「今のご時世にまだ手作業の工程なんかあるのかよ。手作業なんて時代遅れだろ。」
新しく来た年下部長、新藤健太が俺の作業を見て鼻で笑った。俺が手作業の重要性を説明しても、彼は全く理解しようとしない。
「お前、自分の仕事を機械に奪われたくないからって、そんな大げさなことを言ってるんだろ。」
「違います。本当に手作業で仕上げないといけない工程なんです。」
「あのさ、あんた年寄りで、今時の機械がうまく扱えないからそんなことを言ってるんだろう。他にできる仕事がないから、ここでそんな非効率な作業をしてるんだ。これだから年寄りは。」
部長は口を開くたびに俺を侮辱した。そして最後にこう宣言した。
「この作業も効率化のために機械化する。あんたは首だ。」
一瞬、頭の中が真っ白になった。理解すると同時に、強い怒りが湧き上がる。
「後で後悔しますよ。」
俺はそう言ったが、部長は負け惜しみとしか思っていないらしい。
俺の名前は広田孝介。自動車部品メーカーの工場で働いている。うちの工場は決して大きな会社ではないが、独自の部品製造に強みがあり、有名な自動車メーカーにも部品を納めている。俺は入社以来、製造部門でずっと仕事をしてきた。もう俺より年上の製造部門の人間はほとんどいない。年長者として経験を生かし、同僚や若手とも良好な関係を築いてきたつもりだ。
ある日、工場に足を運ぶと、製造部門がざわついていた。
「なんだ、何かあったのか?」
先に出社していた同僚に聞くと、
「なんかさ、今日新しい部長が来るらしいんだよ。」
先日、今までの部長が異動になり、別の工場に移っていた。その代わりの人事だろう。
「新しい部長か。どんな人なんだろうな。」
みんな新しい上司に緊張したり、そわそわしたりしている。注目が集まる中、その人物が製造部門に入ってきた。
「新藤健太です。よろしくお願いします。」
本社から来たという新藤さんは、俺よりもかなり若い男性だった。俺は年上だからといって偉いと思っているわけではないが、想像より若くて少し驚いた。同僚たちも同じ感想のようだ。
「俺らよりだいぶ年下だな。びっくりしたよ。」
「そうだな。俺もかなり驚いた。」
新藤さんに聞こえないように話していると、新藤さんが再び口を開いた。
「俺は今までよりも利益を上げたいと思っています。そのためにはまず無駄を省いて効率化を進めていきます。」
同僚たちはまたざわついた。みんな戸惑っている様子だ。効率化か。どう変わっていくんだろうか。仕事をする上で無駄をなくすことは大事だ。しかし、無駄に見えて無駄じゃないことも、俺たちの工程にはある。それを新藤さんが理解してくれるのか、少し不安を感じた。
時間になり、みんな仕事を始めた。俺はいつも通り、製品の仕上げである最終段階を一人で行っている。製品の仕上がりを左右する大事な工程で、任されているという自覚を持ってやっている。
工場内を視察していた新藤さんが俺の元へやってきた。俺が手作業で最終仕上げをしていると、新藤さんは驚いたような表情をした。
「はあ。今のご時世にまだ手作業の工程なんかあるのか?」
「はい。この作業は手作業じゃないと綺麗にできない繊細な作業でして。」
俺は説明したが、新藤さんは全く納得していないようだった。
「お前、自分の仕事を機械に奪われたくないからって、そんな大げさなことを言ってるんだろ。」
そう言って見下すように笑う。
「違います。大げさに言っているわけではなく、本当に人の手で丁寧に仕上げないといけない工程なんです。」
もう一度訴えたが、俺の言葉は響いていないらしい。
「えっと、名前は広田さん。あのさあ、あんた年寄りで、今時の機械がうまく扱えないからそんなことを言ってるんだろう。」
そう言って声を出して笑う。いきなり年齢の話を持ち出され、馬鹿にされたので、怒るよりも先に驚いてしまった。
「そういうわけではないです。年齢は関係ありません。どうか理解してください。」
上司に食ってかかるわけにもいかないので、丁寧に理解してもらえるようお願いした。しかし、そんな気持ちも通じず、新藤さんはヘラヘラと笑い続ける。
「年を取ると機械のことが分からないって言うじゃないか。だから年寄り向けのスマホだってあるんだし。」
「そんな話は今関係ありませんよ。」
新藤さんは俺の年齢のせいにしたいらしいが、俺は機械が扱えないからこの作業をしているわけではない。しかし新藤さんは俺の言い分など聞いていないとでも言うように、持論を展開する。俺を馬鹿にすることを楽しんでいるようにしか思えなかった。
「機械が使えないから、他にできる仕事がないんだろう。だからずっと言い訳して、ここでそんな非効率な作業をしてるんだ。これだから年寄りは。」
「新藤さん、どうして分かってくれないんですか?」
さすがの俺も、口を開くたびに侮辱されては悔しくてたまらない。我慢できず少し強めに言うが、新藤さんは人を馬鹿にしたような目で見るばかりだ。それどころか、強い口調で宣言する。
「こんな非効率的な作業をこのまま見過ごすことはできない。この作業も効率化のために機械化させる。」
「新藤さん、ここの作業の機械化は無理です。」
必死で訴える俺の姿に、新藤さんは鼻を鳴らす。
「ここの工程を機械化させたら、あんたは不要だもんな。残念だったな。広田さんは首だよ。」
「え、それはどういうことですか?」
「はっきり言わないと分からないのか?察しが悪いな。あんたはもう会社にいらないんだよ。」
一瞬、何を言われたのか理解できなかったが、どうやら新藤さんは俺を首にすると言っているようだ。理解して体が固まる。俺は長年会社のために真面目に尽くしてきたつもりだ。上司の言いつけも守って真面目に働いてきたし、後輩や同僚にも親切にしてきた。それなのに、こんな急に理不尽に会社を去るように言われるなんて思っていなかった。
まだやめたくない。ここでやらなければいけないことがある。
しかし、すぐにその言葉が出てこなかったのは、新藤さんに対する諦めがあったのかもしれない。さっき言った俺の言葉が響いていないのなら、抵抗しても意味はないだろう。一瞬の間に、頭の中で様々な思いがぐるぐると回る。
「わかりました。」
気がついたらそう答えていた。
「では、すぐに退職届を書かせていただきます。後で困っても知りませんよ。」
「老人一人いなくなったところで、何が困るって言うんだよ。人件費が減って会社に利益しか出ないだろう。」
俺がいなくなったら作業は回らないのに、新藤さんは俺がいない方が利益が出ると言う。実際に困ったことが起こらないと分からないらしい。もう何を言っても意味がないので、俺はすぐに退職届を書き、新藤さんに手渡した。
「ああ、無駄が省けたわ。これも効率化できた。やっぱり全部機械化して効率化させていかないと。」
新藤さんはこんなところでも効率的に物事が進んだと喜んでいる。そんなにも効率化が大事なのだろうか。長年会社に尽くしてきた社員よりも。俺が会社に尽くしてきた数十年は何だったのだろうか。これまでの会社での日々が走馬灯のように流れてくる。技術を惜しみなく教えてくれた過去の上司たちにも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
悔しい気持ちが湧き上がってきたが、新藤さんにはついていくことができないと思った。簡単に効率化のために人を切り捨てる上司とは、俺は仲良くできない。だからこれで良かったのだと、そう思うことにして会社を去ることにした。
周囲の人たちは急にやめることになった俺を心配してくれた。
「そんな急にやめろだなんて理不尽だよ。俺たちが新藤さんに掛け合うから。」
同僚や若手たちはそんな優しい言葉をかけてくれる。その言葉で、俺の数十年間は無駄ではなかったと思えた。
「いいんだよ。俺はもう新藤さんにはついていけないと思ったんだ。それに、そんなことをしたらお前たちも新藤さんに目をつけられる。」
俺以外の人間が新藤さんの被害に合わないことを願いつつ、俺は会社をやめた。定年まで今の会社で働き続けるだろうと思っていたが、あっけなく俺は仕事を失ってしまった。
今まで仕事人間だった俺は、仕事をやめて寂しく感じていたが、妻に言われて久々にゆっくりと過ごせる時間を満喫することにした。
ところが、そんな俺の元に突然、新藤さんから電話がかかってきた。
「広田さんか?大事な機械が壊れた。あんたしか直せないらしいから、俺の権限で会社に戻してやるよ。」
電話に出た途端、新藤さんは自分の言いたいことをつらつらと話し出す。
「はあ?いきなり何なんですか?」
あまりにも自分勝手な言い分に戸惑った。
「いいから早く会社に戻ってきて直せばいいんだよ。」
俺の返事なんて聞いていないとでも言うように語りかけてくる。新藤さんは俺を下に見ている。会社に戻れと言えばすぐに戻ってくると本気で思っているのだろうか。
「何を言ってるんですか?俺は会社には戻りませんよ。」
もう新藤さんの元に戻る気はない。俺は新藤さんが要件を話し終えるのを待って、はっきりと断った。頭の中では予想通りの事態に納得する。新藤さんが困った状況に陥ることを、俺は分かっていて会社をやめた。
今まで工場で俺はいろんな役割を担っていた。長年培ってきた知識や経験を生かして、工場のライン設計や新しい機械の開発などを一人でしていた。そのため、工場内の仕事の中には俺にしかできないこともかなりあった。今回壊れた重要な機械も俺が開発したものなので、直す作業も俺にしかできない。また、新藤さんに無駄だと言われた手作業の工程だって、俺が長年やり続けてきたからできる技術で、どう頑張っても機械化することは難しい。
俺がいなくなった今、その作業ができる人間はいない。急に仕事をやめるはめになったので、後進育成だってできていなかった。しかし新藤さんは作業の重要性を理解していなかったために、後進育成について気にも留めていなかったのだ。そのツケが今来ているのだろう。
「いいから、機械が使えないから機械の修理係で雇ってやるんだぞ。今すぐ出社してこい。」
自分でやめるように促したのに、自分が困ったらすぐに帰って来いだなんて。こちらの都合を何一つ考えていない。俺はやめる時、ちゃんと新藤さんに忠告したのに。
「新藤さんが同じ人間だと思えないくらい、何を言っているのか理解ができません。いきなり電話をしてきたと思ったら、そんな勝手な話が通るわけないでしょう。」
「何を言ってるんだ?壊れた機械が治らなかったら、年間10億円を稼げる製品が出荷できなくなるんだぞ。」
俺が言い返すたびに、思い通りにならない苛立ちが声に反映されていく。しかし俺は新藤さんに言われた通り会社をやめただけだ。会社の人間でもない俺が、なぜ怒られなければいけないのか。さらに、機械が壊れたのだって、機械が直せない状況になっているのだって、俺のせいではない。
「俺に会社をやめろと言ったのは新藤さんでしょう。今更そんなこと言われても知ったこっちゃないですよ。」
「なんだと?俺にそんな口を。」
「俺はやめる時に忠告しましたよ。後で困っても知りませんよって。」
俺の返事に新藤さんは激怒していたが、俺には関係のない話だ。俺は自分の言いたいことだけ告げて、新藤さんの言葉を最後まで聞くことなく電話を切った。自分の言いたいことをはっきりと言えて、少し気持ちが楽になった。
その後も新藤さんから何度も着信があったが、出たところで同じ話がループするだけだろう。あまりにもしつこかったため、俺は新藤さんの電話番号を着信拒否にし、連絡手段を断つことにした。もう新藤さんと関わることはないだろう。そう思っていた。
その後、十分に体を休め、自由な時間を満喫した俺は、同業他社の工場長として働き出した。一時は年齢も年齢だし、再就職も厳しいだろうと少し不安を覚えていた。長年就職活動をしていない俺だって、年取った人間よりも未来のある若者の方が企業に求められることを理解している。急に仕事をやめたことで、自分を雇ってくれるような会社があるか。それが一番の悩みの種だった。
しかし、俺の心配をよそに嬉しいことが起きた。今の会社が、俺が前の工場を辞めたことを聞きつけて、工場長として働いてほしいと打診してくれたのだ。俺を拾ってくれるだけではなく、俺の過去の経験を見込んで工場長という地位まで用意してくれた。自分の仕事を評価してもらえるのは、こんな年になっても嬉しいものだ。
「自分を必要としてくれて、本当にありがたい話だ。頑張って働かせていただきます。」
仕事の誘いに対し、俺は二つ返事で働くことを決めた。新しい環境でよそ者だった自分が受け入れてもらえるかも不安だったが、急に工場長としてやってきた俺に、新しい工場の従業員たちはとても良くしてくれる。本当にいい環境で、新藤さんが会社に来る前の会社くらい心地よく働くことができた。
ところが、工場長として働き出して1ヶ月くらいが過ぎた頃、働いている俺の元に見覚えのある人物がやってきた。新藤さんだ。電話番号も繋がらないので、俺に会いに来るしかないと思ったのだろうが、よくここが分かったものだ。まあ、同じ業界なので何らかの手段を使って探したのだろう。俺はしぶしぶ面会することにした。
目の前に現れた新藤さんを見て、少し驚いた。以前は若々しく体格も良かった新藤さんだが、今は頬がこけ、顔色も良くない。
「広田さん、頼むよ。会社に戻ってきてくれ。」
新藤さんは前のような勢いはなく、必死に俺に頭を下げて頼み込んできた。
「本当に困っているんだよ。」
必死に懇願し、俺が会社をやめてからのことを話し出す。結局、俺が機械を直すのを断ったことで、壊れた機械は使えなくなってしまい、市販されている一般的な機械を購入することにしたという。しかし、一般的な機械ではできることが限られている。そのため、今までと同じ質の製品が作れなくなってしまっていた。それはそうだ。一般的なものでは能力不足だったから、俺が開発したのだから。
さらにまずいのが、機械の変更に加え、俺がしていた最終工程をできる者がおらず、その工程ができなくなったことだ。製造した製品が不良品だと苦情を受けることも増えているという。取引先も、いきなり製品の質が変わったことでかなり驚いただろう。俺が新藤さんに言った通り、俺のしていた最終工程は本当に重要なものだったのだ。機械を変えたことによる質の変化という要因も大きいが、俺がやっている手作業こそが製品の品質を左右している。責任もある仕事だったが、俺はやりがいを感じていたし、その重要性を理解していた。
しかし、新藤さんは何回訴えても俺の言葉を聞き入れようとはしなかったではないか。
「だから俺はやめる前に行ったじゃないですか。機械ではできない作業をしていると。」
「機械でもできると思ったんだ。」
「俺はきちんと説明をしたはずです。それを理解しようとせずに、強引に俺を退職に追い込み、機械化させたのは新藤さんの判断ですよ。人を年寄りだと機械を使えないと馬鹿にした結果がこれなのだから、新藤さんの責任です。」
もしこのまま俺が戻ってこないと、いずれ全ての機械を入れ替える必要があるという。全ての機械を入れ替えた場合、かかる費用は数百億円にも及ぶ。さらに問題となるのは金額だけではない。全ての機械を入れ替えてしまうと、他社の製品と何ら変わりないものしか作れなくなってしまう。前の会社は他社とは差別化した製品を作れたことで利益を出すことができていた。他社と同じ製品は求められていない。このまま求められない質の製品を作っていても、取引先はどんどん手を引いていく。現状維持だと会社の存続自体が危うくなってくるのだ。だから新藤さんは過去の製品の質に戻すべく、必死で俺に戻ってきてほしいと頼み込んでいるのだ。
「本当にお願いだよ。戻ってきてくれ。もうすでに業績は悪化し始めている。このままだと俺は。」
そう言いながら、新藤さんは地面に額を擦りつけ土下座する。あのプライドの高かった新藤さんが土下座をしてまで俺に必死で頼み込んでいる。相当自分の立場が危なくなってきており、焦っているようだ。おそらく新藤さんは業績が下がったことで、上の人間にもどうにかしろと言われているのだろう。
しかし、俺はいくら新藤さんに土下座をされても、何度頼まれても前の会社に戻ることはできない。
「新藤さん、私は今この会社の工場長です。この工場を仕切る立場にいる私が急に会社をやめれば、今度はこの会社がうまく回らなくなります。俺はそんな無責任なことはできません。お引き取りください。」
俺は今の工場を捨てることはできなかった。
「そんなことを言わないでくれ。」
俺はしっかりと断りを入れたが、新藤さんはなかなか納得してくれず、その後も何度も会社に戻ってきてほしいと懇願されたが、最後まで俺は首を縦には振らなかった。
やっと帰ってくれた。俺に何度も何度も頼んでくる姿を見て、少しかわいそうに感じてしまったが、これも身から出た錆というやつだ。もう今の俺にはどうすることもできないので、俺は目の前の仕事に打ち込むべく気持ちを切り替えようとした。
しかし、長年お世話になった会社だ。新藤さんが今の会社に謝罪に来て以降、俺は前の会社がどうなったか少し気になってしまった。そんな折、俺の耳に前の会社が業績悪化し続けたことで、大手自動車メーカーに買収されたという話が入ってきた。最終的に子会社化したらしい。
「新藤さんは責任取らされてさ、解雇処分になったよ。泣いてたけど、まあ自業自得だよな。」
新藤さんのその後に関しては、元同僚が連絡してきて教えてくれた。俺に対しての言動もひどかったが、新藤さんは他の従業員にも効率化を強要したり、心ないことを言ったりしていたらしい。こんな新藤さんを守ろうとする者はおらず、寂しく一人で会社を去ったという。
下手すれば前の会社は業績が悪化したことで倒産する可能性も十分にあった。俺は前の会社がどんな形でも倒産せずに残ってくれて安心した。
「工場の従業員もこれまで通り働けるから、一安心って感じだよ。」
「そうか。それは良かった。俺がやめたせいでみんなにも迷惑をかけて済まなかったと思ってるよ。」
「あれは新藤さんの責任だ。誰も広田さんを責めてないよ。それより今は工場長なんだろう。責任重大だな。」
「ああ、けどやりがいはあるよ。」
工場長を任されたからには、これからも今の工場で仕事へ真摯に向き合っていこうと思っている。前の会社では、技術を若手につなげることがいかに重要であったかを学ばせてもらった気がする。もしも俺が会社を辞める前に他の人に俺の技術を教えていれば、今とはまた違った形になったかもしれないと何度も考えた。そんな経験を元に、現場の責任者としての仕事だけではなく、若手に自分の持っている知識や技術を惜しみなく叩き込んでいこうと思っている。



