。ことがうまく運べば、天雲グループの全ての建設下請けは、君の会社に任せよう」
翌日、再開発現場。何も知らない健太は、班長の指示で、現場で最も高い古いビルの屋上作業に向かっていた。彼は、昨日の焼きのおばさんに温かい下着でも買ってあげられると、足取り軽く階段を登っていった。彼の背後で、鈴木社長に買収された班長が無線機を取り出した。「対象、作業開始」その合図と同時に、向いのビルの屋上に隠れていた重機の巨大な爪が、健太の立っている鉄骨の支柱を強打した。足場は崩れ、健太の体は、重い鉄筋の塊と共に、十メートル下の地面へと真っ逆さまに落ちていった。
凄まじい土煙が立ちのぼり、現場は一瞬にして修羅場と化した。作業班長は救助を遅らせようと時間を稼いでいたが、その時、現場の入口から黒いスーツを着た十数人の男たちがなだれ込んできた。斎藤会長がつけていた警護チームだった。彼らは崩れた鉄骨の山を必死に掻き分け、大量に出血しながらも息のある健太を救出した。一時間後、大学病院の救急治療室に、髪を振り乱した斎藤会長が飛び込んできた。彼女は、全身に包帯を巻かれた健太の手を握りしめた。「ケ太、しっかりして。おばさんが、お母さんがここにいるから」健太はかすかに目を開け、笑った。「泣かないで。俺は大丈夫だから。ごめんな。た焼き買ってあげる金、稼ぎ損ねた……」そう言って、彼は意識を失った。
手術室のドアが閉まり、赤いランプが灯った。廊下で、血に染まった自分の手を見下ろす斎藤会長の涙は、やがて乾き、その場所には凍てつくような殺意が宿った。「これは事故じゃないわ。あの獣のような奴らが、私の息子を殺そうとしたのよ」彼女は木村室長に冷たく命じた。「手術室の中にいるあの子は、私の息子よ。二十二年前になくした、斎藤覇斗なの。斎藤務と鈴木社長は、私が直接始末する。現場にいた奴らは、一人残らず捕まえて、骨を折ってでも自白させなさい」
三時間後、木村室長がDNA鑑定の結果を持って走ってきた。斎藤会長は封筒を開け、紙を取り出して広げた瞬間、視界がぼやけた。「検体Aと検体Bの遺伝子一致率99.

999%。親子関係が成立します」。それは、確信を痛みに変える、残酷な真実だった。「う……は、斗、私の息子……」彼女は書類を胸に抱きしめ、号泣した。その時、白い服を着たみさが駆け込んできた。「健太は? 健太はどうなんですか! 」みさは、後に続いて現れた病院長夫妻と共に、斎藤会長がその青年の実の母であることを知り、驚きを隠せなかった。
そして、手術室のランプが消え、医師が疲れきった様子で出てきた。「奇跡的です。肋骨が肺を突き破る寸前で止まりました。患者さんの体力が非常に強かった。峠を越えました」斎藤会長はその場にへたり込み、わんわんと泣いた。しかし、それは単なる喜びの涙ではなかった。それは、これから始まる無慈悲な復讐ののろしでもあった。「木村室長。株主総会へ行くわ。私の息子を殺そうとした奴らを、今日限りこの世の景色を見られなくしてやるから」
数日後、天雲グループ本社会議室。緊急株主総会が開かれ、斎藤務が壇上に立った。「斎藤さゆり会長は、最近深刻な判断力の低下を見せておられます。ご覧ください。会社の仕事はそっちのけで、解体作業員の男と遊び歩き、会社の金を浪費しているのです」スクリーンに、斎藤会長が健太と過ごす写真が映し出された。鈴木社長も証人として立ち、「あの男は前科者で、極めて質の悪い男です。会長は判断力を失い、あのような男に遊ばれているのは明らかです」と援護射撃した。空気は一瞬にして、斎藤会長の解任へと傾いた。
「では、斎藤さゆり会長の解任について、投票を」斎藤務が勝利に酔いしれ、そう宣言した瞬間、会議室の後方のドアが雷が落ちたかのように開いた。ヒールの音が静まり返った会議室に響き渡る。そこには、いつも以上に凛として堂々とした斎藤さゆり会長が立っていた。「私の許可を得ずに、私の席で投票を論じているのは誰かしら」彼女は冷たく言い放ち、壇上へ歩み寄った。「お前たちが私の息子を殺そうと企んでいたその時間に、私はお前たちの首を絞める証拠を集めていたのよ」彼女が合図すると、車椅子に乗った健太が現れた。頭には包帯、片腕には点滴。しかし、その眼差しだけは鋭く生きていた。「鈴木社長」と健太は低く重い声で言った。「私が死ぬのを祈っていたでしょう。残念ながら、私は少々頑丈なものでして。母が守ってくれたので、死ぬわけにはいきませんでした」会議室がどよめいた。斎藤会長は宣言した。「ご紹介します。二十二年前に行方不明になった私の息子、そして天雲グループの正当な後継者、斎藤覇斗です」
スクリーンにはDNA鑑定の結果が映し出され、次いで、鈴木社長と斎藤務の会話が録音データで流された。「あの男、完全に消してしまいましょう」「事故に見せかけて。後始末は確実にしていただけるんですよね」二人が互いに罪をなすりつけ合う醜い姿を、株主たちは冷たい目で見つめた。警察官がなだれ込み、斎藤務と鈴木徹は殺人未遂容疑で逮捕された。鈴木ミノも、父親を探して会議室に飛び込んできたところを、恐喝と賭博の罪で逮捕されていった。
全ての真実が明らかになった後、会議室に一人の老人が車椅子で入ってきた。二十二年前、斎藤務の運転手だった男だった。彼は涙ながらに証言した。「あの日、斎藤務に命じられました。は、は、斗坊っちゃんを市場に捨ててこいと。私は……借金のせいで。子供が泣きながら車を追いかけてくるのを、バックミラーで見ながらも止まることができませんでした」その告白に、斎藤会長は目を閉じ、二十二年前の地獄のような日々を思い出した。しかし、健太は彼女の肩を抱きしめた。「母さん、大丈夫ですよ。僕が帰ってきたじゃないですか」斎藤会長は老人を見つめ、言った。「あなたの罪は、法が裁くでしょう。しかし、真実を話してくれたこと、私の息子が捨てられたのではないと明らかにしてくれたこと、それについては感謝します」
数日後、斎藤会長の車が止まったのは、豪華な邸宅が立ち並ぶエリアではなかった。健太が長年暮らした再開発区域が一望できる、古い屋上部屋だった。「母さん、最後に、あの町で一度だけ、ご飯が食べたいんです。そこで母さんが作ってくれたご飯を食べるのが、夢だったんです」生涯ペンしか握ったことのない財閥の会長が、狭い台所で慣れない手つきで米を研ぎ、わかめスープを作った。みさも隣で手伝い、三口で食卓を囲んだ。「け太、ご飯よ。さあ、たくさん食べて。今まで食べさせてあげられなかった分、お母さんが全部作ってあげるからね」健太は茶碗を持ったが、なかなか箸を口に運ぶことができなかった。涙がぽたぽたと茶碗に落ちた。「どうして? おいしくない?
」「いいえ、嬉しすぎて。ただ、この言葉が言いたかったんです」健太は涙を拭い、まっすぐに斎藤会長を見つめた。「いただきます。母さん」その一言に、斎藤会長の胸は張り裂けそうになった。二十二年间待ち続けた言葉。彼女は健太を抱きしめ、わんわんと泣いた。
それから一年後。天雲グループ本社のロビーに、がっしりとした体格の男性が入ってきた。佐藤健太。いや、斎藤覇斗だった。彼は、母の支援のもと、自分の専門分野を生かし、警備会社「JSセキュリティ」を設立していた。かつて人を傷つける凶器扱いされた彼の拳は、今や人を守る頼もしい盾となっていた。彼が訪れたのは、みさが働く大学病院だった。ロビーで白い服を着たみさが彼に気づき、晴れやかに笑った。「あら、け、太。いえ、斎藤代表。こんなところまでどうされたんですか? 」健太はいたずらっぽく笑いながら近づいた。「この区域のセキュリティ責任者はどなたですか? ここの女医先生があまりにも綺麗で、患者さんたちが迷惑してるっていう噂があるのですが」みさは顔を赤らめ、彼の背中をぱしんと叩いた。健太はみさの手を握りしめた。彼の手は相変わらず大きく固かったが、今やその手には、温かいぬくもりが満ちていた。「みさ、お前はここで人々を救え。俺はこれから、お前と大切な人々を守る。一生な」二人は見つめ合い、幸せそうに笑った。その背後からは、温かい春の日差しが降り注いでいた。


