「また古臭いシステムをいじっているのか。」
部長の織田が後ろから俺のパソコンを覗き込んで、そう言った。腹の底で怒りが渦巻いたが、俺は黙って画面に向き直った。何度説明しても、この人には話が通じない。
これは20年近く前に俺が開発したシステムで、うちの会社にとってはなくてはならないものだ。工場の発注や受注を自動で行えるこのシステムは、全国の様々な工場で使われている。
俺の名前は黒川。50歳のシステムエンジニアで、今の会社に30年勤めてきた。色々なシステムを作り上げてきたが、中でもこの発注システムは俺の自信作だ。
俺のことを評価してくれているのは、親友の中だけだ。以前、俺が組んだ在庫管理の仕組みが中の会社の危機を救ったことがあり、それ以来、中は何かあるごとに俺の腕を頼りにしてくれる。つい先日も新しいシステム開発を頼まれたが、仕事が忙しくて時間に余裕がなく、今は手伝えないと伝えていた。
会社での俺の評価は真逆だった。若手社員が増えるにつれ、俺は古臭いシステムしかいじれない人間だと思われるようになっていった。その原因を作っているのが、織田という部長だ。俺の上司で、同い年、役員の息子だ。いわゆる世襲で、そのままコネで出世している。
それだけならまだしも、今年の春、織田は自分の甥である島村という22歳のエリート社員を新卒で入社させた。そして、何を狂ったか、会社全体の給与体系を強引に変えてしまったのだ。
「これからはAIとクラウドの時代。優秀な若手を集めるためなら投資を惜しまない。」
そう言って提示された島村の初任給は、なんと月給48万円。対する俺の月給は、手当てを削られに削られて、月給25万円にされた。30年この会社を支え、全国の工場を動かしているシステムを作った俺の給料が、入社したばかりで右も左も分からない新卒の半分近くというわけだ。
あまりの扱いに、俺は開いた口が塞がらなかった。本当にすごい新入社員であれば、まだ納得したかもしれない。だが島村はただのエリート社員で、
「黒川さん、まだそんな化石みたいなコード書いてるんですか」
と俺を小馬鹿にするようなやつだ。俺が指導しようとしても、
「そんなの分かってますよ。あなたから教わることなんて何もありません」
と見下してくる。だが島村の書いたコードは所々間違っている。仕方ないので俺がそれに修正を加える。こうして島村のコードはなんとか動いているのだ。
それなのに島村は、
「黒川さんのシステムって、画面が黒くて緑の文字が並んでるだけでダサいんすよね。まあ老害にはこういう地味な作業がお似合いか。」
と口を開けばそんなことばかり。このダサい画面がどれほど重要なものか、分かっていないのだ。しかも織田も一緒になって、
「おい、島村、あまり年寄りをいじめるなよ。」
なんてことを言ってくる。
ある日、いつものように島村と話していた織田は、
「黒川、お前さ、自分の立場分かってる?新卒の島村君ですら48万稼ぐ時代に、25万の価値しかない。お前がいられても困るんだよね。昔の古いコードをいじるだけなんて誰でもできるだろう。正直お前がいるだけで人件費のコストが増えるんだよ」
と言ってきた。その言葉に俺は一瞬で腹が立った。俺の仕事は25万の価値しかないのか?島村が48万の価値?ふざけるな。だが、そんなことを反論したところで、聞く耳も持たないこいつらには何の意味もない。
すると島村が、
「AIがあるんだから、黒川さんもう引退したらどうですか?黒川さんみたいな老害より、AIの方が全然いいですよ」
とニヤニヤした顔で言ってくる。もちろん織田も一緒になって、
「そうだよなあ。老害にしかできないことなんてないからな」
と笑った。
さすがに俺も我慢の限界だった。
「私がいなくなっても困らないと言うんですか?30年間この会社のシステムを守ってきたのは私です。俺にだってプライドがある。こんなことまで言われて黙ってはいられなかった。」
その言葉に織田も島村も腹を抱えて笑い出す。
「黒川さんって意外に自信家だったんですね。」
という島村は完全に俺を馬鹿にしきっている。織田にいたっては、
「お前がいなくなったって誰も困らないよ。給料はその人物を評価しているんだ。嫌ならやめろよ。退職届ならいつでも受け取るぞ」
と促してきた。
俺は言葉を失い、ため息をつく。30年捧げてきた結果がこれか。怒りを超えて、呆れと冷めた感情が胸を満たしていく。俺は、
「分かりました。本日付けで退職させていただきます」
と言い切った。すると織田は慌てることもなく、
「お前、物分かりが良くて助かるわ。じゃあ荷物まとめてさっさと出ていけよ。お前今日で退職な」
と笑う。
俺はその場で退職届を書き上げ、織田の机にそっと置いた。そしてため息をつきながら、デスクの上の私物をダンボール1つにまとめる。使い込んだキーボードを手に取ると、かつて大規模なシステム障害を1人で徹夜して乗り切った夜のことが蘇える。誰にも頼らず、この手で守り抜いてきた現場だった。そんな道具を箱に詰める自分の手が、少しだけ震えた気がした。
周りの社員たちは俺を気の毒そうに見てくるが、誰も声をかけようともしない。巻き込まれるのが嫌なのだろう。みんなの給料を知っているわけではないが、俺の給料がカットされたのはなぜか噂になっている。おそらく織田が気に入らない人間は給料を下げられると考えているのだ。まあ実際そうなのだろう。だから誰も俺と関わりたくないのだ。
俺は「では引き継ぎを」と織田に行ったのだが、
「そんなもんマニュアルを置いてけよ。お前にできて島村君にできないものはないよ」
と呆れた声を出す。なので俺はその指示に従い、基本マニュアルをサーバーに格納し、島村にその場所をチャットで送った。島村は、
「このくらいのシステム、僕には余裕です」
とチャットで返してくる。最後の最後まで嫌味なやつだ。俺は一応「質問があれば今のうちにお願いします」と一言添えたが、質問をしてくることはなかった。
マニュアルに書かれているのは、システムが正常に動いている時の一般的な操作手順だけだ。エラーが出た時は俺が調整をかけていた。そんなことも知らなかったのだろう。だがマニュアルを読めばそのことも分かるはず。つまり島村はマニュアルに目を通すことすらしていない。
明日は全国の工場が一斉にデータを送り込んでくる。月末の一斉発注の日だ。この日は何かしらのトラブルが起こる。この発注システムが正確に動かないと、工場からは発注が飛ばないのだから、会社に損害賠償を請求することにもなりかねない。ま、なんとか乗り切ってくれ。
退社時間を迎えた俺は、振り返ることなく会社を後にした。
翌朝、俺は久しぶりにゆっくりした朝を迎える。だがなんとなくスマホのグループチャットの通知が朝から増えている気配だけは伝わってきた。グループから抜けなければと思いつつ、朝食を取り、のんびりとコーヒーを飲んだ。
午前10時を過ぎた頃、俺の携帯が鳴り響いた。着信画面には織田の名前が表示されている。一瞬出るかどうか迷ったが、何度も鳴らされても迷惑なので、とりあえず通話ボタンを押した。すると織田は、
「お前何やってんだ?さっさと会社に来い」
と怒鳴り散らす。俺は、
「昨日退職することをお伝えしました。今日で退職です。部長も言いましたよね。」
と返したが、織田は「そんなこと知らん。いいから今すぐ来い」と言って電話を切る。
だが俺は動かなかった。退職させられたようなものだ。織田が手短に電話を切ったことや、その後ろでけたたましく電話が鳴っていたことを考えると、社内は電話で手一杯なのだろう。きっと発注システムがうまくいっていないのだ。でも、そんな中に俺が行ったところで、また高圧的な態度で命令され、いいように使われるのは目に見えている。
俺はその要件を無視して、親友の中に電話をかけた。
「おお、黒川、こんな時間からどうしたんだよ」
と言われたので、俺は昨日の出来事を話す。そして、
「そういうわけなんで、前に中が言ってたシステム開発できるようになったよ。待たせて悪かったな。」
と言うと、中は笑った。
「あれからそんなに立ってないじゃないか。しかも着々と個人事業主として起業する準備してたんだろう。」
そう、俺は中に相談しながら、いつか会社をやめてやろうと思っていたのだ。俺はすぐに中の言うシステム開発に着手することになった。
それから1時間後、またスマホが鳴った。今度は島村からだ。
「黒川さん、今どこですか?」
随分と慌てた様子で、その後ろは相変わらず電話が鳴り響いている。
「家だけど」
俺がそう答えると、
「なんでですか?部長にすぐ来るように言われたでしょ。社長も今すぐあいつを連れ戻せって言ってるんです。」
と叫んだ。
「退職した俺に何か用か。」
そう返すと島村は、
「何かじゃないんですよ。エラーアラームが鳴りっぱなしで、顧客からの問い合わせが殺到して、朝からみんな対応に追われていて、仕方なく手作業でやってるんですよ。僕には余裕ですからすぐ治りますけどね。」
とまだどこか強気な様子だった。だが数分後、また電話が鳴った。
「エラーが消えません。黒川さんが隠してる秘密の手順書とかないんですか?」
島村が逆切れ気味に言う。俺は穏やかに、
「基本マニュアルは昨日の通り。イレギュラーの対応は、得意のAIにでも聞いたらどうだ」
と諭す。島村はプライドを打ち砕かれたような情けない声で、
「マニュアルに書いてある手順じゃエラーが消えないんです。AIに聞いたコードを打ち込んだら、余計にデータベースがバグっちゃって。もうお願いですから、ベコベコ言わないで助けてくださいよ。」
最後には完全に涙声で泣きついてきた。あれだけ俺を見下し、初任給48万を誇っていたドヤ顔の面影はもうどこにもない。
俺は静かに返した。
「断る。代わりはいくらでもいる。AIがあれば老害はいらない。そう言ったことを忘れたわけではないだろう。自分で書いたコードのケツくらい、48万円分の給料で拭いたらどうだ?いつも俺が指摘していたことに耳を傾けもせず、俺が密かにコードを修正していたことにも、どうせ気づいてないんだろう。優秀な人間だったら、コードが修正されたことくらい気づくし、自ら勉強しようという気持ちがあるものなんだよ。」
と返すが、島村は、
「ごめんなさい。調子に乗ってました。だからお願いです。今すぐ来て直してください」
と言ってくる。なんとも軽い謝罪だ。こんな一言で、今まで俺を見下してきたことがなかったことになるとでも言うのか?俺は許すつもりはない。そんなことすらも分からない島村に、ため息をついた。
すると電話口で何やら会話が聞こえ、織田の声が聞こえてくる。
「黒川、あ、いや、黒川さん、君が30年やってきたことがどれほど重要かよく分かった。今こそ君の力を発揮する時なんだ。社長に直接給料の交渉をしてみたらどうだ」
と、まるで人のように自分を正当化しようとする。俺は、
「今更認められても、そうですかとしか言えませんね。昨日退職を促されたので、俺はそれに同意し、その場で退職届も書いて置いてきました。これからは個人事業主として起業することにしたんです。ですから、もうお電話もしないでください」
という。織田は、
「そんな不安定な人生やめておいた方がいいぞ。考え直せ」
と説得してきた。俺は、
「あなたから俺の人生のアドバイスを受けることはありません。早急に解消して欲しいというなら、緊急対応として1日あたり150万円のコンサル料金でどうでしょう」
と提案する。織田は激怒し、
「お前ふざけてるのか?誰がそんな金出すんだよ」
と怒鳴り散らした。俺は即座に、
「そうですよね。あなたにとって私は月給25万円の人間ですから。だったらそんな人間に泣きつくことが間違いでしょう。」
俺の穏やかな返答に、織田の荒い息遣いが受話器越しに伝わってくる。
「黒川、頼むから大人しく戻ってくれ。このままじゃ俺の立場が…」
「あなたの立場など、俺の知ったことではありません。」
「分かった。お前の希望通り、月給も50万にしてやる。島村よりも上だ。それで満足だろう。」
上から目線の、気の遅れた提案に、俺は思わず鼻で笑ってしまった。
「まだ理解できませんか?俺が怒っているのは金額の低さではありません。30年現場を支えてきた技術と人間性を、人件費のコストと踏みにじったあなたたちの愚かさですよ。月給48万円の優秀な島村君とAIに、せいぜい頑張ってもらってください。」
「くそ、覚えてろよ。黒川、この業界で生きていけないようにしてやるからな。」
絶望の裏返しのような捨てゼリフ。俺は淡々と一言だけ返した。
「どうぞご自由に。では、1日150万円のご依頼でなければ、2度とお電話なさらないでください。それでは失礼します」
と事務的に言って電話を切った。これでも無理に呼び出されることもないだろうし、もし呼び出されたとしても、コンサル料を受け取って仕事をするまでだ。
その1週間後、元同僚から連絡が来た。あの時何も言い出せなくて申し訳ないと謝られたが、まあ仕方ないだろう。
俺が電話を切った後もシステムは復旧せず、全国の工場へ出荷指示が出ない状態が丸1日続いたという。現場はパニックになり、取引先の大手メーカーからは巨額の損害賠償と取引停止を言い渡され、会社は未曾有の大損害を出すことになった。
実はあの発注システムの中核ロジックには、俺が個人名義で特許を取得していた。会社はそれを知らないまま長年運用しており、特許使用の対価など1円も払っていなかったのだ。だから島村がAIの力を借りても、中核部分には誰も手を加えられず、表面的なマニュアル通りの操作しかできなかったのである。
社長は現場の混乱の原因を作った織田と島村を速攻で問い詰めたそうだ。2人とも顔面蒼白で、「黒川が引き継ぎもせずにやめた」「黒川が復旧を拒否した」と言い訳をしたそうだが、社長は騙されなかった。社長の怒号が社内に響き渡り、織田はその場で部長職を解任、平社員へ格下げとなったそうだ。今もなお、今回のシステム障害に関する責任を徹底的に追求されているという。
織田と一緒になって俺を馬鹿にしていた島村も悲惨な末路を辿った。AIを過信して適当なコードを打ち込み、エラーを拡大させた張本人であることが社内全員に知れ渡り、「月給48万の無能」と陰口を叩かれるはめに。結局誰からも相手にされなくなり、居場所を失った。かばってくれるはずの織田も、自分の保身で手いっぱいで、すがりつく島村を「全部お前のミスだ」と切り捨てたそうだ。誰にも相手にされなくなった島村は、数日後にひっそりと自主退職していったそうだ。
かつて俺を見下していた2人が、自分たちの過ちで自滅していく様は、まさに自業自得という他なかった。
現在、俺は個人事業主として独立し、中の会社の新しいシステム開発に全力を注いでいる。あの特許は今、俺個人の資産だ。30年守ってきた誇りを踏みにじった奴らは報いを受け、俺は正当な評価と自由を手に入れた。これからまた新しいシステムを開発していく。一歩前進するたびに、新しい世界が開けるのだ。



