成人式の会場の外で、私は信じられないものを見た。電柱の影に隠れるように立っていたのは、中学の同級生、桜井だった。でも、彼女が着ていたのは振り袖ではなくジャージ。ノーメイクで、髪も寝起きのまま。あの特徴的な大きな瞳は、どう見ても桜井本人だった。
「つよし、久しぶり!」
後ろから肩を叩かれたのは、幼馴染のミキだった。
「そうだ、ミキ。桜井と仲良かったよな」
ミキの表情が一瞬で曇った。
「え、桜井って今、来てたの?どこ?」
「いや、さっきあそこにいた気がして」
電柱を指さしたが、もう誰もいなかった。
「いないじゃん。もういい加減なこと言わないでよ」
ミキはがっかりした様子で肩を落とした。
「ミキ、桜井と何かあったの?」
「知らないの?そっか、つよぽん高校違うもんね。桜井のご両親、高校1年の時に事故で亡くなったの。その後、学校もやめて連絡も取れなくなって」
ミキは涙目で話してくれた。
「親友だったのに、何も力になってあげられなかった。心配で何度も電話したけど拒否されて。今日も会えるかなって期待してたんだけど」
「そんなことがあったんだ」
「うん。隣町のコンビニでバイトしてるのを見かけたって聞いて行ってみたりもしたけど、会えなくて。1人暮らしして生活保護もらってるって噂もあるの。あくまで噂だけど、私心配で」
明るくて友達思いの桜井が、一番仲良かったはずのミキとも連絡を絶っていたなんて。
「もう行こう。式始まるよ」
「先行って」
私はいても立ってもいられず、会場の外に走った。
さっき桜井らしき影を見た場所に急ぐと、少し離れた道をとぼとぼ歩くジャージ姿の女性の後ろ姿が見えた。
「桜井!」
確信はなかったが、思わず大声で名前を呼んだ。
すると、ピタッと止まり、ゆっくり振り返った女性。今にも泣き出しそうな目で私を見た。
「つよし君……」
「やっぱり桜井だ。どうしたの?成人式に来たんだよね」
桜井は気まずそうに下を向いたままだった。
「行けないよ、こんな格好じゃ。綺麗な着物用意するお金なんてないもん。親もいないしさ。恥ずかしいよ。ここで私と会ったって絶対言わないでね」
涙がポタポタと落ち、地面を濡らしていた。
「桜井、みんなに会いたくてここに来たんだよな。よし、行こう」
「え、行くってどこに?」
「いいから、こっちこっち」
私はおろおろする桜井の手を取り、会場の中ではなく、自分の家に向かった。
「ここ、俺んち。おい、母さん!」
店の2階にある自宅にいるはずの母を呼ぶ。
「あら、どうしたの?まだ式終わってないでしょ。ん?そちらのお嬢さんは?」
「母さん、姉ちゃんの振り袖、あったよな。それをこの人に着せてもらえないかな?」
「水希の振り袖で?ええ、いい天気だからちょうどタンスから出して虫干ししてたんだけど。ほら、そこに」
母の指さす先には、姉の振り袖が大きく広げられ、ハンガーにかかっていた。
「わあ、素敵……」
桜井が小さく呟いた。
私は母に事情を説明した。
「よし、分かったわ。そういうことなら、母さん久しぶりに頑張っちゃう」
そう言って袖をまくり上げた。
最初は遠慮しっぱなしの桜井だったが、母は「私に任せて。せっかくの成人式だもの、綺麗にしてあげるからね」と張り切って着付けとメイクを完璧に仕上げた。
姉の振り袖に袖を通し、見違えるようになった桜井。あまりの美しさに私は目を見張った。姉もよく似合っていたが、桜井も華やかな赤色がよく映える。
「そんなことしていただいて、本当にありがとうございます。いくらお支払いすればいいでしょうか?今は無理ですが、来月バイト代が入ったら必ず」
桜井は申し訳なさそうに頭を下げた。
「やだ、お金なんていいのよ。気にしないで。困った時はお互い様よ。みんなに会いたかったのよね。ほら、まだ式は終わってないはずよ。言ってらっしゃい」
母は優しい笑顔で私たち2人を送り出してくれた。
「つよし君、本当にありがとう。感謝してもしきれないわ」
桜井はそう言ってくれたけど、感謝したいのは私の方だ。母があんなに楽しそうに着付けをしている姿を久しぶりに見た。きっと姉の姿を重ねて複雑な思いを抱いただろうが、桜井の辛い状況を知って放っておけるような冷たい人ではないのだ。
綺麗になった桜井を見て満足そうに微笑む母の晴れやかな笑顔が、私の心を温かくした。母さんもこれをきっかけに一歩踏み出せるのなら、こんなに嬉しいことはない。
そんなことを考えながら会場に急いだ。着いた頃にはもう式も終盤。私たちはそっと一番後ろの席に座った。
式が終わり外に出ると、友人たちが駆け寄ってくる。
「京子!」
ミキは大泣きしながら桜井に抱きついていた。みんな桜井との再会を喜んでいた。最初は気まずそうな桜井だったが、友人に囲まれ本当に幸せそうに笑っていた。
みんなに会わずに帰ろうとした桜井にとって、そして姉のことを思って着付けの仕事を避けていた母にとって、私のしたことが果たして良かったのかどうか分からなかったが、少なからず嬉しそうな桜井を見てほっとした。
その後、二次会のカラオケで騒ぎまくって家に戻ったのは日付を超えていた。振り袖を汚しちゃいけないからと桜井は二次会には不参加だったが、ミキたちと連絡先を交換し合い、「また遊ぼうね」と約束していた。
翌日、ジャージ姿の桜井が大事そうに振り袖を抱えてうちにやってきた。
「昨日は本当にありがとうございました。あの、これクリーニングに出した方がいいですよね。すみません、脱いでそのままなんですけど、どうしたらいいですか?」
困った顔で母に尋ねていた。
「いいの、いいの。そんなの気にしないで。楽しかった」
そう言って母は振り袖を受け取っていた。
「そんなことより、これ、もしよかったらあなたに着て欲しいんだけど」
そう言って、新しい洋服を何枚か桜井に手渡した。実は母は、姉が亡くなった後も「水希に似合いそうなの見つけたから」と言って時々洋服を買って帰っていた。
「母さん、水希はもういないんだよ。お金の無駄だよ」という言葉を、私は何度飲み込んだことか。姉の死を受け入れられない母が不憫でたまらなかった。
「そんな、いただけません。それより、水希さんに着てもらってください。お元気ですか?水希さん。久しぶりにお話できたらと思って」
そう言って桜井は鞄の中からお菓子の箱を取り出した。
「水希さん、これお好きでしたよね」
それは確かに姉が大好きだったチョコチップクッキーだった。屈託のない笑顔で私たち2人を見つめる桜井。
「桜井……姉ちゃんは交通事故でもういないんだ」
「え?」
その瞬間、桜井の顔が凍りついた。目が大きく見開かれ、口元がわずかに震えている。時間が止まったかのようにその場に立ち尽くしていた。
そういえば桜井は中学時代、姉と塾が一緒で時々話していたと聞いたことがある。「つよし君のお姉さん、優しいね。いつも分からないところがあったら水希さんに聞くの。丁寧に教えてくれて、先生より分かりやすいのよ」と無邪気に笑っていた中学時代の桜井の笑顔を思い出した。
「ごめんなさい。私、全然知らなくて。そうですか……交通事故で」
そう言ったきり、桜井はブルブルと震え、しゃがみ込んでしまった。
「桜井、大丈夫?」
「大丈夫……思い出しちゃって」
額には汗が滲み、息が荒い。
「救急車呼ぶ?母さん、119早く!」
「大丈夫。ちょっと休めば大丈夫だから」
そう言って桜井は私の腕にすがりついた。桜井のご両親も交通事故で亡くなったと言っていた。辛いことを思い出させてしまったようで、胸がギュッと締めつけられた。
そして同時に、私も思い出したことがあった。
「あんたの同級生の今日子って子、可愛いね。あんな妹欲しいな。全力で守りたくなる存在だわ」
姉は確かにそんなことを言っていた。もしかしたら、あの成人式の日、とぼとぼと帰ろうとしていた桜井を引き止めたのは私じゃなく、桜井を助けようとした天国にいる姉だったのかもしれない。
その後、母が出した温かい紅茶を飲み、少し落ち着いた様子の桜井は、今までのことをゆっくりと話し出した。両親が亡くなって1人ぼっちになってしまったこと。頼れる大人もおらず、1人で生きていくしかなかったこと。学校もやめ、バイトだけの生活。大好きだった友達に気を使われたくなくて、距離を置くしかなかったこと。お金もなくて、綺麗に着たかった成人式も諦めてたこと。
話を聞きながら、私の横で母は鼻をすすった。
「これからはうんと幸せになるんだよ。そのためだったら、おばちゃん何でもしてあげる。遠慮なく言いなさい。これも何かの縁よ。もう今日子ちゃんはおばちゃんの家族よ。娘みたいなもの。水希も生きてたらきっとそう言うわ」
そう言って、俯く桜井の体を丸ごと抱きしめていた。
その後、桜井は時々うちに遊びに来るようになった。そして将来のためにちゃんと高校を卒業したいと言って、高卒認定試験に挑戦。働きながらの勉強は相当大変だったようだが、努力家の桜井は無事合格し、資格を手に入れた。
「よく頑張ったね。これからも夢に向かっていく今日子ちゃんを応援してるよ」
そう言って、まるで子供をあやすように桜井の頭をくしゃくしゃと撫で回した母。その目には涙がキラリと光っていた。
「よし、明日は早朝から着付けの予約がたくさん入ってるの。頑張るわよ」
そう言って腕まくりした母を、私は頼もしい気持ちで眺めた。そう、私の成人式のあの出来事から、母はまた着付けの仕事を再開した。桜井に着付けをし、美しく見違えさせた母は、その喜びを改めて実感したのだろう。娘を亡くした悲しみは完全には癒えずとも、やっと受け入れられたのかもしれない。それは私も同じだった。あの日成人式で桜井と再会したことが、私たち家族にとって前に進むきっかけとなったのは間違いない。
ある日、うちにふらりと遊びに来て、閉店後の母の店の掃除を手伝ってくれていた桜井。
「私、今すごく幸せだな」
「え?」
「だっていつでもつよし君に会えるし。それにおばちゃんと話してると、あったかい気持ちになって勇気が出るの。頑張ろうって思える」
そう言って天井を見上げた。
「そっか。それなら良かったよ。母さん結構ズバズバ言っちゃう方だから。もし傷ついたら言いなよ」
大きな瞳でまっすぐに私を見つめてくる桜井にドキドキしてしまった私は、思わず目をそらす。
「つよし君、おばちゃんに似て優しいよね。私、中学の時つよし君のことを好きだったんだよ」
「え?」
唐突な告白に心臓が飛び出るかと思ったが、落ち着け、俺。あくまで中学の時だ。「好きだった」っていう過去形なのだ。
「良かったじゃん、つよし。ちゃんと言いなよ、俺も好きだよって」
その時、不意に姉の声が聞こえた気がした。
「姉ちゃん……」
ふと見ると、仏壇の写真に映る姉がニヤリと笑った。そんな姉に背中を押され、私は勇気を出して口に出した。
「俺、桜井のことをずっと忘れられなかったんだ。成人式の時も会いたいって思ってた」
「つよし君……」
「桜井、俺と付き合ってほしい。いいかな?」
一生に一度の最初で最後の告白だ。
「私でよければ……」
桜井は顔を赤らめながら、こくりと頷いた。
「やったね、つよし。おめでとう。今日子ちゃんのこと泣かせたら、母ちゃんが許さないからね」
その時、部屋の奥から母が飛び出してきた。
「なんだよ、盗み聞きかよ」
「聞こえてきたんだよ。ここ薄いね」
「やだ、おばちゃんったら」
「今日子ちゃん、これからはお母さんって呼んでよ」
「なんだよそれ。早すぎだろ」
「はい、お母さん」
「呼ぶのかよ」
私たちは笑い合い、未来に向かって歩き出した。きっと姉が結びつけてくれた縁だ。念願の可愛い妹ができて喜んでるかな。
その後、私たちは結婚し、可愛い娘が生まれた。どこか姉の水希にも似た、はっきりとした顔立ちの美人さんだ。母も大喜びで孫の面倒を見ている。
「ほら、みっちゃん。バーバが応援してあげるよ」
娘の名前は美咲。母は姉を呼ぶ時と同じように「みっちゃん」と呼ぶ。
私も母も、大切な人を失った悲しみを乗り越え、その存在を胸に感じながら新しい人生を歩み始めた。お互い支え合い、ただそばにいて静かに寄り添いながら、私たちはやっと心穏やかな日々を取り戻したのだ。
今まで1人で必死に頑張ってきた今日子を、私はこれからもっともっと幸せにしたい。初恋は実らないなんて言うけれど、私たちは幸せな結末を手に入れることができたんだ。これからもお互いを大切にし、過ごしていこうと思う。



