「あの、今言いたいことがあるんですけど、いいですか?」
みほさんが星座をして、ごくりと生つを飲んだ。俺も同じように緊張で喉を鳴らした。
「はい」
「私、あなたが好きです。娘にも私にも、大事な人です」
俺の名前は佐々賢介。都会の総合病院の跡取り息子で、医者として働いていた。父は自分の病院を立ち上げ、母はそこで看護師長をしている。俺は小さい頃から医者になれと言われているような気がして、なんとなく医学部に進み、医者になった。
医者になってからは、自他ともに認める優秀な腕前だった。オペを見た医者たちに「天才が現れた」と言わしめるほどだった。しかし、その実力に驕り、周りの看護師をこき使い、高圧的な態度で接していた。仕事はできるが、病院内で言い寄ってくる女性は全くいなかった。モテると思っていた俺には痛手だったが、それでも態度を改めなかった。
やがて患者や同僚からクレームが相次ぎ、それが両親の耳に入った。
「話は聞いたぞ、賢介。お前は自分の立場に甘えすぎている。来月から俺の知り合いの病院に派遣するからな」
「あなたはもう一度初心に戻ってやり直さないといけないわ。看護師たちだってプライドがあるのよ。医者の奴隷ではないの。勘違いしないで」
父と母から初めてそんな風に叱責され、俺は事態の重大さにやっと気づいた。
「え、派遣ってどういうこと?」
「田舎の人手が足りない病院があるんだ。そこへ行って、医療とはどういうことかしっかり学んでこい」
俺は頭が真っ白になった。まさか、いつも優しかった両親がこんな厳しいことを言うなんて。
飛ばされたのは、過疎化が進んだかなり田舎の古い病院だった。総合病院で働いていた俺にとって、何もかもが不自由で環境は一変した。父の知り合いの院長はニコニコした優しい男性だったが、「お父さんからビシバシいてくれと言われているからね。遠慮なくそうさせてもらうよ」と言われ、初出勤の日からたじたじだった。
俺が都会の総合病院の跡取り息子だということは、この病院のみんなには内緒にされていた。俺は研修期間を終えたばかりの医者として同僚たちに挨拶をした。素性を知られても困るから、自分のことをオープンにすることはほとんどなかった。
仕事は初日からかなり大変だった。人手が足りないから、今まで看護師に頼んでいたこともほぼ自分でやらなければならない。最新機器も揃っていないから、検査のために自分で検体を運んだりもした。俺はがむしゃらに働いた。今まで自分がどれだけ横柄な態度でみんなに接していたか、どれだけ周りに迷惑をかけていたかを実感した。優しい両親が俺をこの病院へやった意味が分かってきた頃、俺はミスをしたり仕事を忘れたりも随分していて、過去の自分とはかけ離れたキャラになっていた。
「笹本先生、どこかに飲みに行きませんか?みんなでこの後行くんですけど」
「いや、大丈夫です」
「またそんなこと言って。たまには飲みましょうよ」
俺は個人的な誘いはほぼ断っていた。それでもみんなとの関係が悪くならない程度には世間話もした。
「佐々先生っていい人だけど、プライベートが謎よね」
「まあ、彼女はいないか。仕事もまだまだだもんね」
看護師たちには影でそんな風に言われていた。
そんなある日、新しい医師がここへやってきた。二人の医師は、男性の冷たそうな印象の相澤先生と、こんな田舎には滅多にいなさそうな別嬪の豊田美ほ先生だった。院長の話によると、相澤先生も俺と同じようにどこかから左遷されてきたらしい。豊田先生は離婚して田舎に戻ってきた人で、娘さんが一人いるシングルマザー。娘さんは病気でこの病院に入院することになったらしい。
「じゃあ、一人ずつ最初はサポートってことでついてもらうからね。豊田先生には佐々先生、お願いします」
「あ、はい。よろしくお願いします」
サポートと言っても、豊田先生の方が俺より役職は上になる。しかし、この病院のあれこれを教えてあげて欲しいということだった。
「よろしくお願いします、佐々先生」
丁寧にお辞儀をしてにっこり笑う彼女は、好感度の塊といった感じだった。それに比べて相澤先生は、あからさまにこの病院のみんなを見下すような態度。しかも左遷されてきたからか、ふてくされたような仕事ぶりだった。
「はあ。なんで俺がこんなところに。早く戻してもらわないとな」
そうぶつぶつ言いながら往診に回るから、患者さんたちだって相澤先生のことを快く思っていない人ばかりだった。
「私なんて、やることが遅いって下打ちされました。まあ、私が悪いんですけど」
「そんなことないわよ。あれはむしろ、相澤先生が何も処置しないのにびっくりしたわ」
「しかも豊田先生のことも、女だからとか、シングルマザーかよとか、バカにしたようなこと言って、本当許せない」
基本、相澤先生はこんな風に悪口を言われていた。なんだか昔の自分を見ているようで、俺は何とも言えない気分になった。俺もこうやって周りを見下して、影口を言われていたんだろうな。
そんなある日、俺と豊田先生は当直で二人きりで当直室にいた。少し前に豊田先生は急患が運ばれて、その対応に追われていた。すると看護師が慌てた様子で俺のところへ走ってきた。
「佐々先生、402号室の塚本さん、急変です。先生に連絡しているんですが、電話に出てもらえなくて」
俺は相澤先生の担当患者の元へ急いだ。
「塚本さん、どうしましたか?どこが痛みますか?」
塚本さんは抑えて苦しんでいる。閉塞かもしれない。チューブを入れよう。俺は新人看護師に指示をした。看護師はまだ新人の俺の言うことを聞いていいのか躊躇していたが、今他に医師はいない。
「はい、わかりました」
俺たちが塚本さんの処置をしていると、豊田先生が急患の対応を終えて駆けつけてくれた。
「佐々先生、大丈夫ですか?」
「はい、今処置したので、様子を見ましょう」
塚本さんは痛みが治まったのか、やっと落ち着いてすやすやと寝ている。
「よかった。佐々先生、ありがとうございました。素晴らしい処置でしたね、佐々先生。本当に経験年数、間違えてないですか?」
「え、いや、間違えてないですよ。たまたま知識があったので、覚えてただけです」
豊田先生は怪しんでいたが、俺は最後までとぼけた。
そんなことがあってから数日後、豊田先生の娘、ゆみちゃんが急変したのだ。担当の相澤先生はまた呼び出しに出ていて捕まらない。
「仕方ないわ。私がオペします」
「だめですよ、先生」
「だって、ゆみが、ゆみはどうなるの?」
そう言う豊田先生は、医師ではなく母親の顔だった。俺は心配になり、豊田先生に申し出た。
「俺も助手で入らせてください」
「うん。お願いします」
豊田先生は深呼吸して手術室に入った。いくら親と言っても、豊田先生は優秀な医者だ。俺は心配しながらも彼女の手術を見守ることにした。
手術が始まってしばらくは、豊田先生は落ち着いているように見えた。しかし、ゆみちゃんの出血が急に多くなり、血圧が下がり始めると、彼女の肩は震え、汗は止まらなくなった。手は動かせる状態でなく、彼女の方が倒れてしまいそうだ。
「大丈夫ですか?豊田先生、落ち着いて」
「誰か、誰か助けて」
俺は決意して彼女にこう言った。
「俺が変わります」
俺はふらふらしている豊田先生を看護師に託し、手術台を交代した。久しぶりの手術だったが、以前の記憶を忘れないように勉強と練習だけは欠かしていなかった。しかし、この状況は今まで経験したことがないほど緊張した。すぐそばに家族が見守っているというのはかなりプレッシャーだし、それがしかも豊田先生だなんて。
俺の手術を見て、看護師や麻酔科医も息をのんでいる。研修を終えたばかりの俺がこんな手術をするとは、誰も思わないだろう。
ゆみちゃんの手術は成功し、一命を取り止めた。
「佐々先生、ありがとうございます。そして、ごめんなさい。あんな風に取り乱して、医者として失格ね」
豊田先生はそう言ってため息をついたが、彼女がいかに娘を大切に生きているかがよくわかった。
「いえ、ゆみちゃんが頑張ってくれたんですよ。早く容体が落ち着くといいですね」
「ところで、佐々先生は本当は何年目ですか?あんな手術、見たことないですよ」
もう隠せないかな。
「実は総合病院で働いてまして。でも、俺の勤務態度が悪すぎて、研修に出されたんです。おかげでこの田舎の病院でかなり貴重な経験が積めました。心を入れ替えたっていうか、まあ、昔の自分が恥ずかしいです」
「そっか。そんなことがあったんですね。でも、今の佐々先生がいるのは、いろんな経験をしたからですよ」
そう言ってくれる豊田先生は、本当に心が優しい人だと思った。周りに嫌われていた俺の心を、彼女の言葉が溶かしてくれたような気がする。
「そういえば、相澤先生なんですけど、ゆみちゃんが急変した時に連絡したんですが、全然捕まりませんでした。いつもそうなんですか?」
「そうですね。今回のゆみの件も、なぜ急変したのかがよくわからないので、調べてみます」
豊田先生は相澤先生の治療に不審感を持っていた。
俺はその後、院長に呼び出された。
「悪かったね、佐々君。今回の手術で、みんなに君の正体というのがバレてしまったかな」
ふざけた調子で院長が俺をからかう。
「やめてくださいよ。でも、ゆみちゃんが助かって本当に良かったです」
「その件なんだがね。相澤先生の指示が間違いはなかったかと、今調べているんだ。君も何か分かったら教えてくれ」
「わかりました」
後日、相澤先生は呼び出され、担当看護師や豊田先生も一緒に話を聞いた。
「君のゆみちゃんへの処置に間違いがあったという調査結果が出た」
「なんですって。大体、それを投薬したのは君だろう」
相澤先生は噴き出して、担当看護師を指さして言った。
「いえ、私は先生の指示通りに投薬しただけです」
「そうです。医師の見解が間違えていただけです」
俺は相澤先生の指示がおかしかったことを説明した。
「お前、横から入ってきて失礼だぞ。俺に新人があんなオペをして良かったと思っているのか?」
「何言ってるんですか?あの時は相澤先生が来てくれなかったのと、佐々先生は私の代わりに経験に基づいて適切にオペをしてくれたんです」
豊田先生が必死に俺をかばう。
「今回のことは、ご家族が豊田先生ということだが、一般的に言うと大問題だ。君にはそれ相応の処分を下す」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、院長」
「ああ。ゆみちゃんは亡くなるところだったんだぞ」
相澤先生の非業務はこうやって明るみになった。しかも、看護師や女性の豊田先生を馬鹿にした態度も、院長の激怒に触れた。相澤先生の件は元の職場にも報告され、彼は帰る場所がなくなった。左遷先でもこんな問題を起こしてしまったんだ。救いがない。
「彼は私の管理下で、しばらく仕事をしてもらうよ」
しょぼくれた相澤先生は、それからすっかり大人しくなってしまった。代わりに俺がゆみちゃんの担当となり、豊田先生は喜んでくれた。
あの件以来、俺が新人医師ではなくベテランだったと病院中にバレてしまった。俺はゆみちゃんを贔屓するわけではないが、なるべく毎日様子を見に会いに行った。ゆみちゃんはあれからどんどん回復し、あと少しで退院というところまで元気になった。
「先生、退院したら、ゆみのお家に来て」
「こら、ゆみ。先生はすっごく忙しいのよ」
「お家に呼んでくれるの?それは嬉しいな。是非遊びに行かせてよ」
俺はゆみちゃんが可愛くて仕方なかった。素直で無邪気で、母親のことも気にかけられる。とても優しい子だ。
「ママの作ったご飯、みんなで食べたい」
「それは楽しみだな」
俺と豊田先生の休みがたまたまあった休日、俺は早速二人の家にお邪魔することになった。
「お邪魔します」
豊田先生の家は綺麗に片付けられた、ナチュラルな感じのインテリアが落ち着くおしゃれな家だった。
「どうぞ上がってください」
「お邪魔します」
俺は女性の部屋に入るのなんて久しぶりだったから、緊張しながら恐る恐る上がらせてもらった。今日は一日帰宅ができたゆみちゃんも家にいて、俺を出迎えてくれた。
「先生、こっちこっち」
ゆみちゃんは興奮しながら俺の手を引っ張って中へ連れていく。
「分かったから、そんなに走らないで」
ゆみちゃんの体が心配な俺は、必死に彼女についていく。豊田先生はたくさんのご馳走を作って待っていてくれた。
「こんなにたくさん。俺、手料理なんて久しぶりです」
「豊田先生、忙しいのにすごいですね」
「普段はさすがにこんなにたくさんは作れませんよ。作り置きして、それを少しずつ食べるだけです。でも、ゆみが退院してきたら、また頑張って作らなきゃね」
「うん。私、ママのご飯が大好き」
この二人は本当に支え合って生きている感じがして、見ていて羨ましくなる。豊田先生の手料理は和食が多く、体にも良さそうだった。
「なんか茶色ばっかりですね」
「ゆみの体のことを考えると、和食ばっかりになっちゃって。でも、和食が一番ですよ」
「ママの料理好きなんだけど、たまにはオムライスとか食べたいの」
ゆみちゃんがちょっと遠慮がちにそう言った。
「でも、ママ、オムライスの卵だけはうまくできなくて、いつも破れちゃうんだよね」
「ゆみ、恥ずかしいからやめてよ」
俺はオムライスという言葉にチャンスが来たと思った。
「じゃあ、今度は俺がオムライスご馳走しますよ」
「え?」
実は学生時代、レストランでバイトしたことがあった。調理を任されることはなかったが、オムライスの卵だけはシェフに教えてもらったことがあるのだ。
「え、ゆみ先生のオムライス食べたい。食べたい」
「おし。じゃあ、ゆみちゃんが退院した時には、退院祝いで作ってあげるよ」
「やった。ゆみ、早く元気になって退院する」
ゆみちゃんの治療は順調に進んだ。そして家にお邪魔して以来、俺とみほさんの距離はぐんと縮まったような気がする。仕事中のきりっとした姿を見ているが、家ではにこにこの優しいお母さんな彼女を知って、俺はどんどん好きになっていた。オペは完璧にこなすのに、オムライスをうまく丸められないなんて可愛すぎる。俺はゆみちゃんが退院する日がとても待ち遠しかった。
それから数ヶ月後、ゆみちゃんは無事に退院することになった。
「長い間頑張ったね、ゆみちゃん」
「佐々先生、ありがとうございます。退院するの嬉しいけど、先生に会えないの」
何ともキュンとすることを言ってくれる。俺はゆみちゃんのことを自分の子供のように愛しく思っていた。
「ゆみったら、本当に佐々先生大好きなのね。ママだって」
その時、急にみほさんはゆみちゃんの言葉を遮ってごまかした。
「ほらほら、ゆみ、あっち行こう。看護師さんたちにも挨拶しなきゃ」
「あ、先生、オムライス忘れないでね」
ゆみちゃんはそう言いながら、みほさんに無理やり連れて行かれた。
「ママも」
俺はその先の言葉が猛烈に気になった。
ゆみちゃんが退院してからしばらくして、俺は二人を約束通り招待した。いつもはしないエプロンなんかして、さも自炊してますといった雰囲気で、部屋の掃除もばっちりしておいた。
「いらっしゃい」
「わあ、先生のお家、綺麗」
「ははは。そうだろう」
というのは嘘で、普段は泥棒が入ったみたいに散らかってます。
みほさんが吹き出した。
「じゃあ、エプロンもそうですか?」
「もちろん、初めてつけました」
「先生ったら」
二人は爆笑している。
「まあまあ、オムライスは本当に得意だから、ちょっと待ってて。あっちでゆっくりしててください」
俺はリビングで二人を待たせてキッチンへ戻った。綺麗なオムライスを作り、ケチャップで名前を書いて食卓へと並べた。
「わあ、すごい。本当にお店のオムライスみたい」
「まあ、先生、すごいね」
二人は大喜びでオムライスを食べてくれた。
「どうやったらこんなに綺麗にできるんですか?」
「ちょっとやってみます」
俺の分のオムライスの卵を、二人に教えながら作ってもらうことにした。
「卵液を入れたら、あまりいじらないで。ご飯を入れる前に火を止めるんです」
「え、火を止めるんだ」
「そうしたら、優しくトントンして、卵を上に持ってきます。ヘラを使ってもいいですよ」
「うわあ、ママもできてる。先生、教え方上手?」
「うん、上手、上手。ほら、綺麗にできた」
「本当だ。ああ、初めてできたわ」
みほさんの子供みたいなはしゃぎように、俺はぼーっと見とれていた。
みほさんは食べた後、片付けを手伝ってくれると言って皿洗いをしてくれた。なんだかこんな風に誰かと休日を過ごすって、家族みたいだな。俺は三人で笑い合う未来を勝手に想像してにやけていた。
俺がぼっとしているうちに、一緒に遊んでいたゆみちゃんも、もうとうとうとしている。
「ゆみちゃん、ちょっと寝る?」
俺はゆみちゃんを抱っこしてベッドに連れて行った。皿洗いを終えたみほさんがリビングに戻ってきた。
「あ、ゆみ、寝ちゃいましたか?」
「勝手に使わせてもらっちゃったけど、お茶でも飲みませんか?」
「ありがとうございます」
俺たちは二人だけで静かなリビングでお茶を飲んだ。初めて二人きりになってしまい、俺は急に緊張が走る。
「お皿、ありがとうございます」
「いえ、こちらこそご馳走さまでした。オムライスの卵も、今度家でも作ってみます」
そう話した後、また俺たちは静まり返った。気まずい空気の後、みほさんが急に背筋を伸ばして話し出した。
「あの、今言っていいか迷ったんですけど」
「はい」
俺も緊張して座り直す。
「私、先生が好きです。ゆみの命も助けていて、私たちにとっては佐々先生は大事な人です。これからも三人で会ったりできますか?」
みほさんは遠慮がちにそう言ってくれた。
「俺も同じことを考えてました。俺にとっても、みほさんやゆみちゃんは、もういなくなっては困る存在です」
二人の間にほっこりした空気が流れた。
「ありがとう。賢介さん」
俺の名前を呼んで笑いかけてくれる彼女を、俺は優しく抱きしめた。彼女もそっと抱きしめ返してくれ、俺たちはお互いの気持ちを確認し合った。
「あ、そうだ」
俺はそっと抱いていたみほさんと離れた。
「まだ言ってないことがあるんだ」
「はい。何でしょうか?」
俺は大事なことをみほさんに言わなければいけなかった。
「俺の実家のことなんだけど」
「賢介さん、総合病院の息子さんなんですね」
「え、知ってたの?」
「いえ、さっき飾られている写真を見てしまって。じゃあ、そこに戻るんですか?」
「うん、多分そうなると思う。それでも、みほさんは俺と付き合ってくれる?」
みほさんは迷わず答えた。
「もちろんです。あなたがどこの誰でも、好きな気持ちは変わりません」
こうして俺たちの交際は始まった。病院のみんなには特に公表していなかったが、みんな噂話が好きだから、うすうす感づかれていたとは思う。
順調に付き合いを重ねていた頃、俺は院長から呼び出された。
「佐々先生、忙しいところをすまん。実はお父さんから連絡があってね、君に総合病院に戻ってきて欲しいそうだ。こちらは残念だが、君もいつかはそうしなくてはいけないね。お父さんには、君がすっかり変わって医師として成長したことを話しておいたよ」
俺は院長に何度もお礼を言った。
「院長、ありがとうございます。俺、ここに来なかったら、あのままどうしようもない人間になっていました。お世話になったことは一生忘れません」
そして俺には、総合病院に戻る前にやるべきことがもう一つあった。
俺はみほさんを町の高台にある雰囲気のいいレストランに連れて行った。
「初めて来ました。素敵ですね」
夜景にうっとりしながら彼女が言う。
「うん。あのさ、みほ、今日は報告があって」
「はい」
「えっと、まずは、俺、実家の病院に戻ることになりました」
「そうなの?それは良かったわね。おめでとうございます」
喜んでくれる彼女に、俺は渡すものがあった。ポケットから小さな箱を取り出して、彼女の前で開ける。
「それで、よかったら、俺と結婚して、ついてきてくれませんか?」
みほは驚いて、指輪と俺を交互に見る。
「そっか。そうだよね。離れ離れになっちゃうってことだもんね」
ドキドキして返事を待っていると、みほは左手を出してこう言った。
「私も、ゆみも、賢介さんについて行きます」
俺はほっと胸を撫で下ろして、指輪を彼女の薬指にはめた。
「よかった。ついてきてくれなかったら、どうしようかと」
「ゆみにはちゃんと話すわ。転校してお友達とお別れしないといけないし。でも、賢介さんのこと大好きだから、きっと喜ぶと思う」
俺は人先に実家の総合病院に戻った。病院には俺を嫌っていた人がたくさんいるから、最初はこそこそと影口を叩かれるのも仕方ないと思って働いた。しかし、徐々に俺の仕事ぶりを見て、みんなの見る目が変わってきたように思う。
「院長先生、随分と変わられましたね」
「私も、あの病院へ賢介をやって本当に良かったと思うわ。人間っていつでも変われるのね」
父も母の態度に正直驚いていた。
「あの病院には感謝しないとだな。俺も年を取ったし、いずれこの病院はお前についでもらうつもりだ。そのつもりでいてくれ」
父からもそう言われて、俺は自分が初めて認めてもらえたようで嬉しかった。
それから二ヶ月後、みほとゆみはうちの地元に引っ越してきた。俺が借りたマンションに三人で住むことになったのだ。
「初めまして。豊田美と申します」
みほはうちの病院で医師として働くことになった。
「ああ、待っていたよ。これから賢介と一緒によろしく頼む」
二人のことを事前に紹介していたので、父と母は嬉しそうに迎えてくれた。
「初めまして、ゆみです」
「あら、可愛い子。やっと孫ができるのね」
母は目尻を下げて喜んでいる。
俺とみほは、ほどなくして式を挙げた。結婚式にはもちろん、あの病院のみんなを呼んだ。
「全く、豊田先生まで連行っちゃうなんて。うちの病院にはいなよ」
「すいません」
俺は院長にひれ伏す。
「幸せになるんだぞ」
「はい、ありがとうございます」
みほはキラキラと輝く妖精のように美しい花嫁だった。ドレスなんて二回目だからもういいなんて言っていたのだが、有無の立っての願いで式を上げることになったのだ。
「ゆみ、すっごく綺麗だよ」
「うん。同感」
「二人ともありがとう」
なんだかんだ本人も照れながら喜んでいる。ゆみは新しい学校にも慣れて、こちらの生活を楽しんでいる。体もすっかり元気になって、もう心配はなさそうだ。
俺は来年引退する父を引き継いで、院長に就任することになった。病院には毎日のように病に苦しむ患者がやってくる。みほと一緒に、これからもこの病院でそんな人たちを救っていきたい。
あの田舎の病院に左遷され、俺の人生は大きく変わった。人としての生き方を教わり、仕事への姿勢を正された。そして、人生のパートナーと知り合うことができたことを、神様に感謝したい。



