「母さんは留守番してて。」その一言が、私の心を氷のように刺した。六十五歳の私、村上は、その夜、息子の裕介が突然訪ねてきて言った。「明日、温泉旅行に行くから。」嬉しくなって「私も準備しないと」と答えた私に、裕介は目も合わせずに続けた。「いや、母さんは留守番してて。お母さんと行くから。」実の母親は留守番、義理の母親は温泉旅行。しかも私の財布からクレジットカードを抜き取りながら「旅行の支払いに使う…

「母さんは留守番してて。」その一言が、私の心を氷のように刺した。六十五歳の私、村上は、その夜、息子の裕介が突然訪ねてきて言った。「明日、温泉旅行に行くから。」嬉しくなって「私も準備しないと」と答えた私に、裕介は目も合わせずに続けた。「いや、母さんは留守番してて。お母さんと行くから。」実の母親は留守番、義理の母親は温泉旅行。しかも私の財布からクレジットカードを抜き取りながら「旅行の支払いに使う...

「母さんは留守番してて。」

息子のその一言が、氷のように私の心に突き刺さった。私は村上、六十五歳。大手保険会社で三十五年間働き続けてきた。夫の高志と二人で息子の裕介を育て上げ、三年前には美佳という素敵な方と結婚してくれた。

その日の夜、裕介が突然訪ねてきて言った。

「明日、温泉旅行に行くから。」

私は嬉しくなって答えた。

「あら、家族で行くの?じゃあ私も準備しないと。」

でも裕介は目も合わせずに続けた。

「いや、母さんは留守番してて。お母さんと行くから。」

その言葉に、私の心臓が止まりそうになった。実の母親である私は留守番で、義理の母親とは温泉旅行。さらに裕介は私の財布から勝手にクレジットカードを抜き取りながら言った。

「旅行の支払いに使うから。どうせ母さん使わないでしょ。」

私が何か言おうとすると、裕介は面倒そうに言い放った。

「母さん、邪魔だから。」

その瞬間、私の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。三十五年間、愛情を注いで育てた息子が、私を完全にお荷物として見ている。その現実が、胸を締めつけるように苦しく迫ってきた。

この時はまだ、息子の非常識がここまで深刻だとは気づいていなかった。

私は三十五年間、保険会社で真面目に働き続けてきた。夫と共に、息子のために惜しみなく尽くしてきたのだ。裕介が結婚する時、結婚式の費用として三百万円を援助した。新居の頭金には五百万円。さらに毎月八万円の生活費援助を三年間続け、合計で二百八十八万円。全て合わせると、千八十八万円もの大金を息子夫婦に援助してきたことになる。

それだけではない。私は息子夫婦のために、自分名義のクレジットカードの家族カードを作って渡していた。「緊急時に使ってね」と言って託したカードだ。

一方の嫁である美佳の母親、前田みち子さんは地元の名士だった。元会社経営者で、社交的で華やかな方だ。裕介と美佳は、いつも義母を優先していた。週末は必ず義実家を訪問し、旅行も義母が優先。私のことは「忙しいから」と断られ続ける日々が続いた。

でも私は我慢していた。嫁の実家を大切にするのはいいことだと、自分に言い聞かせながら。

最近、通帳を確認して変なことに気づいた。クレジットカードの請求額が異常に高いのだ。先月は二十五万円、今月も三十万円。明細を見ると、高級レストラン、ブランド品、旅行代。これ全部、緊急なの? 薄々気づいていた。でも、見て見ぬふりをしていた私がいたのだ。

そして運命の日がやってきた。

息子が義母と温泉旅行に出かけた翌日、私の人生を変える出来事が次々と起こり始めた。

何気なくスマートフォンでSNSを開いた時、目に飛び込んできた投稿に言葉を失った。裕介の投稿にはこう書かれていた。

「お母さんと贅沢温泉旅行。高級旅館で最高の時間。露天風呂付き客室、最高。会席料理も絶品でした。」

そして「親孝行」というハッシュタグと共に、裕介、美佳、そして義母の笑顔が並ぶ写真が投稿されている。親孝行。私は留守番させられたのに、お母さんには親孝行。その言葉が胸に重く沈んでいった。

さらに投稿には大量のコメントがついていた。

「素敵。親孝行ですね。」
「三人で楽しそう。」

裕介は返信していた。

「いつもお世話になってるので。」

その時、携帯に通知が届いた。クレジットカードの利用通知だ。震える手で確認すると、そこには信じられない金額が並んでいた。十八万円、温泉旅館八万五千円、高級料亭四万二千円、高級呉服店での義母へのプレゼント。合計で三十万円以上。全て私のカードで、お母さんへの親孝行に使われていたのだ。

慌てて過去の明細を確認した。過去三ヶ月で合計百二十万円。全てお母さんとの外食や旅行、プレゼントだった。

私のお金で、私以外の親に尽くす。これ以上の侮辱があるだろうか。怒りと悲しみが胸の中で渦を巻いていく。

そういえば、思い当たることが山ほどあった。私の六十五歳の誕生日。裕介からはスタンプだけのLINEが届いただけ。プレゼントも訪問もなかった。ところが一ヶ月後の義母の誕生日には、裕介と美佳は高級レストランを予約し、高級ブランドのストールをプレゼント。SNSには写真が何枚も投稿されていた。

孫の運動会では、義母が前列の特等席に座り、私は後方で立っていた。裕介は「母さん、立ってても見えるでしょ」と言った。正月も義実家で過ごすと言われ、私は夫と二人で年越しをした。「母さんは僕たちがいなくても大丈夫でしょ。お母さんは寂しがるから」という言葉と共に。

母の日も同じだ。私には夜遅くにスタンプだけのLINE。でも同じ日のSNSには「お母さんに感謝を込めて高級ディナー。母の日は特別な日ですね」という投稿があった。

私は髪を振り乱して裕介に電話をかけた。

「裕介、カードの明細見たんだけど。」

裕介は面倒そうに答えた。

「あ、それ使わせてもらったよ。」

「三十万円以上も。しかも全部お母さんとの。何が悪いの? 母さんのカードの限度額が余るんだから、使わなきゃもったいないだろ。」

その言葉に息が詰まりそうになった。

「でも緊急事用って。お母さんへの親孝行は緊急だよ。いつもよくしてもらってるんだから。」

「私にも親孝行して欲しいんだけど。」

裕介はイライラした声で言い放った。

「また始まった。母さんは元気でしょ? お母さんは体も弱いし、気を使わないといけないんだよ。私だって一人で大丈夫だろう。自立してるんだから。」

「自立してるから放っておいていいの?」

「そうじゃなくてもういい。この話を終わり。」

裕介は一方的に電話を切った。

数日後、偶然スーパーでみち子さんに遭遇した。

「村上さん、先日の温泉旅行、本当に素晴らしかったわ。」

みち子さんは得意げに話し続ける。

「露天風呂付き特別室、高級会席も美味しくて。それに裕介君、私に呉服まで買ってくれたの。十五万円もする訪問着よ。」

私は必死に笑顔を作った。

「それに比べて」とみち子さんは続けた。

「裕介君、本当にいい子に育ったわね。私たち、本当の親子みたいでしょう。」

その瞬間、みち子さんの携帯が鳴った。裕介からだ。

「もしもし。え、今日? もちろん行くわ。あら、村上さん? え、ばったり会ったところよ。じゃあまた後でね。」

電話を切ったみち子さんは言った。

「裕介君がまた食事に誘ってくれたの。今度は寿司屋ですって。」

立ち去るみち子さんの後ろ姿を見つめながら、私の中で何かが完全に壊れていくのを感じた。私は息子にとって、お金を出すだけのATM、そしてお母さんへの親孝行の資金。

許せない。絶対に許せない。その思いが心の奥底から湧き上がってくる。その夜、私は決意した。もう二度と、息子夫婦の都合のいいATMにはならない。私には私の人生があるのだから。

しかし翌週末、さらなる裏切りが私を待っていた。携帯に次々とクレジットカードの利用通知が届く。十五万円、高級ホテル。八万円、フレンチレストラン。三万五千円、ブランドショップ。先週温泉に行ったばかりなのに。

裕介のSNSを確認すると、そこには信じられない投稿があった。「お母さんと優雅なディナー。特別な時間を共有できて幸せです。」高級レストランで笑顔を見せる裕介、美佳、そして義母の写真。私は一度も誘われたことがないのに、週に二回もお母さんと。しかも全て私のカードで。

その夜、私は夫の高志に全てを打ち明けた。

「高志さん、見てこれ。」

携帯を見せると、高志の顔が歪んだ。

「これはひどい。裕介は一体何を考えてるんだ。三ヶ月で百二十万円以上。全部お母さんとの食事や旅行、プレゼント。私たちの援助金も、私のカードも、全てお母さんへの親孝行に使われてた。」

高志は静かに、しかし強い口調で言った。

「もうこれは我慢の限界を超えてる。息子として、人間としてありえない。」

「でも、私たちの息子なのよ。」

「息子だからこそだ。このまま甘やかし続けたら、裕介は人として終わる。ここで毅然とした態度を取らないと、息子はもっとひどいことをするぞ。」

涙がこぼれそうになりながら、私は答えた。

「そうよね。もう限界。私だって人間なのよ。」

高志は私の手を握った。

「俺も全面的に協力する。息子には自分のしたことの重大さを思い知らせるべきだ。」

「分かったわ。もう二度と、都合のいいATMにはならない。」

翌日、事態はさらに悪化した。裕介から電話がかかってきたのだ。

「母さん、ちょっと頼みがあるんだけど。」

嫌な予感がする。

「何?」

「来月、お母さんの誕生日なんだ。それで家族で豪華な誕生日パーティーを開くから、五十万円くらい援助してくれない?」

私は絶句した。

「五十万円?」

「そう。高級レストラン貸し切って、プレゼントも豪華にしたいんだ。お母さん、いつも俺たちによくしてくれるからさ。」

心臓が痛むほど胸が苦しくなった。

「裕介、私の誕生日の時は?」

「え、母さんの誕生日? LINEしたじゃん。」

「スタンプ一個だけよ。」

裕介は面倒そうに答えた。

「だって母さん、物をあげても喜ばないでしょ。お母さんは喜んでくれるから、張り合いがあるんだよ。」

張り合い。その言葉に、私の中で何かが音を立てて崩れていく。

「母さんは何言っても反応薄いし、何してもリアクション薄いじゃん。まあ、正直。」

言葉が出てこない。三十五年間働いて、一千万円以上援助して、それでも息子は私をつまらないという。

「それに母さん、六十五歳で働いてるし、お金も余裕あるでしょ。だったら俺たちに使わせてくれてもいいじゃん。親なんだから。」

「親だから?」

「そうだよ。親が子供を援助するのは当然だろ。それに母さん、俺を育てたんだから、今度は俺の親を支援するのが役目じゃないの?」

その言葉を聞いた瞬間、私の声が震えた。

「裕介、あなた、何を言っているの?」

裕介は無神経に続けた。

「だからさ、お母さんへの親孝行を母さんが支援するのが、母さんの役割ってこと。五十万円、いつ振り込める?」

怒りで声が出なくなった。私は息子にとって、義母への親孝行を支援するための道具でしかない。

「母さん、聞いてる? あと今度、お母さんと海外旅行も考えてるから、その時もよろしくね。百万円くらいかな。」

「海外旅行? 百万円?」

私は冷たく低い声で答えた。

「分かったわ。」

「お、マジ? さすが母さん。じゃあ五十万円、明日までによろしく。」

裕介は嬉しそうに電話を切った。

携帯を置き、私は静かに立ち上がった。この瞬間、私の中の母親が死んだ。そして、復讐者が生まれたのだ。

裕介、あなたは決定的な間違いを犯した。今から私が見せるのは、本当のATMが止まった時の恐怖だ。

その夜、私は夫と共に完璧な計画を練り上げた。息子が私に求めた五十万円。それは決して振り込まれることはない。なぜなら明日の朝、息子夫婦の人生を支えていた全ての命綱が、音もなく切れることになるのだから。

高志は私の手に手を置いて言った。

「本当にいいんだな。」

私は静かに、しかし強い意思を込めて答えた。

「彼が選んだのよ。私をATMとして、義母の親孝行の資金として。私だって人間に尊厳がある。もう二度と都合のいい道具にはならないわ。」

「分かった。俺も組の決断を支持する。息子には自分のしたことの重さを知るべきだ。」

「ありがとう、高志さん。これで私たちの第二の人生が始まるのよ。」

二人で静かに微笑み合った。この時の裕介は何も知らずに、翌日の義母とのランチを計画していた。彼がATMから現金を引き出そうとするのは、わずか十二時間後。そして彼の人生が完全に崩壊し始めるまで、もうカウントダウンが始まっていたのだ。

窓の外には静かな夜が広がっている。でも私の心の中では、新しい人生への扉が今まさに開こうとしていた。

翌朝、私は誰よりも早く目を覚ました。銀行が開く時間を待ちながら、完璧な準備を整えていく。午前九時ちょうど、私は地方銀行の前に立っていた。開店と同時に店内に入り、窓口へ向かう。

「村上様、おはようございます。」

担当の方が笑顔で迎えてくれた。

「おはようございます。今日は、お願いしたいことが三つあります。」

私の凛とした態度に、担当の方は少し驚いた様子を見せた。

「はい、承ります。」

「まず、息子の裕介への毎月の自動振り込み八万円。これを本日付けで即時停止してください。」

担当の方は目を見開いた。

「え、毎月の援助ですか。何か問題が?」

私は静かに、しかしはっきりと答えた。

「彼がもう大人だと自分で言いましたので。大人なら自分の生活は自分でできますよね。」

「承知いたしました。」

「次に、私がかつて保証人になっていた裕介の住宅ローン。保証人から外してください。」

担当の方はさらに驚きの表情を見せた。

「保証人の解除ですか? それはご本人の同意と、新たな保証人が必要になりますが。」

「それは息子の問題です。私は関係ありません。銀行から息子に連絡して、対応させてください。」

担当の方は少し戸惑いながらも頷いた。

「分かりました。では正式な手続きを。」

「最後に、私の預金口座から新しい口座への資金移動をお願いします。息子夫婦には、新しい口座番号は絶対に教えないでください。」

担当の方は事の重大さを理解したようだ。

「承知いたしました。全ての手続き、本日中に完了させます。」

「お願いします。これで私の人生を取り戻します。」

銀行を出ると、私はすぐにクレジットカード会社に電話をかけた。

「クレジットカードの件でご連絡しました。私のカードが不正利用されています。」

電話の向こうでオペレーターの方が驚いた声を上げた。

「不正利用ですか? すぐに調査を。」

「家族カードとして息子に渡していたのですが、私の許可なく利用が続いています。本日付けで全カードの利用停止と解約をお願いします。」

「承知いたしました。即時停止の手続きを取らせていただきます。カードは現在使用できない状態になります。」

「ありがとうございます。過去三ヶ月の不正利用、約百二十万円については、後日相談させてください。」

「はい。詐欺罪として、警察への届け出も視野に入れられてはいかがでしょうか?」

その言葉に私は少し考えた。

「それも検討します。」

電話を切った後、私は静かに微笑んだ。さあ、これで第一段階は完了。次は保険会社ね。

保険会社の窓口で、私は生命保険の受け取り人変更を申し出た。

「村上様、受け取り人の変更ですか?」

「はい。現在は息子の裕介が受け取り人ですが、夫の高志に変更したいのです。」

担当の方が手続きを進めながら尋ねた。

「差し支えなければ、理由を。」

私は静かに答えた。

「息子が『親は当然子供を援助するもの』と言いました。ならば保険金も、当然受け取る資格はないでしょう。」

担当の方は言葉を失った。これは八百万円の保険金だ。息子には一円も渡さない。

「承知いたしました。」

全ての手続きを終えて帰宅すると、夫の高志が待っていた。

「全部、手続き完了したのか?」

「ええ。毎月八万円の振り込み停止。住宅ローン保証人解除通知。クレジットカード全券解約。生命保険受け取り人変更。新口座開設。完璧よ。」

高志は少し心配そうに尋ねた。

「本当にいいのか? これをすると、裕介の生活は。」

私は静かに、しかし強い意思を込めて答えた。

「彼が選んだのよ。私をATMとして、義母の親孝行の資金として。私だって人間に尊厳がある。もう二度と都合のいい道具にはならないわ。」

高志は力強く頷いた。

「分かった。俺も組の決断を支持する。息子には自分のしたことの重さを知るべきだ。」

「ありがとう、高志さん。これで私たちの第二の人生が始まるのよ。」

二人で静かに微笑み合った。この時の裕介は、何も知らずに義母とのランチを楽しんでいた。彼がATMから現金を引き出そうとするのは、わずか一時間後。そして彼の人生が完全に崩壊し始めるまで、もうカウントダウンが始まっていたのだ。

私は窓の外を見つめながら、深く息を吸い込んだ。長い間私を縛りつけていた重い鎖が、一つまた一つと外れていく。その解放感が胸いっぱいに広がっていく。

もうすぐ息子は全てを失う。でもそれは私のせいではない。彼が自分で選んだ道の、当然の結末なのだ。

夜が静かに更けていく。でも私の心は、驚くほど穏やかだった。

そして、運命の瞬間が訪れた。

裕介は義母のみち子さん、そして妻の美佳と共に、高級レストランでランチを楽しんでいた。会計の時、裕介は自信満々にクレジットカードを差し出す。しかし店員から返ってきた言葉は、裕介の予想を裏切るものだった。

「申し訳ございません。こちらのカードはご利用いただけません。」

「え、そんなはずない。もう一度お願いします。」

何度しても結果は同じ。裕介の顔から血の気が引いていく。

「じゃあ現金で。ちょっとATMで下ろしてきます。」

裕介は慌ててATMに駆け込んだ。しかしATMの画面には、冷たい文字が表示されるだけだった。

「このカードはご利用できません。」

別のカードを試しても、全て同じ結果。裕介の手が震え始める。

みち子さんがイライラした声で言った。

「裕介さん、どうしたの? 早くしてちょうだい。恥ずかしいわ。」

「ち、ちょっと待ってください。カードが使えなくて。」

「まあ、この私を待たせるなんて。一体どういう管理してるの?」

美佳も焦った声で言った。

「裕介、早くどうにかして。」

裕介は携帯で銀行アプリを確認した。そこに表示された残高は、わずか五百二十三円。

「なんでだ。」

慌てて私に電話をかけるが、私は出ない。プルルプルルと、呼び出し音だけが虚しく響く。

店員の方が困惑した様子で尋ねた。

「お客様、他の方にご連絡されますか?」

裕介は汗を拭きながら、義父に電話をかけた。

「お父さん、急で申し訳ないんですが、八万円ほど。」

しかし義父は厳しい声で答えた。

「裕介君は毎月、お母さんから八万円も援助してもらってるんだろう。なぜ足りないんだ?」

「それが、カードも使えなくて。」

「カードが使えない? 限度額オーバーか。いくら使ったんだ?」

「それが、今忙しいので。」

「自分で何とかしなさい。」

電話を切られた。みち子さんの怒りは頂点に達している。

「裕介さん、まだなの? この私に恥をかかせるつもり?」

美佳は泣きそうな声で言った。

「お母さん、ごめんなさい。」

結局、裕介はプライドを捨てて店長に頭を下げ、後日振り込みという形でなんとか支払いを約束した。身分証のコピーを取られ、完全に恥をかいた。

店を出ると、みち子さんは激怒して言い放った。

「裕介さん、あなた、一体どういうつもり? この私にこんな恥をかかせて。」

「す、すみません。すぐに母に連絡して。」

「もういいわ。今日は最悪だった。タクシーで帰るから。」

みち子さんは怒りながら立ち去っていった。

帰宅した裕介を待っていたのは、銀行からの封書だった。開封すると、そこには衝撃的な内容が綴られている。

「住宅ローン保証人変更に関する重要なお知らせ。村上様より保証人解除の申し出がございました。つきましては、新たな保証人を立てていただくか、ローンの再審査を受けていただく必要がございます。」

裕介の手から書類が落ちそうになる。

「保証人解除?」

美佳が書類を見て叫んだ。

「え、お母さんが保証人だったの?」

「そうだよ。銀行の審査を通すのに必要だったから。」

「保証人がいなくなったら、ローン組み直し。最悪、家を。」

「そんな。この家、まだ三年しか住んでないのよ。二千八百万円のローン、まだ二千五百万円以上残ってるのに。」

裕介は携帯を取り出し、何度も私に電話をかける。しかし私は出ない。

携帯に銀行からも電話がかかってきた。

「村上裕介様ですか? 住宅ローンの件で。」

「あ、はい。」

「保証人の変更について、ご相談が。」

「ち、ちょっと待ってください。これ、母が勝手に。」

「ご本人様からの正式な申し出です。新たな保証人を立てるか、ご自身の収入で再審査を受けていただく必要がございます。」

「俺の収入だけじゃ審査通らないって、最初に言われたから母を保証人に。」

「そうでございますか。では、新たな保証人の選定を急いでいただけますでしょうか。」

電話を切った裕介は、その場に崩れ落ちた。

「終わった。」

翌日、会社でも事態は悪化した。上司に呼び出された裕介は、さらなる衝撃を受けることになる。

「野村君、ちょっといいか?」

「は、はい。」

「君のお母さんから人事部に連絡があってね。君が親の援助を当然の権利だと思っていると。しかも親に無断でクレジットカードを使いまくっていたと。」

裕介は言葉を失った。

「さらに、君が社内で『うちの親は金を出してればいい』という趣旨の発言をしていたという証言もある。複数の同僚から人事に垂れ込みがあった。」

「ち、違います。そんなつもりじゃ。」

「野村君。我が社は『家族を大切にする』という企業理念を掲げている。親を金づるとしか思っていない社員は、正直会社の評判に関わる。出世コースからは外れると思ってくれ。今期の昇進は見送りだ。」

会社からの帰り道、知人に会った裕介は、さらに心ない言葉をかけられる。

「野村さん、SNS見ましたよ。お母さん思いで素晴らしいですね。ええ、義理のお母さんへの親孝行。僕も見習わないと。でも、実のお母さんはどうしてるんですか?」

裕介の顔が引きつった。

その夜、義母のみち子さんから電話がかかってきた。声は冷たく厳しいものだった。

「裕介さん、昨日の件だけど。お母さん、本当に申し訳ないと思ってるわ。」

「いえ、こちらこそ。」

「聞いたわよ。あなた、実の母親から援助を受けていたのに、私への支払いに使っていたんですって。」

「え、誰から?」

「村上さんから直接電話があったの。『息子が私のお金であなたに親孝行してると思いますが、もうそれも終わりです』って。」

「母さんが。」

「裕介さん、私は自分のお金で親孝行してもらいたいの。人様のお金で親孝行ごっこされても、ちっとも嬉しくないわ。むしろ恥ずかしいわ。それに、実のお母様を差別して私ばかり優遇するなんて。そんな人間性の男だとは思わなかった。がっかりよ。しばらく、距離を置きましょう。」

電話は一方的に切られた。

美佳は荷物をまとめながら言った。

「裕介、私、実家に帰る。」

「美佳、待ってくれ。」

「お母さんにあんな恥をかかせて。しかもお母さんのお金で支払っていたなんて。私、恥ずかしくて顔も上げられない。」

「俺が悪かった。謝るから。」

「謝るのは私じゃない。お母さんよ。あなたの本当のお母さんに。」

美佳は家を出ていった。一人残された裕介は、呆然と立ち尽くす。

その夜、裕介の携帯が鳴り続けた。五十回目の着信。私はようやく電話に出た。

「もしもし。」

「母さん、なんでカード止めたんだよ。なんで保証人外したんだよ。」

裕介の声は悲痛だった。

「あら、裕介。どうしたの?」

私は冷静に答えた。

「どうしたのって? 俺の生活がめちゃくちゃだよ。」

「まあ、大人なんでしょう。自分でなんとかできるんじゃないの?」

「母さん、冗談じゃないよ。家のローンどうすんだよ。」

「知らないわよ。他人の家のローンなんて。」

「他人って。俺は母さんの息子だろ。」

私は静かに、しかし冷たく答えた。

「母さんは留守番してろって言ったわよね。お母さんへの親孝行を支援するのが母さんの役目って言ったわよね。母さんは一人で大丈夫? 自立してるからって言ったわよね。」

裕介は言葉に詰まった。

「お望み通りにしてあげただけよ。私は一人で大丈夫。自立してるから。だからあなたも、自立してちょうだい。」

「母さん、頼むよ。頼む。」

「私に頼むの? 親が子供を援助するのは当然じゃなかったの? ATMに頭を下げるの?」

「そんなっ。」

「あなたは私に何と言ったか覚えてる? 『母さんは何してもリアクション薄い。つまんない。張り合いがない』って。」

「あれは言いすぎた。そう言いすぎた。」

「言いすぎたのね。でも私の心に深く刺さったの。三十五年間働いて、一千万円以上援助して。それでも、つまらない。張り合いがないって。」

「ごめん。本当にごめん。」

「謝って済む問題じゃないのよ。あなたは私を人間として見ていなかった。ただのATM、ただの資金。」

「そんなつもりじゃ。」

私は静かに、しかし冷徹に告げた。

「裕介、私にも人生があるの。尊厳があるの。あなたが私から奪った時間、お金、そして尊厳。それは二度と戻ってこない。だから私も決めたの。もう二度と、あなたの都合のいいATMにはならないって。」

「母さん、お願いだ。もう一度だけチャンスを。」

「チャンスはあげたわよ。何年間も。でもあなたは私を裏切った。さようなら、裕介。大人なんだから、自分の人生は自分でなんとかしてちょうだい。」

私は電話を切った。

あれから三ヶ月が経った。私たち夫婦の生活は、驚くほど穏やかで充実している。

朝のリビングで、私は夫の高志と優雅な朝食を楽しんでいる。

「高志さん、今日は何が食べたい?」

「そうだな。パンケーキなんてどうだ?」

「いいわね。じゃあ私が。」

高志は新聞を読みながら言った。

「本当に楽しそうだな。」

「ええ。毎月八万円の仕送りがなくなって、年間九十六万円も自由に使えるようになったの。それに息子の顔色を伺う必要もない。クレカの請求にビクビクすることもない。こんなに気楽な生活があったなんて。」

「俺も嬉しいよ。組の笑顔が見られることが。」

「ありがとう、高志さん。あなたが支えてくれたから、この決断ができたのよ。」

私は新しい趣味も始めた。絵画教室に通い始めたのだ。三十五年間働いてきてやりたかったけど、時間がなかったこと。それを今、存分に楽しんでいる。

「村上さん、上手になりましたね。」

講師の方が褒めてくれた。

「ありがとうございます。夢中になれることがあるって、素晴らしいですね。」

友人たちも言う。

「村上さん、生き生きしてるわよね。本当に前より輝いて見えるわ。」

「そうかしら。でも確かに、心が軽くなったの。」

「息子さんとは?」

私は穏やかに答えた。

「連絡は取っていません。でも、それでいいんです。私には私の人生があるんですから。」

夜、私は日記を書いている。私の経験を振り返って、今思うことがある。

理不尽には屈してはいけない。親だからと言って、子供の理不尽な要求に答え続ける必要はない。私たち親にも人生があり、尊厳がある。援助と愛情は別物だ。お金を出すことが愛情ではない。子供が親をATMとしか見ないなら、それは関係を見直す時だ。

自分を大切にする勇気。三十五年間、家族のために生きてきた。でも、自分を犠牲にし続けることは美徳ではなかった。自分を大切にすることで、初めて本当の幸せを感じられたのだ。

因果は必ず実現する。息子は今、自分のしたことの報いを受けている。人を軽視し、利用したものには、必ず相応の結果が訪れるのだ。

夕暮れ時、私は夫と共にベランダに立ち、夕日を眺めている。

「寂しくはないか?」

高志が優しく尋ねる。

「全くないわ。むしろ、もっと早く決断すればよかったと思うくらい。」

「そうか。」

三十五年間、家族のために尽くしてきた。でも、それで得たものは「つまらない」「張り合いがない」という言葉だった。

今は違う。私は私のために生きている。そして、あなたと二人で幸せな時間を過ごしている。

「俺も嬉しいよ。組の笑顔が見られることが。」

「ありがとう、高志さん。」

夕日が二人を優しく照らしている。

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