一円にもならんけどな。選別だ。
俺は元同僚が残した手紙を握りしめ、空っぽになったオフィスに立ち尽くしていた。岡村は俺を裏切り、金目のものを持って海外へ逃げたらしい。残されたのは山奥の土地の権利書。売ったところで一円にもならない。だが、この紙切れには金以上の価値があった。
俺の名前は近藤、42歳。大学卒業後に入社した大手企業は激務だったが、人間関係は良好で、特に同僚の岡村とは年齢も同じで週末によく飲みに行っていた。
「俺、来週から有休で地元に帰るよ。自然しかない田舎なんだけど、そういう場所で静かに過ごしたくて。」
10年前のある日、疲れ切った様子の岡村がビールを片手に突然そんなことを言い出した。この時期、岡村はミスが目立ち、上司に怒られることが増えていた。
「もしかして、そのまま会社やめるつもりか?」
岡村は一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに笑って俺の背中を叩いた。
「ちょっとしたリフレッシュだって。そんなに不安ならお前も一緒に来るか?」
俺も仕事で疲れていたので、その誘いに喜んで頷いた。
翌週、俺たちは自然豊かな岡村の地元に到着した。滞在中は岡村の実家にお世話になることになり、揃ってそちらへ向かう。
「昔は工場をやってたんだよ。でも5年前に廃業して、取り壊す金もないからそのままにしてんだ。」
岡村の実家はかなり土地が広く、その中に廃工場があった。
「好きに過ごしてくれ。俺は昼寝するから。」
実家に到着後、岡村が寝てしまったので、俺は辺りを散歩することにした。廃工場に向かうと、片隅に誰かがいるのに気づいた。
「ああ、誰だお前?」
「あ、えっと、岡村の同僚の近藤です。」
「ああ、息子が話してたやつか。よく来たな。」
岡村の父親・正さんは工場の元経営者で、今はのんびり引退生活を送っているとのこと。
「時間があり余っててな。納期を分解して遊んでるんだ。」
正さんの傍らには詳細に書かれた設計図が置かれている。
「これ、制御システム搭載の納期ですね。完成したら便利な道具になりそうだ。遊びってレベルじゃない。」
俺はシステム開発の会社に勤めている。数年前に営業部へ移動する前は開発部署で働いていたため、知識や経験はある。
「お前さん、分かるのか?」
「多少は。」
「じゃあ、この設計図はどこに問題があると思う?いくらいじっても思うように動かないんだよ。機械は作れるが、ソフトウェアは分からなくてな。」
設計図を眺めて問題点を探す。30分かかったが原因が判明し、正さんに伝えた。
「お前さん、本物のエンジニアだな。息子は分からなかったのに。」
「岡村は分からなかったんですか?」
岡村も元々は開発の人間だ。以前は別の会社でエンジニアとして働いていたが、大手企業への転職を成功させ、今は俺と一緒に営業で働いている。
「ああ、あいつは何というかなあ。夜に俺と一緒に飲まないか。」
岡村はこの日、地元の友人に会いに行くとのことだったので、正さんと二人きりで飲むことができた。夜、グラスを傾けながら正さんは少し残念そうにつぶやく。
「あいつは金儲けのことばかり考えている。本当はうちの工場をついで欲しかったんだが、金にならない仕事は嫌だと断られてな。エンジニアってのは技術で人を救う仕事だ。金じゃねえ。俺はそのために自分の工場を持ったんだ。農家を助けることを優先して機械を安く売り続けたら経営が立ち行かなくなって、ご覧の通り失敗しちまったがな。」
苦笑いを浮かべたかと思ったら、すぐ真面目な顔になり、正さんは自分の思いを込めるように力強い声で言った。
「人を救っていれば金儲けは後からついてくる。俺の息子は理解しなかったが、お前さんは違う。俺の直感がそう言ってるんだ。どうか俺の言葉を忘れないでくれ。」
当時、俺は正さんの思いを真の意味で理解できなかったけれど、この時のことは今も胸に深く刻まれている。
田舎から戻った後、岡村が俺に驚きの提案をしてきた。
「俺と一緒に会社やらないか?俺も親父みたいに自分の会社を持ちたいなって思ってさ。」
正さんは自分の息子に意思をついでくれなかったと嘆いていたが、岡村なりに父親の背中を見て色々と考えていたらしい。
「いいね。面白そうだ。俺も今のままでいいのかとずっと考えていたので、岡村の誘いは千載一遇のチャンスに思えた。」
そこから俺たちは必死になって働き、会社設立のための金を貯めていく。人脈も築き、入念に準備を進めていった。走行しているうちに10年の月日が過ぎる。
「ようやくここまで来たな。」
「そうだな。」
俺はオフィスを見渡しながら岡村の言葉に頷いた。貯めた金で借りたのは都心から少し離れた場所にあるビルのワンフロア。ここで俺たちはソフトウェア開発の会社を立ち上げた。会社のスタートは俺と岡村の2人だけ。まずは経営を安定させてから社員を雇うことになった。
ある日の深夜、俺がサーバー管理をし、岡村はオフィスで事務作業をしていた。時計の針が12時を過ぎた頃、サーバー管理を終えてオフィスへ戻ると、なぜか電気が消えていた。
「岡村?」
電気をつけた次の瞬間、視界に飛び込んできたのは空っぽのオフィスだった。置いてあったパソコンは全てなくなっていた。金庫を確認すると、置いてあった現金も全部消えている。
「どういうことだ?」
岡村に電話をかけるが繋がらない。10回かけたところで「現在使われておりません」というアナウンスが流れた。ふと岡村のデスクに視線を向ける。そこには封筒と岡村が書き残したメモが置かれていた。
「これだけ置いていく。一円にもならんけどな。選別だ。お前との縁は切った。俺は海外でゆっくり暮らす。」
何が書いてあるのか理解できず、しばらくメモを眺める。封筒の中には土地の権利書が入っていた。スマホで地図を確認する。道も通っていない山奥の荒れ地だ。岡村の実家から近い。正さんは先祖代々の広い土地を保有していた。この土地もそのうちの1つだろうと推測する。
「確かに売っても一円にもならないな。」
床に座り込み、小さく呟いた。
翌朝、ショックのあまりオフィスから動けず、そのまま夜を明かした。これからどうしようと考えつつ、体はいつものルーティン通りに動く。会社のポストを確認するのは俺の担当だった。
「なんだよ、これ。」
入っていたのは俺当ての請求書。中身を確認した瞬間、震えが止まらなくなった。
「2億8000万…」
あまりの金額に衝撃を受けつつ、頭の中では数ヶ月前のことを思い出していた。
「お前の委任状を貸してくれないか。共同名義の口座開設に必要なんだ。」
この時は深く考えず、岡村に自分の印鑑と身分証を渡した。おそらくそれを使って奴は大金を借りたのだろう。
「なるほど。全部計画してたのか。」
あいつは俺の技術と人脈を利用し、会社が動き出した瞬間に金を借りる計画だったのだろう。岡村は最初から俺と一緒に会社をやるつもりなんかなかったのだ。
今更気づいたところで何もかも遅い。俺に残されたのは空っぽになったオフィスと莫大な借金だけだ。
翌日、突然見知らぬ4人の男たちがやってきた。
「耳揃えて返してもらおうか。」
俺の名前が書かれた連帯保証書を突きつけているのは借金取りのリーダーだろう。事情を説明したが、借金取りたちは笑うだけだった。
「騙される奴がバカなんだ。さて、金目になりそうなものをもらっていこう。」
借金取りたちがオフィスを見渡す。ふと、リーダー格の男が岡村の机に置かれた封筒を見つけた。
「なんだこれ?土地の権利書。」
「返してください。」
取り上げられそうになり、とっさに奪い返す。
「なんだ、それが金になるのか?」
「いえ、1円にもなりません。」
俺は土地の権利書とスマホの地図アプリを見せる。
「はあ。確かに価値はなさそうだな。俺たちは金しかいらねえんだよ。また来るから、まとまった金を用意しておけよ。」
そう言い捨てて借金取りたちはオフィスを後にした。
とにかく今は1円でも多く金が必要だ。そう判断した俺は、知人のシステム開発会社に仕事をもらおうと電話をかける。ところが知人は申し訳なさそうにこう言った。
「近藤さんの会社、莫大な借金抱えて倒産したって噂が流れてますよ。しかも怪しい取引に手を出したのが原因で、警察の調べを受けているとか。」
「え、誰がそんな嘘を?」
思い浮かぶのは借金取りたちの顔だ。あいつらが俺を貶めるために悪評を広めているのではないだろうか。それとも岡村の仕業だろうか。
「お客様の手前もあって、噂と言えども疑惑のある人とは付き合えないんですよ。」
電話を切った後、俺は壁を強く殴った。大学卒業後から積み上げてきた俺のキャリアと信頼が、岡村のせいで一気に崩れてしまったのだ。
「こんな理不尽なことがあっていいのかよ。」
俺のつぶやきは誰にも届かなかった。
その後、やむなく俺は建設現場の日雇いに出る。
「ひょろいやつが使えるのかね。」
現場監督や他の作業員に馬鹿にされつつ、俺は真面目に働く。しかし働き始めて3日後、現場に会いたくない人間の姿があった。うちのオフィスに現れた借金取りの1人だ。直後、現場監督に呼び出された俺はその場で解雇を告げられた。
「怪しい人間と付き合いのある人間は置いておけない。」
おそらくあの借金取りが現場監督に嘘を吹き込んだのだろう。仕事を失い、呆然として帰り道。怒りより先に、ただ虚しさだけが胸に広がっていく。
財布の中に小銭しか入っていなかったため、銀行によりお金を下ろそうとする。ところが口座に現金は一切入っていなかった。詳細を確認すると、俺名義のクレジットカードで引き落としが行われていたらしい。使用されていたのは海外のカジノ。岡村か。すぐカード会社に連絡したが、時すでに遅し。
信頼も貯金も何もかも失い、自宅のアパートでぼんやり過ごす。このまま人生が終わってしまうのかという絶望感に包まれていたある日、インターフォンが鳴る音が聞こえた。玄関先に立っていたのは借金取りではなく、パリッとしたスーツに身を包んだ40代くらいの男性。
「初めまして。近藤さんですね。」
「はあ。」
「岡村正さんはご存知ですか?」
「正さんから依頼を受けて、あなたにこれを渡しに来ました。」
弁護士が俺に渡したのは古びた鍵だ。弁護士の話では、正さんは以前からこの鍵を預けていたらしい。
「正さん、そうだ。あの人に連絡を取りたいんです。正さんの息子に騙されて…」
「残念ですが、先日なくなりました。」
なんと正さんは、岡村が逃げた直後、極度の衝撃で倒れてこの世を去ってしまったのだ。
「そんな…」
頼みの綱がなくなり、再び絶望感が俺を襲う。
「何があったんですか?」
心配そうに訪ねてきた弁護士に、俺は今までのことを明かした。
「これ、あいつが残した土地の権利書です。」
権利書を差し出すと、弁護士は目を丸くする。
「先ほど渡した鍵は、まさにこの土地にある建物の鍵ですよ。」
「そうなんですか。正さんは俺に何を残してくれたんでしょう。」
「私も詳細は知りませんが、鍵は必ずあなたに渡すように言われました。あなたにとって価値のあるものがそこにあるのでは?」
弁護士にそう言われた俺は、すぐ権利書に書かれた住所へ向かう。到着したのは深夜だった。懐中電灯の明かりを頼りに1人山を登る。やがて錆びたプレハブ小屋が見えた。
鍵を開けると、中には色々なものが積み重なっていた。
「これは設計図と試作品か。」
ほこりをかぶっているが、かなり精巧な作りだ。10年前に見た正さんの納期を思い出す。あの人が作ったものに間違いない。設計図を手に取る。正さんが長い時間をかけて試行錯誤した形跡が見て取れた。
「もし完成したらすごい機械になるぞ。」
機械を完成させるには精密制御とセンサー技術が必要だ。正さんはソフト関係はさっぱりだと言っていたため、その部分だけがぽっかりと空白になっている状態だ。
「なんだこれ?」
小屋の中に置かれていたノートに気づき、手に取る。表紙には正さんが書いたと思われる文字が残されていた。
「近藤君へ。機械は作った。残りは君にしかわからないだろう。あとは任せるよ。完成品は君が役立ててくれ。」
ノートをじっと眺めながら、俺は小屋の床に腰を下ろした。
翌朝、小屋から出ると人影がこちらに近づいてくるのが分かった。
「誰だお前?俺の親友の小屋で何をしている?」
初老の男性の怪しむ視線に、俺は慌てて説明する。すると男性は驚きながら事情を話してくれた。
「まさとは生まれた直後からの付き合いだ。あいつがお前にこの小屋を託したのか。」
男性の名前は原田さんというらしい。原田さんは近くに住んでいる農家で、正さんに頼まれ小屋の管理をしていたそうだ。さらに原田さんは小屋に残された機械について詳しく教えてくれる。
「これは自立走行の納期だ。俺みたいな老人1人でも広い農地を管理できるようにと作ったんだよ。でもあいつの息子は金にならないと馬鹿にしていた。」
そして俺を見ながら笑顔を浮かべる。
「腕のいい技術者がいれば機械は完成すると言っていた。そうか。お前がその技術者ってわけか。あいつはお前を信じてずっと待っていたんだな。」
次の瞬間、俺の目に涙が浮かぶ。慌てて拭い、原田さんに向かい力強く言った。
「俺がこの機械を完成させます。」
「ああ、俺も協力しよう。」
そこから俺の新しい日々が始まった。昼は設計図を読み解き、夜は調達した中古部品でセンサーと制御システムの実装に取り組んだ。エンジニア時代を思い出し、俺の知識と経験を全て叩き込む。作業を進める中、原田さんがぽつりと言った。
「まさはな、自分が亡くなった後も機械が人を助けるのが夢だったんだ。金のために技術を使うんじゃなく、人のために技術を残したいってな。」
その言葉が、手を動かす俺の背中をまっすぐ押してくれた。時期はちょうど真冬を迎える頃で、暖房器具がない小屋は極寒となった。
「無理するな。体を壊したら元も子もないぞ。」
「いえ、手を止めるわけにはいかないので。」
原田さんがストーブを貸してくれなかったら、俺はあの小屋で氷付けになっていたかもしれない。
それから2ヶ月後、春の気配が漂った頃、試作品が完成した。
「よくやったなあ。」
「ありがとうございます。原田さんのおかげです。」
「お前と正の努力の結晶だ。」
天を仰ぐ。晴れ渡った空の向こうで、正さんは見守ってくれているだろうか。
その後、俺は機械を完成させ、特許の申請を行った。地形をセンサーで感知し、適切な動きで自動運転ができる。このため耕作放棄地でも使える汎用性の高さがあり、特許申請が通った後、すぐ業界内で話題になった。並行して弁護士に借金の件も相談し、詐欺による連帯保証の無効を主張する手続きも同時に進めていた。
メディアにも取り上げられると、かつて俺を貶めた知人から連絡が来る。一緒に仕事をしたいと言われたが断った。この機会は金儲けのためのものではない。人の役に立つ機会だ。本当に必要としている人たちに届けるために、取引相手は適切なところを選びたい。そんな考えで俺が選んだのは業界最大手の企業。実績もある。この会社なら安心して任せられる。
「では、契約締結で。」
笑顔で担当者と握手をかわした。俺が今いるのは、岡村と共に会社を立ち上げたあのオフィス。因縁の場所だが、立地がいいため使い続けていたのだ。
契約を結び担当者を見送った数分後、オフィスの扉が乱暴な音を立てて開いた。
「今度は助けてくれ。」
「岡村?なんでここに。海外に行ったはずじゃ…」
「カジノで全財産失っちまったんだよ。金を借りた相手がやばい奴らで、日本に逃げてきたんだ。」
すっかりやつれた岡村が俺にすがりつく。
「ニュースになってた。俺の親父が開発したやつだろ。息子の俺にも権利があるはずだ。売上の半分。いや、1/3でいい。俺によこせよ。」
俺は冷静に岡村の手を振りほどく。俺をどん底に突き落とした相手との再会だが、自分でも驚くくらい落ち着いていた。
「あの小屋には正さんが残した手紙も置いてあった。お前のことも書かれていたよ。」
「本当か?なんて書かれていた?」
「お前は金の亡者だと。全くもってその通りだな。あの機械の真の意味が分かるのは俺と正さんだけ。お前にはネジ1本すら渡さない。機械の権利は全て俺に渡すと書かれていたよ。」
「許してくれ。頼む。俺とお前の仲だろ。」
「お前の親父は言っていたよ。人を救っていれば金は後からついてくると。お前には一生分からない言葉だろうな。」
俺が言い終えると、隣に座っていた男性が立ち上がった。正さんの遺言で俺に鍵を届けてくれた弁護士だ。今は我が社の顧問弁護士を務めている。
「権利に関しては近藤さんが正式に継いでいます。手続きを行ったのは私です。法的にお前には権利がないってことだ。あと、お前には詐欺容疑がかかっている。俺は納期の開発と並行して、岡村に騙された件を警察に相談していたのだ。海外に逃亡しているため捜査はなかなか進まなかったが、まさかこのこの俺の前に姿を表すとは。」
岡村が顔面蒼白になり逃げようとする。
「逃すか。」
俺は奴に飛びかかる。オフィスにいた社員たちも協力してくれ、岡村は俺たちに取り押さえられながら絶望の叫び声をあげた。この後到着した警察に岡村は連行された。
しばらくして、連帯保証人に関して岡村の詐欺による無効が認定され、俺は莫大な借金から解放されたのだ。岡村はこの先数年、塀の向こうで暮らすはめとなった。
一方、俺の会社は急成長し、政府のスマート農業推進事業にも採択された。全国各地にある耕作放棄地の再生事業に、俺と正さんが開発した納期が使われることになったのだ。
「段階から使っている俺が保証する。これはいい機会だよ。」
原田さんに報告しに行った際、笑顔で太鼓判を押してもらえた。
「おかげで随分仕事が楽になったよ。お前さんのおかげだ。」
「俺と正さんの合作ですよ。」
「そうだったな。」
俺たちの笑い声が響き渡る。天国にいる正さんにも、俺たちの声は届いただろう。



