ある日、会議室で新商品の試作品を社長の目の前に差し出した瞬間、彼はそれを指でつまみ上げ、足元のゴミ箱に放り投げた。「こんな貧乏臭いゴミ、リサイクルもできそうにないからね」。三年かけて兄と一緒に開発した商品だった。隣で部長が「社長はワードセンスが抜群ですね」と笑い、取り巻きたちも続いた。社長はさらに「こんなゴミを作る無能な社員も下請け業者も、一括で首にしてしまおう」と言い放った。その瞬間、俺の…

ある日、会議室で新商品の試作品を社長の目の前に差し出した瞬間、彼はそれを指でつまみ上げ、足元のゴミ箱に放り投げた。「こんな貧乏臭いゴミ、リサイクルもできそうにないからね」。三年かけて兄と一緒に開発した商品だった。隣で部長が「社長はワードセンスが抜群ですね」と笑い、取り巻きたちも続いた。社長はさらに「こんなゴミを作る無能な社員も下請け業者も、一括で首にしてしまおう」と言い放った。その瞬間、俺の...

「おい、3年もかけて君らはこんなゴミを作ったのか。」

俺と下請け企業の兄とで共同開発した商品を、社長は一言「ゴミ」と表現して馬鹿にした。そして社長は試作品を指でつまみ上げると、足元にあったゴミ箱へと投げ捨てた。

「なっ……何を」

「何をって、私はゴミをゴミ箱に捨てただけだよ。こんな貧乏臭いゴミ、リサイクルもできそうにないからね」

その暴挙に思わず声をあげる俺に、社長は肩を揺らし、口元を吊り上げて声を張り上げた。

「こんなゴミを作る無能な社員も、下請け業者も、一括で首にしてしまおう」

その瞬間、俺の気持ちは諦めの境地に達した。ここまで訴えても、社長は俺の話なんて端から聞く気がない。社員なんて代わりはいくらでもいると、彼はそう思っているのだろう。

諦めを悟った俺は、静かにため息をついて首を受け入れた。けれど気力を振り絞って顔をあげ、まっすぐに社長を見て口を開いた。

「確認ですが、本当にこの試作品はいらないのですね」

俺の言葉に社長は腹を抱えて大笑いし、「そんなゴミなんていらない」と繰り返した。「確かに現物を取ったからな」と心の中で呟いた俺は、無言で一礼すると、長年勤めた会社を静かにやめた。

俺の名前は望月A。現場作業員や工場作業員向けに商品を開発している会社、金代で商品開発部に席を置いている。ちなみに俺の実家は工具類を開発製造する工場を経営していて、昔から金代の下請けをしていた。工場は兄が継いだのだが、俺もその縁で以前から親しみがあったため、金代に就職できた時は兄弟二人で喜び合ったものだ。

そして俺は3年ほど前から兄と一緒に新商品の開発に取り組んでいた。

正直この業界は、良くも悪くも変化に乏しく、世間からも地味でとっつきにくいと思われている。うちの会社が使う商品も業界内では安定した評価をもらっているが、それもここ数年は頭打ちで、根本的な商品開発の見直しが課題となっていた。

そこで俺はマーケティング部の同期にも協力を仰ぎ、もっと消費者に寄り添った商品を開発できないかと兄に相談を持ちかけたのである。そして商品開発部と実家の工場とで共同開発を行い、この度その試作品が完成したのだった。

しかし「これは行けるぞ」と喜び勇んで、わが社の金代社長、また俺の上司である若月部長にもプレゼンを行った俺であるが、こちらの気合いとは裏腹に、相手の反応は実に散々なものだった。

「おいおい、あれだけしつこく時間を取ってくれと言われるものだから、さぞいい商品ができたのかと期待していたら……何だよ、この貧乏臭いのは」

会議室に金代社長の声が響く。彼は先代から後を引き継いで3ヶ月も経っていない新社長だ。その前はコンサルタント会社に所属していたらしく、社長としてはまだ若いものの、業界に根強く残る伝統や風習といった古風な空気を一新したいと思っているようだった。

金代社長の言葉に、その横に立っていた若月部長が追従するようにして頭を下げた。

「すみません、社長。まさか私もこんな貧乏臭いものを出してくるとは思わなかったもので」

そして若月部長は浮かべていた愛想笑いを一変させ、俺を睨んできた。

「望月、お前、せっかく貴重なお時間を割いていただいた社長に、何てものを見せてるんだ」

神経質そうに肩を跳ね上げて、若月部長が俺を叱責する。

「お前、こんなものを作るのに3年もかかってたのか。それもお前の兄の工場と共同開発してたそうじゃないか。分かってるのか? 会社はお前ら兄弟のお遊びの場所ではないんだぞ。無駄な金をかけさせよって」

痩せた体を揺らしながら怒る若月部長を「まあまあ」と金代社長が嗜めた。

「若月部長、まず落ち着いて。まあでも、彼が怒るのも無理はない。そう思わないかね、望月君」

ニヤニヤとこちらを見やりながら金代社長が続ける。

「そう、会社はお遊びの場所じゃなく、仕事をするところだよ。君ら兄弟の仲がいいのは結構だが、3年も時間をかけたのなら、もう少し売れる商品を開発してくれないか」

そうして金代社長は俺がプレゼンした商品をちらっと一瞥し、いかにもバカにした風にフンと鼻を鳴らした。挙げ句の果てに、彼はそれを指でつまみ上げるように持ち上げると、足元にあったゴミ箱へと投げ捨ててしまったのだ。

その暴挙に俺は思わず声をあげた。

「なっ、何を」

呆然とする俺に、金代社長は肩を揺らしながら返す。

「何だい? 私はゴミをゴミ箱に捨てただけだよ。こんな貧乏臭いゴミ、リサイクルもできそうにないからね」

笑い続ける金代社長を、ここぞとばかりに若月部長が持ち上げる。

「社長は相変わらずワードセンスが抜群ですね」

「そうそう。ゴミはちゃんとゴミ箱へ捨てなきゃだめだぞ、望月。あ、後できちんと分別しておけよ。何せ今はSDGsの時代だからな」

「若月も上手いこと言うね」

ワハハと、二人の悪意に満ちた笑い声が会議室にこだました。そうして彼らは俺と兄が開発した商品に目も向けないまま、その場を後にしたのである。

その週末、俺はプレゼンの結果を兄に報告しに出向いていた。こちらがよほど暗い顔をしていたのか、落ち込む俺を兄は温かく励ましてくれた。

「ああ、あれは試作品だったし。確かに見た目もあまり綺麗とは言えなかったからな。貧乏臭いと言われても仕方がないかもしれないよ」

そう言って兄は俺の肩をポンと軽く叩いた。昔から内向的な俺とは正反対に、兄は活発で明るい性格をしている。この3年、商品開発の過程で壁にぶつかるたびに、兄のこの明るさに何度助けられたかわからない。

「金代社長はどうも会社の客層を広げるために、今後はファッションアイテムへ力を入れていきたいようなんだ。それこそ華やかで女性にも受けるような何かを」

「女性受けか。さすがにその観点はなかったな」

首をひねる兄に俺は頷く。

「業界のイメージを変えたいのは俺もそうだけど、でも金代社長のやり方は性急すぎるんだよ。周囲の意見は聞かないワンマンで、自分の考えだけが正しいと思ってる」

そうなのだ。実は代替わりしたここ数ヶ月で、社内は金代社長の気まぐれな一声に振り回されっぱなしなのだった。特に彼は、自分から見て古臭いと感じた物事に対しては過剰な反応を見せ、即刻それをやめろと騒ぎ立てるのである。

もちろん、仕事のやり方を見直して新たな風を入れることについて、俺も賛成だ。だが金代社長のそれは、ただ単に彼自身の感情的好き嫌いによってしか判断されていない。それまでそのやり方で何の問題もなかったところにまで文句をつけるものだから、その度に社員たちが大迷惑を被っている。

「何でもかんでも変えていけばいいってわけじゃないんだけどな」

呟いた俺に、兄が問いかけた。

「金代社長の周りには、誰か彼を止められるような人間はいないのか?」

俺はしばし考えた後、緩く首を振る。

「うーん。どうも金代社長は自分の言うことに従わない役員を次々に左遷へ追いやってるみたいなんだ。だから皆、とばっちりを恐れて口をつぐんでるらしい。これは専らの噂だけど」

また金代社長はそうやって空いたポストに自分のお気に入りの社員を当てがっていた。抜擢といえば聞こえがいいが、要は実績も何もなく、ただただ金代社長のご機嫌取りがうまい社員が、仕事もできないのに会社の重要なポストを占めている状態だ。ちなわち、あの若月部長もそうして抜擢されたうちの一人である。平社員から開発部長へと華麗なる昇進を果たした彼は、開発に関しての知識はほぼゼロに等しい。部長と言っても仕事は部下に押し付け、一日中金代社長の腰巾着としてゴマをすってばかりなのだ。

俺の答えに、兄は思わずといった風に顔をしかめた。

「それは……あまり健全とは言えない状況だな」

あまり物事を悪く捉えない兄がこんなことを口にするのは珍しい。だがそれだけ事態は深刻だと、俺もそう思っている。

「お前もあまり無理はするなよ。社員の代わりはいるだろうが、俺の弟の代わりはいないんだからな。お前、昔から変に我慢強いところがあるからな。まったく、少しは俺の脳天気さを見習えよ」

冗談っぽく言ってはいるものの、兄が弟である俺の心配をしているのは明らかだ。この工場だって、金代からの発注がなくなれば経営が苦しくなるに違いないのに。けれど、そんな兄の優しさを受けて、俺は少し元気が出た。

そうだ、諦めるのはまだ早い。何せ3年かけて開発した商品なのだ。金代社長だって、もしかしたら気が変わることもあるかもしれない。

「ありがとう、兄貴。でも俺、もうちょっとやれるだけのことはやってみるよ」

笑ってそう返した俺に、兄も「まあ、思うようにやってみろ」と仕方なさそうに苦笑したのだった。

だが、気合いを入れ直して仕事に励む俺に、若月部長はある日突然「若者や女性受けするアイテムを作れ」と言い放ってきたのである。

「何言ってんだ、若月部長。急にそんなこと言われても『はい、そうですか』ってできるわけないだろうが」

「本当そうよね。まああれでしょ。どうせいつもの社長命令なんでしょ。ほら、若月部長は金代社長の腰巾着で、お気に入りだから」

随分と急なお達しに、開発部の同僚たちはそう言って愚痴り合っている。実際、今までオシャレなファッションアイテムとは無縁の、実用的かつシンプルで地味な商品ばかりを取り扱ってきたのだ。どんなものが流行っているのか、女性受けとは何かといった、一からリサーチしなければいけないことが山積みなのに、それを通常の仕事と並行してやれというのは、あまりにも酷なことではないか。

だが若月部長はそんなことなどお構いなしで、「早く試作品を上げろ」「コストを徹底的に抑えろ」と無茶な要求ばかりしてくる。

そんな日々に耐えきれず、俺はある日若月部長へ現状を訴えた。

「開発部はもうギリギリの状態です。このままでは休職者や退職者が出ても不思議じゃない。それにいくらイメージを一新したいからと言っても、我々にそんなノウハウはないじゃないですか」

しかし俺の訴えを、若月部長は鼻で笑った。

「相変わらず頭が硬いね、望月君は。物事を新しく始めるのにノウハウなんてないのはどこでも一緒じゃないか。けれど、そんな中を踏み出してこそビジネスは成功するものだろう」

大げさに肩をすくめてそんなことを口にする若月部長。一応のビジネスマンを気取ってはいるが、彼は数ヶ月前までパッとしないただの平社員だった男である。きっと今の金代社長の真似なのだろう。

俺は苛立つ内心を懸命に抑えて言った。

「ですが、このままでは誰が潰れてもおかしくない」

しかし、そんな俺の言葉を若月部長はあっけなく遮ってきた。

「ふん。まあ、やめたらやめたで別にいいさ。君たちの代わりなんていくらでもいるしね。というか、近々社内の若返り化を実行する予定でね。開発部からも何人か……」

「……今のはまだ機密事項だったな」

わざと失敗したと見せかけて、若月部長がニヤニヤと下品な笑いを浮かべている。今のつぶやきはきっと、彼が意識的に漏らしたのだろう。そうやって俺へと圧力をかけて黙らせようとするつもりなのだ。何とも嫌らしいそのやり方に、俺は嫌悪感すら抱いた。

結局その日は話し合いにすらならず、それからも若月部長の無茶ぶりは続いた。そんな中、俺の耳に、金代社長がリストラを考えているらしいとの噂が入ってきたのである。

「ああ、とうとう来たか」

俺は思った。確かに若月部長のあれは、俺を脅すだけではなかったのだなと息が出る。そしてそんな噂が社内を巡った数日後、金代社長の口から正式に社内の若返り案が言い渡された。内容としてはそれぞれの部署から早期退職者を募るものとなってはいたが、要は希望人数に満たない部署では、年齢の高い順にリストラもあり得るということである。

また、そのリストラ候補者の中に自分自身の名前も入っていることを、俺は早々に耳にしていた。若月部長からすれば、何かと口うるさい俺の首が堂々と切れるということで、一石二鳥なのであろう。

腹立たしい若月部長を想像すればもちろん腹も立つが、それ以上に、このままベテラン社員たちを辞めさせれば、今度こそこの会社は終わってしまうと俺は懸念した。目先の効率化やリストラを決行したところで、会社はいい方向には向かわない。むしろ、それまで屋台骨として業務を支えてくれていたベテランがいなくなれば、社内はますます混乱に陥ってしまうことなど、ちょっと考えれば分かるものなのに。

そして俺は、今度こそ、誓って再び金代社長に直談判することにした。

「金代社長、どうか話だけでも聞いてください。業界のイメージを一新したいという社長のお考えについては、私も同感です。ですが、このように急な改革ばかりでは現場はついてこられません。それにノウハウのないところに下手な手を出せば、確実にしっぺ返しが来ます。新しい何かを求めていらっしゃるのであれば、私と兄が開発した商品がきっと社長のお考えの一助となり得ます」

祈りを捧げるように口にして、それから俺は再び金代社長に試作品を手渡そうとした。一度はゴミ箱に捨てられたこの試作品だが、俺はそれを大事に拾い上げて、こうしていつでもプレゼンできるように常に鞄にしまっておいたのである。

だが金代社長は、俺の差し出したその試作品を、それこそ道端に落ちているゴミでも見るようにして視線を投げかけた後、底意地の悪い軽やかな笑みを浮かべてこう言った。

「望月、とか言ったかね。君はバカなのか? それともその年で早くも耄碌しているのか? この会社の社長である私に、何回そのゴミを見せれば気が済むんだ?」

金代社長の物言いに、取り巻きたちがお世辞半分でクスクスと笑っている。そんな周囲の反応に気をよくしたのか、金代社長はなおも俺を責め立てた。

「早くそのゴミを捨てなさい。ああ、今度は頼むから拾ってこないでくれよ。というか君さ、本気でそんなゴミを作るのに3年もかかったのかい? 悪いけど、まともな社会人のすることとは思えないね」

悔しさと怒りで、俺の顔は真っ赤になっていることだろう。しかし金代社長はこちらの気持ちなど全く斟酌していない様子で、得意げに続けた。

「そういえば、これは君のお兄さんとの共同開発だったか。お兄さんは確かうちの下請けなんだよね。ああ、困ったなあ。遊び半分でこんなゴミを開発する無能な下請けには、うちとしても用がないんだよね」

それから彼は実に楽しそうにこちらを見やり、口元を吊り上げて金代社長は声を張り上げた。

「こんなゴミを作る無能な社員も下請け業者も、一括で首にしてしまおう」

その瞬間、俺の気持ちは諦めの境地に達した。ここまで訴えても、金代社長は俺の話なんて端から聞く気がない。また若月部長を始め他の役職者たちも、金代社長の方針に右へ倣えで、自分では何も考えずに俺や兄を馬鹿にしてくる。社員なんて代わりはいくらでもいると、彼らはそう思っているのだろう。俺の抜けた穴などすぐに埋まると。

操作を悟った俺は、静かにため息をついた。

「分かりました。社長のご判断に従います」

そう言いながら、俺は胸のうちで兄に謝っていた。

兄貴、ごめんな。こうして最後まで粘ったことを悔いてはいないけれど、心残りが一つあるとすれば、それは自分の行動で兄の工場まで巻き込んでしまったことだ。きっとあの兄なら「仕方がないな」などと憶して怒りもしないのだろうが、それでも湧き上がる罪悪感に俺の胸は塞がれる。

けれど俺は気力を振り絞って顔をあげ、まっすぐに金代社長を見て口を開いた。

「確認ですが、本当にこの試作品はいらないのですね」

すると俺の言葉に、一瞬キョトンと目を見開いて、それから金代社長はその場で腹を抱えて大笑いし出した。何がそんなに面白かったのかと、取り巻きたちが戸惑いながらも愛想笑いを浮かべているのが見て取れる。

そんな周囲の様子には構わず、やがて笑いを含んだまま金代社長は答えた。

「君は愉快だな。いいよ。そんなゴミなんか要らないから、さっさと持ち帰ってくれたまえ。あはは。これだけ笑わせてくれたから、君は首じゃなくて、特別に勧奨退職扱いにしてあげよう」

恩着せがましい金代社長の提案を、取り巻きたちが「お口に叶った処遇ですね」などと持ち上げている。こうやって、これからも彼らはベテラン社員たちや下請け業者を容赦なく切っていくんだな。そう思うとやるせない気持ちにもなったが、今の俺にはそれを訴える気力も残っていなかった。

俺は無言で一礼すると、そのまま引き継ぎ書を作成するためにフロアへと戻り、数日後には溜まっていた有給休暇の消化へと突入。そして長年勤めた会社を静かにやめた。

さて、俺はそれからあまり時間を開けず、金代の同業他社へと転職した。実は有給消化中に、俺は兄と開発した試作品を手に同業他社への就職活動を行っていたのである。

ちなみに兄は、俺が会社を首になったことや下請けを切られたことに対して、やはり怒るわけでもなく、ただただ俺のことを心配し、転職先へ向けて背中を押してくれた。そんな兄に報いるためにも、俺は就職先へのプレゼンに力を入れ、そのうちの一社がこちらの持ち込んだ試作品に興味を示してくれたのだった。

そして改めて転職先の上層部を前に社内プレゼンを行った結果、俺たちの開発した試作品はあれよあれよと言う間に商品化まで漕ぎ着けることとなった。結果、その商品は口コミで評判を呼び、大ヒットとなった。

俺と兄が開発したのは、耐熱性に優れたグローブだ。もちろん類似商品は昔から商品化されているのであるが、俺たちのそれは今までにない軽さと薄さ、そして何より使用者の視点に立った使いやすさが、業界内外の消費者にも受け入れられ、異例の大ヒットを記録したのである。

おかげでこのグローブの製造元である兄の会社は業績がうなぎ上りとなり、俺が転職した会社とも新たに契約を交わすこととなった。これでやっと兄に顔向けができると安堵しつつ、俺は新しい会社で開発部の課長を任され、伸び伸びと仕事へ励んでいた。

そして久しぶりにまとまって休みが取れたので、実家の工場へと顔を出すことにしたのだが……そこで俺は驚きの光景を目撃する。なんと作業着姿の兄に、あの金代社長と若月部長が頭を下げていたのである。

だが彼らは下げたその頭をすぐにあげ、居丈高にこう言った。

「ほら、社長の俺がこうしてわざわざ頭を下げているんだ。これで気が済んだろう」

「そうだぞ。ここまでされて、まさか断るだなんて言うんじゃないだろうな」

つまり金代社長たちは、兄の工場との再契約を願い出てきたのだろう。言わずもがな、あのグローブの販売権利獲得を目的としているに違いない。だが、あちらが願い出ている立場であるにも関わらず、その態度の大きさに兄も困惑しているようだった。

そのうち兄が俺の姿に気がつく。助けを求めるような兄の視線を受けて、たまらず割って入った俺に、金代社長たちは一瞬驚いた様子を見せたが、その直後には「いいカモが来た」とばかり勘に触る猫撫で声でこう言った。

「おお、望月君、いいところに来たね。今、君のお兄さんに再契約のお話をしているところだよ。それに君にもいい知らせがある。私は君をまたうちの会社で雇ってもいいと思ってるんだ」

この後に及んで、図々しくも上から目線なその言い草に、俺は早くも呆れてしまった。兄を見ると同じような顔をしていたため、俺はため息をこらえて彼らへ答えた。

「残念ですが、私はもう他の会社に就職していますし、兄もそちらの会社とは取引いたしません。というか、自らリストラした人間を呼び戻さないといけないほど、そちらは厳しい状況なんですかね」

あまりにも勝手な彼らの言に、さすがの俺も嫌味を添えずにはいられない。実は俺の退職後、彼らの会社金代が大きな損失を抱えるはめになったことは知っていた。同じ業界にいれば、自然と情報は入ってくるものだ。

金代社長はあれから某ファッションブランドと提携してコラボ商品を売り出したのである。だがその提携先のファッションブランドというのが問題で、商品発売後、粗悪な生地を高級品だと偽って販売していたことが内部告発で明るみとなり、随分騒がれたのだ。当然そんなブランドと組んでいた金代もその煽りを受け、コラボは大失敗に終わってしまったのだという。

また、これまで会社を支えていたベテラン社員、並びに兄の工場を始めとした下請け業者を次々と切ってしまったことがここに来て爆発し、金代は今日もおっつかっつで動けない状況だと、業界内ではもっぱらの噂であった。

ということで本来なら、彼らは兄相手にこんな態度で再契約を迫ることなどあり得ない立場なのであるが、しかしそれを当の本人たちは全く理解していないようである。

俺の嫌味が通じたのか、金代社長が苛立ったような顔を見せた。そして強気に彼は兄へ迫る。

「いいからうちと再契約を結べ。元を言えば、あのグローブだってまだうちの社員だったこの弟との共同開発なんだろう。それならうちの会社にも販売する権利はあるはずだ」

何を言っているんだ、この人は。俺は今度こそ呆れ返ってしまった。だが、あまりのことに言葉をなくしている俺の隣では、いつも優しい笑顔を浮かべている兄が、全くの無表情でじっと金代社長を見つめている。

ちなみに兄は元々強面なので、こういう顔をすると本当に怖く見える。の上の金代社長たちも、怯じ気づいたように視線をキョロキョロと彷徨わせていた。そんな相手をさらに追い込むようにして、兄が掠れるような低い声を出す。

「しつこいですよ、金代さん。それに、こんなゴミを作るなとあのグローブをゴミ箱に捨てたのは、あなた方じゃないですか? それもゴミを捨てるのと同じように、弟やうちの工場を切り捨てておいて」

決して声を荒げるわけでもなく、淡々とした声色ながら、兄の声は底冷えするほどに鋭く冷たく聞こえた。すっかり兄の迫力に飲まれてしまっているらしい金代社長たちは、蛇に睨まれたカエルのごとくその場で固まっている。

しかし、そんな彼らに構うことなく兄は続けた。

「それを今更再契約だの何だのと。いくら何でも虫が良すぎるってもんじゃないですか。私は商品や社員を大事にしない会社とは取引なんかしないと決めているんですよ」

兄がそう言って一歩彼らに近づくと、金代社長たちは「ひっ」という情けない声を出してさらに顔を青ざめさせる。

「ということで、金代さん」

また一歩、兄がずいっと彼らに迫った。そうして兄は無表情のまま、温度のない口調でダメ押しをする。

「ご理解いただけましたか?」

兄の迫力に圧倒されたのか、金代社長たちは慌ててコクコクと頷くと、取るものも取りあえず一目散にその場を去っていったのだった。

だが、一難去ってまた一難と言うべきか。その後しばらくして兄から連絡があった。金代社長たちが懲りずにまた再契約を求めにやってきたというのだ。まあ、それほどに金代の経営が危ないのだろうが、それにしてもしつこい。以前には俺が金代社長にしつこいと言われたのだが、それを軽く上回る、寒気がするほどの執念深さだ。

思わずうんざりとため息をついた俺に、電話口の兄はカラカラと笑い声をあげる。

「心配すんな。俺が今度こそきっぱり追い返したから。なんかあいつら、再契約を断ったら業界に手を回してどことも取引できなくしてやる、とか言ってたが、本当に自分たちの立場を分かっていないんだな」

呆れたようにしてそんなことを言う兄に、俺も釣られて笑ってしまった。本当にその通りだ。これだけ業績が悪化し、また離職者も相次いで、今にも倒れそうなほどガタガタになっている会社を抱えているというのに、未だに自分たちが業界内で権限を持っているという愚かな勘違いをしたままなのだ。

それでも万一のことを考えて、俺は兄に進言した。

「でも俺、近いうちに会社の法務に一度相談してみるよ。何かあってからじゃ遅いしさ」

そうして俺は会社を通じて弁護士を紹介してもらい、兄と共に金代社長を訴えることにしたのである。

果たしてこの件はマスコミに大きく報道されることとなった。金代社長の行為が独占禁止法の優越的地位の濫用に当たると騒がれたためだ。そしてこの騒動がとどめとなり、金代はとうとう倒産してしまう。結局訴訟は示談ということで決着したのだが、その示談金は金代社長が手元に残ったわずかな資産をどうにか払ったらしい。

一方、ようやく問題が解決した俺たちは、日々各々の仕事に励む傍ら、今も二人で新たな商品の開発に忙しんでいる。「消費者に寄り添った物作りを」というのが俺たちのモットーだ。商品を通じ、人々の生活を少しでもより良いものにするため、俺たちはこれからも二人協力し合いながら、業界を盛り上げていこうと心に誓うのだった。

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