役員会議の最中、俺は会場の隅で固まっていた。大沢部長が俺の試作品を手に取り、俺が考えた説明をそっくりそのまま話し始めたからだ。社長は笑顔で頷き、役員たちは拍手を送る。俺のアイデアが、いつの間にか大沢部長のものになっていた。
「では、私の新商品の発表は以上です。」
大沢部長は丁寧に頭を下げ、俺の方を見るとニヤリと笑った。先週、試作品のデータを提出しろと言ったのは、このためだったのか。俺は頭が真っ白になり、その場に立ち尽くすことしかできなかった。
俺の名前は長野は樹。お菓子好きが高じて、大学卒業後にお菓子メーカーに入社し、念願叶って商品開発部に配属されたのが7年前だ。それからというもの、俺は商品開発部のエースと呼ばれるまでに成長し、妻と5歳になる娘にも恵まれた。教育担当だった松岡課長は、今も何かと声をかけてくれる良き先輩だ。
そんなある日、人事異動で大沢という新しい部長が赴任してきた。商品開発とは畑違いの部署からの移動で、仕事を把握できていない。そのくせ感情的に怒鳴り散らし、めちゃくちゃな指示を出しては周りを困惑させていた。特に女性社員からは疎まれ、みんなが対応に疲れきっていた。
そんな中、来期の新商品の試作品を出すことになった。俺はイタリアの古い焼き菓子をヒントにしたお菓子を考案し、夜遅くまで試作を重ねた。家では妻と娘にも試食してもらい、最後には「とても美味しくできている」と言ってもらえた。
商品開発部での会議当日、俺は自信を持って試作品を披露した。みんなが口々に褒めてくれ、松岡さんも大きく頷く。「役員会議に提出する試作品は長野君のものでいいですね。」拍手が起こり、俺は誇らしい気持ちで頭を下げた。大沢部長は黙ったままだったが、さほど気にしなかった。
翌朝、出社するとすぐに大沢部長に呼びつけられた。「君の試作品のデータを役員への報告書に添付するから提出してくれ。」珍しくまともな指示だったので、俺は素直にデータを送った。
そして迎えた役員会議。俺は出席者名簿に名前がなく、隅の席に案内された。大沢部長が最前列に座っている。アナウンスがかかり、大沢部長が前に進み出た。俺の作った試作品を取り出し、説明を始めた。俺が話したことを、そっくりそのまま。
会議が終わり、その日の夕方、俺は大沢部長に問い詰めた。「今日の役員会議のことですが。」大沢部長は何の顔で書類を見ている。「あとは俺が引き継ぐから。」
「あれは俺のアイデアです。俺のアイデアだよ。」
「もうそうなってる。それに君はもう首なんだ。俺のアイデアの方が会社にとっても都合がいい。」
俺は衝撃を受けた。アイデアを盗まれた上に、首だと。声も出なかった。大沢部長は高笑いを響かせながら、立ち尽くす俺の横を通り抜けて立ち去った。
その後、あまりのショックでぼんやりと過ごす日々が続いた。数日後、同期の社員から「お前、経費を使って他社から情報を集めているって噂があるぞ」と聞かされた。全く身に覚えのない話だ。さらに役員室に呼ばれ、俺がライバル会社と密談しているという不鮮明な画像と、俺が提出したかのような領収書を見せられた。
「これは私ではありません。顔がよく見えませんし、この店には行ったことがありません。」
必死に潔白を訴えたが、社長は険しい表情で言った。「申し訳ないが、会社として放置することはできない。退職届を提出してくれ。」
松岡さんは「お前は関係ないことは俺がよく知っている。やめる必要はない」と励ましてくれたが、役員たちの訴えるような表情が忘れられなかった。俺はもうたくさんだと思い、退職を決意した。妻と娘も事情を話せば分かってくれるはずだ。
大沢部長は俺が退職すると聞いてから、急に怒鳴らなくなった。「俺の才能に気づいたか。脳なしは気の毒にな。」荷物を整理していると、そんな言葉をかけてきた。まともに考えれば許せない言葉だが、関わっても時間の無駄なので無視した。
松岡さんに見送られ、俺は長年務めた会社を退職した。翌日、職探しの準備をしていると、松岡さんから電話があった。「俺たちは大好きなお菓子作りをしてきたのに、こんなことでいいのか?お菓子を食べると幸せな気持ちになるだろう。そんな気持ちを忘れるなよ。」
「もちろんですよ。俺のお菓子好きは筋金入りですからね。」
「だったら俺も協力するよ。」
その電話で少し元気が出た。それから2ヶ月後、俺は大手菓子メーカーに再就職した。松岡さんが知り合いに紹介してくれたのだ。前の会社より待遇も良く、商品開発部に配属された。俺は以前のノウハウを生かして働き、新しい職場で歓迎された。
そんな中、以前の会社の大沢部長から電話がかかってきた。出ると、いきなり怒鳴り声が聞こえてきた。「うちの新商品とほとんど同じものが販売されて、随分売れているじゃないか。どういうことだ?」
俺はあえて明るく答えた。「ええ、すごいでしょ?あれは俺のアイデアですから。こちらで先に発売させてもらいました。」
大沢部長は新商品が売れているのを見て焦っているのだろう。俺は再就職先で商品開発部に働きかけ、以前の会社より早く発売にこぎつけていた。大沢部長はアイデアを奪ったものの、元々自分で考えたアイデアではないので、それを発展させることができずにいたらしい。
「おかげでうちの開発は中止だ。代わりに違うアイデアを出せ。」
「知りませんよ。俺は首になったんですからね。2度と声も聞きたくない。」
俺は電話を切り、着信拒否にした。大沢を言い負かせて、かなりすっきりした。
後日、松岡さんから連絡があり、その後のことを教えてくれた。俺が先に発売したので新商品の発売ができなくなり、大沢部長は責任を取らされ開発チームを外された。さらに他社のアイデアを盗んだ疑惑が浮上し、結局退職に追い込まれたらしい。
「大沢部長がいなくなってくれてありがたいけど、お前まで失ったのは痛いよ。うちのエースだったからな。」
「そんな風に言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます。けど、俺なんかいなくて松岡さんがいれば大丈夫だと思います。」
「そっちも嬉しいこと言ってくれるね。これからはライバル同士ってことになるけど、お互い頑張っていこうな。」
「はい、よろしくお願いします。」
勤め先は変わってしまったが、やるべきことは同じだ。お客さんに美味しいお菓子を届け続ける。そのために、これからも努力を続けようと思う。



