「いてえ、足が折れたぞ。慰謝料一千万払えよ、小娘。」
電車が急ブレーキをかけて、私はよろめいた拍子に、見るからに柄の悪そうな酔っ払いの足を踏んでしまった。すると、とんでもない額の慰謝料を請求されてしまったのだ。
私は白田綾野、十八歳の高校三年生。どうやら私は甘やかされて育ったらしく、今まで親からもらうお小遣いだけで特に不自由なく暮らしていた。ところが最近になって、自分の遊ぶ金くらい自分で稼げと言われ、お小遣いを減らされてしまった。卒業後の進路を進学ではなく就職にしようと伝えたからだろう。社会経験の少なさを心配した親が、不安を覚えたのかもしれない。
実際に働いてみると、私は自分の世間知らずさを身にしみて知ることになった。学びは多いけれど、やっぱりミスが多くて叱られるのは悲しいし辛い。だから、できるだけ短い時間で働けて給料のいいバイトを選びがちになり、家から遠くても無理をして通うようになっていた。
ある日のバイト帰り、電車に乗っていると、途中の駅から四人の酔っ払いが乗り込んできて、すぐ近くに立った。だいぶ酔っているらしく、声も大きくて騒がしい。
「すげえっすよ。あんな大当たり、御馳走っすよ」
「この金組に従属しないで、バーッと使っちまいましょうぜ」
どうやらこの酔っ払いたちはヤクザらしい。大森組長がどうとか聞こえてくるので、大森組という組があるのだろう。声をかけられたり面倒なことになると嫌だったので、少し離れようと移動しかけた、その瞬間だった。電車が急ブレーキをかけたのだ。
「いてえ」
ふらついた私は、酔っ払いの一人の足を踏んでしまった。
「あ、すみません」
私はすぐに謝った。
「いてえ、こりゃ骨が折れてるな」
「大丈夫かよ?」
「こりゃ酷え。どう見ても折れてるわ」
かかとの方を軽く踏んだだけなのに、柄の悪い男たちは集団で私を取り囲んで、いちゃもんをつけてくる。私が履いているのはピンヒールでもなく、スニーカーだ。それで骨が折れるなんて絶対にないだろうと思ったけれど、一応踏んだ側なので、そんなことは言えずに謝り続けるしかなかった。
「さっきから痛えって言ってんだろうが。ふざけんなよ」
大きな声を出されて、私は恐怖で声が出なくなってしまった。
「こら、電車の中では静かにしろ」
車掌さんらしき人が注意してくれて、私はほっとした。怖かったけれど、助けてくれる人がいてよかった。
「骨が折れてんなら大事だ。こりゃ外でゆっくり話し合う必要があるだろう」
「そうだそうだ。姉ちゃん、加害者なんだから責任取ってもらわないとな。次の駅で降りな」
そう言われて間もなく、電車は私の知らない駅に着いた。腕を男たちに掴まれ、私は逆らうこともできずに電車を降ろされてしまう。電車の中はそれなりに混んでいたのに、助けてくれる人は誰もいなかった。彼らの会話から、大森組の組員だと分かっていたからだろう。ヤクザと知っていて関わりに来る人なんていない。悲しいけれど、仕方がなかった。
降りた駅は小さな駅で、駅員もほとんどいない。数少ない駅員はタイミング悪く別の客の対応をしていて、こちらには気づかない。「足の骨が折れた」と騒いでいた安と呼ばれている男は、最初こそ足を引きずっていたが、ちょいちょい忘れてしまうのか、普通に歩いていることもあった。明らかに嘘だと分かっているけれど、四人も相手では逃げ出すこともできない。私は囲まれたまま、ずっと恐怖を抱えていた。
駅を出た先の空き地で、「話し合い」とやらが始まった。
「さて、姉ちゃん。こいつの足の怪我は、姉ちゃんがやったんだよな?」
私は足の骨が折れているという主張には全く納得できなかったけれど、足を踏んでしまったことは事実だし、もう早くこの状況から抜け出したい一心で、「足を踏んでごめんなさい」と言った。
「そうか。じゃあ責任と慰謝料を払ってもらおうか。認めるなら話は早い」
兄貴と呼ばれている男が言う。
「慰謝料?」
「そうだそうだ。足が折れてんだよ。慰謝料一千万払えよ、小娘」
「え、一千万?」
あまりの金額に、私は頭が真っ白になってしまった。どこをどう見たら、こんな小娘に一千万円も支払えると思えるのだろう。
「あの、まずは病院に行きませんか? ちゃんと治療費を計算してもらって、保険とかあるかもしれないし。あと、警察とか。私が加害者って言うなら、警察に話した方がいいのでは?」
私はこのとんでもない金額をどうにか妥当な額に減らせないか、必死に頭を巡らせて提案してみた。しかし当然のように、病院や警察の案は無視された。この人たちに道理は通じないようだ。
「ああ痛え痛え。足が折れてんだよ。歩けねえと仕事もできねえ。営業妨害ってやつだな。こういうの、何て言うんだっけ?」
「損害賠償すかね」
「治療費と損害賠償と精神的苦痛を諸々合わせたら、そのくらいになるわな」
「そんなわけないじゃないですか!」
「まあ、ないなら仕方ねえ。貸してくれるところを紹介してやるよ。俺の知り合いの金融業者なら、学生だって一千万ポイと貸してくれるぜ。その代わり、返すのが大変だけどな」
四人がどっと笑う。
「違いねえ。姉ちゃん、せいぜい頑張りな。その金融業者がいい働き口を紹介してくれっから。絶対ロクでもない働き口なんだろうな」
私は嫌すぎて、涙が滲んできた。
「泣けばいいってもんじゃねえぞ」
「おい、声出すなよ、安」
「じゃあ親にでも泣きつくか?」
こんなめちゃくちゃな相手では、私一人では到底対処できない。申し訳ないけれど、祖父に頼ることに決めた。高校が自宅から随分離れていたため、今は高校に近い祖父の家にお世話になっている。私はこういうトラブルなら両親よりも祖父の方が頼りになると思っていたし、迷わず祖父に電話をかけることにした。
「分かりました。祖父に相談してみます」
逃げられないように四人に取り囲まれたままで嫌だったけれど、私はその場で電話をかけた。
「もしもし」
「おじいちゃん、どうした? 綾野、いつもならもう帰ってきている時間だぞ。何かあったのか」
すでに心配をかけていたようだ。もう少ししたら、両親にも連絡がいってしまうところだった。私は祖父に今の状況と場所を伝えると、「すぐ行く」とだけ言って通話は切れた。
それからどれくらい経っただろう。黒光りする高級車が、寂れた駅前の空き地の前に急停車した。運転手が出てきて後部座席のドアを開けると、スーツ姿の白髪の老人が現れた。おじいちゃんだ。
「おじいちゃん!」
私が駆け寄ろうとすると、兄貴に腕を掴まれる。
「おい、綾野に触るな。孫を返してもらおうか」
祖父の静かだが低くよく通る声が響く。
「あんたが金を払ってくれるんだろうな?」
「もちろん」
祖父はそう言うと、兄貴の手を振り払い、私を引き寄せた。私はそのまま祖父の背中に隠れるようにした。
「一分も待たされた。一千万円追加で、全部で二千万円だ」
祖父の身なりや運転手付きの高級車を見て、金がありそうだと思ったのか、無理やりな理屈で増額してくる。一分で一千万なんて、ひどすぎる。さすがに祖父も怒ってしまうのではないかと、そっと表情を盗み見たけれど、特に怒ったり驚いたりする様子もなく、落ち着いていた。
「よかろう。可愛い孫のためだ」
すんなり承諾する祖父に、ヤクザたちは色めき立った。
「その代わり、こんな時間じゃ銀行もやっていないから、明日にしてくれ。住所はここだ。明日の十時にここへ来い。準備して待っている」
祖父が名刺を渡す。喜びを隠せない四人の男たちを無視して、祖父は私を車に押し込み、そのまま発車させた。
「ごめんなさい」
祖父が来てくれてほっとしたのか、涙は出てくるし、体の震えも止まらない。自分の不注意で祖父が二千万円も支払うことになったことが申し訳なくて、私はずっと唇を噛んでいた。祖父はそんな私の様子を気遣うように、「大丈夫だからな」と、家に着くまでずっと背中をさすってくれていた。
そして翌日、時間通りに、昨日の大森組の四人が名刺の住所の場所へやってきた。想像以上に立派な門構えに、四人は「いい金蔓を捕まえたな」と喜んでいた。
門をくぐった先には広大な日本庭園が広がり、奥に立派な屋敷が見えた。すると、庭の至るところにいた黒服の男たちが一斉に足を広げ、腰を落とし、「お待ちしておりました」といった具合に、いかにもヤクザな挨拶をした。
業界の、しかもだいぶ格上の雰囲気を察した四人は、後ずさって逃げようとしたが、先ほどくぐった門はしっかりと閉められ、黒服の男たちがずらりと並んで門への道を塞いでいた。四人は顔を見合わせ、前に進むしかないのだと察した。
そのまま進むと大きな屋敷の玄関に辿り着き、表には「白田」の文字。
「白田って……あの白田すかね」
さすがに同業者のことは知っているらしい。白田組といえば、大森組と比べても規模も格も桁違いの上の組ではないか。四人は脂汗を流し始めた。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
玄関で出迎えてくれた幹部の案内で、屋敷の奥へどんどん連れていかれる。準和風の立派な木造建築で、きっと立派な掛け軸や床の間のある座敷へ連れて行かれるだろうと思っていたが、階段を降りた先の地下フロアは、和風建築とは似つかわしくない冷たいコンクリート打ちっぱなしだった。扉を開けたその先は、さらに無機質な、薄暗いだけの空間だった。
「こちらでお待ちください」
何も言わずに、椅子の一つもない居心地の悪い空間でどうしたらいいのか。戸惑っているうちに、質問をする余地もなく、幹部は外に出て扉を閉め、鍵をかけた。
「ああ、兄貴、鍵をかけられたじゃないですか」
「なんだってんだよ」
四人は慌てて鉄扉を開けようとしたが、びくともしない。不審に思う四人だったが、急に次郎がハッとする。
「あ、兄貴、俺、白田の地下室の噂、聞いたことあります」
次郎が震え出し、青ざめた顔で言った。
「どういうことだ?」
「伝説みたいなもんだと思って忘れてたんすけど……でも確か、白田の地下室にぶち込まれたら、生きて帰っては来られないって」
「ああ、マジかよ」
「どういうことだ? まさか毒ガスとか出てくるとか?」
「水攻めとか?」
「天井が下がってきて潰されるとか?」
「バカ、おかしなこと言ってんじゃねえよ。そんなわけあるかよ」
窓もない閉鎖空間が恐怖心を煽るのか、四人は根拠もないことに勝手に不安になっていく。毒ガスや水が出てくる穴がないか必死に探し回り、ドアを何とか開けようと体当たりを繰り返したりして、部屋の中はパニックになっていった。
この様子を、私はモニターでこっそり見ていた。どうして何もない部屋に入れられただけなのに、こんなに慌てているのかな。祖父がしていることがよく分からなかった。
「王嬢、何もしないからこそ怖いというものもあるんですよ」
幹部が言うには、白田組の地下室はヤクザ界隈では有名で、十分に恐怖の対象になるらしい。ただ閉じ込められただけなのに、罠の存在を警戒したり、命の危機を勝手に感じて、必死に脱出を試み続けるのだそうだ。勝手に恐怖を感じて、精神が消耗していくということだろうか。それが噂となって広まって、どんどん都市伝説のようになっている。祖父はそれを利用して、また噂が広まるみたいな、悪循環ができているようだ。
「そもそも、この地下室って何のための部屋なの?」
「そうか。なんならシェルターでも作るかと思って開けておいたんだが、今のところまだ何もできてないだけだ」
「ああ、そういうんだ」
これまで白田の地下室で苦しめられた人がちょっと可哀想になってきた。
「さて、そろそろ白田組の組長として、挨拶してくるかな。あとは儂に任せて、綾野は自分の部屋に戻っていなさい」
「はい」
祖父は仕事の時の姿を見せたがらないので、私は素直に部屋に引き下がった。そして祖父は幹部と組員を連れて、地下室へと向かっていった。
地下室に閉じ込められてから三十分ほど経っていたが、大森組の男たちはぐったりとして座り込んでいた。鉄扉が開く音がして、四人はハッと顔を上げると、ドアの方へすっ飛んでいった。
「待たせたね」
何食わぬ顔で登場した白田組の組長に対し、男たちはすがりつく勢いで懇願した。
「ここから出してください! もう帰らせてくださいよ!」
「おい! 次郎、ここまで来て手ぶらで帰るつもりかよ!」
「おい、あんた、昨日約束しただろうが! 早く約束の金を払ってくれよ!」
安の言葉に、白田組の組長は鼻で笑った。
「約束? そんなの守るヤクザがいるのか。お前もヤクザの端くれだろうが。そもそも言いがかりの脅しの金だってのに、道理で払いに行くと思うか?」
「じゃあ、なんで取りに来いだなんて言ったんだよ!」
「昨日、白田組に盾突くのかとかなんとか言って追い払ったら済んだ話じゃねえか。可愛い孫が怖い思いをさせられたんでな。その何倍もの恐怖を味わってもらわないと割に合わねえ。きっちり後悔しな」
組長の合図で、金棒を持った白田組の組員が次々と部屋に押し寄せる。大森組の四人はその金棒で打たれ続け、息も絶え絶えになったところでようやく止められた。
「もうしません! 許してください!」
四人はもう身動きができずに転がっている。
「うん。これでしっかり後悔したかな?」
組長は満足そうに四人を見下ろした。
「実は特別な客人を呼んでいる。おい、連れてきてくれ」
組長が幹部に声をかけ、しばらくして連れてこられたのは、大森組の組長だった。
「やあ、わざわざ来てもらってすまないな」
「いえ。うちの組がご迷惑をかけたようで」
大森組の組長が深々と頭を下げる。地べたに転がっていた四人も、土下座の姿勢になる。
「白田組にご迷惑かけるなんざ、お詫びの仕様もありません」
「こんなんでは済みませんが、この四人はうちの組を破門にします」
「そんな組長! 俺ら今まで組に随分尽くしてきたじゃないですか!」
「そうですよ! 今回のことだって、組にたんまり上納金を納めるために吹っかけたんすよ! 俺らがいなくなっていいんですか?」
口々に講義を始める四人に、組長は一喝する。
「うるせえな! こんな大事にならなきゃ、上納しないで自分たちで使うつもりだったんだろうが! これまでもちょくちょくやってるの知らねえとでも思ってんのか!」
大声で怒鳴られ、四人は一気に萎縮する。
「そもそもな、女子高生から金を巻き上げるなんて、ケチな真似してんじゃねえよ。恥知らずが。てめえらなんていなくても困らねえんだよ。破門だ、もう」
組長は怒りで荒くなった息を整えてから、もう一度白田組の組長に深々と頭を下げた。
「お恥ずかしい限りです。こいつらはもう我々とは何の関係もありませんので、処分はお任せします」
「いらねえんでしたら、こちらで捨てておきますが」
「そうだな。では、うちの組で引き取らせてもらおうかな」
「え、こんな奴らでいいんですか? 血の気の多そうな奴らだし」
「ちょうどリアルサバイバルゲームの話があるから、会場に送り込んでやろうかと思ってな」
「リアルサバイバルゲーム?」
四人は口々に、知っているかどうか聞き合っている。
「リアルサバイバルゲームを知らんのか? どこかの無人島で行われる、命をかけた生き残りゲームだ。誰が何人倒して生き残り続けるかで、配当や賞金が変わる。金持ちたちは安全な場所からそれを見て、プレイヤーに金を賭ける。行ってみれば、金持ちのただの娯楽だな」
「ひ、命が懸かってるんですか?」
「嫌だ!」
「だが、一年生き残れば一千万だぞ」
「生き残ることなんてできるんですか?」
「本来は個人戦のところ、四人で送り込まれるんだ。四人でチームを作ったら、生き延びる可能性は高くなるだろう」
「なるほど」
「なるほどじゃねえよ。そんな簡単な話かよ。リアルサバイバルゲームが嫌なら、この場で死に送ってやるだけだぞ。だったら、少しでも生き残れる可能性がある方がいいんじゃないか」
四人は一気に黙った。
「じゃあ決まりだな。白田組への迷惑料として、四人で四千万稼いで来い」
「四千万!? 四年もかかるんじゃ…」
「四人で有利なんだから、まあなんとか生き延びろ。ああ、運営がちゃんと監視してるから、逃げてばかりだと失格になってサメの餌にされるぞ。頑張れよ。あと、島の周りはサメがうようよしてるから、泳いで逃げようとすると危ないぞ」
四人は何やら騒いでいたが、白田組の組長は問答無用で、四人をあっという間に部屋から運び出させてしまった。
後日、白田の屋敷は静けさを取り戻していた。私はどうしても気になって、組員の一人にこっそりと、昨日の四人組がどんなやり取りをしたのか聞いてみた。
「王嬢、ご心配いりません。しっかり反省されて、二度とあんなことはしないと誓っておりましたよ」
そう言われたけれど、全く信じられなかった。本当にあいつらが反省したのだとしたら、おじいちゃんは一体何をしたのだろう。あいつらが反省するくらい、とんでもなくひどいこと。自分には優しい祖父なので、全く想像がつかない。
「そうだ。お金はどうなったの? 二千万円支払ったの?」
「ご安心ください。話し合いの結果、支払う必要はないということで、納得されましたよ」
地下でのやり取りを全く知らない私は、なんだか信じられないけれど、信じるしかなかった。ともかく、祖父にあんな大金を支払わせないで済んで、本当によかった。
今回のことで、私はアルバイトに行くのがすっかり怖くなってしまった。それでも遊ぶお金がないのはやっぱり困ってしまうので、自宅から歩いて行ける距離のアルバイト先へ変えることにした。時給が安くても、地道にしっかり働こう。そして帰りは幹部が護衛として迎えに来てくれることにもなった。
十八歳にもなってまだこんなに守られていることを情けないなと思う反面、こんなに大事にしてくれてありがたいなとも思う。こんなに頼りになる祖父を、私も大切にして、しっかり恩返しをしていきたいと思う。



