「嫌だ。何ですの?その格好。汚らしいわ。」
孫を迎えに行った塾で、私は一人の保護者から作業着姿をけなされた。着替える時間がなかったと説明もしたが、彼女は聞く耳を持たなかった。
「そんな汚い格好で人前に出るだなんて、どういう神経なのかしら?やだ、匂いまでしてくるじゃないの。あなたのせいで空気が悪くなってるわ。」
そう言って、彼女は嫌そうに鼻をつまんだ。空気が悪いのは、彼女の香水のせいではないか。明らかに付けすぎだと思ったが、初対面の相手に面と向かって指摘するわけにもいかず、私は黙り込んだ。
すると彼女はさらに調子に乗った。
「あの古臭い軽トラもあなたのよね。歯医者寸前みたいなあんな車で迎えに来られては、お孫さんが恥をかくだけよ。人間、頭と格に見合った場所というものがありますもの。あなたみたいな田舎のご老人と同類だと思われたくありませんので、うちには関わらないでくださいませ。」
そう吐き捨てると、彼女は私に背を向けて、周りの保護者を無言で威圧しながらヒールを鳴らして去っていった。
「ああ、そうですか。あなたがそうおっしゃるのなら、そういたしましょうか。」
怒りを胸に、私は彼女の背中へ呟いて、孫娘を連れて帰宅した。
私の名前は沢村竜造。中卒後、実家の土木事務所に入社し、その後事務所を継いで働いてきた。現在は息子に社長の座を譲り、自分は購入した小さな土地で野菜を作りながらのんびりと暮らしている。老後の楽しみは野菜作りと、もう一つ、孫娘の成長を見守ることだ。
だが、この頃その孫娘の様子がどうもおかしい。孫はダンスや塾などの習い事をしているのだが、最近になって急に塾に行きたがらなくなってしまった。
「どうしたんだい?あれだけ楽しそうに通っていたのに。」
「だって、クラスの子が意地悪なんだもん。お勉強中もうるさいし、順番だって守らないし。それに、その子を注意したら、お返しにいっぱいひどいこと言われて泣いちゃった子までいるんだよ。」
どうやら塾で同じクラスになった「ジノ」という男子がとてもわがままな性格らしく、孫を始め周囲に迷惑ばかりかけているらしい。さらに、その少年を迎えに来る母親も、些細なことでしつこく怒鳴りつける、とても怖い女性のようだ。
しかし、その親子のことを抜かせば、本人も塾はやめたくないようなので、とりあえず息子夫婦も私も事態を静観することにした。
さて、孫が塾に行く日がやってきた。いつもは息子の妻、つまり孫の母親が送り迎えをしているのだが、その日は母親に用があり、迎えが遅れるとのこと。孫は塾の学習室で待っているからいいと言ったらしいが、塾での話を聞いていた手前、さすがに心配になって、私は母親の代わりに孫を迎えに行くことにした。
約束の時間より少し早めに着いたため、私は塾の入り口の前で孫が出てくるのを待つ。だが、その時、耳障りなエンジン音と共に、派手な色にペイントされた高級車が駐車場に姿を表した。
塾の駐車場はあまりスペースがないのだが、それでも生徒たちが通りやすいように真ん中は開けておくのがここのルールだ。だが、その高級車は堂々と駐車場のど真ん中に停車して、そこから移動する気もないらしい。
「随分と自分勝手な運転手だな。」
私が呆れていると、そのうち高級車から、車に負けず劣らず派手なブランド服を着た女性が、ヒールを高らかに鳴らして降りてきた。例えて言うなら、鳩や雀が集う小さな公園に、一羽だけ極彩色の孔雀が我が者顔で闊歩しているような光景である。
彼女のすぐ後に駐車場へと入ってきた他の保護者が、腰の引けた愛想笑いを浮かべながら「あら、ジノさん、こんにちは」と頭を下げた。
「ジノ」、多分「ジノ」と書くのだろう。その名前を聞いて、私はピンと来た。ああ、あれが孫の言っていた迷惑な少年の母親か。とりあえず様子を見守ることにした私の視界には、挨拶されたのにも関わらず頭を下げようともしないジノ夫人の姿があった。
「ああ、あなた、息子と同じクラスの。」
そう言って、ジノ夫人はまるで品定めをするかのごとく、その保護者をじろじろと眺める。そして何がおかしかったのか、ふんと鼻で笑うような仕草を見せると、口の端をつり上げていった。
「そういえば、オタクの息子さん、勉強はあまりお得意じゃないようですわね。先日の試験も散々だったとか。せっかく塾に通わせてるのに、何とも甲斐がないこと。」
もはやマウントを通り越してただの悪口であるが、そんなことを言われた側の保護者は、どうやら大人しい性格のようで、眉を曇らせて困ったように微笑む。
「ええ、まあ、親としては、すくすくと優しい子であればそれで。ところで、ジノさんの息子さんは、とても活発でいらっしゃるわね。」
かなり言葉を選んだ表現だったが、その気遣いをジノ夫人はまっすぐと褒め言葉として受け取ったようである。途端、彼女はつんと顎を上向けると、優越感丸出しの表情で得意げに頷いた。
「ええ、うちの息子はなんせ運動神経抜群なんですの。もちろん勉強もすぐに一番になるわ。ほら、うち、建設会社を経営しておりますでしょう。そこら辺の一般家庭とは頭の出来が違うのよ。」
上品ぶった仕草でジノ夫人は笑う。
「ああ、なるほど。そうでしたか。」
聞かれてもいない家庭環境のことを勝手に自慢した上、高飛車にマウントを取ってくるジノ夫人に、相手も返す言葉がないらしく、保護者は「それでは」と再び頭を下げると、そそくさと建物の中へ入っていった。
「ジノ建設会社の社長。どこかで聞いた覚えがあるな。」
私はその場でぼんやり考える。すると、マウント相手に逃げられてどこか鼻白んだ様子を見せていたジノ夫人が、ようやくこちらの存在に気づいたらしい。そして彼女は、道端に落ちたゴミでも見るような目で、私をじろじろと眺め回してきた。さすがにその視線を無視できず、私は首をかしげて声をあげる。
「あの、何か?」
だが、ジノ夫人はその問いには答える様子もなく、さらにじろじろとこちらを見回した後、盛大に眉を潜めていった。
「やだ、その格好。汚らしいわ。」
その言葉に、私は「ああ」とつぶやきつつ、自身の姿を見下ろす。ここに来る直前まで畑仕事をしていたので作業姿のままだったのだが、別に大して汚れているわけでもなく、匂いもしないので、人様にはそこまで迷惑をかけていないとも思う。それでも彼女のような女性には見慣れない格好なのだろうと思い、私は「これは失礼」と軽く頭を下げた。
「畑仕事の途中で孫を迎えに来たので、ちょっと着替えている時間がなくて。お見苦しいとは思いますが、勘弁してください。」
しかし、私の返答にジノ夫人はますます形相を浮かべて、過剰なほどに赤く彩られたその唇を歪ませる。
「いくら時間がなかったからと言って、そんな汚い格好で人前に出るだなんて、どういう神経なのかしら。やだ、匂いまでしてくるじゃないの。あなたのせいで空気が悪くなってるわ。」
そう言って嫌そうに鼻をつまむジノ夫人だが、多分、辺りの空気が悪いのは彼女のまとう香水のせいだ。明らかに付けすぎである。だが、初対面の親しくもない相手にそんなことを面と向かって指摘するわけにもいかず、黙っている私へ、彼女はなおも言い放ってきた。
「というか、駐車場にあるあの古臭い軽トラ、さてはあなたのね。ちょっとおじいちゃん、少しは体裁を考えなさいな。歯医者寸前みたいなあんな車で迎えに来られても、お孫さんが恥をかくだけよ。」
言いながら、ジノ夫人はクスクスと肩を揺らす。
「それにしても、ここ、それなりに月謝がお高いのに、よくお孫さんを通わせる気になったわね。まあでも、無理なさらない方がいいですわよ。人間、頭と格に見合った場所というものがありますもの。」
いかにも親切ぶった口調だが、その実、こちらのことを完全に見下しているのを隠しもしない嫌な物言いだ。ジノ少年のことはともかく、初対面の他人相手にニヤニヤと嫌な笑いを浮かべ、その上下げような視線をたっぷりと浴びせてくるジノ夫人に、さすがの私もむっとしてしまう。
だが、たまらず言い返そうと口を開いたその時、孫娘が塾の教室から出てくる姿が見えた。今日は私が迎えだと聞いていた孫は、早速「おじいちゃん」と可愛く手を振っている。そんな孫を目の前にして揉める姿を見せられるはずもなく、私は開きかけていた口を閉じ、孫に向かって手を振り返した。その横で、ジノ夫人は勝ち誇ったような表情を浮かべる。
「とにかく、あなたみたいな田舎のご老人と同類だと思われたくありませんので、今後、うちには関わらないでくださいませ。」
そう吐き捨てて、周りの保護者を無言で威圧しながら、ジノ夫人はヒールを鳴らして去っていく。その背中を、私はしばし見つめた。
「どうしたの?おじいちゃん。」
「うん。なんでもないよ。さあ、帰ろう。」
不思議そうに首をかしげる孫の手を握って微笑むと、私は駐車場へと向かう。
「うわあ、軽トラだ。私、これ乗るの好き。」
ちなみに、孫は私が運転する軽トラが大好きである。孫の笑顔は何よりも大事な私の宝物だ。その日は孫のために少し遠回りをしてドライブしながら帰ったのだった。
明けて翌週、また孫が塾へ行く日がやってきた。今日も私が迎えに行くことを家族へ告げ、家を出る。だが、前回の私とは違う。今回の私は、デザインこそ抑えながらも、一見して質の良さが分かるブランドの服を着ている。また、日本に数台しかないという超高級車で孫を迎えに行った。
すると、今日は私よりも塾へと早く着いていたらしいジノ夫人が、駐車場に現れた。その超高級車に目を奪われている様子が見える。そして、車から降りた私へ、彼女は早速近づいてきた。
「まあ、素晴らしいお車ですわね。このブランド、日本ではまだ数台しかオーナーがいらっしゃらないのでしょう。あの、初めまして。私、ジノと申します。保護者様でいらっしゃいますか?」
ゴミを見るような先週の目つきとは打って変わって、猫なで声で愛想よく微笑むジノ夫人の調子の良さに、私は会って早々呆れてしまう。本当にこの女性は、人を服装や車でしか判断していないのだなと内心呆れつつ、私は口を開いた。
「お言葉ですが、私とあなたは初対面じゃありませんよ。」
「え?」
驚くジノ夫人に、私は続けた。
「先週、こちらに作業着姿で立っていたのが私です。その際、あなたに『作業服で人前に出るな』と『どういう神経なのか』と暴言を浴びせられました。また、軽トラで迎えに来ては孫が恥をかくとか、なんとか。」
だが、そこまで言っても、彼女はあんまりピンときていない様子である。その様子から、もしかしてこの女性は本当にこちらのことを覚えていないのではないかと思い、私は呆れ返ってしまった。あれだけ暴言を吐いておいて、相手の顔どころか自身の行い自体をきれいさっぱり忘れるなど、それこそどういう神経をしているのだろうか。しかし、ここでやいのやいのと言っていても、当の本人の記憶がないのだから、結局水掛け論になるだけだ。
そうして私は一つ大きなため息をついて、話の方向転換を試みた。
「ところで、あなたのご主人はジノ建設の社長を務めてらっしゃるとか。間違いないですよね。」
確信を持った私の問いに、彼女が頷く。
「ええ、そうです。あの、それが何か?ああ、もしかして、うちの主人とお知り合いの方ですの?」
突然振られた夫の話題に、怪訝な顔をしながらも、そう言ってのんびりと首をかしげるジノ夫人。その返答に、私はにこやかに相槌を打つ。
「ええ、まあ、お知り合いといえばそうですね。」
すると、ジノ夫人はますます笑みを深くした。
「まあ、やっぱりここに通ってらっしゃるのはお孫さんかしら。奇遇ですわね。うちも息子を通わせておりますのよ。是非、これを機に仲良くさせていただきたいわ。」
ブランド服を着て超高級車に乗る金持ちそうな相手とお近づきになれると勘違いしたのか、ジノ夫人はグイグイと距離を詰めてくる。
「ところで、失礼ですけど、お名前を伺ってもよろしいかしら?お勤めはどちらですの?こんな車に乗ってらっしゃるくらいですもの、それは名の通った会社の方なのでしょうね。」
その問いに、私はわざとらしく気さくに答えた。
「いや、あなたがご存知かどうか分かりませんが、実は私、沢村建設会社の元社長でして。ああ、そういえば、最近うちの会社で子会社化した企業がありましてね。ジノ建設というのですが。」
「え?」
不意に馴染みのある名前が出てきたためか、先程までの彼女が、はっと目を丸くする。しかし、それには構わず、私は微笑みながら続けた。
「実は私、あなたのご主人の親会社の人間なんですよ。というか、私はその親会社の会長なので、ご主人の人事を私の一存で決められる権限を持っているのです。」
そこまで一気に口にした私は、張り付けた笑顔のまま彼女へ告げた。
「あなた、『うちとは関わらないで』と先週私に言いましたよね。ですから、私もその通りにさせていただきます。あなたと関わらないために、あなたのご主人を即刻首にいたします。」
そうなのだ。実は私は、親から土木事務所を継いだ後、その事務所の事業拡大に成功し、大手建設会社と呼ばれるまでに成長させていた。また、この頃は社長の座を息子に譲り経営の全てを任せてもいるが、私自身も会長としてまだそれなりの権限は持っているのである。さらには、先週ここで「ジノ」という名前、それから建設会社の社長と聞いて、どこかで耳にした話だとは思っていた。そして改めて確認してみると、それは私が引退してしばらくした後、息子が子会社化した会社の名前だったことが判明したのだ。
何よりの宝である孫の笑顔を一時期でも奪ったばかりか、初対面の人間を平気で貶めるジノ夫人と、その少年の悪さに、私は呆れと同時に怒りも湧いていた。そして息子に事情を説明し、今日こうしてこの場で、私は彼女に夫の首を宣言しに来たのである。
「そ、それは、その…」
ここに至ってようやく事態を把握したらしいジノ夫人が、初めて青ざめた表情を見せた。だが、彼女は何を思ったのか、とんでもないことを言ってくる。
「そ、それ、失礼ですけど、どなたかとお間違いではありません?こんなご立派な方に、そんなひどいこと私が言うはずないですもの。そうよ。それは私とは関係のない人物よ。」
「は?」
私は思わず首をかしげたまま固まってしまった。目の前の彼女は、そんな子供みたいな言い訳が通用すると本気で思っているのだろうか。子会社とはいえ、仮にも一企業の社長夫人だ。本来なら、どこで何をしていても、夫ひいては会社の名に傷をつけないよう配慮して振る舞うことを求められる立場である。それなのに、相手のあまりにも稚拙な言動に、私はどうにも頭が痛くなってきた。
「あなた、そんな言い逃れで私を騙せるとでも?舐めないでいただきたい。」
不意に鋭い目つきを出して私に睨むと、ジノ夫人は一瞬ひるむ様子を見せる。だが、それでも彼女は引き下がらなかった。
「ですが、その、あなた様も拝見する限り、それなりのお年を召されていらっしゃるわけですし、私と誰かを取り違えてらっしゃることも、ほら、可能性がないわけじゃありませんでしょ。」
瞬間、私は呆れてしまう。ちょっと待ってくれ。彼女は一体何を言っているんだ?例え自身の行いを覚えていないにせよ、相手がこれだけ不快感を顕わにしているのだから、さすがに謝罪の一つも口にするのが人間というものだろう。だが、ジノ夫人は「それは自分ではない」の一点張りで、それも私が年だから思い違いをしているのだと責任転嫁までしてくる始末。もはや言葉が通じないのを通り越し、遠い星から来た宇宙人と会話している気分にもなってきて、私は思わず眩暈を覚えた。
そして、これ以上彼女と話していたらこちらの方がどうにかなってしまうと思い、ひとまず私はそこで話を終わらせることにした。
「あなたという人はよくわかりました。とにかく、そちらから何らかの謝罪があるまで、私はこの決定を覆しませんので、そのつもりで。」
そうピシャリと言った私は、ちょうど姿を表した孫の手を引いて、その場を後にしたのだった。
さて、それから数日後のこと。私は久しぶりに会社を訪れていた。そして私の横には社長である息子が、また私たちの目の前にはあのジノ夫人の夫であるジノ社長がいる。今日はジノ社長からの申し入れで、この場が設けられたのだった。憔悴してはいるものの、まだ冷静さを残している様子のジノ社長は、その青い顔を私たちに向けて口を開く。
「この度は、妻が大変なご迷惑をおかけいたしまして、本当に申し訳ありませんでした。お恥ずかしながら、妻にはその後も謝罪の意思はなく、ですので、この度、私と妻は離婚することとなりました。」
開口一番、深々と頭を下げたジノ社長の言葉に、さすがの私も驚いて横の息子を見合った。すると、どうやら離婚の件は息子も初耳だったらしく、目を丸くして戸惑っている。
「その、私は、この度のことを奥さんから謝っていただければそれで良かったのですよ。何も離婚までされなくても。」
だが、当のジノ社長はといえば、青ざめてはいるが、どこかすっきりとした顔をして、いいえ、と首を振った。
「申し訳ない。離婚の件は、私が元々考えていたのもあって、いつ切り出そうかと思っていたところに今回の件があり、そういう運びとなっただけです。」
聞けば、友人を介しての顔見知りだった彼女が、強引にジノ社長を追いかけ回し、結局その押しに負けて結婚したはいいものの、とにかく性格がきつくわがまま放題で、自社の社員にも度々迷惑をかけていたとのこと。それも、彼女は最近、若いホストに入れ上げて、どうやら会社の金を勝手に持ち出し、そのホストに貢いでいたらしい。
それはまた、何とも答えようがない話に、言葉をなくしてしまった我々。ジノ社長は再び謝罪を口にする。
「すみません。こんな身内の恥までお聞かせしまして。それもこれも、全ては私の不徳のいたすところです。ですが…」
と、彼はまっすぐに我々を見つめて続けた。
「私は、あの会社で働いてくれている従業員たちの生活を、何としてでも守りたい。」
そうして彼はその場で静かに立ち上がると、深く頭を下げた。
「厚かましいお願いなのは百も承知しております。ですが、今一度お願いいたします。どうか、私に引き続きあの会社を任せてはいただけませんでしょうか?」
室内には沈黙が降りる。やがて、私は彼に声をかけた。
「ジノさん、どうか頭をあげてください。」
だが、ジノ社長は首を振る。すると、謝罪し続けるジノ社長を見かねた息子が、横から助け舟を出してくれた。
「父は、あの会社をまたジノさんにお任せすると言っているのですよ。」
その言葉にはっと顔をあげた彼は、呆けた顔で私たちを見た。その気真面目な姿に、私は微笑む。
「いえね。息子からは前もってあなたの評判を聞いておりまして、少し不器用なところはあるが、従業員を思いやれるいい社長だと。奥さんの件は残念でしたが、どうかこれからもよろしくお願いします。」
そうして、私は自分から彼に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ。」
ジノ社長は涙声でそれだけ告げると、こらえきれずに肩を震わせる。その姿に、横の息子も満足げに頷いている。私は思った。従業員のためにこれだけ頭を下げられる彼なら、きっとこれからも社長として会社をいい方向に引っ張っていってくれるに違いない。
ちなみに、ジノ元夫人は離婚後、息子を連れて田舎にある自身の実家へと戻ったそうだ。慰謝料と養育費は十分に渡したとのことであるが、田舎での両親との同居ということと、またこれは自業自得であるが、彼女自身にも浪費癖があり、生活には苦労しているとのこと。
けれど、塾では手のつけられない暴れん坊だったらしいジノ少年は、田舎での生活が性に合っていたらしく、今ではのびのびと野山を駆け回り、そしてよく母や祖父母を助けているようだった。
一方、ジノ少年が塾をやめたことで、私の孫もまた元気に塾へと通い出した。
「おじいちゃん、遊びに来たよ。」
そして、習い事のない曜日、孫はこうして私の元へ遊びに来る。
「よく来たな。よし。今日は何したい?」
「私、軽トラ乗りたい。」
相変わらず私が運転する軽トラが大好きな孫は、今日もご機嫌に助手席へと乗り込む。
「じゃあ、今日は久しぶりに軽トラでドライブするか。」
「やった!」
喜ぶ孫の姿をニコニコと見守り、私は再び訪れた穏やかな日々に感謝するのだった。



