鈍感な人間は、自分が鈍感だとは気づかないものだ。私はまみ子。同じ会社で働く夫のたかしと先月末に入籍したばかりの新妻だ。既婚の友人たちは口を揃えて言った。「結婚は初めが肝心よ」と。私は嫁いびりなんて、この時代にそうそうあるものじゃないと思っていた。しかし、戦いの日は夫の実家にもあったのだ。
入籍から2週間ほどでやってきたお盆休み。結婚式の準備でバタバタしているから帰省はやめようと言った夫に、「毎年の行事でしょ」と甘えて、1日だけの帰省を勝ち取った。これまでのやり取りを見る限り、義母は夫を可愛がっているようだから、きっと喜んでくれるだろう。友人のアドバイス通り、義母との関係も初めが肝心だ。お盆の訪問で、気配りのできる嫁をアピールする。大した計画ではなかったが、私はそう決意した。
帰省当日、義実家には昼過ぎに到着した。インターホンを鳴らすと、「お帰りなさい」と満面の笑顔を浮かべる義母。「元気だったかい?」と、遅れて登場した義父がニコニコと挨拶する。実は、私は義父が苦手だ。目が合うと、観察されているような気分になる。優しそうな雰囲気なのに。視線をそらし、夫と楽しそうに話す義母を眺める。義母のようにくるくると表情が変わる人の方が、見ていて気分がいいなと思っていたら、バチッと義母と目が合い、露骨に嫌な顔をされた。そりゃそうだ。無遠慮に見つめすぎた。「す、すみません。考え事をしていて」と謝ると、「お疲れなら、一緒に帰ってこなくてもよかったのよ」と義母。
「せっかくまみこが」と夫が何か言いかけたが、同時に義父が「たかし」と手招きしたので、夫はため息をついてそちらへ向かった。さて、義母と二人きり。好機である。「お母さん、何かお手伝いすることありますか?」と尋ねると、義母は初め不機嫌そうだったが、何か思いついたようで、「足りないものがあるから、買い出しに行ってくれるかしら?ハーブ入りの調味料が欲しいの。あなたは知らないと思うけど、私、好きなの。ここから30分ほどのところにショッピングセンターがあるわ」と、先ほどとは打って変わって明るい表情で言った。「分かりました。買ってきますね」と、私は快く依頼を受け、行動を開始した。
実は、私も同じ調味料の愛用者だ。大衆向けではないので流通量が少なく、同じ系列のショッピングセンターでも探してみたが見つからなかった過去がある。万が一売り切れでは困るので、周辺の輸入雑貨店を調べ、電話で取り扱いがあるか聞いた。片道15分ほどの店に在庫があったので、夫の車で早速出かける私。1時間もかからず帰宅し、台所でお茶の準備をしていた義母に、「あら、早いご帰宅ね。その様子だと、目当てのものはなかったのかしら?」と言われた。「ええ、ありましたよ」と答えると、「まさか買えたの?」と義母が驚きの表情を見せたので、説明した。「あ、時間が早かったのは別の店に行ったんです。この店なら車で15分もあれば大丈夫ですし、同じメーカーの調味料も手広く扱っているので、是非行ってみてくださいね」と。どうだ?これぞ気配りのできる嫁。さぞ株が上がっただろうと義母を伺えば、苦いものでも食べたような顔をしていた。「お母さん、何か不味いものでも?」と聞くと、「えっと、思い出したの。今度こそショッピングセンターに行って」と義母。それであの表情かと納得する私と、買い出しリストを書き始める義母。
そこへ夫が現れ、「お、まみこ、ようやく帰ってきたのか。また出かけるのか?ショッピングセンター?俺も行く。荷物は任せろ」と勝手に決めてしまった。「せっかく今お茶の用意をしていたのに。子供じゃないんだから、1人で行けるでしょ。お茶する暇があるなら、お袋が行けよ。まみこに頼むんじゃね」と夫。「まみこさんがどうしてもって言うから」と義母。息子とのお茶の時間を義母は心待ちにしていたのだろう。「お母さんとお茶したら、私は大丈夫よ」と夫に提案したが、「もういいわよ。勝手にしなさい」と先に断られてしまう。「もう行こうぜ」と夫。やっと二人きり。デートだな。買い出しだよ。と内心突っ込んだ。
買い出しも終わって帰宅する頃には、もう夕飯の時刻となっていた。「たかし、今日は大好物のお寿司よ」と義母は不機嫌を引きずらないたちなのか、にこやかに夫に告げた。「いつものお店に頼んだの。高級特上寿司よ。家族分だけきっちり頼んで用意したわ」と。食卓の上の黒塗りの寿司桶を目の前に、義父はすでに着席しニコニコ顔だ。着席を進められ座る私たち。夫が中を覗き込むと、「おい、お袋、1つだけ中身が違うぞ」と指摘した。夫の指摘通り、寿司桶の1つだけネタの種類が違う。卵にエビ、マグロの赤身、いわゆる「波」だろう。「ああ、それはね」と義母は手を止めて寿司を並べ始めた。義母曰く、寿司屋が注文を間違えたそうだ。あっさり受け入れているので驚いた。「え、差額は請求しましたか?」と聞くと、「さ、差?そ、それはえっと、馴染みの店だから。いくら馴染みでも、店の不手際ならきちんとしないと。あなたに関係ないでしょ。後で請求するわよ」と大きな声で結論を告げた義母。少しイライラし、私の前に波を置く。それを疑問に思った夫が、「おい、なんでまみこが波なんだ?店に電話して交換してもらえばいいだろう」と正論を言い放つ。だが、私はお子様舌なので波がいい。「お母さん、気にしないでくださいね。お店の不手際は残念ですが、私、実はこっちの方が好きなんです」と伝えると、「え、そういや回転寿司ではデザートばっかり食ってたな」と夫。「まあ、まみこがいいなら俺は何も言わねえよ」と。義父はもりもりと自分の寿司に手をつけている。マイペースも過ぎると罪だなと呆れた。
偽の不手際で腹が立ったが、食事が終わり義母が「デザートにしましょうか」と手を叩く。「たかしの大好物、チーズケーキよ。家族の分だけ用意したわ」と。私の大好物でもある。義母が箱を開けて順に皿へと取り出し、各々の前に置き始める。夫と義父、義母の3人分以外、箱の中からケーキが出てくる様子がない。「あれ?私、忘れられてる?」と私。「おい、まみこの分は?」と夫。「だから、家族の分だけよ」と義母。「なんだと?」と夫。「見えたわよ。媚びを売って物ですなんて言って。あとにもあるわよ。ありがとうございますの買い出しを頼んでも、余裕ぶって店の紹介までしてくるの。まみこはこれが好きなんだよ。媚びじゃねえ。大真面目に言ってんだよ」と、ものすごいスピードで進んでいく親子喧嘩。ついていけずポカンとしていると、義父がニヤニヤと2人を眺めているのが目に入った。「昔を思い出すな。亡くなった俺の母さんも、結婚当初からずっと妻をいびっていたもんだ。家族の分だけだから、嫁に食わすものはないってな」と、そんなつぶやきは私にしか聞こえなかったようだ。「どういう意味ですか?」と聞くと、「まみこさんは昔の妻に似ているよ。何をされても肯定的に受け止めて、ずっとニコニコ愛想笑い。今とは違って、泣き虫でいつも叱られて泣いていた」と義父。「お母さんがそうだとして、私が似ている?少なくとも泣いてはいない」と私。「うちでは嫁は家族じゃないんだよ。低い家来みたいなもんだ。妻は過去に受けた仕打ちを、そのまま君にしているだけさ」と、こそこそと打ち明けられ、義父の笑顔に吐き気がする。
思わず笑ってしまった。新年静まり、視線が私に集中する。「この家のことがよくわかりました。私は家族じゃないみたいなので、離婚しますね」と私。マイペースじじいは、原黒じじいだったとは。えっという驚きの声が上がったが、その後夫が盛大なため息をつく。「まみこ、離婚はやめてくれ。俺がお袋と絶縁すればいいだけの話だろ」と夫。「え?義母と絶縁?義父母じゃなくて?」と私。「なんですって?たかし、そんな嫁のために、母親である私を捨てるっていうの?まみこさんのどこがいいのよ。人に媚びを売る嫌味な女よ。あなたを大切に育ててきた私より、この女のどこがいいのよ」と義母。ポカンとしている私の耳に、義母から驚きのセリフが飛び込んでくる。どう聞いても私の悪口だった。息子に愛情を注ぐのではなく、浮気を責める女のような発言にぞっとした。
夫は同じことなく、冷たい視線を義母に向ける。「そういうところだよ。お袋は俺を大事にしてるんじゃない。自分の気持ちを俺に押し付けてるだけだ。本当に俺を大切に思うなら、俺が選んだまみ子を、こんな卑怯な仕打ちで家族じゃないなんて知らしめるなんて真似はしない」と夫。夫の言葉で、義実家で起こった一連の流れが私の頭に思い起こされた。特上寿司もケーキも、義母は家族分だけ頼んだ。私は偶然だとか店の不手際と思い込んだが、全て義母の意地悪だった。私を家族ではないと言いたかったのだ。夫は義父の卑劣さに気づいていないから、義母の嫁いびりを受けて離婚を切り出したと思ったのだろう。嫁いびりを見過ごし、楽しんで傍観していた義父。された過去があるのに、同じ仕打ちを私にした義母。なんてお似合いの夫婦だろうか。仲良くしたいと思っていた分、裏切られた怒りは半端なかった。
「たかし、そんなこと言わないで。まみこさんには、うちの嫁としての覚悟を持って欲しかっただけなの。家のしきたりだったのよ。だから、そんな嫁を庇うなんて、無駄なことはやめてちょうだい」と義母。「嫁が理不尽な仕打ちをされて黙ってるのが夫だっていうのか。そんな卑怯な男になれっていうのか」と夫。「私もおばあちゃんにいびられた。家族じゃないって見下されたわ。でもお父さんは何も言わなかった。私はかってもらえなかったのに、どうしてこんな女があなたに優しくしてもらえるのよ」と義母は異常なほど興奮し、怒りをテーブルに叩きつけた。夫はぎょっとして義父母を見合る。「え、母さんにいじめられていたのかい?」と夫の視線を受け、とぼける義父。義母は顔を真っ赤にしている。「それなのに君は、まみこさんにこんなひどい仕打ちをしたのかい?君には人の心がないのか?かわいそうに、まみこさん。妻がすまなかったね」と義父。義父の私を見る目は「黙っていろ」と語っていた。義母一人を悪者にし、自分は息子に嫌われないようにしたいのだろう。
「はあ。ふざけんじゃないわよ、この最低じじい」と、私はギロリと睨みつけてやると、義父は目をそらした。大人しい嫁が突然暴言を吐いたのだから、当然だ。「嫁は家来ですよね。さっき私に耳打ちしましたもんね。姑にいじめられて泣いていたって聞きましたよ。知っていたくせに、しらじらしいにもほどがあるわ」と私。「なんだと、このクソ嫁。猫をかぶってたのか。騙したな」と義父。「嫁いびりなんて面白いものを、傍観せずに何をするって言うんですか」と、怒りのあまり思わず口に出したのか。義父ははっと周囲を見回したが、もう遅い。あんなこと言われて黙ってるわけがないでしょ。私は我慢しないたちなんです。鼻で笑ってやったら、義母が声をかけてきた。「あなたは私の気持ちわかるわよね。あなたには優しい夫がいるけど、私にはいなかった。だから仕方がなかったのよ」と、私への仕打ちを正当化しようとすり寄ってくる。「いえ、全くわかりません。悪いと思っているなら、まず謝罪では?誰に強要されたわけでもないでしょう。自分がされた嫌なことを、進んで人にやるような人間は、たとえ世間が許しても、私は絶対許さない」と真顔でそう答えた後、私は夫に告げる。「絶縁はお母さんだけじゃなくて、ご両親に変更でお願いね」と。夫は深いため息をつき、「当然だ」と頷いた。
その後、夫は義実家と絶縁した。連絡先はすぐに変えたが、義母は謝ればどうにかなると思ったのか、何度か私たち夫婦の家に押しかけてきた。義父は私が暴露した過去のせいで、家庭内別居のような状態。義母ほどではないが義父も夫を可愛がっていて、「君が嫁に余計なことをしたせいだ」と責める。義母は「過去を蒸し返して、かってくれなかったあなたのせいよ」と言い返し、大喧嘩の毎日だったようだ。私たちにすがりついてきたが、「次来たら警察を呼ぶ」と冷たく追い返してやった。数ヶ月後には引っ越しをしたので、その後のことは知らない。義母は息子に捨てられてやる気を失い、義父の世話の一切をやめると宣言していたから、家の中はめちゃくちゃだろう。
今回の件で、自分が鈍感だということを思い知らされた。改善するかは分からないが、注意深く生きていこうと思う。



