「なんでこの人たち呼んだのよ。」
やってきたのは、ウェディングドレス姿のマミだった。
「また貧乏臭い匂いの人が来たわよ。不潔だし、ありえない。中卒農家の汚いじじばばは、ここから先、会場に踏み入れないでね。義母さんに山に捨ててきてって言わなきゃ。」
花江のことを「お母さん」ではなく「義母さん」と呼ぶマミ。
俺は静かに、堪忍袋の緒が切れた感覚を味わっていた。
俺は稲田しげる。そろそろ後期高齢者に差しかかろうとするじいさんだ。とはいえ自営業で現役で仕事をしており、じいさんなんてイメージを持たれないように気をつけている。
妻のキク子と二人で農業法人を営んでいる。繁忙期には近所の人や学生さんをアルバイトに招いて、仕事を手伝ってもらっている。何かの歌のフレーズのようだが、朝日と共に野良仕事を始め、夕焼けを見ながら家に帰る。そんな生活をしている。
俺にはミノルという息子がおり、今は東京に暮らしている。息子が農業を継いでくれると思っていたのだが、彼は「土臭いのは嫌だ。田舎暮らしじゃ何もできない」と言い、高校入学と共に都会へ出てしまった。
ここは標高こそ高くないが、盆地のような地形を持った、農業にはうってつけの場所だ。先祖が残してくれた山であり土地だ。下手すると「山あいの土地に一軒家がある」とテレビクルーが密着取材に来そうだが、そこまでポツンと佇んでいる雰囲気はないので、まずマスコミの目には止まらないだろう。
コンビニも、おしゃれなカフェもない。ミノルの小学校と中学校時代は、わざわざスクールバスが家まで来てくれて通っていたほどだ。そりゃ刺激が足りないだろう。だから、学生寮が完備されている高校へと進学させた。大学付属の高校なので、エスカレーター式に大学へ進学できる。
経営学を学び、入社した先で嫁となる花江さんと出会った。彼女はキク子に言わせると「クールビューティな女性」だという。なかなかの手腕の持ち主で、会社を立ち上げて夫婦で共同経営を始めたのだ。仕事の内容は企業家向けのコンサルタントで、個人や法人問わずクライアントを抱えているようだ。
生活に関しても切り売りしており、二人暮らし、ミニマルライフ、ナチュラルな夫婦の暮らし、というのを書籍やインターネットで発信している。
ここだけの話。ミノルと花江さんの間には子供がいる。ホズという男の子だ。子供がいることは隠していなかったようだが、夫婦二人暮らしのためのナチュラルライフや、宣伝された暮らしに関する発信が一人歩きしてしまったことで、子供がいない夫婦として見られるようになっていた。
それに企業コンサルタントの仕事も忙しくなり、ホズのことは我々じじばばが世話をすることになった。その時ホズは三歳。忙しくしていたというよりも、子育てよりも仕事を取ったのだ。
農家科学に基づいた食育などを施して、立派な子に育てようとしたようだが、無理だったようだ。花江さんは子育てに向かなかったというのが、俺たち夫婦の見解だ。息子自身もそうだろう。閉鎖的な土地で、しかも一人っ子で育ててしまったので、コミュニケーションデビューは高校生になってからだ。
だから我々も、子育てのやり直しをしようと、孫のホズを自由に育てた。
ホズは賢い子で、計算というか理系科目が得意だった。わざわざ習い事に通わせなくても、我々の仕事を手伝ってくれることが大きな課外授業になったようだ。高校まで町内にある、廃校寸前の学校に通っていた。さすがにミノル夫婦も「ホズを大学に行かせて欲しい」と言ってきて、高校からは受験対策で学習塾に通わせることになった。長い通学時間も文句を言わずに、「勉強ができるよ」とニコニコしながら出かけていくほどだ。
大学はホズ自身の希望で東京の大学を選んだ。あちらにはミノル夫婦が暮らしているので、合格すれば十数年ぶりに一緒に暮らすことになる。志望校はそれなりに難関だったのだが、晴れて合格通知を手にすることができた。俺もキク子も大喜びしたし、ミノル夫婦も喜んだ。ミノル夫婦が息子の入学を想定していなかった大学名だったが、国内でも偏差値が高い学校の一つなので、無理に納得させたようだった。
ミノルがいなくなった我が家は、火が消えたランプのようだった。
「キク子さん、圃場へ行くか。ハウスの様子を見に行かなくちゃね。」
こんな風に無理して言葉を発し、会話を交わすことで、二人だけの生活になれるようにしたのだった。
寂しい毎日に変わりはなかったが、ご近所の若妻会のばあさん仲間が、曲がった腰をトントンと叩きながら農場の手伝いに来てくれた。それにホズも夏休みなどの時期には遊びに来てくれたのだ。
「じいちゃん、今日は仕事を手伝ってくれる連中と一緒に来たよ。今はキャベツの収穫時期だろう。みんな社会勉強したいってさ。」
ホズは大学でできた友達を連れて、長期休みはこちらに来てくれたのだ。夏場は過ごしやすいので、仲間内でテントを張ってキャンプ感覚で楽しみたいらしい。
「ほら、じいちゃんとばあちゃんの畑には電気柵あるからさ、イノシシとか猿とかに襲われるリスク低いじゃん。クマはちょっと怖いけど、俺らがいるって分かれば寄ってこないんじゃないかな。だから気遣い無用よ」とホズはキク子を気遣ってくれた。
無報酬で手伝うとホズや学生さんたちは口を揃えていったが、まさかそうもいかないだろう。キク子の仲間である若妻会のばあさんたちが腕を振るって、うちの野菜や山で取れたキノコの保存食などを使って、食べ盛りの大学生に食事を出した。十五人ほどで食べるおにぎりや豚汁は本当に美味しかったし、若い子たちの元気な様子を見ることができて本当に嬉しかった。
ホズはいい友達に恵まれたようだ。これが大学三年生の夏まで続いた。
だがホズが大学三年生の秋に、事態は急転したのだ。
「ホズを結婚させることにしました。」
そういうことだから、とミノル夫婦が突然家を訪れて、ホズが結婚すると言い出したのだ。晴天の霹靂とはまさにこのことだろう。
「待ってちょうだい。ホズはまだ学生でしょ?今すぐってことなの?」
「お相手のタイムリミットがあるので、今すぐなんです。」
「タイムリミットって……」
なんとなく何を言いたいのか分かっていたが、聞かないわけにはいかない。
「相手が三十歳を超えるので、早くしないと子供に影響するんですよ。」
「ってことは、その今流行りの授かりってやつかい?」
「失礼な。ホズに限ってそんなわけありませんよ。」
この表情からすると、何か深い訳がありそうだ。
「よかったら、どうしてホズが結婚することになったのか、事情を話してくれないかしらね。」
キク子はカリンの砂糖漬けをお茶受けに出しながら言った。ミノルが口を開きそうになったが、花江が首を横に振る。
「とにかくいい縁談なんです。ホズの将来はこれで安泰なんです。」
「でも、なんかあなたたちの様子を見ていたら、何だかホズが駒にされてる感じがするわ。」
俺は昭和レトロな雰囲気の瀬戸物のコーヒーカップにインスタントコーヒーを入れて、ミノルと花江に手渡した。
「来週末、両家の顔合わせ。三ヶ月後の大安の日にお式をすることになりましたので。」
花江はこれ以上言われるとボロを出してしまうと言わんばかりに、言いたいことを一方的に伝え、コーヒーには一切手をつけずに、ミノルと共に帰ってしまった。
「ねえ、私ホズが心配だわ。」
俺とキク子は近所で幼馴染みだったこともあり、十九歳で結婚して二十歳でミノルが生まれた。ミノルたちは高学歴で働く女性が増えてきたことや就職氷河期、世界的な少子化などが相まって、結婚観が違う。だからこそ心配だったのだ。今の二十歳はまだ遊びたいだろう。大学はやめさせないとは言っているが、家庭に入り父親になることをせかされてしまえば、大学生活なんてできないはずだ。キク子はそう言いながら食器を片付けている。
「キク子さん、そろそろハウスへ行く時間だよ。顔合わせの時にいろんなことがはっきりするだろうよ。」
俺は作業用のブルゾンを羽織って外に出た。
顔合わせの時、俺とキク子は開いた口が塞がらなかった。
某企業の会長のお孫さんだという新婦のマミ。三十歳だとは聞いていたが、年齢の割には幼い。いや、幼いのではない。ただわがまますぎるだけなのだ。
ホテルの和室での会食で、お頭付きの鯛は「目が気持ち悪い」と言い、どちらかと言えば野菜がメインの肉料理は「こんなの食べられないわよ」と皿を全て両親へ預けてしまった。
「ちょっとビール。私、アメリカン・ダイナーのハンバーガーの方がいいんだけど」と、着慣れない振り袖が着崩れてしまうのではないかと思うほど足を崩して座り出した。
「それに、そのばあちゃんの着物、本当に貧乏臭い匂いがするんですけど。」
多分だが、結構この辺りの家の匂いではないだろうか。天日干しをして匂いを追い出したが、気になる人は気になるだろう。
「ああ、私たち普段は作業着中心ですからね。」
「祖母は農業を経営していまして……」
「ひゃ。」
突然叫び声をあげたのはマミだ。ええと、ホズがマミの方を見る。
「農家嫌よ。牛とかもいるんでしょ。気になって、毎日毎日、私帰るわ。買ったばかりだし、もう着物脱ぎたい。」
マミがすでに崩れた着物の帯をさらに緩めようとしている。ホテルの中居さんが慌ててマミを奥に連れて行く。マミの両親は我々に謝ることもなく、マミを追いかけるように立ち去った。
何かにぶっ飛ばされたような不毛な時間で、やっとの思いで開きっぱなしの口を閉じることができた。
「うちは牛まではやってないんだけどなあ。」
「ね。素敵なお嬢さんでしょ。」
やっとの思いで花江が言葉を絞り出す。どこまでもホズとの結婚を正当化させたい様子だ。
「いいの?ホズはそれで。お嫁にもらうって大変そうよ。」
「いや、俺が婿養子としてあっちに行くことになったんだよ。」
「どうして?」
ヒステリックにキク子が叫ぶ。
「うん。悪い話じゃないなと思ってね。」
それだけ言うと、目の前にある野菜の御膳を食べ始めた。
「ミノル。あなた、どうしてホズを止めないのよ。どうして婿養子なのよ。」
キク子は泣きながらミノルに当たり散らす。
「ホズが向こうに入れば、うちの会社の信用が強くなるんだよ。破産を免がれるんだ。」
「お前は自分たちの利益のためにホズを売ったのか。」
今度は俺が怒る番だった。
「今からでも遅くないわ。ホズはまだ青春を楽しみなさい。」
ホズが俺を止めてくれなかったら、翌朝テレビのニュースを賑わせていたかもしれなかった。
そうして、息子夫婦と絶交したまま迎えた結婚式。俺は出席する必要はないとキク子を止めた。
「でもホズは悪くないでしょ。式を送り出しましょう。でも何かあったらホズを迎えに行くのは私たちの役目よ。」
なんだか言いくるめられて、俺とキク子は結婚式場へ向かった。白いタキシード姿のホズが、俺とキク子を出迎えてくれた。
「じいちゃん、ばあちゃん、ありがとうね。」
俺とキク子は晴れの席だからこそ、笑顔で言おうと決めたのだ。ちょっとでも口を開けば、夫婦揃って「それでいいの」と言ってしまいそうだったので、口をぎゅっと結んだままにしていた。
「ちょっとなんでこの人たち呼んだのよ。」
やってきたのはウェディングドレス姿のマミだった。
なんというか、ケバケバしい化粧で、昭和レトロなフランス人形を彷彿とさせる立ち姿だ。縦ロールの髪型が何とも滑稽に見えたため、キク子が吹き出したのだ。慌ててキク子が口をつむぐ。
「また貧乏臭い匂いの人が来たわよ。不潔だし、ありえない。中卒農家の汚いじじばばは、ここから先、会場に踏み入れないでね。義母さんに山に捨ててきてって言わなきゃ。」
花江のことをお母さんではなく義母さんと呼ぶマミ。俺は静かに、堪忍袋の緒が切れた感覚を味わっていた。
一、二、三。
俺はゆっくり数を数え、息を深く吸った。そしてウェルカムドリンクを楽しんでいる来場客がたくさんいる会場へ入った。
「皆さん。私は新郎の祖父であります。ただいま、中卒農家の汚いじじばばは会場に入るなと新婦に言われたので、妻と一緒に帰ります。」
大きな声で宣言した後、周りを見渡して会場を後にした。キク子が慌てて俺の後に従った。
叫んだ後、俺は激しく後悔してしまうのだが、ぶち切れてしまったのだから仕方ない。
だが、そこから大きく空気が変わったのだ。
ホズの友人席の若者がこぞって立ち上がり、「帰ります」と俺の後についてきた。元々この披露宴は八割が新婦側の招待客である。ホズの友人が帰っても痛くも痒くもないだろう。
そうすると、どういうことか新婦側のスーツを着込んだおじさんたちも数名、「失礼します」とホズの友人たちの後についてきたではないか。
だが、この面々を見て、俺は全てに納得が言ったのだ。ホズの進学先は農業大学だ。農業を営む家庭の二世三世が、次世代の農業や家畜に関して学んでいた。この子たちは夏休みが来るとうちに手伝いに来てくれていたのだ。
「俺も実家が農家なんで、会場に入れないと思って。」
「俺も、俺も」とみんなが賛同してくれた。
「ああ、やっぱり稲田さんでしたか。」
「ああ、どうも。いつもお世話になっております。」
五年前からの新婦側の出席者は、俺の顔見知りだった。お嫁さんの苗字を思い出し、膝を打った。この人たちはもう二十年以上もお世話になっている農機メーカーの偉いさんだ。マミの祖父は自動車や業務用電化製品を販売する山田重工の会長だ。山田重工の連結子会社に山田農機がある。山田農機は業界シェアは低いが、馬力の大きいゴムクローラのトラクターなどを扱う国産で唯一のメーカーだ。
「新婦の申し訳ありませんでした。会長のお孫さんは、どこか職業差別するところがございまして。会長には申し訳ありませんが、今回の発言は、新郎のホズ君のように農業を学ぶ大学生もいる中でしたので、中座させてもらうことにしました。」
ホズの友人へ名刺を渡し、話をしてきたばかりだったというのだ。
「こちらこそ、子供じみた真似をしてしまい、お恥ずかしい。でも、賢明なご判断だと思います。」
すると、会場の中が騒がしいことに気づいた。
「高齢者を山へ捨ててきてなどという道徳のなさ。ピンポイント的な職業差別をする発言。いかがなものでしょうか?」
招待客の一人であるミノル夫婦のクライアントがマイクを振りかざして演説を始めている。その人は怪しい宗教が絡んだ高齢者支援団体の役員だ。国政選挙に立候補しては毎回落選している。さっきの発言がこの女性の耳に入ってしまったのだろう。
「私は山田マミ子を糾弾します。」
ウェルカムドリンクだけですでに酔っ払っている招待客もおり、余興のレベルにも届かず話の趣旨も分からないような女性の演説に、拍手が湧き起こる。
そんな時に、帰ろうとした友人に声をかけていたホズが、俺たちの元へやってきた。
「悪いな。なんだか晴れの席をめちゃくちゃにしてしまって。」
ホズはちらりと向こう側に視線を投げてから、俺たちをまっすぐ見据えた。
「じいちゃん、ばあちゃん、本当にごめんなさい。両親の会社も助かるし、山田農機の農機具はじいちゃんもユーザーだから、俺が向こうに入ることでウインウインだと思ったんだよ。でもさ、あれ見てよ。」
マミお嬢様は昔の少女漫画もびっくりの縦巻きロールを振り乱し、「私の結婚式が」と泣き喚いて当たり散らしている。彼女の両親がおろおろするばかりで、会長はとっくに帰ってしまったという。
「俺の親父たちもそう。自分たちの会社のことしか考えてないよ。『もう潰れるしかない』って、それしか言わない。」
「そうか。申し訳ないことをしたな。」
「うん。俺、目が覚めたよ。こうなるってなんとなく分かってはいたんだけど、ここまで来ちゃったよ。じいちゃんとおばあちゃんが止めてくれたのにさ。」
ホズは正式に破談を申し入れ、自分の両親とも断絶の道を選んだ。結婚式の費用やら関係各所へのお詫びなどでお金がかかったようだが、ホズは自分で区面したようだ。
マミが婚約破棄の慰謝料として三百万円を求めて訴えてきたので、ホズは彼女を相手に慰謝料を求める訴えを起こした。もちろん婚約に至る事情や親同士の利害関係などを話して、慰謝料は三十万円に減額させることに成功した。逆に、式をぶち壊しにしたきっかけがマミが放った言葉だ。「中卒農家のじじばばや、義母さんを山へ捨ててきて」と大勢の人がいる前で発言したことが立証され、マミはホズへ慰謝料を百五十万円支払うことになったのだ。
その慰謝料をホズは両親に渡し、「もうあなたがたに関わることはない」と告げたという。
そして我が家に身一つで飛び込んできたと思えば、
「俺、じいちゃんとばあちゃんの農場を継ぐ。もっと収益が上がる農業を目指したいから、大学は絶対卒業する。だからじいちゃんも仕事をもっと教えてよ」と言ってくれた。
「朝早いし、夜も世話が必要になる時があるぞ。」
「大丈夫だよ。俺は我が強さだけが取り柄だから。」
「あら、それもそうね。」
これからも俺の先祖が大きくしてくれた農場が引き継がれることになった。俺とキク子は安心して余生を過ごせるようだ。
まあ、もう少しだけ現役農家で居続けるけどな。



